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2011年6月

2011年6月30日 (木)

水無月の落語徘徊

rain蒸し暑い梅雨の1ヶ月でした。
住吉神社
6月もあっという間に過ぎてしまいました。
上旬には○○、中旬には□□、下旬には◇◇・・。
それぞれ未来で輝く過去にすることが出来たでしょうか?
ライフワークたる落語徘徊は、相変わらずのところです。Photo
先月は、うっかりして東京落語会に行くのを忘れたりで散々だった寄席・落語会めぐりですが、いくらか復活の兆しありです。
最後の日曜日に、師匠がトリを勤めている鈴本演芸場に行き、改めて寄席の良さを実感しました。
寄席こそが噺家さんと観客の出会いの場所だということです。
権太楼師匠も、一朝師匠も、勿論圓窓師匠も、一人で会場を満席に出来る師匠たちが、実に楽しそうに高座に座っている。
肩の力を抜いて、語ってくれる。
寄席に慣れないお客さんの、間の抜けた反応やマナー違反の所業も、笑いが包んでくれている。
この気の置けない空間が貴重だと思います。
鈴本下席
   ◆  8日      人形町らくだ亭
   ◆ 11日      大手町落語会
   ◆ 17日      東京落語会
   ◆ 18日      朝日名人会
   ◆ 25日      さん喬師匠を聴く
   ◆ 26日      鈴本演芸場下席
                   
先月の「お江戸OB落語会」の映像を、寝蔵師匠がDVDに編集してくださいました。
改めて、自分の噺の至らなさを痛感しました。
しかし、そんな過ぎ去ったことばかりは言っていられません。
次回11月のOB落語会の企画を始めました。
とりあえず出演者が確定しました。
     扇子っ子連・千早亭稽古会
稽古は、「落語っ子連・三流亭」、「扇子っ子連・千早亭」の両方に顔を出しました。
いずれの稽古会でも、「救いの腕」の読み稽古をしましたが、とても難しい噺で、かなり手こずりそうです。
本当に性根を入れて取り組まないと、今までのような訳には行きそうにありません。
そして来月、いよいよ被災地の南三陸町へ、落語慰問に行くことに決めました。

師匠のコメント

ear師匠のブログから、昨日の「千早亭」の稽古会でのコメントを。
読ませ稽古、永久[救いの腕]。
 じっくりと丁寧に読んで行間を読み込んでいるのがいい。
師匠も、これぐらいしかコメントしか出来ない程度なのだと思います。
まだ、高座本を読んでいるだけですから。
それでも、ご自身が創作した噺ですから、じっと目を閉じて聴いてくださっているのが分かります。
何ヶ所かの言葉のイントネーションのご指摘と、無口な善吉との会話のテンポなどをご指導いただきました。
ほとんど女性二人の会話であること。
よく出来たストーリーではあるものの、創作落語なので、まだ言葉が揉まれていないこと。
従って、言い回しや言葉の加除も必要だと思われますので、噺も演者もまだまだ練り上げが必要です。
そういう意味でも、極めてハードルの高い噺だと言えます。
登場人物の名前を、師匠のオリジナルではなく、自分が気に入っている名前に変え、台詞の中で名前を言う場面を作ったのも、奏功している気がします。
「お里姉さんいる?」
「あぁら、お香(こう)ちゃんじゃないの。」
なんていう調子で・・・。
稽古の後、屏風さんが、「珍しい雰囲気の落語ですね」と仰いましたが、そうなんです、とても難しい噺を選んでしまったんです。
「扇子っ子連・千早亭一門会(発表会)」は、10月2日(日)です。

三遊亭鳳樂独演会

sadしまった、29日は「三遊亭鳳楽独演会」だった・・・。
演題は、確か「鼓ヶ滝」と「猫忠」だったはずです。
また忘れた・・・cryingトホホ ゚゚(´O`)°゚

先輩からの励まし

shine南三陸への慰問に対して、落研の先輩方からも励ましのお言葉を頂戴しています。
蕪生師匠、寝坊師匠、四分椿師匠・・・・。
新潟にお住まいの寝蔵師匠は、もともと「一緒に慰問に行きましょう」と約束していたのですが、もうひとつのご趣味でもある和太鼓で、夏祭りにご出演されるそうで、残念ながら今回もご一緒できません。
お聞きするところによれば、新潟圏内にも、避難されている方が、多数いらっしゃようで、和太鼓演奏も聞いているかもしれません。
寝蔵師匠は「何かお力に成れれば・・・・、と思って叩きます。」と仰っていました。
・・東京と新潟と宮城・・、思いは同じです。

足袋と雪駄

foot恥ずかしい話ですが、発表会などで足袋を履くと、土踏まずから足先がつってしまいます。
一旦足首を返してから履き直します。
足袋を履いて雪駄を突っ掛けると、また(親)指の付け根がつってしまいます。
慌てて脱いで、足を揉んで履き直します。
普段使い慣れない筋肉?を動かすからでしょうか・・?
ここのところは、先日買った通勤用の革靴の靴擦れに苦しんでいます。sweat01
なんともはや・・トホホ。

ぴん吉さんから

rvcar南三陸町に慰問に行くに際して、ぴん吉さんからの情報です。
公演時間は約1時間なので、出演者は3人位がちょうどいい。
公演開始の16:30に合わせて、14:00仙台出発の予定。
仙台駅東口、代々木ゼミナールの前で待ち合わせ。
準備する物は特にない。(身体ひとつでよい。)
会場は南三陸町「ホテル観洋」。
現在、避難されている方はおよそ600名だそう。
そのうち寄席を見に来られる方は、50~100名程度であろう。
会場はホテルのコンベンションホールの予定で、大きめのステージがある。
同ホテルには6月上旬に、腹話術師の「いっこく堂」が慰問に来た。
他にもプロの歌手なども来ている。
避難所の中でも特に被害の甚大であった方々が集まる、大変シビアな所かと思われる。
・・・気が引き締まります。

2011年6月29日 (水)

師匠との雑談

happy01千早亭の稽古会で、師匠と雑談。
まずは、南三陸への慰問の報告。
被災地の慰問には、仙台の友楽師匠が大活躍という話題になり、11月のОB落語会にもご出演する予定だと伝えました。
師匠「そう、頑張っているんだねぇ。(友楽さんはじめ、落研創部直後の人たち)みんなに会いたいなあ。OB会はいつだったっけ?」Photo
乱志「11月12日(日)です。」
師匠「場所は、この間と同じ?雷門だっけ?」
乱志「はい、田原町駅からすぐの"浅草ことぶ季亭"です。」
師匠「そうか。行けるかどうか分からないけど・・・」

・・と、日程をメモされました。
実は、昨年第一回の「お江戸OB落語会」の時も、師匠にお話したところ、
師匠「行けたら行こうかなぁ・・」Photo_2
乱志「ありがとうございます。でも、事前に師匠がご来場になると伝えると、出演者一同が緊張して大パニックになりますので、ここは暫く黙っていて、当日のサプライズということで・・」
なんていう会話をしていました。
残念ながら、その時は、窓輝さんの真打昇進などの大イベントのために、叶えられませんでしたが、今年は・・・もしかすると?
正直なところ、なかなか実現は難しいと思いますが、楽しみにしていたいものです。

南三陸7.17決定


rock被災地へ落語慰問に赴きますsign03
友楽師匠とぴん吉さんと3人で南三陸町へ。
多感な青春時代、18歳から25歳までの約7年間を優しく育んでくれた第2の故郷への、ささやかな恩返しの気持ちです。
ちょうど「千早亭」の稽古会の日だったので、圓窓師匠にもご報告しました。
「師匠、仙台に落語慰問に行って来ますsign01
「あぁ、それは良いことだ。一生懸命に演って来るといい。」
・・・と、喜び、励ましてくださいました。
car当日は、ぴん吉さんの車で、仙台を昼過ぎに出発し、三陸道を一路現地へ入る予定です。
ぴん吉さんによれば、大きな建物に数百人の方々が避難しているそうです。
school当日の会場も100人以上が入れる場所だとか。
行ってみないと分からないことばかりで、不安もありますが、とにかく、心を込めて、師匠に言われたように一生懸命語って来ようと思います。
心を込めて、一生懸命に・・。

含笑寺

1

bud含笑寺なんていう粋な名前のお寺があったものですね。含み笑いなんて・・。
名古屋市東区にある曹洞宗の寺院。
師匠が「圓窓五百噺を聴く会」をお演りになった、思い出深い場所です。
享禄元年(1528)織田信秀(信長の父)が生母「含笑院」の菩提を弔うため清須の土田村(どたむら)に建立。
清須越にて当地へ移りましたが、当時の寺域は約4000坪。2
山門は薬医門で清須城の城門と伝えられているものを移築。又寺名にふさわしい文化行事として昭和42年3月「含笑長屋・落語を聴く会」が結成され、平成4年には開創450年記念として「含笑長屋」が設立されました。

若かりし圓窓師匠が、そのライフワークとして始めた「圓窓五百噺」。
その第1回の記録に、師匠の「宣言」というのが残っています。

             宣 言
   私は自分の寿命を六十前後と踏んだ。
  一席物として演れる噺は五百あるとみた。
そして、隔月に三席ずつ、二七年一〇ヶ月かけて、
        五百の噺を稽古しよう。
      達成後、まだ寿命があったら
       すべてのものに感謝して
        また、なにか、やろう
    この会は人に自慢するためでなく、
    己れに鞭を打つことを目的とする。
               昭和四八年三月一三日
       第一回 圓窓五百噺を聴く会

       (名古屋・含笑寺)の高座にて。

また広瀬さんの評論

shadow立川談笑さんは、あまり聴いたことがありませんが、かなり人気のある噺家さんのようです。
広瀬さんが採り上げるぐらいですから・・・。
立川志の輔・立川談春・立川志らく。
この三人が立川流の俊英三羽烏だが、彼らに続く「第四の男」として確固たる地位を築いているのが、改作落語で人気の立川談笑だ。
1965年生まれ、東京出身。
早稲田大学法学部卒業後、予備校講師をしながら法律家を目指したが、1993年に立川談志に入門。
1996年に二ツ目、2005年に真打に昇進している。
談笑は落語界で最もアグレッシヴに「現代における大衆芸能としての落語のあり方」を追究している演者の一人だ。
彼は落語常識に囚われない自由な発想で古典落語を「現代人にウケる噺」に作り変える。
滑稽噺から大ネタ、人情噺に至るまで、談笑が手がける古典は数多いが、それはすべて大胆な「改作」だ。
「現代人のための古典の再構築」の先駆者に立川志らくがいるが、彼の根幹にあるのは強烈な「落語愛」だ。
「古典落語は優れたエンターテインメント。もしも現代の観客に通じないとすれば、それは演者の怠慢である」と志らくは考える。
一方、談笑の原点には古典への「懐疑」がある。
「現代人が古典を古臭いと感じるのはむしろ当たり前。だが、工夫すれば面白くなる」これが談笑の発想だ。
たとえば古典の名作『芝浜』にしても、談笑はまず「いくら酒浸りでも、夢と現実の区別が付かないのはおかしい」と疑ってかかる。
「なのに亭主は女房の『財布を拾ったのは夢』という主張を受け入れた。何故?」――そういう発想で談笑の「改作」は展開し、「論理的に正しい解答」となるべき新演出に到達する。古典に違和感を覚えながら、古典から逃げない。それが談笑だ。
※週刊ポスト2011年7月1日号
「芝浜」を「しゃぶ浜」とかいう噺に変えてやっているようです。
特別興味はありません。
そういう、前衛的な?噺家さんもいる(居る・要る)のでしょう。
私はやはり寄席から育った芸が好きです。

2011年6月28日 (火)

オムハヤシ

オムハヤシ
restaurant稽古帰りの腹ごしらえ。
今夜は「読み稽古」で疲れましたから、少し奢ってオムハヤシを・・。
コレステロールには良くありませんが、今夜ぐらいはいいでしょう。
稽古のこと、思っていた以上に難しい「救いの腕」のこと、その他諸々の憂いを思いつつ・・。

扇子っ子連・千早亭稽古会

扇子っ子連・千早亭稽古会
karaoke「扇子っ子連・千早亭」の稽古会。
三十一・ワッフル・屏風・和歌女・軽太・早千さんと私の7名。
師匠も、寄席出演のお疲れも感じられない、とてもお元気な様子でした。
扇子っ子連・千早亭稽古会軽太さんは「道具屋」の読み稽古。  
扇子っ子連・千早亭稽古会屏風さんは「三方一両損」。
扇子っ子連・千早亭稽古会三十一さんは「転失気」。
千川早千さんは「伽羅の下駄」。
そして、私は「救いの腕」の読み稽古。
やればやるほど難しさを実感する噺で、もしかすると今まで味わったことのない産みの苦しみを経験するかもしれません。
稽古のやり方も考えないといけません。
この千早亭の発表会は、10月2日(日)ということに決まりましたので、何とか間に合わせないと・・・。
メンバー全員、良い意味で落語に慣れて来て、なかなか良い雰囲気の稽古会です。

千川駅から千早地区文化創造館

subway「扇子っ子連・千早亭」の稽古に向かうため降りた「千川」駅。
                       千川
豊島区のカルチャー講座のポスターが貼ってありました。
勿論、「三遊亭圓窓の落語教室」も入っていて、「満員募集終了」のシールが貼ってあります。
これが、われわれ千早亭の姉妹連ともいうべき、「扇子っ子連・要亭」です。
朝大先輩が、「要亭長矢(ながや)」という名前で参加されているという訳です。
千川

南三陸7.17

mailto仙台の駄馬師匠からメール。
南三陸町への落語慰問の件。
「(先輩の桂友楽師匠から)我々の持ち時間は1時間なので、あまり時間がないが参加いただければありがたい。」とのこと。
bullettrain仙台に行って落ち合って、ぴん吉さんの車に乗せてもらって・・、ということになるでしょう。
三陸道を使っても2時間以上かかるということです。car
よしsign01行って来ようsign03
早速、ぴん吉さんと打ち合わせることにしました。

当代桂文楽師匠

Photo

noodleこんな記事を見つけました。
当代(九代目)桂文楽師匠のこと。
「ペヤングソースやきそば」のTVCMが懐かしい
テレビで寄席番組が大きな比重を占めていた70年代、この噺(はなし)家は“四角い顔”で人気だった。
「顔は四角でも味はまろやか」がウリのカップ麺「ペヤングソースやきそば」のテレビCMが懐かしい桂小益さんだ。
92年には落語界の大名跡の「桂文楽」を襲名したが、その際、関係者やファンの間に大ブーイングが起きた。
あれから約20年。
9代目文楽師匠は今どうしているのか。
「きょうは『替わり目』ってのを15分ばかり。
簡単にいやぁ酔っぱらいの噺です。
アタシは女を演じるのは苦手だが、酔っぱらいは得意でしてね。
だから、酒がらみの噺はよくします」
鈴本演芸場近くの喫茶店で会った文楽師匠、まずはこう言った。
ウン? 四角い顔が丸みを帯びたんじゃないか。
「お客さんからも丸くなりましたね、太りましたね、っていわれますよ。
カネ残しちゃったから、なんて冗談で応えてるんだけど、今でもやきそばのイメージがあるみたいだねえ」
「やきそば」とはもちろん、「ペヤングソースやきそば」のこと。
75年の発売以来、師匠は17年間にわたって同商品の“顔”としてテレビCMに出演していた。
「CMが作られたのはちょうどアタシが四角い顔を売り物にテレビやラジオに出まくってた頃。
ペヤングは他のカップ麺と違って器が四角なもんだから、アタシのキャラがピッタリということで起用されたわけ。
ただ、商品名は今のと違って、最初は『ペアでヤングがソースヤキソバ』とやたら長かった。
で、それを『ペアヤング』に変えたところ、アタシが録音で『ペヤング』とかんでしまいましてね。
結局、それが商品名になっちゃった。
つまり、アタシは名付け親でもあるんです、ハハハ」
「メディアには出なくなりました。本業に立ち返ったってことですかね」
さて、浅草生まれの江戸っ子の師匠は57年、先代文楽師に入門、桂小益を名乗る。
73年、真打ちに昇進し、92年、落語界の大名跡のひとつ、桂文楽を襲名、9代目となったが、これが内外に大波紋を広げた。
「アタシはね、小益として知名度が定着して、それで満足だったの。
でも、当時、落語協会会長だった先代の小さん師匠を中心に襲名を推す声が強く上がり、それで継ぐことになったんですよ。
もちろん、先代は“昭和の名人”といわれた人。
その大看板を継ぐわけで、そりゃ悩みに悩みましたよ。
結論を出すまでに半年ほどかかったのかな。
ええ、襲名直後は“アイツに落語はできるのか”に始まり、いろいろ言われたもんです。
タレント的なイメージが強かったんでしょう」
テレビ、ラジオから師匠の姿が消えて20年近くになる。
「文楽襲名以来、メディアには出なくなりました。
その代わり、寄席は当然のこととして、落語会で地方を飛び回ったり……。
ま、本業に立ち返ったってことですかね。
あと、5年ほど前に『桂文楽のちょっと粋な話』(実業之日本社刊)なんて本も出してる。
これは週刊誌に2年ほど連載したエッセーをまとめたもので、存外売れましてね。
印税もそれなりに入り、四角い顔がさらにまろやかになりました、ハハハ」
豊島区内に夫人とファッション関係の仕事に就いている一人娘の3人暮らしだ。
(日刊ゲンダイ2011年6月20日掲載)

そうでした。
桂文楽襲名の時は、正直なところ私も違和感を禁じえませんでした。
それは、先代があまりにも大きな存在だから。
当代の金馬師匠もご苦労されて来たことだと思います。

襲名と言うのは難しいものです。
名跡が原則世襲のような世界ではありませんから、名跡が大きければ大きいほど、襲名が難しくなる訳です。
圓生という大名跡もそうです。

「昭和の名人完結編」(10)

cdPhoto「落語 昭和の名人完結編」の第10巻目は、三代目桂三木助。
◇ 崇徳院      桂三木助
◇ ねずみ      桂三木助
◇ 近日息子     桂三木助
何と言っても「ねずみ」ですよ、「ねずみ」。
上手いだとか、好きだとかもあります。
その人の生き様みたいなものを気にしたりすることもあります。
恐らく、この師匠は、放蕩・道楽という言葉が似合う人だったのではないかと思います。
私の「イズム」から言えば、出来ることなら一番遠ざけたいような世界を生きて来たのではないかと、経歴などを見ていて思います。
そもそも、落語の世界自体が、歴史からは外れた、非公式な?世界でもあるのですから、そんな(私のような)了見の者が好きになる世界ではなかったのかもしれません。
そこに、例えば廓噺をやる気にならない私と落語との限界・壁があるような気がするのです。
でも、没後50年が経ち、細かな柵(しがらみ)などを考えずに、純粋な話芸として聴いた時に、この師匠は、私の中にすぅ〜っと入って来ました。
「ねずみ」も「火事息子」も「三井の大黒」も。
死して残した虎の皮の素晴らしさのようだと言うと、ちょっと違うのでしょうか・・・。
また配本の内容とは全く関係ない話題になってしまいました。

風と曼荼羅

sun落語の世界の符丁に「風」と「曼荼羅」というのがあります。
風というのは扇子、曼荼羅は手拭いを指します。
最近、噺家さん必携の小道具である「風と曼荼羅(扇子と手拭い)」を持ち歩く、粋なところが増えているとか。
と言っても、噺の稽古を始めたってぇわけじゃぁない。 Img
手拭い
「節電」の下での酷暑の夏を迎えて、エアコン普及前の日本が生んだ伝統の和小物が「涼をとるエコな実用品」として復活しています。
「今年は30歳前後の若い方も扇子を購
入している。前年の2倍の売れ行きです」と、某大手百貨店。
150種が並ぶ売り場で週に300~500本が売れている。
中心価格帯は5千~7千円。
男性にはスーツになじむグレーやブルー系が人気。
女性用はチョウチョのチャームがとまった「アナスイ」など、人気アパレルブランドの商品が色鮮やかに目を引く。
「開いて『おっ!』と思われる扇子を持ちたい。そんなニーズを感じる」ということ。

同時に週に1千枚以上も売れているのが手ぬぐいだ。「汗ふき、日よけなど使い勝手が良く、扇子とセットの需要も高い」とのこと。
「手拭いにはムダがない。使い込む過程でさまざまな用途に使え、最後は雑巾になる。切りっぱなしでもほつれにくく、折り返しの厚みがないぶん乾きやすくて清潔」ですからと。

・・・とこういう訳。
未曽有の大震災で日本は多くの命や財産を失ったけれど、経済優先のなかで置き忘れてきた古き良き大和心を取り戻しつつある…。
そんなに大袈裟に言うこともないと思いますが、良いものは良い。
その良い物が、実は昔から身近にあるのに気がつかなかったということでしょう。

2011年6月27日 (月)

花緑さんの記事

memo本日の日本経済新聞朝刊第5面に「柳家花緑」さんが登場。
凄いですねぇ・・。
スポーツ新聞や夕刊の付録ではなく、天下の日本経済新聞です。
「インタビュー領空侵犯」という激しい題名のインタビュー記事。
「被災地」に縛られるな・まず自分の仕事をきちんと という見出し。
批判をする訳ではありませんが、「災害→義捐金・ボランティア」と、お祭り騒ぎや売名ではないかと思ってしまうほど派手に出張る人がいることも確かな中で、しっかりと自分のやるべきことを明確にしておくことこそ大事なことだと思います。
震災の直後に、圓窓師匠も「一人でもお客さんが来てくださったら、寄席や落語会をやるんだ。」と仰っていました。
さん喬師匠も、「こういう時こそ普通にしていることが大事だ。」と。
被災地にほとんど縁のないのに頻繁に被災地に電話やメールを送り、安否を聞きまくった人、「被災地の人に勇気と希望を"与える"」などと高い所からの物言いで、善意の押し売りをするような人・・・。
「佃祭」の次郎兵衛さん、「救いの腕」の善吉さんのように、人の命を助けて、名も告げずに立ち去る・・。
それのみが素晴らしいとは思いませんが、これが、日本人の美学のひとつだったと思います。
震災を経験して、日本人の中にあって、日本人が忘れていた部分が呼び覚まされたとしたら、それはそれでよかったのかもしれません。
"世の中の 情は人のためならず 巡り巡りて 己が身のため"

寄席

200905201636001

師匠が寄席出演を本格的に再開されたこともあり、久しぶりに寄席に行き、楽しい時間を過ごしました。
稽古や発表会で、落語に触れていない訳ではないのですが、ここのところ暫くは行っていませんでしたので。
ぼんやりとのどかな空間にひとり身を置いている時間は、やはり様々な浮世の憂いから逃れることができる至福の時間でもあります。
普段が辛ければ辛いほど、この幸せな空間の大切さを実感することができます。
私にとっては、他愛もない噺の中に、人の情や人の道といったものを自分なりに考えることができる場所でもあるのです。
時には、「これでいいのかな」・「なぜ分かってもらえないのだろうか」とか・・、様々な煩悩を抱えている時に。
鈴本下席
それに、時間は限られていますが、吉窓さんも、権太楼師匠も、一朝師匠も、勿論圓窓師匠も、演じる噺家さんたちが、本当に楽しそうに輝いている。
やはり噺家さんのホームグラウンドなんですね。
寄席というのは。
久しぶりに寄席に行って良かった・・。
また来月も、圓窓師匠が寄席にご出演されますし、せいぜい通うことにしたいものです。

東京かわら版

東京かわら版
散歩に持ち出した「東京かわら版」7月号。
上野の行きつけの喫茶店でひとりコーヒーを飲みながら・・・。
とても嬉しいのは、師匠は来月も寄席にご出演になるということ。
上席は浅草演芸ホール、中席は新宿末廣亭で。
新宿は、夜の仲トリのようですから、一度は行きたいと思います。
それから、9日はチャリティ復興寄席、22日は一門会です。
7月はいよいよ夏本番で、色々な行事があります。
  ○  7日      小暑・七夕
  ○  9・10日   ほおずき市・四万六千日
  ○ 16日      薮入り
  ○ 21日      土用丑の日
  ○ 23日      大暑
ただし、6~8日に予定されていた入谷の朝顔まつり(入谷鬼子母神の朝顔市)が中止となってしまったのがとても残念です。Imgp0770
下谷観光連盟ならびに入谷朝顔実行委員会と致しましては、震災に伴う大幅な電力不足や交通機関の運行状況も懸念されること、また警察等の警備体制も例年通りにとれる状況にないことから、本年度7月6日・7日・8日で予定をしておりました「入谷朝顔まつり」を様々な意見もありましたが中止とさせて頂きます。
・・だそうです。いつもなら、ワクワクするのですが・・・。

藪入り

古今亭志ん橋師匠のCDを聴きました。
今まで聴いたのと同じパターンのオーソドックスなものでした。
やはり、これでなくてはいけない。
先代の三遊亭金馬師匠、先代の三遊亭圓楽師匠の音源がネタ本のベースとしてはよい感じです。
今回は、トリではありませんから、全体的にカットする必要があるかもしれません。
ところで、この「薮入り」で、父親との繋がりを強調する意図があるからか、母親が継母という設定で演じられている場合があります。
「文七元結」でも、熊さんのおかみさんは、娘のお久の継母という設定です。
私は実の親子でも全く問題(無理)がないと思います。
ですから、「薮入り」の親子は、実の親子で演りたいと思います。
勿論、いつか演るチャンスがあるかもしれない「文七元結」でも。
実の父・母・娘で・・・。
"かくばかり 偽り多き 世の中に 子の可愛さは まことなりけり”

ココロ寄席

Image

先日のさん喬師匠の会の主催者がやっているという、震災被災地支援プロジェクトだそうです。
要は、募金やグッズ販売による収益金で、被災地に噺家さんを派遣し、落語会を開こうというもの。
それも、大きな避難所でなく、20人ぐらいの小規模な所へと・・。
さん喬師匠も協賛していて、弟子のさん若さんは何度か現地に行っているそうです。
我々も、ささやかではありますが、手弁当で落研ОBが慰問を続けています。
7月17日には、南三陸町に行く予定ということなので、不肖私も手を挙げています。
スケジュールさえ合えば・・。
ただいま仙台の駄馬師匠や友楽師匠に調整をお願いしているところです。
私は、勇気や感動を"与えよう"などとは露も思いません。
たったひとときでも、笑ってもらえる瞬間を持ってもらえればと思うだけです。
感動したり勇気を持つのは現地の方々、我々は謙虚に心から落語を演るのみ・・。
結果的に「勇気や感動を与えてくれた」か(どうか)を判断するのは、我々以外の方々です。

2011年6月26日 (日)

師匠にメール

家に帰って、師匠にメール。
師匠、仕事やら何やらで、なかなか寄席に行くことができませんでしたが、本日やっと鈴本演芸場へ行くことが出来ました。
師匠の「町内の若い衆」を聴かせていただきました。
師匠のマクラに、私の周りの(うるさい)オバタリアンたちも、いちいち「う~ん」と唸り声のような相槌を打っていました。
多士済々な寄席の出演者がいて、トリでビシッと締めてもらうと、寄席の楽しさが倍増します。
師匠には、今後もご体調には気をつけていただきながら、寄席にご出演いただきたいと思います。
来月も、浅草と新宿にご出演のようで、特に新宿は夜ですから、何とかお邪魔したいと思います。
早速に「しめしめ、よろしく」という、お礼の返信を受信しました。
昨日まで3日間は、愛知県方面に行っておられたようで、落語の授業や五百噺をお演りになった含笑寺での落語会など、ご多忙だったようです。
頓平師匠に頼まれた高座本は、今日のトリの噺「町内の若い衆」のはありますが、他の2題はこれから作るそうです。

鈴本演芸場6月下席

勿論、今日の外出の最大の目的です。鈴本下席
師匠がトリを勤められる鈴本演芸場の昼席。
開演とちょうど同時に入ると、既にほどほどの入り。
前から10列目ぐらいの通路側の席を確保。
鈴本下席
  ◆ 反対俥           柳家ほたる
  ◆ 十徳             三遊亭窓輝
  ◆ 新作             五明楼玉の輔
  ◆ 巷談             鈴々舎馬風
  ◆ 狸札             三遊亭吉窓
  ◆ 子ほめ           柳家権太楼
  ◆ 饅頭こわい         桂藤兵衛
  ◆ 手紙無筆      橘家文左衛門
  ◆ 芝居の喧嘩      春風亭一朝
    ◆ 町内の若い衆    三遊亭圓窓
  鈴本下席  多士済々でしたね。
中年以上の女性(オバタリアン)が多く、私の隣のおばさんも、独り言を言ったり、斜め前の3人はお喋り。
隣の列の夫婦は、とくに旦那の方がうるさい・・。
まぁ、これも寄席ということですか。
落語会でよく聴く師匠方が、寄席では比較的小品(前座噺)を演るのが、これまた面白いものです。
権太楼師匠の「子ほめ」、吉窓さんの「狸札」、藤兵衛師匠の「饅頭こわい」なんて。
「そうか。そういうふうに自分の語りにするのか・・。」と、大変参考になります。
「いっちょう(一朝)けんめいやります。」という一朝師匠のくすぐりは、寄席でずっと使って来て、今や師匠の定番になり、落語会では、お客さんは知っているから、演る前から拍手が起こります。
ところが、もともと演っている寄席では、ほとんとが初めて聴くくすぐりで、拍手まで起こることはありません。
寄席とホール落語会の違いが如実に出る部分です。
圓窓師匠のトリは「町内の若い衆」ですが、マクラが面白かった。
何度か聴いたことのあるものが多かったものの、これも観客にしっかり訴求できていますから、「う~ん」という唸り声のような相槌が客席から沸き上がる。
なるほど、これがプロなんですね。

ひと休み

一休み
上野の街でゆっくりできる場所を探すのは難しいですが、とある喫茶(珈琲)店がお気に入りです。
不忍池からアメ横と歩いた後で、思わず立ち寄り、昼食を兼ねてひと休みすることにしました。
                     一休み
ゆったりした店内、ショーケースに飾られた皿やカップを楽しみ、店内に流れるクラシック音楽に耳を傾け、ミックスサンドイッチを頬張りながら読む、昨日届けられたばかりの「東京かわら版」は、実に乙なものです。
さあ、これから上野の何処に行きましょうか・・?。

上野ひとり歩き

今日は1日ゆっくり休んでいようと思ったのですが、靴がヨレヨレになっていたのに気がつき、ホームグラウンド?の上野に出ました。
上野徘徊
何年か前に、同じタイプのデザイン違いをペアで買い、ずっと履き続けていたので、今回もと思って行ったのですが、確かこのあたりに・・という場所に店がありません。
店の名前など覚えている訳がありませんから、別の店に行くことにしました。
上野はみちのくの玄関口でもあり、アメ横にも、"けっぱれ東北"の横断幕が掲げられています。
   上野徘徊   上野徘徊
不忍池はすっかり蓮の葉に覆われて、池の端に咲く紫陽花の先の蓮沼越しの清水さまの弁天堂がきれいでした。
ライトアップされた夜とはまた違う趣きです。
      上野徘徊   上野徘徊
落語「崇徳院」で、若旦那がお嬢さんに一目惚れした場所です。
二人が「われても末に会はむとぞ思ふ」神聖な場所。
池の端の「下町風俗資料館」では、東京の路面電車に関する展示が行われています。
久しぶりに上野を歩きました。

落語はやおき亭

早起きをしたと言っても、横になったままボーッとしながら・・。
  ◇       豊竹屋                林家正雀
義太夫というのは、よく分かりませんが、こういうものは、はまるとはまってしまうものなんですねぇ。
なかなか素人には出来ない噺です。

雨と紫陽花

雨と紫陽花
梅雨時に咲く花と言えば「紫陽花」。
「紫」は、「あ」と読むのか、「あじ」と読むのでしょう。
「花」は、「さい」か「い」・・?
日本語は難しい・・。
「百舌鳥」なんて、どこが「も」なんだろう?
蒸し暑い日本の夏。
鬱陶しい日本の梅雨。

落語でデート

昨夜は早めに床に着いたので、朝6時もさほど苦になりませんでした。
今朝は、お婆さん落語の先代の今輔師匠。
◇  旅行日記          古今亭今輔
お婆さん落語ではありませんが、今輔ワールド全開の噺です。
今輔師匠の魅力は、あのダミ声?とスピーディーな語り口です。
ゲストが宝塚の人で、群馬県出身だそうですから、今輔師匠ということになったのでしょう。
・・この噺、米丸師匠ので聴いたことがあったかもしれません。

紀伊國屋寄席のチケット

紀伊國屋寄席のチケット
「藪入り」のCDをと、新宿の紀伊國屋書店に行きました。
すると階段に「紀伊國屋寄席」のポスター。
志ん輔師匠とさん喬師匠がご出演。
公演は7月1日。
「もう売り切れかな?」と思いつつ、5階のキノチケットカウンターへ。
「席ありますか?」
「どの(何の)席ですか?」
私の頭の中は「紀伊國屋寄席」一色ですが、係の人には「?」・・。
「あぁ〜、寄席、寄席。」と大騒ぎ。
久しぶりに行くことになりました。

藪入り

藪入り「薮入り」の稽古の準備もそろそろ始めないといけません。
この噺は、先代の金馬師匠か圓楽師匠あたりが、音源としてはポピュラーです。
それでも、色々別の人の噺を聴いておこうという訳で、CD2枚を買って来ました。
「柳家小のぶ」師匠と「古今亭志ん橋」師匠のもの。
小のぶ師匠は、そもそも全く聴いたことがない師匠なので、とりあえず先に。
・・・初めて聴きましたが、何とも個性のある師匠ですね。
ハスキーな声、独得の調子・・・。
昔の寄席の噺家さんの雰囲気っていうのかなぁ。
で、落語を演るにあたってはというと・・・、私にはちょっと難しい感じがしました。
ただ、この噺でやや気になっていた舞台背景。
江戸時代か明治以降かという点では、時刻を「12時・3時」でなく「九つ・七つ」でしたから、これはいただきということにして、江戸時代でやってみようかと。
古今亭志ん橋師匠のは、これから聴きます。

「第3回お江戸OB落語会」の香盤案

Rimg0007

11月の「お江戸OB落語会」に、くるみさんの出演が叶わないことが分かったことを受けて、香盤を再検討しないといけません。
再検討と言っても、仲主任と主任、開口一番と食いつきは、ほぼ決まっていますので、それ以外にあまり変えようもないのですが・・・。
それにしても、5ヶ月近くも先の落語会のネタ出しをするとは、何とも大胆というか・・・。
ということで、「第3回お江戸OB落語会」の香盤は・・・、
 ◇ 転失気      賀千家ぴん吉
 ◇ カラオケ病院  桂友楽
 ◇ 厩火事      南亭蕪生
 ◇ 宿屋の冨    喰亭寝蔵
        仲入り
 ◇ 六尺棒     破れ家笑児
 ◇ 薮入り      金願亭乱志
 ◇ らくだ      談亭志ん志
こんな感じかなと・・・。

師匠との雑談

師匠が出演していた浅草演芸ホールの楽屋で、圓生師匠の手によるものと思われる色紙の真贋をめぐる話。Photo_2
この色紙には、富士山が描かれていて、「わが庵は我か庵はみやこの戌亥志家そ住む予を噺家と人は以うなり 六代 三遊亭圓生」と丁寧に書かれてあったそうです。
見たことのない歌と落款ですが、手は圓生師匠のに間違いないようだったとのこと。
百人一首に喜撰法師の歌で、「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」という名歌がありますが、これをもじったものです。
師匠:元歌の「みやこの辰巳」でなく、「みやこの戌亥(いぬい)」になっているんだよ。Photo_3
流三:「戌亥」は北西の方角になりますから・・、圓生師匠のご自宅のあった柏木(北新宿)をさしているのではないですか?
師匠:うん、そうかもしれないね。

圓生師匠の若かりし頃の色紙。
垂涎の品物ですね。
ところで、晩年の圓生師匠は、色紙などに「根なし草語る浮世を圓く生き」と、よく書いておられたと思います。

2011年6月25日 (土)

寺町歩き

  寺町歩き  寺町歩き
雲光院でのさん喬師匠の落語会が終わったのは、4時30分をちょっと回ったところでした。
落語会が終わったら、近くのお店で「深川めし」でも食べようと楽しみにしていたのですが、さすがにまだ「深川めし」には時間が早い・・・。
仕方がないので、近くに多くあるお寺を見ながらブラブラと散歩することにしました。
お寺ばかりでなく、下町の路地が残っている場所もあり、下町情緒たっぷりの場所です。
そのうちに、何と雨が降り出してしまいました。
天気予報どおりです。
傘は持っていましたが、仕方がないので「深川めし」を諦めて早く帰ることにしました。
ここのところちょっと疲れ気味だったから、早く帰って今夜は早く寝て、明日は思いっきり朝寝坊しよう・・・。
でも、「深川めし」と「深川丼」・・、食べたかったなぁ・・・。

雲光院でさん喬師匠を聴く


雲光院の本堂の下の和室。
床には、法然上人を描いた掛け軸が掛けられてています。
その前に設えられた高座。
ちょうどいい広さの空間です。
「雲光院でさん喬師匠を聴く~夏」
  ◆ 鈴が森      柳家さん若
  ◆ 千両みかん   柳家さん喬
  ◆ 船徳       柳家さん喬
  ◆ 百年目      柳家さん喬
もともとネタ出しになかった「千両みかん」をサービスしてくださいました。
間近で聴くさん喬師匠、落ち着いてじっくり聴くことができます。
ただ、「百年目」が夏ですか?という疑問はありましたが・・・。
「船徳」で、お仲入り・・。  
「千両みかん」は、CDで何度も聴いています。
実在の神田の「万惣」という果物屋さんも出て来ます。
「船徳」は・・、すみません、少しウトウトしてしまいました。
最近、どうも落語一席を最初から最後まで聴けなくなっています。
すぐに眠くなってしまいます。
疲れているのでしょうか・・・?
「ここで会ったが百年目かと思いました。」
「百年目」は、憧れの噺。
ここで聴くことが出来るとは思いませんでした。
1ヶ所、「旦那」と言うところを「番頭さん」と言った部分がありました。
全体的には淡々とした運びでした。
でも、最後のところは、会場から鼻をすする音が聞こえます。
やや意識が混濁している時もありましたが、楽しい時間でした。

酷暑・節電・・

酷暑の中の節電
ただいま6月25日の午前11時。
昨日の熊谷ほどではないにしろ、梅雨は明けていなくても暑い。
今日は休日の所も多いから、今のところは電力使用量は最大供給量の74%ほど。
節電、節電・・、辛い夏になりそうです。
暑気払いの良い方法はありませんかねえ。

深川雲光院

      
清澄白河の深川江戸資料館の近くにある浄土宗の名刹「龍徳山雲光院」。
徳川家康の側室阿茶の局の菩提寺だそうです。
今日は梅雨時で、境内には紫陽花が咲いています。
この2月の雪の日、さん喬師匠の「福禄寿」などを聴きました。
今日も「雲光院で柳家さん喬師匠を聞く会」です。
        
前回は、予想以上の来場者だったため、高座の真横にまで、俄か桟敷席が出来てしまい、早い時間から行っていた我々には、大変不愉快でした。
開場前に行くと、既に10名ぐらいの先客。
受付で、今回は桟敷席を突然増設しないことを確認して、最前列の左側に座りました。
今日は、「船徳」と「百年目」がネタ出しされています。

京(けい)

日本のスーパーコンピュータの計算能力(スピード)が世界一になったというニュースがありました。
そこで出て来るのが「京(けい)」という数の単位。
10,
000,000,000,000,000=1京ということですね。
何と「0」が16個。
数の単位を調べると、随分あるものです。
まず、大数では・・・・、

恒河沙阿僧祇那由他不可思議無量大数(計21単位)
逆にミクロの世界もあるようで・・。
模糊逡巡須臾瞬息弾指刹那六徳虚空清浄阿頼耶阿摩羅涅槃寂静(計24単位)
「一番でなくちゃあいけない」ということもありませんが、「一番になりたい」というのも人情だと思いますが・・・。

落語進化論

Photo_2

「落語ブーム」の後に生き残るのは、果たして、どのような落語家なのか?
それぞれの噺の本質を捉え、落語を進化させ続けること。
その上で「江戸の風」を吹かせること。
これが「現代の名人」に求められる条件だ! 
声質、語りの速度、所作といった身体論から、「抜け雀」「品川心中」「中村仲蔵」等の新たな落ちの創造に至るまでを、全身落語家が熱く語る。
特別付録として、志らく版「鉄拐」一席を収録。
【立川志らく著:新潮社・1,155円】
落語界きっての論客である志らくさんの新刊。
「浜野矩随」のことが書いてあるので、思わず買ってしまいました。
・・・が、やはり根本的な部分が違っているので、この噺に対しては、納得ができません。
師匠の談志師匠と高田文夫さんを極端に持ち上げて・・、あの「落語ファン倶楽部」と似た雰囲気が漂っているのは、どうも拒否反応があります。
とはいえ、落語を愛しているという根本では、共通する部分もあり、謙虚に読ませていただこうとは思いますが・・・。

師匠との雑談

最近、先代の三遊亭金馬師匠のレコードをCDにコピーして、頻繁に愛車で聴いているそうです。
噺の整理をされている中で、金馬師匠のことを研究する必要があったようで。
師匠:「佐々木政談」なんかは、うちの師匠(圓生師匠)のと同じところ
    がたくさんあった。きっとうちの師匠が教えたんだろう。
流三:確か金馬師匠は、「池田大助(池田政談)」という題名で演って
    いましたよね。
師匠:そうそう、師匠が「金馬さんが題名を変えてやっている・・」とか
    何とかぶつぶつ言っていた気がする。
    金馬師匠は、大岡越前の実在の家来の名前を充てて演って
    いたようだね。
    うちの師匠が教えた噺は、ほかにもいくつかあるみたいだよ。

・・・昭和を代表する師匠同士、どうやって噺を教え合っていたのでしょうか。
恐らく二人とも、物凄く頑固な明治生まれの人ですから。
年齢は、確か金馬師匠の方が5~6歳上だったはずですが・・・。
先代の三遊亭金馬師匠は、「佐々木政談」を「池田大助」という題名で演っています。
くすぐりも内容も全く同じですが、主人公の奉行は大岡越前守になっています。
子供は”大ちゃん”の池田大助です。
池田大助は大岡越前の第一秘書(?)になった人だと言われているそうです。
圓窓師匠は、お弟子さんもよく演っていますが、「桶屋裁き」という題名にして、オチをつけています。
21日の鈴本演芸場の下席(昼)初日のトリでお演りになりました。
Photo_4佐々木信濃守は大阪からやって来て頓知頓才がある。
身を変えて下城視察に江戸の市中を歩く。
ある日、浪人姿で、三造という家来を連れて、新橋まできた時、子どもたちがわいわいがやがやと騒がしい。
待っていると、お裁きごっこをやっている。
罪人役の子どもの前に奉行役の子どもが現れ、自分を佐々木信濃守と名乗る。
二人に気づき、吟味の邪魔だから下役の子どもに竹の棒で叩いて追い払うように命ずる。
二人は脇に隠れてみている。
しかし、なかなかの名裁きぶりを見せた上に、罪人役からのなぞなぞに見事に答える。
信濃守は感心して、三造に子どもの後をつけ、親にあって、明朝四つ、親子、名主五人組同道の上、奉行所に出頭するよう伝えるように申しつける。
子どもは桶屋の高田屋綱五郎の息子の白吉だ。
三造から出頭するよう言われて、綱五郎、大家も訳がわからない。
白吉に聞くと、遊んでいて浪人を竹で叩いたというので、浪人は佐々木信濃守でお咎めがあるのだろうと、心配で一睡もできない。
次の日、皆でお白州へはいる。奉行が登場する。
遊びの裁きを褒めると、芝居で覚えたのだという。
頓知は即決だと聞いて感心する。そして問答を持ちかける。
奉行「天の星の数を知っておるか」
白吉「お白州の砂利の数ご存じですか」と返す。
奉行「してやられた」
何度質問しても、機転の利いた答えが返ってくる。
奉行は綱五郎に、白吉を寺子屋で学問を身につけ、十五になったら近習(家来)としたいと申し出る。
白吉も奉行を気に入ったので家来になってもいいという。
父親「侍になりてえって、代々伝わった桶屋はどうするつもりだ」
「え~、おとっつぁん、すておけ(桶)」

創業540年目の・・

長崎県で、創業から約540年の歴史を持つスーパーが破産申請の準備を進めているそうです。
九州・沖縄では最古の企業とだということです。
「応仁の乱」が起きていた室町時代1470年(文明2年)創業。
当初は塩田を経営し、その後は業態を変えながら、近年はスーパーを経営していたそうです。
大型店の進出などで経営が悪化し、昨年債務超過となっていた・・。
これを見て、なぜか「帯久」の和泉屋さんを連想してしまいました。
別に、このニュースの会社と似ている訳ではありませんが・・。
"祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり盛者必衰の理をあらわす"

2011年6月24日 (金)

ボランティア活動

友楽師匠ら在仙の落研OBが南三陸町へ落語慰問に行くのは、確か7月17日(日)の予定でした。
私も参加したかったのですが、日曜日の夕方では、行くことは不可能だと諦めていました。
ところが、カレンダーを何気なく見ていたら、この日は3連休の真ん中だということに気がつきました。
・・・ということは、例えば、その日に現地あるいは仙台に泊まれば、物理的には、私も参加できるかもしれません。
詳細が分かりませんので、関係者の皆さんにご迷惑をおかけしてもいけませんが、もし必要とあらば、馳せ参じることは出来そうな気がして来ました・・・。
早速仙台の駄馬師匠に聞いてみることにしました。
職場に、偶然南三陸出身の人がいて、ちょっと話をしたら「是非とも行って来てくれ」と言われました。
ご迷惑にならなければ、微力ではありますが・・と。

正岡容の生原稿

産経新聞の記事から。Photo_2
落語界唯一の人間国宝(重要無形文化財保持者)、桂米朝(85)の兵庫県内の自宅から、米朝の師であり、作家・落語研究家の正岡容(いるる)(1904~58年)が書いた新作上方落語の直筆原稿など貴重な資料が見つかった。
「夜櫻ばなし」「慶応三年」の直筆原稿と、「うわばみ草紙」の放送台本、米朝が書き正岡が加筆した「淀の鯉」の放送台本など。
いずれも昭和20年代後半から30年代初めに書かれたものとみられる。
直筆原稿のうち、「慶応三年」は30年3月にNHK大阪放送局で録音されたが、実際に放送されたかどうかは不明。
「夜櫻ばなし」の方は放送用の台本が残っているものの、放送された形跡はない。
米朝がその後、高座で演じたこともなく、今回原稿が見つかるまでは、その存在すら知られていなかった。
正岡は、東京・神田の生まれ。
日大在学中に文筆活動に入り、落語や寄席芸能に関する著作を多数残している。
米朝は大東文化学院在学中に正岡に弟子入りし、「一番弟子」を名乗った。
正岡は戦後、壊滅状態にあった上方落語の復活を米朝らに託し、積極的に後押しをしたという。
米朝と50年来の付き合いがあり、今回資料の整理を行った小澤紘司さん(66)は「『米朝を頼む』と正岡さんが大阪の作家に宛てた20年代の手紙も見つかっています。
正岡さんは鳴り物が入るにぎやかな上方落語が好きだったんでしょうね」と話す。
見つかった資料は、7月21日から東京・新宿の紀伊國屋画廊で行われる「桂米朝展」(米朝事務所主催)で公開される。入場無料。8月2日まで。

紀伊國屋書店ですね。よぉうし・・。
落語が好きな人は、名前ぐらいはどこかで聞いていると思います。
私も、名前をしっている程度ではありますが、安藤鶴夫とか正岡容とか・・、ちょっと前の世代の「先生」です。

稽古の写真

Photo

舞台裏をご覧いただきますが、この写真は、先月の「扇子っ子連・千早亭」の稽古会で、4日後の「お江戸OB落語会」で演る予定の「佃祭」を、師匠にご指導いただいているところです。
千早亭で落研発表会のネタの稽古をしていただくという、他流稽古というか、チャンポンというか・・、恥も外聞もなく。
師匠が快く受けてくださったので、甘えさせていただきました。
かつて命を助けられたおかみさんが、次郎兵衛さんの袂を引っ張る場面。
師匠から、手を下から出して見上げるようにとアドバイスを受け、実演しています。
本番僅か4日前にも拘わらず、こんな体たらくだったという訳です。
脇に立って指導してくださっている師匠の熱気も伝わって来ます。
緊張しながらも、とても幸せな瞬間です。
・・で、本番の出来は?
→ http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/05/post-ae37-1.html

師匠のブログでのコメント

先日の落語っ子連「ん組」の稽古会のことを、師匠がブログで以下のようにコメントしてくださっています。
         落語っ子連「ん組」稽古会    
読ませ稽古、流三[救いの腕]。
この噺、小生の創作。
二、三回やったことはあるが、なかなか普段はしにくい噺。
聞いていて思う。
姉妹の回想的な会話が続くので、既成の古典噺には滅多にない流れ。聞き慣れないこともあって、演るほうも難しいだろう。
       落語っ子連「ん組」稽古会   
させ稽古、[明烏]窓口。
「旦那にべらんめい口調があったので、それはないほうがいい」とアドバイス。
品があるからこそ、芸と言える。品のないものは芸ではない。
廓噺に品が出てきたら、成功。
たぶん、窓口ならそこまでいくだろう。

    落語っ子連「ん組」稽古会
させ稽古、まど絵[火事息子]。
音楽の名曲と同じように、巧い噺家の口調にはリズムとメロデーが感じられるはず。
「それをそろそろ意識して」とアドバイス。
上達してくれば、忠告も厳しくする、、、。

「聞いていて思う」のが「難しい」ということで、「救いの腕」は苦労しそうです。
師匠はいつも、落語に「品」を求めます。
そして、噺にリズムとメロディを求めます。
窓口さんへのコメントも、まど絵さんへのコメントや思いも、落語に対する師匠の思いが、ひしひしと伝わって来ます。

師匠との雑談

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先日、出演中の浅草演芸ホールで、「柳家いっぽん」さんという前座さんに「寿限無」の稽古をつけたてあげたが、なかなか声もしっかりしていて良かった。
柳家獅堂さんのお弟子のようだけど・・(知ってる)?と、師匠から尋ねられてしまいました・・・。
「師匠すみません。私もまだいっぽんさんという前座さんは聴いたことがありません。」と答えました。
どうやら師匠は、私が噺家さんは全部知っていると思っておられるようなつもりで・・・。coldsweats01
後で調べたら、2009年に柳家獅堂師匠に入門した、川口(鳩ヶ谷)出身の前座さんのようです。
今度是非聴いてみたいと思います。

2011年6月23日 (木)

広瀬さんの評論

今回は、「瀧川鯉昇」師匠に関する評論。
東京落語の二大協会のうち、落語協会にばかり注目が集まりがちなのは昔も今も変わりはないが、もう一方の落語芸術協会(芸協)にも魅力的な演者は何人もいる。
芸協の中堅真打、瀧川鯉昇。彼は2005年以降の落語ブーム現象の中で「芸協にこんな人がいたんだ!」と注目が高まった個性派の演者だ。
1953年生まれ、浜松市出身。
1975年に八代目春風亭小柳枝に入門したが、1977年に小柳枝が廃業したため春風亭柳昇の門下に移り、1990年に春風亭鯉昇で真打昇進。
2005年に瀧川鯉昇と改名している。
芸協には伝統的に新作派も多いが、鯉昇は古典派だ。
鯉昇の落語は、淡々と演じていながら濃厚な味わいがあり、クセが強いのに後味サッパリ。この「飄々としながら濃い」芸風は、彼が芸協の土壌で伸び伸びと育ったからこそ培われたものかもしれない。
少なくとも落語協会の人気者や立川流の演者とは明らかに異質だ。
鯉昇は「上手い落語家」である。
演出や台詞回しを工夫する「創作力」も豊かで、声も良い。
だから音で聴くだけでも楽しめる。
だが「観る」ことなくして鯉昇の本当の面白さを味わうことは出来ない。
その「インパクトの強いルックス」も彼の芸の一部だからだ。
鯉昇は高座に出て座布団の上に座ると、お辞儀をして顔を上げた後、しばらくは何も喋らず、ただ客席を呆然と見る。
この「無言の間」に、客席からはなぜか笑いが起こる。
まだ何もしていないのに!
ややあって鯉昇が微笑むと、「怖い顔のオジさん」としかいいようのない風貌が、何とも愛嬌のあるものに見えてくる。
口を開くと、聞こえてくるのは深みのある良い声だ。
自身の健康状態や最近の出来事について、丁寧な口調で穏やかに語るのが鯉昇のマクラの定番だが、たいていダジャレでオチがつくような「ネタ」だ。
そして、鯉昇ファンはその脱力感をこよなく愛する。
※週刊ポスト2011年6月24日号
以前から申し上げているとおり、落語芸術協会で、数少ない聴きたい噺家さんの一人であることは、全く同感です。
・・・が、個人的に、高座に出て来てお辞儀をした後のあの無駄で気味の悪い空白(間)は、私は大嫌いです。
鯉昇師匠のあれさえなければいいと思っています。

くるみさんから

Photo_5落研OBの紅一点、セミプロ「杜の家くるみ」さんからメールが来ました。
先日19日には、横浜にぎわい座での恒例の高座があり、「お菊の皿」を演ったとのこと。
11月の「お江戸OB落語会」への出演をお願いしていたのですが、どうやら既に別の「お座敷」が入ってしまっているようで、出演は難しい・・という。
残念ですが、仕方ありません。
これで、むさいオジサンだけの落語会になってしまいますが、名人・達人・仙人の揃い踏みですから、盛り上げて行きたいと思います。
番組も変更する必要があるかもしれません。

師匠の寄席出演

師匠が五月下席から寄席へ続けて出演していますが、出し物は日替わりで演っているそうで、20日間の演題を、師匠のブログで追いかけてみました。
 (5月下席・浅草演芸ホール)
  ・23日   雛鍔Cafrl4xi
  ・24日   つる
  ・25日   首屋
  ・26日   十徳
  ・29日   町内の若い衆
  ・30日   半分垢
 (6月上席・新宿末廣亭)
  ・ 1日   枯木屋
  ・ 3日   権兵衛狸
  ・ 4日   釜泥
  ・ 5日   普段の袴
  ・ 6日   たらちね
  ・ 7日   替わり目
  ・10日   ぞろぞろ
 (6月中席・浅草演芸ホール)
  ・12日   後生鰻
  ・14日   猫の皿
  ・15日   桃太郎
  ・17日   夕立屋
  ・18日   寿限無
  ・19日   桶屋裁き[佐々木政談]
  ・20日   本膳
そして、21日からは、上野鈴本演芸場の昼のトリ。
師匠ご本人も、「21日から、鈴本演芸場の昼トリ。ネタを稽古しなければならない。」と、仰っています。
そういえば、師匠が真打に昇進した頃は、昇進は一人だけで、当時寄席定席が7軒あったが、毎日演題は日替わりで勤めたと仰っていました。
・・・ということは、トリをとる噺を70席持ちネタにしていないと、日替わりでのトリは勤められなかったということです・・。

素人落語家のボランティア

Ichiban

素人落語家がボランティアで被災地で落語会・・・なんていう記事。
被災地に笑いを届けたい・・・。
神奈川県で活動する3人のアマチュア落語家が、宮城県内でボランティアとして高座を開く(開いた?)そうです。
東日本大震災から100日が過ぎ、避難所から仮設住宅へ転居したり職探しを始めたりと、生活のために前を向き始めた人たちを明るく後押しすることが目的だ。
石巻市を訪れるのは、「相模亭みの助さん」「三流亭迷惑さん」「大和家のぼるさん」という、60歳代の方々のようです。
(三流亭迷惑さんと三流亭流三とは全くご縁はありません。)
3人は、日ごろは高齢者福祉施設などでの活動に取り組んでおり、4日間でスーパーや避難所などを回る(回った?)とのこと。
「悲しんでいる人を笑わせて元気にしたい」と思いついた今回の被災地訪問ですが、悲惨な体験をした被災者たちは笑ってくれるのか、高座を許してくれるのか、という不安もあるとか・・・。
まあ、様々な活動をする人がいるもので、へぇぇという感じです。
ところで
、「アマチュア落語家」というのは存在するのでしょうか?
"アマチュア"というのは、素人で基本的には木戸銭などは取らないもの。
"・・・・家"というのは、"プロ"あるいは"スペシャリスト"を言うのではないかと・・。
それならば、「アマチュア落語愛好家」と言うべきでしょう。
失礼ながら、そんなに大袈裟に報道されるほどのものでもないとは思いますが、少しでも被災地を励まそうという気持ちは、我々に通ずるところがあります。

2011年6月22日 (水)

とうもろこし

  とうもろこし とうもろこし
田舎の伯父がとうもろこしを送ってくれました。
毎年、丹精こめた旬の味を届けてくれます。
今年も、丸くて身の詰まった見事な出来栄えです。
伯父も80歳を超えていますが、まだ内孫が小さいので、毎日が孫一筋のようで、「孫が大きくなるまでは、ボケちゃあいられない。」と、意気軒昂です。
それにしても、最近のとうもろこしは、甘くてジューシーで美味い。
昔は、硬くて素っ気なくて、鶏の餌でしたから。
故郷の味。夏至の夜。

夏至

Photo

夏至(げし)は、一年中で一番昼が長い日。
今年の夏至は、全国で猛暑日や真夏日になり、電力消費量も予想以上になった模様で、やはり真夏を控えて、節電をしないといけません。
が、28℃というのも大変暑苦しい水準で、エアコンが使えない分、扇風機が飛ぶように売れているそうです。
打ち水やら風鈴などでは、なかなか涼しくならないというのもねぇ。
今日は「夏至」後、二十四節気の「小暑」はまだ次です。
これからもっと暑くなる・・・。

6月22日

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私の記憶が確かなら、今日は我が母校の創立記念日だったような・・。
改めて調べてみると、色々知らないことまで分かりました。
「東北大学」は、日本で三番目の帝国大学として、1907年(明治40年)に創設された「東北帝国大学」を前身とした大学である。
東北帝国大学創立期の大学の略称は、東京帝国大学のそれが「東大」であったため「北大」であった。
後に東北帝国大学から分立した北海道帝国大学は「海大」とされた。
ただし、現在では「北大」は北海道大学の略称として用いられることが多く、東北大学の略称は「東北大」が用いられる。
また「東北」の中国語読みから「トンペイ」「トンペー」の愛称も使用されている。
東北大学の源流は、
1736年元文元年)設置の仙台藩藩校明倫養賢堂」まで遡る。
この藩校が、教育機関としての体制を維持しながら様々な改組・改称を経て、
仙台医学専門学校、東北帝国大学医科大学、そして現在の東北大学医学部医学科保健学科)および薬学部の系譜に繋がっている。
そのため、明倫養賢堂が設置された1736年を創立年としているものもある。

1900年(明治33年)1月29日、第14回帝国議会において「九州東北帝国大学設置建議案」が採択され、議会として東北地方に帝国大学を設置する正式な要望が政府に表明された。
しかし、政府の資金難により設置が進まず、
1902年(明治35年)にも「東北帝国大学設立建議案」が再度採択された。
1906年(明治39年)、日露戦争の好景気で財を成した古河財閥(現・古河グループ)から寄付があり、その一部と宮城県の寄付金等をあわせて、1907年(明治40年)6月22日に東北帝国大学の本部が仙台市に設置された(創立記念日)。Kisho2
・・・やはり記憶は正しかった。
こうしてみると、北海道大学とは、親子というか姉妹というか、縁浅からぬところがあるのが分かります。
最初の頃は、「北大」と「海大」という呼称だったなんて。
今日で104歳。落研は52歳。ちょうど半分です。

竹扇松戸落語会

竹扇松戸落語会
知人のHさんから、「竹扇松戸落語会」の案内メール。
落語芸術協会所属の二つ目で、地元出身の「雷門花助」さんを応援する、ある料理屋さんの常連のお客さんたちが立ち上げた独演会で、もう6回目になるそうです。
6月26日(日)午後2時・松戸東口会館で・・。
ちょっと都合が・・。行きたいのですが・・・。

師匠との雑談

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先日の稽古会での師匠との雑談で、「扇子っ子連」も話題になりました。
師匠が豊島区の千早文化創造館で開講している「圓窓の落語教室」(扇子っ子連・要亭)です。
ここに、落研の大先輩で、師匠とは昔から親しい「愛詩亭朝大」師匠が参加されているのです。
朝大師匠は、ずっと海外で仕事をしていて、つい最近リタイアされたばかり。
やはり落語がお好きで、半年前ぐらいから、我々の発表会にも頻繁に来てくださっていたのですが、いよいよ落語を演ろうと決心され、師匠の門を叩いたという訳です。
師匠にお聞きしたところでは、この教室で「権兵衛狸」にチャレンジするそうです。
心強い、落語の同士が増えました。
ところで、この写真は、落語っ子連の発表会の時の打ち上げで、カラオケで「おゆき」を歌う師匠です。

演芸図鑑

この間の日曜日、確か圓歌師匠がNHKテレビで番組をやっているはずと、眠い眼をこすって起きてみると、桂文珍師匠と某ジャーナリストが対談をしていました。
スイッチをOFFにして寝ました。
後で調べてみると、どうやら今回から「桂文珍の演芸図鑑」に代わったようです。
今年の4月から本格的演芸番組「○○○○の演芸図鑑」の放送をスタートし、第1クールは三遊亭圓歌師匠がナビゲーターを務め、内海佳子師匠との対談、柳家喬太郎さんの落語、横山ホットブラザーズの漫才、パックンマックンの漫才などの演芸を紹介しました。
第2クールは、桂文珍師匠がナビゲーターとして登場。
対談相手に某ジャーナリストを迎えて、演芸トークを繰り広げるということです。
あんまり、視聴したいとは思わない番組です。
日曜日の早朝に起きてまでは・・・・。

2011年6月21日 (火)

火事息子

落語っ子連の稽古会で、まど絵さんに「火事息子」の稽古をつけていた師匠のコメント。

Photo_2人情噺というのは、忠実に高座本(台本)を読むだけでは、その背景や情景、感情などを表現することは出来ない。
「こちらへおいでください。・・ここへおいでなさい。・・・こっちぃ来い!」と、臥煙になった息子に、他人として会いながらも、段々感情が高まって親の言葉に変わって行く場面は、台詞を忠実に読むだけでは、決して聴いている人には伝わらない。
落語にも、音楽のように全体的なリズムや旋律があって、聴き手の感性に訴えることが出来るものでなければ、決して伝わらない。
今までは、読む段階だったが、ここからはとても苦しくなる。
「(まど絵さんが)火事息子が面白いからやりたい」と言った時に、(師匠にも)躊躇いがあって、(時期尚早だから)止めさそうとも思ったが、そういう苦労をする経験も大事だと思って、止めなかった。
これから暫くは、なかなか上手く行かない(なかなか上達しない)状態が続くと思う。
でも本番(3月)までには時間があるから、頑張って作り上げよう。
・・・一字一句正確ではありませんが、傍らで聴いていて、落語を語る、人情噺を演る心構え、極意というものだと心に刻みました。
落語を演ったことのある人でなければ分からない、落語の深さ・難しさ、そして楽しさの一端だと思います。
落語は登場人物の了見になって語る。
そして、語る人の了見が落語に出て来る。
・・ふと思いました。
今、「浜野矩随」を演ったら、2年前と全く違って来るかもしれない。

住吉神社

     住吉神社     住吉神社
神田お玉ヶ池で小間物屋を営む次郎兵衛さんが、一日中楽しんだ「佃祭」は、ここ住吉神社の例祭です。
勇壮な八角神輿の海中渡御が有名だったそうです。
(昭和37年まで行われていたとのこと。)
 
遅ればせながら、「佃祭」を今後も演らせていただくに際して、お守りいただくよう、手を合わせました。
ОB落語会で演る前に来るべきでした。
「世の中の 情は人の 為ならず 巡り巡りて 己が身の為」・・。 

救いの腕

三遊亭圓窓作「救いの腕」。
師匠によれば、小説家の唯川恵さんの小説をヒントにして創作した噺だそうで、私は2年前の「圓窓一門会」で初めて聴きました。
ラジオディズでの大友浩さんの解説を引用させていだきます。
【あらすじ】
二十歳のおまきが姉を訪ねてきて、亭主の善吉のことを愚痴ります。
善吉は十歳上なのですが、「毎日決まって暮れ六ツ(午後六時)には帰ってきて、何を聞いても返事は“ああ”“うう”。
固い本を夢中になって読んでいるばかりで張り合いがない」とこぼします。
姉の亭主が何日もどこかで遊んできて、帰ってくればぶったりぶたれたり喧嘩ばかりなのとは大違い。Photo
おまきはそんな姉夫婦がうらやましいようです。
実はおまきには忘れられない人がいるのでした。
それは十歳の時、向島の川で桜の枝を拾おうとしておぼれた時に、たくましい腕で救ってくれた男。
気を失ってしまい、誰だかわからずに今日まできてしまったのです。そう打ち明けて、亭主の善吉とは別れたいというおまきですが・・。
【聴きどころ】
姉妹の会話が中心で、若い女性が主人公という、珍しい噺です。
結婚してみたら亭主には何となくもの足りなくなり、腕の記憶だけが残る男性に惹かれてしまう。
揺れ動く女心が、川面の水に象徴されているようです。
女性同士のとりとめのない姉妹の会話は新鮮かつ自然で、師匠の表現の確かさが感じられます。
聞いた後に優しい気持ちになれる、素敵な噺です。
【もうひと言】
近年は創作落語にも力を入れている師匠。
この噺は若い女性を描いて定評のある作家、唯川恵さんの短編をヒントに圓窓師匠が作られたとのこと。
そういえば、落語は男性の立場から作られたものばかりだなあ、と改めて気づかされます。まるでトリュフォーの映画を見ているような趣もあります。
稽古の時に師匠が、「実はこの夫婦には、身近なモデルがいたんだよ。」と、師匠のご親戚に善吉のような旦那さんのいる人がいて、よく愚痴を言っていたのを聞いたそうです。
何事も100パーセント純粋、完璧というのは駄目なんですね。
水も、ミネラルやら何やらが含まれているから美味しいという・・。
さて、稽古は、初めて「読み稽古」をやっていただきましたが、新しいパターンの噺、創作噺だけに、師匠の高座本のとおりにやるのではなく、自分なりに台詞を工夫して行く必要がありそうです。
師匠も、ご自身以外から聞くのは初めてのようですから、「色々カットした方がいいね」と仰っていました。

鈴本下席(昼)のトリ

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圓窓師匠、今月は本当に久しぶりに定席にご出演されていますが、先日の稽古会でお聞きしたところによれば、痛めていた腰の状態もかなり良くなって来て、10日間連続で寄席に出られるようになった(自信がついた)ので、これからは頻繁に出演したいとのことでした。
師匠が本格的に寄席にご出演されるというのは、本当に嬉しい限りです。
上野鈴本演芸場の下席(昼)は、トリをお勤めになります。
・・・でも、昼は行けないんですよねぇぇ。

2011年6月20日 (月)

落語っ子連のDVD

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まど音さんから、3月の落語っ子連の発表会のDVDをいただきました。
先月いただいた物には、私の映像が入っていなかったので、改めてコピーしてくださいました。
代演で、連日高座に上がらせていただきましたので、2題収録されています。
初日は「甲府ぃ」、2日目は「三方一両損」。Rimg0029
早速、帰宅してから映像を視聴して愕然shock
自分では、そこそこの出来だと思っていたのに。
想像を絶する酷さでした。
う~ん・・・、かなりショックでした。
もうちょっとスピーディで滑らかに出来ていたと思っていたのに・・weep
これは浮かれたり、天狗になったりなど到底出来ません。

佃(島)


ビルやマンションの狭間に、昔の江戸、下町の風情が見える場所がありました。
佃(島)といえば「佃煮」。
江戸時代から続いている老舗もあるそうです。
幕府の直轄地として、江戸前の魚介類を将軍様に献上していた頃・・・。住吉神社
銀座を通り過ぎて海に向かって来ると、こんなにのどかな景色を見ることが出来る。
大川に向かう橋の上から、「住吉神社」方向を望むと、小さな船が停泊していました。
住吉神社にも、お礼参りをしないといけません。

朝日名人会通し券

「朝日名人会」で、6ヶ月通し券の募集をしていました。
今までは、何度もチャレンジしていたのですが、今年は年間通し券に当たっていますから、他人事です。
来年も当たるといいのですが・・。

賀千家ぴん吉さん

Imgp0787仙台在住で、ボランティアでも活躍中の「賀千家ぴん吉」さんからメールが来ました。
11月の「第三回お江戸OB落語会」に出演意向ありと、「走れ家駄馬」師匠からお聞きしたので、打診していました。
開口一番をお願いしたのですが、「転失気」で快諾してくれました。
いいですね。「転失気」。
これで、くるみさんを除いて、概ね演題が決まりました。
くるみさんは、昨日「横浜にぎわい座」での、恒例の高座があったはずなので、終わって落ち着いてから確認しようと思います。
さて、ぴん吉さんによれば、地震から3ヶ月経ち、仙台市内は平常時に戻りつつあるようですが・・。
ボランティアで落語の慰問に参加して、色々考えさせられることもあるようです。

2011年6月19日 (日)

「救いの腕」高座本2冊

「救いの腕」高座本2冊
師匠から、「救いの腕」の高座本をもう1冊もらいました。
(師匠が1冊300円で高座本を譲ってくださるのです。)
1冊は、ネタ本として、書き込みを入れたいから。
1冊は、師匠の貴重な口演記録として。
そう言えば、師匠の高座本では、登場人物は、"お石"と"お巻"の姉妹とお巻の亭主の"善吉"ですが、姉妹の名前を変えるお許しをいただきました。
姉を"お里(さと)"、主人公の妹を"お香(こう)"にしようと思っているのです。
江戸時代の若い(20歳代半ば)の姉妹をイメージ出来る気がして。

大川端


稽古会が終わった後、佃島へ行こうと思いつきました。
本当は、「佃祭」を演る前に行っておきたかったのですが、なかなか足を伸ばすことが出来ずにいましたので。
門前仲町から地下鉄大江戸線で1駅で最寄駅の月島。
反対側が、もんじゃ焼きの店が並ぶ賑やかな通りです。
佃大橋のたもとからちょっと北に行ったあたりで見つけた「佃島渡船」の石碑。
あぁ、暮れ六つの鐘の音を聞いた小間物屋の次郎兵衛さんは、急いでここに来て、終い船に乗ろうとしたんですね。
そして、次郎兵衛さんが
引きとめられて乗り損ねた
客を乗せ過ぎた終い船が沈ったのが、このあたり・・・?
今は、高層ビルやマンションや建ち並び、次郎兵衛さんが楽しんだ頃の風情はないでしょうが、何となく、次郎兵衛さんの声が聞こえて来そうな気がします。

落語っ子連「ん組」稽古会

                  落語っ子連「ん組」稽古会
落語っ子連・三流亭「ん組」の稽古会。
「お江戸ОB落語会」の後、暫く落語から離れていましたから、何となく久しぶりな感じ。
           落語っ子連「ん組」稽古会    落語っ子連「ん組」稽古会
10時半から暫くの間、師匠と二人だけで雑談。
落研ОB会のこと、千早亭のこと、師匠の寄席出演のこと・・・。
今日は、師匠の創作噺「救いの腕」の読み稽古をお願いしました。
師匠からいただいた高座本を、声を出して読む稽古です。
師匠も、ご自身の創作だけに、他人が演っているのを聴いたことがないということで、じっくり聴いてくださった気がします。
オチまで読み終えた時に、私が思わず「師匠、難しい噺ですね。」と言うと、「難しいねぇ・・。今までないパターンの噺だしね。」と・・・。
それだけに手応えは十分。闘志が湧いて来ました。
それに、師匠の顔が嬉しそうでした。
  ◇ 救いの腕     三流亭流三
  ◇ 明烏        三流亭窓口
  ◇ 火事息子     三流亭まど絵
「明烏」も「火事息子」も、落語の中の落語、とても難しい噺です。

佃祭

「朝日名人会」で聴いた、五街道雲助師匠の「佃祭」。
やはり自分が演ったことのある噺というのは、圓窓師匠が仰るとおり「演ってみて初めて分かること」もあり、聴き方にも力が入ります。
これからも演り続けたい噺ですし、一部を自分のネタの参考にさせていただきましたから。
圓窓師匠からいつも指導(アドバイス)されているのは、落語はなるべく台詞(会話)で進めて行くが良しということです。
そういう点からいうと、私が柱にさせていただいた権太楼師匠の「佃祭」は、地の部分が少なく、選択は正しかったと思います。
雲助師匠は、節々に"地"で説明を入れるやり方で、これは大師匠の志ん生師匠の流れを感じました。
志ん生師匠は、講釈師だった時期もあるので、人情噺などでは、かなり"地"を入れています。
噺の流れを考えると、台詞の中に背景や情景を上手く埋め込むことができれば、この方がずっと落語らしく活き活きして来るはずです。
権太楼師匠のは、人情噺仕立てにしていますが、このやり方が好きで選んだ訳ですが、よく出来ていると思います。
そして、オチで拝借した雲助師匠のも、とても良かった。
「さあ、次はもっと上手くやろう!」と、少し元気になりました。
「情は人のためならず」・・・いい言葉です。

日曜日のラジオ落語番組

いつものように、半分意識のないままに聴くラジオの落語番組。
まずは「落語でデート」。
  ◇ 金明竹      三遊亭金馬
この手の番組には、先代の金馬師匠はうってつけですね。
次は「落語はやおき亭」。
  ◇ 花筏        三遊亭圓楽
圓楽師匠も、"先代の"という形容詞が付き、思い出番組に出るようになったんですね。
この「花筏」、私が演らせていただいたのも、まさにこの圓楽師匠の音源でした。
考えてみると、学生時代の私の持ちネタでは、圓楽師匠の音源を参考にさせていただいたものが多いのです。
「花筏」だけでなく、「ねずみ」「浜野矩随」「薮入り」・・・。

2011年6月18日 (土)

朝日名人会

朝日名人会
会場のロビーに、「本日の閉演予定時刻は、5時10分頃の予定です。」という貼り紙。
そうか、今日は柳家小三治師匠がトリだから、いつもよりは長くなるということか・・・。
                                                      朝日名人会
 ◆ たらちね       柳家おじさん
 ◆ 幇間腹        金原亭馬吉
 ◆ 古手買い       古今亭志ん丸
 ◆ 佃祭          五街道雲助
  ◆ 悋気の独楽     立川生志
 ◆ 青菜          柳家小三治
・・・終わったのは、午後5時42分でした。
やはり、今回は、雲助師匠と小三治師匠が全てでした。
「佃祭」・・、楽しみにしていました。
先月のОB落語会で演った「佃祭」では、マクラの一部とオチは、実は雲助師匠の音源からいただきましたから。
雲助師匠らしい、地噺の部分も入れ込んで進めて行きます。
なるべく地の部分をなくし、会話で進めるて行くことを指導されている私とは違います。
雲助師匠は、「戸隠様の梨」は入れないストーリーですが、権太楼師匠のような人情噺仕立てにはしていません。
おかみさんのやきもちと、長屋の連中の悔みの場面が強調されていました。
登場人物の感情を込めている度合いは、乱志くんもまんざらではなかった気がするのですが・・・。
本当に楽しく聴かせていただきました。
・・・小三治師匠。俳句のマクラで小一時間・・・。長い・・。
これがいいという人がほとんどなのでしょうが、私は・・・?
それにしても、随分歳を取られたなあと感じました。
落語協会会長です。

ОB落語会の番組

11月の「お江戸OB落語会③」の番組企画を仰せつかっています。
寝蔵師匠が、とうとう次回の演題をリリースしてくださいました。
「宿屋の富」です。
(寝蔵師匠。リリースを急がせて、申し訳ございません。)
企画担当者として、次回の落語会は、「名人寝蔵・達人志ん志の競演」をご趣向にしたいと思いますので、早めにネタ出しをして、皆さまにもイメージしていただきたかったので、急かしてしまいました。

さあ、寝蔵「宿屋の富」と志ん志「らくだ」ということで、次回落語会のテーマというかキャッチフレーズが決まりました。
次回のキャッチフレーズは「当たりsign01」というのを副題にして行こうということにしたいと思います。
富くじにあたり、河豚にあたる。それに名人と達人があたる。
(実は、私の「薮入り」も鼠取りの懸賞に当たります。)
それを、"層の厚い"バイプレーヤーたちが固めるというコンセプト。
プログラムには矢が的に当たっているカットを使いましょう。
・・という訳で、これでぴん吉・くるみさん以外の噺が固まりました。
【仮想香盤】
  開口一番       賀千家ぴん吉  
  カラオケ病院     桂友楽      
  厩火事         南亭蕪生    
  宿屋の富       喰亭寝蔵    
         仲入り          
  六尺棒         破れ家笑児   
  薮入り         金願亭乱志   
  落とし噺        杜の家くるみ  
  らくだ          談亭志ん志   
落語会も「あたり」間違いなしだと思います。

粋な演出

昨日の「東京落語会」での春風亭小柳枝師匠。
落語芸術協会のベテランで、「噺家さんっ!」という雰囲気のある、江戸っ子気質の師匠です。
トリでお演りになった「船徳」も、非常にライトな演出で、軽い柔らかい噺に仕立てられていました。
その中で、必ずしも珍しいという訳ではありませんが、粋な演出がありました。
それは、船頭になった若旦那の徳兵衛が、「艪」を漕ぐところ。
扇子をちょっと開いて、左の腰の前で両手で持って、漕ぐ仕草をする、この噺のポイントになるところです。
この「艪」を前に押し出した後、手前に引き戻す時に、"ぎぃ~"という小さな音がするのです。
これは、艪が動いて擦れる音を、扇子の要をちょっと捻って音を出しているのです。
ちょうど、マイクに近い場所になりますから、実に効果的に音が入って来ます。
「船徳」の原話である「お初徳兵衛浮名桟橋」にチャレンジしようとしている私としては、このあたりの演出も、しっかりチェックしておく必要があります。
ただし、扇子は壊れやすくなってしまうかもしれません。
「四万六千日、お暑い盛りでございます」・・・。

学士会落語会例会案内

学士会落語会の「Iさん」から、いつものようにご丁寧な例会の案内メール。
実は、私は、(一部役員の方々の知るところとなり、顰蹙を買っているのですが)今年度は、例会のある奇数月の第3土曜日は、全て「朝日名人会」と重なっているので、全回出席できないという、とんでもない状態になっているのです。

とはいえ、7月の例会は、落語立川流の噺を聴く会だそうです。
○日  時: 平成23年7月16日(土) 14時
○場  所: 学士会館本館302号室
○内  容:・演者紹介 
       落語「初音の鼓」     立川志の吉     
       落語 お楽しみ      立川龍志  
       落語「千両みかん」    立川志の吉
             仲入り
       トーク   龍志、志の吉、山本代表
       落語「五人回し」      立川龍志
 
龍志師匠は、一度志ん輔師匠との二人会で聴いたことがあります。
いつもながら、渋い内容の落語会です。
身体が二つあれば・・・。

2011年6月17日 (金)

東京落語会

東京落語会
先月は自分自身の大ボケで、公演日を間違えてしまいましたので、今月は同じ過ちは犯す訳にいきません。
相変わらず空席の目立つ会場です。
 ◆ たいこ腹      三遊亭鬼丸
 ◆ 臆病源兵衛    桃月庵白酒
 ◆ 天狗裁き      柳亭楽輔
 ◆ やぶ椿の陰で   三遊亭圓丈
 ◆ 青菜        林家たい平
 ◆ 船徳        春風亭小柳枝
   東京落語会     東京落語会
アンケートが配布されたので・・・。
 ・開演時間が早すぎる。開演18時30分を強く希望。
 ・出演者数は、開演時刻を遅らせて1名減程度が妥当。
 ・空席が目立ち過ぎる。会員の入れ替えが必要。
 ・一部出演者のレベルが低い。
後ろの席の高齢者夫婦?が、笑うだけでなく、お喋りが気になり、何度も後ろを振り返りました。
あともう少し酷かったら、「笑うのはいいが、お喋りをするな!」と叫ぶところでした。
演芸だから、あまり杓子定規な鑑賞を強いるつもりはありませんが、周囲への心配りはマナーだと思いますから・・・。

間もなく「イイノホール」が新築オープンするようですが、会場は戻るのでしょうか?

傘の忘れ物

rain今朝は雨降りでした。
折りたたみ傘を電車内でたたんで、網棚に載せました。
train車内では立ったままで、新聞を読んだり携帯でメールをしたりと、いつものとおりの行動。
日暮里駅を過ぎると、車内を歩いて前の車両に移動。これもいつものとおり。
上野に着いてホームに下りて歩き始めてから暫くして、傘を置き忘れたのに気がつき、折り返しの発車準備のため停車している車内へ。
しかし、傘を置き忘れた車両ははるか後方。typhoon
運の悪いことに、この電車は中距離電車で、車内清掃のため扉が閉まる寸前。
車内の掃除のおじさんが、「扉が閉まりますよ」・・・・。
sprinkle・・・結局、網棚の傘には永遠の別れを告げ、駅の売店で新しい傘をかう羽目に・・・。
トホホ・・・。mist
メールに夢中になった私がバカでした。crying

扇子っ子連・千早亭稽古会

14日は「扇子っ子連・千早亭」の稽古日でしたが、どうしても仕事の都合がつかず、また欠席してしまいました。
次回の発表会(10月)に向けてスタートした訳で、メンバーの方々の噺も決まり、稽古も始まりました。
・・・焦るばかり・・。
時々、ややオーバーワークかな?とも思う、今日この頃。

噂・・・?

こんな記事を見つけました
桂平治の桂文治襲名、立川志の輔の弟子逮捕など、地味ながらも熱い落語業界。
しかしながら、ドラマ『タイガー&ドラゴン』からはじまった落語ブームもそろそろ下火で、若い世代のファン獲得も最近は難しくなってきているようだ。
そんな中、一部の演芸ファンの間で今、盛り上がっているのが「上方落語協会分裂」の噂である。
東京の落語界は「一党一流二協会」と呼ばれており、落語協会、落語芸術協会、立川流、圓楽党の四つの団体がそれぞれ別の舞台で活躍しているが、大阪では上方落語協会のみである。これは上方落語の歴史が比較的新しく、寄席も無かったことから、一協会のみで運営できていたからである。
聞くところによると、上方落語協会から分裂する新団体の会長には、桂ざこばが就任するという話だが…?
「上方落語の注目度は年々上がっていて、所属する落語家も増えてきました。分裂の噂は三枝さんとざこばさんの喧嘩別れというわけではなく、人気の二分化と見たほうが良いと思います」(演芸評論家)
あえて二つに分けることにより、上方落語界全体の人気を高める作戦のようだ。

まあ、そんなことがあるのでしょうか?
私は上方落語のことはよく知りませんが。
ただし、上の文章で、「上方落語の歴史が比較的新しく・・」とありますが、これは大きな間違い。
一旦衰退した上方落語が、四天王の活躍で甦った時なら、比較的新しいですが・・。

2011年6月16日 (木)

やすらぎ寄席

やすらぎ寄席
愛宕下真福寺で毎月第三木曜日に開催される「やすらぎ寄席」。
今日16日なんです。
暫く行くことが出来ません。
今月は三遊亭の番で、鳳楽・楽之介・竜楽の3師匠がご出演予定・・。
今回も・・・残念・・・。

落語ファン倶楽部Vol.13

落語ファン倶楽部
このシリーズも13巻目になりました。
久しぶりに、落語関連書籍の紹介です。
やや独断的で、ミーハーな部分が好きではありませんが、数少ない落語本なので、全巻欠かさずに購入していますが、あまり深くは読んでいません。
特に、ある特定の噺家さんばかりがクローズアップされているのが、どうも好きにはなれません。
それから、座談・対談形式の記事が多いのが気になります。
落語本は、こういう構成のものも多いのですが、例えば昭和の時代でも、インタビューや噺家さん同士の対談のパターンが多いです。
はっきり言えば、安直だと思います。
・・とはいえ、今刊では、権太楼師匠とさん喬師匠の対談は、ほどほど面白かった。
権太楼師匠の「佃祭」も話題になっていましたし。
昔あった「落語界」とか「落語」のような編集の落語の定期刊行物は無理なんでしょうか・・?
まあ、愛好者の絶対数は少ないでしょうから、コマーシャルベースには到底ならないのでしょう。
2,500円という価格も安くないのですが、落語の匂いがするということで、買っているというところでしょうか。

皆既月食

Photo

日本では16日未明に「皆既月食」が発生するそうです。
ここ10年ほどで最も長く、そして最も暗く満月がかげる。
月が欠け始めるのは、日本時間16日午前3時22分頃だそうです。
夜半には霞んでいましたが・・・。
恐らく夢の中でしょう。

ほどほどに


寝蔵師匠が編集してくださった「お江戸O落語会」のDVDを実家の両親に送りました。
早速、母からメールが来て、二人で視聴してくれているようです。
落研OBの各出演者の熱演に驚いているようです。
メールでのコメント。
「・・・・(落語も)ほどほどに精進してください・・・」。
なかなか、倅が幾つになっても、親の感覚(第六感?)で、「あまりのめり込み過ぎてもいけないよ。適度に頑張りなさい。」ということなのでしょう。
知人の「Iさん」からも、「お前、ちょいとやり過ぎでは・・・?」と言われています。
親には見えるんですかねぇ。
幾つになっても、親は親、子は子・・・。
今度の「薮入り」は、こんな気持ちも込められるかもしれません。
"かくばかり 偽り多き 世の中に 子の可愛さは 真なりけり"

三遊亭圓窓・圓丈二人会

落語協会主催の「東日本大震災チャリティ寄席」で、圓窓師匠と圓丈師匠の二人会が開催されます。
7月9日(土)午前10時から鈴本演芸場で。
両師匠には、落研も大変お世話になっていますし、こりゃあ行かなくては・・。
それにしても、「圓窓・圓丈二人会」・・、いいですねぇ。

2011年6月15日 (水)

衝動買い


先日の「大手町落語会」の時、新丸ビルの中にあるお店で、手拭いを衝動買いしてしまいました。
「あの着物に合いそうだ」という訳で、緑色系統の手拭いを2枚。
次回の「薮入り」「救いの腕」の時に高座で使ってみようかと・・・。
切子模様のは、向島の大川端(堤)をイメージして「救いの腕」かな。
もう一方は、奉公人のイメージが醸し出せるから「薮入り」にぴったりかもしれません。

交流勉強会

200906061815001_2師匠から以前より聞いていましたが、素人落語連の「交流勉強会」が開かれたそうです。
先日の土曜日、場所は茨城県江戸崎の旅館で。
"噺っ子連&語りっ子連"交流勉強会。
「有難亭」と「紅巣亭」の競演という訳ですね。
お客さんは何と80人も。
予想外の大入りに一同が驚いたそうです。
ラジオ放送やら、コミカレ誌やら、広報誌やら、チラシやらポスターやら、宣伝が広がって、遠方から鑑賞しに集まった方々もいたとのこと。
圓窓師匠は、以下のようにコメントされています。
「こういう会の趣旨のようなもの、、、。各自が未知の連の人の噺を鑑賞できるので、とても勉強になること間違いない。」
茨城の「噺っ子連」の発表会には、一度行ったことがあります。
大変刺激になったことを思い出します。

大工調べ

Photo

「大手町落語会」で春風亭一朝師匠がお演りになった「大工調べ」。
頭は弱いが腕のいい大工の与太郎、仕事に出て来ないので心配した棟梁が長屋へたずねてみると店賃を溜めたので家主に道具箱を持っていかれたという。
店賃一両二分八百のうち一両二分だけありあわせを持たせて道具箱を取りにやらせる。
家主の家で与太郎は金が足りないといわれ、棟梁がいったとおり八百ぐらいおんの字だとか、あたぼうだとかいってしまう。
これはしり押しがいるなとみた家主は残らず金を持って来ないと道具箱は渡せないと怒って追い返す。
そこで棟梁が家主の家に行き、下手に出てついでの時にあとは届けるから今日はお屋敷の門限に間に合わなくなるので道具箱を渡して欲しいと頼む。
しかし家主はあくまでもつっぱね、とうとう口論になり棟梁は与太郎にも毒づかせる。
棟梁の政五郎は願書をしたためて奉行所へ駆け込み訴えをする。

一朝師匠も、ここまでで、以下のオチまでの部分はやっていません。
さっそく取り上げられて両者出頭して裁きになる。
奉行は申し立てを聞いた上、与太郎に対して政五郎から八百文借りて家主に払わせる。
ついで家主に対し質屋の鑑札を持たないで道具箱を預かったのをとがめ、預かった二十日間の大工の手間賃として三百匁払うよう申し付ける。
奉行は「政五郎、三百匁はちともうかったな、しかし師弟の世話をするのは感服、さすが大工は棟梁(細工は流々)」「へえ、調べ(仕上げ)をごろうじろ」
この噺は、言葉の行き違いが原因で起こった騒動を描いたもので、大工の棟梁の啖呵が売り物です。
一朝師匠の啖呵にも、会場から拍手が起こりました。
いかにも江戸っ子の職人言葉が出て来る威勢のいい噺で、落語の名作のひとつでしょう。
また、いくら江戸っ子だとて、もう少し上手い言い方をすれば、こんなにこじれることもなかろうにと思います。
が、私は、以前にも触れた記憶がありますが、この噺は好きではありません。
というのは、いくらなんでも理に敵わず、強引だと思うからです。
勿論、大岡裁きも腑に落ちません。
家主が、態度ややり方も含めて全て正しいとは思いませんが、借りた金は返す、返せなければ何らかの別の負荷を負うというのは、社会の秩序を保つ上からも必要なルールでしょう。
ここは、棟梁の読みが甘すぎると思います。
金融関連の仕事に携わっていますから、ここのところは譲れない。
「唐茄子屋政談」の家主も同様な部分はあります。
「唐茄子屋」の家主は、人の道にもとる部分がありますから、当然救われない(許せない)と思いますが、「大工調べ」は・・・。
だから、私は恐らく演ることはないでしょう。
こうやって、どんどん世界が狭くなってしまう・・・?

2011年6月14日 (火)

6月の・・地震

「宮城県沖地震」は、1978年(昭和53年)月12日(月)午後5時14分に発生した、≪マグニチュード7.4≫の地震。
「岩手・宮城内陸地震」は、2008年(平成20年)6月14日(土)午前8時43分に発生した、≪マグニチュード7.2≫の地震。
そして、「東日本大震災」は、2011年(平成23年)3月11日(金)午後2時46分に発生した、≪マグニチュード9.0≫の地震。
3年前の今日は、「岩手・宮城内陸地震」が起こった日。
33年前の一昨日は、「宮城県沖地震」が起こった日。
私も経験しました。
あれだけ、東海・南海沖地震が騒がれていた(いる)にも拘らず、揺れたのは東北でした。
もう、揺れなくてもいいでしょう。

「青菜」で

「青菜」でちょっと引っかかる台詞があります。
ちょっと前にヒットした「瞳をとじて」というのがありますが、よぉく考えると「瞼をとじる」ではないかというのと同じような・・・。

植木屋さんが、お屋敷の旦那さんに「柳陰」をご馳走になっているところ。
お酒がなくなった時に、「旦那、柳陰が義経になりました」と言いますが、ここは「九郎判官なりました」と言った方が良いのではという・・、もうどうでもいい話。
でも、よく考えると、「義経になりました」は「よし(やめ)にしておけ」と言っているのです。
植木屋さんが、「柳陰がなくなりました」は「九郎(食らう)判官」の表現でないと・・・。
・・やはり「瞳をとじて」でいいのでしょうか・・・?

三流亭流三


私は「三流亭流三」です。
落語っ子連・三流亭に参加した際に、圓窓師匠から頂戴した高座名です。
(自分で何案か考えた中から、師匠が選んでくださいました。)
・・が、落語の亭号として「三流」というのは、かなりポピュラーなイメージですし、回文調の名前というのも、よくあるパターンです。
従って、どこかに同名の方がいるであろうと思います。
どうも、在京の某大学落語研究会あたりで、何代か名乗っているようです。
ということは、あちらの方が先という訳ですな。
同じ高座名の方は、ほかにもきっといると思います。
そのうちに、「赤流三」や「黒流三」なんていう通称が付いたりして。

2011年6月13日 (月)

うな丼ダブル

うな丼ダブル
暑くなると、鰻が食べたくなりますね。
安かろう悪かろうで、いくらデフレの世の中でも、うな丼が500円で、写真のうな丼ダブルというのが900円。
きも吸いを付けてちょうど1000円也。
店には、職人さんらしい人はいません。
ほとんどアルバイトとおぼしきヤンキー上がりのようなお嬢ちゃん。
彼女たちはきっと、生きたままの鰻なんて、見たことも触ったこともないでしょう。
そもそも、これって鰻ですか?
分かりませんぞ。
とある線路のガードのお店。

高座3態

私が落語を演らせていただいている高座の紹介です。 
        
落研OB会が、東京で「お江戸OB落語会」をと、「浅草ことぶ季亭」を使わせていただいています。
ここは、落語のためにあるような場所ですから、本当に演りやすい会場です。
ただ、お客さまには、やや狭いのと、座椅子が中心の客席なので・・、ご高齢の方にはつらいかなぁ・・・。
座椅子と椅子でMAX55席です。
寄席の小屋としては最高の雰囲気です。
だから次の11月のOB落語会も、ここで開催させてもらう予定です。   
三遊亭圓窓師匠に師事している「落語っ子連・三流亭」が使わせていただいている、要町の「」プラサ・ギターラ」のコンサートホール。
ここは、ギターを販売している会社のホールで、和風でもありませんし、会場の形も四角なスペースではありません。
不揃いの椅子を並べたり、めくりは譜面台を流用したり・・、手作りな会場です。
ここもあまり広い会場ではないので、お客さまは息苦しいかもしれません。
椅子を並べてギリギリ50席弱というところ。
落語っ子連の発表会は、2日に分けてやっていますので、色々と融通の利くこの会場がいいんです。 
         
やはり、三遊亭圓窓師匠にご指導いただいている、「扇子っ子連・千早亭」が使っている「豊島区千早文化創造館」。
ここは、普通の広めの会議室。
パイプ椅子が100席弱程度確保できます。
スペースは広いものの、演芸やコンサートのためのスペースではありませんから、雰囲気作りには苦労するかもしれません。
公共施設ですから、使用料が安いのが一番ですね。

古今亭右朝師匠

Photo

「古今亭右朝」師匠という方がいらっしゃいました。
ちょうど10年前に亡くなりました。享年53歳。
師匠「古今亭志ん朝」師匠の後継者と周囲から認められていた実力者は、これからという時期にこの世を去ってしまったということです。
奇しくも、志ん朝師匠が亡くなる直前のことで、志ん朝師匠の落胆ぶりは尋常ではなかったそうです。
大学を卒業してすぐに落語家になったわけではなく、最初は寄席文字の橘右近師匠に師事し寄席文字の修行をした後、噺家さんになったそうです。

噺家さんとしての経歴は以下のとおりです。
 昭和50年11月  古今亭志ん朝に入門し「志ん八」
 昭和55年 6月  二つ目昇進
 昭和63年 6月  真打昇進と同時に「古今亭右朝」を襲名
      *寄席文字の橘右近と師匠志ん朝から一字ずつ取った
      *落語協会の真打として100人目で昭和最後の真打
 平成13年4月  肺がんにより死去
その実力の一端は、以下の華々しい受賞歴が物語っています。
 昭和59年 第18回 国立演芸場 花形若手演芸会新人賞銀賞
       *演目は『三方一両損』
 昭和60年 第14回 NHK新人落語コンクール 最優秀賞
       * 『片棒』
 昭和60年 昭和60年度 にっかん飛切落語会努力賞
 昭和61年 昭和61年度 にっかん飛切落語会若手落語家奨励賞
 昭和62年 第32回 国立演芸場 花形若手演芸会新人賞金賞
       *『片棒』
 昭和62年 昭和62年度 にっかん飛切落語会若手落語家奨励賞
 平成 2年 第45回 国立演芸場 花形演芸会金賞
              *『二番煎じ』
  平成 4年 第12回 国立演芸場 花形演芸大賞大賞

Bbywe

・・・実は、私はこの「右朝」師匠を、全く知らないのです。
志ん朝一門でも、志ん五(当時志ん三)師匠や志ん輔(当時朝太)師匠のことは知っていたのに・・・。
どうして、これだけの実力者のことを知らないか。
2つの点が考えられます。
まず、経歴を見て分かることですが、私が社会に出て、落語と疎遠になっていた時期と完全に重なっていること。
それから、テレビなどのマスコミにはあまり出ていないこと。
やはり、落語から離れていた25年以上の時間は、ちょうど一世代が抜けているという訳です。
しかも、私よりちょっと年齢が上の世代が・・・。
考えてみると、実は「さん喬」師匠も、「扇遊」師匠も、「雲助」師匠も、「一朝」師匠も、若手で台頭する頃のことは知りません。
落語に戻って来て、それぞれ盤石な位置を占めてから、当然のことながらファンになった師匠たちです。
10年前には、みんな知りませんでした。
生前のCDもあるようですから、一度聴かせていただこう思います。
古今亭を支えるべきだった人の芸を。

2011年6月12日 (日)

お江戸OB落語会映像鑑賞


喰亭寝蔵師匠が編集してくださった、「お江戸OB落語会」のDVDを、ゆっくり鑑賞しようという訳。
のどかな休日の、究極の贅沢だと思います。
杜の家頓平師匠のご挨拶から、当日のプログラムに沿って・・・。
それにしても、当日の満員の会場の熱気が伝わって来ます。
あの場面は・・・、ああそうだった。
あそこのところは・・・、こういう訳だったのか。
あの爆笑の場面は・・・、こんな雰囲気だったのか。
ずっと、楽屋にいましたから、特に演者の表情などをじっくり見るのは初めてです。
2枚組の第1枚目から。
頓平師匠、「携帯スイッチをオフに」まで、実に行き届いたご挨拶。
笑児さん、現役時代と変わらない、いい雰囲気。
寝蔵師匠、噺家さんそのものの風情がいっぱい。
蕪生師匠、やはり年輪、重厚さが感じられます。
めくりはあんな感じかな?
「お仲入りぃぃ」は、もっとゆっくり大きな声でも良かったかな・・・?
第2枚目。
くるみさん、やはり場馴れしていて、安心して聴くことができます。
南京玉すだれは、もっと裏で賑やかした方が良かったかな・・?
志ん志師匠、高座に映える姿と優しい声のコントラスト。
そして乱志、まあこれはこれでいいじゃないの。

天下たい平落語はやおき亭

日曜日の朝。
目覚まし時計もかけていないのに、自然にいつもの時刻に目覚めてしまいました。
ところが、横になったままでいると、またまどろんでしまい、「落語でデート」の時間は夢の中。けさも聴くことができず。
ふたたび目覚めたのが7時過ぎ、「落語はやおき亭」も既に始まっていて、ゲストの円楽師匠とたい平さんが対談をしていました。
円楽師匠が落語界に入った頃の話題。
円楽師匠は、青山学院大学の落研のご出身。
あの頃、青学落研顧問は、圓窓師匠(当時吉生)だったそうです。
・・・そういえば、我が落研52年の歴史を紐解くと、バラバラになってしまいますが、という古いくすぐりは受けないのでやめて、創部当時は、青学落研との接点があったようですから、これも圓窓師匠がいらっしゃったからかもしれません。
そのうちに、圓窓師匠や当時の先輩方に、そのあたりの経緯などを訊いてみようと思います。

高座名3態

私が使わせていただいている高座名の揃い踏み。
 
最も長く使っている落研での高座名。
落研では二代目。
「近眼で乱視」というのと、「金原亭≒金願亭」・「談志≒乱志」、金を欲しがり心が乱れるという、そんなことにかけた名前です。
寄席文字で「乱」という字は、大変難しいそうです。
 
「落語っ子連・三流亭」で、三遊亭圓窓師匠に師事した時に、師匠からいただいた高座名。
上(右)から読んでも下(左)から読んでも・・の回文調。
「りゅうざ」と読むのがミソ。
「三流」でなく「三遊」ならいいのに・・。
 
「扇子っ子連・千早亭」で、千早町が稽古場所なので、落語「千早振る」に因んだ名前を師匠が考えてくださり、くじ引きで決まりました。
「からくれないに水くくるとは」から、「とわ(とは)」と読みます。
大変字面もよく、バランスの取れた名前だと思っています。

佃祭

Photo_3 寝蔵師匠に送っていただいた「お江戸OB落語会」のDVDを視聴しました・・・。cd
想像以上に酷い出来でした・・・。weep
これなら、従妹に酷評されても仕方がない・・・。crying
もっと人物描写をはっきり、メリハリをつけないと。
もっと、仕草を丁寧にしないと。
もっと、間をとらないと。
もっと、言葉をはっきり言わないと。
もっと、もっと、・・・・。coldsweats02
とにかく、もっとパンチの効いた、インパクトのある噺にしたいと思いました。
弁痴師匠から、「4ヶ所咬んだところがある」と言われた部分も、やはり稽古不足だということです。
ちょっと救われる気分になったのは、緞帳が閉まっている間に、客席から何気なくの「上手いねぇ」という声が入っていたこと・・・。coldsweats01
どこのどなたかは存じ上げませんが、ありがとうございます。wink

2011年6月11日 (土)

大手町落語会


前回は、権太楼師匠が休演にかかわらず、マスクをかけて高座に上がり、抗がん治療のことを話してくれたという、大変印象に残る落語会でした。
今回は「第7回」ということですが、プログラムの挨拶文が「第6回」になっていて、出演者にいじられるという・・・。
まあ、そういうこともありますよ。
 ◆ 子ほめ      柳家おじさん
 ◆ 粗忽の釘    春風亭一之輔
 ◆ 化け物使い   桃月庵白酒
 ◆ 青菜       柳家権太楼
 ◆ 大工調べ    春風亭一朝
隣の女性二人のお客さんが、色々話すのを聞いていると、どうやら映画「シネマ落語 昭和の名人」を観たらしく、「林家正蔵(彦六)が動いているのを初めて観た」とか、「(中村仲蔵を聴いて)手が可愛らしかった」とか・・、言っていました。
どちらかというと、ボーッとしながら、居眠りをしながら、聴かせてもらいました。
権太楼師匠がお元気そうだったので、何よりでした。

休日のひととき

休日のひととき
大手町落語会に向かう途中、上野の駅なかのカフェでひと休み。
店内にあった「駅まわり街歩きBOOK」という小冊子を見ながら、ボーッとした時間・・。
外は雨・・rain

○○連・▲▲亭

圓窓師匠がご指導くださっている素人落語のグループを、私が知っている限りで並べてみました。
□落語っ子連・三流亭~一番の老舗
  「へ組」と「ん組」があり、私(流三)は「ん組」です。
□噺っ子連・有難亭~茨城県のグループ
    江戸崎あたりに師匠が自家用車で通って?います。
□笑いっ子連・N文亭~NHK文化センター
  NHKの落語の講座の受講者の方々です。
□語りっ子連・紅巣亭~門前仲町のクレス音楽教室
  「落語っ子連」の「まど音」さんの教室が主催しています。
□扇子っ子連・千早亭~豊島区千早文化創造館
  「三遊亭圓窓の落語体験教室」から発展したものです。
  私(永久)もメンバーです。
□扇子っ子連・要亭~豊島区千早文化創造館
  「三遊亭圓窓の落語体験教室」の第2期生です。
□手拭っ子連・広場亭
  詳しくは知りませんが、最近立ち上げた連です。
□講しっ子連・印彩杜亭
  どこか企業の同好グループだと思います。
・・・という訳で、人数も数十名から百名近くになることと思います。
師匠は、この素人の人たちの落語のようで落語でないようなものを、実に楽しげにお聴きになっています。
勿論、落語のご指導もしてくださいます。
「あたしはね、落語を演るよりも聴く方が好きなんだよ。」なんて仰っていたことを思い出しました。

「昭和の名人完結編」(9)

Photo

今回配本は「八代目桂文楽」。
自他共に認めた昭和の名人。
尤も、私はご健在の頃を知りません。Photo_2
ただ、寸分違わない芸という、痛々しい部分に惹かれていましたが、やはり世代が違うという感じは否めません。
◇ 酢豆腐   桂文楽
◇ 心眼     桂文楽
◇ 愛宕山    桂文楽
いずれも、これはといえば黒門町といわれた噺ばかりです。

「お江戸OB落語会」のDVD


「寝蔵エンタープライズINC」制作の、「第2回 お江戸OB落語会」のDVDが届きました。
装丁の見事さと制作の早さには驚きました。
勿論、私だけでなく、主要なOBの先輩方にも同時に配送されているようですから・・。

従妹に酷評されてしまった「佃祭」を、しっかりチェックしておかないといけません。
捲土重来を期して、何が足りないのか、何が悪いのかを、謙虚にピックアップしたいと思います。
プレジデント寝蔵師匠、本当にありがとうございます。

2011年6月10日 (金)

シネマ落語 昭和の名人 弐

Photo_4 「落語をもっと見たい!」「懐かしい名人の高座がもう一度見たい!」という声に応え、昭和の名人たちの演目をスクリーンによみがえらせるシネマ落語『落語研究会 昭和の名人』シリーズ第2弾。
三代目古今亭志ん朝の「船徳」、十代目金原亭馬生の「臆病源兵衛」、六代目三遊亭圓生の「引越の夢」、八代目林家正蔵の「中村仲蔵」を上映する。えりすぐりの演目と共に、今では見られない名人たちの競演を、スクリーンでたっぷりと楽しむことができる。
・・・ということで。
◇ 三代目古今亭志ん朝    船徳(1983年)
◇ 十代目金原亭馬生     臆病源兵衛(1979年)
◇ 六代目三遊亭圓生           引越しの夢(1970年)
◇ 八代目林家正蔵              中村仲蔵(1972年)
東銀座の東劇での上映最終日の最終回です。

何と、前の上映に、四分椿師匠と蕪生師匠がご来場で、入れ替えの時ばったりと・・。
今日が最終日ですから。
大スクリーンで視る落語も一興ではありますが、映画館の入りとしては、あまり良くありませんでした。

落語っ子連「へ組」稽古会

おことわり
圓窓師匠のブログで知る、先日の日曜日の「へ組」の稽古の様子。
落語っ子連・三流亭の稽古日。
 読ませ稽古、まど深[猫の皿]。
  仕事が大変なのだろう。痩せて見えた。
  この噺、登場人物の両者が欲を満たすための
    駆け引きが聞き所。
  後味に悪さは残したくない、と思っている。
  きれいに仕上げるだろう。
 読み稽古、びす太[道具屋]。
  与太郎が伯父の家を出るまでを収録。
 まど女、青い顔をして顔出し。
  疲労気味のようだ。気を付けないと、、。
P5290162この連は、みんな仕事をしながらのグループですから。
まど深さんは転勤したばかり、まど女さんは記者だからいつも走り回っている様子・・。
師匠が、二人とも疲れているようだと心配しているのも分かります。
でも、落語が好きなんですね。
彼女らも「中中毒」以上でしょう。間違いない。

広瀬さんの評論

広瀬和生さん、今回は「古今亭志ん輔」師匠の巻。
2001年10月の古今亭志ん朝の死は落語界にとってあまりに大きな損失だったが、この一門にはその半年前に、もう一つの悲劇が襲っていた。
志ん朝の弟子の右朝が、肺ガンのため52歳で亡くなったのだ。
右朝は立川談志をして「こいつは天下を取る」といわしめた逸材だった。
今なお「右朝が生きていれば……」と惜しむ落語ファンは少なくない。
昨年は一門の総領弟子の志ん五が上行結腸ガンのため61歳で亡くなっている。
与太郎噺で売れた人気者で、近年は志ん朝十八番に意欲的に取り組み、落語界で存在感を増していた矢先だった。
悲運の志ん朝一門。
だが「師の遺志を継ぐ」優れた弟子は他にもいる。
その筆頭が、古今亭志ん輔。1953年生まれで1972年に志ん朝に入門し、真打昇進は1985年。
落語家としては今、最も脂の乗り切った時期だ。
滑らかな語り口と軽やかなトーンの心地好さ。
デフォルメとリアリズムを自在に使い分ける人物描写の見事さと、細部にこだわった演出。古典の伝統にわずかな「現代の息吹」を入れ、充分に「気持を込める」ことで観客の心をワシ掴みにする志ん輔は、一門の中で最も「志ん朝の遺伝子」を色濃く感じさせる。
『お見立て』『船徳』『明烏』『井戸の茶碗』『宿屋の富』『お直し』『子別れ』『文七元結』『幾代餅』『唐茄子屋政談』『三枚起請』『佃祭』『酢豆腐』等々、志ん輔の得意ネタの多くは、志ん朝十八番として知られる演目だ。
僕は、そうした噺での志ん輔に、まごうことなき「志ん朝の遺伝子」を感じる。
手や首の動かし方など、志ん輔に「志ん朝の仕草」を感じることは多いが、そうした表面的な類似ではなく、もっと本質的な「気持ちの入り方」や「噺の捉え方」といった部分を、志ん輔は師匠から真っ直ぐ受け継いでいるという気がするのだ。
※週刊ポスト2011年6月17日号
ごもっとも、ごもっとも。私もそう思います。
志ん輔師匠が、志ん朝か、志ん生を襲名するのは、いつのことでしょうか?
そう遠くないと思うのですが。

OB会総会と落語会の予定

Photo_2

我が落研のOB会の総会が11月に予定されています。
震災のこと、東京での落語会活動なども踏まえて、今回は東京で開催する方向になり、会長の蕪生師匠や頓平師匠とご相談して、具体的な日程と内容を決めようという訳です。
今のところ下記のイメージが有力・・。
  【開催日】   11月12日(土)12時30分頃より
  【内  容】   お江戸OB落語会(一般のお客さま対象)
           OB会総会(OBのみ) 
             ※場所は「浅草ことぶ季亭」が有力
           懇親会・打ち上げ
             ※落語会会場の近く
・・・ということで、また落語会を開催しなくてはいけません。(*^-^)
(嬉々としてwink

素人落語

Photo_3最近は、落語を習う(稽古する)場所や機会が増え、私の知っている方でも、稽古に通っているという方が、複数いらっしゃいます。
先輩の「愛詩亭朝大」師匠や・・・・。
稽古しているところは、官民のカルチャースクールのようなものや、噺家さんが自ら主宰するもの、好事家が主宰するもの等々・・。2
   
落研(金願亭乱志)の場合は、素人落語の最も定番?(特殊?)なパターンです。
落語が演りたくて門を叩き、結局、それが一生のものになりました。Rimg0033
        
落語っ子連(三流亭流三)は、落語好きの自主的な集まりです。
落研の先輩との関わりの中で、三遊亭圓窓師匠に出会うことが出来ました。Img_60887_3824617_2
              
扇子っ子連(千早亭永久)は、公的セクター(豊島区)が企画した落語教室が原点で、それが自主的な同好グループに発展したものです。
いずれも、圓窓師匠とのご縁もあって今日に至っています。
Photo_2先日の「落語中毒論」の時にも触れましたが、落語を演る魅力(魔力)というのは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
よく圓窓師匠は、落語を演り始めたばかりの人の稽古の時に、「落語を演らなければ分からなかった、落語の深みが実感出来て面白いでしょう。」と仰います。
落語をどのように考えているか。どんな指導者(師匠)につくかにもよりますが、落語を真面目に演る仲間が増えるというのは、とても嬉しいことです。                
「落語の講義だと思って応募した。」「まさか自分が落語を演る羽目になるなんて、全く想像もしていなかった。」・・・。Image008
「扇子っ子連・千早亭」のメンバーのほとんどの方が、こう声を揃えます。
そして、そんな方々が「永久さん、次は何がいいかな。」「何かいい噺ないかなあ。」・・。
中には「妾馬を演りたい。」なんて、師匠が苦笑するようなことを、実に事もなげに仰る方も。
完全に落語の魅力に取り憑かれ、「高座に上がりたい症候群」になっているのです。
落語に楽しみ方4態あり。
  落語をひたすら聴く「享楽派」。
  落語関連の本を読んだり調べたりの「学究派」。
  落語を実演する「武闘派」。
  何となく落語好きの「無精派」。
      (一部、東大落語会の分類による?)

2011年6月 9日 (木)

6月9日

Art_18_l

圓窓師匠が、6月9日は圓生師匠のおかみさんのご命日だと仰っていました。
ご命日にはいつも、ご夫妻が眠っているお寺にお参りしているそうです。
「この先、圓生の名跡で騒ぎが起きるといやだから、圓生の名は止め名にする」と遺言をした、あのおかみさんです。
・・・が、結局、騒ぎが起こってしまっている・・・。
圓窓師匠は、「あまりにも、おかみさんが可哀そうだ。」と・・・いつも仰っています。
世田谷区にある「永隆寺」というお寺だそうです。
「・・・・故夫六代目三遊亭圓生と名実ともに烏山永隆寺の泉下に眠りたく、従って圓生の名は永遠に再び世に出すことを望みません。・・・」(昭和61年8月)

某噺家(二つ目)逮捕・・

これまた新聞記事から。
神奈川県警中原署は5日、マンションに立ち入ったとして建造物侵入の疑いで、川崎市中原区に住む落語家・T容疑者(37)を現行犯逮捕した。
マンションの3階の部屋にいた女性が、玄関付近の小窓から男がのぞいているのに気付き、夫が廊下に出ると逃走した。
夫がマンションから約100メートル離れた歩道で取り押さえ、110番通報で駆けつけた署員に引き渡された。
逮捕直後、T容疑者は「のぞき目的でマンションに入った」と説明しており、酒に酔っていたという。
T容疑者は、2000年にT師匠に入門。2番弟子となり、09年2月に二つ目に昇進した

おいおい・・・。

語りっ子連・紅巣亭

圓窓師匠にご指導いただいている素人落語連に、「語りっ子連・紅巣(クレス)亭」があります。
そのメンバーに、熊本から稽古のためだけに通っているお医者さんがいらっしゃるそうです。
紅巣亭心童(しんどう)さんという方だそうです。
稽古を終えて、羽田からの飛行機の出発時間まで他人の稽古を鑑賞して待っているそうで、色んな人がいるものです。

山王祭

「佃祭」のマクラで、「江戸の三大祭」のことに触れました。
三大祭とは、神田明神の「神田祭」、浅草神社の「三社祭」、日枝神社の「山王祭」のことをいうそうです。また一部には、三社祭ではなく、富岡八幡宮の「深川八幡祭(深川祭)」を入れる説などもあるとのことですが、江戸はお祭りの多いところです。。
     
諸説ある中でも、赤坂「日枝神社」の「山王祭」は、誰もが認める江戸を代表する大祭。
日枝神社の神幸祭の祭礼の呼称で、正式名称は「日枝神社大祭」というそうです。
毎年6月15日に行われています。
将軍が上覧したという、幕府公認のお祭り。
江戸の街の守り神は「神田明神」、江戸城の守り神は「日枝神社」という分担のようです。

2011年6月 8日 (水)

人形町らくだ亭

Photo_4 震災で中止になった3月の会と同じ内容での開催。
◆ 元犬       桂宮治
◆ 粗忽の釘    金原亭馬治
◆ 時そば      立川談幸
◆ 花見小僧    柳家小満ん
◆ 刀屋       柳家さん喬
「おせつ徳三郎」 の通しを、小満ん・さん喬両師匠の熱演で聴きました。
最近、寄席や落語会への徘徊が少なくなっていますので、大変新鮮です。
知人の「Iさん」と一緒の久しぶりの落語鑑賞でした。
3月の落語会が中止になり、払い戻しが出来ていなかったので、会場でやっとお金を取り返しました。
     
それにしても、前座さんからの3人の出来は酷かった。前座さんは、前回も辛口のコメントをしましたが、高座での態度も、噺の作り方も、全て雑で、好感が持てません。
さん喬師匠の「刀屋」は、人情噺仕立てで、しかもハッピーエンドにしてありました。
「刀屋」という演題に相応しいオチでした。

十一代目「桂文治」襲名

読売新聞の記事。
落語家の桂平治さん(43)が十一代目桂文治を襲名し、来年九月から披露興行を行うことが7日、落語芸術協会(桂歌丸会長)の役員会で決まった。
桂文治は江戸時代から続く大名跡で、東西落語界にある「桂」の亭号では最も由緒のある名前とされる。元々は上方の名跡だが、現在は東京で定着。
1999年から亡くなる2004年まで落語芸術協会会長を務めた十代目は、江戸っ子らしい軽妙な口調が持ち味で、滑稽噺の名手として知られた。
平治さんは大分県院内町(現・宇佐市)生まれ。
86年に十代目文治に入門、99年に真打に昇進した。
スケールの大きな高座に定評があり、酒が出てくる「らくだ」「禁酒番屋」などの演目を得意としている。
順当な襲名だと思います。
正直なところ、聴きたい噺家さんの少ない落語芸術協会で、数少ない存在です。
それにしても、落語芸術協会は、惜しげもなくというぐらい、大名跡を若手に襲名させています。
柳橋・枝太郎・圓馬・今輔・・・。
落語協会にも、大看板があるのですが・・・。
志ん生・柳枝・志ん朝・(圓生)・・・・。

後輩からのメール

Photo

落研の後輩の「宝亭小六方」さんから、「お江戸OB落語会」の感想のメールをいただきました。
まず、落語会の当日にいただいたメール。
なかなか普段生の落語を聞く機会はなくなってしまっているのですが、地デジ時代を迎えて、落語番組はこまめにチェックしており、鑑賞に関しては十分現役でいるつもりですが、本日「笠碁」の途中から拝聴いたしましたが、正直申しまして、大先輩方の落語のしっかりしていたこと、レベルの高いことに、たいへん驚くとともに、まだまだいろんな意味で精進が足りぬ、と自らのことを振り返る一日となりました。
平日の仕事の疲れもあるので、一席ぐらいしか持たないな、途中気絶して、頚椎骨折救急車、と予想していましたが、そんなどころではなく、しっかりと最後まで落語自体も堪能させていただきました。
大変ありがとうございました。

次は、数日後の蕪生師匠へのメールPhoto_2
「笠碁」の途中に会場に到着いたしました。
満員の入り口で柱があり、お顔もろくに拝見できなかったのですが、お声だけ聞くだけでも噺がきちんとされていることがわかり、「もっと早く来ればよかった」と思いました。(世辞ではございません)
正直、みなさんプロというわけではありませんので、落語そのものに期待しておうかがいしたわけではないのですが(失礼ですね!)
逆にトリの乱志さんまで、しっかり噺を堪能しての帰りとなりました。
そして、噺家さんのモノとは別の、みなさんの生きてこられた長い年月のようなものが噺に反映されているようで、先輩方の生きてこられた歴史に想いを馳せつつ、何かいろんな事を考えさせられました
落語というものが持つ深さを改めて感慨深く感じた次第です。
人ごとのようですが、こういう質のある会はきっと長続きするのでは、とうれしく思っています。
どうやら、後輩の眼からも、若干(かなり?)のお世辞はあると思いますが、まんざら捨てたものでもない落語会だったようです。
ところで、私の同期で「宝亭六方」さんという名前を考えました。
法学部でしたから、「法廷・六法」です。
その後、「小六法」さんがいたんですね。

噺がつく

Imgp0853「お江戸OB落語会」で、袖で志ん志師匠の「百川」を何気なく聴いていて、「あっsign01しまったsign03噺がついている。」とびっくり。
寄席では、同じ噺はもちろんのこと、同類の噺も避けて自分の演じる噺を決めなければならず、「噺がついて」しまいました。
「百川」はお祭りに不可欠な「四神剣」を巡るストーリー展開です。
Sijinki_3そして、私の「佃祭」は、題名にしても、内容にしても、佃島のお祭りの噺。
見事に?「祭り」でついてしまっている・・・。
あの後、志ん志師匠からは、「そんなことは全く意識していないし、あの2題は、カテゴリーもストーリーも違うから、違和感はないよ。」という、温かいコメントを頂戴しました。
大変ありがたく思いました。
また、私も、噺がついてまずいというよりも、噺がつく薀蓄みたいなものを、お客さまに披露するという趣向の意味もありましたから。
ところで、最近の師匠のプログにこんなエピソードがありました。
寄席、末広亭、1900分。[権兵衛狸]。
高座を下りると、前座が「昼席の中入りに[権兵衛狸]が出てました」と言う。
帳面を見ると、なるほど、馬の助が演っている。
普通、こんなとき楽屋から高座の袖に帳面が出されるのだが、それもなかった。
客席からは「前に演った人がいた」というような反応はなかった。
楽屋では「不自然さはないから、このまま行こう」と話し合ったとか。
状況を見て、それもいいだろう。
あたし自身、気が付かなかった、、。
・・・こんなものかもしれませんね。

2011年6月 7日 (火)

落語中毒論

Photo蕪生師匠が、何十年ぶりの高座に上がり、喝采を浴びましたが、(予想通り)「また落語がやりたい。次の噺は『厩火事』だぁsign01」と大宣言。
・・・そうなんです。
一度、高座に上がると、その魔力(魅力)に取り憑かれるんです。
蕪生師匠も例外なく、その魔力に巻き(引き)込まれたようです。
これまた実に結構なことでげすな。

これに関して、寝蔵師匠が、落研OBのMLで以下のようなコメントをされています。
先日の落語会の後の懇親会で、団巣師匠のご友人と卓を囲みましたが、「なぜ落語を演るか」という議論で、わたくしと志ん志師匠の結論は、「中毒である」でありました。
そうなんです。まさに中毒なのです。 
噺をきめて、稽古をする。
発表会が近づくのに遅々としてまとまらない、、、、。
逃げ出したい気持ちになります。
1週間くらい前になると「どうにでもなれ」と居直り。
高座に上がる直前には「もう次回は演らないでしよう、、、」と内向的になるのですが終わった後の、あの達成感。(出来の良し悪しは別)
それに自分の落語をDVDなどで見てみると、「なんだ、あんな口調じゃだめじゃあないか」とか、「あの仕草はなってない」「人物描写がだめだ」、、、、、などと思っているうちに、「次の噺はなんにしようか」と考えているのです。
蕪生師匠も「落語演りたい中毒」仲間に入られたようで、ご同慶の至りです。
乱志師匠の「大中毒」、志ん志師匠、寝蔵の「中中毒」、蕪生大師匠、笑児師匠の「新中毒」。

全くその通りsign03
例えば、圓窓師匠にご指導いただいている、全く落語など演ったこともない方々でさえ、はじめは極度に緊張しながらも、高座を初体験した後で、「もう十分。」「もう落語なんてやらない。」なんていう方は、ほとんどいません。
やはり、何かあるんです。落語には、高座には。
ですから、学生時代に落語の経験のある人など、ひとたまりもありません。
即感染してしまうのです。
このウィルスは、さほど感染力は強くはなく、感染範囲も限られはしますが、もしかすると悪性の新型インフルエンザよりもたちが悪いかもしれません。
だって、このウィルスは、一旦罹ったら、「耐性」がなくなってしまうのですから、抗生物質やワクチンが全く効かない。
それから、この「(悪性ウィルス性?)落語演りたい症候群」にも、どうやら症状によって段階や呼び名もあるようです。
私なんぞは、最も症状の重い「大中毒」と診断され、分類されてしまいました。
原子力発電所なら「レベル7」です。

でも、「中毒」なんていうと、ちょっと病的な表現ですから暗い感じがしますが、「恋煩い」に例えたら分かりやすいと思います。
昔の歌ですが、布施明の「恋」というヒット歌がありますが、これを替え歌にして「変」という題名にしてみると・・・・。
          
【変】
noteというものは なものなんだ 
  
っているときは 何ともないが
 
 高座下りると 涙がこぼれちゃう
  ※演るたびに嬉しくて 演ればまた切なくて
    れなけりゃ悲しくて 演らずいられない
  それというのも 高座のせいだよ
  僕のこの胸は 「変」に震えてる
    ればそれだけで 嬉しいくせに
    演じた後の 涙がつらいのさ
      ※印繰り返し
    かなり「変」だけど 落語が好きだよ
    だけを 続けたい
お粗末・・・・・。

明治時代の音源

Photo

先日の読売新聞に、興味深い記事が載っていました。
明治末期から戦後にかけて出回ったSPレコードの音源がデジタル化され、5月31日から国立国会図書館で公開が始まった。
レコード会社などが保存していたSP盤とその金属原盤は劣化や散逸が進んでおり、日本レコード協会など6団体でつくる「歴史的音盤アーカイブ推進協議会」が記録を残そうとデジタル化を進めていた。
この日公開されたのは、かつて庶民を沸かせた三代目三遊亭圓馬の落語「三人旅」(1928年発売)など2485点。
このうち「三人旅」など99点は外部からアクセスしてインターネットで無料で視聴できるそうです。
落語には「江戸落語」と「上方落語」があります。
東京の落語は、いわゆる江戸弁、下町の江戸っ子言葉で語られるのに対し、上方落語は大阪弁により演じられるのが常です。(当たり前
ですから、基本的には、東京を中心にした関東出身者が江戸落語、そして大阪を中心とする関西出身者が、上方落語を長年演じてきたのは当然のことです。
東京
の落語家が大阪で落語を演じたり、またその逆はあっても、江戸の落語家が上方弁で上方落語を一席、などという事はありえないことでした。
落語が話芸によって成り立つものである以上、中途半端な言葉使いでは聞き手を納得させる事が出来ませんから、もし関西の落語家が、標準語を多少使えるからといって東京落語を演じたとしても、噺の出来栄えは彼本来の、大阪弁による上方落語を超える事はまず不可能でしょう。
ところが、明治後期から大正、そして昭和に入っても戦前まで活躍した、この「三代目三遊亭圓馬」という師匠は、その不可能を可能にした、言わば「奇跡の落語家」と言えるでしょう。
圓馬は、生粋の大阪人でありながら、若くして上京し東京で修行。
上方落語と同様に、東京落語も巧みに演じる事が出来たと言う不世出の人だったようです。
八代目桂文楽師匠が心酔していた噺家さんだそうです。

ボランティア活動

落研御三家「仙人・桂友楽」師匠が、精力的に慰問をしています。
6月11日には、新潟県の「津川」という所にに避難している福島の方を慰問なさるそうです。
・・・「津川」という場所は知りませんが、地図で調べてみると、磐越西線で会津若松から、福島・新潟県境を越えたあたりのようです。
近くを阿賀野川が流れているようです。
Photo_8きっと、冬は雪深い町なのでしょうねぇ。
それで、新潟県と言えば、新潟県が生んだ落研御三家の「名人・喰亭寝蔵」師匠が黙ってはいません。
もしかすると、駆けつけてくださるかもしれません。

東日本大震災チャリティ落語会

「東日本大震災チャリティ落語会実行委員会」なるところから、「第2回 東日本大震災チャリティ落語会」の案内DMが届きました。
7月6日(水)の昼席・夜席が、渋谷C.C.Lemonホールで。
 出演:<14:00>コージー冨田 / 林家正蔵 / 春風亭小朝
                       / テリー伊藤 / 林家たい平 / 笑福亭鶴瓶
                       / 春風亭昇太
          <18:30>三遊亭王楽 / ナイツ / 桂歌丸 / 三遊亭小遊三
                       / 渡辺正行 / 立川談春 / 立川志の輔

風流亭花鳥師匠から

2

同期の風流亭花鳥さんから、先日の「お江戸OB落語会」盛会の報告の返信をいただきました。
寄席の主任である乱志さんとしては、出演者の方々には、「大満足」という「割り」をきちんと払い、「実質的なお席亭」としては、お客様と出演者、スタッフの方々に、「感動」という「大入り袋」を配ることができたのではないですか。
と、これまた花鳥さんらしい、マニアックな表現で、持ち上げてくださいました。
花鳥さんには、是非一度OB会に参加していただきたいと思います。
・・・彼の結婚披露宴に、同期4人で長州まで日帰りをして以来、もうずっとお会いできていませんから。

2011年6月 6日 (月)

アクセス13万件

130000

おかげさまで、本日アクセス総数が13万件を突破いたしました。
12万件が4月24日でしたから、延べ43日で1万件ということです。
何とか続けて行きたいと思いますので、ご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。 m(_ _)m

6月6日

昔から、芸事は6歳の6月6日から始めると上達すると言われているということで、今日は、「お稽古の日」・「いけばなの日」・「邦楽の日」・「楽器の日」とされています。

ところで、6月6日とは関係ありませんが、「稽古」という言葉は、本来は中国語で「稽」は考える、「古」は昔のことを意味しています。
つまり、昔のことを考え調べて今どうしたらよいか知ることという意味で、そこから書物を読んで学ぶことという意味になりました。
これが日本では中世以降、学問から離れて芸事や武芸に限定して、習うことという意味で用いられるようになったそうです。 Photo_3
「稽古とは 一を習いて十を知り 十より帰る もとのその一」という、千利休の言葉。
稽古というのは、初めて一を習う時と、十まで習い元の一に戻って再び一を習う時とでは、人の心は全く変わっているものです。十まで習ったから、これでよいと思った人の進歩はそれで止まってしまい、その真意をつかむことはできないとの教えです。初心忘るべからず。

絵描き歌(かわいいコックさん)

note棒が一本あったとさ~ Photo
 葉っぱかな?
 葉っぱじゃないよカエルだよ
 カエルじゃないよアヒルだよ
 6月6日に雨ザーザー降ってきて
 三角定規にヒビ入って~
 アンパン2つに豆3つ
 あっというまにかわいいコックさん note

完成すると、こんな絵でしたよ。
6月6日の思い出です。
落語には全く関係ありません。

芒種

Photo_2

今日は、二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」。
イネやムギなどの芒(のぎ)のある作物の種を播く時節というところから芒種といわれようです。
現在は、田植えの時期が早まりましたが、昔の田植えの時期はこのころでしたよ。
「農繁休暇(業)」なんていって、田舎の小学校では、田植えの時期と稲刈りの時期には、それぞれ2~3日、学校が休みになっていました。
小学生にとっては、何にも嬉しくない休みでした・・・。
あの頃の日本はまだ、稲作が中心の農業国だったんですね。
世の中に何があってもなくても、季節は、小満→芒種→夏至 と流れて行きます。

そういえば、6月6日は「ロールケーキの日」だそうです。typhoon
note6月6日に雨ザーザー降ってきて、三角定規にひび入って・・note
なんていう絵描き歌もありましたよ。

蕎麦喰い地蔵

師匠のプログ。
第12回、九品院の蕎麦喰い地蔵供養。
安政の大地震の噺を振って、地震と高座の話。
ライブ[雛鍔]。
高座本の仏笑・蕎麦シリーズ合本など宣伝。
被災地へ何度もボランティアに出向いている住職の法話を聞く。
「自問自答のパワーを発揮しなければならない」と。
控室では「国会の愚かさ」を話し合った。

師匠が、落語っ子連のMLで、「蕎麦喰い地蔵供養に参加した人の中に、流三さんの昔の職場仲間だったという人がいたよ。」と・・・。
えっ? 誰でしょうか・・? 見当がつきません。
誰?
その後、師匠から「去年のピアノとのコラボにも来てくれていた、Mさんという人。」と、メールをいただきました。
「そうだ。Mさんだ。そうだった・・。」
思い出しました。
やれやれ、老化現象の始まりですね。

2011年6月 5日 (日)

師匠の寄席出演

今月の中旬までの師匠の寄席出演スケジュールが判明。

(上席) 新宿末廣亭
     ~夜席・19時上がり
             ただし、7日は17時30分上がり
            8・9日は休演
(中席) 浅草演芸ホール
     ~夜席・19時上がり
      ただし、14日は17時30分上がり
           11・13・16日休演
(下席) 上野鈴本演芸場 (まだ詳細は未確認)
     ~昼席の主任

思いがけない贈り物

crown東大落語会OBの「三山亭多楽」師匠には、先日のお江戸OB落語会にご来場いただき、出演者全員に、見事な似顔絵をプレゼントしていただきました。
pencilさらに驚いたのは、我々の似顔絵と写真と寸評を入れた「似顔絵交遊録」にまとめられ、送ってくださいました。
これまた物凄い出来栄えです。
cherryblossom多楽師匠の幅広いご交友(交遊)から、この「似顔絵交遊録」が、一大ライブラリーになっているんだと思います。
penその貴重で膨大な交遊録の中に、先日出演した我々も仲間入りさせていただいたということでしょう。
ありがたいことです。
scissorsちなみに、私に対する寸評は、「バイタリティ溢れる東北大落研期待の星」・・・。
night「期待はずれの屑星」にならないようにしないといけません。

次の噺・・・

0661

さて、次回は何にチャレンジしようか。
今のところ、11月にOB会の総会が予定されていて、その際にOB落語会もやろうじゃないかというプランがあります。
ちょうど6ヶ月後です。
10月に「扇子っ子連・千早亭」の発表会では「救いの腕」を演る予定ですから、また並行して稽古しなくてはいけません。
笑児さんが「六尺棒」、志ん志師匠が「らくだ」、友楽師匠は「カラオケ病院」と、既にネタ出しされていますので、全体のバランスを考えて選定したいと思います。
・・・今のところ、「薮入り」をイメージしています。
以前から候補に挙げていますので、今度こそという訳で・・。

2011年6月 4日 (土)

週末

rain先週の土曜日は、「お江戸OB落語会」でした。
3週前の日曜日は、「扇子っ子連・千早亭一門会」でした。sweat01
・・という訳で、ここの所ずっと稽古(会)や本番で、プレッシャーがかかっていました。dash
この週末は、久しぶりに、そういう重圧?もなく、束の間のゆったりとした時間を過ごすことが出来そうです。bud
confident近頃の若い女性が言うように、頑張った自分を褒めてあげて、自分へのご褒美をあげたい気分でしょうか?present
ボーッと、何もしないでいたい気がします。japanesetea

師匠の様子

圓窓師匠が、先月の下席から連続して寄席へご出演されています。
先月は、浅草、今月も新宿末廣・浅草・上野鈴本と、ずっと出ずっぱりになる予定です。
日頃から身近に師匠とお付き合いさせていただいていますが、やはり寄席へのご出演が増えるというのは、とても嬉しいことです。
師匠のブログを拝見しても、寄席の高座のこと、楽屋での師匠方との会話など、活き活きとした感じがします。
寄席に続けてご出演になるというのは、健康(体調)面も良好だということでしょうから、これもまた嬉しいことです。

寝蔵師匠から

0130131

我々から見れば完璧に思えるあの名人喰亭寝蔵師匠ですら、ご自身の噺を客観的に自己評価されています。
「落語会の場では、自分がどんなだったか全くわからず、家でビデオを見て赤面している」なんて仰っています。
思っていたほど、ゆっくりしゃべっていない。(早口だ)。
せりふの最後の4〜5語が、酔っ払いやおかみさんでなく自分になっている。
話を飛ばしているところが何箇所かある。
着物の扱い、仕草が・・・・。
これなんです。
これがなかったら、決して上達しない、進歩しないと思うのです。
負けず嫌いで、人から何か言われるのが大嫌いな私でさえも、従妹のコメントにショックを受けながらも、落語が上手くなりたい一心で、受け入れ(ようとし)ています。

落研御三家

東北大落語研究部OBに「御三家」あり。
「名人・寝蔵」・「達人・志ん志」・「仙人・友楽」をいう。
世に数多ある落研(OB会)の中でも、我が落研が世界に誇る3人。
誰言うとはなしに言われ始めた「落研御三家」です。

◆名人・喰亭寝蔵師匠
Photo_8誰をも唸らせる名人芸。
(50周年以降の演題)
 ・かたきの首   ・長短
 ・宮戸川  ・替り目

◆達人・談亭志ん志師匠
Photo_3〜誰もが癒される達人芸。
(50周年以降の演題)
 ・一分茶番  ・粗忽の使者
 ・百川

◆仙人・桂友楽師匠
Cahikc26〜年輪を刻んだ仙人芸。
(50周年以降の演題)
 ・井戸の茶碗   ・干物箱
 ・玉蟲左太夫(自作自演)


◇番外の乱志も早くレギュラーになれるよう頑張りたいもの。Imgp0849
〜人物が描けず面白くない番外芸。
(50周年以降の演題)
 ・浜野矩随 ・花筏  ・佃祭
  ・笠と赤い風車(平岩弓枝:作)

本年11月にも「OB落語会」の企画があります。
さて、「御三家」はどんな噺を聴かせてくれるでしょう・・。

2011年6月 3日 (金)

一駅乗り過ごし

一駅乗り過ごし
眠っていた訳ではありません。
仕事のことで考え事をしていた訳でもありません。
OB会の総会をどこでやるのがいいか、落語会とセットでという前提で・・・。
その場合、どんな番組がいいか・・・。
・・なんて考えていたら。

談亭志ん志師匠

Photo_3

ロマンスグレーのダンディ紳士、「達人・志ん志」師匠です。
一昨年の創部50周年の時、「100周年までに噺を50やる」という「志ん志50席」を宣言し、今回の「百川」が3席目です。
柔らかな物腰と福々しい容姿に優しい口調で、志ん志ファンは多いのです。
「一分茶番」・「粗忽の使者」そして「百川」と、通好みの噺をさりげなく、しかも丁寧に仕上げられています。
今回の「百川」では、事前に百川の女中さんたちが髪を解いてしまうことについてや、当日、私の「佃祭」と噺がつくだとか・・・、色々余計なことを申し上げました。
申し訳ございません。
が、こういう落語に関することの議論や意見交換は、本当に楽しいものです。
なお、志ん志師匠現役時代の「野ざらし」は、かなり後輩になる私の世代でも名人伝説として聞いていました。
これから、この「野ざらし」をご披露くださることもあるでしょう。
今から楽しみにしています。
次回の噺も、決めていらっしゃるようで、「らくだ」が聴けるかもしれません。
・・・「達人・志ん志50席」まで、あと47席です。

プロと素人の差

Photo_2

昨日の日経新聞のコラムで見つけた、作家の吉村昭が、趣味の俳句への畏怖について言っていたというフレーズ。
「眼の前に遮断機がおりているように、自分の理解力に限界があって、奥の部分に入れない。専門家と素人の間に厳然とした隔壁がある。」
生意気なようですが、この気持ちがよく分かるんです。
「えぇ~、お笑いを一席・・」なんて、噺家さんを気取っていますが、やはりどうしてもプロには敵わないのです。
やはり所詮真似事なのかもしれない。
プロの噺家さんには、長く落語と向き合っていた時間の積み重ねがあります。
ところが、我々にはない。
その差は決定的だと思います。
が、せめてそれ以外は、一生懸命頑張って、落語が上手くなりたいと思うのです。
出来るだけ低い、なるべく薄い「隔壁」にしたい・・・。

落研OB会の会報

Photo_2

落研創部50周年の時に、OB落語会の東京での開催と並び、OB会の情報誌・会報の発行もしたいというプランがありました。
やるならそれなりに重厚に派と、とりあえず軽く派があり、総論はGO!でしたが、各論ではなかなか進みません。
広報担当の私が請け合いましたが、これまた進んでいません。
蕪生会長から、「秋の総会までに・・」と言われたので、まずは構想と命名から行こうと思います。
学士会落語会の「まくら」という会報があります。
勿論、レベルは雲泥の差ではありますが、是非とも参考にさせていただきながら・・・。
今度の休みの時にでも、構想を練ってみることにします。

2011年6月 2日 (木)

こんな評論

広瀬和生さんの評論は、「柳家喜多八」師匠のこと。
どんな落語も、演者次第で面白くもなれば退屈にもなる。
柳家喜多八は、それぞれの噺の持つ「面白さのポテンシャル」を最大に引き出す達人である。
喜多八を聴いて楽しめない人は、落語に向いてないとさえ僕は思う。
疲れきった様子で高座に登場し、「やる気が無いわけじゃないんです。ただ虚弱体質なだけで……」と気だるく弁解する。
これが喜多八のいつものパターン。
「このいたいけな風情が、ご婦人にはたまらないそうで」と本人はいうが、その情けない表情を見ていると「大丈夫か、この人」と心配せずにはいられない。
ところが、噺に入るとムードは一変する。
喜多八の落語は、朗々と響く深みのある声と豊かな表情を武器とした、メリハリのある演技が特徴だ。
小柄で華奢な体格には不釣合いなほどの大声を張り上げ、アップテンポで滑稽噺を演じるエネルギッシュな姿は、さっきまで死にそうな顔をしていた人とは到底思えない。
このギャップこそ、喜多八ファンには「たまらない」のである。
喜多八は1949年生まれ。学習院大学で落語研究会に所属し、1977年に柳家小三治に入門している。
表情や動き、声のトーンの変化などを自在に操って「人間という存在の面白さ」を描くのは師匠の小三治と同じだが、飄々と演じる小三治と違い、喜多八は常にハイテンション。
「静」の小三治に対し、「動」の喜多八、といったところだ。
※週刊ポスト2011年6月10日号
「動」かどうかは分かりませんが、実力派の噺家さんの一人だと思います。
「柳の宮喜多八殿下」も、登場の時も奇をてらわずに、普通に出て来て、正面から観客にぶつかって行ける噺家さんでしょう。
虚弱体質・・・は、芸人さんとしての"照れ"なんでしょうか?

南京玉すだれ

Imgp0842

「杜の家くるみ」さんの「南京玉すだれ」。
こういうことがやれるというのが、そもそもタダ者ではありませんよ。
「あ、さて、あ、さて、さてさてさてさて、さては南京玉すだれ・・・、ちょいと伸ばせば、ちょいと伸ばせば・・・」と、調子よく、手際よく。Photo
こういう、色物が入ると、落語会もぐっと盛り上がります。
それにしても、お見事です。
我が落研の層は厚いですねぇ。

さて、志ん志師匠の登場です。

杜の家くるみさん

Photo_5

今回のOB落語会の紅一点。杜の家くるみさん。
もう、セミプロのような、ママさん噺家さんです。
まだ、(2度目の)成人式を超えたばかりぐらいの初々しい?オジサマたちのアイドルです。
が、これは世を忍ぶ仮の姿。
高座に上がる場数、持ちネタ数、ファンの数のいずれも落研OB随一を誇るのです。
というのも、地元横浜の「横浜にぎわい座」で定期的に開催されている素人落語会の主要メンバーなのです。
木戸銭もいただいての定期公演だそうですから、もうプロと同じです。
でも、今日は、周りが五月蝿いオヤジばかりで、ちょっとやりづらかったかもしれません。
「子ほめ」はさすがでした。
ところで、くるみさんご夫妻は、我が落研での"落研婚"で、落研部員同士のカップルです。
落語が結んだご縁ということです。

2011年6月 1日 (水)

値上げ

値上げ
ほとんど毎朝立ち寄るカフェのコーヒーが、今日から10円値上げされていました。
ちょっと前からコーヒー豆の価格が高騰していたようですし、一般の喫茶店でも、既に値上げしている所も多いようで。
・・仕方ないか。

仲入り

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蕪生師匠の「笠碁」が終わると、「お仲ぁぁ入りぃぃぃい~」と私。
「仲入り」を約20分。
客席は立ち見が出ています。
見ると、先輩の「山椒亭から志」師匠が立っていらっしゃるではありませんか。
楽屋に戻って、着物を着替えました。
高座返しと同じ着物でトリを勤める訳にも行きませんから・・・。
・・とにかく、汗びっしょり・・。

衣替え

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衣替え(衣更え、更衣)は、季節の推移に応じて衣服を替えること。またそのために衣服の収納場所を変更することをもいう。
衣替えの習慣は平安時代の宮中行事から始まった。
中国の風習に倣って旧暦の4月1日および10月1日に夏服と冬服を着替えると定め、これを「更衣(こうい)」と呼んだ。
しかし、天皇の着替えの役目を持つ女官の職名も更衣と言い、後に天皇の寝所に奉仕する女官で女御(にょうご)に次ぐ者を指すようになったので、民間では更衣とは言わず衣替えと言うようになった。

江戸時代になると着物の種類が増え、江戸幕府は公式に年4回の衣替えでの出仕を制度化した。
武家の制服は、旧暦の4月1日〜5月4日が(あわせ=裏地付きの着物)、5月5日〜8月末日が帷子(かたびら=裏地なしの単仕立ての着物)、9月1日〜9月8日が袷、9月9日〜3月末日が綿入れ(表布と裏布の間に綿を入れた着物)とされ、一般庶民もこれに従った。
現在の着物(和服)の衣替えは、太陽暦10月1日〜5月31日が袷、6月1日〜30日が単衣、7月1日〜8月31日が薄物(うすもの)、9月1日〜30日が単衣とされる。
世はクールビズ、スーパークールビズ。
特に今年は前倒しで行われていますが、今日は涼しくて、なかなか上着が手放せなくて。
四季のある日本ならではの慣習です。

南亭蕪生師匠

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落研OB会の会長。
今回は、40年以上のプランクを埋めようという高座です。Photo
お聞きするところによれば、昨年、ご家族に「落語をやるぞ」と宣言されて、精進を続けて来られたそうです。
伝説の「至芸」は、何十年もの時空を超えて、見事に甦りました。
客席には、ご家族やご友人たちが大勢ご来場で登場を待っていて、舞台はすっかり整いました。
「序の舞」の出囃子に乗り、新たな蕪生伝説の始まりです。
ご幼少の頃から、上野鈴本、人形町末広に遊び、きら星のごとく輝く昭和の名人たちを目の当たりにしていた感性が、大きく開きます。
声もよし、活舌もよし。
二人の碁敵の掛け合いやよし。
何十年ものブランクを感じさせない、素晴らしい「笠碁」でした。
さあ、次回は!何をやっていただけるか!
平成71年「創部100周年OB落語会」での「没碁(没後・ぼつご)」も楽しみです。
(楽屋オチですみません。)

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