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2011年8月31日 (水)

林家正蔵代々

event芝居噺は、三遊亭だけの専売特許ではありません。
やはり、「林家正蔵」を忘れてはいけないと思います。
正蔵は、1811年(文化8年)初代から四代目までは「林屋」正藏、
1888年(明治21年)五代目から「林家」正蔵となったようです。
勿論、林家一門の「留め名(止め名)」です。

■初代 林屋正蔵
1781年和泉町新道の生まれ。俗称を「下総屋正蔵」。
札差峰村に奉公した後に1806年に初代三笑亭可楽の門下で楽我を名乗る。
林家の始祖。
怪談噺の元祖と言われ、「怪談の正蔵」の異名を取った。
鶴屋南北と交遊し、「東海道四谷怪談」に影響を受けた。
三笑亭可龍、三笑亭笑三、林屋正三を名乗り、1811年頃に正蔵から二代目鹿野武左衛門、林正、再度正蔵、
1835年に林泉、再三正蔵になり晩年正蔵坊となった。
著作も、『升おとし』『太鼓の林』など多数ある。
また西両国に林屋という寄席を経営。
林屋の屋号の由来は、「噺家」と音を合わせたことに由来。
俳名、林屋林泉。
天保13年6月5日(諸説あり
2月6日とも)没。享年62。
■二代目 林屋正蔵  元僧侶。通称「沢善正蔵」。

「蒟蒻問答」や「野ざらし」の作者だといわれる。
母が初代正蔵の後妻となった。
初名を林正、1839
年に二代目正蔵を襲名。
弟弟子・林家林蔵門下の林家正三が上方に移り、上方・林家を興す(但し、六代目林家正楽で途絶える)。
俗称を「朝蔵」。
■三代目 林屋正蔵  二代目柳亭左楽の前名。
初代正蔵門下から司馬龍生門下に移る。
■四代目 林屋正蔵 本名も林家正蔵に改名。
元は役者で市川東次(藤次とも)、のちに二代目正蔵の門下で初名不明、上蔵、正楽を経て、1865年頃に四代目正蔵襲名。
一時三木屋正蔵。1878年に正翁と改名。
怪談の名手。
麻布我善坊に居住、通称「我善坊の正蔵」「三木屋の正蔵」。
1879年7月2日没。享年不詳。
■五代目 林家正蔵
文政7年11月11日愛知三河の生まれ。本名吉本庄三郎。
1841年に4代目正蔵門下で正吉、正橋、正鶴、正鱗、1888年に五代目正蔵を襲名。
1912年2月に正童となった。
晩年は沼津に居住し「沼津の師匠」と呼ばれる。
1923年3月6日没。
最長寿の享年100。通称は「百歳正蔵」。

当代から「林家」となるが、江戸・林家の系統は五代目で途絶。
■六代目 林家正蔵
1888年11月5日生まれ。本名今西久吉。
1909年3月に二代目談洲楼燕枝門下で桂枝で、1911年5月に四代目五明楼春輔、1915年2月に柳亭小燕路を経て、1918年4月に名跡を当時沼津に居住していた五代目より譲り受け、六代目正蔵を襲名。
以降、江戸・林家は柳派の傍流となる。
1929年4月25日没。享年42。
七代目と同じ柳派であるが、関連はない。
当たりネタ「居残り佐平次」より通称「居残りの正蔵」「今西の正蔵」。
■七代目 林家正蔵Photo_3
1894年3月31日生まれ。本名海老名竹三郎。
元々は素人の
天狗連
1919年1月に初代柳家三語楼に入門してプロとなり、柳家三平を名乗る。
1924年3月に七代目柳家小三治襲名。
師匠三語楼が東京落語協会(現落語協会)を脱会したため、協会側の四代目柳家小さん一門から「(小三治の)名前を返せ」と詰め寄られ、そうこうしている間に遂に八代目小三治が出現。
結局五代目柳亭左楽を仲立ちとして六代目遺族から名跡を譲り受け、1930年2月に七代目正蔵襲名して事態を収拾。
日本芸術協会(現落語芸術協会)初代理事長を務める。
のち東宝に移籍。東宝名人会の専属になる。
落とし噺を得意とし、時事感覚に長けたギャグの達人であり、実子・林家三平 (初代)の決めゼリフ「どうもすみません」や、額にゲンコツをかざす仕草も元来は七代目が高座で客いじりに使用したもの。
怪談噺・芝居噺を得意とする歴代正蔵の中にあって、爆笑落語を通した異端児であった。
■八代目 林家正蔵(彦六)Photo_4
1895年5月16日下荏原郡品川町出身。
本名は岡本義。俗に「彦六の正蔵」。
噺家からは居住地の「稲荷町(の師匠)」と呼ばれた。
芝居噺や怪談噺を得意とし、正蔵の名を更に高めた。
1912年 二代目三遊亭三福(後の三代目圓遊)に入門し「福よし」。
1914年5月 師匠三福が「扇遊亭金三」に改名「扇遊亭金八」に。
1915年頃から大師匠「四代目三遊亭圓生」の弟弟子「二代目三遊亭圓楽(後の三遊一朝)に稽古を付けてもらう。
1917年1月 師匠金三と共に「四代目橘家圓蔵」の内輪弟子。
1918年2月 二つ目昇進し「橘家二三蔵」に改名。
1919年4月 圓楽が「三遊(亭)一朝」に改名し、圓楽の名を譲られ、二つ目のまま「三代目三遊亭圓楽」襲名。
1920年6月 真打昇進。結婚。
1922年2月 師匠圓蔵死去、「三代目柳家小さん」の預かり弟子。
3ヶ月程上方の「二代目桂三木助」の元で修行、「啞の釣り」「煙草の火」などを教わる。
1925年9月 兄弟子「初代柳家小はん」、「柳家小山三(後の五代目古今亭今輔)」らと共に「落語革新派」を旗揚げする。
1926年1月 落語革新派解散。
1927年 東京落語協会(現落語協会)復帰、兄弟子「四代目蝶花楼馬楽(後の四代目柳家小さん)」の内輪弟子。
1928年4月 前師匠小さん引退に伴い、師匠馬楽が四代目柳家小さん襲名し、馬楽の名を譲られ「五代目蝶花楼馬楽」襲名。
1950年4月22日 一代限りの条件で、海老名家から正蔵の名跡を借り「八代目林家正蔵」襲名。
1963年12月 第18回 文部省芸術祭(大衆芸能部門)奨励賞。
1965年 落語協会副会長就任。
          12月 第20回文部省芸術祭(大衆芸能部門)奨励賞。
1968年11月3日 紫綬褒章。
1968年12月 第23回文化庁芸術祭(大衆芸能部門)芸術祭賞。
1972年4月 九代目桂文治、六代目三遊亭圓生と落語協会顧問。
1974年4月29日
勲四等瑞宝章。
1980年9月20日 林家三平死去。
     9月28日「正蔵」の名跡を海老名家に返上。

1981年1月 「林家彦六」に改名。
     4月 昭和55年度第1回花王名人大賞功労賞。
          11月7日日本橋で演じた{「一眼国」が最後の高座となる。
1982年1月29日 肺炎のため死去。
享年86。
■九代目 林家正蔵
Photo_5 そして、当代の正蔵さんです。
文句を言う訳ではありませんが、そもそも、林家の系譜は五代目で途絶えている訳で、何となく当代の海老名家のもののようなのは、違和感がありますね。
七代目の襲名の顛末のことについて書いたものを読めば、もともと柳派だったことで、小三治を名乗っていたものの、二人の小三治がいることになり、ちょうど空いていた正蔵の名跡を襲名することで解決したものだそうですから。
八代目も、蝶花楼馬楽から柳家小さんを狙っていたところを、小三治だった五代目が襲名した関係で、しちだいめが亡くなって間もない海老名家かせ一代限りで借り受けたということです。
律儀な八代目は、九代目を継ぐべきだった七代目の長男の林家三平師匠が亡くなったのを機に、正蔵を返上し、彦六を名乗ったと聞いています。

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