浜野矩随
「東京落語会」での三遊亭好楽師匠の「浜野矩随」。
私にとっては、学生時代に鈴本演芸場で、初めて先代三遊亭圓楽師匠のを生で聴いてチャレンジし、その約30年後の落研創部50周年記念で再度高座にかけたという、宝物のような噺です。
三遊亭圓窓師匠にも、稽古会で何度も稽古をつけていただきました。
今まで、古今亭志ん生・古今亭志ん朝師匠親子や、立川志の輔さん、立川ぜん馬師匠、立川談四楼さんなどの音源を入手し、春風亭小朝さん、当代三遊亭圓楽さん、林家三平さん、三遊亭竜楽さん、桂藤兵衛師匠などは生の高座を聴かせていただきました。
そこで感じたのは、様々な観点から見て、やはり先代圓楽師匠が、ストーリーや語りが一番練り上げられていることを実感し、私のネターのペースにさせていただいて大正解だと思っていました。
この噺は、圓楽師匠が広めたと言っていい噺ですから、圓楽一門の噺家さんが頻繁に演っているようです。
好楽師匠も同門下ですから、非常に楽しみでした。
江戸寛政年間、浜野矩安(のりやす)という腰元彫りの名人がいた。
矩安存命中は、浜野家の前には骨董屋・道具屋が列をなしたが、息子の矩随(のりゆき)代になって誰も相手にしなくなった。
それは矩随がヘタだったから。
しかし、一人だけ、芝神明の「若狭屋甚兵衛」は、先代に世話になったからと矩随が彫って持って来る品をどんなものでも1分で買い上げていた。
ある朝も、野原を駆け回る若駒を彫ってきたと言うが、この馬が3本足。
徹夜して彫っていて、明け方ウトウトとして彫り落としてしまったという。
その心魂に呆れ、若狭屋は言いたくないことだったが、矩随を叱る。
「ミカン箱に13箱も、頭に皿を乗せているが下は狸になってしまう河童狸"みたいなゴミばかり。こんな物ばかり彫って、意地というものがないのか。こんな物しか出来ないなら死んでしまえ! 今日限りで縁を切るから、5両の縁切金を持って帰れ!」
家に帰って、矩隋は母親に、伊勢詣りに行くからと嘘をついたが、母は全てお見通し。
若狭屋との一件を聞き出す。
「死にたければ死んでも良いが、最期に私に形見を彫って欲しい」と観音様を所望する。
井戸端で水をかぶり、仕事を始めた。
隣では母親が神頼みの念仏を唱えていた。
3日目の朝、やっと出来上がった観音を母親にみせると、「もう一度若狭屋さんに行って、30両びた一文まからないからと見せて(売って)おいで。と矩隋にに言い聞かせ、「その前に、お水を一杯ちょうだい。後の半分をお前もお飲み。では、行っておいで。」
矩隋は、言い過ぎたと謝る若狭屋に観音像を見せる。
「おっかさんに町で会ったとき、先代の品は残っていないのですかと聞いたら、『全て食べ物に変わってしまった』と言われたが、やはり残っていたんだな。素晴らしい観音様だがお前には分からないだろうな。で、いくらなんだ。」
「30両びた一文まからないんです」
「30両か。買った!ところで、お前は本当に情けない野郎だな。30両ばかりの金で泣いていやがる」
「若狭屋さん。それは私が彫った物なんです」
「馬鹿野郎!一番言ってはいけない事を今言ったんだぞ。根性も曲がってしまったんだな。・・・(裏の銘を見て)どうして、これが出来たんだ」
「あの日帰って、母親に話すと形見を彫ってくれと言われたので彫った。少しでもマズかったら死んでも良いと言われ、心魂込めて彫ったのがこの観音様です」
「矩随さん、出来たな。必死になって彫ればオヤジと同じように魂の入ったものが惚れるんだ。道具屋仲間にも自慢できるよ。おっかさんの目利きも凄いが、どうしている? え!?水を、半分ずつ飲んで出掛けてきた? 馬鹿野郎、それは水杯ではないか。すぐ帰れ」。とって返した自宅は内から戸が閉まっていた。中にはいると線香の煙の中で、母親が九寸五分で喉元を切って絶名していた。
「おっかさん、本当は売れないと思っていたんでしょう。若狭屋さんはおとっつぁんのと間違えて買ってくれました。おっかさ~ん。おっかさぁ~~ん」。
名人矩随が出た、との噂で浜野の家の前に道具屋の行列が出来たが、「私の作品は若狭屋さん以外納めませんから」との事で、若狭屋にお客が集中した。
お客の中には「どんな彫り損じでも良いから」とねだる者も出て、初期の作品の3本足の馬や河童狸もミカン箱から売れていった。
「怠らで 行かば千里の 果ても見ん 牛の歩みの よし遅くとも」
寛政の時代に親子二代にわたって名人と言われた浜野の一席です。昨年5月の落語っ子連の発表会でも演らせていただいたのですが、その時に圓窓師匠から、一生懸命やったということで褒めていただき、「圓楽さんより良かった」との、大変光栄な講評を頂戴しましたので、そういう思い入れもあって、好楽師匠を聴かせていただきました。
正直なところ、「乱志(流三)は、決して負けていないぞ」と。
台詞、演出、仕草・・全ての局面で、強くそう思いました。
よぉし、この噺を、もっともっと練り上げよう。
やはりこの噺は、私にとってはライフワークになる噺です。
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