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2011年8月28日 (日)

「三遊亭圓朝」の名跡

apple初代「三遊亭圓朝」は、三遊派の中興の祖といわれ、そのために「三遊派の宗家」といわれ、1900年(圓朝の没後)以降、この名跡は「藤浦家」が預かっているそうです。Photo_5
この名跡が藤浦家のものになったのは、先々代の当主である「藤浦周吉(三周)」が圓朝の名跡を借金の担保にして、圓朝を経済的に支援した縁によるものだそうです。
この「藤浦三周」から二代目襲名を許された「三遊亭圓右」は、襲名実現直前に死去したため“幻の二代目”といわれたことには触れましたが、その後、藤浦家は圓朝の名跡をどの落語家にも名乗らせてはいません。
いわゆる「止め名」状態になっている訳です。Photo_4
現在の藤浦家の当主は、映画監督の「藤浦敦」という方だそうです。
藤浦さんは、1996年に出した自著「三遊亭円朝の遺言」で「春風亭小朝」さんと対談し、「あなたがこれからの落語界のリーダーになりなさいよ」と、小朝さん本人に勧めてはいました。
この本は私も読んだ記憶があります。
小朝さんの元奥さんのYさんは、週刊文春2008年05月22日号で、藤浦さんから小朝に圓朝襲名の話が実際にあったが、小朝さん本人がそれを固辞したと公表しているそうです。
真偽のほどはともかく、噺家さんの名跡というのは、「宗家」あり、遺族ありで、「三遊亭圓朝」だけでなく、「春風亭柳枝」も「三遊亭圓生」も、何か釈然としない状況にあるようで、とても残念に思います。
ところで、「三遊亭圓朝の遺言」という本は、確か随分と分厚い本でした。
この本では、三遊亭圓朝の名跡を持つ(噺家さんが「三遊亭円朝」を名乗るのを認める権利を持つという)著者が、圓朝や他の噺家のエピソードを語っていたと思います。
著者の祖父と井上馨の殴り合いを円朝と伊藤博文が止めた話や、死の床にいる円朝の言葉に井上馨が涙した話など・・。
また、「昭和の名人」と呼ばれた「六代目三遊亭圓生」が襲名したくて果たせなかった話などのエピソードが書かれていたような。
ただ、この「宗家」というのが、私にはよく理解できませんでした。
噺家さんの名跡というのは、誰のものなのでしょう・・?

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