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2011年8月 9日 (火)

ゆれるとき

  
圓窓師匠創作の「ゆれるとき」は、真打昇進間もない16歳の三遊亭圓朝が、既に引退して神奈川宿に住まいをしている「初代三遊亭圓生」門下の「三遊亭西生」を訪ねるシーンから始まります。     
この「三遊亭西生」という人は、実在する噺家さんではないようですが、圓窓師匠は、この人に圓朝と語らせているのです。
まず、「初代三遊亭圓生」を調べてみると・・・、
江戸の生まれ、元は芝居の木戸芸者。
1797年4月に「山遊亭猿松」、「烏亭焉馬(立川焉馬)」の門下で立川焉笑を経て、「三遊亭圓生」と名乗った。
芝居の台詞回しや声色を得意とした。
門下には初代三升亭小勝、2代目圓生、初代古今亭志ん生、花枝房圓馬、初代山松亭圓喬、圓桂(のちの初代坂東政吉)、三遊亭圓遊(のちの初代金原亭馬生)、三遊亭圓盛(のちの初代司馬龍生)、初代三遊亭南生、傳生(のちの初代司馬龍斎)、2代目竹林亭虎生らがいた。
・・・とあります
それで、この初代圓生の弟子の「三遊亭西生」という人は、圓朝の師匠である二代目圓生とは兄弟弟子ということになり、圓朝の父親の橘家圓太郎とも親しく、圓朝が「小圓太」で初高座に上がった時に、この6歳の圓朝の様子を見て知っているというのです。
噺の中で、西生が圓朝に「寿限無」の稽古をつける場面があります。
これは西生の身体を借りて、圓窓師匠ご自身が語っているのです。
まさにいつも稽古の時に師匠が仰っていることそのままなんです。
・・・そして、その稽古の最中に江戸に大地震が起こる。
世に言う「安政の大地震」です。
大地が突然大きく揺れても、西生は微動だにしない。
「どこへ行くんだい。外に出たって、外も揺れてるよ。」
このくだりも、3月の東日本大震災の直後に語ってくださった、噺家さんとしての心構えや芸談そのものでした。
その後、芝居噺で一世を風靡する圓朝は、素噺の人情噺で名人の名をほしいままにし、明治32年の「牡丹燈籠」が最後の高座となる。
ここで再び、圓窓師匠は「牡丹燈籠」の一部を語ります。
「カラン、コロン、カラン、コロン・・・」と、愛しい「新三郎」を訪ねる「お露」の下駄の音・・・。
そしてこの高座の最中に再び地震が起こる。
しかし、この時圓朝はぴくりともしない。
何事もなかったように、噺を進めて行く。
そして、客席に一人、これまた地震になど動揺もせず、「牡丹燈籠」に聴き入る女がいる。
寄席がはねた後に楽屋へ訪ねて来たこの女こそ、あの神奈川宿の三遊亭西生の娘だという。
父西生の位牌を胸に抱いて、圓朝の噺を聴いていたと・・。
ここからオチへと繋がって行く訳です。
                      
全生庵坐禅堂の最前列で聴いていて、私が圓窓師匠から教えていただいているのは、まさに「三遊亭」の噺の真髄なんだと思い、身体中に鳥肌が立つようでした。
圓窓師匠演ずる若き圓朝と老いた元噺家西生こそ・・。
文字通り、大師匠(三遊亭圓朝)に"奉納"が叶った名演だったと思います。
この噺、いつか師匠に教えていただこう。

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