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2011年8月20日 (土)

四代目橘家圓喬

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shine名人の三遊亭圓朝の門下には、きら星のごとくの名人が輩出するのですが、その最右翼が「橘家圓喬」だと言われています。
当代屈指の実力派である「柳家さん喬」師匠は、「五代目柳家小さん」門下でありますが、「喬」は、この「圓喬」から一字を取っているんだそうです。
ここでは「四代目橘家圓喬」のことを指します。
1865年11月9日生まれ。本名は柴田清五郎。
1872年 7歳で三遊亭圓朝門下に入門し三遊亭朝太。
1878年 
二つ目昇進し、2代目三遊亭圓好に改名。
1882年 東京を離れ上方で修行。
1885年 4代目三遊亭圓喬となり
1887年 改めて4代目橘家圓喬を襲名。
1903年 「第一次落語研究会」発足に参加。
1912年11月16日新宿末廣亭での最後の高座。
    その6日後、宿痾の肺病のため死去。
日本橋住吉町の玄冶店に住んでいたので「住吉町の師匠」や「住吉町さん」や「
玄冶店の師匠」などで呼ばれた。
圓朝門下の逸材で師の名跡を継ぐ話もあったが、狷介な性格が災いして立ち消えになった。
実力から言えば、「二代目三遊亭圓朝」を継いでもおかしくなかったとも言われます。
尤も、この「橘家圓喬」という名跡も、その後「止め名」になっているほどですから、本当に上手い噺家さんだったのでしょう。
刀鍛冶の世界に例えて、圓朝は「正宗」、圓喬は「村正」といわれたそうです。
斬るということだけでは、正宗を凌駕していたと言われる妖刀です。
この名人には、「鰍沢の圓喬伝説」があるそうです。
これについては別項で述べることにしましょう。

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