春風亭柳枝と談洲楼燕枝
時代小説「圓朝語り」の中で、「春風亭柳枝」が総領弟子の「談洲楼燕枝」に、「三遊亭圓朝」の非凡さを認めた上で、「圓朝に負けるな」と叱咤する場面があります。
フルキャストで大看板の名前が登場するのが、まるで「火曜サスペンス劇場」で、ストーリーに何の関係もない名所が出て来るのと似ています。
冗談はともかく、「談洲楼燕枝」といえば、明治時代に三遊派の圓朝と覇を競った柳派のエースだった名人です。
この場面を読んで感じたのは、噺家さんの名跡のことです。
2〜3年前に、「春風亭小朝」さんの離婚騒動があった時に、その別れた奥さんの「Yさん」が、「小朝さんに三遊亭圓朝を襲名して欲しかった」などと、その無茶苦茶な行跡と同様に騒いでいました。
まぁ、別れた奥さんが勝手に騒いでいるといえばそれきりですが、この「Yさん」の実家は、三代続く由緒ある?噺家さんの家系ですから、ちょっと気になりました。
一方、3年ほど前に「春風亭柳朝」という名跡が復活しました。
襲名したのは、先代柳朝師匠からは孫弟子にあたる、小朝さんの兄弟子の一朝師匠のお弟子さんでした。
この時、「小朝さんはどうして柳朝を襲名しなかったんだろう」という話題にもなりました。
総領弟子の一朝師匠が「一朝という名跡は、八代目正蔵(彦六)師匠が心酔した三遊一朝老人の名前を取ったものだから」と、「柳朝」を継がないことは明らかでしたから。
でも、考えてみると、大師匠の林家正蔵(彦六)師匠も、「林家」という亭号は借りたものですし、柳朝師匠ももとは「林家照蔵」だった訳で、この「春風亭」とて本流ではなく、「柳朝」という名跡も、先代の人気で大きくなったもので、あまり魅力はなかったのかもしれません。
私は実は、小朝さんが「Yさん」と結婚した時、小朝さんは「正蔵」を狙っているのではとも思いました。
しかし、その大名跡も、先代の孫である当代が襲名しました・・・。
ついでに「三平」も正蔵さんの弟が継ぎ、「共倒れ兄弟」と揶揄されています。
その後、ある著名な評論家の先生が、小朝さんは、「春風亭柳枝」という柳派で一番大きな名跡があるのだから、これを継いだら・・・と仰っていたのを耳にしたことがありました。
・・・と言う訳で、色々述べて来ましたが、「春風亭柳枝」というのは大きな名跡なんですね。
圓窓師匠が最初に師事したのが、八代目柳枝師匠でした。
一時、圓窓師匠の柳枝一門時代からの兄弟子の「三遊亭圓彌」師匠がという動きもあったそうですが・・・。
柳派の「春風亭柳枝」と「談洲楼燕枝」、復活するといいですね。
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