幕末三舟
恥ずかしながら、「山岡鉄舟」という人のことは、あまりよく知りません。
「幕末の三舟」と言われた一人だと聞いたことはありましたが。
「奉納落語会」の琴調先生の講釈の中でも出て来ました。
幕末から明治時代初期にかけて活躍した幕臣である勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の3名の総称。
幕末、徳川慶喜から戦後処理を一任された勝は、官軍の西郷隆盛との交渉役に高橋を推薦するが、高橋は遊撃隊(慶喜の身辺警護にあたる)の隊長を務めており、江戸を離れることができなかった。
代わりに推薦されたのが、高橋の義弟にあたる山岡であった。
慶応4年3月9日(1868年4月1日)、山岡は西郷との会談で、江戸城開城の基本条件について合意を取り付けることに成功した。
その後、勝が単身で西郷と交渉、同年4月11日(5月3日)、江戸城は無血開城されることとなる。
江戸を戦火から救った勝、山岡、高橋の名前にいずれも「舟」がつくことから、この3人を「幕末の三舟」と称するのである。
この人と三遊亭圓朝との関わりあいについて、ちょっと知っておく必要がありますね。
私の知識では、圓朝が鉄舟を師と仰いでいたということを聞いたことあります。
どこに二人の接点があるのか・・・。