神田お玉ヶ池
都営新宿線岩本町周辺の神田には、上野の不忍池よりも大きな「桜が池」と呼ばれる池があったそうです。
池のほとりにある茶店には「お玉」という娘がいて、お玉が桜が池に身を投げたことから、「お玉ヶ池」とも呼ばれるようになりました。
お玉ヶ池は徐々に埋め立てられて姿を消してしまい、現在お玉ヶ池の跡には「お玉稲荷大明神」が祀られています。そのお玉ヶ池の西側、現在の昭和通りを挟んだところに神田紺屋町があり、その名の通り染物業者が多く住んでいました。
今となっては想像もつきませんが、当時は藍染川と呼ばれる川が流れ、晒しに使われていたそうです。
歌川広重の「名所江戸百景神田紺屋町」が当時をイメージさせます。
・・・「佃祭」の主人公の小間物屋の次郎兵衛さんは、岩本町あたりに住んでいたんですね・・・。
新宿(角筈)十二社の池、赤坂外堀の溜池、そしてお玉ヶ池・・・。
江戸には、今では知る由もない大きな池があったのですね。
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