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2011年8月 3日 (水)

左甚五郎もの

shadow私の持ちネタ「ねずみ」も、「左甚五郎」が出て来て、痛快なストーリー展開になるのですが、落語には「甚五郎もの」が多くあります。
ねずみ十態
この左甚五郎、実在したか否かもはっきりしないようで、作り話や別人の逸話も甚五郎の手柄になっているものがほとんどのようです。
飛騨高山出身、京都に出て大工として技量を究め、江戸へ下る。
江戸落語には、この東下りの途上から登場して来ます。
京都から江戸に下る途中の駿河で金が無くなり無銭宿泊をしていたが、宿代を催促された替わりに竹の水仙を彫った。
主人が昼夜水を換えていると花が咲いた。
「町人には50両、大名には100両、びた一文負けてはいけない」との言いつけを守り、長州の殿様に買い上げられた。(竹の水仙)
同じく東海道は掛川宿。
東海道掛川の宿、道を挟んで左右に二軒の餅屋。
ともに猫餅を名物としている。
宿に入ってきた旅人が左の月之屋のほうが面白そうだと、店にやってきて、そこのばあさんから猫餅の由来を聞き出した。(いただき猫)
江戸に出て、日本橋のたもとにあった餅屋で餅を盗もうとした男の子を救い、文無しなので叩き蟹を彫り、その蟹が動くので、それを見たさに千客万来。(叩き蟹)
今川橋の大工現場で殴られ、その縁で大工政五郎棟梁宅に草鞋を脱ぎ、三井家に大黒様を彫って納める。(三井の大黒)
やや、艶笑噺に属するような噺もあります。(四つ目屋)
上野寛永寺の鐘楼に龍を彫り、この龍が夜な夜な前の不忍池に魚を漁りに出掛けた。という有名な話もあります。
残念ながら明治の初め上野戦争で焼失してしまいました。
Photoその後江戸を離れ、日光で眠り猫を彫ります。
これらは落語にはなっていないようですが。
そして、奥州松島見物で泊まった仙台の宿では、ねずみを彫りました。(ねずみ)
・・・という訳で、落語の世界では有名人です。
医者黒川道祐が著した『遠碧軒記』には、「左の甚五郎は、狩野永徳の弟子で、北野神社や豊国神社の彫物を制作し、左利きであった」と記されているので、彼が活躍した年代は、1600年をはさんだ前後20~30年間と言うことになります。
一方、江戸時代後期の戯作者山東京伝の『近世奇跡考』には、「左甚五郎、伏見の人、寛永十一甲戌年四月廿八日卒 四一才」とあり、寛永11年(1634)に41才で亡くなったとすれば、『遠碧軒記』より少し後の年代の人となります。
いずれにしても、実在したとすれば、江戸時代初めの頃に活躍した人ということですね。

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