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2011年8月10日 (水)

鉄舟と次郎長

karaoke「奉納落語会」での宝井琴調先生の「鉄舟と次郎長」。
清水次郎長。本名山本長五郎。
その後、明治8年には鉄舟の勧めで富士の裾野を開墾するなど社会活動に励み、明治26年6月12日、74歳で大往生した。

講釈のストーリーは以下のようなものでした。
明治元年九月十八日、徳川幕府の軍艦であった「咸臨丸」が新政府の官軍によって清水港内で攻撃を受け沈没した。
次郎長は傷つく徳川方の軍人を官軍の目の届かぬよう密かに逃がし、また湾内に浮遊する屍を拾い集め、手厚く供養し葬った。
これらの行為が駿府藩の耳に止まり、出頭、詰問を受けたが、そこで次郎長は「死ねば仏だ。仏に官軍も徳川もない。仏を埋葬することが悪いと言うのなら、次郎長はどんな罰でも喜んでお受けします。」と答えた。
このいきさつをあとで聞いた山岡鉄舟は、いたく感心し、鉄舟が明治二十一年に亡くなるまで親交が続いた。
また次郎長も自分より十七歳も年下の鉄舟に心酔し、「自分の親分は山岡鉄舟」と公言するほどだった。

山岡鉄舟が清水次郎長と会った時に以下のようなエピソードもあるそうです。
「おまえの子分で、おまえのために命を捨てる人は何人いる?」
その時に次郎長はこのように答えた。
「いやぁ、あっしのために命を捨てるような子分は一人もおりません」
その後の次郎長の言葉が良かった。
「わっしのために命を捨てるものは一人もおりませんが、わっしは、子分の為にいつでも命を捨てる覚悟をしております。」

notes清水港の名物は お茶の香りと 男伊達ェ~note
私は実家の隣町が静岡県清水市(現在は静岡市清水区)ですから、小学校3年生の時の遠足は清水港や三保の松原だったし、家族で袖師海岸へ海水浴に行ったりしたものです。
昔は「次郎長」、今は「ちびまる子ちゃん」と「春風亭昇太」か・・。

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