« 寄席芸人写真名鑑 | トップページ | 金魚の芸者 »

2011年7月26日 (火)

えっ?あの時のさん喬師匠は

hospital「東京かわら版」で、権太楼・さん喬両師匠の座談会の記事を読んでいると、今春、権太楼師匠が病気の治療をしている時に、さん喬師匠が落語会の代演を2度やったということでした。Image
権太楼師匠は、自身が休演にも拘わらず、マスクをして来た、とありました。
・・ちょっと待ってくださいよ。
私が行った4月の「大手町落語会」は、権太楼師匠の代演がさん喬師匠でした。
それに、権太楼師匠が、前座さんの開口一番の場所で、マスクをかけて登場し、休演のお詫びの口上をやりました。
その日の番組を思い出してみました。
     ◆ 休演の口上(マスクで) 柳家権太楼
     ◆ 岸柳島           柳家三三
     ◆ 厩火事            柳亭市馬
     ◆ 蜘蛛駕籠           柳家花緑

           ◆ 百川                    柳家さん喬(代演)
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/04/post-c5b1.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/04/post-c84c.html
・・・ということは、この座談会で触れている落語会というのは、この「大手町落語会」だったかもしれません。
そうだという前提で読み進んで行くと、大変な事実が述べられていました。
さん喬師匠が「今だから話をしますけれど、・・・実はその朝ね・・・僕の母が亡くなったんですよ。母親が亡くなって、息が終わって、じゃあなって出て来て、そのまんま権太楼師匠の代わりをやった。」・・・。
ええぇぇぇ~っsign02
もしかすると、あの「百川」は、1/2の確率でそういう状態で上がった高座だったんですか・・・sign03
もしあの時だったとすれば、大変な衝撃です。壮絶な話です。
その高座を、私は見ていたかもしれない・・。
そういえば、その時のマクラで、さん喬師匠はこんなことを仰っていた記憶があります。
「こういう時は、普段通りに過ごすのが大切ではないか」と・・・。
これは、さりげなく震災後の我々のなすべきことについて触れた部分です。
「がんばれニッポン!」もいいけれど、これこそが日本人があの大災禍の中で冷静さを保つことができた源泉だということ。
復興に向けて被災地以外の日本人がなすべきことは、愚直に平常どおりの生活を続けることだと理解したのですが、さん喬師匠の心の中には、お母さんへの思慕もあったのかもしれません。
物凄い場面を拝見していたのかもしれません。

« 寄席芸人写真名鑑 | トップページ | 金魚の芸者 »

噺家さん・芸人さん」カテゴリの記事