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2011年8月25日 (木)

三遊亭圓朝門下の名人たち

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shadow今年の夏は圓朝ばかりです。
さて、「三遊亭圓朝」は、直弟子だけでも20人を超えていたと伝えられています。
主な一門のメンバーを当たってみました。
【三代目三遊亭圓生】
明治維新後、素噺に転向した圓朝が、それまで用いていた「道具入り芝居噺」の道具一式を譲った「三代目三遊亭圓生」は、通称「のしんの圓生」と呼ばれ、役者から落語家に転向したと伝えられています。
この「のしん」については、本名「野本新兵衛」に因んだものと言われる一方で、元々天狗連の真打格であったことから、「○○連の真打」と言われ、その「の真打」が「のしん」に転じたという説も。
三代目圓生を襲名した時期も、明治5年(1872年)とする説とそれより少し早い明治2~3年(1869~70)頃とする説がありますが、明治初期の芝居噺の第一人者であったことは確かです。
養母の死後神経を病み、明治14年(1881年)、43歳で死去。
【四代目三遊亭圓生】
背負いの小間物屋から圓朝の弟子となり、一時廃業して芝居茶屋の主人となるも上手く行かず落語界へ復帰。
明治15年(1882年)、四代目圓生を襲名します。
師匠圓朝の私信に「圓生は生来名人なり」とあり、落とし噺では圓生に適わないと言わしめたほどだったといい、廓噺を得意としたほか、人情噺にも優れ、さらには自らも噺を創作して、明治中期を代表する名人の一人として活躍しました。
【初代三遊亭圓馬】
圓朝の門人になる以前の経歴はほとんど分かっていません。
一説には、「三代目翁屋さん馬(後の四代目三笑亭可楽)」の門人に「翁家らん馬」という落語家がおり、その人物の門下で天狗連狂言亭市馬」と名乗っていた人物がこの圓馬だといわれているようです。
狂言亭市馬はその後「月亭花生」と改名、芝居噺を得意としていたそうです。
プロとしては「二代目三遊亭圓生」門下で圓馬と名乗りました。
「三遊亭圓朝」の真打昇進に伴い圓朝の父「橘屋圓太郎」の依頼などで、圓朝一門を補強するため12歳も年下の圓朝門下に加わったされています。
圓朝門下になってからは主に素噺を演じたようです。
晩年は西両国の駒止に住んでいた事から「駒止の圓馬」と。
1880年没。享年53。
門下に「二代目三遊亭圓橘(後に圓朝の門下へ)」がいます。
【二代目三遊亭圓橘】
麹町出身。14歳の時に父が亡くなり、以後は上絵師などの仕事して生計を立てるかたわら、「京橋連」という天狗連で落語を披露していたようです。
その後「三代
目立川焉馬」の下に入門、「花久馬」。
慶応3年の秋頃に、「初代三遊亭圓馬(通称「駒止の圓馬」)」門下に入って「三遊亭市馬」に。
明治2年2月の末(1869年4月)に三遊亭圓朝門下に入り、1873年5月に真打昇進。
この時に「三遊亭圓橘」に改名したと思われます。
一時期圓朝と不和になり、
1884年9月には「四代目立川焉馬」を襲名しますが、後に和解し、1886年頃?には再び三遊亭圓橘に戻ったようです。
「幻の二代目」といわれた「初代三遊亭圓右」は、この人の門下ということになります。

圓朝七回忌の法事の日に、参会者の面前で倒れ、愛弟子の「立花家橘之助」の膝に抱かれでこの世を去ったそうです。
人情噺から怪談噺まで芸の幅は広く、また茶道や書画などにも精通しており、人格者としても知られたとのこと。
以上の四人をして「圓朝門下四天王」と謳われたといいます。
さらに、名人上手は続きます。
【初代三遊亭圓遊】Photo_4
多士済々の圓朝の弟子たちの中でも一際異彩を放ち、また、落語の近代化と大衆化に絶大な功績を残したのが、本来は「三代目」でありながら、後年あまりにも有名になったことで俗に「初代」とされる三遊亭圓遊です。
23歳頃に圓朝門下となった圓遊は、「ステテコ踊り」という珍妙な踊りで人気を博す一方、本格芸では当時の名人たちに適わないと悟るや、当時は比較的軽視されがちだった滑稽噺に斬新なギャグや時代・風俗描写を巧みに盛り込んで、新作・改作を連発。
「滑稽落語」というジャンルを確立した点で、圓朝に勝るとも劣らぬ落語界の一大功労者と言えます。
「ステテコ踊り」から「ステテコの圓遊」、また鼻の大きさを売りにしたことから「鼻の圓遊」の異名を取りました。
【四代目橘家圓喬】Photo_3
既に触れているとおり、名人の呼び声が高く、「圓朝に最もよく似ていた」と言われたのが四代目橘家圓喬です。
師匠譲りの長編人情噺から四代目圓生系の落とし噺、三題噺に上方の噺に至るまで幅広い芸域を持ち、その芸は後世に多大な影響を与えました。
明治30年代から既に「二代目圓朝」に推す声があり、本人もその気持ちがあったといいますが、一方で「生意気」「高慢」など仲間内の評判が悪く、人望の点でいま一つだったことがあって、圓朝襲名は実現しないまま、大正元年(1912年)11月22日、肺病がもとで48歳で亡くなりました。
【二代目三遊亭圓馬】
明治から大正にかけて東西の落語界で重きをなした人だそうです。
【初代橘ノ圓】
二代目三遊亭圓馬の実弟だそうです。
今も落語芸術協会にいらっしゃいますが、「たちばなのまどか」なんて、何となく可愛いですね。
【二代目三遊亭小円朝】
明治の末に「落語研究会」を起こしました。
【三遊亭一朝】
圓朝譲りの怪談噺や芝居噺を後世に伝え、「一朝老人」と敬われた人です。
八代目林家正蔵(彦六)と五代目古今亭今輔視師匠が最も大きな影響を受け、晩年の世話もしたという話は有名です。

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