二代目三遊亭圓朝?
「三遊亭圓朝」が、一代限りの「永久欠番(止め名)」だと思っている方は多いと思います。
ところが、圓朝には二代目がいたのです。
・・・という話なのですが、面白いと思いませんか?
(ご通家の方はご存知だと思いますが。)
圓朝門下からは、多くの名人上手が輩出しています。
噺の実力から言えば、「四代目橘家圓喬」が最右翼だったことは、最近述べたばかりですが、この名人圓喬も、二代目圓朝を襲名してはいません。
それでは、二代目は誰だったのか・・・・。「初代三遊亭圓右」という噺家さんがいました。
実は、この人が「二代目三遊亭圓朝」になることになっていたのです。
この人も「名人圓右」の呼び声が高く、明治期から大正期に大活躍した噺家さんだそうです。
えっ?この人が「二代目三遊亭圓朝」になることになっていた?
"なることになっていた"というのは、何か複雑な言い回しですが、実は、初代圓右という人は、二代目圓朝を襲名することが決定はしたものの、一度も披露目をせず(二代目圓朝として一度も高座に上がらず)に、病のために亡くなってしまったのだそうです。
そのために、人呼んで「幻の二代目」と称されているのです。
ということで、二代目圓朝はいた。圓朝は二人いたのです。
勿論、その後、圓朝の名跡が「止め名」のようになっているのは、よくご存知のところでしょう。
三遊亭圓朝一門のこと、そして「幻の二代目」・初代三遊亭圓右のことは、また別項で述べることにいたします。
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