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2011年8月26日 (金)

初代三遊亭圓右

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fullmoon初代三遊亭圓右(1860年6月15日 - 1924年11月2日)。
本名は沢木勘次郎。
「四代目橘家圓喬」と並び称される明治期から大正期にかけての名人。
一代で圓右の名跡を築いた。
1872年頃に「二代目三遊亭圓橘」門下で橘六
1877年に二つ目で「三橘」
1882年に「圓右」となり
1883年真打昇進。
1924年10月24日、大師匠三遊亭圓朝の27回忌に、二代目圓朝の名跡を管理していた「藤浦三周」からその年の秋に名乗る事を許されるが、既に身体は肺炎に冒されていた。
結局病床で襲名するも間もなく逝去。享年65歳。
二代目圓朝となったのは事実であるが、圓朝としてはほとんど活躍せずに没したため「幻の二代目」と言われる。
一方、圓右時代の功績が華々しかったためか、一般には「初代圓右」として認識される。
「名人圓右」といえば、初代圓右の事を指す。

「三遊亭圓朝」の囃子方をしていた伯父に連れられて寄席に通ううちに高座へ上がるようになり、弱冠13歳で「二代目三遊亭圓橘」門下に入門。
圓橘といえば圓朝の愛弟子に当る人なのですが、この圓右という人は自分は圓朝門下の出身といって、圓橘の弟子であることを絶対に言わなかったという変り者だったようです。
その後、圓朝から直接芝居噺を習い、24才で真打となり、圓右と改名しています。
人情噺と芝居噺に長けており、特に「唐茄子屋」と「火事息子」が十八番だったようです。
明治の後期から大正にかけてが最盛期で「四代目橘家圓喬」、「三代目柳家小さん」と張り合っていたので、この頃の三名人の一人と呼ばれているようです。
大正13年に圓朝の二十七回忌に際し、二代目圓朝を襲名する運びとなったのですが、折りからの風邪をこじらせ肺炎を併発し病床での襲名披露となり、そのまま息を引き取ってしまったのです。
「二代目三遊亭圓朝」の由来です。

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