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2011年7月

2011年7月31日 (日)

文月の落語徘徊

今月のハイライトは、何と言っても「宮城県南三陸町」への落語慰問「復興出前寄席」です。
平和な海
もうずっと、この綺麗で平和な海でいて欲しいと思います。1
寄席・落語会通いもほどほどでした。
  ◇  1日    紀伊國屋寄席
  ◇  2日    鈴本演芸場上席
  ◇  9日    復興支援寄席
  ◇  9日    三越納涼寄席
  ◇ 15日    東京落語会
  ◇ 16日    朝日名人会
  ◇ 17日    (復興出前寄席)
  ◇ 27日    読売GINZA落語会
Dsc_01542一方、稽古の方は・・・・、暑さと慰問を言い訳に停滞・・・。
「救いの腕」と「薮入り」を早く何とかしないといけません。
稽古も、月初の落語っ子連の稽古に参加したのみでした。
        ねずみ十態
昨年の「学士会落語会」で演った「ねずみ」を何度か聴き、一人悦に入っています。
ブログのアクセス累計が14万件になりました。
昨年3月に5万件、今年の1月に10万件でしたから、おかげさまで増加傾向にあるようです。

落語っ子連「へ組」稽古会

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今日は、落語っ子連「へ組」の稽古会。
本来は毎月第1日曜日が稽古日なんですが、今回(来週)は師匠のご都合が悪いので、今日が8月分という訳でした。
まど音さん・まど深さんから相次いで連絡があり、「師匠が風邪で体調が良くないので今日はお休み」ということでした。
師匠も、先月からずっと寄席出演が続いたり、落語の授業や、素人落語指導など、暑い中でスケジュールが立て込んでいましたから・・・、疲れがたまって体調を崩してしまったのでしょう。
でも、ちょっと待てよ、師匠は・・・。
明日は「紀伊國屋寄席」のトリ。
来週は「圓朝まつり・奉納落語会」のトリ。
(それで、稽古会が今日になったんでしょうから・・・。)
少し心配です。Ensoila
まど音さんによれば、師匠は、来週の奉納落語会の「ゆれるとき」という創作落語の準備は、まだこれからなのだそうです。
とりあえず、明日の「紀伊國屋寄席」は大丈夫でしょうか?
私も行く予定なんですが。

落語はやおき亭

明け方に地震があって、一旦中途半端な時間に目覚めたので、冒頭部分を聴き損じてしまいました。
 ◇ たがや   三代目三遊亭金馬
「先代金馬のたがや」なんて、この季節、この手の番組のことを考えると、恐らく一番ありうる組み合わせでしょう。
「たがや」はまさに夏の旬な噺。
そして、没後45年にもなるのに、やはり未だにラジオ番組やCDの人気は衰えない先代の金馬師匠。
いつまでも多くの人に愛されているという意味で、「五代目古今亭志ん生」・「三代目三遊亭金馬」師匠は、(昭和の)名人ですね。
私は偶然、昨日はずっと部屋で怠惰に過ごしていましたから、いくつか聴いた落語の中に、先代金馬師匠の「居酒屋」と「佃祭」も入っていました。
ところで、この「たがや」。
殿さまの首が飛びます(原作は、たがやの首が飛ぶそうです)が、人を殺さない落語の中では珍しいストーリーですし、グロテスク・残酷ですから、「林家たい平」さんは、殿さまの首を飛ばさない演出でやっているそうです。
震災の影響で、今年の「隅田川花火大会」は、例年より約1ヶ月遅れの8月27日に開催されるそうです。
ちなみに、地元の「松戸花火大会」も同様、遅れて8月27日の予定だそうです。

独り言・・・

このブログも平成21(2009)年1月に、落語の「聴く・読む・書く・演る」チャレンジしようという軽い気持ちから始めたものですが、気がつけばもう2年7ケ月になります。Rimg0022
アクセスしていただく件数も、別に気にしていた訳ではありませんが、こんなに覗いていただけるとは、思いもよりませんでした。
あくまでも、独り言、プライベートな落語徘徊の足跡ですから、コメントやらツイートもしていません。
・・と言いつつ、5万件以降のピッチを振り返ってみました。
  5万件 平成22(2010)年 3月19日 から59日経ち…  
   6万件              5月17日  から77日経ち…
  7万件               8月 2日 から70日経ち…
  8万件              10月11日 から61日経ち…
  9万件              12月11日 から45日経ち…
 10万件 平成23(2011)年  1月25日 から42日経ち…
 11万件                             3月 8日 から47日経ち…
 12万件             4月24日 から43日経ち…
 13万件             6月 6日 から43日経ち…
 14万件             7月19日 に到達しました… 
ねずみ十態引続き、よろしくお願いいたします。

落語でデート

今朝は先代円歌師匠。
  ◇ 香典返し    二代目三遊亭円歌
明け方の地震で起きてしまい、ほとんど意識不明の状態でした。
新潟県生まれ。新潟県立新潟中学校卒業。
当時の落語家には珍しく旧制中学卒業の高学歴で、横浜で貿易商館員として働くも、女性問題を起こしたことがきっかけで、札幌に移って、京染屋を始める。
花柳界相手の商売を通じて、元噺家の松廼家右喬と出会ったことで、落語に興味を抱き、素人演芸の集団に加わる。
はじめは旅回りの一座に入り勝手に「東京落語の重鎮・三遊亭柳喬」と名乗っていたが、小樽で巡業中の2代目小圓朝に見つかり、それがきっかけとなって、東京の初代三遊亭圓歌門に入り歌寿美と名乗る。
のち三遊亭歌奴。大正10(1920年)真打。
昭和9(1934年)2代目歌(「圓」の字は画数が多く自分の芸風にあわないとして「円」の文字を使っていた)を襲名。
新潟訛りと吃音を非常な努力の末で克服した。
持ちネタも多く、新作では「呼び出し電話」・「社長の電話」・「空き巣の電話」・「ボロタク」・「木炭車」・「馬大家」。
芝居噺では「七段目」「将門」。
古典はあまりやり手のない「紺田屋」・「紋三郎稲荷」・「山岡角兵衛」・「首ったけ」・「姫かたり」などがある。
モダンで明るく、艶っぽい芸風で女性描写は絶品であった。
艶笑小噺もよく演じたが、残された音源を聞くと、放送禁止用語が連発されるのに一つも嫌らしく聞こえない。かなりの力量を持った噺家であった。
亡くなったのが、昭和39(1964)年だそうですから、兄弟弟子でもある「三代目三遊亭金馬」師匠と同じ年のことです。
私はリアルタイムではないこともあり、どういう訳か、時々「春風亭柳好」師匠と混同することがあります。
そう、あの「野ざらし」の柳好師匠とです。

地震・雷…

朝の4時頃・・・、また揺れました。
震源地は福島県沖。福島県内では「震度5強」・・。
目が覚めてしまいました。
地震情報と並行して、茨城県北部あたりに大雨警報が出ているとラジオから流れて来ます。
茨城県の北部では震度4程度だったはずですから、地震とも雨のダブルパンチです。
なかなか落ち着いて休むことが出来ませんね。
あのあたり、落研同期の「多趣味亭こり生」さんがいるのですが・・・、そのうちにご機嫌をお伺いすることにしましょう。
昨日は、新潟県の豪雨も物凄かったようですが、新潟県に在住の「喰亭寝蔵」師匠は、ご無事だったようです。
「天下泰平」・「国家安穏」・「五穀豊穣」・「家内安全」・・・

2011年7月30日 (土)

圓朝まつり・奉納落語会

やはり、プラチナチケットは当たらなかったようですね。
仕方がない、諦めましょう・・・。

「復興出前寄席」の写真

「賀千家ぴん吉」さんから、南三陸町での「復興出前寄席」の写真が届きました。
Dsc_01542まずは、公演の後、出演メンバーとお世話になった皆さんと並んでのもの。
←写真をクリックすると大きくなります。
こういう写真はなかなかありません。
本当に忘れられない、貴重な時間になりました。
右端が「ホテル観洋」の女将さんです。
皆さん、本当にありがとうございました。
・・それからは、乱志の高座の写真です。
1_2これはとにかく恥かしい・・・。
間抜けな泥棒が、空き巣に入った家で羊羹で胸を詰まらせているところですが、目が寄ってしまっていて、とても気味が悪い顔・・・。
これは、クリックしないほうが良いと思います。
やはり、「花色木綿」は難しい・・・。

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この写真は・・・、マクラかな?
浅草の観音様のお賽銭を盗んで、背負って逃げようとしている場面でしょう・・・。
「このぉ、臭(くせぇ)者(曲者)」
「へへへ・・、臭う(仁王)かぁぁぁ」
なかなか受けませんでした・・・。

素人落語

最近は「私も落語を演ってみよう」と、様々な形で落語にチャレンジする方がいらっしゃいます。3
以前にも言ったことがありますが、高座に上がるまでは色々苦しんだりしても、一度経験してしまうと、また演りたくなる人がほとんどです。
こういう「落語中毒患者」が、今日もどこかで生まれているはずです。
仲間が増えるというのは嬉しいものです。
落研の先輩の「愛詩亭朝大」師匠も、今は何十年ぶりかの高座を前に、圓窓師匠の落語教室「扇子っ子連・要亭」で稽古を積んでいらっしゃいます。
先日、「OB落語会にもご出演を」とお願いしたら、「ばか者、頭が高い!」と、一喝されてしまいました。
「要亭」の発表会が終わってからお誘いすれば良かったと、反省しています。
それでも、「創部100周年記念OB落語会」では、私がトリをとると宣言されていますから、今からとても楽しみです。
100周年は平成71年に開催する予定です。

うちわ

節電のこの夏は、扇子やうちわが欠かせません。
Photoある雑誌で、うちわについての記事広告を読みました。
香川県丸亀市というのは、うちわの国内生産シェアが約90%になるんだそうです。
年間約1億本を生産しているとのこと。
江戸時代に金刀比羅宮(こんぴらさん)詣での土産物として作られるようになったそうです。
材料を近隣から集めて生産したために、面白い歌があるそうです。
 伊予竹に 土佐紙はりて あわ(阿波)ぐれば
          讃岐うちわで 至極(四国)涼しい
プラスチック製の骨よりも、やはり竹製のものがいいですね。
あおいで来る風が違います。

「駅なか」の賑わい

「駅なか」の賑わい
気がつくと、震災から4ヶ月半。
暗かった駅の照明もかなり明るくなり、人も多く集まり、震災前の賑やかさが戻って来た感じがします。
中国の新幹線の事故での対応を見るにつけ、日本人で良かったと思います。
まず優先されるべきは、国の威信ではなく、人の命であり尊厳です。

落語の仕草

芸能でもスポーツでも、ある一定の決め事(ルール)があって成り立っているものです。
従って、それを逸脱した場合は、色々な議論が出て来るものです。
落語は、特に江戸落語は、もともとお座敷芸ですから、演者は座布団に座ったままで語るのが原則(常識)です。
ねずみ十態
最近は、落語を古典芸能として捉えるのではなく、数多あるエンターテインメントの1コンテンツという捉え方もありますから、時々「えっ?」「・・・?」というようなものもあります。
上方落語は、大道芸ですから、このあたりはいくらか柔らかいかもしれません。
という訳で・・・・、
 ・座布団から外れて(下りて)もいいのか。
 ・座布団の上に寝てもいいのか。
 ・正座を崩して足を伸ばして(投げ出して)いいのか。
 ・客席を背にして座っていいのか。    ・・・・等々
考えさせられる場面があります。
「面白ければいいじゃないの」とか、「お客さんが喜んで(受けて)いるんだから」とか言う向きもいらっしゃると思いますが、私はここはこだわりたいと思うのです。
笑いを取るだけなら、例えば高座に出て行くときに転べば、きっと客席は受けますよ。
でも、これでは芸とはいえないでしよう。
            ねずみ十態
先日の「読売GINZA落語会」で、桂春蝶々さんが、「任侠伝」で座布団に横たわる場面がありました。
春風亭小朝さんは、「愛宕山」で、真後ろを向いて、谷に落ちた小判を探して拾う仕草をしました。
それぞれ客席には大受けでした。
前者は、上方落語だし、新作落語だから、あまり言いません。
問題は後者です。Photo
演出としては面白いということなのでしょうが、様々な方向を探し回るシーンも、客席に正対した状態で表現してこそだと思うのは私だけでしょうか?
落語とリアリズムという議論にもなってしまうのかもしれませんが、お客さまに背を向けるという「無礼」をおしてまでやるのかと・・・・。
圓窓師匠は、ご指導くださる際に、必ず「品(性)」のことを仰います。
言葉遣いや、着物の裾の乱れ、座る向きなど、細やかな気遣いをするようにと。
「粋」を真骨頂とする江戸落語では、座布団に真っ直ぐ座って勝負してこそが芸だと思うのは、あまりに守旧的でありましょうか・・・?

2011年7月29日 (金)

日本沈没

もう40年近くも昔の話になります。
「日本沈没」というSF小説が大ヒットしました。
この作者の「小松左京」さんがお亡くなりになったそうです。
享年80歳。Photo_5
地球物理学者である田所雄介博士は、地震の観測データから日本列島に異変が起きているのを直感し、調査に乗り出す。
潜水艇操艇者の小野寺俊夫、助手の幸長信彦助教授と共に小笠原諸島沖の日本海溝に潜った田所は、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。異変を確信した田所はデータを集め続け、一つの結論に達する。
それは「日本列島は最悪の場合2年以内に、地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈降する」というものだった。
最初は半信半疑だった政府も、紆余曲折の末、日本国民と資産を海外へ脱出させる「D計画」を立案・発動する。
しかし、事態の推移は当初の田所の予想すら超えた速度で進行していた。
各地で巨大地震が相次ぎ、ほとんど動きがなかった休火山までが活動を始める。
精鋭スタッフたちが死に物狂いでD計画を遂行し、国民を続々と海外避難させる。
一方、あえて国内に留まり日本列島と運命を共にする道を選択する者たちもいた。
四国を皮切りに次々と列島は海中に没し、最後に北関東が水没して日本列島は完全に消滅する。
フィクションとはいえ、当時は高度成長が曲がり角を迎え、何となく不安な世の中で、「ノストラダムスの大予言」なんていう騒ぎもあった頃でしょうか・・・。
落語には、あまりSFとは縁がありませんが・・・。

(昭和)任侠伝

新作落語の演目の一つ。
昭和の落語家・桂音也の創作落語。Photo_4
2代目桂春蝶の得意ネタで、彼の死後は子息の3代目桂春蝶や、弟子の桂昇蝶等によって演じられている。
・・・ということは、この「任侠伝」という噺は、先代桂春蝶一門の十八番ということですな。
上方落語のことは分かりませんのですが・・。
先代の春蝶師匠は、テレビにもよく出ていて、かなり人気がありました。
確か、物凄く痩せた噺家さんで、50歳そこそこで亡くなったんですよ。
上方落語界でも、林家小染さん、そしてこの桂春蝶さん、最近では桂吉朝さんなど、実力者が夭折していますよ。
そうそう、桂枝雀さんだってそうですよ。

任侠道に憧れる男、今日も高倉健の任侠映画を見て「健さんかっこええなあ・・」と着流しと雪駄姿で法悦境に浸りながら帰ってくる。
「おっ母さん。只今帰りやした。さくらはもう寝たかい。」とここでは渥美清風に。母親はすっかりブチ切れ「さくらやない。花子じゃ!東映も松竹もごっちゃになってるやないか!もう、こっちは八百屋の店で忙しいのに。毎日、おんなじ映画ばかり見くさって!アホなこと言うてんと、さっさと風呂行ってこい!」と一喝される。
男は、女性に声をかけられると、藤純子と健さんのやりとりよろしく、「おっと!姐さんよっちゃいけねえ。」と大見得をきるが、「手ぬぐい落ってますけど。」と教えられ、大恥をかき風呂屋に入る。
風呂屋では客の刺青に憧れ、「わいもやったろ。健さんみたいな唐獅子牡丹・・・ええなあ。」と、さっそく刺青を入れに行くが、「痛っ!・・・ちょっ!ちょっと待っとくなはれ。・・・ああ、血イ出たアる。あの、絆創膏(噺によっては赤チン)おまへんか。」との態たらく、怒った刺青師に「去ね!去にさらせ!」と怒鳴られ追い出される。Photo_2
それなら健さんみたいに、罪を犯して刑務所に入ったれと露天バナナ一本を盗むが、「・・・お手向いいたしやせん。旦那、警察へ突き出しておくんなせえ。」「お前、角の八百屋とこの息子やないか。家にぎょうさんバナナあンのに。・・・アホの相手してるほど暇やないねん。一本やるから去に。」「それじゃあ、こっちの気が済みやせん。どうぞ、突きだしておくんなせえ。」「忙しいから去ね言うとんじゃ。ゴタゴタ抜かしとったら、いてまうぞ!」とこれまた叱られる。
やることなすことうまくいかず、男は本当の任侠道になれない事を嘆きながら家に帰る。もう目の前が真っ暗。「ああ、お母っさん。右も左も真っ暗闇じゃござんせんか!」「あほ!今停電じゃ!」
3代目春蝶の演じる現在バージョンには竹内力「ミナミの帝王」の一節が登場する。
タイトルは「任侠伝」の名で演じる事が多い。

・・・なるほど、「読売GINZA落語会」で聴いたのも、このとおりのストーリーでした。
が、私はあまり好きな噺ではありませんがね。

広瀬さんの評論

広瀬和生さんの評論、今回は「入船亭扇遊」師匠。
独演会やホール落語と違い、寄席の定席では大勢の演者がチームプレイで流れを作って、主役である「トリ」に繋ぐ。
日常的に興行している寄席の世界では、脇役に徹しながら軽い噺できっちり繋ぐ「小回りの利く演者」も必要だ。
入船亭扇遊。
彼は寄席の世界で最も重宝な「程の良いオールラウンドプレイヤー」の代表格である。
トリを取る実力があり、脇役に回れば手堅く場内を温める。
前座噺から大ネタまで、どんな噺を演ってもその「噺」そのものが持っている面白さを巧みに引き出し、必ず客を満足させる、上手くて陽気で爽やかな寄席芸人。
それが扇遊だ。
1953年生まれ、静岡県出身。
1972年に入船亭扇橋に入門し、1985年に真打昇進。
古典の演者としての力量は若手の頃から折紙つきで、1983年に国立演芸場若手花形演芸会金賞、1992年には文化庁芸術祭賞を受賞している。
扇遊は、高座において自らの個性を強く主張するタイプではない。
あくまでも、伝統的な「古典落語の魅力」をそのまま提供する演者だ。
殊更に独自の解釈や新しい演出は求めない。
「昨今の落語家は古典を崩しすぎる」とお嘆きのかたには安心してお勧めできる。
決して地味な演者ではない。
リズミカルな口調と演技のメリハリは、むしろ派手だ。
なのにアッサリ味で、毎日聴いても胃もたれしない。
それは、扇遊に妙な気負いが無いからだ。
扇遊はよく客に向かって「落語なんて、バカバカしい噺をボーッと聴いてアハハと笑えばいいんです」という。
それは「落語は落語。余計なことは考えず、まともに演ればいい」という、自身の演者としてのスタンスの裏返しのように思える。
「落語は面白い。その、面白い落語をちゃんと伝えるのが噺家だ」
これが扇遊の考え方だ。
※週刊ポスト2011年8月5日号

私の好きな噺家さんの一人です。
初めてご尊顔を拝した時は、随分恐そうな感じの噺家さんだなと思いました。
でも、芸風はリズミカルで明るく、さすがに扇橋一門の総領です。
高座への出が大変にスピーディで、しなやかな身のこなしがいいですよ。
広瀬さんのコメントにもあるように、肩に力の入らないスタンスに裏打ちされた表情豊かな芸が魅力だと思います。
観客との位置取りも巧みで、決してへり下り過ぎず、不遜さもなく、気持ちよく噺に入って行ける、数少ない噺家さんだと思います。

「昭和の名人完結編」(12)

Photo_2 「五代目古今亭志ん生」という師匠は、本当に偉大な噺家さんなんですねぇ。
没後40年近くも経っているのに、CDコーナーに並ぶ数といったら、未だにダントツです。
どこにそんなに魅力があるのでしょう・・・?
  ◇ 稽古屋       古今亭志ん生
  ◇ 道灌         古今亭志ん生
  ◇ 風呂敷       古今亭志ん生
「風呂敷」という噺は、音源では数多くある志ん生師匠も、映像で残っているのは少ないようで、その数少ない噺です。
モノクロで不鮮明な画像を見たことがありますが、風呂敷を被せて、その隙に押入れに隠れている若者を逃がしてやるシーンの眼の動きが絶賛されていました。

2011年7月28日 (木)

三増紋也師匠の訃報

寄席の色物「曲独楽」の「三代目三増紋也」師匠の訃報。
大阪市天王寺生まれ、父は2代目紋弥で父の元で曲独楽の修行をし1942年小紋の名で初高座。
1950年に紋也を継ぐ。国内だけでなく海外公演もこなす。
舞踊家でもあり10代目岩井半四郎の父・花柳寿太郎の弟子で花柳弥寿郎(花柳彌壽郎)の名を持つ。

三増紋之助さんや三増れ紋さんの師匠です。
随分前に何度か高座は拝見していると思います。

伊予吉幽霊

「伊予吉幽霊」という噺は、私の記憶違いで、「にっかん飛切落語会」でなく「東西落語研鑽会」で初演された噺でした。
いい加減な記憶でしたねぇぇ。
あとで調べたら、「伊予吉幽霊」は公募作品。
第2回「全国落語台本コンクール」で最優秀賞作品賞を受賞した噺でした。
「雨治隆介」さんという若いフリーライターの方が書いたものだそうで、「第14回 東西落語研鑽会」で、正蔵さんが初演しました。
この落語会は、私も確か聴きに行きましたよ。
船が沈んで、死んでしまった伊予吉が、親友の枕元に立つ。曰く、「二人暮らしの母を悲しませたくない。いまから母の所に行って、伊予吉が無事でいるとウソをついてくれ」と。毎夜枕元に立って盆踊りしてやると脅されて、しぶしぶ母親の元に向かい、ウソをつく。翌日夜、伊予吉を連れて、二人連れで母の元へ。
・・・というのが原作だったはず。
ところが今回の正蔵さんの演出は、伊予吉は船が沈んで死んだのではなく、騙された女を追いかけようと、泳げもしないのに水に飛び込んで死んだという、ドジな設定でした。
初めて聴いた時の設定の方が良い気がします。
母の子を思う気持ちを慮る時に、死んでしまえば同じだとはいえ、死に方は船が沈んだ方が浮かばれる気がします。
(どちらも沈んだんだから、浮かばれないか・・・?)

あぜくら会

     あぜくら会
正式名称は「独立行政法人日本芸術文化振興会」。
要するに「国立劇場」の会員組織が「あぜくら会」です。
国立劇場は開場45周年になるそうです。
今月の会報「あぜくら」に、周年記念品として、チケットケースとクリアファイルが同封されて来ました。
チケットケースは「京鹿子娘道成寺(歌川国芳画)」、クリアファイルは「仮名手本忠臣蔵 十一段がえし」の玩具絵でした。
      あぜくら会
9月の文楽公演は「天下泰平 国家安穏 寿式三番曳」という作品だそうです。
天下泰平・国家安穏・五穀豊穣です。
今年ほど、この言葉が尊く思われることもないと思います。

寄席のこと

またまた「東京かわら版」の権太楼・さん喬師匠の対談の中からの話題。
「寄席」の存在について。Photo_4
さん喬師匠:「寄席の場合は色んな人が出ていてお目当ての噺家さん以外で、いい人が見つかるかもしれない。ああ、また聴きに来ようと、それは寄席でしか出来ない」
権太楼師:「こないだ立川流の人と話していたら、それが無駄だと言われた」
さん喬師匠:「へえ~」Itiban
噺家さんにとっての寄席というのは、理屈を超えた部分で、不可欠なものと理解しています。
(江戸)落語という演芸(芸能)が、寄席という場を得て発展して来たという事実が全てで、時代が流れて、その重きや形に変化はあっても、絶対になくなる関係ではないと思います。
立川流の噺家さんのコメントは、同じようなことを聞いた(読んだ)ことがありますが、これは立川流に寄席がない現実と羨望の裏返しだという気がしました。
落語に戻った数年前、一生懸命に立川志の輔さんを聴きました。201008112121002
人気も話術も当代一の噺家さんだと思いました。
ところが今は、チケットを手に入れるのが大変だという局面もありますが、何か志の輔さんを卒業した気がしています。
立川談志師匠が、落語協会を出てから入門し、寄席に出た経験のない初めての噺家さんとして、英才教育をされた人でもあります。
寄席に出られないため苦労を重ね、それをばねにして来た人です。Photo_3
従って、志の輔さんの高座(落語)は、古典落語でも、物凄く時流に乗ったスマートな落語ですし、落語会もエンターテインメントに溢れています。
それはそれで、素晴らしい芸であり、ショーだと思います。
でも、言葉で上手く表現できませんが、私が漠然とイメージする落語ではない気がするのです。
寄席という、雑多な賑わいの中から出て来た、無駄な時間も過ごしたかもしれない噺家さんが語る噺こそ「落語だ」と思います。
私も、全席指定で、特定の噺家さんが出演し、ネタ出しされている、いわゆる「ホール落語会」に行く機会が多いです。
でも、時々無性に、気楽に寄席に行きたくなりますし、寄席があるからホール落語が楽しめると思っています。
寄席はいいですよ。

2011年7月27日 (水)

読売GINZA落語会

31_725_rakugo_702_440 久しぶりの「読売GINZA落語会」。
「小朝とお坊ちゃん(サラブレッド?)たち」というような副題のついたメンバーでした。
小朝さん以外は、全員が2世の噺家さんという趣向です。
 ◆ 岸柳島      三遊亭王楽
 ◆ 仁侠伝      桂春蝶
 ◆ 愛宕山      春風亭小朝
 ◆ 伊予吉幽霊   林家正蔵
 ◆ らくだ       柳家花緑
                    
春蝶さんは初めて聴きました。
父である先代とは雰囲気が随分違います。
小朝さんが「古典落語もきっちりやるんですよ。」なんてフォローはしていましたが・・・。
小朝さんの「愛宕山」は相変わらずでした。
「伊予吉幽霊」は、確か数年前の「にっかん飛切落語会」の新作落語(台本)の募集で入選した噺だった気がします。
後で調べてみます。
正蔵さん、テレビのレギュラー番組に出演しているからか、最近髪を伸ばしています。
何か「こぶ平」に戻ったような雰囲気なのですが。
花緑さんの「らくだ」は熱演でしたが、数々違和感のある演出がありました。
何か落ち着きのない「らくだ」でした。
客席前方上手あたりに、「バカ笑いパタリアン」がいて、興趣が削がれた部分もありました。
今日の落語会の春蝶さんと小朝さんの高座で考えさせられたのですが、落語というのは、座布団からどこまで外れても許されるか、後ろ向きや横になってもいいのか・・・という。
何か、違う気がしました。
品がなくなってしまうと思います・・。
このあたりは、別項で考えたいと思います。
何故か、あまり楽しい落語会ではありませんでした。

やはりあの時さん喬師匠は

やはり、柳家さん喬師匠が、お母さんが亡くなった当日に代演されたのは、私も会場にいた「大手町落語会」の時だったようです。
もう1つの代演の高座は門前仲町だったようです。
芸人(噺家)さんにとって、舞台(高座)は決して穴を空けてはいけないものなんですね。
あの日のマスク姿の権太楼師匠の口上もショッキングでした。
座談会の記事で、病気に向かう気持ちを以下のように仰っています。
「今日が楽しければいい」と、まずその積み重ねをするんだって決めた。反省とかそういう努力は健康な人に任そう。
落語をやって、終わって、帰ってきて、「あー面白かった!」って俺が思えればいいのよ(笑)

いずれにしても、高座に対する噺家さんの強い気持ちを、このお二人のさりげない会話から教えられました。

ところで、状況は違いますが、圓窓師匠も震災の直後に、ブログで以下のことを仰っていました。
天災のあるたびに思い出す事がある。
友人の話したことである。
 その友人が終戦直後、ある公演を聞きに行った。
 それも、その日は、嵐。
 たぶん、中止だろう、と出掛けた。
 しかし、やります、という入口の人の声。
 広い会場に、4、5人の入りだった。
 出演する側も全員は揃わず、とりあえず、楽屋入りしたものから、
 登場した。
 その中で、一人。徳川夢声。
 最初に言った言葉に、友人は感動した、という。
 「入りが少ないからと言って、手を抜く事は許されない。少なければ
 少ないほど、全力投球する。4、5人だから、と手抜きをすれば、
 そのことは、4,5人の口から、2乗、3乗、10乗、20乗になって広
 まっていくだろう。今日の我々の生きざまを聞いてください」
 冒頭に、こう言ってから、「宮本武蔵」に入ったそうだ。
 帰りの風雨は、顔面の涙を洗い流すようだった、という。
これこそが「芸人魂」というものなのでしょう。
また別の時には、震災のおかげで、何でもかんでも中止されている中で、こんなことも仰っていました。
災害、被害、台風、交通機関ストップ。
 こんな最中でも噺家は、「行かねばならぬ」という本能が働く。
 それは、こういう状況下でも足を運んでくださる方々が必ずいるから
 だ。だから、主催者が中止を発表するまでは、足はひたすら会場に
 向く。
 こういう状況下では誰しもが、不安になり「行きたくない」と思う。
 たとえ、行きたくとも交通がストップすれば諦めるより仕方がない。
 客席の頭数は多くを望めない。
 出演者にとって、客席の頭数うんぬんより、大事なことがある。
 こんなひどい状況下でも「聞きたい、見たい」で会場まで足を運んで
 くださるお客が必ずいるということだ。
 出演する側だって、「行きたくないよ、こんな日に」と愚痴めいた
 言葉が頭によぎることはある。
 しかし、こういう状況下にいらっしゃる人のことを考えれば、噺家
 冥利に尽きるというものだ。

この心意気が好きで、落語にはまっているのかもしれません。
先日、南三陸町に落語慰問に行った時に、圓窓師匠のこんな呟きを思い出しながらいたことを、まだそれほど時間は経ってはいませんが、何か懐かしく思います。

「昭和の名人完結編」(11)

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このシリーズも11巻目。
今回は、十代目桂文治師匠。
先日、弟子の桂平治さんの十一代目襲名が明らかにされたばかり。
甲高い声でしたが、「江戸っ子」を感じさせる独特の語り口が魅力でした。
  ◇ 猫と金魚    桂文治
  ◇ 八百屋お七   桂文治
    ◇ 豆屋       桂文治
「猫と金魚」は、あの「のらくろ」の田川水泡原作の新作落語です。
ところで、脇から聞いた話ですが、このシリーズの第11巻目は、もともと「五代目春風亭柳朝」の予定だったそうです。
この師匠は、江戸っ子気質と時間のルーズなところが有名で、確か落語芸術協会会任期人気満了の当日に亡くなったはずです。
私は、「やかん」とか「粗忽の釘」などの滑稽噺、「源平盛衰記」や「お血脈」などの地噺が好きです。

2011年7月26日 (火)

金魚の芸者

初代三遊亭圓遊創作の「金魚の芸者」。
とある魚屋の主は庭の泉水に飼っている金魚が大好き。
「更紗の丸っ子」と名付け、いつも可愛がっている。
あまりのネツのあげかたに、女房などは「わたしと別れて金魚と一緒になったら」などと言い出す始末である。
この金魚、もとはといえば三年前、路上の水溜まりで跳ねていたところを魚屋が救ってやり、井戸水で蘇生させたもの。
もともと丈夫なたちだったのか、三年のうちに見事に美しくなり、いまは三つ尾を悠々となびかせている。
ある日のこと。評判を聞いた金魚道楽の男に「丸っ子」を見せてやると「これだけ美しい金魚をこのままで終わらすのは惜しい。
芸者にでもすればたちまち売れっ子になって、あなたは左団扇ですよ」と言って帰って行く。
泉水の中でそれを聞いた「丸っ子」ははたと思いつき、その晩、魚屋の夢枕に立つ。
その翌日、玄関先に現れたのはひとりの美しい芸者・・・。
Photo
柳家小満ん師匠の高座について、この噺を配信している文化放送「落語の蔵」では以下のように述べています。
開口一番《水中に牡丹くずるる金魚かな》という俳句からはじまる夏らしい一席である。
落語には動物が人間に化けるという趣向の噺がいくつかあるが、金魚が芸者になるという展開はめずらしい。
明治期に活躍した三代目・三遊亭圓遊の作だと言われている。
小満んは圓遊の速記を下敷きに噺を再構成。
たとえば、もとの噺では主人公が金魚屋であったのを魚屋に改訂。
そのため、男が仕事ではなく趣味として金魚を愛好しているニュアンスが強まっている。
そのほか、金魚を救うくだりも独自の工夫で、魚屋の岡持に金魚を入れ、近くの豆腐屋の井戸水を満たすと蘇生する描写などは繊細な味わい。
後半はいよいよ「金魚の芸者」が登場。言葉遊びでおおいに笑いを誘うが、それよりも人間になった「丸っ子」のかわいらしさ、女っぽさに主眼がおかれている。
魚屋の夫婦が金魚の変身をまるで疑わないというのも独特のタッチで面白い。
まるで白昼の夢を見るような小満ん落語の傑作である。
こういう類の噺は、バカバカしいと思って演ってはいけません。
演者が、その金魚や登場人物になりきらないと、本当にくだらなくてつまらない噺になってしまいます。
難しい噺なんでしょう・・・。

えっ?あの時のさん喬師匠は

「東京かわら版」で、権太楼・さん喬両師匠の座談会の記事を読んでいると、今春、権太楼師匠が病気の治療をしている時に、さん喬師匠が落語会の代演を2度やったということでした。Image
権太楼師匠は、自身が休演にも拘わらず、マスクをして来た、とありました。
・・ちょっと待ってくださいよ。
私が行った4月の「大手町落語会」は、権太楼師匠の代演がさん喬師匠でした。
それに、権太楼師匠が、前座さんの開口一番の場所で、マスクをかけて登場し、休演のお詫びの口上をやりました。
その日の番組を思い出してみました。
     ◆ 休演の口上(マスクで) 柳家権太楼
     ◆ 岸柳島           柳家三三
     ◆ 厩火事            柳亭市馬
     ◆ 蜘蛛駕籠           柳家花緑

           ◆ 百川                    柳家さん喬(代演)
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/04/post-c5b1.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/04/post-c84c.html
・・・ということは、この座談会で触れている落語会というのは、この「大手町落語会」だったかもしれません。
そうだという前提で読み進んで行くと、大変な事実が述べられていました。
さん喬師匠が「今だから話をしますけれど、・・・実はその朝ね・・・僕の母が亡くなったんですよ。母親が亡くなって、息が終わって、じゃあなって出て来て、そのまんま権太楼師匠の代わりをやった。」・・・。
ええぇぇぇ~っ
もしかすると、あの「百川」は、1/2の確率でそういう状態で上がった高座だったんですか・・・
もしあの時だったとすれば、大変な衝撃です。壮絶な話です。
その高座を、私は見ていたかもしれない・・。
そういえば、その時のマクラで、さん喬師匠はこんなことを仰っていた記憶があります。
「こういう時は、普段通りに過ごすのが大切ではないか」と・・・。
これは、さりげなく震災後の我々のなすべきことについて触れた部分です。
「がんばれニッポン!」もいいけれど、これこそが日本人があの大災禍の中で冷静さを保つことができた源泉だということ。
復興に向けて被災地以外の日本人がなすべきことは、愚直に平常どおりの生活を続けることだと理解したのですが、さん喬師匠の心の中には、お母さんへの思慕もあったのかもしれません。
物凄い場面を拝見していたのかもしれません。

寄席芸人写真名鑑


7月1日現在の東京の落語・講談・浪曲・寄席色物の芸人さんたち700名以上の顔写真とプロフィールをまとめた「東京かわら版」の別冊です。
落語協会の真打の噺家さんで、顔と名前がどれぐらい一致するだろうと、一通りザアーっと見ましたが、せいぜい6~7割程度しか一致しなかった感じです。
佃煮にするほどに、噺家さんの数も増えたものですねぇ。

2011年7月25日 (月)

猛暑・酷暑ふたたび?


ここ数日しのぎやすかっただけに、今日の暑さが堪えます。
今さら言っても仕方がありませんが、昔は30℃を超えたら物凄く暑く、35℃を超える暑さなんていうのは、赤道直下や炎天下の砂漠ぐらいでしか経験できないと思っていました。
それが今では、東京の都心でも経験出来ようという・・・。
ところで、こんなに暑いと、寄席では「青菜」あたりが数多く演じられているでしょう。
あとは・・、「船徳」・「茄子娘」・「千両みかん」・「皿屋敷」・「ちりとてちん」あたり・・・。
「たがや」なんかも旬な噺ですね。
そうか、「唐茄子屋政談」や「かぼちゃ屋」だって夏の噺です。
そうそう「夏の医者」もありますよ。
怪談や幽霊の出て来る噺も、夏向きの噺でしょうか・・・?

東京かわら版


8月号には、「柳家さん喬」師匠と「柳家権太楼」師匠の座談会が掲載。
鈴本演芸場でのお盆恒例の特別興行の話題など盛り沢山。
権太楼師匠は、若い頃からタレントとして売れていた話などは、ぴんと来ました。
「さん光」時代には、何度か寄席でも聴きました。
正直なところ、変わった雰囲気の噺家さんだなぁと思っていました。
一方、当時「小稲」と名乗っていたはずのさん喬師匠のことは知りませんでした。
権太楼の襲名前後に、私は落語から離れましたので、25年近く経って戻って来た時に、権太楼師匠の斯界での立ち位置に驚きました。
落語に戻った直後の頃、確か神奈川県民ホールでの二人会を聴きに行って、大看板になった権太楼師匠と初めて聴くさん喬師匠を目の当たりにしました。
考えてみると、色々な事情も含めて、私の落語徘徊においても、満遍なくかつ数多く聴いている噺家さんと言えば、師事している圓窓師匠を除けば、間違いなくこの二人の師匠だと思います。
ところで、8月6日は「佃祭」ですね。

東京落語会会員継続

また「東京落語会」会員継続の季節になりました。Photo
何だかんだと言っても、定期的に、気軽に落語に接することが出来る機会です。
それから、他の落語会と異なり、良くも悪くも出演者に偏りがありませんから、私の好みの入らない噺家さんを聴くことができます。
「掘り出し物」の噺家さんがいたらいいですね。
特に、ほとんど聴くことのない落語芸術協会の若手の人たち・・。
今まで当たったことはありませんが・・・。
6ケ月分の13,200円也。
近くの郵便局から振込完了。

要亭長矢さん

圓窓師匠の落語教室「扇子っ子連・要亭」のメンバーに「要亭長矢」さんという方がいらっしゃいます。
この方こそ誰あろう、落研の大先輩「愛詩亭朝大」師匠なのです。
圓窓師匠のプログを拝見していたら、要亭で「権兵衛狸」にチャレンジしているそうです。
師匠が、「東北大落研のOB落語会に出演したらどうだ。」と仰ってくださっているそうです。
ご本人は、今のところ、「まだまだ・・・」と固辞されていますが、是非ご出演いただきたいものです。

2011年7月24日 (日)

地上デジタル放送化

地上デジタル放送というのが今日からスタート(完全移行)するんだそうですが、これについては、さすがに温厚な?私も、大変に憤っているのです。
というのも実家が、地デジ放送が視聴できないのです。
山の中の過疎地ゆえ、完全に無視された格好になっています。
父も、かなり以前から各方面に働きかけて来たようですが、県境だということもあるのか、行政など関係者の動きが悪く、今日から地上波が見られなくなるはずです。
BSは視聴出来るようですが、高齢者にとってはねえ・・・。
見られるのにさぼって準備をしないというならまだしも。
関係者は偉そうに「地デジ化」を喧伝していても、こんなものです。
いわんや、原発対応をしておやということでしょうね。
まあ酷いものです。
今までは我慢していましたが、総務省に強硬なクレームをしましょうか・・。 ヽ( )`ε´( )ノ

落語はやおき亭

今朝は、文化放送主催の「人形町らくだ亭」からで、現役の柳家小満ん師匠です。
   ◇ 金魚の芸者    柳家小満んPhoto_2
明治時代の三遊亭圓遊の作った噺を、小満ん師匠が掘り起こしたという、大変珍しい噺です。
圓遊といえば、鼻の圓遊・すててこの圓遊と言われ、明治の大人気の四天王。
今に残る落語の創作や、古い噺を改作したという名人だったはず。
この噺、あまり面白いとは思えませんが・・・。
三遊亭 圓遊は明治時代に活躍。
明治元年(1868年)頃、2代目五明楼玉輔の下に入門し、(雀家?)志う雀を名乗る。
明治3年(1870年)、師匠が廃業したため(後に復帰)、明治5年(1872年)頃に初代三遊亭圓朝門下に移り、圓遊に改名。
明治13年(1880年)4月、真打に昇進した。
大きい鼻で知られており、「鼻の圓遊」ともよく呼ばれていた。
寄席において、落語の後の余興として奇妙な踊りを披露して大人気を博した。
大きな鼻をもいで捨てるような振付けから「ステテコ踊り」の異名を得、このために「ステテコの圓遊」の名で呼ばれるようになった。
また古典落語を明治風に改作して演じ、好評を博した。
明治時代の落語界において中心人物であった。
全盛期には1日36軒の寄席を掛け持ちしたと言う伝説がある。
辞世の句は「散りぎわも 賑やかであれ 江戸の花(鼻)」。

本来は三代目なのですが、あまりにも有名になったので、一般的には初代と言われているそうです。
「野ざらし」という噺も、二代目林家正蔵作だと言われていますが、暗い因縁噺だったのを、今のような明るい滑稽噺にしたのは、この圓遊なんです。
確か、「船徳」も、もともとは「お初徳兵衛浮名桟橋」という、近松の「曽根崎心中」の登場人物の名を借りた長編の人情噺だったのを、発端部をアレンジして滑稽噺にしたはずです。

大台の誕生日

母が、今日で満80歳になりました。
両親は田舎で二人暮らしですが、おかげさまで健在です。Photo_3
昔教職にあり、田舎のことですから、私と妹以外の学年はほとんど担任していたので、未だに「先生」と呼ばれています。
そんな母も八十路。
とりあえず、携帯メールでお祝いを言いました。
いつまでも元気でいて欲しいと思います。
直接渡すのは照れ臭いので、誕生日のプレゼントを贈りました。
今日は、ずっと習っている「詩吟」の発表会だということで、本人は張り切っているようです。
私は、詩吟のことは全く知りませんが、「小谷城懐古」というのを唸るそうです。
調べると、浅井長政もののようです。

  将星更不顧輸贏(将星更に輸贏を顧みず)
  強別妻孥貫款誠(強いて妻孥に別れて款誠を貫く)
  今日丘墟荒草裏(今日丘墟荒草の裏)
  ・・・・・・・

Photo_4

浅井長政は敢然として勝敗を無視したのである。
強いて妻子を城から脱出させた後、朝倉氏との信義を重んじ城を枕に討ち死にした。
今日雑草の生い茂る城址の中に立ってみると嘗てその節を曲げなかった浅井長政にも似た竹が、今でも清らかな風声を挙げている。

小谷城は、日本五大山城の一つに数えられる。
標高約495m小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれ、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られることが多い城である。
戦国大名浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られたが、元亀天正の騒乱の中で4年間織田信長に攻められ落城した。
浅井長政は永禄三年(1560)浅井家の当主となり織田信長の妹お市を娶り、織田家と同盟を結んだ。その後湖北から湖西にわたり威をはり、信長の覇業達成に協力した。しかし元亀元年(1570)信長の越前責めに際しては、父祖以来朝倉氏より受けた重恩に報いるために、小谷城で反信長の兵を挙げた。信長は一旦兵を引いて、京に逃れたが、天正元年(1573)七月の再攻撃で足利義明が信長に降伏し、室町幕府は滅亡した。朝倉義景が自刃するに及び、小谷城は全く孤立した。8月27日からの織田勢の総攻撃で、命運の尽きたことを悟った長政は、お市と子供3人を信長の陣に送った後、父久政と共に城を枕に討ち死した。

落語でデート

ボケていて、文化放送でなく、NHKにチューニングして待っていたので、冒頭の部分を聴くことができませんでした。
ご愛敬、ご愛敬・・。
   ◇ 道灌        三代目三遊亭金馬
先代の金馬師匠の「道灌」は初めてです。
熊さんがご隠居のところに来て、掛っている軸やら屏風を褒める(けなす?)ところで、ご隠居がいちいち説明をするところは、博識の金馬師匠らしい説明がされています。
「道灌」と言う前座噺、いつかやってみたいと思っています。
よく出来た噺です。

里帰り

私が好きな春風亭柳昇師匠の「里帰り」という噺。Photo_4
老夫婦のもとへ、嫁に行った娘が久々に里帰りして来る。
両親は喜ぶが、娘は浮かぬ顔をしている。
娘にその訳を聞けば、姑との仲がうまくいかず、嫁ぎ先を黙って出てきたという。
姑はなにごとにつけ皮肉な性格で、やれ御飯の炊き方がまずいと文句を言ったり、買い物させるのにお金を百円しか持たせないなど、苦労が絶えないと訴える。
父親は「苦労を承知で嫁いだはず。家に戻れ」と諭すが、娘は「家に戻ったらきっと姑を殺す」と物騒なことを言い出す。
娘の話を聞いていた父親は、思案の末、「そんなに思っているのなら本当に殺せ」と白い粉薬を渡す。
この薬は毒薬で、飲んだ人間は必ず死ぬ、それに証拠も残らないという。
ただし、いますぐに殺害をすれば、犯人は仲の悪い嫁だという評判が立ってしまう。
そこで、しばらくは「良い嫁」を演じ、周囲の人間に「仲の良い嫁姑」だと思わせたうえで、殺害をしろとアドバイスする。
娘は毒薬を懐に、嫁ぎ先に帰るが・・・。
柳昇師匠がよく演じた新作落語。
原話がフランスにあり、五代目柳亭左楽もほぼ同じ噺を口演していたという説もあるそうですが、戦後は柳昇の専売だったようです。
ナンセンスな新作を演じることが多かった柳昇師匠にしてはちょっと異色のこの噺。
子供を思う親心、娘の訴えなどがストレートに響きます。

学士会落語会報「まくら」

「学士会落語会」の会報「まくら」が配信されました。Photo_5
今年の4月以降、例会が開催される奇数月の第3土曜日は、完全に「朝日名人会」と重なってしまいますので、出席できない状態です。
従って、会報は大変ありがたい情報源です。
今回は第16号で、5月と7月の例会の様子が、克明に紹介されていました。
特に、5月の例会は、東大OBの「三山亭多楽」師匠の手による、桂南なんさんらの出演者の似顔絵が載っていました。
まぁ、いつ拝見しても素晴らしいものです。
また、多楽師匠は、巻末にも「鼓が滝紀行」を寄稿されていて、その多才とパワーには脱帽です。

乱志の「ねずみ」十態

学士会落語会での「ねずみ」の映像から。
     学士会落語会のDVD
圓窓師匠の出囃子「新曲浦島」に乗って高座へ。   
          学士会落語会のDVD
代わる代わる色々な顔をご覧に入れまして、お力落としもございましょうが、私が高座の掃除番でございまして・・・。
     ねずみ十態
「名人は上手の坂をひと登り」
     学士会落語会のDVD
「旅人は 雪呉竹の群雀 止まりては発ち 止まりては発ち」
学士会落語会のDVD 学士会落語会のDVD
「振分荷物に脚半甲掛・草鞋履き。誰が見ても旅人だ。」
   「あたいんちへ泊まってくださいな。」
         ねずみ十態 ねずみ十態
「ここが虎屋か。木口といい仕事といい、実に見事だ。」
   「さぁさぁ、どうぞお入りください。」
    ねずみ十態 ねずみ十態
「あぁぁ、気持ちがいいねぇ。顔まで洗っちまった。」
   「子どもの喧嘩でそんな傷がつくか。正直に言え。」
         ねずみ十態 ねずみ十態
「あぁ・・、馬鹿な事をした。・・・私も泣きました。」
   「あれ、ね、ねずみが動いてる・・・。」
ねずみ十態 ねずみ十態 
「政坊、お前さんが見て、あのねずみはどう思う?」
   「あれは虎ですか?私はてっきり・・・だと思いました。」
・・・・ありがとうございました。

2011年7月23日 (土)

大暑

二十四節気の「大暑」は、暑さが最も厳しくなるという意味で、厳しい暑さにより、夏の到来を強く感じます。
Photo農家にとっては田の草取り、害虫駆除など暑い中での農作業が辛い節目の日です。
またこの時期は、蒸し暑さに襲われることで体力の消耗が激しくなるため、夏バテ防止のために精力のつくウナギを食べる習慣があります。

昭和元禄落語心中

Photo_2

上野駅の本屋の前を通ると、ディスプレイに「落語」という字があるような気がして、立ち止まりました。
ほとんどは、「落語」だと思ってよく見ると「英語」だったりするので、今回もそうかなと思いつつ。
昔は、「漫画本(当時はこう言っていました)なんか読んでもためにならない、害になる。」なんて言われていましたし、歳を取ってから、絵がゴチャゴチャしているのが嫌で、ほとんど読みません。
電車の中などで、いい大人が「漫画本」を読んでいるのを見ると、冷ややかな眼で見ていました。
さて、その本屋さん。
見ると、「昭和元禄落語心中」とあります。
確かに「落語」の本に間違いはない。
ただし、どうやらこの本(作品)は「コミック」らしい・・・・。
「ITANコミックス」・・・?聞いたこともない・・。
本屋でも、コミックコーナーなどには入ったこともない。
どこに置いてあるのだろう・・・。
コミックコーナーを一回りしましたが、ゴチャゴチャとハデハデに辟易。
結局探しても見つからず、勇気を出して店員さんに尋ねると、入口に積んであると・・・。
・・・という訳で、雲田はるこという人が、ITANという雑誌に連載していたものをコミック化したもののようです。
講談社の本でした。税別で562円。
帰りの電車で、「漫画」を見ながら帰る羽目になりました。
満期で出所の模範囚。だれが呼んだか名は与太郎。 
娑婆に放たれ向かった先は、人生うずまく町の寄席。 
昭和最後の大名人・八雲がムショで演った「死神」が忘れられず、生きる道は噺家と心に決めておりました。 
弟子など取らぬ八雲師匠。惚れて泣きつく与太郎やいかに……!?
昭和元禄落語心中・与太郎放浪篇、いざ幕開け!!

ちょっと、かなりの違和感はあります。
そもそも、絵が見づらい。
が、そこそこ面白い部分もあります。
落語ありきというより、あるストーリーの舞台を落語の世界に設定したというのでしょうか・・・。

「東京落語会」のHP

今月の「東京落語会」のプログラムに、「東京落語会のホームページが出来ました」というチラシが挟んであったのを思い出したので、早速アクセスしてみました。
   http://www.nhk-sc.or.jp/rakugo/
今までなかったのが不思議なくらいです。
昭和34年に始まったそうですから、もう52年になる訳ですね。
この先もずっと会員を続けて行きたいと思います。
毎月閉演の後で、先輩の杜の家頓平師匠と一献傾けるのも楽しみですから。

よめごや寄席

桂友楽師匠は、「復興出前寄席」の翌日も、落語会にご出演でした。
東北学院大落研OBの方のプログで紹介されていました。
「第8回 よめごや寄席」
  ◇ 金明竹      世間亭節介
  ◇ 質屋蔵      世間亭節介
        仲入り
  ◇ カラオケ病院   桂友楽   
プログの一部を拝借させていただきます。
今回は東北大さんから、ということでOBの友楽さんと現役4年生の節介さんに出演をお願いしました。
節介さんは私の好きな素人落語家の1人です。
今日も良かった。
落語センスが良いんでしょう。
間・テンポ、口調が他の素人とは一味違う感じ。フラもあるし。
今日の「質屋蔵」は良かった
良いもの見させてもらいました。
彼はまだ4年生ですから、まだ観る機会はあるでしょうからね。
もっともっと観たい素人落語家さんです。
友楽さんはさすがの一席。
マクラからしっかりお客さんを取り込んで、お得意の小咄アラカルト。
「カラオケ病院」は新たに美空ひばりも加えたりなんかして、大いにウケてました。
友楽さんはなんとなくイメージで古典落語を崩さず演じる方って感じがしますが、んなことは無いですね。
セリフや言い回しを変えたり、新たなやり取りを加えたりといった創作力があり、またそういうことしても落語として違和感無く仕上げられるセンスがあると思いますよ。
一昨日は間に合わなかったので観られませんでしたが、友楽さんの「つる」。
以前観たことがありますが、よくある古典落語の「つる」をお手本通りというわけではなく、自分で新たなやり取りを加えたりして、友楽オリジナルの「つる」になっていて、凄いなぁと思ったことがあります。
この創作力とセンス、無い人には無いですからね。
やれるってのは凄いことなんじゃないでしょうか。
今日は良い刺激になりましたし、またソデで聞いていて勉強にもなりました。
東北大落研、良いねえ。

読ませていただいて、何とも闘志が湧いて来ますね。
「よめごや」というのは、泉区南光台にあるお惣菜のお店のようです。
こういう場所があるというのは、本当に羨ましいものです。
いつか、必ず仲間に入れてもらおう・・・・。
今度、友楽師匠にお願いしてみようか・・・・。
ところで、我が後輩の節介くんも大活躍の様子です。

「5周年記念落語会」DVD

     学士会落語会のDVD
完成を楽しみにしていた、昨年9月の「学士会落語会設立5周年記念落語会」のDVDが届きました。
    ◇ 出来心        何達亭玉つき
    ◇ 粗忽長屋       愛子亭朝大
    ◆ 稲川          三遊亭圓橘(ゲスト)
    ◇ 鼓が滝        三山亭多楽
    ◇ 軒付け        和朗亭何坊
    ◇ ねずみ        金願亭乱志
胸ときめかせながら、当日を思い出しながら見入りました。
          学士会落語会のDVD
ねずみの模様の手拭いを用意したり、ちょっとこだわったものでした。
     学士会落語会のDVD
思っていたより、しっかり出来ていた感じがします。
言い出せば、いろいろ難点は多いですが、全体としてまとまっていたようです。
   学士会落語会のDVD 学士会落語会のDVD
母校の先輩方からお褒めいただいたことも、大変光栄でした。
このDVDも、宝物になりそうです。

2011年7月22日 (金)

桂友楽師匠

復興寄席in<br />
 南三陸
我が「落研御三家」の一人、人呼んで「仙人・桂友楽」・・と言うが、実は私が勝手に広めているのです。
「落研御三家」とは、「名人・喰亭寝蔵」・「達人・談亭志ん志」・そして「仙人・桂友楽」の、我が落研自慢の3枚看板のこと。
先日の「復興出前寄席」のチラシでの友楽さんの紹介文をご披露しましょう。
宮城県仙台市出身。
仙台市在住。
東北大学落語研究部OB。
八代目桂文楽に名前弟子を許され、友楽を襲名。
兄弟子にフランキー堺。
「仙都に笑いを」をスローガンに、落語会の出演をはじめ、プロデュースも手がける。
落語を活かした町興し(荒町、八幡町)、先人の偉業の物語化、子どもを対象にした落語ワークショップの開催、「笑いと健康」をテーマにした講演活動など幅広く活躍中。
なるほど、仙台でのご活躍は、本当に頭が下がります。
最近、「カラオケ病院」などの新作をやるようになったのは、やはり観客を飽きさせないようにするためには、音楽や歌が一番なのだそうで、落語の中に歌の入っている噺が必要だったからだそうです。

圓朝忌・奉納落語

落語中興の祖といわれる「三遊亭圓朝」の命日「圓朝忌」は8月11日です。Photo
今年は、没後111年ということになります。
この圓朝を偲んで?、圓朝が眠る谷中全生庵で行われるのが、落語協会主催の「圓朝まつり」で、今年は8月7日(日)に行われます。
聞くところによると、今年の圓朝まつりで10年ぶりに復活するものがあるそうです。
それは「奉納落語」。
「えっ?毎年奉納落語会をやっているじゃないか」と思ったのですが、これではありません。
もともと「圓朝忌」には本堂で圓朝師匠に向かって行う奉納落語をやっていたそうですが、今のお祭りの形式になってから、奉納落語会に変わったそうなんです。Photo_2
今回復活する「奉納落語」は落語協会副会長の柳亭市馬さんが務めるそうです。
通常の落語会と違って、祭壇の圓朝師に向かって落語をやる訳ですから、お客様は演者の後ろ姿を観ることになるわけですね。
先着順での入場ということですが、どうせすぐいっぱいになるでしょうから、諦めます。Photo_3
市馬さんは、何をお演りになるのでしようか・・・?
「蒟蒻問答」なんていいと思いますよ。
「い~ぃ、ろぉ~、はぁ~にぃ、ほぉへぇとぉ、ちりぬる・・・」のお経を上げるなんて、最高の洒落になりますよ。

噺家さんの決まり文句

春風亭柳昇師匠のネタの話題が続きましたが、いつも高座に上がって必ず最初に言う台詞がありました。
「私は、春風亭柳昇と言いまして、大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では・・、私一人であります」・・。
みんなが分かっていても聞きたい台詞です。
「我が国では・・」の後の間が何とも言えませんでした。
先代の雷門助六師匠は、「代わる代わるいろいろな顔をご覧に入れまして、さぞお力落としもございましょうが・・」。
おばあさん落語の先代古今亭今輔師匠は、「お喋り専門でございます・・」なんて。
桂文治師匠は、「どうぞお構い無く・・」。
先代の春風亭柳好師匠は、「落語をやらしていただきます」・・。
最近の噺家さんには、あまりいませんね。
春風亭一朝師匠ぐらいでしょうか・・?
「名前が一朝と言うぐらいですから、今日はいっちょうけんめい(一生懸命)やらしていただきます」。
寄席演芸と言うのは、究極のマンネリを楽しむところがいいですね。
高座に上がった時、観客は今日もまた「いっちょうけんめい」を待っている訳です。
時には、拍手が起こったりして・・。

仙台新撰落語会

「復興出前寄席」の前日、友楽師匠とぴん吉さんは、別の落語会にご出演だったそうです。
何でも、在仙の方々、東北学院大落研OBの方々などが参加している会なんだそうです。
16日(土)に仙台民会館和室で開催された「第17回仙台新撰落語会」の番組を、先輩の「走れ家駄馬」師匠からお聞きすることができました。
   ◇ つる              桂友楽
   ◇ 寿限無            多賀家許夢
   ◇ 転失気            賀千家ぴん吉
   ◇ 鮑のし             天地家創造
       ◇ 出札口            親夜亭目ぼそ
   ◇ 狸の札             招福亭こいく
   ◇ 長短                   乃芽家一昇
       ◇  勘定板~南京玉すだれ  翁家さん楽
             仲入り
       ◇ 雑俳             山川短志
   ◇ たらちね            剋家清生
       ◇ 胴切り            胃仲家百勝
友楽師匠に何気なく、「仙台在住というのが条件ですか?」と聞くと、山形あたりの方はいらっしゃるようですが、原則そのようです。
密かに出演を狙いましたが・・・、駄目か・・・。
次回は・・・、「第18回仙台新撰落語会」
    出演:仙台新撰落語会会員、他特別出演
    日時:11月5日(土)13時開演(12時半開場)
    場所:仙台市民会館 2階和室
    木戸銭:無料

我々の「お江戸OB落語会」の前の週ですねぇ。
勝手に押しかけてみようか・・・・。

2011年7月21日 (木)

土用丑の日

Photo

「土用丑の日」と言えば、真夏の暑さを想像しますが、今日は涼しい・・。
こんな土用丑の日もあるんですね。
ところで、「土用丑の日」って何なのでしょうか?
土用の間で、日の干支が丑である日。
特に夏の土用丑の日には、暑い時期を乗り切る栄養をつける為に鰻を食べる習慣がある。
鰻には
ビタミンA・B群が豊富に含まれているため、夏バテ、食欲減退防止の効果が期待できる。
・・・ということで、どうやら夏の専売特許ではないらしい。
「土用」って何?

「土旺用事」の略。立夏・立秋・立冬・立春の前の約18日間のこと。
年に4回あるということです。
18日×4回だから72日間、ということは、1年の5日に1日は「土用」ということになりますね。
説明を読み進めると・・、
元々は清明・小暑・寒露・小寒の後13日目からの18日間だったが、現在では太陽が黄経27度・117度・207度・297度の点を通過する瞬間を含む日から、それぞれ立夏・立秋・立冬・立春の前日までの期間と定められている。
陰陽五行?説で、春に木、夏に火、秋に金、冬に水を割り当て、余った土を季節の変わり目に割り当てた物。
土用の間は土の気が盛んになるため、土を動かすことや殺生が忌まれる。

一般的には、夏の土用(立秋までの約18日間)を指すようです。
俳句で「土用」と言えば夏の季語だそうですから。
「土用丑の日」に鰻を食べるというのは、由来には諸説あるそうですが、平賀源内が発案したという説が一般的だそうです。
江戸時代、商売がうまく行かない鰻屋が平賀源内に相談したところ、源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て「本日土用丑の日」書いて店先に貼るよう勧めた。
物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋はたいへん繁盛した。
その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したとされる。
そう考えると、最近の「バレンタインデー」や「恵方巻き」などと同様、コマーシャリズムの産物なんですなぁぁ。

カラオケ病院

桂友楽師匠がお演りになった「カラオケ病院」は、「春風亭柳昇」師匠の自作自演の噺で、生前は何度か聴いたことがあります。
復興寄席in<br />
 南三陸
このところ客が来なくなった総合病院で、医者が集まって会議をすることになった。
内科の先生は自分の病気が治らないので、御利益があるという神社を紹介され、この日参詣に出掛けてお休み。
消化器系の先生も、自分の子供が盲腸炎になって、大学病院に入院するというので付添いに行っている。
大事な一人息子なので、自分の病院には入院させられないという。
さて、まず患者が来なくなった理由を検討する。昨年の夏に入院患者の中から食中毒を出したことと、前の道路に違法駐車が多いので「ここでちゅうしゃ(駐車・注射)はできません」と大きく貼り出したことが患者激減の原因らしい。
対策を検討すると、「一度入院させた病人は二度と出さなければ、医療費がどんどん入って良いでしょう」とか、「死んだ人が出たりすると評判が悪くなるので、まず、健康な人しかみないようにしましょう」とか、次々に画期的な意見が出たが、結局、今人気のカラオケを導入するという意見に、大のカラオケファンである院長先生が飛びついて、待合室を改造し、大変なカラオケルームが完成した。
新装開店当日は行列が出来るほどの人気。院長先生が挨拶をして、「それでは1番の方から、番号と病名をどうぞ」と言うと病人が登場、次々と替え歌で自分の症状を述べていく。
風邪をひいた人が熱っぽい歌で拍手を取った後、痔で困っていると歌った人がいる。
「お仕事は何ですか」
「地(痔)上げ屋です」
大先輩の友楽師匠は、今までのイメージでは、こういう類の新作落語などはお演りにならないと思っていたのですが、幅広い落語活動のバリエーションとして必要だということです。
柳昇師匠は、このほかに「結婚式風景」など面白い噺があります。
この噺では、「新郎は、○○大学を優秀な成績で卒業した方と一緒に卒業しました」という、仲人さんの紹介の挨拶の部分の台詞が大好きです。
柳昇師匠では「里帰り」という噺が好きですねぇ。
やや人情噺がかっていて。

地震?の原因

ソウル市内の39階建のオフィスビルが激しく揺れて、入居者約2000人が避難する騒ぎとなった原因は、何と12階のフィットネスクラブでの運動だったようです。
フィットネスセンターでリズムに合わせてジャンプをしたことで振動が発生し、38階に設置した振動計測器の値が平常時の10倍を記録したという訳。
原因については様々な説が飛び交ったようですが、何か漫画みたいな結論でした。
ちょいと洒落になりません。
そういえば、娘が小学生だった時に、マンションのルーフバルコニーで縄跳びをして、階下の人に注意されたことがありましたが・・・。

大関(やっと)引退

数々の名誉(不名誉)な記録を残した名(迷)大関が、(やっと)引退を表明しました。
人柄も良く、お相撲さん仲間やファンからも人気があって、引退を惜しむ声も大きいようです。
私は天邪鬼ですから、勿論業績を称えはするものの、どうも釈然としない大関でもありました。
大関は強い存在だとすれば、やはり引き際を考えて欲しかったし、館内に起こる応援の手拍子には、大変違和感を感じていました。9454282
相撲がスポーツなのか、興行なのか、はたまた神事なのか、これによっても違って来るとは思いますが・・・。
「わしが国さで見せたきものは
         昔 谷風 今 伊達模様」
潔さの美学を求めるのは、古いのでしょうか。
落語の「阿武松」にも美学があったと思うんですが・・・。
ただ、落語の世界にも「長生きも芸のうち」という言葉がありますから・・。
いずれにしても、気は優しくて力持ち、長い間ご苦労様でした。

雑俳

Photo_2 雑俳というのは、辞書で調べると・・・、〔雑体の俳諧の意〕前句付け・笠付(冠付)け・沓付け・折句など、多様な短詩形の庶民文芸の総称。
もっぱら機知を楽しむ点に特色がある。
江戸中期から用いられた語。

落語の「雑俳」は、滑稽な言葉遊びがどっさりの、落語らしい落語だと思います。
落語の入門としても、なかなか良い噺だと思います。
先日の「復興出前寄席」で、ぴん吉さんが楽しくやっていました。
八五郎が横町のご隠居のところへ遊びに行き、茶飲み話をしているうち、ご隠居さんがこのところ俳句に凝っていることを聞かされる。
「俳句なら私もやったことがありますよ」という八五郎に隠居は不審顔で「本当かい?どんな句を詠んだんだい」と訊ねる。
得意になって語り出す八五郎によれば「蛙(かわず)」という題で詠んだ句が「がまぐちを忘れて何も買わずかな」。
「朝顔」という題では「朝、顔を洗うは年に2・3回」。
「めじろ」という題では「JR目白の次は池袋」。
「春雨」という題では「船底をがりがり囓る春の鮫」という句を詠んだと胸を張る八五郎。
隠居はあきれ果てるが、「お前のような人間は狂歌が向いているかもしれない」と面白い狂歌「山王の桜に猿が三下がり相の手と手と手手と手と手と」を教える。
八五郎が面白がって狂歌をそらんじていると・・・。
この噺で覚えた面白い句も多くあります。
「月月の月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」だとか・・。
言葉遊びは本当に楽しいものです。

2011年7月20日 (水)

「ホテル観洋」でのイベント

我々がお邪魔した「ホテル観洋」で先週行われたおもな復興イベントは、以下のようだったそうです。
・・やはり音楽関係のものが多いようです。
5階ロビーでのイベントが多いのは、大勢の避難者や工事関係者などが、三々五々集まることが出来ることと、スペースが十分広いことからでしょう。

【12日】
09:00~18:00(場所:6階ホワイエ)「カットサービス」
18:00~20:00(場所:5階ロビー)「JAZZライブ」
【14日】
10:00 ~   (場所:5階ロビー)「編み物教室」
10:30~11:30(場所:4階浦島)「ヨーガ」
13:00~14:30(場所:5階ロビー)「フラワーアレンジメント」
【15日】
13:00~14:30(場所:5階ロビー)「オペラコンサート」
16:00~18:00(場所:5階ロビー)「音楽コンサート」
【16日】
10:00~15:00(場所:6階ホワイエ)「マッサージ」
11:00~13:00(場所:6階ホワイエ)「歯科相談コーナー」
13:00~14:00(場所:5階ロビー)「アマチュアジャズコンサート」
13:00~15:00(場所:5階談話室)「映画鑑賞」
19:00~20:00(場所:5階談話室)「小山田壮平ライブ」
【17日】
14:00~16:00(場所:5階ロビー)「音楽ライブ」

16:30~17:30(場所:5階ロビー)「落語」~復興出前寄席

Photo_5ところで、この平和な海が牙を剥いた時のことを、この
ホテルの従業員の方が語っているのですが、地震の揺れがやんだ10分ほど後に、海面が黒いことに気づいたそうです。
「養殖のワカメかと思ったら違った。水が引き、海底の黒い岩肌が見えていた。」・・・。
また、一旦引いた水が戻って来た時の光景を、ある住民の方は、「波が入り江で高さ20~30メートルの高さになった。」「黄色い煙が上がり、壁のような黒い波が迫って来た。」と語っています。
女将さんは、「このロビーからも、津波が近づいてくるのが目に入りました。ただ、せいぜい水位が上昇する程度としか感じず、ここまで津波は上がってこないと思いました。」
「しかし、その後、町の方から黄色い土煙が上がりました。何が起きたのかは分かりません。ただその土煙を見ながら、為す術がなかった。被害がないことを、ただ祈るばかりでした。50年前の出来事が脳裏をかすめました。」と仰っています。
そして、あの日から、宿泊客から従業員、住民、復旧作業員の方々が、肩を寄せ合うようにして暮らして来て、いつしか強い連帯感が生まれていったそうです。
「町を復興しなければ、人々がこの地を去ってしまう。そうなったら、ホテルも会社も商店も、すべてが意味をなさなくなる。」
ホテルに集う人々は、自分だけで生きてきたわけではないことを改めて知ったそうです。 そしてこのホテルは、町の復興に携わる人々が集散する「復興の拠点」になったということでしょう。

東北六魂祭

東北の誇り高き魂をもう一度奮い立たせ、まだまだ続くこの試練の時を乗り越えるために。
この夏、宮城県仙台市で開催される史上初の祭典、それが東北六魂祭だ。
各県を代表する6つの祭りの魂がひとつになることで、災厄を吹き飛ばす。
そんな願いを込めて命名されたこの祭りに登場するのは、「青森ねぶた祭」、「秋田竿燈まつり」、「盛岡さんさ踊り」、「山形花笠まつり」、「仙台七夕まつり」、「福島わらじまつり」の東北6大祭り。
勾当台公園市民広場を中心とする会場では、祭りのステージパフォーマンスのみならず、
東北各県の名産品が勢ぞろいする物産展も開催される。

・・・という訳で、7月16日(土)・17日(日)の2日間で開催されたイベントです。
「東北三大祭」っていうのは、昔から知っていましたが、倍に増えたんですね。
恥ずかしながら、「盛岡・・」と「福島・・」は、知りませんでした。
新聞記事を読んでみると・・・、Photo_6
仙台市に東北6県の夏祭りが一堂に集まった「東北六魂(ろっこん)祭」は、16、17両日で予想の3倍以上の人出となった。
初日はパレードの一部が中止になり、コースを縮小した17日も予定を変更する事態に。東日本大震災からの復興を願うイベントは、運営面で大きな課題を残した。

17日のパレードは、当初の計画を変更して、会場となる「定禅寺通」の東向き車線だけを使い、西向きの車線を観覧スペースとして開放して実施した。
実行委員会は当初、1日当たりの来場者数を5万人と予想していた。
毎年8月に開かれる仙台七夕まつりのパレード「星の宵まつり」で訪れる2万人という実績を元に算定した。
「今回は6県の祭りが集まるので、その2.5倍を見込んだ」(実行委)という。
しかし、16日は13万3千人、17日は23万3300人と、結果は予想の3.6倍だった。
当初は秋に音楽祭やフリーマーケットをメーンイベントとして開く構想だったが、東北の夏祭りを一堂に集める構想となり、開催時期も秋から夏に前倒しになった。
少しでも早く自粛ムードを払拭(ふっしょく)したいという思いに加え、「本番に向けたPRの場にしてもらいたかった」(実行委関係者)という思惑があったという。

仙台市長は「今の東北を応援しようという気持ちが多くの人にあることが分かり、感動した」とする一方で、「応援を運営面で支えきれなかったことは、反省しおわび申し上げたい」と謝罪した。
その心意気やよしですが、そもそも杜の都で街路樹が自慢、七夕祭りは静的なお祭りで、そんな仙台の街に、大掛かりな「ねぶた」や「竿燈」がすいすい動ける訳がありません。
かなり無理があつた気がします。
ましてや、なかなか行くことのできない東北のお祭りが、仙台で全て見られるなら・・・、そりゃあ人は集まりますよ。
でも、東北の人たちの気持ちは、大切にしたいと思います。

花色木綿

会場
「それで、肝心の噺の方はどうだったんだい。碌に稽古もしなかったから・・。」と尋ねられるかもしれませんので。
0811625b そうなんです。
当然、現地で直前に稽古など出来るはずもなく、あの(当日の朝風呂でのおさらいの)ままの状態で臨んだ訳です。
会場が広いホテルのロビーですから、大道芸に近い状態です。
ですから、噺の緻密さを出すよりは、声の大きさとはっきりした言葉に心がけて、いつもより声を張り上げてやりました。
こういう滑稽噺は、その時々の観客の反応によるところ大なので、人情噺よりも難しいと思います。
「それが親分大笑い」と言っても、なかなか笑い声は聞こえず。
いつもより余計に羊羹を頬張っても拍手はもらえず・・・。
「金の鍔とは安くないな」「ええ、ひとつ10円」と言っても、「裏が花色木綿」と言っても・・。
それでも、何とかオチまで辿り着くことが出来て、高座を降りて時計を見ると5時10分。
所要時間はぴったり20分でした。
ご依頼どおり、3人の出演で1時間ということで、ぴったり時間通りに終えられたので、企画をしてくださった方々から驚かれ、拍手が起こりました。
これで、放送局への出演も大丈夫ですね。
「花色木綿」は、ぴん吉さんの持ちネタでもあるそうですから、いつか「競(共)演」してみたいと思います。
そうそう、あの「名人寝蔵」師匠もお演りになるそうですから、「リレー花色木綿」というのも面白いかもしれません。
ところで、「花色木綿」てどんな物なのでしょうか。
布団の裏に使われるような木綿の布なのでしょうが、この「花色」というのが曲者です。
以前ちょいと調べたことがありましたよ。
「花色」という伝統的な色名があります。
この「花色」とは、どのような色を指すのでしょうか

ツバキや紅梅のような「赤」でしょうか?
菜の花やヤマブキの花のような「黄」でしょうか? 
それともショウブやアヤメのような「紫」でしょうか? 
実は「花色」は「青」を指す色です。
では、なぜ「花色」が「青」なのでしょうか? 
その由来には2説があります。
一つは「露草」の花の色のような「青」だという説です。
しかし、露草の青は水に流れやすいので、実際の花色の染色は露草で行われていたわけではありません。
青の代表的な染料である藍染めによるものが多いのではないかと思われます。
さて、もう一つの説では「花色」は「はなだ色」のことであるとされています。
この「はなだ色」は、漢字では「花田色」あるいは「縹色」と表記されます。
この説では、「花色」はこの「花田色」が省略されて「花」と呼ばれたことに起因するとされています。
いずれにしても「はなだ色」あるいは「花色」と呼ばれる色は、もともと藍染めによる青で、よく知られている「紺」よりもやや明るい青を指します。
藍染めの色なら、庶民の間でもよく使われていたような色ですから、「花色木綿」という落語にも登場して来るのでしょう。

2011年7月19日 (火)

アクセス累計14万件

気がつけば、本ブログへアクセスしていただいた件数が14万件を超えていました。
まことにありがとうございます。
週末に仙台に行った際に、桂友楽師匠が、(実は友楽師匠はパソコンそのものをやっていないのですが)ご友人にこのブログを読んでくださった方がいらっしゃるようで、「あいつは寝る時間がないんじゃないか?」と言われたそうで、「お前、いつも何時ごろ寝て、何時間ぐらい寝てるんだい?」と、尋ねられました。
「適当にやって、適当に寝ています。」とお答えしましたが。
Photo我が「落語徘徊」は、ますます文字通りの「徘徊」・ダッチロール状態ですが、引続き独り善がりを楽しんで行きたいと思っています。
よろしければご愛読のほどを。 o(_ _)o  m(_ _)m

賀千家ぴん吉さん

復興寄席in<br />
 南三陸
「賀千家ぴん吉」さんは「がちやぴんきち」と読みます。
某テレビ局の幼児番組のキャラクター「ガチャピン」をもじった高座名なのだそうです。
「復興出前寄席」では、次のように紹介されていました。
宮城県仙台市出身。仙台市在住。東北大学落語研究部OB。
平成8年、河北新報社主催「東西お笑い競演会」優勝。
就職後、登米市を中心に「出前寄席」活動をする。
持ちネタは「雑俳」「花色木綿」「子ほめ」「寿限無」「天災」など。
古典落語以外に「結婚式風景」など新作も若干手がける。
宮城県随一の進学校の現役の国語の先生で、水泳部の顧問です。
持ちネタを拝見すると、「子ほめ」「花色木綿」は、私と重なります。
こういう頼もしい後輩がいると、我が落研も安泰だと思います。
11月の「お江戸OB落語会」では、開口一番でご出演していただきます。

また手拭い

先日の仙台出張の時に、また手拭いを買ってしまいました。
「宮城野萩」と「竹に雀」の2種類。
これは、「ねずみ」を演る時に使おうという訳。
南三陸町にも持って行きました。

窓門会から

窓門会から
圓窓一門の「窓門会」からのDM。
今回は、7月22日の「三遊亭圓窓一門会」と9月24日の「落語とピアノのエンソウ会」のチラシと、萬窓さんの池袋演芸場場での会の案内葉書。

2011年7月18日 (月)

ぴん吉さんから

賀千家ぴん吉さんから、ご丁寧なメールを頂戴しました。
乱志師匠
昨日はありがとうございました。
狭い車内での長旅、さぞやお疲れのことであったろうと存じます。
ご慰労方、仙台名物’最高級’牛タンでもお振る舞い申し上げたいところですが、それはまたこの次、お時間があるときゆっくりということで、ご了承いただければと思います。
Photo_4今回の復興寄席は大変貴重な経験となりました。
南三陸の被害状況や500人規模の避難所の実情を自分の目で確かめることができましたし、また、避難所の方々と直接接することで、避難所で暮らす(あるいは働く)方々の、何と言いましょうか、にじみ出る空気のようなものを感じとることもできたように思います。
前回ボランティアで訪問した「福室市民センター」とはまた違った雰囲気があり、避難所毎に事情は違うのだということを改めて実感することができました。
また、尊敬する友楽・乱志両師匠と三人で一緒に出前ができたことも、かけがえのない経験となりました。
次回またこうした依頼がありましたら、是非ご連絡させていただきたく存じます。
それではまたお会いできることを楽しみにしております。私も11月の東京OB会に向け、ますます稽古に勤しもうと思います。
ありがとうございました。                賀千家ぴん吉
復興寄席in<br />
 南三陸
ぴん吉さんには、お許しを得ず、いただいたメールの文をほとんどそのまま載せてしまいました。
ごめんなさい。
私も全く同じようなことを感じましたし、貴重な経験になりました。
次に「牛たん」をご馳走してくださるそうですから、楽しみにしていることにしましょう。
ぴん吉さんのこと(個人情報?)は、また後日暴露して行きたいと思います。

また来るよ仙台

また来るよ仙台
仙台駅に着くとびっくり
今日の上りの新幹線指定席は全席満席だという・・。
ええっ〜座って帰れない
駄馬師匠と待ち合わせしていましたが、立ち話をさせていただいただけで失礼して、何とか自由席に潜り込むことに成功。
おかげで、お土産や弁当を買うことも出来ませんでした。
ちょっと読みが甘かった。
「東北六魂祭」なんていうイベントなど知りませんでしたから。
帰りは「やまびこ」の自由席。
新幹線は、仙台駅を発車して数分後に「名取川」を渡りますが、この一見何の変哲もない川が、あの日は大変な状態だったんです。
「また来るよ」と呟きながら、我が第2の故郷を離れました。
宇都宮を出たあたりで、私が乗っている6号車の冷房が故障してしまい、大宮あたりまで蒸し風呂状態だったというのもごちょっとしたご愛敬で、今回の旅の締めくくりとして良い思い出になりました。
私なりの「がんばれ日本」「がんばれ東北」の旅でした。

仙台の朝

仙台の朝
ホテルの部屋で、逞しい「なでしこ」の快挙を応援して、その後のニュースを一通り見て、帰途に着こうとチェックアウト。
やっと予約して宿泊出来たホテルですが、宿泊客の多くは、復興のために滞在している工事などの方々が多いようです。
どうも、いつものビジネスホテルとはフロントの雰囲気が違いました。
着物を入れたいつもの黒いバッグはちょっと重いですが、広瀬通り国分町から、一番町・中央通りを歩いて仙台駅に向かいます。
バッグを肩にかけて怠惰に歩く快感は、今朝も感じました。
ところで、仙台では、一昨日と昨日は、「東北六魂祭」と銘打った、復興イベントで大混雑していたようです。
仙台で青森の「ねぶた」や秋田の「竿燈」が見られたという。
朝の一番町はまだ涼しく、人出も多くはありません。
こんな仙台は・・、やはり私のかけがえのない故郷の街です。

2011年7月17日 (日)

一路仙台へ・・

帰りの車中でも、落語のこと、地震のこと、色々な話題に花が咲きました。

今回の震災は、大津波と原発の被害が極端ではありますが、地震そのものの被害も、海岸近くだけでない地域でも、甚大な被害に見舞われたということ。
インフラが復旧するまで1~2ヶ月もかかったこと。
実は、3月11日の地震よりも、4月7日の余震の方が、地震の被害は大きかったとか・・・。
問わず語りに、友楽さんやぴん吉さんが話す体験は、これまた凄まじいものでした。
食糧や水を求めて長蛇の列に並んだ苦労、ガスや電気の復旧までの不便と不安の日々・・・。
一方で、二人とも、昨日は「新選落語会」という、地元の人や東北学院大の落研OBの方とやっている会があり、しっかり高座を勤めていること等々・・・。
OB会の仙台と東京との連携を強化しようとか、私ももっと仙台で落語をやりたいとか、落語への熱い話題にもなりました。
ぴん吉さんに、ホテルの前まで送っていただき、11月の再会を約束して、お二人と別れました。
「南三陸プロジェクト」は無事に有意義にお開きになりました。

平和な海を見ながら

「ホテル観洋」の女将さんにご挨拶することができました。
「復興出前寄席」がはねてから、女将さんとMさんとKさんと我々で、記念写真を撮っていただきました。
平和な海
早速ツイッターに展開するんだとか。Photo_3
女将さんのご苦労の一端や、街を愛する熱い気持ちを聞き、大きなものを学ばせていただいた気がします。 
お客さんは必ずしも多くはありませんでしたが、「生の落語を初めて聴きました」「落語に初めて触れて、子どもが喜んでいました」なんていう感想も頂戴したようです。
女将さんのご好意で、何と、大浴場を使わせていただき、MさんとKさんに食事をご馳走になったり、ボランティアの風上に置けない待遇を受けてしまいました。
高座から、ロビー越しの海、その先の志津川の街を見ながら、いつもとは違う、楽しい高座を勤めさせていただきました。 
平和な海
「ホテル観洋」は、本当に不思議な空間でした。
生活の場、復興のための宿舎、一部の本来のホテルの宿泊客・・・。
トイレに入って来た若い人が、明るい声で「こんばんわ」。
私も思わず「こんばんわ」と答えました。
どうやら地元の人らしい。
観光ホテルのトイレで、見ず知らずの人と挨拶を交わしたしたことがありますか?
ここは日本なんです。日本人なんです。
みんな元気に生きて行くんです。
       平和な海
・・・海鳥に見送られて南三陸町を発ったのは、もうすっかり暗くなった7時半ぎになってしまいました。

「復興出前寄席」in南三陸

定刻の午後4時30分の10分前に「一番太鼓」、5分前に「二番太鼓」。
「Kさん」が、通る方々を誘ってくださっています。
場所は、ロビーのオープンスペース。
音楽のライブや民謡やカラオケをやっている場所です。
  ◇ 雑俳        賀千家ぴん吉
  ◇ 花色木綿     金願亭乱志
  ◇ カラオケ病院   桂友楽
復興寄席in<br />
 南三陸
トップバッターのぴん吉さんが、出囃子「まかしょ」に乗って高座へ。
お客さんの入りはちょいとさびしい状態ですが、めげずに元気よく。
「雑俳」といえば、「春風亭柳昇」師匠ですが、やはり音源にしているそう。
「相の手と手と・・・・・」と、グッーっと盛り上げて、降りてくれました。
さて、いよいよ私の出番です。
出囃子は、最初は圓窓師匠の「新曲浦島」を考えていたのですが、会場の雰囲気から、賑やかな、「柳家さん喬」師匠の「鞍馬獅子」に変更しました。
この出囃子は、途中のドッドドォンという太鼓の音が好きなんです。
数も少ないし、すわっている場所もバラバラだし、何と言ってもパブリックスペースですから、一層大きな声で、派手にやらなくてはと、かなり声を張り上げてやってみました。
約30名ぐらいのお客さま。
お年寄りも、中年のご夫婦も、子ども連れの親子もいます。
反応は今一歩ですが、何となく遠慮がちな笑いが感じられます。
途中、玄関からフロント辺りがざわざわして、多数の人が出入りした感じがしましたが、後で聞けば、町長さんが来たんだとか。
あの電柱だか通信塔だか何かに掴まって九死に一生を得、それがニュースで流れて有名になった町長さんだそうです。
こんながやがやするところが、いかにも避難所らしくていいじゃないですか。
でも、高座ではそんなことも知らずに、必死で「裏が花色木綿」。
復興寄席in<br />
 南三陸
私が降りたのがちょうど5時10分でした。
ぴん吉さんと二人で40分。あと20分です。
友楽師匠は、当然「野崎」で上がります。
「カラオケ病院」も、「春風亭柳昇」師匠のネタです。
友楽節が炸裂して、ちょうど5時30分にはねることができました。
「追い出し太鼓」を流して「ありがとうございましたぁぁぁ」。
・・・どうだったんだろう。まぁ、こんなものでしょうか。

「復興出前寄席」の楽屋?

楽屋?
色々な場所で落語をやらせていただき、トイレやら、舞台の袖やら、圓窓師匠と初めて共演させていただいた時は高校の廊下の突き当たりやらで着替えをしましたが、今回は何と男湯の脱衣場でした。
考えてみれば、服を脱ぐことに関しては全く違和感はないし、ほどほどの広さですし、これはありかもしれません。
とはいえ、夕方になって、入れ替わり立ち替わりで入浴に来る方々もいて、ちょっと異質な集団だったかもしれません。
不謹慎にも、「ちょいとひとっ風呂浴びたいなぁ・・」なんて、能天気な会話を交わしながら着替えます。
友楽師匠は浴衣で、ぴん吉さんは着流しで、私だけが単衣に羽織といういでたち。
友楽師匠がトリですから、「私も羽織は止めましょうか」と言うと、友楽師匠が「気にしないで羽織で出たらいいよ」と仰ってくださったので、汗だくで羽織を着けました。
脱衣場の籠に掛けた紋付の羽織というのも、なかなか乙ではありませんか・・・。

会場入り

会場
会場の「ホテル観洋」で、今回の「復興出前寄席」に色々ご尽力いただいた、ぴん吉さんの知人の「Mさん」と、そのまたお知り合いの「Kさん」にご挨拶。
様々な人が、それぞれの強い思いで、真剣に復興に取り組んでいる姿を垣間見る思いでした。
我々にも、隅々までお気遣いしていただき、かえって恐縮してしまいます。
会場 会場
何と、めくりやチラシまで準備してくださいました。
被災地を見て、こんなめくりなどを見て、3人はますます緊張。
持ち時間の1時間を、しっかり勤めなくてはいけません。
ホテルのスタッフの方も、マイクのセッティングや、出囃子の打ち合わせやら、本当に献身的な姿に、ぐっと来るものを感じました。

会場「ホテル観洋」

会場入り
我々の落語慰問の会場は、南三陸町随一の観光ホテル「ホテル観洋」です。
志津川湾に面した小高い場所に建っている立派なホテルです。
先ほど見て来た志津川の街から湾を少し回り込んだ所にあります。
  http://www.mkanyo.jp/ 
  http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/
ロビーから一望する志津川湾の絶景。
向こう側に見えるのが志津川の街です。
とても、あの廃墟のようになっているようには見えません。
海鳥が飛び遊ぶ海は、どこまでも青く、静かな平和な佇まいでした。
会場入り
あの日、この海が突然牙を剥いて襲って来たのですが、とても想像できません。
会場入り
「ホテル観洋」の女将さんは、地震の時には、ちょうどこの景色を見ながら、ロビーで接客をしていて、海が盛り上がり荒れ狂うのをご覧になっていたそうです。
      会場入り 
このホテルには、数百名の方々が宿泊しているそうです。
被災者の方々、警察や復旧のために働いている人々が、協力しながら、励まし合いながら生活をしているようです。
図らずもこの建物が果たした(貢献している)部分は、非常に大きいと思います。
聞けば、つい先月末頃まで水が不足し、飲料水や風呂の水もままならず、トイレはずっと仮設だったそうです。
その名残りか、蠅が何匹か飛んでいました。
綺麗で風光明媚なホテルは、この街の復興の拠り所でもあり、シンボルのような存在です。
このホテルがあって、無事に残っていて本当に良かった。
避難している土地のお年寄りや子どもたち、警察関係の方々、町の関係者等々が、明るい表情で、一生懸命に前を向いていました。
さあ、果たして我々は何かできるのでしょうか?

惨状

震災から4ヶ月が過ぎても、街は果たしてどのように復興して行くのか、私には見当もつきません。
廃墟のようになってしまった街に立ち、何か現実離れした感覚、何か虚構の中にいるような気がしました。
これは現実なのだろうか・・・。
 惨状 惨状
折れ曲がった電柱や鉄骨、ぺちゃんこになった自動車、建物の基礎と道路だけが残り、建材や木材などが散乱・山積している・・・。
        惨状 
        惨状
小高い山を見ると、山裾で木が枯れているところがある。
きっと、波はあそこまで達したのだろう・・・。惨状
3月12日、確かに、筆舌に尽くしがたい惨禍が、本当に起こったのです。
この未曽有の災害に遭った方々が避難している場所に向かうのに、正直なところ、ますます心が重くなりました。
我々は何ができるのだろうか・・・。

被災地

被災地
津山から峠を越えて下ると、警察の車両と何台もすれ違うようになり、道沿いに瓦礫が見えるようになりました。
         被災地
志津川の街に入って・・。本当に街がなくなっていました。
志津川病院も変わり果てた姿になっていました。
         被災地
         被災地
地元の方々の心中を察して、友楽師匠とぴん吉さんと3人、改めて緊張して来ました。
あの日、本当に悪夢が現実になっていたんです・・。

仙台から登米へ

登米市「道の駅津山」
仙台駅では駄馬師匠が出迎えてくださいました。
暫くお茶を飲みながら情報交換をして、待ち合わせ場所の仙台駅東口へ。
既に、友楽師匠とぴん吉さんが待ってくれていました。
駄馬師匠に見送られて、ぴん吉さんの愛車に乗せていただき、一路南三陸へ。
仙台東部道路から三陸道を経て登米市に入ります。
地震の爪痕は分からないまま、平和な田園風景の中を順調に進み、登米市津山。
「道の駅津山」で一休み。
南三陸町までは峠を越えてあと30分ぐらいのようです。

今日もチキン弁当

今日もチキン弁当
やはり「チキン弁当」を買ってしまいました。
濃い味な「お〜いお茶」と一緒。
今日は、先日の出張の時の冷房の寒さはありません。
花の色は移りにけりな・・、「こまち」は北へ向かいます。
チキン弁当を乗せて。

東北新幹線

新幹線 新幹線
上野で東北新幹線待っています。
今日は「はやて・こまち161号」で、仙台まで約1時間45分の旅。
3連休中で、ほどほどのこみ具合です。

故郷の訛り懐かし

故郷の訛り懐かし
"故郷の 訛り懐かし 停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く"
故郷でもないし、訛りもありませんが、何となくそんな気分になっているようです。
行くのではなく、帰るという気分。
間もなく杜の都に行く列車が入って来ます。
尤も、今日は「こまち」に乗りますが。

出発

出発 出発 出発
「時蕎麦」の間抜けな人のように、随分早くに家を出て、駅に向かいます。
途中の市役所のあたりから見上げる空は雲一つなく、もう30℃近くになっているのでしょう。
予報では、熊谷あたりは38℃だとか。
仙台でも33℃以上になりそうです。
暑い1日の始まりです。
着物などを入れた黒いバッグが肩に食い込みます。

落語はやおき亭

南三陸に出かける朝も、ラジオでの落語は欠かせません。
  ◇ おとうさんのハンディ     三遊亭歌之介
なんだ、この間の「三越納涼寄席」で聴いた、歌之介さんのオリジナル。
・・・さて、そろそろ出かける支度をしないと。

朝稽古

結局、昨日まで稽古は、しっかりやり(やれ)ませんでした。
本当に窮鼠の心持ちで、朝風呂に入って、「最後に、とりあえずおさらいだけはやっておこう」と。
風呂は、お湯の温度も汗をかかない程度になっていますから、気持ちはよいのですが・・・。
・・・出来は微妙、
あとは自分の中にある(であろう)「火事場の馬鹿力」に期待するしかありません。
もうなるようにしかなりませんね。
「大家さん、この裏も花色木綿・・」。

落語でデート

日曜日の朝の恒例。
  ◇ たぬき    古今亭志ん生
元気な頃の録音で、よく受けています。
「たぬき」も、お札に化ける部分はポピュラーですが、鯉に化けるのは珍しい。
この2つを演っています。
ゲストの若い女性タレントさんには、英語の聴き取りのようだったと言われていましたが、そうなんでしょうねぇ。
私にとっても、志ん生師匠はおじいちゃん世代ですから。

明日の支度②

明日というか今日の南三陸町行きの支度は、当然着物から。
暑いので、浴衣という選択もありましたが、やはり単衣の着物にしました。
それから羽織。Rimg0003
次は、ちょっと細めの青い帯。
扇子は、(骨が)白いのと黒いのと2本。
手拭いは、使う使わないを決めていませんので、数枚鞄に入れました。
萩・竹がそれぞれ2種類と"竹に雀"・・・。
その時の気分で決めようと思います。
そうそう、ぴん吉さんから依頼のあった出囃子のCDも入れました。
あ、羽織も持って行かないと・・。
・・これでよぉし、準備完了。

昭和の名人出囃子CD

小学館の「落語昭和の名人完結編」を全巻予約した特典のCDが届きました。
録音は早くから完成していたのですが、震災などの影響もあったようです。

2011年7月16日 (土)

朝日名人会

  
今日も暑い。
朝日名人会は、いつものとおり全席完売の大盛況。
 ◆ 鷺とり       金原亭小駒
 ◆ 麻のれん     入船亭扇辰
 ◆ 高砂や       柳家花緑
 ◆ おすわどん    桂歌丸
 ◆ 船徳        柳家さん喬
連日の暑さと寝不足から来る夏バテからか、仲入り前までは、半分意識がありません。
歌丸師匠は十八番の噺ですが、さほど大きな噺でもありません。
さん喬師匠の「船徳」も、トリをとる噺かなぁ・・。

「桂文治」発見!

桂文治発見!
土曜日の夕方、地下鉄銀座線日本橋駅ホーム。
帽子に、着なれた涼しげな着物姿。
見れば「桂平治」さんでした。
普段からいつも着物でいる噺家さんですから。
手には大きな紙袋、寄席や落語会帰りではなく、買い物帰りかもしれません。
大名跡「桂文治」襲名が決まっている折、その準備でしょうか?
(な訳ないか・・。)

明日の支度

明日の支度
明日の支度のはじめに散髪をと、行きつけの床屋さんへ行くと、何と「臨時休業」と貼り紙がされていました。
仕方がないので近所のもう1軒の床屋さんへ。
今まで10年の間に2〜3度行ったことのある床屋さんです。
たまに別の床屋さんにやってもらうと、随分違いますね。
髭のあたり方だって違いますよ。
いつもの床屋さんは、血液型で言えばO型だということが、今回A型の床屋さんにやってもらって分かりました。
尤も、「(髪型は)いつもと同じで」とか、整髪料だとか、行きつけのお店は、説明が要りませんが。

2011年7月15日 (金)

東京落語会

   
午後6時開演の「東京落語会」はなかなか最初から聴くことが出来ません。
  ◆ 家族旅行作文    昔昔亭慎太郎
  ◆ 雛鍔          橘家圓太郎
  ◆ 西郷隆盛       桂竹丸
  ◆ お見立て        三笑亭夢之助
  ◆ 片棒          三遊亭竜楽
  ◆ 猫の災難       柳家権太楼
   
圓太郎さんは久しぶりでした。
竜楽さんも久しぶりでした。
権太楼師匠はお元気でした。
暑い、暑い、真夏の夜の贅沢な時間。
  

歩き稽古

得意の?歩き稽古をやろうと、勇んで電車を降りたものの・・。
この激しい暑さに負けてしまいました。

落語談義

会社の若手社員と雑談した時の話。
このA君は、シナリオライターを目指していたことがあるという青年。
以前に、私が落語を演っているという話題になり、私が「(乱志)オリジナルの噺を書いてくれよ」なんて、冗談半分に言い合っていたことがあります。
乱志:「(ほとんど冗談の乗りで)以前からお願いしている落語の台本の進捗具合はどう?」
A君:「そんなこと、仕事が忙しくて、新作落語なんて考えてる暇はありませんよ。」
乱志:「あれっ、人事担当責任者としては頼もしく思う発言だけど、また随分と邪険なことを・・。ところで今度さ、圓窓師匠創作の『救いの腕』っていう噺を演らせてもらうことになってさ・・・。」
A君:「へえぇぇぇ、どんなストーリーなんですか?」
乱志:「それはね、(・・とあらすじを説明)なんだよ。」
A君:「面白そうですね。ちょっと『佃祭』に似ていますね。」
乱志:「えっ?『佃祭』を知ってるの?嬉しいねぇ・・、この間の落研のOB落語会で演ったんだよ。」・・・・

「救いの腕」って「佃祭」に似てるかなぁ・・。
近くにかなり落語を知っている人がいることに気がつきました。
油断がならない・・・?

南三陸町

今度慰落語慰問にお邪魔する「宮城県本吉郡南三陸町」が、旧志津川町と歌津町が合併した町だぐらいは知っていますが、実はあまりよく知りません。
地震や津波の被災のイメージが強くなってしまっていますが、リアス式海岸の風光明媚な場所です。
宮城県の北東部、本吉郡の南部に位置し、志津川湾、伊里前湾に面する町。湾内には椿島、竹島、船形島、野島などの島があり、リアス式海岸特有の優れた景観を持つ。沿岸部一帯は南三陸金華山国定公園の指定を受けている。
西・北・南西は北上山地の支脈に連なっており、町土の70%以上は森林である。
リアス式海岸の地形的な特性から津波の影響を受けやすく、近世以前においては平安前期の貞観地震(869年)にともなう大津波など、近代以降では、1896年(明治29年)の明治三陸大津波、1933年(昭和8年)の昭和三陸大津波、1960年(昭和35年)のチリ地震津波によって大きな被害を受けている。
そのため沿岸部には防波堤や防潮堤、水門などが設置されている。
しかし2011年(平成23年)、東北地方太平洋沖地震によって被災し、特に大津波による被害は甚大となった。
この地殻変動は先の貞観地震以来1141年余りを経て繰り返された現象と見なされている。 また、この地殻変動によって当地域内の志津川地区の地盤は、水平方向に442cm、垂直方向にマイナス75.27cm移動したことが、GPSを用いた国土地理院測地観測センターによる分析の結果、明らかとなった。

2011年7月14日 (木)

電力使用率

東京電力の本日14時現在の電力使用率は86%です。
今日は、北日本を除き、各地で猛烈な暑さとなる見込みということで、気象庁が「高温注意情報」を発表し、熱中症に注意するよう呼びかけているそうです。
東北から九州地方にかけて、最高気温が35℃を超えると予想されている24都府県に「高温注意情報」が発表されているとのこと。
気をつけないといけません。

なでしこ

Photo

撫子(なでしこ)は、秋の七草のひとつ。
清楚な花ですよ確か。
大和撫子というのは、日本人女性への賛辞で、古来より美徳とされ来た、「清楚で凛とし、慎ましやかで、一歩引いて男性を立て、男性に尽くす甲斐甲斐しい」女性像を指すのでありますが・・・。
現代の蹴鞠をやっている乙女たちは・・・、逞しいですねぇぇ。 

仙石線で本塩釜・・

  仙石線で・・ 仙石線で・・
ちょっと時間があったので、JR仙石線に乗って、東(海側)の方に行ってみました。
1時間程度しかないので、「本塩釜」まで行って帰って来ました。
「榴ヶ岡」・「宮城野原」・「陸前原町」・「苦竹」・「陸前高砂」・「多賀城」と・・・・。
本塩釜駅は、海からやや距離もあり、震災後4ヶ月が経過していますから、一見したところでは、津波に襲われたことはあまり分かりませんが、駅は改修工事が行われていました。
       仙石線で・・ 
駅前にあった郵便ポストの上に魚が乗っています。
さすがに東北有数の漁港ならでは。
  仙石線で・・ 
仙石線の車内は、もう東京も東北もありません。
我々が学生だった頃は、山手線や京浜東北線のお下がりのような電車でしたが。
ただ、寒さ対策がメインだと思いますが、車内にドアの開閉スイッチがあり、乗降する人がいてもいなくても全開するような仕組みにはなっていません。
これって、冷房の効率を考えても「あり」だと思います。
昔のローカル線では、手で扉を開けていました。

五代目桂文枝

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「桂文枝」は、上方落語の名跡。五代目の死後、空き名跡となっている。
「桂文治」の名跡が東京に移ってからは、事実上上方桂一門の"止め名"となっている。
今度「桂三枝」師匠が襲名する「桂文枝」という名跡の大きさ。
五代目は印象深い師匠でした。
高い、張りのある声で、上方落語らしくない?上品な芸風の師匠でした。
「立ち切れ線香」なんてもう・・・。
「小糸ぉぉ、なんで死んだんや・・・」って。
5代目桂 文枝(1930年4月12日 - 2005年3月12日)は、大阪市北区生まれ。
終戦後大阪市交通局に就職するが、同僚でセミプロ落語家であった3代目桂米之助の口ききで、趣味の踊りを習うため、1947年に日本舞踊坂東流の名取でもあった4代目桂文枝に入門。
その後しばらくは市職員としての籍を置きながら、師匠が出演する寄席に通って弟子修行を積み、桂あやめを名乗り大阪文化会館で初舞台を踏む。
ネタは「小倉船」。
入門当時は上方落語が衰退していたこともあり、一時期は歌舞伎の囃子方(鳴物師)に転向、結核を病んで療養生活を送った後、落語家としての復帰を機に3代目桂小文枝を襲名、1992年には5代目桂文枝を襲名する。
6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、3代目桂春団治と並び、昭和の「上方落語の
四天王」と言われ、衰退していた上方落語界の復興を支えた。
亡くなって6年経つんですね・・。

2011年7月13日 (水)

青葉通りに香る葉緑♪

葉ずれさやけき杜の都・・・。
青葉通り香る葉緑 思い出は還らず・・・ 
       
今、仙台の街が最も美しい季節だと思います。
青葉通りのケヤキ並木は、あの頃のままです。
街はとても綺麗になりましたが。
 
仙台も真夏の暑さでしたが、東京よりは、いくらか凌ぎやすいかもしれません。
 
七夕祭りも間近、今年の七夕は感慨深いものになることでしょう。

仙台駅

仙台に降り立ちました。
新幹線の車窓からは、地震の爪痕のようなものは分かりません。
南仙台から名取川を渡ると長町。
そう、「ねずみ」の卯之吉坊やが客引きをしていたあたり。
名取川・・、こんな穏やかな川が・・・。この少し下流に、津波が押し寄せ水が逆流して来た訳です。
在来線方面を見下ろすと、長町駅の近くの鉄道沿いに、多くの仮設住宅が設置されているのが見えました。
仙台駅のホームは・・、確かかなりのダメージだったはずですが、やはり天井は配線や鉄骨が露出しています。
仙台駅 仙台駅
ただ、照明や店舗などは、全く地震を感じさせず、あの平和な仙台駅です。
仙台駅
駅の外観も、一部に工事用のシートが被っている場所は、改修工事を行っているのでしょうか?
              
ぺデストリアンデッキも、若者たちが屈託ない笑顔で歩いています。
・・・良かった。
少なくとも、わが第二の故郷仙台は、一応平静を取り戻している。

仙台へ・・・

昨年9月のOB落語会以来、約9ヶ月ぶりの仙台です。
この間に、あの東日本大震災が起こりました。
東京駅から「はやて」乗りました。
東京から仙台まで2時間足らずですから、L特急「ひばり」で上野から4時間以上かかっていた頃の半分の時間です。
 
「はやて」の車体に「がんばろう日本 がんばろう東北」と。
連結しているのは、秋田新幹線「こまち」。
駅の売店で、あの「チキン弁当」を発見。
思わず衝動買いの800円。
基本的には変わっていませんが、やはりいくらか垢抜けた感じです。
これも青春の味です。
 
仕事で行きました。

ぴん吉さんから

賀千家ぴん吉さんから、週末の慰問の件でメール。
当日、仙台から南三陸町までの道路が渋滞するといけないので、仙台出発を1時間早めることにしたということ。
仙台駅前を12時に出発ということです。
もともと、少し余裕をと、11時27分着の新幹線にしていましたので、十分間に合います。
・・・ということは、帰りも渋滞する可能性がある訳ですね。
ホテルを予約しておいて正解かもしれません。
ぴん吉さんからは、さらに出囃子のCDもリスエストされましたので、いつもの黒いバッグに入れて持って行こうと思います。
それよりも困っているのは、「花色木綿」の稽古をしなくてはいけないということです。

ウソ発見器

アジアの某国では、プロサッカーで八百長が問題になっているそうで、その取り調べのために「ウソ発見器」を導入するという話があるようです。Photo
日本では「ウソ発見器」などというものを使っているのでしょうか・・・?
人間の生理現象の変化から被験者が嘘をついているかどうかを判定する装置である。
一般に嘘を見破る装置といわれているが、人間の精神を調査する装置として性的嗜好や精神病の判定にまで広く使用されている。

いなせ

Photo

いなせ(鯔背)とは、〔江戸時代、江戸日本橋魚河岸の若者が髪を鯔背銀杏(いなせいちょう)に結っていたことから〕粋で威勢がよく、さっぱりとして男らしいさまや、そのような気風を言います。
この語源は、江戸日本橋魚河岸の若者の間で流行した髪型に由来する。
その髪型は、魚のイナ(ボラ)の背に似ていることから、「鯔背銀杏」と呼ばれた。
そこから、魚河岸の若者(鯔背銀杏を結った若者)のように、粋で勇み肌の者を「いなせ」と呼ぶようになった。
「帰す」「行かせる」などを意味する「いなす(往なす)」の名詞形とする説もあるそうです。

圓朝まつり「奉納落語会」

「圓朝まつり」のメインイベントでもある「奉納落語会」。
【第一部】 
   「昔の名前で出ています~志ん生がつけていた芸名」
     ◇ 安兵衛狐      隅田川馬石
     ◇ 狸賽         柳家甚語楼
     ◇ たがや        古今亭志ん馬
           ◇ 死神         金原亭馬生
【第二部】
   「全生庵物語 圓朝と鉄舟」
     ◇ 次郎長と鉄舟   宝井琴調
     ◇ ゆれるとき     三遊亭圓窓
                  (三遊亭圓窓作)
早速、葉書でそれぞれ申し込みました。Pdrm
今まで、この奉納落語会の抽選には、3度ぐらい当たっています。
いつもプラチナチケットですから、実は、師匠が出演される第二部は、4通出しました。
いくらか当選確率が上がるかと思い・・・。
「ゆれるとき」っていう噺、どんな噺なのか、今度の稽古会の時に師匠に尋ねてみよう・・。

落語会の案内


色々な噺家さんから、自身の落語会のDMが届きます。
なかなか日程が合わず、行けないことが多いのが申し訳ないことが度々です。
不義理ばかりしていても、義理堅く知らせてもらい、これまた申し訳なく思います。

2011年7月12日 (火)

六代目桂文枝

「桂三枝」師匠が、六代目の「桂文枝」を襲名するそうです。
襲名は至極順当ですが、67歳での大看板誕生ということですね。
色々な方面・分野で、三枝師匠の落語界全体への貢献度は極めて高く、大変おめでたいことです。
後は・・・、「笑福亭松鶴」の復活が待ち望まれます。
落語家の桂三枝(67)が、来年7月16日に上方落語の大名跡「桂文枝」の六代目を襲名することが11日、わかった。
三枝は所属事務所を通じて「上方落語の大看板・文枝の名に恥じぬよう、命がけで、一層の精進をしてまいります」とコメント。
69歳の誕生日を迎える同日より、大阪・なんばグランド花月を皮切りに『三枝改め「六代桂文枝」』襲名披露興行を行う。
2005年に他界した五代目桂文枝の7回忌である今年、上方落語協会会長も務める総領弟子の三枝が一門の総意で襲名を決意した。
1966年、関西大学在学中に桂小文枝(五代目桂文枝)に入門。
翌年、ラジオの深夜番組で若者からの人気を獲得し、68年にはテレビ番組の司会に抜てき。
81年には創作落語を定期的に発表するグループ・落語現在派を旗揚げし、これまでに220作以上の作品を発表している。
桂文枝の名跡は明治初頭、初代文枝が人気を博し、十八番の演目「三十石」を質入れしたことが話題に。
二代目は「桂派」として活躍し、大阪市内に桂塚を建立した。
三代目桂米朝(85)、三代目桂春団治(81)、六代目笑福亭松鶴(故人)と共に「上方落語四天王」と称された五代目文枝は、衰退していた上方落語の復興を支え、総領弟子の三枝のほか桂きん枝(60)、桂文珍(62)らを育てた。
今回の襲名に際し、春団治は「総領として師匠の名前を継ぐのはたいへん名誉なことです。四天王のひとつであります文枝の名前が復活することを非常に喜ばしく思っております」と松竹を通じてコメントを寄せた。

避ける・逃げる・往なす


ここから下に家を建てるな・・・・。
先人の教えを守った住民は、震災の災禍に遭わずにすんだ。
万里の長城と言われた堅固な防潮堤を誇っていた街が全滅した。
人間の自信は完膚なきまでに叩きのめされました。
自然と人間との関係・・・。
日本人は、何かにつけて自然と共存して来ました。
自然に猛威に対しては、挑むではなく、防ぐのではなく、ある意味謙虚に、避ける・逃げる・往なすをベースに生きながらえて来た訳です。
自然へのチャレンジと畏怖は、西洋医学と東洋医学のようです。
落語の精神も、これと同じものが流れている感じがします。
「往なす」という言葉が絶妙ですね。「いなす」と読みます。
相撲の技にも、"いなし"というのがありますよ。
【往なす・去なす】
攻撃を簡単にあしらう。また、自分に向けられた追及を言葉巧みにかわす。
相撲で、急に体をかわして、攻撃に出ている相手の体勢を崩す。
和服の襟を後方に押し下げる。襟をぬく。
去らせる。行かせる。
実家に帰す。離縁する。
ばかにする。悪口を言う。
・・・そうか「いなせな」という言葉もここから来ているのかもしれない。
自然に抗わずに、自然に身を任せながら生きる。
自分の今、自分の境遇を受け入れて生きる。
自分のためだけでなく、みんなで平和に生きる。

ちょっと疲れてる・・?

大相撲の本場所が名古屋で始まっています。
力士の真剣なぶつかり合いをと、当たり前のことを前面に押し出しているのは、何か滑稽な感じもします。9454282
今場所の目玉のひとつが、某ポンコツ大関の、あと1勝に迫った幕内最多勝だとか。
芸の世界に「長生きも芸のうち」ということばがありますが、相撲も芸なのかな?
しかし、スポーツには、芸道にも、引き際の美学もありますから・・。
おっと、最近は政治の世界でも「長生きも・・」というおバカがいますね。
頑張っているかもしれませんが、「中年の星だ」なんておだてるからいけません。
中年には、中年が輝く場所というものがあります。
連敗して記録達成が出来ない本人が「少し疲れている」ですって。
まだ本場所2日目ですよ。なんで疲れてるの?
お相撲さんて、本場所のために身体を作ってなんぼでしょ?
プロとしても、興行としても、実におかしなコメントですねぇ。
本人も取り巻きも変です。

学士会会費

学士会会費
学士会の年会費を払わなくてはいけません。
最近は、コンビニでも支払い可能で、レジでバーコードを読み込みますから、大変便利です。
郵便局の振込は振込票をATMが読み込んでくれるので、まずまずです。
銀行の振込は旧態依然としていて不便で、手数料も高いし・・、けしからん?
来年からは口座振替にしようかな・・。
・・・と言いつつコンビニへ。

2011年7月11日 (月)

黙祷・・・・

7月11日午後2時46分。
偶然、社内で東北出身の社員と仕事の話をしていました。
二人誰から言うともなく、「今日は震災後4ヶ月目だから、手を合わせよう」ということで、ジャストタイムで、丑寅の方向に向かって黙祷しました。
改めて、一日も早い復興を祈りつつ・・・。

続きを読む "黙祷・・・・" »

節電

酷暑の中の節電
節電・節電・・・・。
毎日続く酷暑にのしかかる節電のプレッシャー・・・。
【節電15%】とお上から言われていますが、この15%節電というのは、1989年当時の水準なのだそうです。
1989年といえば、あのバブル経済の直前の頃で、既にそんなに貧しい頃ではないですから、そんなに生活水準も低くなく、あの頃ぐらいなら簡単に戻れるのでは・・・、と思いましたが・・・。
例えば、あの頃は、ウォシュレットや便座ヒーター。
当時はまだなかったと思います。
でも、今やウォシュレットのないトイレなど・・・、特に家庭内では、考えられないぐらいですね・・。
そう考えると、節電も簡単そうで簡単ではないかもしれません。
一度知ってしまった便利さを手放すことは出来ないのものですね。
便座ヒーターぐらいならば・・・?

三之助さんから


柳家三之助さんの会にも行っていません。
真打昇進披露公演行って以来です。
  ・7月20日(水)夜7時半から
  ・日暮里サニーホールコンサートサロンで
行く気力が残っていたら何とか・・・。
以前は、こういう会に、よく通ったものですが、最近体力がなくなったみたい・・・。

圓朝まつり


今年の「圓朝まつり」は8月7日(日)だそうです。
まぁ、内容はいつものとおりですが、注目はやはり「奉納落語会」。
今年は以下の二部構成。
【第一部】 
   「昔の名前で出ています~志ん生がつけていた芸名」
     ◇ 安兵衛狐      隅田川馬石
     ◇ 狸賽         柳家甚語楼
     ◇ たがや        古今亭志ん馬
           ◇ 死神         金原亭馬生
【第二部】
   「全生庵物語 圓朝と鉄舟」
     ◇ 次郎長と鉄舟   宝井琴調
     ◇ ゆれるとき     三遊亭圓窓
第二部は師匠が創作噺でご出演です!
早速、葉書で申し込まないと、プラチナチケットですから。

略歴

略歴・・・ですか。Imgp0847
ぴん吉さんに依頼されて考えてみると、ほとんど語るべきものはありません。
仕事のことを書いても仕方がありませんね・・・。
落語に関する略歴・・・う~ん。
とはいいながら、私の落語に関するプロフィールを列挙してはみましたが・・・。
1975年  落語研究部に入部し「二代目金願亭乱志」を名乗る
1978年  創部20周年記念「三遊亭圓生独演会」で前座(子ほめ) 
      「第一回全日本学生落語名人位決定戦」出場(花色木綿)
1979年~ 落語から足を洗う   
2006年~ 落語に舞い戻る
2007年   六代目三遊亭圓窓師匠に師事、直伝で稽古をはじめる
2008年  寄席や落語会に年間180回通う
2009年  プログ「乱志&流三&永久の落語徘徊」開始
       「落研創部50周年記念ОB落語会」出演(浜野矩随)
2010年  東京で「お江戸OB落語会」をスタート(花筏)
         三遊亭圓窓師匠の落語会で前座(子ほめ)
        「学士会落語会創立5周年記念落語会」出演(ねずみ)
2011年  市内の老人会の新年会に出演(子ほめ・三方一両損)
 (主な持ちネタ)
     浜野矩随・佃祭・ねずみ・甲府ぃ・笠と赤い風車・千早振る
     花色木綿・花筏・三方一両損・子ほめ・薮入り  ほか
・・こんなところでしょうか?
ただし、西暦は記憶だけで入れましたので、その年の出来事だったかは、必ずしも正確ではありません。

2011年7月10日 (日)

「Iファーム」の野菜

Iファーム
夏空の下、平和な田園風景。
東北のここと同じようなささやかな平和を、あの震災は一瞬のうちに破壊してしまったんですね・・。
ここ、利根の河原を渡る風の清々しいこと。
利根の川風を袂に受けながら、知人の「Ⅰさん」が、10年ぐらい前からやっている菜園に行きました。
昨日落語会に行った時に誘われて、「Ⅰファーム」産の夏野菜をいただきに。
夏の野菜がたわわに実っています。
    Iファーム Iファーム
数えると20種類近くの野菜を栽培しています。
「Ⅰさん」は、休日のたびにこの畑に来ては、自ら種をまいた野菜たちを慈しんでいるという訳です。
もぎ取ってもらって、その場でかじったトマトの瑞々しさ。
茄子もピーマンも胡瓜も枝豆も・・・これから食べ頃です。
 Iファーム Iファーム Iファーム
可愛い茄子の花と小さな実を見ていたら、「茄子娘」という噺を思い出しました。
入船亭扇橋師匠の十八番です。
「親は茄子(なく)とも子は育つ」なんていう、ややくだらない地口オチですが。
この小さな、まだ茄子紺色にならない淡い茄子に、ちょっとぐっと来ました。
「Ⅰファーム」からは、ジャガイモ・タマネギ・ナス・キュウリ・ニンニク・ネギ等々、たくさん頂戴して帰りました。
これで我が家の台所も暫く安心です。

落語はやおき亭

暑い、あつい・・・。
 
 ◇ 替り目      八代目 雷門助六

先代の助六師匠も好きな噺家さんです。
明治生まれで、寄席ひとすじの噺家さん。
軽い語り口で、とても色気があって・・。
「長短」だとか、この「替り目」なんて絶品だと思います。
操り人形の踊りは、当代も継承していますが、実に見事なものです。
今朝のラジオは、馬生師匠と助六師匠。
リアルタイムで知っている師匠で、そこそこ満足の日曜日の朝。

あ、そうだ!

慰問に行くことばかりを考えていて、ふと気付きました。
慰問に行くことが目的ではなくて、落語を一席お伺いして、いくらかでも楽しんでいたたがなくてはいけません。Imgp0834_2
プロでもなく、ましてや拙い芸ですから、いつでもどこでもホイホイと演れる訳にはいきません。Imgp0853
そうだ、あと1週間で稽古、おさらいしておかなくてはいけませんね。
仙台の賀千家ぴん吉さんから、来週の待ち合わせ場所の確認メールをもらいました。
それから、現地で事前に案内チラシを作ってもらえるそうで、私の略歴をと言われました。
えっ?略歴ですか・・・。

落語でデート

文化放送の日曜日の朝5時台は、キリスト教やら仏教関連の、まことにありがたい番組が続きます。
信心には縁の遠い私には、6時に「落語でデート」が始まるまで、退屈というか、待ち遠しい時間です。
時には、そのまま眠ってしまい、気がつくと肝心な番組が終わってしまっていたりして・・。

  ◇ 抜け雀       金原亭馬生

昭和50年の録音だそうですから、私が仙台で初めて生の馬生師匠の高座に接し、「抜け雀」を聴いて感動したのと同じ年の音源です。
まだお元気だったあの頃の高座か、と感慨深いものがあります。
我々落研主催の「落語観賞会・金原亭馬生独演会」の昼席のトリの演題です。
「うわぁぁ、なんていい噺なんだろう・・・」って。
それ以来、私のやりたい噺の"棚"の真ん中に飾られている噺です。
ゲストの、いくらか落語に詳しい女優さんが、「随分はしょってやっている」と言っていました。
また、高い所からのコメントで・・。

嫌味な画面表示


最近テレビを観ていて気になるのが、画面左下のかなりの部分に、「アナログほうそ終了まであと○○日」という表示。
「余計なお世話だ」と思いながらも、「このテレビとも、あと2週間のお付き合いか・・」とも・・・。

東京スカイツリー

浅草から望む「東京スカイツリー」。  
           
 
浅草寺の境内、私の定点からのものですが、五重塔と新旧のワンショットは、なかなか趣きがあると思います。
東京スカイツリーも、このあたりから見るのが、一番美しいかもしれません。

2011年7月 9日 (土)

真打競演

久しぶりにラジオの「真打競演」を聴きました。
なんだかんだで、土曜日の夜は外出をしているようです。
  ◇ 干物箱     春風亭小柳枝
この噺も難しい噺だと思います。
いつものとおり、廓に関わる噺なので、私は演ることはないでしょう。

ほおずき市

  
浅草寺の四万六千日といえばほおずき市です。
例年ならば、入谷の朝顔市から続くのですが、今年は朝顔市は中止になってしまいましたので、一層待ちに待った感じがします。
所狭しと並ぶ露店には、たくさんのほおずきが飾られています。
「三越納涼寄席」の後、知人の「Ⅰさん」を誘い、三越前から田原町で地下鉄を降り、「ほおずき市」に行きました。
「Ⅰさん」が、せっかく来たのだからほおずきを買って帰ろうと。
浅草寺の本堂の脇に出ていた露店で、写真を撮らせてくれたお嬢さんへのお礼がわりに、その露店で買うことにしました。
このお嬢さんが、「Ⅰさん」からの(我儘な)リクエストを聞きながら、ほおずきを選んでくれました。
      
             
「四万六千日、お暑い盛りでございます。」あぁ~暑い。
今日、例年より随分早く、梅雨明け宣言が行われたようです。

四万六千日!お暑い盛り!


四万六千日、お暑い盛りでございます。
黒門町の桂文楽師匠の「船徳」での名文句です。
「四万六千日(しまんろくせんにち)」とは・・・・、
社寺の縁日の一つで、この日に参詣すると4万6000日お参りしただけの功徳があるとされています。
元禄時代(1688~1704)ごろから始まったといわれます。
有名なのは浅草観音(浅草寺)で、7月10日を四万六千日と称し(現在は9日のほおずき市から)、この日の参詣者に赤トウモロコシを売り出しました。
これを買って帰ると雷除けになるとされ、のちには茶袋やホオズキを売るようになったようです。
ところで、四万六千という数字は何を表わしているのか・・?

数字の由来は不明ですが、一升分の米粒が四万六千粒あるとされ、これを人間の一生にかけていると、言われています。
四万六千日を年数になおすと百二十六年近い年数になります。
人間が心身に気をつけ、病気や事故にあわなければ、人間はこのぐらい長生きでき、一生を無病息災で過ごせるようにと願った数字と伝えられているようです。

      
仲見世通りは相変わらずの賑やかさ。
夕方4時半でもこんなに暑いのに・・・・、まあみんな元気です。
観音様に手を合わせて、無病息災を祈りました。

三越納涼寄席


三越劇場は1年以上来ていませんでした。
「三越落語会」は、開演が6時からなのと、プレオーダー(先行抽選販売)がなかなか当たらなくて。
         
今日の落語会は、恒例の季節特別企画です。
全て新作落語という趣向です。
  ◆ こうもり           林家木久蔵
  ◆ お父さんのハンディ    三遊亭歌之介
  ◆ 反対俥            橘家圓蔵
  ◆ 恋は異なもの味なもの  古今亭志ん輔
久しぶりの三越劇場だからということで納得させました。
志ん輔師匠のは、シェイクスピアの戯曲の翻案で、毎年赤坂区民センターで演っているものでしょう。
新作・創作の否定はしませんが、全て新作というのは、スパイスが効いていないし、ラーメン屋で蕎麦を食べるような感じでした。
右隣のオヤジ二人のお喋りが気になりました。
落語の愛好者というのは、比較的高齢の方が多いのは承知していますが、それにしても、今日の会場は、高齢化社会を実感するほど、平均年齢の高い観客だったと思います。

三越ライオン像

  
「復興支援寄席」の上野から銀座線で三越前へ。
「三越納涼寄席」にハシゴのため、知人の「Ⅰさん」と三越ライオン像前で待ち合わせ。
考えてみると、鎮座ましましているのは知っていましたが、こうやってじっくり見たのは初めてです。
何故ライオンなのでしょうか・・。
そんなことどうでも良いのですが、ここはとにかく暑い。
店内で涼しい場所を見つけ、暫く待つことに。

圓窓師匠と

「復興支援寄席」がはねた後、1階に
下りて行くと、ロビーに噺家さんたちが募金箱を持ってずらっと並んでいます。
一番手前に圓窓師匠がお立ちだったので、ご挨拶。
「師匠、おはようございます。お疲れさまです。」
「あぁあ、おはよう。ありがとう。」
「腰の具合はいかがですか?」
「うぅ~ん、ちょっと重たくてねぇ。」
「お大事にしてください。今日もこれから浅草ですね。」
「うん。」
「ところで、今年の圓朝まつりの奉納落語会にご出演なんですね。」
「うん、そうなんだよ。」

・・・多くの方々が通るので、師匠とのやりとりはこのあたりまで。
師匠の持つ募金箱に僅かですがおカネを投げ入れました。
「師匠、それでは・・・」
「あぁ、ありがとう」・・・。
ほかにも、圓太郎さんや菊春さん、馬石さんもいらっしゃいました。

復興支援寄席

 復興支援寄席
朝早い演芸場の雰囲気は、やはり何となくいつもと違います。
落語協会が主催する「復興支援寄席」で、今日は「三遊亭圓窓・圓丈二人会」。
六代目圓生師匠の直系の兄弟弟子のお二人です。
七代目襲名をめぐる話題の中のお二人でもあります。

  ◆ 野ざらし        古今亭志ん彌
  ◆ 居残り佐平次    三遊亭圓丈
    ◆ 雛鍔                    三遊亭圓窓
志ん彌師匠は、志ん朝師匠にそっくりです。
雰囲気も口調もよく似ているんです。
圓丈師匠は、マクラではいつもの黒縁のメガネでしたが、今日は古典落語を演ると宣言して、メガネを外して「居残り佐平次」でした。
そして、わが圓窓師匠。
「がんばろう日本」の襷をかけて高座に上がり「雛鍔」の熱演。
今日は、若様が銭を拾って三太夫に尋ねるところまでを、植木屋の八五郎が観ながら説明していく手法の演出でした。
休日の朝から、贅沢な時間を過ごしました。

鈴本演芸場前

鈴本演芸場前
朝9時半でも、真夏の暑さは半端ではありません。
鈴本演芸場前では、若手噺家さんたちが、震災支援街頭募金中。
まだ人通りも少ないので、なかなか・・というところ。
これから、落語協会主催の「復興支援寄席」で、「三遊亭圓窓・圓丈二人会」です。
顔合わせが楽しみです。
我が落研が大変お世話になってきた師匠お二人です。

重労働・・?

師匠が寄席出演を再開され、この上席も浅草演芸ホールです。
もともと、腰の具合を悪くされて、連日の寄席出演が難しいということで、暫くの間あまり寄席にはご出演されていませんでした。
また、単発の落語会でも、座布団の上に小さな補助器具を置いて高座をお勤めでした。
Imgp0853最近、腰がかなり回復され、待望の寄席出演が実現した訳ですが、やはり連日で、トリや仲トリでの長講が続くと、腰が重たくなるそうです。
落語は、座ってやるものだから、さほど体力を使ったりしないように思われますが、演ってみると意外に重労働なんです。
私も、稽古会が終わるとぐったりしてしまいます。
師匠の高座を拝見していると、勿論プロですから、どんな噺も事もなげにお演りになりますが、噺(高座)への入れ込み具合と言うのは、物凄いものがあります。
極端に言えば。一席が終われば、息が上がってしまいそうなぐらい・・・。
それから、座って演る芸なだけに、その分上半身の働きは重要ですから、動きも激しく、勢い、動の上半身と静の下半身の要になっている腰の負担は、見ている以上のものがあるようです。
そんな訳で、師匠が腰が重たくなるというのも分かります。
体調を整え、ベストコンディションで臨まないと大変なことになります。

面白い場面

先日の某電力会社の社長の記者会見も笑ってしまいました。
記者からの質問は「社長自らが指示をしたんですか?」
これに対して「それには一切答えられません」の一点張り。
そのうちに脇からメモが入ると一転して、「私は指示などは絶対にしておりません」・・・
自分がやったかやらないかという質問に対して、何かそのメモに指示・誘導されたような答弁。
こんな人の言うことなど全て信じられませんねぇ。
それにしても、日本の一応一流企業と言われる企業のトップのレベルも酷いものです。
恐らく「三太夫、苦しゅうない、控えておれ」「よきにはからえ」の世界に生きているお殿様なのでしょう。
原発事故で、電力会社に寄生しているので真実が語れない学者、有事・国難の最中にちっぽけな政争に明け暮れる政治家、そして自分の責任も負えない企業のトップ・・、そんな時にこそこそとインサイダー取引をしている小役人・・・・。
こんな「政・官・財・学の四竦み」の国に誰がしてしまったのでしょうか・・・。
私は何故か、この社長の姿を見て、「鹿政談」の中で、私腹を肥やしている悪代官を思い浮かべました。

おいおい小学館さん

おいおい小学館さん
定期購読していて、先日専用のバインダーを注文したばかりなのに、小学館から、「落語 昭和の名人 完結編」のDMが届きました。
小学館に直接予約注文して、第1巻目から購入しているのに、しかも全巻分前払いしているのに・・・、さらに買ってよはないでしょう。
それに、特典で「出囃子のCDプレゼント!」なんて言っていても、未だに手元に届いていません。
小学館ともあろう出版社が、ちょっとお粗末ではございませんか?

2011年7月 8日 (金)

OB会の会報


もうひとつの課題のOB会の会報を作らなければいけません。
まだ、ほとんど構想が固まっていない状況。
会報の名前をどうしようか・・・。
「青葉」とか「萩」なんていう訳にはいかないでしょう。
何か気の利いた名前はありませんかねぇ・・。

扇子の風

扇子の風
「緑のもの(葉)の間を抜けて来る風は気持ちがいいねえ。」と「青菜」の旦那様。
今年は特に、団扇や扇子が必需品で、団扇や扇子の風は、本当に気持ちの良いものです。
ところが、中には気持ちの良くない風もあります。
電車の座席の右隣に座ったオジサン。
やおら扇子を取り出して、右手を使って扇ぎ出しました。
・・すると、このオジサンの汗臭い身体に当たった風が、左側にいる私の顔に漂って来るのです。
「植木屋さん、長屋の掃き溜めを通り過ぎて来る風は気持ちが・・・(悪いねぇ)」と「青菜」の植木屋さんの気分です。
女性の芳香なら許せますが、オヤジの加齢臭にはまいります。
私も気をつけないといけませんな。
扇子は顔の正面(前)から、自分に当たるだけの角度にしないと・・。
それから、扇子も、ただ風を起こすだけでなく、扇面のデザインにもいくらか気を使いたいものです。
先日見た別のオジサンのは、青地に赤い文字で、「金は天下の回りもの」と、大きく書いてありました。
恥ずかしげもなく、この「天下の回り者」を扇いでいました。
買ったものか、貰い物かは知りませんが・・。
私は、高座扇という訳には行きませんし、ちょっと贅沢な風に当たっています。
まぁ、「扇子の柄もセンス次第」などと、ベタな駄洒落を言うつもりはありませんが。

「薮入り」のトラウマ

「お前さん、ほうらごらん。亀は私の子だよ。そんなご主人のお金に手を出すなんてことするわけないじゃないの。亀にお謝りよPhoto
これは、薮入りで帰った息子の亀の財布に15円という大金が入っていたので、主人の金を盗んだと疑ったが、このお金はねずみ捕りの懸賞に当たった賞金だと分かった時の、母親の台詞です。
最後の「お謝りよ」という部分ですよ、問題は・・。
声に出して言ってみてください。
「おあやまりよ」と、流暢に言えましたか?
大学生最後の高座で、「薮入り」にチャレンジした私は、ここのところが言えませんでした。
「おや、おあ、おやおやまりよ・・・・」となってしまったのです。
この痛恨の1ヶ所のおかげで、悲惨な出来の「薮入り」になってしまったのです。
金願亭乱志の現役の最後は、こんな悲劇の結末でした。
確か、この時の打ち上げで、1年後輩の「金研亭志ん昼」さんの膝で、年甲斐もなく、人目も憚らず、おいおい声を上げて泣いた記憶があります。
「終わりよければすべてよし」の逆もまた真なりです。
・・・・あれから、この「薮入り」は一度も演っていません。
「薮入り」ではなく、「蔵入り」になったという訳です。
この時のテープは、まだ手元にあります。
何度か聴きました。
ただし、この部分を飛ばして・・・。
稽古不足でした。
「謝んなさいよ」と言えば、何のこともなかったんです。
「そうか。ねずみの懸賞で15円か。・・この先も立派に勤め上げろよ。みんなチュウ(忠)のおかげだ。」
「そうか。ねずみの懸賞で15円か。・・この先も立派に勤め上げろよ。みんな不注意のおかげだ。」になったのです。
今回、必ずリベンジしたいと思っています。
それが出来たら、やっと落研を卒業できたと思えるでしょう。

ひぐらし寄席

ひぐらし寄席
いつも予定が重なって、なかなか行けない馬石さんの独演会。
今回(14日)は、「中村仲蔵」のネタ出し。
そしてゲストは兄弟子の「桃月庵白酒」さん。
行けるかなぁ・・・。

2011年7月 7日 (木)

小暑

二十四節気の一つ。
旧暦六月(水無月)の節気です。
梅雨が明け、本格的な暑さが始まる頃。毎年7月7~8日頃。
この日から、夏らしい暑さになる「暑中
?」に入り、暑中見舞いが出されるようになる。
梅雨明け前の集中豪雨が多く発生する時期でもある。

今年は既に十分に暑い・・・。
梅雨も早々に明けそう・・。
「小暑(少々)お待ちください。」なんちゃって。

七夕

7月7日は、誰でも知っている七夕。
5節句のひとつで、それぞれ節句にはかかわる植物があります。Photo
  ・1月7日:人日(じんじつ)は七草
  ・3月3日:上巳(じょうみ)は桃
  ・5月5日:端午(たんご)は菖蒲
  ・7月7日:七夕(しちせき)は竹
  ・9月9日:重陽(ちょうよう)…菊
七夕は、牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)の二星会合の祭りです。
またそれとは別に、裁縫の上達を願うための織女の祭りで、乞巧奠(きこうでん)という儀式がありました。
これが二星会合と結びついて、唐代から七夕の日に行われるようになりました。
乞巧奠は日本でも宮中で行われるようになり、竹を立てて山海の幸を供え、五色の糸や布と灯明で飾り、雅楽を奏でて和歌を詠むなど、裁縫や芸事の巧みを乞う奠(まつ)りでした。
それが江戸時代に民衆でも行うようになり、歌や願い事を書いた短冊を掛け、飾り糸などで竹を彩りました。
2 ちなみに日本では七夕(しちせき)を「たなばた」と訓じるのは、日本古来からある祖霊を迎える祭り、「棚機女(たなばため)」からです。
神の嫁となった女性が機織(はたお)りの建物にこもる儀式で、後に盆と結びついて旧暦7月15日に、祖霊が訪れる川や海のそばに竹を立てて、棚に供物を捧げ機を織りました。
また旧暦7月7日は盆に入るため、仏や先祖を家に迎えるために身を清める日でもありました。
つまり“たなばた(棚機)”は盆行事の一形態です。
そもそも竹は根が強靱で生長が早く、また空洞になっているのでそこに神霊が宿るとされ、古くから神聖視されていました。
このような日本の信仰が、支那の織女や雨の川の伝説、七夕(しちせき)、乞巧奠と結びついて、今のたなばたとなります。
「七夕」といえば、私にとっては、若い頃、新しい拠点を開設するメンバーに選ばれ、この7月7日が開設の日でした。
「七夕作戦」なんていう仰々しいフレーズのもと、セブンイレブンはおろか、翌日の未明まで働かされました。
家に着くのは午前2時頃、朝は6時半には家を出るという毎日でした・・・。

「救いの腕」と「写真の夫」

「救いの腕」と「写真の夫」
唯川恵さんの「写真の夫」・・・。
姉妹の会話で始まるところ、妹が真面目な夫に愛想を尽かして別れたがっているところはぴったりはまるのですが・・・、どうも後半の展開が違っている。
それではと、次に収録されている「契り」という作品は、前世から結ばれると決まっていた人とめぐり合うというようなストーリーです。
「救いの腕」の原作が「写真の夫」だという可能性は・・・、40%ぐらいでしょうか・・・。
もう少し探してみることにしましょう。

ホテルR(仙台)

Photo_2

やっと予約が出来た「ホテルR(仙台)」のホームページを見ると、こんな一文がありました。
平素はホテルRに格別の引き立てを賜り誠に有難く厚く御礼申し上げます。
2011年3月11日に発生しました「東北地方太平洋沖地震」により、ホテル営業を停止致しておりましたが、
このたび客室の準備が整いましたので、4月18日より営業を再開させて頂き、一部の客室がご利用頂けることとなりました。
ご利用に際しては制限がございますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
きっと、市内のほとんどのホテルも同様なのでしょう・・。
施設そのものやインフラに被害、あるいは従業員が被災して確保出来ずに営業ができないのか、それとも避難して来た人たちの受け入れを優先していたからなのでしょう・・・。
未だにそんなことを言っている程度の情報しか持っていないのですから、情けないやら、申し訳ないやら。

2011年7月 6日 (水)

真夏の空


今日も暑い1日になりそうです。
梅雨はまだ明けていないはずですが・・・。
おバカ大臣は辞めさせられましたが、なお居座り続けるお○○総理のおかげで、この国は小物たちに滅ぼされるかもしれません。
さりとて、こんな時に、妙に元気なのが出て来ると、国民がすっかり騙されて、後で取り返しがつかなくなることもありますから・・。
国民は賢くしていなくては。
それにしても、梅雨前線だって時が来れば南下し、日本列島から去って行くのに・・・。

ウェスティンホテル?

南三陸への準備の第2弾。Photo_3
当日は、仙台に戻るのでさえ、かなり夜遅くなると思われますので、仙台に1泊しようと、インターネットでホテルを予約しようとしました。
ところが、いくつかネット予約にアクセスしてみたのですが、ほとんどヒットしません。
あるサイトでは、ヒット数は2件。
「ウェスティンホテル」と、もう1件は「・・カプセルホテル」。
「えぇぇ?他のホテルは?」と、某ホテルチェーンのホームページを見ると、仙台にあるホテルの予約は出来ず・・。w(゚o゚)w
超高級「ウェスティンホテル」は1泊うん万円もします。
一方のカプセルホテルは2,000円・・・。
駅前のホテルは、ほとんどが1部屋2人のプランです。
さすがに焦りました。
それでもやっと見つけることが出来ました。
「ホテルR」です。大学時代からあるホテルです。
広瀬通りの一番丁と国分町の間にあり、確か有名な中華料理店があったと記憶しています。
当時はそこそこ高級な感じのホテルでした。
とにかく、これでひと安心です。

「救いの腕」の原作?

もしかすると、圓窓師匠の創作噺「救いの腕」の原作かもしれないと思える、唯川恵さんの短編小説を見つけました。
「長編ではなく、短編小説集の中にあった作品で、本の表題とは違う題名で、唯川さんの初期のもの・・」というのが、師匠のご記憶です。
「契り」か「写真の夫」かではないかと・・。
新潮文庫の「とける、とろける」という中にある作品です。
題名もやや官能的な雰囲気がしますから、違うかも。
いかんせん、本屋での立ち読み、斜め読みの段階ですから、ゆっくり読んで確認しないといけません。
落語のネタから、今まで読んだこともない女性作家の恋愛小説を漁ることになろうとは。
随分遠くまで来てしまいました。

仙台出張

皮肉というか、偶然というか・・・。
来週の13日に仙台に日帰りで出張することになりました。
南三陸町へ行く4日前という・・・。
年に1~2度あるかないかという出張です。
当日はとんぼ返りですから、街の様子を見る時間はありませんが。

門前仲町の住吉神社

門前仲町の住吉神社
落語っ子連の稽古に行く途中にある、こじんまりとした神社。
見れば、鳥居に「住吉神社」と書いてある。
脇に立ててある説明(案内?)には、徳川家康と摂津国佃村、幕府直轄の佃島のことが記されています。
考えてみれば、門前仲町と佃島は対岸に位置している訳ですから、佃島の恩恵や影響もあるのでしょう。
思わず手を合わせて、我が「佃祭」の一層の練り上げを誓いました。

2011年7月 5日 (火)

「救いの腕」の稽古

交通整理をいたしますと・・、今後の私のチャレンジする噺は・・・、
 ①10月 2日(日)  千早亭一門会    救いの腕
 ②11月12日(土)  お江戸OB落語会  薮入り
 ③ 3月初旬      落語っ子連発表会   未定
従って、本来ならば「千早亭」で稽古すべきところ、いろいろ事情がありまして、先日の落語っ子連の稽古会で、師匠にご指導いただいたという訳です。
師匠のプログで、こんなコメントをいただきました。
   読ませ稽古、流三[救いの腕]。
    さらにきめ細かに読み込んできている。
好意的なコメントで、ただただ恐縮です。
師匠もおっしゃっていましたが、この噺は、姉妹2人の会話という珍しい形で進んで行きますから、次のステップでは、高座本にはない、例えばお茶を入れてあげるとか、さりげない自然な仕草を入れ込むことが重要になる・・。
なるほど、そうか、そういう作り方もあるのか。
会話をシンプルに削り、地の部分はもう少し重厚に、姉と妹のキャラクターを際立たせ、それでいて、善吉の穏やかな性分ともしっかり分ける・・・。
自分なりの舞台設定が出来る。
大変ですが、また再び少し面白くなって来ました。
何と言っても、師匠に聴いていただきながら、実は噺の途中では投げ出したくなるほど、戦闘意欲が減退しそうでしたから・・・。

また勘違いのおバカ大臣

本当に呆れるのを通り越して笑ってしまうほど、情けないやら、腹が立つやら・・。
復興担当大臣の勘違い・傍若無人さは酷いものです。
何様だと思っているのでしょう。
挙句は、「九州出身で九州弁は高圧的に聞こえるかもしれない・・。」
今度は九州の方々が怒りますよ。
仮に百歩譲ったとしても、某被災地県知事を訪ねた時には、サッカーボールを知事に向かって蹴ったりして。
どこまで、被災地の方々の気持ちを踏みにじれば気がすむのでしょうか?
これは、九州出身は関係ないし、人の道を外れた所業でしょう。
国会議員(大臣)は偉いと思っているのも、甚だしい勘違いで・・・。
「唐茄子屋政談」の因業な大家みたいなやつで、人間失格です。

猫の皿・猫の茶碗

落語っ子連の三流亭まど深さんがチャレンジしている「猫の皿」。
師匠が、「この噺で、猫の餌の器に使っている名器は皿ではなく茶碗なんだよ。だから、あたしは、"皿"でなく"茶碗"で演ろうと思う。だから題名も『猫の茶碗』にしたよ。」と・・。
落語の演題を調べると「猫の茶碗」=「猫の皿」となっていますから、特に問題はないでしょう。
江戸の道具屋が田舎に掘り出し物を探しに出かけた。
たいした収穫もなく江戸へ戻る途中の茶店で休みをとる。
麦茶にとうもろこしなんかを食べていると、縁台の下で猫が飯を食べているのに気づく。
よく見ると猫の皿が、高麗の梅鉢茶椀で300両は下らない代物だ。
茶店の爺さんは知らずに猫の皿にしていると思い、なんとか梅鉢茶椀をまきあげてやろうと、道具屋は猫好きを装い、猫を膝に上げ抱いてかわいがり、ふところにも入れての猫可愛がり、気に入りようにふるまう。
そして猫を3両で買い上げた。
さらに猫に飯を食わせるには食べなれた皿がいいと言って、茶わんをもらおうする。
茶店に爺さんはこの茶わんは気に入っているので手放せないといい、木のお椀を渡そうとする。道具屋は、それなら茶わんも3両で買い上げようという。
すると茶店の爺さんはこの茶わんは高麗の梅鉢茶椀といって捨て値で300両もする高価なものだからだめだという。
道具屋は計画が失敗し、ふところに入れた猫にひっかかれ、小便もされるはでさんざんの有様だ。
「なんでそんな結構な茶わんでもって猫に飯食わせたりなんかすんだい」
「その茶わんで猫に飯食べさせていますと、ときどき猫が3両に売れますんで」
高麗茶碗というのは、朝鮮から伝来した陶磁器。桃山時代以降、茶人が抹茶茶碗として用いたものの総称です。
李朝のものがほとんどで、朝鮮では喫茶用ではありません。
井戸・三島・熊川(コモガイ)・魚屋(トトヤ)などの種類があるそうです。「井戸の茶碗」
もそうでしたね。

新幹線の切符

7月17日(日)の南三陸町への準備のスタートとして、仙台までの新幹線の切符を買いました。
午後1時に仙台駅を出発の予定ですから、ちょっと時間的な余裕を持って、11時30分頃に着く「こまち」の切符を買いました。
3連休の中日ですから、そこそこ混雑が予定されますから。
帰りは・・、まだ買っていません。

「昭和の名人完結編」バインダー

Photo

定期購読している「落語 昭和の名人 完結編」も、配本が全26巻のほぼ半ば近くまで来ました。
気にはなっていたのですが、特製バインダーを買わなくてはと、そのままになっていました。
何気なく、Amazonを覗いてみたら、中古品だけしか出品されていませんでした。
そこでやや焦り気味に、出版元の小学館のHPから在庫を確認し、ネット購入しました。
やれやれ・・。

2011年7月 4日 (月)

薮入り


「薮入り」の音源は、やはり「三遊亭圓楽」師匠にしようと思います。
学生時代に失敗してトラウマになっている噺で、今回リベンジを期す訳ですが、あの時のも圓楽師匠のテープからネタ本を作りましたから・・。
同じ条件でリベンジしようという・・・。
なまじ学問を身につけて理屈っぽくなるよりも、人の気持ちの分かる苦労人にした方がいい・・・。可愛い子には旅をさせろ、だから奉公。

うえの


鈴本演芸場においてあった、タウン誌の「うえの」7月号。
今月号も、多士済々の寄稿で、面白く読ませていただきました。
あの「青葉城恋唄」の「さとう宗幸」さんや寄席の花の「柳家小菊」さんなども。
小菊さんの、浴衣姿の若者の酷い着方や浴衣地の柄の話には考えさせられました。
浴衣は夏物(夏に着るもの)だから、昔は桜や梅の柄の浴衣なんてなかった。
でも、今は、着る季節ではなく、日本の花と言えば梅や桜だから、桜花柄の浴衣がある。
これも「国際化」の影響か、季節感の欠如か・・なんて。

意地くらべ

鈴本演芸場で聴いた柳亭小燕枝師匠の噺の題名は「意地くらべ」だということが分かりました。
小燕枝師匠の十八番の噺のようです。
八っつあんが、訳を訊かずに50円貸してくれ、と来る。
訳はというと、世話になったご隠居に50円借りた。

恩になった金(恩金)、ひと月経ったら返そうと自分の腹に決めた。
今日は晦日、返さないと自分の心持に嘘をついたようだと。
その人は、手元にはないがと、何軒か知り合いを回って、50円の金をこしらえてくれた。
隠居に返しに行くと、話を聞いて、楽な金があったら返してくれと言ったんで、そんな金は受け取れない、貸した人を連れといでと、木剣で張り倒そうとする。
貸してくれた人も、私も受け取れない、お前の蒔いた種だ、七とこ回りして私の下げた頭はどうしてくれる、その隠居を連れといで、おっかあ、薪割り! そのおっかあが、無尽に当たったことにしたら、と智恵をつける。
一日仕事になった。
隠居は、さっきはすまなかったな、倅に小言を言われた、勘弁しておくれ、と言いながら、「あれッ、また出したな」、無尽、いくらの無尽だ、と厳しい。
でも、恩金だから、ひと月経ったら返そうと自分の腹に決めたと聞いて、江戸っ子だな、気に入った、心持よく受け取ろう、ひと月だな、一日の昼に貸したから、明日の昼に持っておいで。 
ここで明日まで待つと八っつあん、座ってな、畳の線から出るな、と隠居。
だが、一杯やりながら待つか、倅、スキヤキの支度をしろ。
牛肉嫌いです。
決めたんだ。
死ぬ気になって、食います。
倅、二時間経っても、帰って来ない。
隠居が様子を見に行くと、倅は目の前に立ったという人と、互いに道を譲らず、睨み合っていた。
早く使いに行け、お父っつあんが、この人が動かないように、見届けてやる。
あんまりすっきりした噺ではありませんね。
オチのパターンは、「片棒」に似ていますが。

2011年7月 3日 (日)

落語っ子連「へ組」稽古会

私は一応「ん組」ですが、どちらの稽古会にも参加出来ることになっていますので、今日の「へ組」の稽古に顔を出すことにしました。
というのも、「ん組」の稽古日と南三陸への慰問が重なってしまい、参加出来ないからでもあります。
今日は、まど深・まど女・まど絵・びす太さんに私の5名参加でした。
  ◇ 猫の茶碗(皿)     三流亭まど深
  ◇ 救いの腕        三流亭流三
    ◇ 火事息子       三流亭まど絵
前の2人とも読み稽古。
私は、この「救いの腕」の読み稽古が3回目ということですが、なかなか上手く出来ません。
やればやるほど難しい・・・。
今日はちょいと用事があったので、まど絵さんの「火事息子」の稽古が始まるところで失礼することにしました。

落語はやおき亭

パーソナリティの林家たい平さんの説明は、一般の人向けですから、私には特段新しい内容ではありませんが、まあ楽しい番組かもしれません。
  ◇ 元犬      古今亭志ん生
志ん生師匠が、プロ野球の読売巨人軍の優勝祝賀パーティで脳溢血で倒れ、療養して復活した後の音源だそうです。
私は、志ん生師匠はあまり聴きませんが、やはり病気の前後では随分違ったようです。
・・・しかし、この「元犬」もねぇ・・。
この"志ん生節"がたまらないという人が多いんですね。
・・私にはわからない・・・。

復興支援手拭い


鈴本演芸場の売店で、五明楼玉の輔さんプロデュースの「復興支援手拭い」を買いました。
3色(種類)あり、青いのを買いました。
「がんばろう日本」です。1,000円。
南三陸に持って行こうと思います。
高座では使いませんが。

落語でデート

今朝は上方の噺。
昭和30年代にご活躍されていた三遊亭百生師匠の音源。
出囃子は「野崎」なんですね。
  ◇ 天王寺詣り    三遊亭百生
この師匠は、東京で上方落語をやっていた師匠だったはずです。

楽屋・・・

師匠のブログを拝見したり、知人などから話を聞くと、よく寄席や落語会の噺家さんの楽屋を訪ねる方がいらっしゃるようです。
気の弱い私は、楽屋を訪ねるなんていうことはほとんどありません。
圓窓師匠の楽屋でさえ、一門会の時に、ちょっと用事があったので、一度だけ行ったことがあるだけです。
何かこう、お邪魔になるような気もして。
ですから、師匠がご出演の寄席や落語会も、聴かせていただくだけです。

2011年7月 2日 (土)

寄席がはねて・・・


雲助師匠に見送られ?階段を下りて、"デテケデテケデテケデテケ・・・"と、前座さんの叩く太鼓の音を聴きながら、八五郎の余韻に浸りながら、夜の上野の街へ・・。
                
今週も終わりました。また来るよ・・。

鈴本演芸場7月上席

鈴本上席
先日久しぶりに寄席に来て、その魅力を思い出したか、また来てしまいました。
休日の夜というのは、あまり良くないとは言うものの、まあほどほどの入り。
確かに、落語ブームと言われていた2~3年前に比べると、やや寂しいかもしれません。
でも、人のことはどうでもいい訳でありまして。
  ◆ 粗忽の釘       柳亭市楽
  ◆ 湯屋番         柳家一九
  ◆ 子ほめ         柳家権太楼
  ◆ ZZZ・・・        桂藤兵衛 
  ◆ 落とし噺        柳亭小燕枝
  ◆ 小粒          林家正蔵
  ◆ 妾馬          五街道雲助
           
桂藤兵衛師匠の時は、完全に意識不明で、気がつくと師匠がお辞儀をして高座を下りるところで、演題も全くわかりません・・・。
・・・疲れているんですねぇ・・・。
藤兵衛師匠のちょっと鼻にかかった柔らかい口調は、弁当を食べて落ち着いた身体には、ちょうどよい子守唄になります。
それから、小燕枝師匠のやった噺の題名が出て来ない・・・。
というか、初めて聴く噺では・・・?
強情な人たちの噺・・。調べなくては・・。
正蔵さん、何となく往時の勢いが感じられない。
髪の毛を伸ばし、少し若づくりにになりました。
声が致命的かもしれない。
雲助師匠の「妾馬」は、もう期待どおり。
八五郎のキャラクターがいいですね。
いやぁぁ、寄席って本当にいいですねぇぇ。

鈴本演芸場前

鈴本上席  鈴本上席
土曜日なのに出勤日。
別に節電のための"休日操業"という訳ではありません。
修業時刻が平日より早いので、朝のうちから「今日は寄席に行こう」と決めていました。
開場直前の鈴本演芸場は、20名ほどの列が出来ています。
私は並ぶのが大嫌いですから、「よしよし、並ばなくてもいい場所に座れそう」と、近くの本屋に行き、例の唯川恵さんの本を見て、コンビニで弁当とお茶を買ってから、再びテケツへ。
        鈴本上席
狛犬?も相変わらずの寄席風景・・・。

来月の紀伊國屋寄席

来月の紀伊國屋寄席
来月の紀伊國屋寄席に、我が圓窓師匠がトリでご出演です。
昨日の会場でチケットを買いました。
演題は「叩き蟹」です。
そう言えば、高座本で甚五郎4題合本が完成したと仰っていたような気がします。

東北の夏祭り

東北の夏祭り
写真は、先月の下旬に上野駅中央改札口前で行われていた青森産品販売の脇に飾られていたものです。
言わずと知れた「ねぶた」です。
夏と言えば東北各地の夏祭りですが、今年はどうなるのでしょうか・・・。
元気を出すためにも、経済的復興という観点からも、出来るところまで頑張ろうということなのでしょう。
考えてみれば、それこそが祭りの原点だと思います。
それぞれ生い立ちは違えども、祭る神様も違えども、天下泰平・国家安穏・五穀豊穣という祈りは共通でしょう。

2011年7月 1日 (金)

紀伊國屋寄席

紀伊國屋寄席のチケット
久しぶりの紀伊國屋寄席でした。
  ◆  ろくろっ首         春風亭一之輔
  ◆  抜け雀           金原亭馬生
  ◆  その時歴史は動いた  林家木久扇
  ◆  豊竹屋           古今亭志ん輔
  ◆  包丁             柳家さん喬
紀伊國屋寄席
若干の例外を除いては、なかなかの内容の番組でした。
私の「抜け雀」の原点は、先代の馬生師匠で、当時前座(小駒)だった当代の馬生師匠と、仙台市民会館の舞台の袖で聴きました。
仲入り後の2席は、三遊亭圓生師匠が十八番にしていたものです。
その三遊亭の噺を、時が流れて古今亭と柳家の噺家さんがお演りになるという、何とも言えない思いがしました。
紀伊國屋寄席もいいですね。

竹柄の手拭い

竹柄の手拭い
この間、清澄白河の器や和風の小物を売っている小さな店で見つけた、竹の柄の手拭い。
このブログも竹をデザインしたものなので、またまたいつもの衝動買いを・・。
そうだ南三陸にはこれを持って行こう。

原作?探し

師匠からいただいた「救いの腕」の高座本には、扉に以下のように表示されています。
   圓窓五百噺 その499
    圓窓創作シリーズ

         【 救 い の 腕 】
             原作    唯川 恵 「  」より
             脚色  六代目  三遊亭圓窓
             口演  六代目  三遊亭圓窓

唯川恵さんの小説が原作なんだそうですが、「 」となっていて、題名が入っていません。
師匠に尋ねてみると、「う~ん、題名わすれちゃったよ。」と。
どうやら、最終のシーンは、この噺と同じようなストーリーになっているとか。
唯川さんには、(間接的に)承諾を得ているんだそうですが、肝心の小説の題名が゛分からない・・・。
この数日、本屋さんに何軒か行き、唯川さんの文庫本を探しているのですが、「これだっ!」という作品には、未だにめぐり会えません。
・・・何ていう題名の作品なのでしょうか・・?
例えば、「瑠璃でもなく、玻璃でもなく」なんていうのもありました。
これなのかなぁ。

是非原作を読んでみたい。

広瀬さんが花緑さんを絶賛?

広瀬和生さんが柳家花緑さんを絶賛する評論を・・・。
「七代目小さんに」・・・・と。
テレビや舞台などで幅広く活躍する柳家花緑。
彼は「人間国宝」五代目柳家小さんの孫である。
1971年生まれの花緑は1994年に戦後最年少の真打となった。
正式な弟子として祖父小さんに入門したのは1987年だが、実際には9歳から落語を演っていたというから、既に約14年のキャリアがあったことになる。
最近の花緑が試みているイベントに「洋服姿で椅子に座って新作落語を演じる会」がある。「現代を舞台にした噺なら、洋服のほうが落語ファン以外の層には自然に受け入れられるはず」という発想によるもので、扱う素材も新鮮だ。
昨年は宮部みゆき原作の『我らが隣人の犯罪』を演じ、今年は「ニュースを新作落語に」というテーマに挑戦した。
「奇を衒わず古典を真っ当に演るだけでいいのに」という批判もあるだろう。
だが今の花緑はそれを恐れない。
核となるべき「花緑の古典」の方法論を確立したからだ。
いつも感心させられるのが、目線の使い方や「間」の取り方の抜群の上手さだ。
ふとした瞬間に「さすが小さんの孫」と思わせる。
これはもう、天性のものだろう。
花緑の高座には、落語に取り組む「了見の良さ」がはっきり表われている。
五代目亡き後、六代目小さんの名跡は花緑の叔父(五代目の実子)が継いだが、将来「花緑を七代目小さんに」という声があってもおかしくない。
そんな「器の大きさ」を、今の花緑からは感じ取れる。
※週刊ポスト2011年7月8日号

叔父さんの六代目が襲名して、まだそれほど経っていないのに、またいずれ既定路線だと大方が思っているのですから、今言うこともないのにと思います。
花緑さんは、高座の礼儀正しさも、チャレンジングな工夫やスタンスも、以前、圓窓師匠も褒めていました。
個人的には、お祖父ちゃんの五代目を話題にし過ぎるのと、高座で自身を「ボク」というのが気になります。
そんなに上手かなぁ、私にはまだこれからの噺家さんだと思えるんですが・・・。

ぴん吉さんから

当日は、3連休の中日で、三陸道が渋滞するかもしれないのでということで、仙台出発を1時間早めることにしたと連絡が入りました。
それから、当日の演題です。
 ◇ 雑俳                      賀千家ぴん吉
 ◇ 花色木綿(or三方一両損)  金願亭乱志
 ◇ カラオケ病院          桂友楽
こんな感じですか・・・・。
わたし一応、2題準備して行こうと思います。
場の雰囲気が分かりませんから。
さりとて、「佃祭」や「浜野矩随」や「笠と赤い風車」なんて出来ませんから。

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