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2011年5月

2011年5月31日 (火)

皐月の落語徘徊

Imgp0847

「佃祭の与太郎が描けていない」・「花色木綿の泥棒が面白くない」・・。
今月は、何と言っても2度の高座に尽きます。
しかも、この2席とも、聴いてくれた従妹に「駄目出し」されてしまいましたので、「創業的出直し」を行わねばならなくなりました。Imgp0858
これはえらいことです。

そして、落語会は何と1回だけ。
「東京落語会」の開催日を忘れて、行けなかったり・・・で、まあドジなこって。
     ◆  21日(土)    朝日名人会
              
稽古会は2回。
  ◇ 22日(日)  落語っ子連「ん組」
  ◇ 24日(火)  扇子っ子連・千早亭
いずれも、他流で「佃祭」の稽古を師匠にお願いしました。
プログラム印刷
発表会は、2回。
   ◆ 15日(日)   扇子っ子連・千早亭一門会 「花色木綿」
   ◆ 28日(土)   お江戸OB落語会 「佃祭」
頑張ったんですがね・・・。「厳評」されてしまい・・・。

6月は、寄席や落語会に行く頻度を上げて行きたいと思います。

喰亭寝蔵師匠

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喰う寝る所に住むところ・・・「喰亭寝蔵」師匠。
わが落研の名人、「喰亭寝蔵」師匠です。
東大落語会OBの「三山亭多楽」師匠は、寝蔵師匠を評されて「プロの噺家さんのようだ。プロの噺家さんの雰囲気を持っている。」と絶賛されています。
・・・「虹」というのは、すぐ近くに見えていて、その場所まで行っても、また遠くの方に行ってしまい、見えているのになかなか辿り着くことが出来ません。
「いつかは寝蔵師匠の足元まで辿り着きたい。」という夢を抱いて、名人に憧れて幾星霜・・・。
「今度こそ」はと思いましたが、また今回も、置き去りにされてしまいました。
いつまで、どこまで追いかけても追いつけない、遠い存在の「名人・寝蔵」師匠です。
大変反応の良いお客さまではありましたが、マクラでも、本題に入っても、客席から思わずやんやの拍手が起こる・・・。
派手さやスピードでなく、話術と雰囲気で聴かせる芸は、プロも舌を巻いてしまいます。
もともとお酒が好物で、現役時代は、黒いヘルメットを被ってバイクに乗っている姿と、美味そうにお酒を飲んでいる姿と、落語でお客さまを魅了している姿しか知りません。
今回も、一番太鼓と追い出し太鼓を叩いていただきました。

ボランティア活動

仙台の「走れ家駄馬」師匠から、震災の被災地でのボランティア活動(慰問)の状況について、落研OB間でのMLにメールがありました。
本当は、我々も馳せ参じたかったのですが、開演時間が日曜日の夜だったため、出演させていただくことは出来ませんでした。
仙台市宮城野区の福室市民センターに避難しているのは約50名。
そのうちの25名が、同センターの和室においでくださって、落語を聴いてくださったそうです。
  ◇ つぼ算       ねいる
  ◇ 雑俳         ぴん吉
    ◇ カラオケ病院   友楽
よく笑っていただき、終了後は出演者に握手を求めていただき、皆さんでお見送りいただいたそうです。

我が心は、既に仙台にあり。
「お江戸OB落語会」で、寝蔵師匠と笑児さんと舞台の袖で相談した結果、時間があれば、一緒でも、別々でも、とにかく仙台に行こうと、確認し合いました。

2011年5月30日 (月)

かな書展

     
落語に疲れた?身体を癒そうと出かけた某デパートで見つけた「かな書展」。
筆を持って、巻いた紙にかなで和歌などをサラサラっと書けたら、どんなに楽しいだろうと思います。
たまに書道展などに行くことがありますが、楽しいものです。
      
  世の中の 情けは人のためならず
           めぐりめぐりて 己が身のため

東京かわら版

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来月号も盛りだくさんの内容です。
巻頭インタビューは「入船亭扇橋」師匠。
相変わらずほのぼのとした雰囲気が伝わって来そうです。
80歳になるんですね。
後は、圓窓師匠が久しぶりに1ヶ月通して寄席に出演されますから、出演する寄席と時間のチェックです。

破れ家笑児さん

Photo_9 やはり、OB落語会への出演をお願いして良かった。
今年に入って30年ぶりに再会して、落語の話題で時間を忘れ、OB落語会への出演をお願いし、快諾してもらい・・・。
もともと、雰囲気を持った人でしたが、そのフラは全く往年と変わらず、楽しい「たらちね」を聴かせていただきました。
マクラでは、私との再会の様子を話してくださいました。
そうでした。落語の話しかしませんでした。
30年ぶりに再会したというのに・・・。
次は「六尺棒」をやってくださるとのこと。
本当に頼もしい限り。
「笑児乱志二人会」も実現させなくては・・・。

噺がつく・・?

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めくりの失敗に次いで、OB落語会でもうひとつ失敗(しくじり)をしてしまいました。
談亭志ん志師匠が高座に上がり、「百川」を始めると、当然のことながら「四神剣(旗)」の説明に入って行きます。
それを何気なく聴いていて、「あっしまった噺がついている。」
寄席では、同じ噺はもちろんのこと、同類の噺も避けて自分の演じる噺を決めなければならないのです。
同じ噺や同類の噺をやってしまうことを「噺がつく」と言います。
「百川」はお祭りに不可欠な「四神剣」を巡るストーリー展開です。
Sijinki_3そして、私の「佃祭」は、題名にしても、内容にしても、佃島のお祭りの噺。
見事に?「祭り」でついてしまっている・・・。
舞台の袖で思わず「まずいっ」と思いましたが、時すでに遅し。
そもそも、志ん志師匠は、随分前から「百川」をネタ出ししていたのですから、後で演題を決めた私が、つかない噺を選ばないといけなかったし、そもそも落語会のプロデュースを仰せつかった者として、もっと慎重に対応するべきでした。
一応、私が高座に上がってから、お客さまに「噺がついた」ことを説明し、お詫びを申し上げた上で、「佃祭」をやらせていただきました。

杜の家頓平師匠

Photo_2

本来であれば、一番太鼓・二番太鼓・・開演となる訳ですが、今回は震災後初の落語会で、OB自身のみならず、家族や知人など多数の方々が被災していることにも鑑み、開催に至った経緯などを、ご来場の皆さまに説明させていただくことにしました。
初代杜の家頓平師匠に、開演に先立つご挨拶をしていただきました。
震災のこと、今回のお江戸OB落語会開催に至った経緯、後輩の活動のこと、それから100周年に向かってのこと等々・・・、大変ご丁寧なご挨拶をしていただきました。
いよいよ、OB全員が気持ちを込めた落語会の始まりです。
ところで、舞台の袖では、私と寝蔵師匠と笑児さんがいて、寝蔵師匠には、昨年と同様に一番太鼓を叩いていただきました。
これを見て笑児さんが大感激。
いよいよ開演です。

2011年5月29日 (日)

厳評・・?

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「お江戸OB落語会」には、叔父夫婦と娘(従妹)がファミリーで来てくれました。
先日の「扇子っ子連・千早亭」の発表会にも来てもらっている"ご贔屓"です。
叔父は寝蔵師匠の「替り目」で大笑いし、叔母も帰りしなに「皆さん素晴らしかったわよ」と声をかけてくれました。
ところが、従妹からは大変辛口なコメントを受けてしまいました。
まず、前半のストーリーの繋がりに不自然な場面があったこと。
次に、与太郎が与太郎になっていなかったこと。
「与太郎が一番(悔やみが)上手いじゃないか」の台詞で、演者の"地"が出てしまっていたこと。
今回の「佃祭」で表現したかったはずの、「情けは人のためならず」と「与太郎の存在(愚かな与太郎を受け入れる長屋の人たちと与太郎の関係)」のうち、前者は何とか表現出来ていたが、後者は非常に物足りなかったという指摘です。Photo
それから、とても素敵な着物を着ていた蕪生師匠や志ん志師匠に比べて、大変みすぼらしかった着物について。
さらに、高座で(^^;汗をかきすぎて気になったこと。上手く汗を拭くことも出来ただろうに・・・。
そして止めは、(まだ先日の「花色木綿」の感想を言っていなかったと)、間抜けであるはずの泥棒が全く面白くなかったと・・・・。
ちょい悪だけれども、聴き手がこの間抜けな泥棒を応援するように持って行くべき噺なのに、乱志の泥棒はちっとも可愛くないから、応援する気にならない。Imgp0858
私のは"理"が勝った泥棒で可愛くないし、羊羹を食べるシーンも、仕草としては出来ているが、ここは聴き手が「羊羹なんか食べている場合じゃないでしょ!」とハラハラするように演出するべきシーンのはずなのに・・。

が〜ん
完膚なきまでに叩きのめされました。
要は、登場人物になりきれていない、登場人物の了見になっていないということです。
師匠から指摘されていることが、高座で露呈してしまったという訳。
褒めてもらおうとは思いませんでしたが、ストレートで極辛のコメントは、正直なところ、かなり堪えました。
しかし、落語というのは、理屈ではなく、感性が全てだと思いますから、悔しいけれども、受け入れざるをえないと思います。
・・・・・でも、暫く立ち直ることが出来ないかもしれません。
いずれにしても、真剣に聴いてくれて、鋭く観察をしてくれる。
独り善がりにならないためにも、貴重な存在で、有難いと思います。

もしかして・・

           もしかして・・    もしかして・・
前半は、高座返しを勤めました。
Imgp0834久しぶりで緊張しました。
後になって、写真を見て、はたと気がついたことがあります。
めくりです。
もしかすると、めくった時に、一番上に返すのではなく、めくり台の横に渡してある2本の桁?の間に入れなければいけなかったのではないかと・・。
Imgp0832ああ〜、大失敗。
皆さんごめんなさい。
・・でも、気がついた人は少なかったと思います。

三流亭窓口さんから

Imgp0854

落語っ子連の「三流亭窓口」さんが、「お江戸OB落語会」に来てくださいました。
先週の日曜日の稽古会で、全くの未完成の「佃祭」を師匠に見ていただいた時に、窓口さんも聴いてくださっていて、「大丈夫かなあ〜」と、不安になっていたと思います。
窓口さんからメールを頂戴しました。
私に都合の良い場所だけ、ご紹介させていただきます。
「佃祭」の熱演、感動しました。
周りのお客様からも「さすがトリだね」との声があがっていました。
他の方々も噂に違わず素晴らしかったです。
本当に良いものを観せていただきありがとうございました。
今後の稽古の励みにしたいと思います。
窓口さん、ご来場ありがとうございました。
落語好きな同志ですから、お互いに刺激しあって行きたいものです。

天下たい平はやおき亭

いつもの日曜日と同様、一旦目覚め、いつものラジオの落語番組を聴こうとしていたのですが、いつの間にかまた眠ってしまったようで、再び目覚めたのは、7時過ぎ。
「天下たい平はやおき亭」が始まったところでした。
  ◇ 松山鏡       金原亭馬生
落研に入ったばかりの頃、何て面白い噺だろう、と思いました。
やりたい噺の引出しに入れた記憶があります。
その後、数多くの落語を知り、やりたい噺という意味での順位は下がりましたが、平和な夫婦の間のささやかな荒波。
みんな善人の落語国の人々が織りなす世界です。

2011年5月28日 (土)

似顔絵

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東大落語会の「三山亭多楽」師匠が、お江戸OB落語会に来てくださいました。
とにかく博識多芸の方で、これまたプロ級の似顔絵を、客席で我々の高座をご覧になりながら、筆を走らせてくださり、出演者全員にプレゼントしてくださいました。
思い出になる貴重な「ご祝儀」を頂戴して、出演者一同で感動しました。

打ち上げパート2

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打ち上げの後、若手?で二次会へ。
若手と言っても、私の同年輩ということで、落研OB会も、現代社会の縮図で、高齢化社会なんです。
花柳亭遊狂・杜の家とん平・山椒亭から志・破れ家笑児・金研亭志ん昼さんと私の6人。
時間を超えた空間が広がります。
疲れも癒され、時間の経つのを忘れます。

打ち上げ

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OB落語会が跳ねた後、近くの中華料理店で打ち上げです。
落研OBだけでなく、OBのご友人など一般の方々も大勢出席してくださり、40人を超える大盛会でした。
4つの卓を回って、特に一般のお客さまにお礼を申し上げたところ、多くの方から、お褒めの言葉を頂戴したり、握手を求められたりで、大変光栄でした。
私としては、必ずしもベストな出来ではなく、内心複雑な部分もありましたが、それはそれと割り切ることにしました。
喜んでいただけたことが、最高に嬉しく思います。

佃祭

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「いやぁ、よかった。」
「感動した。涙が出た。」
「さすがにトリだ。」
おかげさまで多くのお褒めの言葉を頂戴することができました。

・・・今まで、学生時代を含めて、何度人前で落語を演らせていただいたでしょうか・・・。
言葉に詰まったり、台詞を飛ばしたり、色々な失敗がありましたが、今回ほど頭の中が真っ白になったことはなかったかもしれません。
先輩の「愉し家弁痴」師匠からは、「稽古不足だね。4度も噛んでいた。」と、厳しい批評をいただきました。
実は、前半の部分で台詞が滅茶苦茶になっているのです。
ほとんどのお客さまは気がつかなかったかもしれませんが、 とんでもない状態になっていたのです。
今回のチャレンジは、自分の感性で、自分の言葉で作り上げたつもりでしたが、弁痴師匠の言葉通りの稽古不足と、私の人間性の不足が、露呈してしまいました。
とはいえ、ネタ本に頼らず、自分の言葉でやっていたので、頭の中が真っ白になっても、何とか噺を繋ぐことが出来たという部分もあったかもしれません。
そういう意味では、今後に向けて「力」が付いたんだと自負しました。

冷や汗か、熱演か、会場の熱気か、高座では汗だくでした。
お客さまが、涙を流している。
身を乗り出すほどに聴いてくださっている。
そんな雰囲気を皮膚で実感しながら、この噺にチャレンジして言いたかった台詞2つを、心をこめてやることは出来ました。
船頭の金太郎の次郎兵衛さんへの挨拶、そして与太郎の悔み。
ここのところは、何とかお伝えすることが出来たと思います。
「佃祭」・・。乱志の引出しに大切にしまえる噺になりました。

お江戸OB落語会

Ob定刻の正午、まず杜の家頓平師匠のご挨拶から始まりました。
今回の落語会開催の経緯などを説明してくださいました。
さあ、私は何十年ぶりかの高座返し。
何となく照れ臭い感じ。
「梅は咲いたか」の出囃子が鳴り始めると、まず私が舞台に出て、めくりをめくって「破れ家笑児」さんのめくりを出して袖へ、笑児さんに「お願いします」と声をかけると、笑児さんが高座に上がって行きます。
   ◇ たらちね     破れ家笑児
   ◇ 替り目       喰亭寝蔵
       ◇ 笠碁        南亭蕪生
         仲入り
   ◇ 子ほめ      杜の家くるみ
   ◇ 百川        談亭志ん志
   ◇ 佃祭        金願亭乱志
お客さまの反応が素晴らしく、よく笑ってもらえたこともあってか、出演者の出来も上々。2_2
客席は立ち見が出来るほどの満員。
素人ではありますが、これだけのメンバーの、これだけの出来の落語会を、入場無料で聴けるなんて、お客さまも幸せだと思います。
しかし・・・、みんな上手い!
トリで待つ身には、さらにプレッシャーがかかりました。

開演準備


会場に入って、早速開演の準備です。
ところが、この会場は、落語をやるために作られたようなものですから、高座は出来ているし、めくり台や座布団まであります。
四部椿師匠が、Hさんから預かってくださっためくりを持って来てくださり、早速めくり台へ。
一番の作業は、観客席の設営です。
といっても、座椅子を並べ、それぞれ座布団を乗せるだけ。
会場備え付けの座椅子と椅子を全て並べ、消防法ぎりぎりまで席を作りました。
席亭さんもびっくり。「えっ?全部並べるんですか?」
全部で55席。とにかく並べました。
会場の設営も順調に終わり、今度は袖で、出囃子のチェック。
出演者に、出囃子のリクエストを聞いて、ご希望の曲で出ていただこうと言う訳です。
笑児さんは「梅は咲いたか」、寝蔵師匠は「一丁入り」、蕪生師匠は「序の舞」、くるみさんは「ぎっちょん」、志ん志師匠は「正札付き」、そして私はトリ専用の「中の舞」。
一番太鼓は、昨年と同様、寝蔵師匠の生の太鼓で、雰囲気は最高潮に達しました。
お客さまもどんどん入ってくださり、開演前にほぼ満員です。
楽屋では「空席以外は全て満席、なんていう洒落が言えないね。」とうれしい悲鳴。
さあ、いよいよ開演です。
     

「浅草ことぶ季亭」の前


11時前に、会場の「浅草ことぶ季亭」に到着。
席ののぼりと、入口の所には催物のチラシが貼り出してあり、勿論「お江戸OB落語会」のもありました。
頓平師匠と寝蔵師匠もご到着。
挨拶をしていると、蕪生師匠ご夫婦も。
雨降りで足元が悪い中で、お客さんは来てくださるか・・・。
        

剛毅木訥近仁

「剛毅木訥(ごうぎぼくとつ)仁に近し」・・・・。Photo_2
船頭の金太郎のことを、次郎兵衛さんが評して言った言葉です。
落語をやっていると、色々いい言葉に接することが出来ます。

意志が強くて、どんな困難にも屈しない気性の強い人、それでいて質朴で言葉少ない人というのは、仁に近い。
子曰く
   剛:意志が強い(物欲や誘いに屈しない)
   毅:気性が強い(決断力がある)
   木:素直である(飾り気がない)
   訥:口数が少ない(余計なことを言わない)
     このような人は、仁者に近いと言えるでしょう。
世の中、腕力だけでは生きていけない。
優しいだけでは 弄ばれるだけ。
本当の強さというのは、地面に根をしっかり張って、どんな風にも揺るがない柳のような。
そんな人物こそが強いのではないでしょうか。
・・私と正反対。トホホ・・・。

入梅

えっ?もう入梅ですか?
気象庁は27日、関東甲信地方、東海地方で梅雨入りしたと見られると発表しました。
年より12日早く、昨年より17日も早い梅雨入りです。
東甲信地方の梅雨入りの早さとしては、観測史上2番目に早い梅雨入りになります。
まだ5月ですよ。
よりによって「お江戸OB落語会」の時に、しかも台風接近・・。
昔、私は「雨男」でした。
最近は、それほどでもなかったのですが・・。Photo
梅雨(つゆ、ばいう)は、
北海道小笠原諸島を除く日本朝鮮半島南部、中国華南華中の沿海部、および台湾など、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、5月から7月にかけて毎年めぐって来る曇りの多い期間のこと。
梅雨の時期が始まることを梅雨入りや入梅(にゅうばい)といい、社会通念上・気象学上は春の終わりであるとともにの始まり(初夏)とされる。
また、梅雨が終わることを梅雨明けや出梅(しゅつばい)といい、これをもって本格的な夏(盛夏)の到来とすることが多い。
ほとんどの地域では、
気象当局が梅雨入りや梅雨明けの発表を行っている。

OB落語会の支度

手拭い
忘れ物をしないようにと、「お江戸OB落語会」の支度を始めました。
羽織・着物・襦袢・帯・雪駄・足袋・・・・。
手拭いと扇子。
着物に合わせ、以前から決めていた竹の模様の手拭いにしました。
そうそう、プログラムと出囃子のCDも忘れないようにしないと。
これは、自分の身体を忘れても、持って行かなければいけません。
Zr8406それから・・茶碗、茶碗、湯呑み茶碗。
これは、決して必需品ではありませんが、ちょっと格好をつけて、高座に置いてみようかと思い。
ちょいと生意気ですが、トリの雰囲気を醸し出す趣向ということで、ご容赦いただきましょう。
着物は2着入れました。
前半は高座返しを勤めることになっているので、その時に着る柄物と、本番用の紋付と。
だから、着物に合わせて帯も2本入れました。
・・・鞄が随分重たくなってしまいました。

「昭和の名人完結編」(8)

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「出たとこ勝負、論理より感性の人」なんていう紹介の見出しがあります。
感性の人というのは分かりますが、出たとこ勝負というのは・・・。
 ◇ 文違い       金原亭馬生
 ◇ 花見の仇討ち   金原亭馬生
 ◇ ざるや       金原亭馬生
父は、誰もが認める昭和の名人五代目古今亭志ん生。
弟は、落語界のプリンス三代目古今亭志ん朝。
娘は、女優の池波志乃。
年齢よりも老けて見えた(見せていた)師匠で、亡くなったのはまだ55歳だったはずで、今の私とほとんど変わりません。
この世界では、間違いなく夭逝だと思います。
この師匠の良さは、没後にさらに認められた気がします。
私は、落研が主催した師匠の独演会で、高座返しを勤めましたから、強烈なインパクトがあります。
この時の演目は、昼夜で「干物箱」「明烏」「抜け雀」「柳田角之進」でした。

2011年5月27日 (金)

「お江戸OB落語会」のご案内

Photo

明日は、「第2回 お江戸OB落語会」です。
皆さまのご来場をお待ちしています。
ただし、会場があまり広くありませんので、やや窮屈ですが、予めご了承ください。Photo_2
大震災のために、仙台在住のOBも多く、開催するか否かの議論もありましたが、各位のご理解もいただき、予定どおり開催の運びとなりました。
創部の精神「仙都(仙台のこと)に笑いを」を、江戸からみちのくへ届けたいと思います。
       ≪第2回 お江戸OB落語会≫
  ◆ 日 時   平成23年5月28日(土)
             11時30分開場・12時開演
  ◆ 場 所   「浅草ことぶ季亭」Photo_4
            
地下鉄銀座線「田原町」徒歩3分
         
    都営大江戸線「蔵前」徒歩2分
  ◆ 木 戸   入場無料
  ◆ 番 組    破れ家笑児   「たらちね」
            喰亭寝蔵    「替り目」
            南亭蕪生    「笠 碁」
                  仲入り 
Ob杜の家くるみ  「子ほめ」
         (南京玉すだれ)   
談亭志ん志   「百 川」
金願亭乱志   「佃 祭」

http://asakusakotobukitei.jp/default.aspx
  (「浅草ことぶ季亭」のHPです)

祇園祭(会)

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江戸っ子三人が連れ立って伊勢参りを済ませた後、京見物にやって来たが、金を使い過ぎてしまった二人は先に江戸に帰り、六条に叔父のいる男だけが京に残る。
祇園祭の当日、茶屋に上がって一人で飲んでいると、いつしか京都と江戸の自慢話がはじまる。
ところが相手になった男は、伏見の酒や京の町筋、祇園祭と、全てを「王城の地だから、日本一の土地柄だ」と自慢するばかりで、以前に訪れたことのある江戸を「武蔵の国の江戸」ならぬ「むさい国のヘド」とまで言い出す始末。
Photo_6
江戸を散々馬鹿にされ、我慢ができなくなった江戸っ子が、今度は京都の町の面白くないところを上げて反論していくと、江戸と京都の祭りのどっちがいいかという話になり、二人の興奮はクライマックスに……。

この噺は、関西(京都)弁を喋らないといけません。
江戸の名物と言えば、「武士鰹大名小路生鰯茶店紫火消錦絵、火事に喧嘩に中っ腹、伊勢屋稲荷に犬の糞」。
「住めば都」で、江戸も京都も・・、それぞれ良いところがありますよ。
先日の「朝日名人会」では、「三遊亭歌武蔵」さんの熱演でした。

師匠の口演予定


師匠は、あまりご自分からは、ご自身が出演される落語会や寄席のことを仰いません。
時々、稽古会の時にお尋ねするのですが。
この数年、腰痛があって、寄席にはあまりご出演されていませんでしたが今月の下席、来月の上席・中席・下席は、都内の定席の寄席にご出演です。
さらに、以下のようなユニークな企画の落語会も予定されています。
□『 第18回 三遊亭圓窓一門会 』
    ~被災地東北に届け 奥州噺特集
   日時   7月22日(金) 18時開演
   場所   池袋演芸場
   番組   野田の宿帳    圓窓
         弥次郎      吉窓 
         佐野山      窓里
         伽羅の下駄      萬窓
                    宗論               窓輝
□『 第4弾 落語とピアノのエンソウ会 』
   日時   9月24日(土) 17時開演
   場所   ティアラこうとう
   番組   落語レッスン    語りっ子連
          雷月日            圓窓
         (コラボ)鼠    (落語)圓窓・(ピアノ)竹葉子
先日の扇子っ子連の稽古会の時、11月3日にも、コラボ公演を企画していると仰っていました。

「さん喬独演会」の予約案内

200909061046000

さん喬独演会事務局(SKK)からの案内メール。
久しぶりに受け取る気がします。
前回は、鈴本演芸場の余一会としての公演でしたが、次回は今までどおりの形のようです。
次回「さん喬独演会」は7月23日(土)。
予約は6月1日(水)午前10時より。
今回は、発売初日の予約は電話のみだそうですから、ちょっと予約は難しいかなぁ。

■日時 平成23年7月23日(土) 18:00開演
■会場 深川江戸資料館 小劇場

蒟蒻問答

落語を好きになっていなければ、「蒟蒻」という字を「こんにゃく」とは読めなかったことでしょう。
「竃」が「へっつい」、「幇間」が「ほうかん(たいこもち)」、「雪隠」が「せっちん」、「木乃伊」が「みいら」、「花魁」が「おいらん」・・・なども、落語に触れなければずっと知らずにいた言葉でしょう。
この「蒟蒻問答」は、今は亡き我が落研の創設者「麻雀亭駄楽」師匠の十八番だったそうで、その名演・名人ぶりは、創部時代の先輩の間で伝説となっています。
「駄楽さんは上手かった。誰も駄楽さんには敵わない」という・・。
確かに、生前「駄楽乱志二人会」のプランを二人で語り始めた時に、自らも「蒟蒻問答」のこともお話しになっていました。
先日の「朝日名人会」で、柳家三三さんがサクッとおやりになりました。
江戸で食い詰めた「熊」が、田舎住まいをしている「六兵衛兄ィ」のところへ転げ込む。
悪い遊びで髪の毛が抜けてしまった「熊」をみて、今は蒟蒻屋を営んでいる「兄ィ」は、無住になっている村はずれの破れ寺の住職にはめ込む。
一日、二人が庫裡で酒盛りをしているところに、訪なう声。
熊公が出てみると旅僧「拙僧は諸国行脚の雲水。
ご当寺門前を通りましたところ“不許葷酒入山門”とありますれば禅家と拝察。
修行のため一問答願わしゅう存じます」。
驚いた俄住職の熊公が、一所懸命居留守で追い払おうとするが、旅僧はテコでも動かぬ構え。
困り果て六兵衛に相談すると、知恵者の彼は「無言の行」でやればよかろう、と和尚になりすまし応じることにする。
さて、本堂で対面し、旅僧はいろいろ問うが、和尚勿論無言。
旅僧は、さてはと察し、やおら両の手の指で小さな輪を作り、胸の前からズイと突き出す。
和尚も何を思ったか、手にしていた払子代わりのハタキを襟に刺すと、これも両手指で大きな輪を作って押し戻す。
旅僧、ハハッと恐れ入り、今度は両手を広げて突き出す。
対する和尚は、片手を開いて応える。
旅僧、再度低頭し、必死の形相で指を3本差し出す。
和尚、すかさず人差し指で右目の下目蓋を引きながらベロをだす。
旅僧、「到底拙僧の及ぶところにあらず。両三年修行を致しまして……」と蒼惶として退散する。
驚いた熊公、逃げ帰ろうとする旅僧をつかまえ、一体どうなっていると訊く。
旅僧答えて、 「さては禅家荒行の内、『無言の行』中と拝察し、されば無言には無言にて問わんと、『大和尚、ご胸中は?』とお尋ね致しましたるところ『大海の如し』とのお答え、まことに以て恐れ入ったる次第。
続いて、『十方世界は?』とお聞き致しましたるところ、『五戒で保つ』とのお答え。何ともはや……。
及ばずながら今一問と存じ、『三尊の弥陀は?』との問いには、たちどころに『目の下にあり』と……。
まことにもって愚僧など遠く及び申しませぬ。今一度修行して出直して参ります。
御前体、なにとぞよしなに……」と走り去る。
「何だ、心配させやがったけど、兄ィ、てえしたもんじゃねぇか」て、と熊公が意気揚々本堂に引き返してくると、偽和尚「やい、あいつを逃がしちまったのか」とカンカンになって怒っている。
またまたびっくりした熊公が、どうしたと聞くと、六兵衛和尚曰く、「あいつは諸国行脚の雲水なんてとんでもねぇ。どっかの豆腐屋かなんかの回し者に違ぇねぇ。何を訊いても知らん顔をしていてやったら、俺の顔を穴のあくほど眺めてやがって、ははあこれは蒟蒻屋の六兵衛だなと気づきやがったとみえて、『おめぇんところのコンニャクはこれっぽっちだろう』 というから、『うんにゃ、こんなにでっけぇ』と言ってやった。
そしたら『10丁でいくらだ?」 と値を訊いてやがる。
少し高えと思ったが『五百(文)だ』 とふっかけてやったら、しみったれた野郎じゃねぇか 『三百にしろ』 と値切ったから『アカンベエ』をした。」

この噺は、何代目だったか「林屋正蔵」の作だと言われています。
当時は「林家」でなく「林屋」でした。
自身も僧籍にあったそうですから、なかなかリアルな展開になっています。
・・・そういえば、大学の先生で「林屋」教授という方がいらっしゃいました。
そうそう、「幾代」教授という先生もいらっしゃいましたよ。
あの大学のあの学部は、落語に縁があるのでしょうか?

2011年5月26日 (木)

黄昏歩き稽古

今朝も上野から末広町まで歩き稽古をやりました。
でも、とうとう帰り道でもやらないと、とても間に合わない状況になって来ました。
ましてや、新しいお客さまにもお越しいただけるようですから。
駅から遠回りして、一通りさらってみることにしました。

乱志ファン?

金願亭乱志独演会
嬉し恥ずかしの情報。
叔父が、2年ほど前から私の落語を贔屓にしてくれています。
落語っ子連の発表会には、3年連続、今年などは2日間とも来てくれました。
落語っ子連の発表会の後、久しぶりにお礼も兼ねて自宅にお邪魔しました。
既に「三流亭流三」と「千早亭永久」の高座は聴いてもらっていますが、「金願亭乱志」の噺はまだですから、以前「喰亭寝蔵」師匠が編集してくださった「金願亭乱志独演会」という、OB落語会の高座を録画したDVDを進呈しました。
「浜野矩随」「花筏」「笠と赤い風車」の3席が収録されています。
これを、親しい友人が自宅に来た時にお見せしたところ、大変気に入っていただき、明後日の「お江戸OB落語会」に、叔父と一緒に来てくださるそうです。
「佃祭」は、師匠のお力にもすがって、今や突貫工事中ですが、何とか間に合わせたいと思います。
情けは人のためならず・・。
あと2日。

師匠のコメント


千早亭の稽古会のことが、師匠のプログでアップされています。
私の「佃祭」のこともありました。
 させ稽古、永久[佃祭]。
 東北大落研OB会で口演するという出し物を稽古。
 熱心さはその稽古の高座にも現れていて、噺の状況設定が
 しっかりとしてきた。

・・・そうなんです。「噺の状況設定」なんです。
今回のチャレンジの"肝"というか、テーマとでもいうのか、噺を作り上げるプロセスで、自分の形を確立したいと思います。
これが出来るようになれば、新ネタを質を落とさずに量産することが出来るはずです。
そのためには、自分の語り口に幅と深みを出し、自分自身を磨くことだと思います。
それでないと、状況を設定しても、私の了見や感情が移入されず、質の高い噺を作り上げることが出来ません。
・・・そうか、本当の芸というのはそういうことなのか。
何となく分かりかけて来た感じがします。

深夜便落語百選

真夜中のラジオで落語。
 ◇ 万病円     桃月庵白酒
 ◇ 王子の狐   三遊亭圓遊
ほとんど意識不明状態で聴いたというか、寝ていたというか・・。
白酒さんは、若手で人気売り出し中の噺家さん。
一方、圓遊師匠は、もうベテランの域。
学生の頃は、確か二つ目で「笑遊」、「若圓遊」で真打昇進したと記憶しています。
とても勢いのある噺家さんだったと思いますが、最近はあまり聴く機会がありません。

落研OB会のホームページ

以前、落研OB会のホームページを作ったのですが、諸般の事情から、トップページだけ公開しています。
久しぶりに更新しました。
    http://homepage3.nifty.com/tohoku-rakugo/

待ちに待ったDVD


昨年9月に学士会落語会設立五周年記念例会として会員有志5名が落語を競演した第30回例会(平成22年9月18日)の記録DVDが完成し、7月例会の機会に、希望者に実費頒布をしてくださるそうです。
★DVDの内容: 第30回例会(平成22年9月18日)
    ―― 学士会落語会設立五周年記念例会 ――
       会員有志5名口演+三遊亭圓橘(ゲスト)
私にとって大変思い出に残る高座ですから、早速申し込みました。

師匠の高座本

師匠の高座本
師匠の長い芸歴の集大成のひとつとも言えるのが、この「高座本」だと思います。
一般に市販されている師匠方の速記本とは違い、師匠が実際に口演した噺を、ご本人が自ら編集したものなのです。
しかも、単に台詞を並べただけでなく、演劇の台本のようにト書きも入っていて、さらに登場人物全員の年齢までが設定されています。
そして、師匠が製本されたこの高座本は、1冊(1題)300円で譲っていただけるのです。

先日の稽古会の時には、次回やらせていただく「救いの腕」と、その他興味深いいくつかの噺の高座本があったので、早速その中の数冊譲っていただきました。
「帯久」・「匙加減」・「胸の内」・「三方一両損」の大岡裁き物など・・。
これはもう、大変な財産だと思います。

同期の花鳥さんから

落研同期の「風流亭花鳥」さんからメールをいただきました。
山口県に住んでいるので、なかなかお会いすることができず、今回のプログラムを送らせていただきました。
乱志師匠
プログラムありがとうございました。
すばらしい内容ですね。
東京落語会をしのぐのでは?
それにしても、圓窓師匠に稽古をつけていただくなんてうらやましい限りです。
一度、学生時代に帰省の途中で新宿末廣亭に、「山椒亭から志」先輩と一緒に行って、圓窓師匠の落語を聴いた時(演目は忘れましたが)、前の方で私語をしていた女性客に対して、演じ終わった後に前座さんを通して厳しい小言を言われておられたのが、いまだに印象に残っています。
芸に厳しい方なのでしょうね。
でも、「佃祭」とは、いい演目を選びましたね。
情けは人のためならず・・・今の日本にとって大切な噺ですよね。
私が初めて聴いたのは春風亭柳朝師匠でしたね。
気風のいい江戸弁が心地よかったのを覚えています。
乱志師匠の噺も楽しみですね。
また、笑児師匠の「たらちね」も、飄々と演じそうですね。
寝蔵師匠の「替り目」も酔っ払いぶりが楽しみですね。
心から盛会をお祈りします。
よかったら結果報告お待ちしています。
                          二代目風流亭花鳥
花鳥さんには、ご丁寧なメールのお礼を返信しました。
勝手に、メールを全部そのまま転記させてもらってごめんなさいとも・・・
しかし、何も言わなくても理解してもらえるというのは、やはり同期ならではだと思います。
そうですよね。
圓窓師匠に直接ご指導いただけるなんて、垂涎の贅沢ですよね。
本当に心から感謝しています。
花鳥さんに、盛会のご報告が出来るといいのですが。

2011年5月25日 (水)

師匠からのメール

Photo_4

師匠がメールをくださいました。
昨日の千早亭の稽古会で、「佃祭」を見ていただいた時に、師匠が、「"情けは人のためならず 巡り巡りて 己が身のため"だと、五七五七七の歌にならないから、上の句を加えよう。」と言われたので、「師匠、それでは・・"人の世の"と入れてやってみます。」ということにしました。
師匠からのメールは、この部分についてなんです。
「人の世の」ではなく、別の言葉にしたほうが良いと・・。
  永久さんへ。
   〔人の世の〕としてみたが、あとにも〔人〕があるので、
   〔世の中の〕と思考したい。 どうだろう、、、。   
                               圓窓

"人の世の 情は人の ためならず 巡り巡りて 己が身のため"
"世の中の 情は人の ためならず 巡り巡りて 己が身のため"
こんなやりとりが出来るなんて幸せです。
すぐにお礼かたがた返信しました。

喰亭寝蔵師匠

寝蔵師匠の近況を知ることができました。
カラオケへ行っての「替り目」仕上げの頃かと思いきや・・・。
寝蔵です。
いよいよですね。
準備、ご苦労様です。
乱志師匠も着々と完成に向かっておられるようで。
他の出演者の方も「仕上げを御覧じろ、、、」というところと思います。
こちらのほうは、すでに「居直り」モードに入っています。
今回は事前に着物を着て稽古したいと思い、長岡市の市営のホールにある
和室スタジオを借りてやってみました、、、、、。
普段着慣れてないとはいえ、ぎこちない、、、。
もっと、普段から着物を着ていないと、だめですね。
当方のお客は、家内、娘、姉、友人、、、と5~6名くらいと思います。

・・・・和室のスタジオを借りて・・・、凄い、凄すぎる。
尊敬する名人・寝蔵師匠をして・・。
それに比べて、私はまだまだ修行が足りませんなぁぁ。
歩き稽古なんて、お恥ずかしい限りです。
でも、燃えますねぇぇ。

師匠の寄席出演

とても嬉しいニュースです。
千早亭の稽古の時に、師匠から直接お聞きした話。
師匠が、寄席へのご出演を増やすという話です。
今、浅草演芸ホールの下席(昼)にご出演中ですが、来月は上席が新宿末廣亭の夜席の仲入り前、中旬が浅草演芸ホールの夜席の仲入り前、下席は鈴本演芸場で昼席のトリだそうです。
 http://suehirotei.com/6gatsukamiseki/
 http://www.asakusaengei.com/monthly/?ca=12
 http://www.rakugo.or.jp/2011-6shimo-hiru.html
休みの日には、楽屋を訪ねてみようと思います。
寄席通いも楽しみが増えて来ました。

とある落語評論

また広瀬和生さんの評論を拝読しました。
今回は、先日聴いたばかりの「三遊亭歌武蔵」さん。
高座に現われた、大相撲の親方を思わせる風貌の落語家。
深々とお辞儀をすると、彼はおもむろに「ただいまの協議についてご説明いたします」と告げ、観客はドッと笑う。
いつもの寄席風景だ。
この巨漢の名は三遊亭歌武蔵。
角界出身の、異色の落語家である。
力士時代の四股名は森武蔵。
1968年生まれで、1983年3月に武蔵川部屋に入門。
あの貴闘力(野球賭博関与で廃業した元大嶽親方)と同期だ。
もっとも森武蔵はケガのため半年で廃業し、83年12月に三遊亭圓歌に入門している。
真打昇進は1998年。
彼が力士を廃業したのは、落語界にとって本当にラッキーだった。
なぜなら、歌武蔵は現代の寄席に欠かせない貴重な戦力だからである。
歌武蔵には、彼にしか出来ない最強の相撲ネタがある。
寄席でよく演る「相撲漫談」で、通称『支度部屋外伝』。
角界のタイムリーな話題を取り上げ、客席を爆笑の渦に巻き込む。
今ならさしずめ技量審査場所をネタにするところだろう。
『支度部屋外伝』が面白いのは、単に彼が「相撲の専門家」だからではない。
話術の上手さとセンスの良さがあるからこそ、毎回確実にウケる「鉄板ネタ」になるのだ。
上手くてセンスが良いのだから、当然、歌武蔵の落語は面白い。
『子ほめ』や『たらちね』のような、基本中の基本の前座噺を演っても、必ず新鮮な笑いを提供してくれる。
※週刊ポスト2011年6月3日号
仰るとおり、先日の朝日名人会では、技量審査場所や八百長の話題がてんこ盛りでした。
いい雰囲気を持った噺家さんですね。

ボランティア活動

仙台の「走れ家駄馬」師匠から、ボランティア活動(落語慰問)の情報をいただきました。
仙台市役所に勤務している「杜北亭痴鶴」さんから、仙台市のボランティアセンターを紹介いただいてエントリーしていたそうです。
が、残念ながら、今回は日程的に東京からの出演は難しいようなので、仙台の「桂友楽」師匠がご出演くださるようです。
 □5月29日(日)19時30分より 福室市民センターにて
「福室(ふくむろ)」といえば、確か仙台市の東部で、海岸からもそれほど離れていない場所ではなかったかと記憶しています。
津波はには直撃されなかったかもしれませんが、かなり被害が大きかったのではと思います。 
・・・う〜ん、参加できないのは残念です。
日曜日の夜遅くになりますから。
次回を待とうと思います。
そうそう、「破れ家笑児」さんにも伝えておこうと思います。

2011年5月24日 (火)

発表会のDVD

落語っ子連の稽古に行ったら、まど音さんが発表会の映像をDVDに焼いて配ってくださいました。
私は、2日間連続で出演しましたので、2枚(2日分)をもらい、帰宅して早速視聴しようと。
初日は「甲府ぃ」、2日目は「三方一両損」でした。
・・・???ところが、どうも画像のカウンターを見ていると、映像の進み方に比べて随分早いのです。
・・・録画が終わりました。カウンターも最後まで行きました。
でも、まだ3人目ぐらいまでしか進んでいません・・。
私は、2日とも仲入りの後に出ましたから、影も形も映っていません。
まど音さんに、恐縮しながら<「てぇへんだぁ、まど女さんと私と師匠が、行方不明になっちまったい!」というような意味のメールを送りました。
ちょっとがっかり・・・

歩き稽古

歩き稽古 歩き稽古
生憎の雨降りですが、上野から上野広小路までの地下道を歩きながらのおさらい。
途中で、巡回中の警備員のおじさんに不思議な顔をされたり・・。
昨夜、風呂にも入りながらやってみましたが、余計なマクラを入れると30分ぐらいかかりそうです。
あと4日です。

佃祭

Photo_3

あんな(こんな?)状態で、師匠にご指導いただくのは、実はとてつもなく失礼なこととは知りながら、一度人前で演っておかないと・・、ということもあり、「佃祭」の稽古をしていただきました。
師匠に、ご報告も兼ねて、当日会場で配布する予定の「お江戸OB落語会」のプログラムを1部お渡ししました。
「あ~ぁ、例のやつだね。う~んいい(番組だ)ねぇ。」と師匠。
3月の発表会に、先輩の蕪生師匠がご来場くださった時に、師匠に「5月には、あたしもやりますから。」と仰ったとか。
「そうなんです。あれなんです。」と私。
「・・・それで師匠、そのぉ、私の『佃祭』なんですが・・。」
「あぁぁ、いいよ。演ってみてよ。」と師匠の温かいお言葉。
・・・・師匠のブログで、こんなコメントを頂戴しました。
 させ稽古、流三[佃祭]。
  噺の稽古の基本の一つ。
  噺の状況を思い描き、感情を掌握、言葉を覚えることを
  理解してくれている。
  後半、船頭が次郎兵衛の家の前まで送りに来て上がら
  ずに帰るという不自然さが残るのを解消したいと、提案。
そうなんです。
勿論、稽古はボロボロだったんですが、師匠から何ヶ所も駄目出しやご指導をいただきました。
(プロの噺家さんでも多いが)酒を飲んだり、食べたりする時に、口で音を立てたり、舌などを鳴らしたりするのはあまり関心しない。
終い船に乗ろうとしている次郎兵衛さんの袂をおかみさんが掴んで止めるところは、「引き上げられた」ではなく「引き止められた」に。
(後のシーンで死骸が引き揚げられるのと区別も必要だし。)
終い船が沈る(しもる)という言葉は、今では一般的ではないから、船頭の言葉として使い、あとは「沈んだ」とか「ひっくり返る」という表現の方がいい。
船頭の金太郎がおかみさんを「この野郎」という言い方をしているが、一度はいいけれども、後は「こいつ」とか「かかあ」とかに・・。
・・・テクニカルな話はもっとありました。
次に、師匠のコメントにある、船頭の金太郎が次郎兵衛さんを家の近くまで送って来たのに、家に寄って行かないというのは不自然だというご指摘。
そうなんです。佃島から船で送ってもらい、例えば柳橋近くに着いたとして、神田お玉ヶ池までは、そこそこ距離があります。
金太郎は直ぐに引き返して、船場の手伝いもしなくてはいけないのですから、船着場で次郎兵衛さんを降ろして、すぐに佃島へ引き返した方が自然なんです。
それから、オチの部分。
次郎兵衛さんにオチの台詞を言わせているが、長屋の人たちに言わせた方が自然だというご指摘。
なるほど。
・・・と、かなり内容も変更して、あと5日で仕上げなくては・・。

師匠からご指導いただいている落語の覚え方。
師匠にはおほめのコメントを頂戴しましたが、このやり方は、もしかすると素人には極めてリスクが高いかもしれません。
まず、力づくで言葉を覚える必要がないので、覚える体力がかからなくなり、楽をしてしまうかもしれない。
暗記ではないので、演る度に言葉の使い回しも一定でなくなり、流暢さがなくなるかもしれない。
ということは、あまり上手く聴こえないかもしれない・・。
そんな恐怖感を抱きながらの「佃祭」です。

救いの腕

       救いの腕    救いの腕
某女流作家の作品を翻案して、圓窓師匠が創作した「救いの腕」。
次回は、師匠にお許しをいただいて、チャレンジしようとしています。
先日の稽古会の時に、この噺のネタ本(師匠は高座本と仰っています)を頂戴しました。
姉妹の会をを中心にストーリーが展開して行くという、落語にはないパターンです。
ということは、女性の台詞が上手く出来ないといけない訳で。
改めて、パラパラと読んでみましたが、良く出来た噺で、とてもノスタルジックなストーリーです。
誰でもが少なからず抱いたことのあるほのかな恋心や憧れを、落語の得意な手法でもある夢と絡めて表わしています。
そしてね幸せというのは、さりげなく近くにあるものだという・・。
こんな噺を、私のようなキャラクターでやれるのかどうか・・。
全く自信がありません。
「佃祭」の金太郎のおかみさんが次郎兵衛さんに抱く思いは親子のようなものでしたが、この噺は夫婦の間のものです。

三山亭多楽師匠から

先週末に、東大落語会のOBで、学士会落語会の役員の「三山亭多楽」師匠から、大変ご丁寧なメールを頂戴しました。
「学士会落語会」の例会の写真や、その時のご出演者の似顔絵なども添付してくださり、ただただ恐縮するばかり。
この似顔絵というのがこれまた物凄い。
絵の素晴らしさのみならず、達筆な手で書いた言葉も・・。
世の中には、一芸に秀でるだけではなく、多芸に秀でている方もいらっしゃるんですな。
その多楽師匠が、「お江戸OB落語会」にご来場くださるそうです。
昨年も来ていただき、恥ずかしながら「花筏」をお聴きいただきましたが、今年はさらに自信がありません。

2011年5月23日 (月)

プレオーダーの結果

「イープラス」から、エントリーしていた2つの落語会のプレオーダー(先行抽選販売)の結果のメールが届きました。
1勝1敗でした。
×第562回 三越落語会(7月28日)
    抽選の結果、チケットをご用意することができませんでした。
○第34回  読売GINZA落語会(7月27日)
  お申込みいただいたチケットをご用意いたしました。

リベンジという訳ではありませんが、別に三越劇場での「三越納涼寄席(7月9日)」のプレオーダーが受付中なので、ここにエントリーしてみました。

歩き稽古・・

昨日の稽古会で初めて人前で、しかも師匠に見ていただいて、多くの宿題が出ました。
昨日のうちにおさらいしないところが、何とも不遜な弟子ですなあ。
今朝も歩き稽古をと思い、電車に乗っていると、師匠のコメントを思い出し、ついに電車の中でぶつぶつ始めてしまいました。
勿論ボリュームはMIN.にしましたが・・。
歩き稽古は、師匠にコメントいただいた部分と、オチを言う人を変えての作り込みです。
まだまだ道は険しく、半ばです。

震災の義援金

学士会落語会で、東日本大震災に対する義援金を拠出してくださるそうです。
学士会落語会の会員数は現在144名だそうで、学士会を構成している七大学全ての出身会員がご参加されているとのこと。
被災した大学のOB(会員)として、皆さまの温かい心に深く感謝申し上げたいと思います。

雛鍔

「雛鍔」という噺は、穴あき銭をお雛様の刀の鍔だと思う若様の発想がいいですね。
Photo武者人形の刀も同様。
写真を拡大してみると、確かに・・・Photo_2 





雛人形では、お内裏様が帯刀していない場合もありますが・・・。
Photo_3やはり写真を拡大してみると・・。 Photo_4




左が古銭、右が鍔。・・・・似ている・・・。Photo_7Photo_6





「雛鍔」という噺の内容も、とても良く出来ていて、同い年の若様と長屋の子どもの対照が、二人は全く接点がないにも拘らず、はっきり描かれています。
私が、唯一気になっていたのは、お店の番頭さんと植木屋である父親との会話が、お店のお屋敷の庭に、別の植木屋を入れたとか何だとかという場面が余分だなぁと思っていたのですが、圓窓師匠も同じようなお考えでした。
現に、先日の発表会での師匠の「雛鍔」は、さりげない演出になっていました。
「あの演出はね、(先代の)金馬師匠のなんだよ。金馬師匠は、あの場面を長くやっていたけれどもね・・・」と。
八歳になる若様が、お屋敷のお庭散歩の途中で穴開き銭を拾った。丸くて四角い穴が開いて文字が書かれて裏には波模様がある、これは、きっとお雛様の刀の鍔だろう。
これを聞いていたのが出入りの植木職人。
銭を知らねぇんだと感心して家に帰ると同じく八歳の息子が銭くれぇ、お足くれぇと催促する、育ちでこうも違うのかねぇと落胆する。
そこへご隠居が訪ねて来て、先日来の仕事依頼の食い違いを謝罪し、植木屋の親方もこちらこそ申し訳ないと和解する。
そのとき、「こぉ~んな物拾った」植木屋の息子が「丸くて四角い穴が開いている、これはお雛様の刀の鍔だろう」と聞こえよがしにつぶやく。これを聞いたご隠居は、銭を知らないとは育ちの良い子供だと感心して、習字手習いの道具を買ってやるという。
親方が礼を言い、そんな不浄な物(銭)は捨てなさいと言うが、「やだい、これで焼き芋を買うんだ」

善意とは・・・?

震災の被災者・被災地に対する様々な支援や励ましというのは、人として当然のことだと思いますが、勘違いか空回りか、人の道を外してしまう愚かな輩も少なからずいるようです。
目的と手段の区別がつかず、手段が目的化してしまった教師の所業を聞いて驚きました。
某県某市の市立中学の学級で、担任教諭が、生徒会が企画した東日本大震災の義援金集めで寄付をしなかった生徒計約20人の名前を教室の黒板に掲示していたそうです。
同校では保護者からの苦情で取り外したようです。
義援金集めは被災地を支援しようと生徒会が企画。
全生徒に募金を呼びかけるチラシを配り、11日から17日まで1人200円以上を納めるよう呼びかけた。
受け付けは17日朝までだったが、同日の帰りの会で担任教諭2人が、納めていない生徒計約20人の名前を紙に書いて黒板に貼って寄付を促した。
担任は納付した生徒の名前をチェックしており、約15人の生徒が掲示後に寄付したという。
校長は取材に対し、「生徒全員が全会一致で決めたので任意の募金ではないと考えていた。宿題を忘れた人への注意喚起と同じ感覚だったが、保護者や生徒に不安を与えたなら責任を感じる」と話している。

まずもってお馬鹿なのは教師ですが、校長のコメントもおかしい。
そもそも、全会一致というのは、みんなで寄付活動をやろうという意向の集約であって、強制力を持った瞬間に、善意の寄付活動でなくなるぐらいの社会常識を、ただ"まれただけの"校長には分からないのでしょう。
これなら「佃祭」の与太郎のほうがずっと賢いし、人の道を弁えています。
この中学校の生徒たちも不幸ですね。
誰か助けてあげないと・・・。

幾代餅

Photoこの「幾代餅」という噺も、善人ばかりが出て来る、男の願望を描いた、落語の世界らしい噺だと思います。
三遊亭の「紺屋高尾」に対して、古今亭の「幾代餅」。
設定に若干の違いはありますが、ストーリーはほぼ同じもの。
最高級の花魁、幾代太夫の姿を錦絵で見た清蔵は、恋煩いで飯も喉を通らない。
心配した親方が、一年間真面目に働いたら太夫に会わせてやると約束した。
これを信じて清蔵は必死に働いて一年が過ぎた。
一年分の給金を一晩で使うとは馬鹿者だと言いながらも、一途の念にほだされた親方が、着物を貸して醤油問屋の若旦那に仕立てあげ、医者の竹庵先生に案内を頼んだ。
夢にまで見た一夜は瞬く間に過ぎた。Photo_2
翌朝、今度いつ来てくれるかと問われると、嘘をついていたことを詫び、飲まず食わずで金を貯め一年後には必ずまた来ると告げる。
心を打たれた幾代は、来年の三月に年が明けるから女房にしてくれと、五十両の支度金を清蔵に渡す。夢見心地で時が過ぎると、立派な駕籠に乗って本当に幾代が嫁いで来た。
夫婦で餅屋を開くと、美人の幾代餅として評判になり、三人の子宝にも恵まれ、維新の世まで幸せに暮らしたと。

浪曲にこんな一節があるとか・・・。
  遊女は客に惚れたといい 客は来もせず又来るという
  嘘と嘘との色里で 恥もかまわず身分まで
  よう打ち明けてくんなました 金のある人わしゃ嫌い
  あなたのような正直な 人を捨て置いて
  他に男を持ったなら 女冥利に尽きまする
  賤しい稼業はしていても わしもやっぱり人の子じゃ
  情けに違いがあるものか 義理という字は墨で書く・・・・

いつの世も男と女・・、色々ありますね。
  傾城の恋はまことの恋ならで
  金持って来いが ほんの恋なり

・・だとか、
  傾城に誠なしとは誰が言うた
  誠あるほど通いもせずに
  振られて帰る 野暮なお客の憎手口
見栄を張らずに誠実に生きれば、女性にもてるのでしょうか・・?
それだけじゃぁ、ダメかもしれませんが。

2011年5月22日 (日)

プログラム印刷

プログラム印刷
いよいよ今度の土曜日に迫った「第2回お江戸OB落語会」。
プログラムの印刷をしています。
カラーの両面印刷で、和紙(もどき)の用紙に印刷しますので、5枚単位ぐらいで印刷しています。
昨年は、クリーム色の用紙を使いましたが、今年はブルー系と白の2種類にしてみました。
紙詰まりしやすいので大変です。
70部ぐらい印刷しておけばよいでしょうか・・・?
それじゃあ足りないかな?

「ん組」稽古会

師匠は、浅草演芸ホールの昼席を休演され、門前仲町のクレスで、落語っ子連と噺っ子連の稽古会です。
我々が10時半から、噺っ子連は2時から。
今日の「落語っ子連・ん組」の稽古は5人参加。
  ◇ 明烏       三流亭窓口
    ◇ 佃祭       三流亭流三(金願亭乱志)
    ◇ 火事息子    三流亭まど絵

私の「佃祭」は、本来は「落語っ子連」でのネタではありませんが、本番直前で、特別に?師匠に稽古をつけていただきました。
窓口さんもまど絵さんも、なかなか力が、入っていて、稽古にも活気が感じられます。
師匠から、本来のネタの「救いの腕」の高座本をいただきました。
色々考えて、「救いの腕」は千早亭で演らせてもらい、三流亭では別の噺にチャレンジしようかとも思ったりして。

落語はやおき亭

古い新作落語という表現が面白いですね。
いかに「古典落語」という定義や概念が曖昧かというのが分かります。

◇ ぜんざい公社      桂小南

この噺は、明治時代に作られたそうです。
この噺は、やはり「新作落語」かなあ・・・。
舞台がお役所で、明治以降が舞台になっているからでしょうか・・。
例えば、一連の圓朝物は、当時「新作」で売っていたのですが、今「牡丹灯籠」や「双蝶々」を「新作」とは言いません。
さりとて「古典」とも言わない。
「反対俥」や「かんしゃく」、「素人鰻」なども、明治以降が舞台です。
落語に詳しくない人が、私が落語好きだと知ると、よく「やはり古典をお演りになるのですか?」お尋ねになります。
この場合、「古典落語」という言葉と、世間一般の「古典」のイメージが混じり合って、何となく格式の高い部分を演っているような答えを期待したような質問になる訳です。
「新作」という言葉は明治時代。
「古典」という言葉は昭和になってから使われ始めたものですから。

観客動員・・?

Photo_3

「お江戸OB落語会」の会場「浅草ことぶ季亭」の客席のキャパシティは、座椅子を中心にして、せいぜい50名程度だと思います。
昨年も心配だったのですが、先輩方がお誘いくださっているようで、ご贔屓の方々も多くご来場くださるようです。
「愉し家弁痴」師匠は、昨年はキャパシティの関係でご遠慮いただいたご友人が8名を動員してくださったとのこと。Photo_4
「但馬家四分椿」師匠は、いつもご贔屓の先輩方を数名・・。
40数年ぶりの高座の「南亭蕪生」師匠も、令夫人はじめファミリーやご友人が・・・。
これでもう15~20名近くになりますよ。

落語でデート

三代目「三遊亭小圓朝」師匠は、確か東大落語会と関係が深かった師匠じゃなかったかと思います。

◇ 富士詣り 三遊亭小圓朝

1年生の時に演った「千早振る」は、小圓朝師匠のネタで、本に載っていたものでした。
でも、音で聴くのは初めてかもしれません。
地味な師匠です。
「千早振る」を小圓朝師匠ので演ったけれど、なかなか受けない。
他の同期の4人は、それぞれそこそこ受ける噺をやっている。
最初の「あたま山」も受ける噺ではないし・・。
コンパか何かの時に、先輩に「私の噺は受けないんですが、どうしたらいいでしょうか?」と、割合真面目に質問したことがありました。
「そんなの簡単だよ。面白くやればいいんだ。」
禅問答のように言って下さったのが、4年生だった名人・喰亭寝蔵師匠でした。
「・・・・?」少年は悩みました。
「千早振る」には、そんなほろ苦い思い出があります。
そして、2年生になって、あの「花色木綿」に出会うのです。
奇しくも、「花色木綿」というのは、冷たい?答えを返して下さった、雲の上の存在の寝蔵師匠が最初にお演りになった噺なんだそうです。
そして、この噺で、「全日本学生落語・・」に出場することになります。
「千早振る」は、昨年千早亭の第1回目の発表会で、先代の小さん師匠のネタで、圓窓師匠に稽古していただき、30年来のトラウマのリベンジをすることが出来ました。
ラジオと関係ない話になってしまいました。

2011年5月21日 (土)

朝日名人会

朝日名人会
小満の日に相応しい爽やかな1日。
「こんな日は、薄暗いホールで落語を聴くなんて勿体無い。」なんて思う向きもあることでしょう。
 ◆  牛ほめ        柳亭市也
 ◆  真田小僧      入船亭遊一
 ◆  祇園祭               三遊亭歌武蔵
 ◆  真二つ        柳家小さん
 ◆  蒟蒻問答      柳家三三
 ◆  猿後家       桂文珍

土曜日の午後にゆったり落語を聴く贅沢さ。
市也さんも立派な噺家さんの雰囲気が出て来ました。
遊一さんは、落研の後輩たちがお世話になりました。
上品な噺ぶりです。
歌武蔵さんも久しぶりでしたが、完全に"歌武蔵ワールド"が出来上がりました。
小さん師匠の「真二つ」は2度目ですが、先代をリアルタイムで聴きました。会場のロビーに作者の山田洋次監督から生花が贈られ飾ってありました。
三三さんは、少し早口でしたか?ややあっさりでした。私の隣の初老の女性二人は、どうやら三三さんのファンらしいです。
文珍師匠も久しぶり。マクラは大爆笑でした。

やはりいい落語会です。
ところで来月の予告を見てびっくり。
雲助師匠が「佃祭」をお演りになるそうです。

落語会前のひととき

落語会前のひととき
有楽町駅前から有楽町朝日ホール(マリオン)に向かう途中のビルの2階に、なかなかいい感じの珈琲店を見つけました。
朝日名人会の開場を待つ間、ゆったりとした時間を過ごすのに最適です。
食事も出来て、コストパフォーマンスも良好。
これからの定番コースになるかもしれません。

歩き稽古

昨日は、いつもの駅からの帰り道とはコースを変えて、ぶつぶつ言いながら・・。
今日は休日ですから、またどこかを徘徊しながら、またぶつぶつやらないといけません。
天気も良さそうですから。
結局、自宅から駅までと、上野駅の周辺でちょちょいとやっただけで、有楽町へ向かうことにしました。
ちょっと安心したから・・・?
朝日名人会です。

小満

Photo

今日は、二十四節気の「小満(しょうまん)」。
秋に蒔いた麦などの穂がつく頃で、ほっと一安心(少し満足)すると言う意味です。
田畑を耕して生活の糧を稼いでいた時代には、農作物の収穫の有無は人の生死にかかわる問題でした。
そのため、麦などに穂がつくと「今のところは順調だ、よかった」と満足したことから小満と言う名前が付いたようです。Photo_2
なるほど、大変良い季節ということですね。
ところで、「柳家小満ん(こまん)」師匠がいらっしゃいますが・・、関係ないか・・。
ところで、「麦秋」ということばがありますね。
旧暦の四月の頃、麦の穂が黄色く色付く時期を麦秋または 麦の秋などと言い表します。
麦は初冬に蒔かれて越冬し、5~6月頃実りの時期を迎えます。
畑一面が小麦色に染まった風景‥‥。
麦秋の季語は夏ですが、初夏の一時期に、ふと「収穫の秋」を感じるひととき。
季節の名前が入っていても、熟語になると、その季節とは違った季節を表わすというのは、これまた面白い。
そうそう、小春日和の「小春」もそうです。
すると、麦秋を「小秋」とも言えますね。
・・・季節はめぐります。

ボランティア活動

こんな新聞記事を見つけました。
仙台市周辺で活動するバンドや落語家、大道芸人らがボランティアとして東日本大震災の避難所を回り、被災者を励ましている。
「慰問集団 仙台てっぱ会」。
笑顔を取り戻してもらおうと、つかの間の娯楽を提供し続けている。
同会は定禅寺ストリートジャズフェスティバル実行委員の方が震災後、プロやアマチュアの音楽家らに呼びかけて結成。
既に宮城、岩手両県の29カ所を訪れた。
1時間半の公演で、3~4グループの約10人が代わる代わる登場。
落語家と言っても、東京や大阪のプロの噺家さんではないようですが、やはり「落語」というのは、慰問して心を和ませる、有力なコンテンツなんですね。
我々も、遅ればせながらではありますが、何か出来たらと思います。
落語の出前でも。

読売GINZA落語会

これまた久しく行っていません。
理由は、タイミングが悪いことと、前回は先行販売抽選に外れ・・。
今回もダメでもともと、プレオーダーにエントリー。
もし、両方当たれば、「読売GINZA落語会(7/27)」と「三越落語会(7/28)」と連日のセレブな落語会になります。
7月27日(水)、ル テアトル銀座 by PARCOにて。
出演者は、三遊亭王楽・桂春蝶・春風亭小朝・林家正蔵・柳家花緑(予定出演順)。
小朝さんを除くと、みんな2世・3世の(ボンボンの)噺家さんです。
小朝さんも、「横丁の若様」なんて言われていた時代がありましたから、みんな「若旦那」ですよ。
抽選に当たりますやら。

師匠のコメント

「よくあんなに長い噺が覚えられますねぇ」と、よく言われます。
先日の扇子っ子連・千早亭の発表会の打ち上げの時にも、師匠がおっしゃっていたこと。
落語をどうやって覚えるかの真髄。
師匠がブログの中で、別の連の方へのコメントをしていらっしゃる中で、こんな部分があります。
  最初に稽古に肝心な事。
  暗記を最優先させてはいけない。
  「まず状況を思い描き、次に人物の感情を掴み、
  そして言葉をしっかりと覚える」
  こういう順が最適である、、。

「活字で覚えちゃいけない。登場人物の了見で・・。」ということです。
で、私も、良いように勝手に解釈して、「甲府ぃ」「花色木綿」などはネタ本すら作らず、今の「佃祭」も、一応ネタ本は作ってみたものの、ほとんど見ることもない。
見るのは、稽古をしていて、せいぜいキーワードのようなものを確認するぐらいです。
おかみさんが出してくれた煮〆の味がどんな味か、食べるシーンは出て来ませんが、イメージしておく必要があるかもしれません。Img_60887_3824617_2
この間の「花色木綿」で、羊羹を食べるシーンがありましたが、1度でなく、2度目にいっぺんに頬張る仕草を即興(アドリブ)で入れてみました。
だって、羊羹を一口食べただけでは、胸が詰まるはずがありませんから。
口いっぱいに頬張ったところで、2階から声をかけられて、驚いて喉・胸に羊羹を詰まらせてしまう。
それから、師匠に「直ぐに胸は叩かないよ。詰まってからだよ。」と言われたとおり、ちょっと間を置いて・・・。
これは、暗記から入ったら出来ないかもしれません。
だから、今の「佃祭」も、演っていて、本当に泣いてしまうしまうかもしれませんが・・・。
まぁ、ご愛嬌になるかもしれません。
美空ひばりさんが、涙を流しながら「悲しい酒」を歌うみたいに・・。

2011年5月20日 (金)

歩き稽古

歩き稽古4日目。
今朝も良い天気。
船頭の金太郎が次郎兵衛さんに挨拶をするところからオチまで。
ここには、いつも涙を流してしまう場面が2ヵ所。
昨日は、噺に入り込み過ぎたものか、何人に振り返られたかすら分かりませんでした。
今朝も、朝っぱらからメソメソしながら歩いているオヤジを見かけた人には・・・。大変申し訳ありません。 o(_ _)oペコッ
ネタ本を見ずにやっていて、これでいいのかと・・相変わらず思ってはいるのですが。
場面転換と仕草は、まだまだズタボロです。
・・が、何となく豆電球が点灯し始めたかな。
無謀なチャレンジは続きます。
ますます胃が痛くなります。

今後のおもな落語会

今月の「東京落語会」に行くのを忘れた反省から、今後行こうとしている、おもな落語会の予定を確認しておこうと思います。
これから増えて行くものと思いますが、少なくともこれだけはと・・・。
 ・5月21日(土)2時     朝日名人会
 ・6月 8日(水)6時50分  人形町らくだ亭
 ・6月11日(土)2時     大手町落語会
 ・6月17日(金)6時     東京落語会
 ・6月18日(土)2時     朝日名人会
 ・6月25日(土)2時     柳家さん喬師匠を聴く会
 ・7月15日(金)6時     東京落語会
 ・7月16日(土)2時      朝日名人会
 ・7月27日(水)6時30分  読売GINZA落語会
 ・7月28日(木)6時     三越落語会
 ・8月 5日(金)7時     大手町落語会
あと・・・、「紀伊國屋寄席」をチェックしておかないと。

師匠の寄席出演

圓窓師匠が寄席にご出演されます。
珍しく、ブログで事前におっしゃっています。
 久しぶりに寄席に出演します。
  5月下席。
  浅草演芸ホール昼の部。
  3時30分上がり。
  但し、21,22,23日は小生の休みの日です。
  そして、28日は早上がりで1時45分上がりです。
http://www.asakusaengei.com/monthly/?ca=21
・・・昼席なので、なかなか行きづらいところです・・・。

井戸の茶碗

「あなたの一番お好きな落語は?」と尋ねられたら、かなりの確率で「井戸の茶碗」と答える人が多いと思います。
歌舞伎や講談、あるいは浪曲には絶対に登場しないであろう、落語の中だからこそいるような、善人ばかりが織り成す人情噺です。
聴いていて、こんなに心が安らぎ、さりとて冗長なストーリーでもない噺も珍しい。
善人だからこそ救われるというストーリーは、本当にホッとします。
これがこの噺の人気の最大の秘密でしょう。
ある意味で、圓朝物の対極にある噺だと思います。
この中に1人でも、邪悪で欲深な人物が登場していたら、この噺は成り立ちませんから。
志ん朝師匠も、この愛すべき人々を、実に活き活きと演じています。Photo_8
それにしても、井戸の茶碗というのは名器なんですね。
正直者の屑屋の清兵衛が浪人、千代田卜斎から預かった仏像を、高木佐久左衛門が買い取った。
煤けているのでぬるま湯で磨いたところ、台座の紙が破れて中から五十両の小判が出て来た。
仏像は買ったが中の小判は買った覚えが無いから返して来いと言われて屑屋が卜斎宅に行くと、一旦売ったものを受け取る分けにはいかないと断られる。
家主の口利きで屑屋が十両取って、双方二十両ずつ分けることで話が着いたが、卜斎はただ貰う訳にはいかないので形だけでもと、茶碗を贈った。
この美談が細川候の耳に入り、高木が磨いた茶碗をもって登城すると、井戸の茶碗という名器で、細川の殿様が三百両で買い取った。
高木は半分の百五十両を卜斎に返すように、屑屋に託したが卜斎は娘を娶ってくれるなら支度金として受け取ると条件をだした。
屑屋が、今は長屋で燻っているが、こちらで磨けばいい娘になりますよと伝えると、いや、磨くのはよそう、また小判が出てはいけない。

2011年5月19日 (木)

歩き稽古

昨夜は、プログラムを10枚ほど印刷してみました。
カラーの両面印刷で1枚でも時間がかかりますから、少しずつ作っておこうと思い・・・。
紙も和紙もどきで、紙詰まりしやすいので、プリンターから目が離せません。
インクも残り少なくなりましたので、とりあえず10枚。
・・と、昨夜稽古しなかった言い訳をしてから、今朝の歩き稽古です。
今日で3日目。
今朝は、次郎兵衛さんが金太郎に送ってもらって家に帰る場面からオチまで。
たどたどしい台詞を並べて、ネタ本は一切気にせず、オチまでたどり着きましたが・・トホホ(;´д`)。
今夜は帰宅途上で、一度通してやってみましょうか。
「たどたど佃祭」・「ボロボロ佃祭」です。

大手町落語会

最近通い始めた「大手町落語会」。
いつもは、「ミックス寄席」にメール予約で先行販売チケットをゲットしていましたが、今回からは電話のみとなってしまい、仕方がないので、サンケイリビングでチケットをWEB購入。
今までは、土曜日午後の公演だったのですが、8月5日の公演は金曜日の夜。
出演は、柳家さん喬・柳家喬太郎・入船亭扇辰・柳亭左龍・三遊亭天どんの人気者の人たち。

「昭和の名人完結編」(7)

Photo 古今亭志ん朝師匠の第2弾。

◇井戸の茶碗  古今亭志ん朝
◇幾代餅     古今亭志ん朝

本物の志ん朝師匠などは、数えるほどしか見たことがありませんが、「ミスター落語」というイメージは、未だにありますね。
志ん朝師匠は、父である志ん生師匠(の芸風)から離れようとし、対極の文楽師匠に傾倒したと言われていることの反証を論じた文が載っていましたが、以前から、やはり親子・師弟だなと思っていました。
「しょうがないねぇ」なんていう女性の言い回しなど、そっくりでしたよ。
決して、志ん生師匠から遠ざかってはいないと思います。
圓窓師匠も、我々素人が落語を演るに当たっては、志ん朝師匠の癖が入るのを指摘されますが、常々「志ん朝さんは上手かった」って仰っています。
若い頃の高座の写真は、本当に非の打ち所がないという感じです。
その志ん朝師匠が逝って、はや10年になります。

三遊亭圓生代々墓

三遊亭圓生代々墓

三遊亭圓朝の墓の隣に、やや小ぶりではありますが、三遊亭圓生代々の墓があります。
圓生は圓朝の師匠筋の名前で、初代から四代目が祀られています。 (二代目圓生が圓朝の師匠ということになります。)
三遊亭の匂いのする場所です。

三越落語会

久しく行っていない「三越落語会」。
行かない(行けない)理由は、開演時刻が早いことと、チケットが入手しづらいことと、タイミングが悪かったこと。
7月28日(木)18時からの公演のプレオーダー(先行抽選販売)にエントリーしました。
出演は、柳家小三治・春風亭一朝・柳家小里ん・桂小文治・蜃気楼龍玉の各師匠。
プラチナチケットになりそう。
イー・プラスだから、当たっても2階席かもしれません。

2011年5月18日 (水)

歩き稽古

台詞が頭に入っていない状態での無謀な歩き稽古の2日目。
今朝は、金太郎が帰ったところからオチまで、ヨロヨロ、誤魔化し誤魔化してやってみました。
まだ人通りの少ないアメ横で「次郎兵衛さん、死んじゃ嫌だ!」って言ったら、振り返った人が2人。
ストーリーはおさえられて来ましたが、言葉と仕草が固まっていないので。
こんなやり方でいいのかな?と自問自答を繰り返しながらの歩き(疲れ)稽古であります。

舞台の袖?

熱演風景
「扇子っ子連・千早亭一門会」では、自分の出番が終わると、百人さんと代わり、出囃子の係をやりました。
一部の方からはリクエストをもらい、選曲をお任せいただいた方には、それぞれの噺などに合うような出囃子を、当日忘れずに持参した出囃子CDの中から選んで流しました。
師匠は勿論「新曲浦島」です。
高座のすぐ脇の仕切りの中で、寄席などではちょうど下手の袖という位置から、師匠の「雛鍔」を聴かせていただきました。
もしかすると、特等席だったかもしれません。
師匠の息遣いまでもが聴こえそうな距離で・・。
近くで聴かせていただいて、なんて表現したら良いのか、雰囲気というか風情というのか、やはり間というのか、何ともいえない空気(オーラ?)が、師匠から醸し出されているんです。
熟成の時間の贅沢さなのでしょうか。
絶対に真似のできない空間だと思いました。
膝に乗せた手が、座って背筋を伸ばしたところが、もう全てが、いい具合に力の抜けた心地よさに包まれていました。
これを作れるのは、やはり時間なんだなと思いました。

愛詩亭朝大師匠

先輩の「愛詩亭朝大」師匠が、発表会にご来場くださり、開演から師匠の噺まで、ずっと聴いてくださいました。
朝大師匠は、落研の二代目の部長で、師匠とは二つ目の頃からの長いお付き合いだそうです。
会場に、学生当時に上京して、寄席の楽屋で、当時の師匠方に書いてもらったという扇子を持って来て、見せてくださいました。Photo Photo_2 Photo_3




これがまた物凄い「お宝」なのです。
左から、三遊亭圓生師匠の絵入りのもの。
真ん中は、三遊亭圓馬・桂枝太郎・三笑い亭可楽の各師匠。
右は、雷門助六師匠。
いずれも既にお亡くなりで、当時の大看板だった方々です。
中でも、圓生師匠のお書きになった扇子は、絵と俳句入りの垂涎ものです。

ところで、朝大師匠は、6月から、豊島区が主催している「三遊亭圓窓の落語教室」に入って、落語を習い始めるそうです。
師匠に話したところ、大変喜んでいました。
師匠のこの講座も第3期生になります。勿論我々が第1期生です。
もう申し込みが予定人数に達したので、募集を締め切ったとか。
落語好きが増えるというのは、とても嬉しいことです。

電車内の広告

電車内の広告電車内の広告
JRの電車内の広告に目が止まりました。
       原 点
    アノネ 人間にとって
    一番大事なものはなにか?
    そこを
    原点として
    変えてゆけば
    あとは自然にわかって
    くるよ
           みつを


    一番大事なものは?
    「思いやり」「絆」「愛」「優しさ」
 

・・・なんて書いてありました。
どこの、何のための広告なんだろう・・・?
地震被災地への応援でしょうか・・?

よくわからない・・・。

2011年5月17日 (火)

歩き稽古

師匠から、「落語は活字で覚えちゃいけないよ。」「暗記してはいけないよ。」と言われているのをいいことに、「佃祭」はまだ全く覚えていない状態です。
昨夜から読み稽古を始めて、焦って来ました。
当たり前ですが、言葉が出て来ません。
仕方がないので、昨夜は最初の部分だけザッと読んで寝ることに・・。
今朝は、そんな状態にも拘わらず、上野から末広町までの歩き稽古を敢行。
最初から船頭の金太郎が帰って来るところまでをぶつぶつと・・。
途中で3人ぐらいの人に振り返られました。
ちょっと声が大きかったかもしれません。
明日は、金太郎の台詞、最初の見せ場あたりかな。
・・間に合うかなぁ。

クールビズ・・?

クールビズ
電力不足が懸念され、今年のクールビズは半端ではなさそうです。
一昨日の発表会でも、会場は冷房が入らず(入れず)、ほぼ満席の場内は、かなり蒸し暑く、天気が良かったので、窓を開けて換気をしました。
あれぐらいでは何とかなりますが、猛暑日になったら・・
今年は、例年に増してアナログな品物が役に立つでしょう。
打ち水だとか、ヨシズだとか、扇風機だとか。
デブで汗かき(^^;)(;^^)の私も、いつもより随分早く、扇子を上着の内ポケットに忍ばせることにしました。
扇子といっても、高座扇では骨が太くてしなやかさがなく、白い紙が張ってありますから、やや使い勝手が良くありません。
頂き物ではありますが、強い武器があります。
去年まで使っていた扇子がくたびれましたので、今年はこの上品な扇子のお世話になることにしました。
とてもいい風が来ます。

三遊亭圓朝無舌居士

三遊亭圓朝無舌居士
谷中の「全生庵」の三遊亭圓朝のお墓です。
戒名が「三遊亭圓朝無舌居士」。
何度もお参りをしています。
先日の土曜日にも行きました。
後ろに立ててある卒塔婆が傾いていたので、立てかけ直したりして。
三遊亭圓朝無舌居士墓石の側面に・・
何ぞ書いてあります。
私は噺家さんではありませんが、このお墓の前で手を合わせていると、何となく落ち着く感じがするのは何故でしょう。 
初代三遊亭圓朝は、通称出淵次郎吉といい、天保10年(1839)4月1日音曲師橘屋圓太郎(出淵長蔵)の次男として江戸湯島切通町に生まれた。
2代目三遊亭圓生の門人となり、安政2年(1855)16歳で真打ちとなる。
芝居噺で人気を博し『真景累ヶ淵』や『怪談牡丹燈籠』『塩原多助一代記』などを創作した。
本業の話芸以外にも點茶(てんちゃ)、華道、聞香、和歌、俳句、書画など和敬清寂の道に精通していた。
建築、作庭にも秀で、自らの設計監督によって内藤新宿では、数寄屋造の家屋や茶室、更に新宿御苑を借景とした百坪余の枯山水の平庭を完成させた実績もある。
また、臨済禅の修行においても、山岡鉄舟や由利滴水の指導の下に参禅し、難しい公案を喝破して居士号を授けられた。
更に書画古美術に対する鑑識眼は極めて高く、毎年圓朝忌を中心に圓朝の収集した幽霊画が公開されている。
明治33年(1900)8月11日62歳で死去した。

墓石には、山岡鉄舟の筆により「三遊亭圓朝無舌居士」とある。
・・・そして、その約3週間後の9月3日、後の六代目三遊亭圓生師匠が生まれたという訳です。     

2011年5月16日 (月)

大失敗・・・

うわぁぁぁ。
大失敗をしてしまいました。
今月の「東京落語会」は、何と先週の13日(金)だったことに、今朝初めて気がつきました
がーん大ショックです。
先週は、平日に色々なことがあったり、昨日は扇子っ子連の発表会だったこともあって、すっかり失念してしまいました。
・・というより、通常は第三金曜日に開催されているのに・・・。
抜かってしまいました。
・・・ということは、今月は頓平師匠と一献傾けることが出来ないということになります・・。
その方がショックだったりして。

「笠碁」談議

お江戸OB落語会での演題をめぐる論議で、今度は蕪生師匠の「笠碁」の話題。
蕪生師匠は仰いました。
ところで、わが「笠碁」は、季節がいつなのか?
これは誰も書いていますが、梅雨よりも秋口としたほうが感じが出ると言う説が多く、私もやっていてムシムシする梅雨は駄目だな、と思っています。
とすると、今回はいわゆる「とき違い」の出し物ですな。
そうして、おじいさん二人の商売は何か?
 
楽しい想像ですね。
本当に楽しいものです。
Photo_7さあ、またまた四分椿師匠の登場。
蕪生さん、「笠碁」の稽古に励んでいるようですね。
権太楼さんも秋(の噺)に入れている。
それよりも、碁を打つ仕草の方が大事だと思うよ。
・・・ときつぅ~い一言。
写真は、先代の馬生師匠。

ちょいと見つけた落語会


先日、「谷根千」を散歩していて見つけた落語会のチラシ。
圓楽一門会の若手の噺家さんの会のようです。
兼好・王楽・円左衛門・きつつきさんの4人ですか・・。

ボランティア活動

予想していた通り、破れ家笑児さんも、ボランティア活動に賛同していただけそうてす。
笑児さんのコメントは・・・。
ボランティア寄席いいですね!
日程が合えば、是非!
こうした活動で少しでもご協力できれば、と思っています。
寝蔵・笑児・乱志の三人で、仙台に乗りこみますか!

2011年5月15日 (日)

扇子っ子連・千早亭一門会

 発表会 
2ヶ月遅れでやっと実現した「扇子っ子連・千早亭一門会」。
もともと、豊島区が主催している、圓窓師匠の落語教室の受講者有志を中心に集まった素人落語連で、今回が自主活動開始後初めての発表会でした。
        
めくりは、江戸崎の「噺っ子連」の「有難亭七福」さんの筆によるものです。
約80席用意した椅子は、開演時には9割方埋まりました。
和歌女さんと一首さんの二人は、どうしても仕事の都合がつかず、泣く泣く休演。
 ◇ 青菜      千早亭三十一(みそひと)
 ◇ 花色木綿   千早亭永久(とわ)
 ◇ 抜け雀     千早亭当富(とうふ)
 ◇ 枯木屋     千早亭早千(はやち)
 ◇ 干物箱     千早亭小倉(おぐら)
         仲入り
 ◇ 雷月日    千早亭百人(ももと)
 ◇ 初天神    千早亭ワッフル
 ◇ 十徳      千早亭軽太(かるた)
 ◇ 天災      千早亭屏風(びょうぶ)
 ◆ 雛鍔      三遊亭圓窓
開演が午後2時、師匠が終わったのが6時35分という、長~ぁい落語会になりました。
通して聴いてくださった方も何名かいらっしゃいました。
本当にありがたいものです。

とげぬき地蔵

                
発表会の集合時間まで時間があったので、巣鴨で途中下車。
ちょっと思うところがあるので、とげぬき地蔵に行って、健康と病気平癒を祈って手を合わせ、お札を求めました。
          
街は「おばあちゃんの原宿」の面目躍如で、"元"娘さんが佃煮にするほどいました。
病気などが、決して神仏頼みなどで治ると思っている訳ではありませんが、何とか治して(治って)欲しいと思う気持ちからです。
                        
一心に祈りましたから、お地蔵さんにも、あるいはこの切ない願いが届いたかもしれません。
いや、是非届いていて欲しい。
一刻も早く病気を克服し、健康になってもらいたいのです。
授かった命を大切にして欲しいとも思うのです。

天下たい平落語はやおき亭

同じような番組が続くのは、果たしていいのかなとも思いながら、今朝も聴きました。
  ◇ 火焔太鼓     橘家圓蔵
30年近く前の録音で、圓蔵師匠も若い。
それにしても、やはり・・・・・。
もっと、しっかりした落語が聴きたいものです。

落語でデート

「お笑いを一席申し上げますでな・・」と、ゆったりした口調だったのが、六代目春風亭柳橋師匠。
  ◇ 青菜      春風亭柳橋
ゲストは、盆栽屋さんの五代目と仰る女性で、植木屋さんが出て来る「青菜」はぴったりの噺でした。
柳橋師匠の晩年は、よくラジオの演芸番組に出演されていましたので、印象に残っています。
若い頃から超売れっ子で、晩年まで何十年もの長い間芸術協会の会長を務めていらっしゃいました。

瑞輪寺と全生庵

  瑞輪寺と全生庵
落語「猫怪談」では、大家さんと与太郎さんと甚兵衛さんが、亡くなった与太郎の養父を早桶に入れて、この瑞輪寺に行く途中の不思議な(不気味な)出来事を扱った噺です。
谷中奇聞のひとつなのでしょうか。
「お父っつぁん、なんで死んじまったんだよぅ~」と、血の繋がりはないが、愚かな自分を可愛がってくれた養父を思って泣きながら言う台詞が、何とも言えませんでした。
扇橋師匠の音源で、3年生の時に演りましたが、当時は土地勘や地理感覚もなく、ただ読んだ程度の酷いものだったと思います。
「瑞輪寺」は、東京七面山といわれているようで、日蓮宗総本山の「身延山久遠寺」とリンクします。
立派なお寺です。
              瑞輪寺と全生庵
「瑞輪寺」からすぐ近くに「全生庵」。
山岡鉄舟と三遊亭圓朝の墓所として有名です。
本堂の脇にある写真の碑は、三遊亭圓朝七回忌に建立されたものだそうで、明治の元老井上馨の筆によるものだとのこと。
圓朝の交際範囲の広さが偲ばれます。

2011年5月14日 (土)

真打競演

そうでした。
今夜の「真打競演」は、師匠がご出演でした。
     ◇ 猫と金魚    柳家甚語楼
     ◇ つる        三遊亭圓窓
甚語楼さんは、真打昇進の頃にはよく聴いたのですが、それから久しく聴いていませんでした。
やや地味な感じがしますが、早稲田大学落研のOBですよ。
「猫と金魚」は、確か「のらくろ」の作者「田河水泡」の原作でした。
圓窓師匠の「つる」は、前座噺の一般的なイメージはなく、様々な創作部分が入れてあります。
色々な場所で好んでお演りになっているようです。

上野桜木から「谷根千」

上野桜木から谷根千
上野桜木の東京芸大から国立博物館方面を望むと、東京スカイツリーが見えます。
せっかくここまで来たので、上野桜木から言問通りを横切り、旧吉田屋酒店を見て谷中へ向かすます。
天気も良いので、散策する人もいて、のどかな雰囲気です。
落語「猫怪談」にも出て来る、日蓮宗の名刹「瑞輪寺」で手を合わせ、やはり足は自然に「全生庵」に向いています。
         
「全生庵」から、三崎坂を下り、「いせ辰」を覗いて、「朝日湯」を左手に団子坂下。
千駄木の駅から、根津神社を横目に再び言問通りまで。
根津駅で千代田線に乗って帰りました。

「香り かぐわしき名宝展」

 「香りかぐわしき名宝展」 
上野公園を歩き稽古しようと行ったものの、人出が多く、泥棒の噺はあまりにも危険なので断念しました。
そして、私の徘徊も、とうとう憧れ?の東京藝術大学に行くことになりましたよ。
この美術館で開催されている「香り かぐわしき名宝展」に。
     「香りかぐわしき名宝展」
仏教は、「音」と「光」と「香り」の3つが重要な要素になっているそうです。
この展覧会では、香木や香の道具などだけでなく、香りにまつわる日本画まで、数多くの展示が行われていました。
お香というのは、嗅ぐと言わずに「聞く」といい、「香道」には、「御家流」と「志野流」の2流派があるそうです。
なかなかいい雰囲気で、とても豊かな気持ちになりました。
鏑木清方の「伽羅」や上村松園の「楚蓮香之図」、速水御舟の「夜梅」が気に入り、それぞれの絵葉書を買いました。
そうそう、ついでに匂い袋も衝動買い。
明日の発表会の鞄の中に入れて行こう・・。
同じ上野の山ですが、すぐ近くではパンダで賑わっていますが、上野桜木まで来ますと、静かな雰囲気ですよ。

「香り かぐわしき名宝展」

Photo

上野の東京藝術大学美術館で、興味深い展覧会が行われています。
面白そうですから、明日の発表会もありますが、ちょいとフラリと行ってみようかな・・・・。
「香り かぐわしき名宝展」。
以下のように紹介されています。
6世紀、仏教伝来とともに日本人は香木を焚くことを知りました。
以来、日本では「香り」を仏教文化、貴族文化、武家文化、庶民文化の中ではぐくみ、世界に稀な香りの文化を生み出してきました。
本展覧会は、香りにまつわるさまざまな美術作品を紹介しながら、目に見えない香りの魅力を、人間の五感や想像力を頼りに味わっていただこうというものです。
本展は、「香りの日本文化」「香道と香りの道具」「絵画の香り」という大きく3つの柱で構成されます。
「香りの日本文化」は2章にわけて、古代から近代までの日本人と香りとのかかわりを名宝の数々を通じて概観します。
「香道と香りの道具」では室町時代以降、茶道、華道とともに独特な発展をとげた香道の世界を選りすぐった香道具を中心に史料を交えて紹介します。
そして、「絵画の香り」では、江戸から近代にかけての絵画作品の中から、<描かれた香り>をテーマに精選した名作を展示いたします。
確か、扇子っ子連の「千早亭早千」さんは、「香道」にお詳しいはずで、明日の発表会の時に聞いてみようと思います。
直接落語と関係はありませんが、「和」という繋がりで、落語徘徊の延長線上にあるとすれば、とうとう私の徘徊も「東京藝術大学」に辿り着きました。

幻の卒業生追い出し発表会

落研の「第144回卒業生追い出し落語発表会」は、3月12日(土)に開催の予定でした。
ところが、地震で「延期」することにしたそうです。
「延期」ということは、いずれ開催するという、現役の後輩たちの、熱い意思表示でした。
しかしながら、主役である卒業生は、仙台を離れる(離れた)人が多く、会場もメドが立たず、4月終わり頃、泣く泣く「中止」の決断をしたそうです。

せめて、幻になってしまった番組をご紹介しておきましょう。
卒業生の皆さん、4年間ご苦労さまでした。

  ≪第144回卒業生追い出し落語発表会≫
  ◇ 世間亭節介      「金明竹」
  ◇ 防具空亭馬鹿    「ふたなり」
    ◇ ゑちご亭辣韮水星  「将棋の殿様」
                         仲入り
                         口   上
    ◇ 烏龍舎福建      「元犬」
  ◇ 御舎萬兵衛     「壺算・改」
    ◇ 夢遊亭迷々     「coming soon?」

一部の高座名・演題に判読不能なものもありますが、我慢・我慢・・。
時代は変わりますから。
かつて我々が現役時代に春の合宿をした「相馬青年の家」も、あの日の「Tsunami」に飲み込まれてしまったようです。

うえの

    うえの  うえの
タウン誌「うえの」5月号にも、読み応えのある記事があります。
作家の吉岡忍さんの「なにがわれらを油断させたか」という寄稿が印象に残りました。
大震災の現場を1ヶ月近く歩いて見て来た感想文のようなものです。
結びに近い部分で、こんな文章がありました。
人間は自然を改造し、支配できるのだ、という近代的思惟を離れ、人間こそが自然の掌の上で仮住まいをしているにすぎないと知ることであり、その上で、天変地異の際にはその激甚なエネルギーを受け流すような町づくりをしておくことである。
・・・・・
私は被災地を巡り歩きながら、この国は煮詰まっていたのだな、としきりに思った。
人間の力を信じ、イケイケドンドンで野放図にやってきて、経済が落ち目になり、政治が停滞し、町づくりに行き詰まり、少子高齢化や過疎化に歯止めがかからないまま、あの日を迎えた。
どこかで切り返しをし、コンパクトで、簡素で、効率のよい世の中にしなければならなかったのに、何も手をつけられないままだった。
いつの間にか謙虚さを忘れ、身の丈を見失い、傲慢で不遜になっていたのでしょう。
今日、仙台の知人と電話で話しました。
話の内容で触れた訳ではありませんが、この一文を思い出しながら、第二の故郷に思いを馳せ、複雑な気持ちになっていました。
とてもつらいけれども、現実(運命や業)を受入れて、生きて行くことでしょう。
我田引水ながら、落語国の住人の了見で生きることでしょう。

お江戸OB落語会の時間

蕪生師匠からメールがあり、「浅草ことぶ季亭」のお席亭から、「(我々の)後で会場を使用する予定だった某大学落研の発表会が開催中止になったので、ゆっくりやってもいいですよ。」と言われたそうです。
後の公演があるというので、当初13時の予定だった我々の開演時刻を早めた経緯がありましたので。
それでは、開演を遅くして13時にしようかとか、番組を追加するかなど、色々と検討・ご相談をしました。
開演時刻は、チラシや案内をしてしまっているので・・・。
番組の追加は、「開口一番」で誰かに飛び入りでやってもらおうとか、仲入り後に「口上」を行い、出演者の自己紹介や三本締めをやろうとか・・・。
・・・三本締め?このタイミングでは・・・?
くるみさんが「南京玉すだれ」もやってくれるし・・・・。

「まぁ、元のままでいいか。」というところに落ち着きそうです。
一人ひとりがたっぷりやろうということで・・・。

2011年5月13日 (金)

ボランティア活動

仙台の「走れ家駄馬」師匠から落研OBのMLにコメントをいただきました。
市内やOBの方々の安否や現況についての情報の後で、仙台在住の「桂友楽」師匠から、落研として何かボランティア活動はできないかという話があったという話題。
駄馬師匠が仰るには・・・。
在仙OBの方々は、被害が軽微だという人でも、3月11日の本震と4月7日の余震で、震度6の激震があり家の屋根、壁、ブロック、家財、墓地などになんらかの被害がある人が多いし、自分より被害の大きい親戚、知人に支援を行わなくてはならず、とてもそんな余裕はない。
落研として、OB落語会、プロの落語鑑賞会を企画することは考えられるが、ほとんどの仙台の公的施設の被害が甚大で会場の確保もむずかしい状態。
一方、友楽師匠は従来からやっていた活動を再開されている。
在仙の「賀千家ぴょん吉」さんは慰問をしたいといっている。
しかし、被災地の慰問といっても演者が少なく単独では難しい・・・・。

そこで、乱志は以下のように返信しました。
現役の世間亭節介くんの記事も拝見して、私個人としては、公民館の会議室・和室や避難所ででも、出前で落語をやるの(慰問)は、お安い御用です。
在仙の方では人数不足ということですから、喜んで参上いたします。
(ただし、土日祝日になってしまいますが。)
恐らく、他の方もご賛同くださると思います。
日程などのご調整はお願いせざるをえませんが、身一つでの仙台行きは望むところです。
東京から2~3名行けば、何とか場が繋げると思いますので。

ほぼ同時に、名人・寝蔵師匠からも熱いコメントがありました。
ボランティア活動の件、大賛成です。
手弁当で、馳せ参じます。
なんてったて、わが第二の故郷です。
義捐金だけじゃあない、なにかの、お力になれたら、、、。

・・・とても嬉しいです。
まだご本人に確認してはいませんが、「破れ家笑児」さんも、趣旨に賛同してくれるでしょう。
落語でよければ喜んで・・・・なんて。
寝蔵師匠が仰るように、わが第二の故郷ですから。

2011年5月12日 (木)

雲光院でさん喬師匠を聴く会


「雲光院で柳家さん喬師匠を聴く会」という落語会の案内を受信。
清澄白河のお寺さんでの落語会です。
この会、2月に開催された前回の時は、しんしんと雪の降るこれ以上ない風情の中、さん喬師匠の「福禄寿」をはじめ、素晴らしい落語を聴かせていただきました。
記憶に残る落語会のひとつでした。
勿論、直ぐに予約。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/02/post-4706.html

「百川」談義大御所の裁定

「百川」に関する論議は、大御所「但馬家四分椿」師匠のお裁きで〆となりました。
圓窓師匠のCD「百川」の解説をしている布目英一によると、百川は幕府がペリー提督ご一行を接待したような格式と町内会のような気楽な会合の場所だったそうな。
当時の河岸は隣り町だよね。
客をほったらかしにして髪結いを呼ぶなんざ、この店が間抜けと思われる、と気にはしているが(一応気にしている)客と女共は相当な顔なじみなんでしょう。
(女共が客に抱く一種の推定的承諾かな。)
「三光新道までつけぇに行ってこい」・・・多少の間。
「行ってきやした。ひぇっ」
百川から800m足らずだから、百兵衛の足ならすぐ往復できる。
採用した男をすぐ使う方が今の世の中では不自然だが、これも当時は当たり前。
(尤もすぐ使わないと落語にならない)
全体に不自然さはない、良く出来た噺。(だそうです)
・・・見事なお裁き。ありがとうございます。
うっしぇぃぃ
「"かめもじ"と"かもじ"を間違えやがって、この間抜け野郎!」
「間抜け?"かめもじ""かもじ"。"ま抜け"ではねぇ"め抜け"だ。」

落語会の案内葉書

   落語会の案内葉書  落語会の案内葉書
落語会の情報は、向こうからもやって来てくれる。
今まで聴きに行った噺家さんから、直接DMを頂戴します。
定期的にいただいているのは、三遊亭鳳楽師匠、隅田川馬石さん、三遊亭窓輝さん、柳家三之助さん、立川志ら乃さん。
最近、平日の会に行きづらくなっていて・・。

案内メールの反応

「お江戸OB落語会」の案内メールを送信したところ、早速「金研亭志ん昼」さんから返信をいただきました。
乱志先輩
お元気にご活躍の由、祝着至極に存じ奉ります。
笑児さんも出るようですね。
彼には数十年オーダーで会ってないので、5/28はぜひとも上京すべく努力したいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
取り急ぎ、志ん昼拝
志ん昼さんは1年後輩、今回初出演の「破れ家笑児」さんと同期。
社会に出ると、なかなか会うこともないので、こういう機会は貴重だと思います。
彼の演った噺では、「天災」や「だくだく」、「城木屋」等が印象に残っています。

2011年5月11日 (水)

お江戸OB落語会のお知らせ

OB宛に、OB落語会のお知らせをメール送信しました。

東北大学落語研究部OB各位
この度の「東日本大震災」で被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早いご復興をお祈り申し上げます。
さて、我々の故郷でもあります仙台が未曾有の災禍に見舞われ、開催の是非を検討してまいりましたが、昨年来ご案内申し上げております「第2回お江戸OB落語会」は、当初の予定通り、下記日程で開催させていただくことにいたしました。
「仙都に笑いを」という創部の精神を、遠く東京・浅草からお届けしたいと思います。
皆さまには、何卒ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
皆さまのご来場をお待ちしております。
              記
        ≪第2回 お江戸OB落語会≫
  ◆ 日 時   平成23年5月28日(土)
             11時30分開場・12時開演
  ◆ 場 所   「浅草ことぶ季亭」
  ◆ 木 戸   入場無料(ご祝儀は大歓迎)
  ◆ 番 組   破れ家笑児   「たらちね」
             喰亭寝蔵     「替り目」
             南亭蕪生     「笠 碁」
                  仲入り 
             杜の家くるみ  「子ほめ」
                   (南京玉すだれ)   
             談亭志ん志   「百 川」
             金願亭乱志   「佃 祭」

・・・さあ、もう逃げられません・・。

花色木綿

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先日、妹と一緒に帰って、実家で持参した私の落語のDVDを視聴しました。
寝蔵師匠が編集してくださった「金願亭乱志独演会①」。
私の映像を視聴しながら妹が曰く、「そういえば、よく『この裏も花色木綿』なんて言ってたね。」・・。
どうやら、現役時代に夏休みなどで帰省した時に、部屋で「花色木綿」の稽古をしていたようです。
落語など知らない妹は、「噺の内容は全く知らないけれども、『花色木綿』というフレーズだけが、妙に耳に残っている。」そうで・・・・。Dscf4550
「花色木綿」は、2年生の時に演り、「全日本学生落語名人位決定戦」など、折に触れて演っていましたから、真面目に稽古していたんでしょう・・、きっと。
「花色木綿」・・、今度の日曜日、久しぶりに人前で演らせていただきます。
未だに上手く出来ませんが・・・。

落語「百川」論議

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「談亭志ん志」師匠から、私が「百川」について触れたことで、コメントを頂戴しました。
志ん志師匠は、今度の「お江戸OB落語会」で「百川」をお演りになる予定ですから、この噺に対する思いや造詣が深く、大変正鵠を得たコメントで、恐縮してしまいました。
乱志は言いました。
この噺で納得できない点があります。最初の部分です。
それなりに有名な(一流の)料理屋さんにしてはお粗末な場面です。
店に髪結いさんが来たので、女中さんが全員髷を解いてしまい、2階の客が呼んでいるのに、行くことが出来ないという・・・。
この場面は本当に違和感があるんです。」

志ん志師匠は仰います。
「違和感は感じていないのです。

あたしは、この噺の時期は、秋祭りの準備が始まる前の夏至時分だと想定しています。
魚河岸は朝が早い訳ですから、仕事がハネるのも早かったはずで、おそらく初五郎たちは辰の刻には河岸から上がって、巳の刻には「百川」に繰り込んだものと考えます。
いっぽう、百川は茶懐石料理屋ではなく、酒宴もできる会席料理屋で、通常の営業は夏至の頃ですと午の刻の前辺りから戌の刻辺りまでだったと思うのです。
ですから、女中さん達が髪結いさんに髷を結ってもらうのは、通常は巳の刻過ぎ辺りだったはずだと思います。
しかし、初五郎達は百川の常連である一方で喧嘩早いですから、百川でも初五郎たちを通常の営業時間前から座敷に上げていたものと思います。
この時点では女中さんたちは髪を解いていなかったことになります。
で、予約時間に髪結いさんが来てしまうことになり(髪結いさんも掛け持ちだったと思うのです)、女将さんは常連さんだからということで件の展開になっていくと、あたしは解釈しています。
ですから、それほど違和感はないのですよ。うっひぇ~!!」

・・・どうです。
圓窓師匠がこれをお聞きになったら、物凄く褒めてくださるものと思います。
以前にこのブログで触れた、師匠の仰る「ポジショニング」や「舞台設定」の重要さこそが、このやり取りに充満していると思います。
これほど、時期、時刻、背景が明確にされてお演りになれば、この噺の全場面が活き活きしたものになって来ると思います。
さすがに「達人・談亭志ん志」師匠だと思います。
私の思いは、ここまで精緻なものではなく、「とりあえず一流の料理屋の女中さんが、全員髷を解くなんてことはないだろう。女中さんは、既に二階の座敷に「くわいのきんとん」や酒肴を運んでいるはずですから、いくら常連客だといえども、最低一人は髷を解かずにいるのが商売の常識だろう。」という程度の認識でした。
志ん志師匠のように、緻密に時刻などの認識や分析をしてはいませんでした。
こういう議論というのは面白いですね。
「落語研究会(部)」ですから。
うっひゃぁ~!

2011年5月10日 (火)

座れば牡丹

  座れば牡丹 
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
実家の庭に牡丹が綺麗に咲いていました。
小川のせせらぎが、朝陽を浴びて輝いているのを借景に、大輪のピンクの花を咲かせていました。
(野暮な話ですが、小川のこちら側は山梨県で50ヘルツの東京電力。向こう岸は静岡県静岡市で60ヘルツの中部電力です。
ねぇ、中部電力ですよ。浜岡原発の運転を停止するんだそうで。)
こんな可憐な花も咲いて。座れば牡丹
フォッサマグナの上に健気に咲く花々・・・。

先輩からのメール

落研の先輩の「愛詩亭朝大」師匠からメールを頂戴しました。
「今度、圓窓師匠から落語を教えていただくことになった。扇子と手拭いはどこで買ったらいい?」という内容。
扇子は、手元に昔の物があるそうですが、当時の何人かの師匠のサインが入った「宝物」なので使う訳にはいかないという・・・。Photo_3
どんな扇子があるのかと言えば・・・、3本紹介くださったのは以下のような垂涎物なんです。
まずは、「三遊亭圓生」師匠。
圓生師匠の名前だけでなく、「半日を みみずに およぎ 教えて居」という俳句に釣り人の絵入りのもの。
次は、落語芸術協会の重鎮の師匠方3人。
「三遊亭圓馬」・「桂枝太郎」・「三笑亭可楽」の各師匠。
そして、「雷門助六」師匠。
・・・・・溜息が出てしまいました。私も欲しいぃぃぃ~
朝大師匠に、「それらの扇子は、絶対に高座ではお使いにならないでください。」と、お願い申し上げたのは、言うまでもありません。

手拭いはデパートなどで比較的入手しやすいですが、高座扇は、私がいつも買っている浅草のお店を紹介しました。
いよいよ、朝大師匠も・・・。楽しみです。

見番(けんばん)

Photo_6

「見番(けんばん)」を調べてみると・・、
その土地の料理屋・芸者屋・待合の業者が集まってつくる三業組合の事務所の俗称。
また、近世、遊里で、芸者を登録させ、客席に出る芸者の取り次ぎや玉代の計算などの事務を扱った所。
・「検番芸者」の略。

なかなか色っぽい世界の言葉です。
「浅草見番」や「向島見番」などは未だに盛んなようですね。
浅草では、落語会もやっています。一度行ったことがあります。
銀座にも「見番通り」があります。
昔は、新橋芸妓の稽古場である検番(現・新橋会館)があり、その前には、夕方になると人力車が30台近く並んでいたそうです。

落語協会の浴衣地

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落語協会で、今年も浴衣生地を販売しています。
これ、8月の「圓朝まつり」で、噺家さんたちが着ているものですね。
まぁ、そこまでは。

2011年5月 9日 (月)

百川

「お江戸OB落語会」で、達人「談亭志ん志」師匠がお演りになる「百川」という噺。
今の日本橋室町(コレド室町あたり)に、本当に「百川」という料亭があったそうです。
志ん志師匠が、どのように「料理」するのか、とても楽しみです。
私は、この噺で納得できない点があります。最初の部分です。
それなりに有名な(一流の)料理屋さんにしてはお粗末な場面です。
店に髪結いさんが来たので、女中さんが全員髷を解いてしまい、2階の客が呼んでいるのに、行くことが出来ないという・・・。
この場面は本当に違和感があるんです。
尤も、ここで女中さんが2階へ上がれたら、百兵衛さんは登場する必要がなくなり、この噺が成り立たなくなるのですが・・・。Sijinki
日本橋浮世小路にある料理屋「百川」に奉公人としてやって来た田舎者の百兵衛。
旦那とあれこれ話していると、二階の客間で店の者を呼ぶ声がしてきたので、用を聞きにいってくれと命じられる。
ところが、二階の客は威勢の良い河岸の若い衆ばかりで、百兵衛の田舎言葉がさっぱり分からない。
すると、百兵衛が口にした「主人家の抱え人」を、祭りに必要な「四神剣の掛け合い人」と聞き間違えてしまい、大切な四神剣を質に入れてしまっていた若い衆は、そのことがバレてはいけないと慌てて、「ひとまず具合は黙って飲み込んで欲しい」と百兵衛にお願いをしてみる。
すると、頼まれた百兵衛が今度は「具合を飲み込む」という言葉を聞き間違えて、目の前にあった「クワイのキントン」を飲み込んでしまったので、その様子を見た若い衆が驚いた。
あとになって百兵衛の正体を知った若い衆は、百兵衛に三光新道(現在の日本橋人形町)へ行って、常磐津の歌女文字という師匠を呼びに行かせるが、遣いに出た百兵衛は歌女文字という名前を忘れて、似た名前の鴨地玄林という医者を連れて帰ってきたので、百川で再び騒動が起きる…。
うっしゃ

サマータイム

地震の影響ということでしょうが、クールビズが前倒しされました。
私の会社でも、5月からノーネクタイが始まりました。
例年より1ヶ月早いスタートです。
素朴に思うのですが、それならば、基本的には年間を通じて(原則)ノーネクタイにしたら良いと思います。
私は天邪鬼ですから、未だに真夏でもネクタイを着用しています。
今年も続けるつもりですが・・・。
それから、よく分からないのがサマータイムというやつです。
日本大震災による夏の電力不足への対応策として、大手企業が始業時間を1時間繰り上げる事実上の「サマータイム」の動きが今月以降、本格化する。
就業時間を前倒しすれば、夏場のピーク時のエアコンによる電力使用量を減らせるほか、残業に伴う照明などの電力も抑制できる。
本来、サマータイムとは省エネなどの効果を狙い、国を挙げて夏の間、時計の針を1時間早める制度。
政府は相当なコストが掛かるとして、国全体での導入には否定的だ。
小中学校の頃は「夏時間」とか言って、授業開始が少し早くなったことがあった気がします。
やるなら全体でやらないと、「時差」が起きて、ややこしくなる気がしますし、私のような無精な人間には、面倒くさい気がするのですが。
 

落語協会の役員

「社団法人落語協会」の役員の任期は2年間のようで、来年6月までの任期だそうです。
確認してみましょうか。
何の脈絡もありませんが。         (敬称略)
   会   長     柳家小三治
   副 会 長       柳亭市馬
      常任理事     柳家さん喬・林家正蔵・三遊亭吉窓
    理   事     桂文楽・古今亭志ん輔・入船亭扇遊
              三遊亭歌る多・五明楼玉の輔
   監   事           柳家小さん・三遊亭圓丈・柳家さん八    
   相 談 役           柳家さん助・橘家圓蔵・古今亭圓菊
              三遊亭圓窓・入船亭扇橋・林家こん平
              林家木久扇
   顧   問           三遊亭金馬
   最高顧問     三遊亭圓歌・鈴々舎馬風

2011年5月 8日 (日)

落語台本・脚本募集

落語協会が、今年も落語の台本・脚本の募集を開始しています。
【第8回(23年度)落語台本・脚本募集要領】
 募集期間  5月1日(日)~6月30日(木)
 応募方法  返信用封筒(80円切手貼付)同封し郵送
         折り返し落語協会より募集要項送付
いつか落語の創作が出来るようになりたいものです。
「落語っ子連」の「まど絵」さんに教えてあげよう。

春から初夏へ

春から初夏へ

                  春から初夏へ
久しぶりに帰省しました。
どこもかしこも緑、緑・・。
「命の洗濯」が出来た気分です。
蝶々や蜂が花から花へと飛んでいるのを見ると、平和・安穏を実感します。
・・仙台では・・、ここでは、思うまい、思うまい・・。
ひたすら心を安らげよう。

日曜日のラジオ

久しぶりに帰省する愛車で聴くいつものラジオ番組。
「落語でデート」
   ◇ 五月幟  春風亭柳枝
「さつきのぼり」ではなく、「ごがつのぼり」と読みます。
旬な噺ですが、珍しい噺です。
しかも八代目の春風亭柳枝師匠です。
お弟子さんの圓窓師匠が、昨年の東京落語会で、この噺をお演りになりました。

「天下たい平落語はやおき亭」
   ◇ 狸札  林家たい平

お江戸OB落語会の時間割

「お江戸OB落語会」のタイムテーブルの確認。
出演者の方々は、恐らく大熱演になると思われますから、時間が長くなる傾向にあります。
全体の進行イメージを検討してみました。

11:00    集合 会場設営など
 11:30    開場
 
12:00    開演 破れ家笑児  「たらちね」
 12:20         喰亭寝蔵    「替 り 目」
 12:50           南亭蕪生    「笠   碁」
 13:20              仲入り    
 13:40           杜の家くるみ  「子 ほ め」
 14:05           談亭志ん志  「百  川」
 14:35           金願亭乱志  「佃  祭」
 15:05    お開き 片付け
 15:30    退出 → 懇親会へ 

Butai_index2

時間的には大丈夫だと思いますが、お客さまが我々の芸に耐えられるどうかは定かではありません・・・。
なお、「高座返し」は、仲入り前は不肖乱志が勤め、仲入り後は笑児さんにお願いしようと思います。(まだお願いしていませんが。)
  

笠碁

これも名作です。
OB会のボス「南亭蕪生」師匠が、今回満を持してお演りになるのが「笠碁」ですよ。
私は、ゆっくり物事を考えることや勝負事が嫌い(苦手)ですから、この噺の登場人物の了見は良く分かりませんが、面白い噺です。Photo_7
碁敵同士が、罵り合って喧嘩別れになる。
雨が降り続くある日、相手が懐かしくて、唐傘がないので被り笠をかぶって出かける。
相手のほうも呼び入れたいが、てれくさくて行き過ぎるのを見送る。
やがて中から声をかけたのがきっかけで、上がり込んで夢中で碁を打つうちに碁盤に雨の滴が落ちるので、「いくら拭いても後から垂れて…おい、いけねえなぁ、かぶり笠を取んなよ」。

「笠碁」といえば、先代の金原亭馬生師匠が有名です。
最近では、柳家権太楼師匠がお得意だと思います。
我が蕪生師匠は、お聞きするところによれば、何十年ぶりかという高座だそうですから、伝説の名人芸を拝見するのが楽しみです。

2011年5月 7日 (土)

真打競演

4月から、土曜日の夜8時に放送時間が変わりました。
色物は、「東京ボーイズ」と「ロケット団」。
2組とも、寄席ではお馴染みのボーイズと漫才です。
数年前にリーダーが亡くなり、六郎さんと八郎の残った二人が頑張っています。
一方、ロケット団は、若手の勢いのあるコンビです。

  ◇ 蜘蛛駕籠    柳家花緑

花緑さんの「蜘蛛駕籠」は、先月の「大手町落語会」で聴きました。

南京玉すだれ

Photo_3

「南京玉すだれ」というのは、日本の代表的・伝統的な大道芸の一つです。
一人の演者が長さ20~30数センチの竹製の小型のすだれを持ち、唄にあわせて踊りながらすだれを変化させて釣竿、橋、しだれ柳、旗などに見立てる。
人が「アァ、さて、さて、さてさてさてさて、さては南京玉すだれ。」という威勢の良い掛け声とともに玉すだれをおもむろに取り出して、「ちょいとひねれば、ちょいと、ひねれば、(日米国旗に)早変わり。(日米国旗)をちょいと伸ばせば、…」と、すだれの形を次々に変えて見せるという楽しい芸です。
ここだけの話ですが、「お江戸OB落語会」で、紅一点で出演する「杜の家くるみ」さんが、この「南京玉すだれ」をご披露くださるそうです。

色紙のうらおもて

先日、小さな色紙を買って来て、ちょっと寄席文字の物真似をして書いてみました。
書いたというよりは、塗ったという感じですが・・・。
ところで、よく目にする「色紙(いろがみ・しきし)」ですが、次のような意味があります。
 「いろがみ」
  ・写経などに用いられた色染め紙
  ・折り紙などに用いる正方形の色つき紙
  ・事務用、印刷用に用いる色つき(両面同色)の紙。
      カラー用紙などとも称する。
 「しきし」
  ・種々の
色がついた料紙。
  ・書画用の正方形の厚紙。
私が書いた「色紙」は、書画用の色紙(しきし)ですね。
色紙に
色紙(しきし)は、古くから短冊と同様に書道作品に用いられ、絵画作品にも多く用いられる。
近現代では著名人のサインや寄せ書きにも用いられている。
サイン色紙ともいう。
なお、「色紙」(しきし)は短冊形に対する色紙形(しきしがた)の略語としても用いられる。
書画用の色紙は正方形に近い厚紙でできていて、金縁が施され、片面には金粉や銀粉などを散りばめられているものが多いようです。
ところで、色紙のうらおもてはどうなっているんでしたっけ?
本来は、金粉や銀粉などが散りばめられているほうが表面(おもて)なのですが、書画やサインなどは、謙遜の意味であえて裏面(うら)の白いほうを用いることにしているのだそうです。
そうですよね。綺麗な方が「おもて」だと思いますよ。

被災地のボランティア

Photo

仙台というところは、学生、就中、東北大生には大変に寛容な土地柄で、街も地元の人々も、東北大生を優しく受入れ、深い愛情をもって育ててくれる温かい土地柄です。
「とんぺい(東北大)の学生さん」たちは、その恵まれた環境から雄飛して行きます。
青春時代を過ごした一生忘れられない(第二の)故郷です。
ある被災地のボランティアのうちの約4割が東北大生だそうです。
自身も被災しながら、日頃筆舌に尽くしがたい慈愛を受けている街への恩返しをしてくれているのでしょう。
授業が再開されたようですから、今までのようにはいかないかもしれませんが、学生の街仙台を、学生が明るく勢いづかせて欲しいものです。
青葉繁れる杜の都で・・・。

金春(こんぱる)

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銀座8丁目の、銀座通りより一筋西側に「金春通り」という名前の通りがあります。
ちょっと通りかかって、名前に惹かれました。
「金春(こんぱる)」の名は、能楽に由来しているようです。
鎌倉時代に、神事「猿楽」が演劇的要素を取り入れ、次第に「猿楽能」へと発展し、室町時代には足利幕府の保護を受け、従来のものに「田楽能」を折衷し、新曲を作った観阿弥・世阿弥父子により、応永年間(1394〜1428)頃に大成した能楽。
大和(現・奈良県)を拠点として活躍していた大和四座(やまとしざ)のひとつ「円満井(えんまんい)座=金春家」は、秀吉の強力な保護を受け、能楽の筆頭として召し抱えられた。
家康も秀吉同様、能楽の保護策を継承し、能楽は江戸幕府公式の音楽・演劇として年中行事の儀式に取り込まれたり、臨時の将軍御成の際の催しに演じられたりする「式楽」に指定された。
四座の宗家(家元)達も江戸に移され屋敷を拝領。
金春太夫はと言えば、1627(寛永4)年には山王町(現・銀座8丁目)に屋敷を拝領したと言われているらしく、記録として残っているものとしては1632(寛永9)年の江戸図「武州豊嶋郡江戸庄図」に「金春七郎」の名があり、屋敷は現・銀座8丁目6、7、8番地全体を占めていた様に図示されている。
1693(元禄6)年頃の江戸市中の状況を記した「国花万葉記」でも金春太夫は山王町に住まっているほか、1713(正徳3)年版「武鑑」(民間の本屋によって編集・出版された江戸時代の大名および幕府諸役人に関する名鑑)にも「山王丁 太夫 金春八左衛門」とある。
1780(安永9)年頃に屋敷は麹町善国寺谷(現在の千代田区麹町3・4丁目)に移ったものの、この金春屋敷で下働きをしていた女性達がそのまま住み着いた。Photo_5
彼女らは長唄・常磐津・小唄・端唄・舞などの芸に通じ、人をもてなす才にも長けていたところからこれが芸者の始まりになったとも伝えられ、「金春芸者」と呼ばれた。

「金春芸者」というのを度々聞きますが、そういうことですか。
現在の金春通りは、1863(文久3)年から営業している銭湯「金春湯」がいまだ健在である以外はなんてことない銀座の裏通りなんですが、毎年8月7日には、なんと「路上能」が催されるそうです。

2011年5月 6日 (金)

母校の入学式

Tohokugate2_0403

震災に翻弄された母校の入学式が、本日行われたそうです。
地元の河北新報の記事をそのまま拝借します。
東日本大震災の影響で遅れていた東北大の入学式が6日、仙台市青葉区の同大各キャンパスで行われ、2487人の新入生が予定より1カ月遅れて、新生活への一歩を踏み出した。本来は仙台市体育館(太白区)で4月6日、全学部・研究科の新入生が参加して開かれる予定だったが、体育館が被災したため10学部ごとの分散開催となった。
暦の上では「立夏」のこの日、仙台は冷たい海風の影響で、正午の気温も12.0度にとどまった。
4月上旬並みの肌寒さの中、法学部が式典を行った川内南キャンパスの講義室周辺では、サークルへの加入を勧誘する在校生が新入生164人を温かく出迎えた。
式では、東日本大震災の犠牲者を悼み、新入生全員で黙とうを捧げた後、4月に同大で女性初の学部長・研究科長となった水野紀子教授が「人々が協力することで、この災害は乗り越えていける。将来を支えるたくましい社会人となってほしい」とあいさつした。
東北大では震災で農学部に入学予定だった陸前高田市の女子と、農、経済の両学部の学生1人ずつが亡くなった。
甲府市出身の植原大樹さん(18)は「法学部の自主ゼミでは、地元の人の法律相談をする機会がある。被災地の人たちの役に立ちたい」と力強く語った。
・・とにかく、やっと区切り・スタートになりました。

立夏

今日は立夏だと言うのに、また桜の頃に戻ったような陽気です。
目には青葉・・
昨日は、寒い中、皇居のお堀端を散策しましたが、若々しい葉の緑がとても美しく、清々しかったです。
連休が明けて、良い意味で心機一転、震災を乗り越えて行く時期だと思います。
「頑張れ!日本!」なんて、抽象的なことばかり並べて自己満足している時間は、もうとっくに過ぎました。
足を地に着けて、時に地は揺れますが、しっかり前を見据えてやって行くことだと思います。
落研の後輩たちのことも気になります。
何か手伝えることもあるでしょう。

高座手拭い

手拭い
「お江戸OB落語会」の高座で使う手拭いを買いました。
このブログのデザインと同じように、「竹」の柄にしました。
季節感は必ずしもマッチしていないかもしれませんが、着物の色合いも考えて。

替り目

お江戸OB落語会で、名人喰亭寝蔵師匠が演る予定の「替り目」。
寝蔵師匠は、もともと名人の誉れ高いのですが、登場人物の性格のはっきりした噺が絶品です。
例えば、過去のOB落語会で聞かせていただいた「長短」にしても「宮戸川」にしても、個性的な登場人物を、丁寧に、そして面白可笑しく演じられるのです。
「替り目」などは、ぴったりはまっていると思います。
恐らく、しっかりオチまでお演りになることでしょう。
たいそう酔っ払って千鳥足でふらふらと夜中に帰ってきた亭主。
まだ飲み足りないから家でも飲むと言い出し、寝た方がいいという女房の声には聞く耳を持たない。
少し飲めば寝るというので、仕方なく酒を用意することに。
しかし今度はつまみを用意しろと大きな声を出してわめき始めた。
うるさくてしょうがないので女房が外の屋台におでんを買いに行くが……。

落語の定番のような噺で、寄席でもよく聴きます。
それだけに、聴かせる技量が必要だと思いますねぇ。
勿論、寝蔵師匠は太鼓判。
今頃は、カラオケに通って稽古を積んでおられることでしょう。

銀座百点

  銀座百点 銀座百点
銀座の「銀座百店会」刊行の「銀座百点」というタウン誌?を見ると、立川志らくさんの文が載っていました。
志らくさんは、本当に多才な人で、いつも読み応えのある文章を書いてくれます。
震災直後に、興行の多くが自粛などで中止になる中、銀座で独演会を決行した時のことや後日談が書かれていましたが、なるほどと思うところが多く、面白く読ませていただきました。
それにしてもこのタウン誌、さすがに銀座だけに、内容が濃い。
ちょっと、気取った、天狗風の雰囲気がするのは、私のような者の嫉妬でしょうか?
上野も浅草もいいですがね。

2011年5月 5日 (木)

三井記念美術館館蔵品展

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日本橋の「三井記念美術館」の「三井記念美術館・館蔵品展」に行きました。
もともと、ホノルル美術館所蔵の「北斎展」の予定だったのが、地震の為に中止せざるをえなくなったため、所蔵品展示に変更されたものです。
おかげさまで、鑑賞する人も少なく、ゆっくり・ゆったり・じっくり鑑賞することができました。Photo
この美術館は、名前の通り、約300年の歴史を持つ三井家が江戸時代から収集した、日本と東洋の優れた美術品約3700点を収蔵するセレブな美術館です。
ゴールデンウィーク最後の日に、とても良い目の保養をさせてもらいました。
やはり「和」はいい。

OB落語会のプログラム

   プログラム 
A4版サイズを二つ折りにしたプログラムの片面ずつを事前にご披露します。
出演者の顔ぶれを改めて見て、(私を除いて)物凄いです。
笑児さんは、現役時代をよく知っていますが、清潔で軽妙な可笑しさが素晴らしい。
くるみさんは既にセミプロ。
これに達人志ん志師匠と名人寝蔵両師匠。
そして、伝説の蕪生師匠が、これまた伝説の「笠碁」を世紀を超えてご披露くださいますから。
         プログラム
平成23年5月28日(土)12時より「浅草ことぶ季亭」にて。
勿論、木戸銭などは頂戴いたしません。(ご祝儀は大歓迎)
是非とも多くの皆さまにご来場いただきたいものです。

黄砂・・

「黄砂」というのは、中国大陸奥地のタクラマカン、ゴビなどの砂漠の砂が強風に舞い上げられ、上空の偏西風に流されて海を渡り、日本にまで飛んでくる現象です。
沖縄では赤霧(あかぎり)というそうです。
砂は西日本ほど多く、長崎県五島地方は年間平均10日間は黄砂をみるそうで、冬におこった黄砂が混じると、降る雪に色がつくので、紅雪(べにゆき)または赤雪(あかゆき)とよんだりするそうです。
名前は色っぽいのですが、あんまり有り難くありませんね。
ここのところ、関東地方でも観測されていて、空は青く晴れているのに、何となく霞んでいる感じがします。
この季節は、清々しく晴れ上がって、思わず深呼吸でもしたくなるのですが・・・。
自然というのはダイナミックなものです。

「おい黄砂!こんなに頻繁に来るのはタクラマカン(たまらん)!許さんど(sand)!」
「ゴビ(ごめ)んなさい。砂丘(早急)に改めます。」

端午の節句

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「端午の節句」の起原は、古代中国に遡ります。
古来より中国では、物忌みの月(5月)には厄払いの行事が盛んに行われていました。
端午の「端」は文字通 り「はじ/最初」の意味で、「午」は「うま」つまり端午とは、五月の最初の午の日に行われると言う意味です。
最初は必ずしも5月5日ではなかったようで、午と五のゴロが同じことからこの行事は、やがて5が重なる重五の日、つまり5月5日に大切な厄払いの日として定着したようです。Photo_2
日本でも奈良・平安時代には五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)が取り入れられ、当時五節句は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事として、よもぎ・菖蒲などの薬草を摘みに野に出て、その薬草を臣下に配ったり、悪鬼を退治する為に午から弓矢を射たりしたそうです。(流鏑馬の原型)
その中の一つ「端午(たんご)の節句」が後に「子供の日」になったという訳ですね。
落語には、「五月幟」という、酔っ払いのとんでもない父親が出て来る噺があります。

「9.11」の

ニューヨークの「9.11テロ」の首謀者と思しき人が、米軍によって殺されました。
米国大統領は、記者会見で「・・を"殺害"した」と発言しました。
正義だとか、テロリストの退治だとかという大義を否定するものではありませんが、全世界が見つめる正式な場で、大統領が「殺害した」という表現をするというのは、物凄く違和感がありました。
「私が・・を殺しました」と言っている訳ですから。
「9.11テロ」から、間もなく10年になるのですね。
聞けば、殺されたテロリストのリーダーは、体調も悪かったようですが、急峻な山の中に隠れていたのではなく、家族と一緒に、小さな街で隠れ住んでいたようで、人は決して一人では生きられないということが分かります。
自分にも大切な人がいるなら、他人の大切な人を殺したり、傷つけたりすることなど出来ないはずだと思うのですが・・・。
こんなニュースを聞くにつけて、「佃祭」の船頭夫婦の純粋さが尊く思います。
しっかり描かなくてはと・・・。

色紙に託す

色紙に
寄席文字というのは、とても書くのが難しい・・・。 (゚ー゚;
以前、色紙に我流で書いてみたものを眺めています。 (*^-^)
                      色紙に
酷い出来、寄席文字もどきの・・。
昔、見よう見真似で、立看板を書いたものでした。 (゚ー゚;
「志」は、自分の高座名の一字でもあり、好きです。 (o^-^o)
もう少し上手くなれたら、誰かにプレゼントすることも出来るのですが、なかなか。┐(´д`)┌
落語徘徊を宣言したからには、寄席文字も書けるようになりたいと思いますよ。

2011年5月 4日 (水)

江戸KIMONOアート

Photo

日本橋の老舗デパートで開かれている「江戸KIMONOアート」という催し物。
女子美術大学の協力によるものだそうです。
身体を包むようにまとう布地に多彩な染織の技が施された日本の民族衣装、きもの。
江戸時代は、日本人ならではの「遊び」の精神や、「粋」という美意識など がきものにめられ、単なる衣装を超えたヴィジュアル・アートへと昇華しました。
展では、女子美術大学美術館、澤乃井櫛かんざし 高島屋史料館に所蔵されている貴重な作品・資料約100点を展観いたします。
由奔放かつ知的でバラエティに富んだきもの文化の華やぎをお楽しみください。
とのお誘いに、フラフラと観に行きました。
目の保養ということで、新しい世界を垣間見ることができました。
直接ではありませんが、落語にも役立つんじゃないかなぁ。

長蛇の列

                  驚き
上野動物園への入場待ち時間が4時間だそうで。
 驚き
写楽さんもびっくり仰天。
   驚き
すっかり葉桜になった清水様の脇にも動物園待ちの長蛇の列・・。
パパたちは大変ですねえ。

大渋滞

私が予想していたとおり、ゴールデンウィーク後半の高速道路は、記録的な渋滞になっているようです。
大型連休の後半を迎えた3日、各地の交通機関は高速道路を中心に行楽客や帰省客で混雑した。
日本道路交通情報センターによると、関東地方の高速道路は午前、下り線を中心に軒並み渋滞となった。
関越道では午前11時50分ごろ、群馬県の藤岡JCTを先頭に78キロ渋滞し、車の列は東京都の練馬ICまでつながった。
東北道では栃木県の岩舟JCT付近から67キロ、中央道では山梨県の上野原ICから58キロの渋滞となった。

原因としては、休みがまとまっているとか、高速料金1000円が適用されているとか、色々あると思いますが、やはり今まで抑制されていた鬱憤が弾けたというのが、最大の理由だと思います。
観光地も、なかなか予約が入らずに閑古鳥を覚悟していた所も多かったようですが、直前になって予約が殺到したそうです。
地震でインフラが乱れ、自粛で気持ちが萎えたりで、じっと我慢していましたが、50日も経つと我慢できなくなる、自粛から自然体へという世の中の雰囲気の変化もあり。
絶対に大渋滞だと予想して、帰省するのを止めて正解でした。
「佃祭」でも、過積載で佃の渡しの終い船が沈って(しもって)しまいますから、あまり人が大勢集まる所へは行かない方がいい・・。

「OB落語会」プログラム案

Img_0002

「お江戸OB落語会」のプログラム案を作ってみました。
・・と言っても、昨年のプログラムの日時と番組を書き直しただけのものです。
因みに、写真は昨年のものです。
考えてみると、本番までもうあと3週間あまりです。
OBの方々の色々なご意見やご指摘を聴いて、手直しをして行きたいと思います。

ピアノとのコラボ

師匠のピアノとのコラボーレーションの演題は、どうやら、私にとっても思い入れの深い「ねずみ」のようです。
先日、師匠のプログに・・・
 九月にまたコラボの予定がある。Ensoila
 ピアノとのコラボで、[鼠]を取り上げつつもり、、、。  
 [叩き蟹]では蟹がピアノと戯れる場面を作ったので、今回も、鼠にちょいと活躍してもらおうと思っている。
 曲はベート-ヴェンを使おうかな、、、と、、、。
・・・とありました。
なるほど、師匠のことですから、また面白い演出が数多く仕込まれるのでしょう。

泰平・安穏・豊穣・・・

平和
震災から約50日経ちました。
まだまだ復興までには膨大な体力と時間がかかりそうですが、様々な思いが来去来した50日だった気がします。
先月末に亀戸天神社に行き、満開の藤の花を観て来ましたが、ここには災害の跡などは全くなく、訪れる人たちの顔にも落ち着きや安らぎを感じました。
でも、恐らくほとんどの人が、平穏で健やかに暮らせる平凡なことの尊さを実感していた気がします。
鳥居には「天下泰平・国家安穏・五穀豊穣」と記されていました。
古今東西、人はまずこれらを一心に祈って来たのだと思います。
泰平と安穏と豊穣を突然奪われてしまった人々がいます。
なんでもないことが幸せだったと想っていると思います。
棚から下がる花を見て、薫風に乗って漂ってくる高貴な香りを感じて、思わず深呼吸をしました。
「あぁ、生きている」と思いました。

今月の紀伊國屋寄席

紀伊國屋寄席
紀伊國屋寄席も地震で中止になって以降、行っていません。
今月は11日なんですねぇ。
鳳楽師匠を最近聴かせていただいていないので・・。
金馬師匠のお元気な高座も・・・。
行けたらいいのですが・・・。

2011年5月 3日 (火)

復興支援寄席

Ichibanゴールデンウィーク中の5日に、鈴本演芸場で「復興支援寄席」が開催されます。
災害支援ということよりも、久しぶりに朝早くから落語を聴いてみたい気がします。
テーマは、「志ん生生誕121年」という、とても中途半端な年数。
(まぁ、何でも良いのでしょうが。)
出演者は、古今亭が中心のようで、古今亭志ん橋・金原亭馬生・金原亭世之介・古今亭菊生の各師匠。
落語教会のHPによれば、義援金の合計は250万円を超えているようです。

手揉み茶

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手揉みは煎茶本来の製法です。
摘んだ茶の若芽の飲用成分を抽出し易くし、かつ保存性を高めるために、まずこれを数秒から数分間蒸した後、焙炉(ほいろ)と呼ばれる40℃から50℃に加温された台の上で、手で茶葉をほぐす、こねる、揉むなどの作業を行って乾燥させながら煎茶に仕上げて行くのです。
祖父が、額に汗を滲ませながら、茶葉をいとおしむように、優しく揉んでいました。
出来あがった手揉み茶は針状で艶があり、湯を注ぐと元の茶葉の形が現れて来ます。
その茶の色は山吹色で、手揉みならではの深い香りと味わいがあるのです。

・・・そうか、あの茶葉を揉む台を焙炉って言うんですね。
1、炉火にかざして、茶などを焙(ほう)じ、または物を乾かすための用具。 框(かまち)に紙などを張ったもの。
2、製茶に用いる乾燥炉。葉茶を乾燥する籠焙炉(かごほいろ)と、葉茶を揉みながら乾燥する土木製焙炉との2種類がある。
「元犬」に出て来る「焙炉」は、製茶用でなく茶の間用でしょう。

からくり儀右衛門

からくり儀右衛門
確か、「落語っ子連」の発表会で、びす太さんが演った「からくり料理」という噺に、からくりの名手で、東芝のルーツの一人だという人を紹介していました。
紀伊國屋書店で、「からくり儀右衛門〜東芝をつくった男」というポスターを発見。
きっと、あの説明に出た人でしょう。
師匠の創作噺だったはずですから、師匠の蘊蓄も凄いものです。
「からくり儀右衛門」こと「田中久重」という人だそうです。
寛政11(1799)年 - 明治14(1881)年。
江戸時代から明治にかけて「東洋の
エジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれ活躍した日本の発明家。
筑後国久留米(現在の
福岡県久留米市)生まれ。
久重が創設した田中製造所は後年、東芝となった。
・・・とさ。

江戸落語 誕生と発展

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延広 真治著「江戸落語 誕生と発展」 (講談社学術文庫・1,050円)
鹿野武左衛門、鳥亭焉馬、三笑亭可楽、林屋正蔵…。
江戸落語の立役者たち。
元禄期に遡る落語は、始祖武左衛門の流罪で途絶。
棟梁にして、熱狂的団十郎贔屓の焉馬が、「咄の会」を運営、中興の祖になるのが百年後。
机から高座への移行、短い落とし咄の連結、狂歌との関連、寄席の登場、怪談の導入等々、落語形成過程を克明に活写。
江戸落語の歴史。

2011年5月 2日 (月)

八十八夜

暦の雑節の一つ。
春から数えて88日目をいい、太陽暦の5月2日ごろにあたる。
説によると、渋川春海が貞享改暦で暦に載せることにしたといわれているそうです。
太陽暦の5月2日ごろといえば、あと数日で暦のうえでは立夏ですが、「八十八夜のわかれ霜」というように、霜の降りることもあり、新芽を出した農作物に大きな被害を与えることがあるところから、農家に注意を促すため暦に記載されているようです。
故郷が茶どころですから、「夏も近づく八十八夜」ということで、お茶摘みの手伝いもさせられたものです。
田植えや稲刈りなどと異なり、座りながらの作業ですから、さほど重労働ではありませんでしたが。
摘んで来た葉を、炭火を下に入れて熱くなった鉄板に上に乗せ、祖父が手で揉んでいた姿も思い出されます。
手揉みの新茶の香ばしい香りが、家の周りに漂っていた・・。
・・学生時代に、「八十八夜」っていう歌が流行っていました。
東北出身のグループが歌ってヒットしていました。
茶摘みとは全く関係のない、ちょっと悲しい歌でした。

戸隠様

Photo

「戸隠」というのは、何となく神々しいというか、山伏や忍者のようなイメージもする名前です。
(蕎麦もありますか?)
「佃祭」では、虫歯にご利益のある「戸隠様」です。(私は、戸隠様の梨は登場させませんが。)
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。
神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。
山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。

明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。Photo_2
そして、いくつかある社の中で、虫歯にご利益があるのは、「九頭龍大神」を祀った「九頭竜社」のようです。
この祭神の「由緒・ご神徳」を見ると・・・、 鎮座の年月不明ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結の神として尊信されています。
何かこう・・、ひんやりとしたものを感じます。

圓朝座

鈴々舎馬桜師匠の独演会と「圓朝座」。
ゴールデンウィークの「お江戸日本橋亭」の定番になっています。
去年は行ったのですが・・、今年は・・どうかなぁ。
行きたいのですが。

2011年5月 1日 (日)

故郷のたけのこまつり

たけのこ掘り
郷里の町のHPを見ると・・・、「4月29日(金曜日)に開催予定でありました「第24回たけのこまつり」は、中止することに決定いたしました。」とありました。
おまつりが中止になったのは、地震と統一地方選挙での町長選挙があったのと、今年はあまり筍が出ていなかったということもあったのかもしれません。
昨年は、ちょうど良いタイミングで帰省して、筍掘りをして来たのですが、今年は叶いませんでした。

読み稽古

読み稽古
ホームセンターの駐車場に愛車で行って停め、車内で「佃祭」の読み稽古をしました。
この期に及んで初めての読み稽古です。
大丈夫でしょうか?
読みながら泣いてしまい、「それじゃ駄目じゃん」です。
さすがに「こりゃまずいな」と思って、反省しました。
先輩の喰亭寝蔵師匠の、恒例(得意の)カラオケでの稽古は、既に佳境になっていることでしょう。
「替わり目」は25分ぐらいだと仰っていました。
少し、声を張りすぎたか、喉が少し痛くなったので、読み稽古はほどほどに帰宅しました。

変な夢

やはり生活の中に占める「落語」の影響というのか、いかに大きいかという話。

今日は、落語を演らせていただくことになっています。
、ひととおり稽古してあるので、何とかなりそう・・。
場(不明)までは1時間強かかりますが、余裕を持ってと、勇んで開演のかなり前に到着し、手拭いと扇子を持って楽屋に入ろうとした瞬間、「」・
・・手拭いと扇子以外は何も持っていないことに気がつきました。
あっ物を持って来るのを忘れたぁ・・
なぜかには、扇子っ子連の「当富さん」や「ワッフルさん」の姿があります。
自分の出は、かなり深い(トリ?)だから、今から着物を取りに行って間に合うか・・・」・・・、慌てて帰宅して、バッグの中身を確認もしないで会場にトンボ返り。
何とか間に合い、着替えようとバッグを開けてびっくり。
物はありましたが、羽織の紐が入っていない・・・。トホホ。
まぁ、羽織は着なくてもいいかぁ・・」

・・ここで目覚めました。
果たして、この高座が上手く行ったかは・・、分かりません。

恐らく・・・・、
・「千早亭」の発表会に、出囃子CDを持って行くことになっている。
・そこでの私の出は2番目。(開演直後の上がり)
・会場まで、自宅からちょっと時間がかかる。
・以前、羽織の紐を忘れたことがある。
・そろそろ新しい噺の稽古しないと・・と、追いこまれている・
          ・・・・ということが潜在意識にあったのでしょう。
夢にまで出て来るとは・・。

朝の落語番組

日曜日の朝の文化放送・・。
今朝は、意識が混濁したままで聴きましたので、何がなんだか覚えていません。
志の輔さんの「落語でデート」では、上方落語で「道具屋」だった気がします。
誰の音源だったか・・・?
たい平さんの「天下たい平はやおき亭」は、・・何だっけ?
後で、調べておきます。

藤祭り

      藤祭り    藤祭り
亀戸天神社の藤祭りに行ってみました。
藤棚越しに太鼓橋や社殿を望むのも趣があるものです。
藤の花の高貴な色と香りを満喫しました。

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