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2011年5月 7日 (土)

金春(こんぱる)

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銀座8丁目の、銀座通りより一筋西側に「金春通り」という名前の通りがあります。
ちょっと通りかかって、名前に惹かれました。
「金春(こんぱる)」の名は、能楽に由来しているようです。
鎌倉時代に、神事「猿楽」が演劇的要素を取り入れ、次第に「猿楽能」へと発展し、室町時代には足利幕府の保護を受け、従来のものに「田楽能」を折衷し、新曲を作った観阿弥・世阿弥父子により、応永年間(1394〜1428)頃に大成した能楽。
大和(現・奈良県)を拠点として活躍していた大和四座(やまとしざ)のひとつ「円満井(えんまんい)座=金春家」は、秀吉の強力な保護を受け、能楽の筆頭として召し抱えられた。
家康も秀吉同様、能楽の保護策を継承し、能楽は江戸幕府公式の音楽・演劇として年中行事の儀式に取り込まれたり、臨時の将軍御成の際の催しに演じられたりする「式楽」に指定された。
四座の宗家(家元)達も江戸に移され屋敷を拝領。
金春太夫はと言えば、1627(寛永4)年には山王町(現・銀座8丁目)に屋敷を拝領したと言われているらしく、記録として残っているものとしては1632(寛永9)年の江戸図「武州豊嶋郡江戸庄図」に「金春七郎」の名があり、屋敷は現・銀座8丁目6、7、8番地全体を占めていた様に図示されている。
1693(元禄6)年頃の江戸市中の状況を記した「国花万葉記」でも金春太夫は山王町に住まっているほか、1713(正徳3)年版「武鑑」(民間の本屋によって編集・出版された江戸時代の大名および幕府諸役人に関する名鑑)にも「山王丁 太夫 金春八左衛門」とある。
1780(安永9)年頃に屋敷は麹町善国寺谷(現在の千代田区麹町3・4丁目)に移ったものの、この金春屋敷で下働きをしていた女性達がそのまま住み着いた。Photo_5
彼女らは長唄・常磐津・小唄・端唄・舞などの芸に通じ、人をもてなす才にも長けていたところからこれが芸者の始まりになったとも伝えられ、「金春芸者」と呼ばれた。

「金春芸者」というのを度々聞きますが、そういうことですか。
現在の金春通りは、1863(文久3)年から営業している銭湯「金春湯」がいまだ健在である以外はなんてことない銀座の裏通りなんですが、毎年8月7日には、なんと「路上能」が催されるそうです。

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