« 浜野矩随代々 | トップページ | 処暑 »

2011年8月23日 (火)

夏目漱石と三代目柳家小さん

cat落語と文学界との逸話をもうひとつ。
これまた有名なのが、夏目漱石の「三代目柳家小さん」絶賛の一文です。
文豪夏目漱石の「三四郎」に、以下のような一節があります。Photo_13
小さんは天才である。
あんな
芸術家は滅多に出るものぢやない。
何時でも聞けると思ふから安つぽい感じがして、甚だ気の毒だ。
実は彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである。
今から少し前に生れても小さんは聞けない。
少し後れても同様だ。
――圓遊も旨い。
然し小さんとは趣が違つてゐる。
圓遊の扮した太鼓持は、太鼓持になつた圓遊だから面白いので、小さんの遣る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。
圓遊の演ずる人物から圓遊を隠せば、人物が丸で消滅して仕舞ふ、小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したつて、人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。
そこがえらい。

・・・初代三遊亭圓遊との比較が興味深いです。
三代目柳家小さんという人を調べてみると・・・。

Photo_12明治大正期の落語家(1857-1930)。
一橋家の家臣の子。本名豊島銀之助。
はじめ家寿太夫の名で常磐津語りであったが、明治15・6(1882,83)年ごろ初代柳亭燕枝に入門して燕花を名乗る。
一時4代目都々逸坊扇歌について都家歌太郎、21年2代目小さん門で柳家小三治,28年師名を譲られ3代目小さんとなる。
訥々としたなかに巧まざる可笑しみを生む芸風で、昭和初期まで柳派の中心的存在であった。
もともと上方噺だった「らくだ」「うどんや」「時そば」などを東京へ移した功績も大きい。

夏目漱石とて人の子ですから、落語に親しんだりもしたのでしょう。
でも、この漱石に限らず、噺家さんというのは、時の大物たちに気に入られることが多いようです。
いつの世にも曾呂利新左衛門」は必要なんですね。
初代圓遊との比較も興味深いですね。Photo_2
圓遊は、落語の登場人物の中に圓遊が見える。
小さんは、小さんが登場人物になっている。
「登場人物の了見になる」という言葉に繋がるのかもしれません。
ところで、この名人を巡っては、桂文楽師匠の「迷言?」が有名です。
文楽師匠が、あの「落語研究会」での最後の高座の時の・・・。
これは別項で述べることにします。
名人にも晩年があり、小さんの晩年も痛々しかったようです。

昭和五年十月、放送室に観客を入れた放送がはじめて行われた。
協議の結果すでに
寄席を引退していた三代目小さんに頼もうということになった。
老齢のことでもあり、万一の場合に備えて、
講談の五代目一龍斉貞山に付き添ってもらった。
演題は「うどん屋」。
噺が始まると「うどんやァ、うどん」の第一声は実に堂々としたもので、一同も安心したのだが、一、二分もすると少し変になってくる。
いつのまにか話は「馬の田楽」に変っている。
するとまた突然、気づいたのか「うどんやァ、うどん」とはじめる。
しかしまた脇道に入ってしまい、三度目の「うどんやァ、うどん」となったときに、貞山は放送を止めさせ、その日の代演を勤めた。
小さんは、その末期に重度の認知症になり、高座で演じている最中に別の噺と混ぜこぜになる、噺の同じところをぐるぐると回り進行しないなど、全盛期とはあまりにかけ離れた悲惨な状態を見せていた。
芸というのは、これだから悲しいし、素晴らしいのでしょう。
三代目柳家小さんもまた、名人の名をほしいままにした噺家さんだったようです。
それでは次は、この三代目小さんと八代目桂文楽最後の高座との関係?についてですね。

« 浜野矩随代々 | トップページ | 処暑 »

噺家さん・芸人さん」カテゴリの記事