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2011年7月24日 (日)

落語はやおき亭

music今朝は、文化放送主催の「人形町らくだ亭」からで、現役の柳家小満ん師匠です。
   ◇ 金魚の芸者    柳家小満んPhoto_2
明治時代の三遊亭圓遊の作った噺を、小満ん師匠が掘り起こしたという、大変珍しい噺です。
圓遊といえば、鼻の圓遊・すててこの圓遊と言われ、明治の大人気の四天王。
今に残る落語の創作や、古い噺を改作したという名人だったはず。
この噺、あまり面白いとは思えませんが・・・。
三遊亭 圓遊は明治時代に活躍。
明治元年(1868年)頃、2代目五明楼玉輔の下に入門し、(雀家?)志う雀を名乗る。
明治3年(1870年)、師匠が廃業したため(後に復帰)、明治5年(1872年)頃に初代三遊亭圓朝門下に移り、圓遊に改名。
明治13年(1880年)4月、真打に昇進した。
大きい鼻で知られており、「鼻の圓遊」ともよく呼ばれていた。
寄席において、落語の後の余興として奇妙な踊りを披露して大人気を博した。
大きな鼻をもいで捨てるような振付けから「ステテコ踊り」の異名を得、このために「ステテコの圓遊」の名で呼ばれるようになった。
また古典落語を明治風に改作して演じ、好評を博した。
明治時代の落語界において中心人物であった。
全盛期には1日36軒の寄席を掛け持ちしたと言う伝説がある。
辞世の句は「散りぎわも 賑やかであれ 江戸の花(鼻)」。

本来は三代目なのですが、あまりにも有名になったので、一般的には初代と言われているそうです。
「野ざらし」という噺も、二代目林家正蔵作だと言われていますが、暗い因縁噺だったのを、今のような明るい滑稽噺にしたのは、この圓遊なんです。
確か、「船徳」も、もともとは「お初徳兵衛浮名桟橋」という、近松の「曽根崎心中」の登場人物の名を借りた長編の人情噺だったのを、発端部をアレンジして滑稽噺にしたはずです。

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