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2011年8月25日 (木)

大仏餅

八代目桂文楽師匠最後の高座が、この「大仏餅」。
Photo_3これも、「三遊亭圓朝」作で、三題噺をもとに作ったものだそうです。
出題は「大仏餅」「袴着の祝い」「新米の盲乞食」の3題です。
「圓朝全集」にも収録されていますが、昭和に入っては「八代目桂文楽」師匠の独壇場でした。
積もりそうな雪が降ってきた。父親が怪我をしたので血止めを分けて欲しいという子供が店の中に入ってきた。
聞けば、新米の盲目乞食が仲間内から縄張りを荒らしたと突かれて怪我をしたと言う。
山下の大店のご主人は、奥から取って置きの薬を塗ってあげた。
子供の歳を聞くと六つだという。
「当家の息子も袴着の祝いで八百善から料理を取り寄せ、お客さんに食べて帰ってもらったところだが、息子は旨い不味いと贅沢すぎる。その反対にこの子は雪の中、裸足で親の面倒を見ている感心な子だ」と、料理を分けてあげたいという。
出した面桶は朝鮮さわりの水こぼし、あまりにも茶人が使う高級品。
それを分かって、部屋に上げて八百善のお膳を二つ用意した。Photo_4
聞くと、過日は八百善の料理を味わっていた事もあるし、お茶の心得もあったが、貧乏して茶道具の全ては売り尽くし、この水差しだけは手放せなかった。
千家の宗寿(そうじ)門弟で芝片門前に住んでいた神谷幸右衛門だという。
あの神谷さんですかと驚いた。
出入りの業者が言うには庭がどうの茶室がどうのと言っていたが、一度招かれたが所用があって行けず残念であったと述懐した。
その河内屋金兵衛ですと自己紹介した。
お互い相知った仲であった。

鉄瓶点てで、お薄を差し上げたいと言い出した。Photo_5
お菓子が無いので、そこにあった大仏餅を菓子代わりに差し出し、子供と食べ始めたが餅を喉に詰まらせ息が出来なくなってしまった。
あわてて、背中を強く叩いたら息が出来るようになった。と、同時に眼が見えるようになった。
そこまでは良かったが、鼻がおかしくなって声が巧く出ないようになってしまった。
「鼻?、今食べたのが大仏餅、眼から鼻ィ抜けた。」

「大仏餅」というのは、近世、京坂地方で流行した餅で、上に大仏の像を焼印で押したものだそうで、京都の誓願寺前や方広寺前などに有名な店があったそうです。
のちに江戸でも流行。
江戸では浅草並木町(現・台東区雷門2丁目)の両国屋清左衛門が始めたといわれています。
大仏の像を焼き印で押した餅菓子で、浅草の観音詣でをした人に土産として売れたそうです。
・・・今はありません。
文楽師匠の専売特許だったということですから、この噺は聴いたことがありません。
文楽師匠も、高齢になって、いつでもやれる噺として、晩年はかなり多く演っていたそうで、その"安全パイ"で言葉が出なくなったのですから、物凄いショックだったのでしょう。

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