« 「ざこ八」の高座本 | トップページ | 東京落語会のチケット »

2011年4月15日 (金)

学士会落語会会報「まくら」

学士会落語会のN委員から、会報「まくら」への寄稿の依頼を受けました。
さあ、どんなことを書こうかと思いましたが、こんなタイミングでもあることから、仙台の話題にしてみようと決めました。
このブログで一部触れたことはありましたが、仙台への思いを綴ることにしました。
1600字見当でというリクエストでしたから、思いつくままに書いてはみたのですが・・・。
会報が配信されましたので、内容を披露します。
なんだ、つまらねぇと言われたら、何も言えませんが。

学士会落語会「まくら」 ■「ねずみ」考?      
かけがえのないわが青春の地「仙台」が、「東日本大震災」で大きく揺れました。
自らも被災し近くの小学校に避難していた落語研究部の後輩の現役部員が、校長先生に依頼されて毛布を数枚畳んだ高座を作り、避難住民の前でご機嫌をお伺いして、やんやの喝采を浴びたそうです。
かわいい後輩たちも、頼もしく健気に頑張ってくれています。
改めて、大地震の被害に遭われた多くの皆様の、一日も早い復興をお祈り申し上げます。
数年前、五十路を目の前にして、約30年間疎遠だった落語に戻った時に、これも落研のご縁で、落語界の重鎮である「六代目三遊亭圓窓師匠」に師事することになりました。
「弟子入り」して満3年が経ちますが、気がつけば既に9席をあげていただいています。
昨年9月「学士会落語会創立5周年記念公演」で演らせていただいた「ねずみ」も、学生時代に我流で覚えていたものを、師匠に手直ししていただいたものでした。
第二の故郷仙台を舞台にする唯一の噺を演らせていただくにあたり、私は仙台のことを知る者だからこそ出来る、否、知る者でしか出来ない演出にこだわってみました。
恐らくお聴きくださったほとんどの方がお気づきではなかったことでしょう。
「ねずみ」は旅の噺として分類されることが多いのですが、私は、舞台を江戸から完全に仙台に移した人情噺だと捉え、仙台ならではの雰囲気を醸し出す演出を考えました。
そのためにまず、主人公左甚五郎が、伊達62万石のご城下、奥州街道屈指の宿場である仙台に至るまでを、青春時代の私の瞼に焼きついている景色と重ね合わせて表現する工夫をしてみました。
旧中田宿から名取川を渡り、長町を過ぎて広瀬川にかかる広瀬橋(旧永町橋)あたりで、卯之吉が客引きをしていたはずです。
そこから広瀬川に沿って上っていくと、左手前方に大年寺山から青葉山が望め、右手前方に仙台の街が広がっている。
そして旅籠がたくさん軒を連ねていたのが「国分町」。
現在の「芭蕉の辻」辺りが仙台一の旅籠「虎屋」だと想定し、私は噺を進めて行きました。
ここにある道標の北面には「津軽三厩迄 百七里二十二丁 奥道中」、南面には「江戸日本橋迄 九十三里 奥州街道」と刻まれているはずです。
                         学士会落語会「まくら」
さて、「ねずみ」は、三代目桂三木助師匠が浪曲から移入した噺として有名ですが、この三木助師匠の「ねずみ」には驚くべき演出が隠されています。
「ねずみ屋」に甚五郎作の物があると聞いた地元の人が、主の卯兵衛に尋ねる場面です。

『とっつぁんの所に甚五郎名人の彫った物があるだかね。んじゃ名人とは心安いだかね。』
『いやぁ、心安いなんて言われると”おしょしい”ですがね。』
というやり取り・・・。
東北から信越地方にかけて、「おしょしい」「おしょすい」という方言があります。
他の地方の方には全く意味が分からないと思いますが、これは「笑止い」から転じたもので、「恥かしい」とか「照れ臭い」という意味を表しているものです。
三木助師匠は、「心安いなんて照れ臭いけれどもね」を見事に方言で表現していたのです。
昭和の名人の一人と言われる師匠の演出へのこだわりの憎さ、物凄さに身体が震えました。
「これはいただき!」と、仙台が匂うこの台詞を入れて演ることにしているのです。
この場面は仙台で演ると大爆笑なのですが、東京では何事もなく静かに聞き流されます。
でも、ここは受けなくても、気付かれなくてもいいのです。これがいいのです。
・・・こんなこだわりを秘めて、あの日は本当に楽しい高座を勤めさせていただきました。
千年に一度と言われる災禍を経験した今、あの美しいみちのくの山河や温かいお国言葉を思い出しながら、これからも仙台の人情噺「ねずみ」を演り続けたいと思っています。

・・・とまあ、こういう訳なんです。

« 「ざこ八」の高座本 | トップページ | 東京落語会のチケット »

学士会落語会」カテゴリの記事