火事息子
落語っ子連の稽古会で、まど絵さんに「火事息子」の稽古をつけていた師匠のコメント。
人情噺というのは、忠実に高座本(台本)を読むだけでは、その背景や情景、感情などを表現することは出来ない。
「こちらへおいでください。・・ここへおいでなさい。・・・こっちぃ来い!」と、臥煙になった息子に、他人として会いながらも、段々感情が高まって親の言葉に変わって行く場面は、台詞を忠実に読むだけでは、決して聴いている人には伝わらない。
落語にも、音楽のように全体的なリズムや旋律があって、聴き手の感性に訴えることが出来るものでなければ、決して伝わらない。
今までは、読む段階だったが、ここからはとても苦しくなる。
「(まど絵さんが)火事息子が面白いからやりたい」と言った時に、(師匠にも)躊躇いがあって、(時期尚早だから)止めさそうとも思ったが、そういう苦労をする経験も大事だと思って、止めなかった。
これから暫くは、なかなか上手く行かない(なかなか上達しない)状態が続くと思う。
でも本番(3月)までには時間があるから、頑張って作り上げよう。
・・・一字一句正確ではありませんが、傍らで聴いていて、落語を語る、人情噺を演る心構え、極意というものだと心に刻みました。
落語を演ったことのある人でなければ分からない、落語の深さ・難しさ、そして楽しさの一端だと思います。
落語は登場人物の了見になって語る。
そして、語る人の了見が落語に出て来る。
・・ふと思いました。
今、「浜野矩随」を演ったら、2年前と全く違って来るかもしれない。
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