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2011年8月24日 (水)

桂文楽師匠最後の高座

crying八代目桂文楽師匠の最後の高座と、三代目柳家小さんとの逸話をちょいと・・・。2
文楽師匠は高座に出る前には必ず演目のおさらいをしたそうです。
最晩年は「高座で失敗した場合にお客に謝る謝り方」も毎朝稽古していたそうです。
今から40年前の1971年8月31日、三宅坂(半蔵門)の国立劇場小劇場の「第42回・第五次落語研究会」で、三遊亭圓朝作「大仏餅」を演じる予定でした。
ところが、前日の「東横落語会」恒例の「圓朝祭」で、この噺を演じていたため、この日に限って、出演前の復習をしなかったそうです。
しかし、この日の文楽師匠は、全く同じところを二度繰り返してしまうなど、異変が目立ちます。
噺の中途、盲目の乞食が本当の出自を明かす決定的な場面の台詞、「あたくしは、芝片門前に住まいおりました……」に続く「神谷幸右衛門…」という台詞をまったく思い出せず、高座の上で絶句してしまいます・・・・。
文楽師匠は土下座すると、消え入るような声で、
「台詞を忘れてしまいました……。申し訳ありません。
     もう一度……勉強をし直してまいります」 m(_ _)m

・・と、深々と頭を下げ話の途中で高座を降りてしまいました。
舞台袖で待ち構えていたDさん(第五次落語研究会の裏方でもある)は両手を差しのべて高座から降りた文楽師匠を抱き止めます。
そして文楽は「D君、僕は"三代目"になっちゃったよ」・・・。
文楽師匠は冷静なままだったそうですが、Dさんはその場で大粒の涙をこぼして泣いたそうです。
三代目柳家小さんと同じように、高座の上で失態を見せてしまったということです。
昭和の名人も恐れていた老いが、とうとう逃げようもない所まで押し寄せて来た瞬間でした。
文楽師匠は、以降のすべてのスケジュールはキャンセル。
公式の引退宣言はなかったものの、二度と高座に上がる事はなく、稽古すらしなくなった。
やがて肝硬変で病院に入院し、吐血し苦しみながら亡くなった・・。
これが今でも伝説として残る、名人桂文楽の落語家としての壮絶な幕切れという訳です。
三代目も八代目も、晩年はさぞや辛かったことでしょう。

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