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2011年8月23日 (火)

浜野矩随代々

「浜野矩随」というのは実在の人物です。
落語の「浜野矩随」は、先代の三遊亭圓楽師匠が、講談の「一柳斉貞鳳」先生から教わった講釈物を落語にしたと言われていますので、史実と違っている部分もあるようです。
実在の方々を調べてみました。
浜野矩隨(はまののりゆき) 江戸後期に3代続いた彫金家。3
〔初代〕 浜野矩隨
元文元年~天明7年(1736-1787) 通称忠五郎。
望窓軒・蓋雲堂と号す。
「浜野政隨」の高弟で、一家を成し神田小柳町に住した。
天明7年8月29日没、享年五十二歳。
派独特の細密精巧な中に、乗意風の薄肉合彫を取り入れた作風。
門弟に「吾妻永隨」、「中沢矩最」、「遠山直隨」、「水戸利隨」、「水戸保隨」、「水戸弘隨」等。
〔二代目〕 浜野矩隨 明和8年~嘉永5年(1771-1852)
本名染野松次郎。壽松軒、東龍斎と号す。
天明5年(1785)十四歳の時初代(父)に従い初め、政方のち矩施と称する。
寛政6年(1794)23歳の時、師家の後継者となった。
嘉永5年7月1日没、享年八十二歳。
門弟に「斎藤富隨」、「森矩明」。
〔三代目〕 浜野矩随 通称十五郎。
初め壽隨と称し、耕雲斎、生龍軒、鶴臨堂と号す。
4浜野政随(はまのしょうずい) 金工。江戸中期に四代を数える。
〔初代〕 浜野政随
元禄9年-明和6年(1696-1769)通称 太良兵衛、別号を乙柳軒・味墨・閑経・子順・遊壺亭・穐峰斎・半圭子・一瞬堂・玉渓舎・圭宝。
江戸神田竪大工町に住み、「奈良利寿」に彫金術を学び、一派を開いて「浜野派」を立てた。
門人に「室田寛随」・「牧田宝随」・「初代浜野矩随」・「堀江興成」・「高橋政山」らがいる。
・・・ということで、「浜野矩安」という名前は出て来ません。
親子で名人というなら、初代
矩随(忠五郎)に師事した息子・松次郎が二代目矩随を継いでいますので、この人かもしれません。
圓窓師匠に稽古をつけていただいた時に、「噺のような矩安・矩随という親子、師匠弟子はいないんだね・・・。」なんて、色々話をしたことがあります。

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