やはり、柳家さん喬師匠が、お母さんが亡くなった当日に代演されたのは、私も会場にいた「大手町落語会」の時だったようです。
もう1つの代演の高座は門前仲町だったようです。
芸人(噺家)さんにとって、舞台(高座)は決して穴を空けてはいけないものなんですね。
あの日のマスク姿の権太楼師匠の口上もショッキングでした。
座談会の記事で、病気に向かう気持ちを以下のように仰っています。
「今日が楽しければいい」と、まずその積み重ねをするんだって決めた。反省とかそういう努力は健康な人に任そう。
落語をやって、終わって、帰ってきて、「あー面白かった!」って俺が思えればいいのよ(笑)
いずれにしても、高座に対する噺家さんの強い気持ちを、このお二人のさりげない会話から教えられました。
ところで、状況は違いますが、圓窓師匠も震災の直後に、ブログで以下のことを仰っていました。
天災のあるたびに思い出す事がある。
友人の話したことである。
その友人が終戦直後、ある公演を聞きに行った。
それも、その日は、嵐。
たぶん、中止だろう、と出掛けた。
しかし、やります、という入口の人の声。
広い会場に、4、5人の入りだった。
出演する側も全員は揃わず、とりあえず、楽屋入りしたものから、
登場した。
その中で、一人。徳川夢声。
最初に言った言葉に、友人は感動した、という。
「入りが少ないからと言って、手を抜く事は許されない。少なければ
少ないほど、全力投球する。4、5人だから、と手抜きをすれば、
そのことは、4,5人の口から、2乗、3乗、10乗、20乗になって広
まっていくだろう。今日の我々の生きざまを聞いてください」
冒頭に、こう言ってから、「宮本武蔵」に入ったそうだ。
帰りの風雨は、顔面の涙を洗い流すようだった、という。
これこそが「芸人魂」というものなのでしょう。
また別の時には、震災のおかげで、何でもかんでも中止されている中で、こんなことも仰っていました。
災害、被害、台風、交通機関ストップ。
こんな最中でも噺家は、「行かねばならぬ」という本能が働く。
それは、こういう状況下でも足を運んでくださる方々が必ずいるから
だ。だから、主催者が中止を発表するまでは、足はひたすら会場に
向く。
こういう状況下では誰しもが、不安になり「行きたくない」と思う。
たとえ、行きたくとも交通がストップすれば諦めるより仕方がない。
客席の頭数は多くを望めない。
出演者にとって、客席の頭数うんぬんより、大事なことがある。
こんなひどい状況下でも「聞きたい、見たい」で会場まで足を運んで
くださるお客が必ずいるということだ。
出演する側だって、「行きたくないよ、こんな日に」と愚痴めいた
言葉が頭によぎることはある。
しかし、こういう状況下にいらっしゃる人のことを考えれば、噺家
冥利に尽きるというものだ。
この心意気が好きで、落語にはまっているのかもしれません。
先日、南三陸町に落語慰問に行った時に、圓窓師匠のこんな呟きを思い出しながらいたことを、まだそれほど時間は経ってはいませんが、何か懐かしく思います。