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2011年6月 2日 (木)

こんな評論

広瀬和生さんの評論は、「柳家喜多八」師匠のこと。
どんな落語も、演者次第で面白くもなれば退屈にもなる。
柳家喜多八は、それぞれの噺の持つ「面白さのポテンシャル」を最大に引き出す達人である。
喜多八を聴いて楽しめない人は、落語に向いてないとさえ僕は思う。
疲れきった様子で高座に登場し、「やる気が無いわけじゃないんです。ただ虚弱体質なだけで……」と気だるく弁解する。
これが喜多八のいつものパターン。
「このいたいけな風情が、ご婦人にはたまらないそうで」と本人はいうが、その情けない表情を見ていると「大丈夫か、この人」と心配せずにはいられない。
ところが、噺に入るとムードは一変する。
喜多八の落語は、朗々と響く深みのある声と豊かな表情を武器とした、メリハリのある演技が特徴だ。
小柄で華奢な体格には不釣合いなほどの大声を張り上げ、アップテンポで滑稽噺を演じるエネルギッシュな姿は、さっきまで死にそうな顔をしていた人とは到底思えない。
このギャップこそ、喜多八ファンには「たまらない」のである。
喜多八は1949年生まれ。学習院大学で落語研究会に所属し、1977年に柳家小三治に入門している。
表情や動き、声のトーンの変化などを自在に操って「人間という存在の面白さ」を描くのは師匠の小三治と同じだが、飄々と演じる小三治と違い、喜多八は常にハイテンション。
「静」の小三治に対し、「動」の喜多八、といったところだ。
※週刊ポスト2011年6月10日号
「動」かどうかは分かりませんが、実力派の噺家さんの一人だと思います。
「柳の宮喜多八殿下」も、登場の時も奇をてらわずに、普通に出て来て、正面から観客にぶつかって行ける噺家さんでしょう。
虚弱体質・・・は、芸人さんとしての"照れ"なんでしょうか?

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