師匠との雑談
最近、先代の三遊亭金馬師匠のレコードをCDにコピーして、頻繁に愛車で聴いているそうです。
噺の整理をされている中で、金馬師匠のことを研究する必要があったようで。
師匠:「佐々木政談」なんかは、うちの師匠(圓生師匠)のと同じところ
がたくさんあった。きっとうちの師匠が教えたんだろう。
流三:確か金馬師匠は、「池田大助(池田政談)」という題名で演って
いましたよね。
師匠:そうそう、師匠が「金馬さんが題名を変えてやっている・・」とか
何とかぶつぶつ言っていた気がする。
金馬師匠は、大岡越前の実在の家来の名前を充てて演って
いたようだね。
うちの師匠が教えた噺は、ほかにもいくつかあるみたいだよ。
・・・昭和を代表する師匠同士、どうやって噺を教え合っていたのでしょうか。
恐らく二人とも、物凄く頑固な明治生まれの人ですから。
年齢は、確か金馬師匠の方が5~6歳上だったはずですが・・・。
先代の三遊亭金馬師匠は、「佐々木政談」を「池田大助」という題名で演っています。
くすぐりも内容も全く同じですが、主人公の奉行は大岡越前守になっています。
子供は”大ちゃん”の池田大助です。
池田大助は大岡越前の第一秘書(?)になった人だと言われているそうです。
圓窓師匠は、お弟子さんもよく演っていますが、「桶屋裁き」という題名にして、オチをつけています。
21日の鈴本演芸場の下席(昼)初日のトリでお演りになりました。佐々木信濃守は大阪からやって来て頓知頓才がある。
身を変えて下城視察に江戸の市中を歩く。
ある日、浪人姿で、三造という家来を連れて、新橋まできた時、子どもたちがわいわいがやがやと騒がしい。
待っていると、お裁きごっこをやっている。
罪人役の子どもの前に奉行役の子どもが現れ、自分を佐々木信濃守と名乗る。
二人に気づき、吟味の邪魔だから下役の子どもに竹の棒で叩いて追い払うように命ずる。
二人は脇に隠れてみている。
しかし、なかなかの名裁きぶりを見せた上に、罪人役からのなぞなぞに見事に答える。
信濃守は感心して、三造に子どもの後をつけ、親にあって、明朝四つ、親子、名主五人組同道の上、奉行所に出頭するよう伝えるように申しつける。
子どもは桶屋の高田屋綱五郎の息子の白吉だ。
三造から出頭するよう言われて、綱五郎、大家も訳がわからない。
白吉に聞くと、遊んでいて浪人を竹で叩いたというので、浪人は佐々木信濃守でお咎めがあるのだろうと、心配で一睡もできない。
次の日、皆でお白州へはいる。奉行が登場する。
遊びの裁きを褒めると、芝居で覚えたのだという。
頓知は即決だと聞いて感心する。そして問答を持ちかける。
奉行「天の星の数を知っておるか」
白吉「お白州の砂利の数ご存じですか」と返す。
奉行「してやられた」
何度質問しても、機転の利いた答えが返ってくる。
奉行は綱五郎に、白吉を寺子屋で学問を身につけ、十五になったら近習(家来)としたいと申し出る。
白吉も奉行を気に入ったので家来になってもいいという。
父親「侍になりてえって、代々伝わった桶屋はどうするつもりだ」
「え~、おとっつぁん、すておけ(桶)」
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