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2011年6月28日 (火)

当代桂文楽師匠

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noodleこんな記事を見つけました。
当代(九代目)桂文楽師匠のこと。
「ペヤングソースやきそば」のTVCMが懐かしい
テレビで寄席番組が大きな比重を占めていた70年代、この噺(はなし)家は“四角い顔”で人気だった。
「顔は四角でも味はまろやか」がウリのカップ麺「ペヤングソースやきそば」のテレビCMが懐かしい桂小益さんだ。
92年には落語界の大名跡の「桂文楽」を襲名したが、その際、関係者やファンの間に大ブーイングが起きた。
あれから約20年。
9代目文楽師匠は今どうしているのか。
「きょうは『替わり目』ってのを15分ばかり。
簡単にいやぁ酔っぱらいの噺です。
アタシは女を演じるのは苦手だが、酔っぱらいは得意でしてね。
だから、酒がらみの噺はよくします」
鈴本演芸場近くの喫茶店で会った文楽師匠、まずはこう言った。
ウン? 四角い顔が丸みを帯びたんじゃないか。
「お客さんからも丸くなりましたね、太りましたね、っていわれますよ。
カネ残しちゃったから、なんて冗談で応えてるんだけど、今でもやきそばのイメージがあるみたいだねえ」
「やきそば」とはもちろん、「ペヤングソースやきそば」のこと。
75年の発売以来、師匠は17年間にわたって同商品の“顔”としてテレビCMに出演していた。
「CMが作られたのはちょうどアタシが四角い顔を売り物にテレビやラジオに出まくってた頃。
ペヤングは他のカップ麺と違って器が四角なもんだから、アタシのキャラがピッタリということで起用されたわけ。
ただ、商品名は今のと違って、最初は『ペアでヤングがソースヤキソバ』とやたら長かった。
で、それを『ペアヤング』に変えたところ、アタシが録音で『ペヤング』とかんでしまいましてね。
結局、それが商品名になっちゃった。
つまり、アタシは名付け親でもあるんです、ハハハ」
「メディアには出なくなりました。本業に立ち返ったってことですかね」
さて、浅草生まれの江戸っ子の師匠は57年、先代文楽師に入門、桂小益を名乗る。
73年、真打ちに昇進し、92年、落語界の大名跡のひとつ、桂文楽を襲名、9代目となったが、これが内外に大波紋を広げた。
「アタシはね、小益として知名度が定着して、それで満足だったの。
でも、当時、落語協会会長だった先代の小さん師匠を中心に襲名を推す声が強く上がり、それで継ぐことになったんですよ。
もちろん、先代は“昭和の名人”といわれた人。
その大看板を継ぐわけで、そりゃ悩みに悩みましたよ。
結論を出すまでに半年ほどかかったのかな。
ええ、襲名直後は“アイツに落語はできるのか”に始まり、いろいろ言われたもんです。
タレント的なイメージが強かったんでしょう」
テレビ、ラジオから師匠の姿が消えて20年近くになる。
「文楽襲名以来、メディアには出なくなりました。
その代わり、寄席は当然のこととして、落語会で地方を飛び回ったり……。
ま、本業に立ち返ったってことですかね。
あと、5年ほど前に『桂文楽のちょっと粋な話』(実業之日本社刊)なんて本も出してる。
これは週刊誌に2年ほど連載したエッセーをまとめたもので、存外売れましてね。
印税もそれなりに入り、四角い顔がさらにまろやかになりました、ハハハ」
豊島区内に夫人とファッション関係の仕事に就いている一人娘の3人暮らしだ。
(日刊ゲンダイ2011年6月20日掲載)

そうでした。
桂文楽襲名の時は、正直なところ私も違和感を禁じえませんでした。
それは、先代があまりにも大きな存在だから。
当代の金馬師匠もご苦労されて来たことだと思います。

襲名と言うのは難しいものです。
名跡が原則世襲のような世界ではありませんから、名跡が大きければ大きいほど、襲名が難しくなる訳です。
圓生という大名跡もそうです。

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