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2011年4月

2011年4月30日 (土)

卯月の落語徘徊

今月の寄席・落語会は、ホール落語3回のみでした。Rimg0025
  ◆  9日      大手町落語会
  ◆ 15日      東京落語会
  ◆ 16日      朝日名人会
・・・やはり地震の後遺症なのでしょうか・・・。
なかなか「その気」にならなかったのと、ちょっと仕事が忙しくて。

落語の稽古も、発表会の狭間で、ちょっと一休みの感。
地震の2日後だったため延期になった「扇子っ子」の発表会が、5月15日に決まり、「花色木綿」の稽古を、師匠につけていただいた程度。
そうそう、来月28日の「お江戸OB落語会」で演る予定の「佃祭」のネタ本をやっと完成させました。
師匠のブログの中で、私へのコメントにあった「プロ流の口調」という言葉を、自分なりに受け止め、考えています。

このプログは、アクセス累計12万件を超えることが出来ました。
学士会落語会の会報「まくら」に「ねずみ考」を寄稿させていただきました。

来月は、発表会が2度ありますから、また悶々とした日々が続くことでしょう。

桂春團治師匠

上方の桂春團治師匠、腸閉塞(へいそく)で大阪市内の病院に入院したそうです。
入院は1、2週間の予定で、29、30日に大阪府池田市で開かれる「第12回いけだ春団治まつり」などを休演するとのこと。
高齢ですから、気をつけていただきたいものです。

大きな袋を肩に掛け・・・

大きな袋を肩に掛け
ひさしぶりに、昔から親しんでいる某銀行の前の大黒様の像の前を通りました。
七福神の一人に大黒(天)という神様がいます。
七福神とは恵比寿、大黒、毘沙門、弁財、布袋、福禄寿、寿老人。
大黒・毘沙門・弁財がインドの神、布袋・福禄寿・寿老人が中国の神、恵比寿が日本の神という構成。
このあたりがよく分からない・・・。
それでも、特に恵比寿と大黒は福の神の代表として民間の信仰が厚いようです。
「恵比寿・大黒」と、この二尊を並べて彫った人形が家庭に置いてあったりします。
大黒様(大黒天)は仏教においては、インド起源、つまりヒンドゥー教起源の神であり、帝釈天・多門天などと同様に仏教の天部に所属する仏とされているそうです。
そしてこの大黒天(マハーカーラ)とはその名の示す通り暗黒の中に住み、死を司る恐怖の神でした・・・

えっ?ではなぜこの恐怖の神が福の神になってしまったのか・・。
孔雀王経や仁王経という古い書物?によれば、この神は不老不死の秘薬を持っており、自分の血肉を与えると、それに応じてその秘薬を分け与えてくれるという。
しかしその神に対峙した時に、恐れたりあるいはだまそうとしたりすれば、たちどころにその者の生命を奪ってしまうという、本当に恐怖の神なんだそうです。
仏教の伝搬の途中で色々と性格が変わって行き、一つの系統では大黒天はいつの間にか戦闘神になってしまいます。
また別の系統ではなぜか食厨の神になっています。
この二つの系統の大黒が中国で合流し、そして日本に渡って来たわけですが、大変に面白いのが、日本に渡って来た時に、日本での大黒信仰に重大な影響を与える「混線」が発生したそうなのです。
それは、もともと日本に古くからいる「だいこくさま」大国主命(おおくにぬしのみこと)との混線。

要するに、「大黒」がどんなに大きな仏格であったとしても、「大国主命」との混乱がなければ、今のように厚く信仰される仏とはなっていなかったでしょう。
そうか・・・、「大黒」と「大国」という単に音が等しい神の混戦か・・・。
ということは、「大きな袋を・・・」の歌、因幡の白兔は「大国様」だったんだ。
現在の大黒様の像は左肩に袋を負い、右手に打手の小槌を持ち、米俵の上に座って頭巾をかぶっています。
この頭巾がいわゆる大黒頭巾というものです。
打手の小槌は古い時代の像では宝棒になっています。
現在でもこの小槌には如意宝珠の模様が描かれており、仏教への関わりをとどめているというわけ。

結局、よく分かりませんが、大黒様は福の神なんですね。
五穀豊穣・子孫繁栄・・・・。

三之助をみたかい?

三之助をみたかい
昨年の真打昇進以来、ちょいとご無沙汰をしている三之助さん。
恒例の独演会「三之助をみたかい?」の案内が届きました。
およそ落語会のものとは思えない。
三之助さんの感性が出た案内葉書です。
もう16回目になるんですね。
初回から5回目あたりまでは、毎回のように通っていたものです。
5月18日(水)7時30分・日暮里サニーホール・コンサートサロン

2011年4月29日 (金)

普通の暮らし

200908161328000

地震やら何やらで、休日でも何とか内向きだったようで、ガソリンが入手しづらくなったこともあって、暫く愛車に乗る機会が減っていました。200908161329000
ゴールデンウィークで、どこに行くという予定もありませんが、愛車を引っ張り出して、洗車をして、垢を落としてやりました。
被災地の皆さんは、そうは行かないでしょうが、地震前の普通の生活に戻りつつあるようです。
高速道路も大渋滞のようで、今まで溜まっていたストレスを発散したいものです。
しかし、物見遊山の被災地訪問の輩も多いようで、これはいただけない。
愛車に「佃祭」のCDを持ち込み、涙を流しながらのプチドライブ・・。

総選挙

学生時代に、テレビ局でのアルバイトを通じて出会った社会的な出来事シリーズです。
1976(昭和51)年12月9日に行われた「第34回総選挙」です。
戦後唯一、衆議院議員の任期4年満了に伴う総選挙で、「ロッキード選挙」という呼び方が広く使われました。
時の総理大臣は、三木武雄。
宮城1区には、与野党の大物がいましたが、元日本社会党の委員長で「佐々木更三」という、長老議員がいました。
東北訛り(ズーズー弁)で話すキャラクターは、選挙権のない当時の私もよく知っていました。
投票が終了すると開票作業に移るのですが、テレビ局では、主な候補者の選挙事務所にカメラを設置して、当選した時の万歳やインタビューに備えます。
当時は、カメラの台数も限られていますから、大物か注目されている候補者の事務所に限られるわけです。
私は、この佐々木事務所に詰めることになりました。
投票時間終了前から、支援者などが集まり始めていますが、全体的には楽勝ムードです。
当選すれば12回目。社会党の委員長は辞したとはいえ、まだまだ存在感の大きな「先生」です。
開票が始まり、開票が進んでも、なかなか当選確実が出ません。
今のような出口調査などはありませんから・・・。
・・・予想に反して、落選が確定的になったのは、夜もかなり遅くなってからでした。
万歳三唱を撮る予定が、敗北のコメント映像を送ることになりました。
落選が確定した後の会見コメントはよく覚えていませんが、淡々と話す姿は、19歳の少年には、とても潔く見えた気がします。
時代というのは、こうして流れて行くのか・・・、実感した瞬間でした。
【佐々木更三】明治34(1901)年7月10日生まれ。
労働農民運動に加わり、昭和13年の人民戦線事件などで3回入獄戦後、社会党入党。22年より衆議院議員(当選11回)。
党内
左派リーダーとして活躍
総務局長・副委員長をへて、40年委員長となる。
昭和60年12月24日
死去。84歳。

住吉大社

Photo_3

神功皇后三韓征伐の際、住吉三柱の御守護により無事達成され、その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)で、住吉三柱を遥拝されました。
これが「大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)」の起こりだそうです。
その後、天正年間から、大阪田蓑島の人々と徳川家康が深い関わりを持つようになり、家康の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から「佃」へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることになりました。
その後、家康が関東下降の際、佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載して江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島。
故郷の名をとり「佃島」とし、この地に社地を定め、正保3(1646)年6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが「佃住吉神社」の起源です。Photo_4
「住吉神社の例祭」は毎年8月6日、7日に行なわれます。
3年に一度の本祭りでは、期間も4日間として、獅子頭の宮出しや神輿の宮出し、神輿を船に載せて氏子地域を廻る「船渡御」が行なわれます。
神輿は「八角神輿」と呼ばれるとおり、八角形の神輿です。
八角の神輿は関東では珍しく、天皇陛下の御座を擬したと言われています。
昭和37年までは海中渡御が行なわれていたそうです。

・・・・神田お玉ヶ池の小間物屋次郎兵衛さんが楽しんだという佃の祭り、住吉様の大祭のイメージも、いくらか湧いて来ました。

笹かまぼこ

学生時代には、「牛たん」などは全く知りませんでした。
海に近い土地柄ですから、魚介系が名物、お土産品でした。
松島の牡蠣なんて。
中でも名産は「笹かまぼこ」ですね。Photo_4
三陸沖に一大漁場を持つ仙台は、古くから鯛やひらめや鮭が豊富にとれました。
明治の初め、ひらめの大漁が続き、その利用と保存のため、すり身にして手の平でたたき、笹の葉の形に焼いたのが、笹かまぼこのルーツといわれています。
以来、仙台周辺には、自家製かまぼこを売る魚屋があちこちで見られました。
朝早く仕入れた白身の魚を三枚におろし、包丁でたたいて塩や酒、卵白などで味付けし、炭火でこんがり焼いた笹かまぼこ。
夕方ともなれば、焼きたてのいい匂いが街に漂っていたそうです。
名称の由来は、その形状が笹の葉に似ているところからきたもの。
竹や笹は生々発展のイメージを持ち、瑞々しくゆかしいものとして、昔から愛されてきました。
笹かまぼこが大好きで、お中元やお歳暮に、ずっと笹かまぼこを贈っていました。
いつも決まって「Aの笹かま」でした。
というのも、落研の発表会のプログラムに、頻繁に広告を載せてくれていましたから。
ずっと恩に感じていたんです。

2011年4月28日 (木)

咲く花の色

咲く花の色
朝の通勤途中に、藤の花が咲いているのを見つけました。
花の色も、桜の淡いピンクから、藤の紫色系に変わり、季節の移ろいを感じます。
5月になると、菖蒲・躑躅・牡丹など、鮮やかな色の花々が咲き誇ることでしょう。

神田お玉ヶ池

Photo_2都営新宿線岩本町周辺の神田には、上野の不忍池よりも大きな「桜が池」と呼ばれる池があったそうです。
池のほとりにある茶店には「お玉」という娘がいて、お玉が桜が池に身を投げたことから、「お玉ヶ池」とも呼ばれるようになりました。
お玉ヶ池は徐々に埋め立てられて姿を消してしまい、現在お玉ヶ池の跡には「お玉稲荷大明神」が祀られています。
Photoそのお玉ヶ池の西側、現在の昭和通りを挟んだところに神田紺屋町があり、その名の通り染物業者が多く住んでいました。
今となっては想像もつきませんが、当時は藍染川と呼ばれる川が流れ、晒しに使われていたそうです。
歌川広重の「名所江戸百景神田紺屋町」が当時をイメージさせます。

・・・「佃祭」の主人公の小間物屋の次郎兵衛さんは、岩本町あたりに住んでいたんですね・・・。

新宿(角筈)十二社の池、赤坂外堀の溜池、そしてお玉ヶ池・・・。
江戸には、今では知る由もない大きな池があったのですね。

情は人の為ならず

「情(なさけ)は人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」ということです。
この言葉は日本固有のものではなく、英語にも「A kindness is never lost.」(親切は決して無駄にならない)とほとんど同義と言えるのでしょうか。
聖書の黄金律「して欲しい事を他人に為せ」などとも通じる・・?

1960年代の後半から、若者を中心にこの言葉を「情をかけることは、結局はその人のためにならない(のですべきではない)」という意味だと思っている人が増えて来たようです。
2001年の文化庁の世論調査では、誤用している人が48.2%で、正しく理解している人の47.2%を上回ってしまったという・・・sweat01

「佃祭」で、どこまで表現できますことやら。

甍の波・・

甍の波・・
霞が関の文部科学省庁舎の正面に、「こいのぼり」が揚げられています。
もうすぐ5月、端午の節句です。
甍の波か雲の波 重なる波の中空に・・高く泳ぐや鯉のぼり
暗いニュースばかりですが、この鯉のように明るく元気でいたいものです。

  江戸っ子は  五月の鯉の  吹き流し
             口先ばかりで  はらわたはなし

萩の月

仙台のお土産はと問われたら、多くの人が「萩の月」と答えるかもしれません。
学生時代にはなかったと思います。Photo
「仙台駄菓子」とか「ゆべし」とか「最中」あたりが、お菓子のお土産の定番でした。
「萩の月」は、1979(昭和54)年9月から発売された、カスタードクリームをカステラ生地で包んだ饅頭型のお菓子。
正式名称は、仙台銘菓「萩の月」
仙台市の南にある大河原町に本社・工場がある「S」というお菓子屋さんの商品です。
仙台平野は、古くから宮城野と呼ばれる歌枕。
宮城野は萩の名所として知られ、中秋の名月の頃に咲き誇る。
これらから、月を連想させる黄色い丸形の商品を、萩が咲き乱れる宮城野の空に浮かぶ満月に見立てて命名したとのことです。
・・風流ですねぇぇ。(落語「茶の湯」ではありませんが。)
個人的にも、「萩」と「月」は好きですから、「萩の月」なんて。

明治初期に誕生したという「笹かまぼこ」や、昭和20年代に誕生したという「仙台牛タン」と並んで、歴史は短いながら仙台土産の定番になっています。
業界紙がアンケートを基に選んだ「20世紀を代表する土産品」では、北海道の「白い恋人」、福岡県の「辛子明太子」に次いで、全国3位になったそうです。
私が初めて食べたのは、確か1980年の春でしたよ。
桜で有名な船岡という所にお花見に行った時に、地元の人に勧められて。
とてもおいしくて、一度に3個ぐらい頬張りました。
・・・それからですよ。大ヒットしましたねぇ。

2011年4月27日 (水)

師匠のコメント

昨日は、千早亭(扇子っ子連)の稽古日でしたが、仕事の都合で行くことができませんでした。
5月15日の発表会に向けて、残りあと2回の稽古です。
師匠のブログに、こんなコメントがありました。
 あたしは稽古人に「しっかりと覚えよう」と教えている。
 それは「ちゃんと丸暗記しろ」という意味ではない。
 「情景、感情をしっかりと掴んで言葉を発せよ」ということ。
 こういう稽古が出来ると、ありがたいのだが、、。
落語っ子連の稽古会でも、常々仰っていることです。
「活字で覚えちゃいけないよ。生きた言葉で覚えるんだよ。」
先日の稽古で、「元犬」の感情設定、「明烏」のポジショニングが話題になり、詳細にご指導くださいましたが、本当に一貫しています。
私の悪い癖の、台詞の途中で突然「素」が出るというのも、こういう観点で、厳しく仰っているのだと思います。
落語っ子連の発表会の時にいただいた難しい宿題。
「甲府ぃ」の主人公善吉の心や行動の変化をどう描くか・・・。
これも、そうなんでしょう。
勉強になります。

帰りの電車内

bus帰宅途中の電車の中、前の座席に座っている人が抱えている紙の手提げ袋は、「萩の月」。moon1
bullettrain仙台の人気のお土産です。budImage
・・あぁ、この人は、仙台から(戻って)来たんだ。
「仙台はどうでしたか?」
「みんな元気でいましたか?」
・・思わず聞いてみたくなりました。ear
sign04かけがえのない青春の地が揺れてから1ヶ月半。
1ヶ月後の「お江戸OB落語会」で、トリを取らせていただきます。Photo_3
何かを届けられるよう、魂を入れて演じられたらと、少しおセンチになりました。weep
頑張れニッボンsign01
がんばれ仙台sign03

佃島

落語「佃祭」の舞台になっている佃(島)。
中央区の南東部、隅田川左岸にあり、かつては、隅田川が晴海運河とよぶ支流と分かれる河口の三角州からなる「島」でしたが、その後の埋立てで、北の石川島、南の月島と地続きになったようです。Photo_5
現在は佃1丁目が正式名で、石川島は現在の佃2丁目にあたるそうです。
かつては名もない小島だったのですが、江戸時代の初期に、徳川家康との縁故により、摂津国(大阪府)佃村の名主孫右衛門が漁夫30余名を連れて移住し、郷里の名を島名としたのが「佃」の名前の由来。
将軍家献上のシラウオや諸侯に納めた魚類の残りの雑魚を味つけして煮つめたのが「佃煮」で、江戸の名物となっています。
1646(正保3)年、大坂の「住吉大社」の分霊を祀る住吉神社が建立され、この祭の「佃囃子」は「江戸三大囃子」の一つとされているそうです。
今はもう・・・、高層マンションが建ち、ウォーターフロントの高級住宅地になっています。

懲りずにある評論

また、週刊ポストの広瀬和生さんの文。
今回は、三遊亭兼好さん。
私は、五代目圓楽党で、一番上手い噺家さんだと思います。
いやいや、圓楽党から外に出ても、かなり評価が高いと思います。
がつん、というインパクトはありませんが、いかにもという雰囲気と、軽妙な噺っぷりがいいですね。
落語会にたくさん通い続けていると「この噺家、最近急に面白くなったな」と驚かされることがある。リアルタイムで現在進行形の落語を追いかける醍醐味の一つだ。
最近それを感じたのは三遊亭兼好。「圓楽党の希望の星」である。
1998年に三遊亭好楽に入門し、2008年真打昇進。入門は28歳と遅く、すでに41歳の兼好だが、落語界でこのキャリアはまだまだ若手である。
兼好の持ち味は、明るく楽しく元気いっぱいに客をもてなす、その「サービス精神」にある。
彼は、入門する直前まで落語をよく知らなかったという。
つまり「落語年齢」が若く、マニア特有の屈折が無い。
誰でも気軽に楽しめる「現代の笑い」としての古典落語を生き生きと提供する兼好には、一切の迷いが無いように見える。
その衒いの無さが、実に清々しい。
落語に対する新鮮さを常に保ち、「面白いでしょ!?」と嬉しそうに観客に訴えかける兼好の落語は、メリハリの効いたわかりやすさが特徴。
人物のキャラを明確に演じ分けるパワフルな演技は、クサさを感じさせかねないほどインパクトが強い。
だが、仕草や目線などの基本をおろそかにしない「圓生一門らしい技術」を持つ兼好は、いくら大げさに演じても、決して下品にならない。
 ※週刊ポスト2011年4月29日号
まぁ、そういうことですか。そんなに理屈っぽい表現をしなくても、巧みで面白い噺家さんですよ。
私も好きな噺家さんです。

2011年4月26日 (火)

定期券

定期券
先日、電車の改札口を通過した時に、何気なく改札機の前方のディスプレイを見ると、「4月30日」という表示が目に入りました。
「あれっ?いつもはSUICAのチャージ残額が表示されるのに・・?」
・・・通勤定期券の期限が4月30日だったのです。
早速、定期券の継続をしなくてはと、駅の自動販売機へ。
それにしても便利になりました。
継続なら、ほんの1分もかからないうちに手続完了です。
年齢もそのままでなく更新されるのが、やや可愛くないですが。
10月31日まで、またお世話になります。

東京かわら版

東京かわら版
待ってました!小円歌姉さん!
寄席の彩り、気風のいい江戸っ子の小円歌さん。
すらりとした長身の着物姿は、本当に寄席の清涼剤でもあります。
(・・・実は、だいたい見当はついていたのですが、本当の歳がわかりました・・。ここだけの話。)
最近、寄席・落語会に行く頻度が少なくなり、やや危機感を感じています。
どうも、平日の夜の時間が、仕事の関係で読みきれなくなり、前売りのチケットが買いづらくなっているのです。
こんな時でも、世の中の流れに取り残されないような情報を得るのに、最高だと思います。
あっ、「お江戸OB落語会」の広告掲載を申し込むのを忘れたsign01

先輩からのメール

Logo_jp

落研の2年先輩の「四代目杜の家とん平」師匠からメールを頂戴しました。
来月の「お江戸OB落語会」に、ご来場いただけるとのこと。

確か、とん平師匠の結婚披露宴に出席させていただいた記憶があります。
同期の「山椒亭から志」、「風流亭喜樂」、「釣り亭金魚」の各先輩に混じって、末席に座らせていただきました。
あれからほとんどお会いしていませんでした。
今度のOB落語会で、久しぶりにお会いすることができそうです。

わが落研における「杜の家とん(頓)平」は、襲名代数も多く、ご当地仙台の代名詞のような高座名です。
今まで・・、六代目ぐらいまでいるのかもしれません。

雫石航空事故

movie宮城県沖地震とともに、学生時代にテレビ局のアルバイトで出会った社会的な出来事の思い出・・。
airplane1971年7月30日に発生した航空機魔同士の空中衝突事故。2_2
全日空の旅客機と航空自衛隊戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。
自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。
一般には全面的に自衛隊側に事故責任があるとされており、刑事裁判および民事裁判では、自衛隊機側の責任がより重かったと判断された。
乗客の中に、静岡県富士市の「吉原遺族会」北海道旅行団一行が多く搭乗していた。
第二審の仙台高等裁判所(1978年5月9日)は、教官の控訴に対しては「見張り義務違反」があったとして棄却したが、訓練生に対しては無罪を言い渡し、そのまま確定した。

・・・そうか、あの日5月9日。Photo
karaoke私は、この仙台高裁の判決が出た時の、被害者側の記者会見場で、会見しているテーブルの下の床に伏せながら、必死にマイクを向けていました。
富士市の遺族会の方(=富士市民)が多数犠牲になった事故で、郷里に近い人々の惨事に、中学生だった私も、とても胸を痛めていた事故でした。
まさか、その事故の区切りの裁判に、間接的ではあるものの接近遭遇したことに、驚きを感じながら、一生懸命マイクを握っていました。

2011年4月25日 (月)

明烏

落語っ子連の窓口さんが「明烏」にチャレンジしています。
落語の中の落語のひとつでしょう。
人気のあるポピュラーな噺だけに、噺の大きさだけではない、様々な角度からのチェックや気配りが必要な噺だと思います。
私には、この噺を演ら(れ)ない理由があります。
まず、「廓噺」だということ。
私はなぜか、落語の中で、かなりのウエイトを占めている、この「廓噺」というジャンルを自らやってみようと思わないのです。
誤解や決めつけだとは思いますが、どうも吉原や遊女というものを、未だに素直に受け入れられない部分があるのです。
次に、この噺を演じることをイメージした時に、源兵衛と多助の立ち位置やキャラクターの区別が難しくて、なかなか固まらないこと。
噺を聴いていて、どうもこの二人が、きっちりとイメージできていないのです。

落語にも、芝居と同様に上下(かみしも)があります。
先日の稽古会で話題になったのは、その上下のこと。
落語の初心者の方は、この上下を知らない(分からない)人がほとんどです。
能狂言や歌舞伎も含めて、舞台や高座のルールを知らないということもあります。
私は、一応承知している(つもり)なので、演じる時の登場人物の位置を考えていますが、初心者の方々は、これが分からず不明瞭なので、苦労しているようです。
師匠も、「ポジショニング」という言葉で、その重要性を説いて(指導して)います。
「明烏」では、この札付きの二人の性格分けと、ポジショニングが極めて重要になる訳です。
この立体的なステージを常にイメージ出来ると、スケールの大きさ(3Dみたい)やダイナミックさを感じさせる噺になる訳ですね。

ネタ本完成

    ネタ本完成   ネタ本完成
「佃祭」のネタ本が完成しました。
あれもこれもと、色々入れたい台詞もありますが、あまり欲張ると、噺がバラバラになつてしまいますから、適当にと・・。
権太楼師匠の人情噺仕立てに、オチは雲助師匠のを拝借しました。
いずれも、「戸隠様」が出て来ない形でしたから、ほぼイメージどおりですが、マクラの部分が悩ましい・・・。
まあ、これから噺との整合性やバランスを考えて行くことにします。
さあ、やっとスタートラインに着きました。
これから、真面目に稽古をやらないと。

2011年4月24日 (日)

アクセス12万件

総アクセス件数が120,000件を突破いたしました。
・・・とりあえず、それだけです。
まことにありがとうございます。 m(_ _)m

落語はやおき亭

日曜日朝の落語3番組徘徊。
忙しいような、怠惰なような、まあ、もの好きの為の時間です。

今朝は、昔の音源でなく、司会のたい平さんがスタジオにゲストを迎えて対談。
最初に相応しく、ゲストは「桂歌丸」師匠です。
二人は誰でも知ってる「笑点」つながり。
歌丸師匠は、高座生活60周年だそうで。
噺家になった頃の思い出話。

ところで、歌丸師匠、先週の圓歌師匠のテレビ番組「圓歌の演芸図鑑」にも出演していました。
色々な意味で、今の落語界をあの細い身体で担っていらっしゃるという感じですね。
私にはあまり馴染みのない落語芸術協会の会長ですが、その域を超えた部分も大きいと思います。
落語芸術協会の噺家さんで、例えば独演会があったら、行きたいなと思うのは、桂歌丸・三遊亭小遊三・三笑亭夢丸・瀧川鯉昇・桂平治の各師匠ぐらいかなぁ。
笑点で、気障な小圓遊さんとのやり取りで人気でしたが、あの頃のイメージは、私にとってはあまり好ましいものではありませんでしたが、ある時から古典落語に力をいれるようになって、イメージががらりと変わりました。
今や三遊亭圓朝ものなどもライフワークのようになっています。
やや三遊亭圓生師匠のイメージが被るところがありますが、大変貴重な存在の師匠だと思います。  

ひぐらし寄席

pen「お時間がございましたら、是非おこし下さい。 馬石」と、いつものように丁寧に手書きで書いてある案内葉書。
「ひぐらし寄席」は、4月27日(水)日暮里サニーホールで。
・・・残念ながら、その時間がない、どうしても都合が悪くて。
馬石さん「淀五郎」です。moon1

落語でデート

講談の神田紅先生がゲストなのですが、講談協会の会長なんだそうです。
都の西北の大学出身で文学座を経て、講釈師になったとういうご経歴だそうで。

  ◇ くしゃみ講釈      三遊亭金馬

ゲストに合わせてか講釈物。
音源は、私が生まれた頃のものですが、音質も鮮明だし、師匠の噺に古さを感じさせないというのは、素晴らしいと思います。

元犬

稽古会の時の師匠との会話。
「元犬」という噺の奥深さ。dog
まず、上総屋の旦那は、元四郎がもとシロ(犬)だったことを知っているか否かということ。
そこのところを演者がはっきりして演らないと、気味の悪い噺になってしまう・・・。
神社の境内で素っ裸でいる見ず知らずの男を、口入屋の上総屋の旦那が家に連れて帰るか・・・。
シロ(元四郎)が事の成り行きを話し、旦那がシロが近所で可愛がられている犬で、白い犬は人間になると言っているのを知っているからこそ、「そうか。そんなこと(ご利益)もあるのか。」と思い、親心から連れて帰って来る。
事情も知らずに、気味が悪くて、見ず知らずの素っ裸の男に近づくはずがない。
落語のストーリーを組み立てている登場人物の心理や了見や背景などを、明確にして演らないといけない。wrench
それでないと、いくら一生懸命に演っても、気味悪がってお客さんはついて来られない。
・・・なるほど、ただくすぐりを言うだけでは、お客さんはついて来てはくれない。
くすぐりを並べるだけでは落語にならない。bud

圓歌の演芸図鑑

日曜日の朝起きは大変です。

  ◇ 夜の慣用句    柳家喬太郎

私の喬太郎さんを嫌いな部分がぷんぷんする、十八番の噺。
新作を演る時の喬太郎さんは、現代言葉にこだわっているからか、言葉(遣い)が雑な感じがするのと、現代語の台詞(特に女性)が嫌ですね。
ファンの方々は、これがまたたまらないということでしょうが。

対談で、女優の夏樹陽子さんが出演していましたが、確か「東京かわら版」の"巻頭エセー"に出ていました。
師匠とは、通っている歯医者が同じだという・・、はっ?と思うような関係・・だそうで。

NHKの番組案内から。
語協会最高顧問・三遊亭圓歌が演芸界のよりすぐりの至芸をナビゲートする。
今回は柳家喬太郎の落語「夜の慣用句」と三増紋之助の独楽。
女優夏樹陽子との対談も。

「佃祭」のネタ本作り

「佃祭」のネタ本作り
今さらながら、というか追いこまれてというか、「佃祭」のネタ本作りを始めました。
このCDの音源を参考にさせていただきながら、あと1ヶ月です。
パソコンに入力しながらも、ある部分に来ると、思わず涙が出て来たりして。
間に合うかどうか分かりませんが。
なぜ、こんなに苦しむんだろう、なんて思うこともありますが、作り上げていく苦しみ(というよりサボっているプレッシャーがほとんど)に、苦しみを経て完成させるプロセスと高座の快感と比べると・・、やはりやめられないのでしょう。

2011年4月23日 (土)

コラボTシャツ

さほどのミーハーではありませんが、 コラボTシャツ
上野駅の「ECUTE」に出店している「U」で、ご当地の「鈴本演芸場」とのコラボレーションTシャツを買ってしまいました。
安くしていたんですよ。かなり。
コラボTシャツ値札に「鈴本演芸場特別値引き券」が付いていましたが・・・・。
早速今夜から来てみましょう。

真打競演

土曜日の夜の楽しみな番組。

  ◇ 居候講釈     古今亭菊志ん
  ◇ 子は鎹       金原亭伯楽

放送の途中で入った地震速報(情報)で中断。
震源は福島県の浜通り。震度3程度・・・の余震。

菊志んさんの「居候講釈」って、「調合」とか「五目講釈」とか言われていて、菊志んさん得意の噺ですよ。
ラジオで聴くと、実物で聴くよりも、落ち着いた感じがしました。
もう、アラフォーなんですね。
伯楽師匠の「子は鎹」は、「子別れ(下)」と言う方がポピュラーです。
人情噺を、持ち前の明るい声で。
「小児は白き糸の如し」「子は鎹」・・・、子どもは宝ですね。

上を向いて

note上を向ぅいて 歩こうぉぉ ・・notes
震災の被災地への応援歌として、頻繁に流れているのが「上を向いて歩こう」という、往年の大ヒット曲。
「見上げてごらん夜の星を」も、世代を超えて愛唱されています。
この歌を作詞した永六輔さんによれば、この歌の主人公は、今にも泣き出しそうな表情をした少年なんだとか。
被災地の子どもや若者たちは、健気にも、みんな笑顔で頑張っているが、本当は泣きたい気持ちで一杯なはず。
そんな若者たちを励ますには、とてもよい歌かもしれません。
notes見ぃ上げてごらん 夜の星を〜karaoke
がんばれ!ニッポンsign01

スーちゃん逝く

私は、さほどのミーハーではないと思っていますが、キャンディーズやピンクレディなどというアイドルグループは同年輩でもあり、デビュー当時からリアルタイムで知っていますので、「スーちゃん逝く」のニュースは、とてもショックでした。
同学年だったと思います。
デビュー当時は、キャンディーズのセンター(真ん中)で歌っていて、途中から右側に変わった途端に大ヒット曲が生まれました。
普通の女の子に戻るためのラストコンサートは後楽園でしたね。
昭和53年4月。
まだドームではなかったんですね。

2011年4月22日 (金)

学士会落語会例会案内

5月の学士会落語会の例会の連絡が届きました。
前回の3月例会「落語散歩」は、震災のために中止になってしまいましたから、4ヶ月ぶりということになります。
今回は、神田外語大学名誉教授の池田弘一先生の講演と桂南なんさんの落語の組み合わせ。
池田先生は、正岡容、安藤鶴夫亡きあと、戦前の落語界を最もよく知るおひとりであり、古典芸能全般にわたってご造詣の深い方だそうです。
桂南なんさんは、非常にユニークな雰囲気の噺家さんで、「箒屋娘」という噺は、とても珍しい噺です。
○ 日 時  平成23年5月21日(土) 14:00~16:30
○ 次  第   
   落 語  桂南なん 「転宅」
   講 演  神田外語大学名誉教授 池田弘一先生
        「思い出の寄席通い-噺家と音曲-」
   落 語  桂南なん 「箒屋娘」

「昭和の名人完結編」(6)

六代目三遊亭圓生。
物凄い僭越を承知で言えば、もし自分が落語を究めようとしたら、その先にいるのが恐らく六代目だと思います。
私にとっては、「昭和の名人」とは「六代目三遊亭圓生」の代名詞だと思います。
ただ、名人の定義、昭和の名人の範囲は、それぞれ人によって違うと思います。
  ◇ 文七元結     三遊亭圓生
  ◇ 花筏        三遊亭圓生Ensyo_hi_1
祖父と同い年の1900年生まれだということも、親しみを感じるところ。
そして、落研20周年記念「圓生独演会」での前座「子ほめ」の思い出。
さらに、現在師事する圓窓師匠の師匠でもあり。
六代目を、厳しいとか、ケチだったとか、あまり良く言わない人もいらっしゃるようですが、落語界に残された大きな功績は、誰も否定できないでしょう。
・・考えてみると、それだけ好きな師匠ですが、一度も圓生師匠の音源で落語を演ったことがないことに気がつきました。
「鰍沢」か・・・、いつか演らせてもらおう・・・。
あ、配本とは全く関係のない話題になってしまいました。

2011年4月21日 (木)

師匠のコメント

師匠のコメント
師匠のプログに、先日の稽古会の話題がアップされていて、私のコメントもしてくださっていました。
■流三[花色木綿]、させ稽古。
扇子っ子連のメンバーでもある流三、その発表会の出し物の稽古。
クスグリを言うとき、突然、棒読みの調子になる癖がだいぶ少なくなったが、ときどき、出てくるのが、残念。
でも、プロ流の口調は安定感がある。

・・・・そうなんです。
師匠に以前からご指摘いただいている点。
要するに、片時も登場人物から脱け出すな。徹頭徹尾登場人物になりきり、緊張感を緩めるな。・・・ということです。
それにしても、「
プロ流の口調は安定感がある。」というのは・・・、とても嬉しいコメントで、身に余る光栄ですが、同時に重い言葉だと思います。
緊張しますねぇ・・。

シネマ落語「昭和の名人」

昨年、東劇で公開された、シネマ落語「落語研究会 昭和の名人」、来場者数が右肩上がりで伸びる驚異の動員を記録したことを受けて、シネマ落語「落語研究会 昭和の名人 弐」の上映が決定したそうです。
前回と同じ東劇で、5月21日から6月10日まで限定公開されるとのこと。

今回の「落語研究会 昭和の名人 弐」に収録されたのは、三代目古今亭志ん朝「船徳」、十代目金原亭馬生「臆病源兵衛」、六代目三遊亭圓生「引越しの夢」、八代目林家正蔵「中村仲蔵」。
三代目古今亭志ん朝と六代目三遊亭圓生が映像向きの大きなしぐさとアクションで笑いを誘い、十代目金原亭馬生は少し不気味な噺(はなし)を披露する。
そして、昭和落語界の重鎮・八代目林家正蔵は、正蔵といえばこの一席の「中村仲蔵」。

前回も観に行きましたから、今回も要チェックです。

日本橋薫風かつを会

日本橋室町の某高級ホテルで、初ガツオをテーマに落語と食事を楽しむイベント「日本橋薫風かつを会」が開催されるそうです。
今回は「初ガツオ」をテーマとした落語と食事を通じて、江戸の初夏の風情を感じ、1920年ごろまで日本橋に存在していた魚河岸の歴史と文化に触れようという訳。
林家正雀師匠が、日本橋を舞台とした初ガツオにまつわる人情噺(ばなし)「髪結新三」を披露し、同ホテル内のレストラン「ケシキ」で、実際に初ガツオが楽しめる松花堂弁当風ディナーをというご趣向。
落語会のウエルカムドリンクには、日本橋の老舗「鰹節だしドリンク」を用意するという・・・。
〆て料金は8,800円也sign01
目には青葉 山ほととぎす 初鰹
初物にこだわる江戸っ子に珍重され、日本橋の魚河岸で取引された初ガツオは、1本3両という高値が付いたともいわれているそうですから。
まぁ、江戸時代ならともかく、行きたい人は行けばよいでしょう。

2011年4月20日 (水)

朝日名人会のチケット

朝日名人会のチケット
来月のチケットが送られて来ました。
来月は、上方の桂文珍師匠がトリです。

またまたある評論

またまた評論家の広瀬和生さんの噺家評論です。 
今回は、真打10年目の橘家文左衛門さん。
稀に見る豪快キャラでありながら、非常に繊細で緻密な表現力を備えている。それが、文左衛門の魅力だ。登場人物の心理を鮮やかに浮き彫りにする卓越した表現力こそ彼の落語の本質である。
「高座に出るものは氷山の一角である」と文左衛門はいう。表面には出てこない「噺の背景」を自分の頭で考え、腹に入れる。それがあって初めて、他人の真似ではない「自分の噺」が出来るのだ、と。
他に演り手の多い『千早ふる』『ちりとてちん』『粗忽の釘』『青菜』等を文左衛門が演ると格別の可笑しさが生じるのは、「水面下にあるもの」の大きさゆえだろう。
ダイナミックな演出とリアルな台詞回しの才能が存分に活かされる『文七元結』『芝浜』『らくだ』『子別れ』といった大ネタ、繊細な演技を駆使する『笠碁』『試し酒』等「難易度が高い噺」も素晴らしいが、『のめる』や『寄合酒』といった、寄席でよく演る軽い滑稽噺がまた、実にいい。
細部にこだわった丁寧な演じ方と独特のギャグセンスで、文左衛門はありふれた噺を「何度聴いても笑える噺」に変貌させる。
細心かつ大胆、繊細かつ豪快。爆笑落語で寄席を盛り上げ、大ネタで感動させ、ときには前座噺でトリも取る。「コワモテの豪快キャラ」橘家文左衛門は、追っかける価値のある素敵な「寄席芸人」だ。
※週刊ポスト2011年4月22日号
この噺家さんは、好き嫌いが分かれると思います。
私などは、見た目で判断する傾向にありますから、正直なところ、やや入りづらい噺家さんでした。
ただ、噺聴いてみると、外見とは違う、意外に優しい雰囲気も随所に出ては来ます。
キャラクターと言えばそれまでですが、損をしている(いた)と思います。
とはいえ、ここまで来ると、この「型」が認知され、味になっていると思います。
「千早振る」も「文七元結」も長いです。

これでいいのだ?

これでいいのだ?
最近は昔ながらの喫茶店が少なくなりました。
とある街角で見つけた昔ながらの喫茶店。
「おいしいコーヒー入れています」なんて、入口に書いてある。
ところが、その入口の右側にある窓と壁のところに、なんと大きな自動販売機が2台、どんと据え付けられていました。
おいおい、まさか「おいしいコーヒー」って、まさかこの自販機の中の缶コーヒーじゃないでしょうねぇ?
「おいしいコーヒーを入れる」という喫茶店の軒先に鎮座する、2台の大きな缶コーヒーの自動販売機・・。
これでいいのだ・・。がんばれ!ニッポン!

2011年4月19日 (火)

チャリティ支援寄席

Photo

15日(土)の午前10時・鈴本演芸場で開催された「第2回落語協会復興支援寄席」。
入場料と街頭募金は244,073円だったそうです。
これまでの義援金の合計額は984,578円。

OB落語会の準備

201005221310443

「第2回お江戸OB落語会」まで、あと1ヶ月半。
出演予定のOBも、実家が被災していたり、親戚や友人が被害に遭っていて、会長の蕪生師匠は、一時は開催中止も考えたそうです。
が、能天気な私は、「当然やるべきもの」と、自分の稽古不足は棚に上げて、そろそろ準備をと思っています。
会場の「浅草ことぶ季亭」は、ほとんどの大道具・小道具が揃っていますので、身一つで落語会が出来るほどですが、さはさりとて・・。
一番の懸案事項は、「めくり」です。
四分椿師匠の知人のHさんに、今回もご無理をお願いすることにしていますが、前回は少しサイズが短かったので、今回はやや長めにお願いをしました。
めくりがないのは、コーヒーに何とかを入れないようなもの(古ッ!)

大津絵

冬の夜に風が吹くー
しらせの半鐘がじゃんと鳴れア
これさ女房 わらじ出せ 刺っ子 襦袢 火事頭巾
四十八組追々と お掛り衆の下知を受けー
出て行きゃ女房は そのあとでエ
うがい 手水(ちょうず)にその身を清めー
今宵うちのひとになア 怪我の無いようにイ
南無妙法蓮華経なア
もしも生まれるこの子が男の子なら
お前さんのような 鳶にはさせやしないつみだものオ・・・
この間の落語っ子連の稽古会で、まど絵さんが「火事息子」に挑戦したいという話から、江戸の火事の話題になりました。
纒は何であんなに重いんだろう。
いろは四十八組のこと。
さらに、古今亭志ん生師匠の「大津絵」に及びました。
学生時代は、じいさんが唸っている訳の分からないもの(失礼)としか思えませんでしたが、この歳になると、グッと来ますね。

2011年4月18日 (月)

ARIGATO

Arigato

東日本大震災で水没した仙台空港の復旧を支援した米空軍第353特殊部隊の司令が、沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、被災者が海岸にマツの木で「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表してくれたと明らかにした。
司令が上空から見た文字は、長さ6~9メートルほどの木を並べたものだったという。
同部隊は自衛隊と共に滑走路のがれき撤去や臨時の航空管制などにあたり、輸送機で水や食料も運搬した。
司令は支援を振り返って、「驚いたのは、自分たちも被災しながら日夜復旧に努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に言いたい」と話した。

支援のために東北地方に派遣された某国兵士が、地元の商店で食糧を調達しようとした際、「助けてくださっている方々からは、お代はもらえません」と言って、お金を受け取らなかった商店主がいたとか・・・。
美化された部分もあるかもしれませんが、「ありがとう」って言えることって、本当に素晴らしいことだと思います。
この言葉だけで、どれだけ人の心が和むことか。

こんな噺家は、もう出ませんな

先日の「朝日名人会」の会場で販売されていた本。
Photoこの落語会をプロデュースしている京須偕充さんの「こんな噺家は、もう出ませんな~落語「百年の名人」論」。(講談社・1,600円)
落語を熟知し、多くの噺家さんとの接点も多い方ですし、特定の噺家さんにあまり偏りのないと思われ、落語の歴史にも触れられた、読み応えのありそうな内容です。
「名人」の条件とは?
圓朝が死んだ年に圓生が生まれ、その一〇一年後に志ん朝が死んだ。圓喬、文楽、志ん生らが生きた「名人の世紀」を、数々の名演の録音を手掛けた著者とともにたどる。
十年代なかば――二十一世紀に入って四、五年の頃から落語ブームといわれる現象が起きた。古今亭志ん朝の早過ぎた死への嘆きの中に発生した現象というのは皮肉の極みだが、そのブームの中でしきりに「昭和の名人」の看板が目につく。さまざまな出版刊行物にとって重宝な看板には違いないが、そこに書かれた名前が三か五ならともかく、十、二十を超えるとなると、それは志ん朝が言った「名人」とは別物だと思わざるを得ない。正真正銘の名人と看板だけの名人は違うということなのか。名人とは観光ブームの中の名所旧跡のようなものなのか。名人が簡単に量産されて「名人ブーム」になっては見分けがつかない。「名人」とは誰のことなのだ――。
――<本書より>
私は、どうも落語会の会場などで、書籍やCDを買うのは・・?なので、今回も会場では買わず、帰りに上野駅の本屋で買いました。

がんばろう!福島

    がんばろう!福島  がんばろう!福島
昨日、上野駅正面改札口の前で、「がんばろうsign03福島」の幟が立ち、福島の県産品を売っていました。
地震の被害に加えて、原発の風評被害に見舞われている被災地。
どうして米が売れ(買わ)ないのですか?
昨年の秋の収穫で、放射能なんて何も関係ないのに・・・。
上野駅のこの場所も、天気も良いせいか、かなり明るさを取り戻して来た気がします。
そんなに必至でがんばらなくていいから、我々は普段と同じような、自然体の生活を心がけるのがよいと思います。

定点観測?

                    門前仲町の桜
先週は、上のように、桜は満開でした。
そして今週は、同じ桜の木も、下のように葉桜になりつつあります。
定点観測?
たった1週間ですが、確実に季節は移ろい行きます。

2011年4月17日 (日)

「ん組」稽古会

定点観測?
何が贅沢と言って、今日の稽古会です。
10時半から11時頃まで、圓窓師匠と二人だけで、サシで稽古をしていただきました。
今日は「ん組」の稽古日。
メンバーの窓口さんとまど絵さんが、少し遅れて来ることになっていましたので、師匠を独占出来たという訳・・。
まだ、「救いの腕」のネタ本も出来ていませんでしたから、来月の「扇子っ子連」の発表会で演る「花色木綿」を見ていただきました。
「あぁいいよ。この間(扇子っ子連の稽古の時)なかなか良かったよ。」なんて言っていただき、早速マクラから・・。
マクラで何ヶ所かアドバイスをいただきました。
町内で一番足の速い男と浅草観音の仁王様の泥棒の小噺2つ。
本題に入っても、細かな部分でのご指摘もあり、勉強になります。
この噺は、いわゆる「出来心」と「花色木綿」の部分の2つのパーツに分かれますが、最近はなかなか「花色木綿」まで演らないようです。
もともと、師匠の最初の師匠である八代目の春風亭柳枝師匠の音源をベースに演っていますので、よく「柳枝はこうやっていた」とか「師匠はこう言ってた」なんて言われることもしばしばで、緊張しながらも、本当に楽しい時間です。
上げ板の下に隠れるところ、そこから出て来るところ、筆の持ち方等々、手直しをしていただきました。
11時頃に、窓口さんが来て、「明烏」。
窓口さんは、もうひと通り覚えてしまっていて、全く未着手の者は、とても焦ります。
この噺も難しい噺で、師匠と3人で、色々な話をしました。
志ん朝師匠、志ん生師匠や文楽師匠の話題も、大変面白かった。
  ◇ 花色木綿        三流亭流三
  ◇ 明烏           三流亭窓口
  ◇ 城木屋          三流亭まど音

門前仲町で

門前仲町で
門前仲町の深川不動と富岡八幡のそれぞれの参道の間に、亀戸の老舗Mという料亭の支店が出来たようで、お弁当を売っていました。
私は、ここの弁当が好きで、上野でも売っていて、ここの弁当を買って鈴本演芸場で落語を楽しむというのが、ささやかな贅沢です。
店先に「大根に かけ水分けて 福もらい」という句がありました。
いずれにしても、のどかな下町の風情です。

桜花散りぬる

   桜花散りぬる    桜花散りぬる
先週の稽古の時は満開だった桜も、花が散り、葉に変わりつつあります。
今日、落語っ子連の稽古に向かう途中の、門前仲町の巴橋から見た桜もご覧の通り。
・・・しづこころなく花の散りぬる・・でしょう。

落語早起き亭

今朝は、三代目三遊亭金馬師匠。

   ◇ 孝行糖       三遊亭金馬

この噺、落研の同期の多趣味亭こり生さんの最初の噺で、何度も聴いていて、覚えてしまうほどでした。
♪孝行糖 孝行糖 孝行糖の本来は・・昔 昔 唐土の・・♪

落語でデート

今朝は圓生師匠の音源が登場。
  ◇   二十四孝       三遊亭圓生

三遊亭圓歌の演芸年鑑

日曜日の朝5時台のNHKテレビで、演芸番組をやっているのを知りました。
「三遊亭圓歌の演芸年鑑」。
圓歌師匠が様々な人と座談をする番組のようで、今朝は桂歌丸師匠でした。
これから、どんな人が出るんでしょうか・・。
日曜日の早朝だけに、起きるのがそうちょう(相当)辛い・・。
一朝師匠のいっちょう(一生)懸命じゃないですが。
日曜日の朝のテレビ・ラジオが忙しい・・(^o^;)
今朝の内容は・・?
意識朦朧としていて・・。

2011年4月16日 (土)

朝日名人会

朝日名人会
さあ、いよいよ今月から1年間10公演を通しで鑑賞できます。
席は「C-20」で、前方のほぼ真ん中という、絶好のポジション。
今回は、第108回公演です。
   ◆ 狸札      柳家おじさん
   ◆ 六尺棒     三遊亭司
   ◆ 棒鱈      古今亭菊之丞
   ◆ 心眼      入船亭船遊
   ◆ だくだく     古今亭志ん橋
   ◆ 百年目     柳家権太楼
権太楼師匠は休演ではありませんでした。
治療の状況で、高座に上がれる時と、休演せざるをえない時もあるようです。
司さんは、地味ではありますが、丁寧な噺作りをしています。
菊之丞さんは、こういう類の噺は十八番ですね。
扇遊師匠は、桂文楽師匠の「心眼」をベースにしっかりと扇遊節になっていて、さすがですね。
志ん橋師匠は、トリの権太楼師匠の膝返しのような立場ですが、これまたいい雰囲気の「だくだく」でした。
この噺の中に「この泥棒が"近眼で乱視"で」という部分があります。
ここにも私の高座名の原型があります。
「近眼で乱視→金願亭乱志」です。
また、泣いてしまいました。
「番頭さんはゆうべ眠れましたか?私は一睡もできませんでした。」というところで、涙腺のスイッチが入ってしまうんです。
権太楼師匠渾身の「百年目」でした。
以前聴いたのに比べると、やはりかなり練り込まれていました。
先日鈴本演芸場余一会で、さん喬師匠の「百年目」を聴きましたが、お二人の個性が出ていて、甲乙つけがたいものでした。
「百年目」という噺もいい。
前半は滑稽なお店噺、中盤は芸者・幇間が出て、最後は人情噺・・。
落語です。

「与える」はそぐわない

昨日の日経新聞のスポーツ欄に、こんな題名のコラムがありました。
どなただったか存じ上げませんが、「〜を与える」と、高い位置から発言する、(一部の)アスリートたちを柔らかく諫めた部分がありました。
まだ分からないアスリートや芸能人がいますね。
身の程(丈)知らず、日本語知らずです。

「人形町らくだ亭」の払い戻し

昨日、先月の地震のために中止になった「人形町らくだ亭」のチケットの払い戻しをしてもらおうと、わざわざ「ぴあ」の店に行きました。
まぁ、色々事情やシステムがあるのでしょうが、結局やってもらえず。
「ぴあは駄目だね!」と、カウンターの女性に捨て台詞を残して・・・。
・・・面白くない話。

2011年4月15日 (金)

東京落語会

東京落語会
先月は地震で中止になってしまいましたから、2ヶ月ぶりの公演。
  ◇ 持参金         入船亭扇里
  ◆ ギンギラボーイ     三遊亭白鳥
    ◆ 権助芝居        桂南なん
  ◆ 寝床            柳家小満ん
    ◆ 明烏           柳家喜多八
  ◆ その時歴史が動いた 林家木久扇
正直なところ、聴けたのは、唸ったのは、小満ん師匠の「寝床」だけ。
扇里さんは聴くことが出来ませんでしたから、他の4人は・・・。
白鳥さん、とにかく品がない。新作だから何でも良いという訳ではありません。
喜多八師匠の「明烏」も、源兵衛か多助か、とにかく怖すぎて、吉原遊びの優雅で楽しい部分がスポイルされてしまい、気分が悪い。
木久扇師匠は・・、もうやめてという感じでした。
客席からブーイングが出ていました。
あまり、個別に批判めいたことは言いたくありませんが。
一方、唯一の救いになった小満ん師匠は、やはり八代目文楽師匠の直伝を彷彿とさせる「寝床」でした。
地味な芸風なので、今まではあまり目立ちませんでしたが、「人形町らくだ亭」などで聴いて、好きになっています。
若い(桂小勇の二つ目の)頃、落研の勉強会にも来ていただいているんです。
当時の先輩方の目の確かさも凄い。

柳森神社

       
「三方一両損」で、大工の吉五郎が財布を落とすのが柳原。
柳原通りにあるのが「柳森神社」です。
新橋の「烏森神社」、日本橋の「椙森神社」と、江戸の「三森神社」と言われているそうです。
長禄2年(1458年)太田道灌が江戸城の鬼門除として現在の佐久間町一帯に植樹した柳の森に鎮守として祭られたのがはじまりとされているそうです。
万治2年(1659)に神田川堀割の際に現在地に移りました。
桜の樹も堀の土手に移植され、江戸の名所になりました。
境内の福寿社は「お狸さん」とよばれ、五代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に創建したといわれています。
境内の13個の力石群が千代田区の有形民俗文化財に指定されています。
そうなんです。狐ではなくて狸なんですね。

東京落語会のチケット

東京落語会
何かの回数券のような「東京落語会」の半年分のチケット。
ミシン目を切って、その月のチケットを使って入場します。
6枚揃っているのをしげしげと見るのは初めてですが、6枚綴りの用紙に模様が入っていて、なかなか綺麗です。
切り離してしまうと分からなくなります。

学士会落語会会報「まくら」

学士会落語会のN委員から、会報「まくら」への寄稿の依頼を受けました。
さあ、どんなことを書こうかと思いましたが、こんなタイミングでもあることから、仙台の話題にしてみようと決めました。
このブログで一部触れたことはありましたが、仙台への思いを綴ることにしました。
1600字見当でというリクエストでしたから、思いつくままに書いてはみたのですが・・・。
会報が配信されましたので、内容を披露します。
なんだ、つまらねぇと言われたら、何も言えませんが。

学士会落語会「まくら」 ■「ねずみ」考?      
かけがえのないわが青春の地「仙台」が、「東日本大震災」で大きく揺れました。
自らも被災し近くの小学校に避難していた落語研究部の後輩の現役部員が、校長先生に依頼されて毛布を数枚畳んだ高座を作り、避難住民の前でご機嫌をお伺いして、やんやの喝采を浴びたそうです。
かわいい後輩たちも、頼もしく健気に頑張ってくれています。
改めて、大地震の被害に遭われた多くの皆様の、一日も早い復興をお祈り申し上げます。
数年前、五十路を目の前にして、約30年間疎遠だった落語に戻った時に、これも落研のご縁で、落語界の重鎮である「六代目三遊亭圓窓師匠」に師事することになりました。
「弟子入り」して満3年が経ちますが、気がつけば既に9席をあげていただいています。
昨年9月「学士会落語会創立5周年記念公演」で演らせていただいた「ねずみ」も、学生時代に我流で覚えていたものを、師匠に手直ししていただいたものでした。
第二の故郷仙台を舞台にする唯一の噺を演らせていただくにあたり、私は仙台のことを知る者だからこそ出来る、否、知る者でしか出来ない演出にこだわってみました。
恐らくお聴きくださったほとんどの方がお気づきではなかったことでしょう。
「ねずみ」は旅の噺として分類されることが多いのですが、私は、舞台を江戸から完全に仙台に移した人情噺だと捉え、仙台ならではの雰囲気を醸し出す演出を考えました。
そのためにまず、主人公左甚五郎が、伊達62万石のご城下、奥州街道屈指の宿場である仙台に至るまでを、青春時代の私の瞼に焼きついている景色と重ね合わせて表現する工夫をしてみました。
旧中田宿から名取川を渡り、長町を過ぎて広瀬川にかかる広瀬橋(旧永町橋)あたりで、卯之吉が客引きをしていたはずです。
そこから広瀬川に沿って上っていくと、左手前方に大年寺山から青葉山が望め、右手前方に仙台の街が広がっている。
そして旅籠がたくさん軒を連ねていたのが「国分町」。
現在の「芭蕉の辻」辺りが仙台一の旅籠「虎屋」だと想定し、私は噺を進めて行きました。
ここにある道標の北面には「津軽三厩迄 百七里二十二丁 奥道中」、南面には「江戸日本橋迄 九十三里 奥州街道」と刻まれているはずです。
                         学士会落語会「まくら」
さて、「ねずみ」は、三代目桂三木助師匠が浪曲から移入した噺として有名ですが、この三木助師匠の「ねずみ」には驚くべき演出が隠されています。
「ねずみ屋」に甚五郎作の物があると聞いた地元の人が、主の卯兵衛に尋ねる場面です。

『とっつぁんの所に甚五郎名人の彫った物があるだかね。んじゃ名人とは心安いだかね。』
『いやぁ、心安いなんて言われると”おしょしい”ですがね。』
というやり取り・・・。
東北から信越地方にかけて、「おしょしい」「おしょすい」という方言があります。
他の地方の方には全く意味が分からないと思いますが、これは「笑止い」から転じたもので、「恥かしい」とか「照れ臭い」という意味を表しているものです。
三木助師匠は、「心安いなんて照れ臭いけれどもね」を見事に方言で表現していたのです。
昭和の名人の一人と言われる師匠の演出へのこだわりの憎さ、物凄さに身体が震えました。
「これはいただき!」と、仙台が匂うこの台詞を入れて演ることにしているのです。
この場面は仙台で演ると大爆笑なのですが、東京では何事もなく静かに聞き流されます。
でも、ここは受けなくても、気付かれなくてもいいのです。これがいいのです。
・・・こんなこだわりを秘めて、あの日は本当に楽しい高座を勤めさせていただきました。
千年に一度と言われる災禍を経験した今、あの美しいみちのくの山河や温かいお国言葉を思い出しながら、これからも仙台の人情噺「ねずみ」を演り続けたいと思っています。

・・・とまあ、こういう訳なんです。

2011年4月14日 (木)

「ざこ八」の高座本

ざこ八
落語っ子連の稽古の時に、師匠の高座本「ざこ八」を手に入れました。
今まで、ほとんど生で聴いたことのない噺ですが、三木助師匠が十八番にしていた大きな噺だという認識です。
谷中の全生庵で、「むかし家今松」師匠のを聴いたぐらい。
圓窓師匠は、ご自身の噺を高座本として保存されていて、お願いすれば1冊300円で譲ってくださるそうです。
次回チャレンジする予定の「救いの腕」の高座本もお願いしようと思います。

三三時代

柳家三三さんの後援会「三三時代」。
あまり会員のメリットを感じてはいませんが、また年会費を支払う時期になりました。
3,000円。
今週中ぐらいに振り込みましょうか・・・。

(当代)柳家小さん師匠

先日、柳家小さん師匠に関するこんな記事を見つけました。
いよいよ、当代も本格的な活動を始めるようです。
★大人のエンタメPhoto
落語家、柳家小さん(63)が19日、東京・渋谷区文化総合センター大和田伝承ホールで「小さん ひとり千一夜」を開く。
「柳に風じゃなくて、まわりの流れにぶつかってきたかな」と自然体の小さんが新たなチャレンジに挑む。
落語界初の人間国宝となった先代(5代目)の長男で、1976年、29歳の若さで真打ちに昇進、三語楼を襲名。戦後生まれ初の真打ちに、当時は大きな話題となった。
2006年秋に小さんを襲名。
足かけ3カ月、全国を巡るビッグな襲名披露は話題となった。
その小さんが、放送作家、演出家、劇作家とマルチな顔を持つ高平哲郎氏=連載「あくまで人名事典」執筆者=と出会い“開眼”。
一念発起し、高平氏の監修で、年4回の独演会を行うことを決めた。
「季節ごとに年4回。四季折々の会ですね。今回は『第一夜 春のめざめ』ですよ」。
先代の十八番を中心に、春にふさわしい約50のネタの中から3つの演目を選んだ。
中でも、貧乏長屋の店子が大家に花見を誘われるが、酒と肴はまがい物。
味気ない宴会の様子を描いた「長屋の花見」と、長屋のとなりに住む兄貴分に「お前は死んだ」と聞かされ、自分の亡骸を引き取りにいくドタバタ劇「粗忽長屋」を、同じ時間に勃発した出来事として改編。
「落語の流れに無理もないし、変に落語を壊しているわけでもない」と小さん。一味違った噺に出来上がったようだ。
高平氏との初めてのコラボ。「自分の師匠の言うことしかきかない噺家が、高平さんには素直になれた」と絶対の信頼を置いている。
「今までよりテンポは早くなってますね。テンポが違うと、くすぐりも変わる。贔屓にしていただいたお客様は何だこりゃって言うかもしれませんがね」。
飄々とした高座は影を潜め“ニュー小さん”が誕生することになりそうだ。
「小さんひとり千一夜 第一夜 春のめざめ」は開場午後6時、開演同6時半。
チケットは東京音協((電)03・5774・3030)。 (夕刊フジ)

チャリティ落語会

13日に春風亭小朝・林家木久扇・三遊亭円楽の師匠方と宮城県出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンが、都内で「東日本大震災チャリティ落語会」を開催したそうです。
小朝さんの呼びかけで“党派”を超えて落語家が結集。
木久扇師匠は「笑いで気持ちをほぐして欲しい」と呼びかけ、円楽師匠は「状況が許せば、一座を組んで慰問に行きたい」と・・・。
少し余裕が出て来たところで、緊張感がふっと緩む時期でもあります。厳しい現実が目の当りになった時こそ、笑いが必要になると思います。
我々のような素人でも、現地へ行って落語を聴いてもらうというのは、きっとありなんでしようね。

2011年4月13日 (水)

学士会落語会から

bud先日、学士会落語会のN委員から、会報「まくら」への寄稿の依頼を受けました。
いつもの悪い癖で、ネタがないにも拘わらず、安請け合いをしてしまいました。coldsweats02
pigうぅ〜ん・・、ブログのネタにも苦しんでいるところで・・。(^^;)(;^^)
暫く忘れようとしていましたが、たとえ拙稿でも待っていらっしゃるだろうし・・。sweat01
night一晩で思いつくままをまとめ、ろくに推敲せずに寄稿しました。pen
memo会報が配信されたら、ここでも拙文をご紹介したいと思います。
・・それにしてもワンパターンの内容で、浅い文章です。(^^;)(;^^)

扇子っ子連の寄り合い

地震で延期した発表会の打ち合わせのため、メンバーが集まり、再確認しました。
発表会は、改めて5月15日(日)に開催します。
全員やる気十分です。

春の落語界

Itiban

発表会やら地震やらで、とにかくバタバタしていたのですが、考えてみると、今年は落語芸術協会と落語協会ともに真打昇進はありませんでした。
が、聞くところによると、落語協会は3月に一挙8名の前座が寄席へ入ったそうです。
落語芸術協会は
3名が二ツ目に昇進し、2名の前座が誕生したとのこと。
これで前座の数は、落語協会32名、落語芸術協会19名(うち5名は色物さん)で、合計51名。
この数は寄席史上でも、かなり多い方なのではないでしょうか?

「昭和の名人完結編」(5)

Photo_2

もうこれは理屈抜き、枝雀師匠が嫌いな訳ではありませんが、どうも自分の部屋で上方落語を聴きたいと思わないのです・・・。
音源は昭和56年頃の「枝雀十八番」でのものだそうです。
  ◇ 夏の医者     桂枝雀
  ◇ 天神山       桂枝雀
どちらも枝雀の得意ネタだそうですが、「天神山」という噺は、あまり良く知りません。
小佐田定雄さんの、枝雀師匠の落語論とでも言うべき「緊張の緩和」に関する自筆資料の写真が掲載されていました。
最近、枝雀師匠を巡っては、「桂枝雀生誕70年記念落語会」や「桂枝雀カムバック」と題する落語会で、映像で公開されたそうですが、やはり人気のある噺家さんだったんですねぇ。

落語物語

映画の舞台挨拶というのは、大抵上映初日に行われることが多いと思いますが、上映最終日に行われた映画があるそうです。
東銀座の東劇で映画『落語物語』来場御礼舞台あいさつが行われ、柳家わさび、隅田川馬石、桂扇生、春風亭ぽっぽ、林家しん平監督が登壇した。
東日本大地震の直後である3月12日に初日舞台あいさつを行うはずだった本作は、震災の影響で初日の上映を含め、予定がすべて中止に。
改めてこの日の舞台あいさつとなったわけだが、東劇における本作の上映は今日が最終日。初日ならぬ“楽日”舞台あいさつ、という落語家らしいしゃれを効かせたものとなった。
しん平監督は「ご承知のように、震災の影響で初日舞台あいさつは出来なかったわけですが、この時代に一番望まれているのは笑いだそうです。日本に笑いの心がともって、復興に役立つことを祈っております」とあいさつすると観客から大きな拍手が起きた。
この映画、何とかして観たいのですが・・・。

2011年4月12日 (火)

復興支援寄席

昨日の午前10時から鈴本演芸場で行われた「復興支援寄席」。
入場料並びに街頭等での募金の合計額は498,202円(全額募金予定)になったそうです。Photo
語協会会長の柳家小三治が11日、都内で行われた「復興支援寄席」に出演した。
協会の会員が東日本大震災被災者のために自主的に発案した企画。
出演予定のないメンバーも含む約100人が駆けつけ、街頭で募金を呼びかけた。
普段は寄席の行われない朝の時間帯にもかかわらず、協会員の三分の一が集まったことに小三治は「別に命令したわけじゃないのに来てくれて感動しました」とうれしそうだった。
この日はほかに林家木久扇、古今亭志ん輔、林家正蔵が出演。
「復興支援寄席」の収益は全額被災地のために寄付される。

迷い・・


「佃祭」に着手して、何人かの師匠のCDなどを聴いて、少しずつ噺のイメージが出来つつある中、ちょっと気になり始めたことがあります。
「東日本大震災」の被災地の仙台を考えると、この噺の中に、「河岸は死骸の山だ」という台詞が、気になるんです。
そもそも、渡し船の最終便が乗客を乗せ過ぎて沈没してしまうという背景ですから・・。
う~ん・・・。
でも、語りたいのは、「情は人のためならず」ということなんだから、気にしないでやった方が良いかもしれません。
案ずるよりも・・かもしれないから。

立川談志師匠

立川談志師匠が体調不良で、落語会の出演を取りやめたそうです。
談志師匠は3月下旬にストレス性胃潰瘍で一時入院。
今は、自宅療養を続けているが、治療に専念するそうです。
このため6月15日と7月4日に予定されていた立川談志一門会は公演中止。
5月15日、29日の公演は出演を取りやめるとのこと。

沈る

「沈る」・・、恥ずかしながら「しもる」と読むと初めて知りました。
権太楼師匠の「佃祭」を、何度も涙を流しながら聴きました。
「よし、来月のOB落語会は、この音源を参考にして演らせていただこう!」という訳で・・。
「終い船が"しもって"・・・」という台詞がありました。
他の師匠のを聴くと、「終い船が引っくり返って・・・」と言っています。
「沈(しも)る」とは、水が浸入してきて沈むこと。なるほど。
何か色気のある言葉のような気がして。

権太楼師匠の音源を選んだのは、この噺に対する気持ちが同じだと思ったからです。
多くの噺家さんは、定番の戸隠し様の梨だとか、焼き餅焼きのおかみさんが登場しますが、権太楼師匠は、「情は人のためならず」をキーワードに、人情噺仕立てにしているからです。
佃島に住む船頭夫婦とのやり取り、以前から言っている与太郎の悔みの場面。
これは、権太楼師匠のオリジナルな演出だと思います。
ストーリーには全く関係のない「戸隠し様」は使いたくないし。
それで、オチは、五街道雲助師匠のを使わせていただこう・・・。
.

2011年4月11日 (月)

宮城県沖地震の頃

学生時代のテレビ局でのアルバイト。2_2
昭和53年の宮城県沖地震で、仙台市周辺を放送局のカメラマンと一緒に駆け回りました。
先日お話した女川原発ほどの恐怖はありませんでしたが、やはり私の人生観に影響を受けた出来事に遭遇しました。
ある意味で、この出来事で進路が変わったと言ってもいいかもしれません。
昭和53年6月のことでした。
東京で行われた「第1回全日本学生落語名人位決定戦」に出場した翌日が「宮城県沖地震」でした。
その日から、放送局に入り浸り、ひたすら地震の被害状況の取材に走りました。
あの頃はまだVTRがない時代で、撮影は35ミリフィルムのカメラでしたから、フィルムとバッテリーを持つカメラマンの助手が必要だったんですね。
仙台港の石油タンクから漏れ出し、周辺を真っ黒にした重油。
コンクリートブロックで犠牲者が出た現場。
倒壊した建物やインフラが破壊されたマンション・・。
大きな余震が来たら、背後の斜面から崩落した土砂に埋まってしまうかもしれないという小学校の取材で、グラウンドの中に車を停めて夜を明かしたこともありました。
あの光景に出会ったのは、地震から数日が経った時でした。
いつものように?カメラマンにくっついて市内に出ていた私は、仙台市の旧市街から後背地の新興住宅地に入りました。
山を削り谷を埋めて造成された住宅地でした。
こういう場所での幸不幸の分かれ目が、家の建っている場所が、山を削った部分か、谷をうめた部分かということでした。
後者の場合、家の躯体に問題がなくても、土地や土台が脆弱なために、住むことが出来なくなってしまった家が多くありました。
ある家の前で、その家の奥さんらしい人が、瓦礫やゴミの片付けをしていました。
どうやら、市から立ち入りを禁止された家の人のようでした。
放送局の人が「奥さん、今のご感想は・・?」と、この人にマイクを向けました。
「・・・annoy!」、その奥さんは一瞬顔を強張らせ、怒りの表情になった後、我々に頑なに顔を背けました。
さらに、「家が住めなくなって大変ですね」・・・。
奥さんの肩が細かく震えていました。
あの時の、悲しげな、怒りのこもった顔が忘れられません。
「そんなこと聞いてどうするんですか・・・sign02」と、素朴に思いました。
「見ればわかるんだから、そっとしてあけるのが人の道では・・sign03」。
それが真実の報道なのかな。ただの野次馬じゃないか・・・sign02
マスコミ就職への夢がスーッと引いて行った瞬間でした。
(マスコミの人からすれば、バカみたいな次元でしょうが。)
私は、「茄子屋政談」の因業な大家にはなりたくなかったし、結局なれませんでした。1
【宮城県沖地震】1978年6月12日の17時14分44秒に発生したマグニチュード7.4の地震。
都市ガスが13万戸で供給停止となり、老朽化または手抜き工事だったブロック塀の倒壊、1960年代に造成された新興住宅地の地盤崩壊、水田地帯を開発した地区での液状化現象が発生しビルの倒壊や傾斜が見られるなど、仙台市を中心に大きな被害が生じた。

観客席

大手町落語会
「大手町落語会」の会場の「日経ホール」の座席です。
この落語会で私が座ったのは、この前から8番目の通路側の席(H-20)でした。
よく、全席完売(売切れ)と言われても、当日何となく空席になっている場合があります。
今まで、人気のある落語会でも、度々隣の席が空いたままだったことがありました。
・・この日も、隣の席は最後まで空席でした。
人生いろいろ・・、チケットを買った時と事情が変わったり、突然都合が悪くなったりしたのでしょう。
この空席にも、人知れぬ物語・ドラマがあるのでしょうね。
もしかすると、東北地方の人で、ちょうど上京の予定があったのでチケットを買ったが、例の・・で上京できなくなったとか。
落語会に急いでいたら、途中で転んでしまって足首を捻挫してしまい、お医者さんに行ったために来られなくなったとか。
もっと興味のあることと重なり、そちらに行ってしまったとか。
あ、せっかく手に入れたチケットを紛失してしまったとか・・・。
今日の会場は、ペアで来場する人たちが多かったようですね。
中には、二人で来る予定だったのに、直前に喧嘩してしまって、寂しく一人だけで来た人もいたりして・・・。
かわいそうに・・・。仲直りすればいいのに。
仲直りしていなくても、とりあえず座って「厩火事」を聴けば・・・。
落語っていいですね。何があっても聴かなくっちゃいけませんよ。
木戸銭だって安くはないし。

柳家さん喬師匠

ちょっと見つけたある記事から。
大震災から1週間たった先月18日、私は東京・新宿末廣亭で落語を聴いていた。
その日、都内で開いている寄席は、この1軒のみ。節電で空調が止まり、ジャンパーやコートを着たままのまばらな客が約50人。
押し黙ったまま舞台を見つめる。
トリに登場した柳家さん喬が、ほんの少し表情を崩す。
「幼い子のリュックには夢と希望が入ってるのでしょうね。こういうときは、ふだん通りに過ごすのがよろしいかと…。」
繰り返し放送されていた被災地の惨状よりも、そこに一筋の希望を見せた幼子にスポットをあてたところに、さん喬の優しさが滲んだ。
演目は「幾代餅」。吉原の廓を舞台にした艶っぽい噺だが、純情一途な奉公人が、金ではなく逢いたい一心で花魁の気持ちを射止める物語。
昨年の10月8日にも「日本橋夜のひとり噺」(東京・日本橋社会教育会館)で、さん喬の「幾代餅」を聴いた。はんなりした花魁の艶っぽさが漂う名人芸だった。
ところが、震災直後に聴いた「幾代餅」はひと味もふた味も違った。
逢いたい人に逢えることの素晴らしさ。そこがじっくり奉公人の目線で描かれていた。
1カ月、1年…。演じる人、歌う人がどう変わっていくか。
見届けていきたい。
「大手町落語会」で、権太楼師匠の代演で高座に上がった時も、「こういう時は、普段通りに過ごすのが大切ではないか」と、さりげなく震災に触れていました。
そうなんでしょう。
がんばれニッポン!もいいけれど、日本人があの災禍の中で冷静さを保っていられた源泉は、この自然体にあるのではないでしょうか?

復興支援寄席

落語協会は、東日本大震災の支援活動として、鈴本演芸場、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の四つの寄席でそれぞれ2日間ずつ「復興支援寄席」を開くそうです。
鈴本演芸場では11日に同協会会長の柳家小三治師匠をはじめ、古今亭志ん輔師匠、林家正蔵さんらが出演。15日も開催する。
両日とも入場料千円で、午前10時の開演前から落語家らが募金活動を行う。
他の三つの寄席でも順次同様の落語会を開くとのこと。
総会の席上で、若手を中心に声が上がり、会長の小三治師匠が三遊亭圓丈師匠を責任者に指名して準備を進めてきたということです。
【新宿末廣亭】
日時:4月22日(金)・ 4月29日(金) 21時30分開演 23時終演
【鈴本演芸場】
日時:5月 1日(日)・ 5月 5日(木)   9時30分開演 11時終演
【池袋演芸場】
日時:5月11日(水)・ 5月15日(日) 10時開演 11時30分終演
【浅草演芸ホール】
日時:5月21日(土)・ 5月28日(土)  9時30分開演 11時終演

2011年4月10日 (日)

花筏

花筏
散って水面に浮かぶ桜の花びらを「花筏」と言います。
病気のために身代わりに提灯屋さんが相撲を取る噺も「花筏」と言います。

門前仲町の桜

     門前仲町の桜     門前仲町の桜             
落語っ子連の稽古場は、門前仲町にあります。
駅から稽古場まで向かう川沿いの歩道は、桜が満開でした。
稽古会の後で、師匠もご一緒くださり、桜の花咲き誇る道を歩きました。やはり花は桜です。
      門前仲町の桜    門前仲町の桜

「落語っ子連」稽古会

        
発表会後初めての稽古会。
稽古場に向かう途中に、「住吉神社」と書いた小さな社がありましたので、「佃祭」に因んでいるので、ちょっち手を合わせました。
窓口さんと無弦さんは、もう次の噺に着手していました。
それぞれ次回の噺を決めました。
無弦さんは「元犬」、窓口さんは「明烏」、まど深さんは「猫の皿」、まど音さんは「和歌三神」、まど絵さんは何と「火事息子」。
私は、まず「救いの腕」をお願いしました。また並行して「お初徳兵衛浮名桟橋」も・・。
師匠に「救いの腕を」とお願いしたら、「演ってくれるの?あぁ、ありがとう。」と仰ってくださいました。
師匠の創作落語で、五百噺499番目の噺です。

統一地方選挙

           統一地方選挙        統一地方選挙
とにかく、地震のせいで、全てのことが止めになったり滞ってしまっている気がします。
今まで当たり前に行われていたことでも、直接地震とは関係ないことでも、やることに抵抗を感じてしまうような。
こういうのが、負のスパイラルと言うのでしょうか。
さて、選挙も色褪せてしまった感があります。
いやいやこういう有事だからこそ、しっかり選ばないといけない。
昼を過ぎて、統一地方選挙の投票に行きました。
統一・・といっても、県議会議員選挙です。
投票率は、まだやっと10%を超えたあたり・・。

統一地方選挙の思い出。
今からちょうど40年前の投票日でした。
当時5歳の母の実家の従弟が、家の前の国道で車に跳ねられてしまいました。
1週間意識不明でしたが、奇跡的に回復し、後遺症もなく、今は良きパパになっていますが、一時は最悪を覚悟しましたから、本当に夢のように思います。
祖母が仏壇に向かい、内孫の回復を祈って、一心不乱にお題目を唱えていた姿が浮かびます。

天下泰平!落語早起き亭

文化放送の新番組。
sun林家たい平さんがパーソナリティ。

   ◇ 長屋の花見     柳家小さん

cherryblossom第1回目放送の最初の落語は、先代の柳家小さん師匠お得意の旬な噺です。
tv日曜日の朝の楽しみが増えてまことに結構です。
今朝は、圓遊・小さんの二人の師匠。
私も何とか間に合った師匠を聴くことができました。

メール

Kogiku

今回の地震で、電話は固定も携帯も集中して、繋がりづらくなりましたのでが、メールが大活躍でした。
メールのおかげで救われた命も、あるいは多くあったことでしょう。
私もメールをよく使います。(使い過ぎる?)
基本的に電話というのが好きではありませんから、特に。
手紙が好きです。
書いている間、相手のことだけを思うことが出来、手紙を読んだ相手の反応を想像することが楽しいですから。
メールは、手紙の良さに加えて、伝達スピードが早いので、本当に重宝です。
ところが、早い故のデメリットもあります。
手紙のような優雅さや余裕がないことです。
伝達のスピードが長所であると同時に短所なんですね。
情報だけの伝達ならば、こんなに便利なものはないのですが・・。
メールの送信釦を押した瞬間から、相手の事情など顧みず、返信を待ってしまうんです。
返信がなかったり、遅くなったりすると、心穏やかでなくなる。
ちょっと自分に思い込みがあるメールの場合には、さらにイライラしたり、果ては腹を立てて怒り出したり・・・・。
相手にとっては災難ですよ。
受信してすぐに追信(て言うのかな)するのですが、文面にやや刺々しさが出て来る。
「こんなに思って(心配して)いるのに、なんですぐ返信しないんだよう!」ってなもんです。
さらに待ちに待った返信を受信すると、細かな表現にケチをつける。
それをまたすぐに返信する。さらに刺が多い文章で。
「売り言葉に買い言葉」ってぇことですな。
・・こうやって、随分多くの方々の気分的を害していることでしょう。
伝達のスピードが早いだけに、表現が強く、激しくなってしまう・・。
分かっていながらも、今日も今日とて同じようにしくじりながら、送ったメールの返信を首を長くして待っています。
気をつけているんですが・・ねぇ。本当に・・・。
まぁ、性格も悪いですから。

落語でデート

昭和52年の「東京落語会」の音源だそうです。

    ◇ 松竹梅      四代目三遊亭圓遊

懐かしい師匠ですよ。
と言っても、ラジオでしか聴いたことはありませんが。
穏やかな芸風で、何とも力の抜けたような噺っぷりが印象的です。

女川原発

地震で福島原発が大問題になっています。2
政府も電力会社も、何とも情けない対応に終始していて、不安も頂点に達しています。
原発といえば、私には忘れられない思い出があります。
学生時代、落研の先輩が地元のテレビ局にいらっしゃった関係で、アルバイトで頻繁にお手伝いをさせていただいていました。
イベントや番組作りや報道、あるい新聞のスクラップづくりなど、アパートの部屋と落研の部室にいない時は、その放送局にいたと言っても過言ではないほどでした。
当時、仙台をフランチャイズにしていたプロ野球ロッテ・オリオンズも強かったし、選挙や、春秋の番組宣伝など、とにかく楽しいアルバイトでした。

Photo

「東北電力女川原子力発電所」建設に関して、その是非をめぐって世間の意見が二分されていたのも、ちょうどこの頃でした。
ある時、「女川漁業協同組合」がその「漁業権」を放棄するか否かの決断をする総会が開かれることになりました。
「漁業権を放棄する」ということは、即ち「原発の建設を地元漁民が認める」ということにほかなりません。
呑気なアルバイト学生は、放送局の報道部の担当者の人たちと、この総会の取材をするために勇躍現地に赴きました・・・・。
・・・そこで私を待っていたものは・・・。
総会が開かれる会場の前、賛成派・反対派がスピーカーを使って、がなり合う騒然たる雰囲気でした。
そんな時に、カメラマンの脇で、報道の腕章をしてボーっとしていた私の前に立ったのが、地元の漁業者と思しき一人の老婆でした。
そして、手拭を被った老婆の右手には、何とこぶし大の石が握られていました。
「おめぇら何しに来た!帰れ!」と叫んで、石を握った手を振り上げ、物凄い形相で私たち"報道陣"を追いかけて来ました。
「・・・・・に、逃げろ!」・・・・。
あの時の緊迫した表情と、絞り出すような叫び声は、30年以上経った今でも忘れることができません。
先祖代々受け継いで来た良好な漁場を、安全かどうかも分からない物に明け渡さざるを得ない無念・・・。
マスコミに就職したいと思っていた私には、鉄槌を撃ち込まれた気持ちがしました。

・・「東北電力女川原子力発電所」は、その後計画通り建設され、東北地方に電気を送り続けていましたが、"あの日"に停まってしまいました・・・。
あの時の老婆の顔が浮かびます。
あの人たちの気持ちを思うと、一旦作ったからは、しっかり復興させ、再び安全に電気を送って欲しい・・・。
今回の東日本大震災で、あの頃のことが走馬灯のように思い出されて来ます。
第2の故郷の大地が揺れている。
そして懐かしい人々が泣いている・・・。つらく、やるせない。

2011年4月 9日 (土)

柳家権太楼師匠

昨年秋にも、金願亭めがねさんから、権太楼師匠がある落語会を体調不良のため休演したという噂を聞いていました。
昨日の「大手町落語会」での休演。
「金毘羅船々」の出囃子が聞こえた時、そして権太楼師匠が、マスクをしながら高座に上がり、ハンドマイクで口上を始めた時は、正直なところ、洒落か趣向かと思ったぐらいです。
聞けば、昨秋入院して、年初にも手術をして一応収まったようですが、さらに万全を期すために、もう少し加療が必要だとのことで、抵抗力がなくなりやすいので、なるべく人前には出ない方がいいという、お医者さんのお見立てだそうです。
だから、マスクをしてのお詫びの口上ということ。
会場からの温かい拍手は、「待ってるよ~」という観客の総意です。
暫くの間、あの権太楼節が聴かれませんが、復帰を楽しみしていたいと思います。
そういえば、めがねさんも「大手町落語会」を聴くと仰っていました。
この温かい会場のどこかにいらっしゃたのでしょう。
えっ?・・・ということは、来週の「朝日名人会」も休演ということ?
確か「百年目」でネタ出しされていたはず・・・。
でも、マスクをしたままで「百年目」という訳にはいきませんからね。
その代わりと言う訳ではありませんが、権太楼師匠の音源で「佃祭」にチャレンジしようと思います。
”情は人の為ならず 巡り巡って己が身の為”

和三盆

和三盆
お土産というのは、渡すタイミングというのもあるもので、いくら良い品物でも、時機を逸すると、気持ちが正しく伝わらない気がします。
後で調べてみたら、大阪でお土産に買った「和三盆」は、紛い物ではなかったようで、とりあえず安心しました。
「讃岐和三宝糖」という、220年前から伝わっている製法に基づくものだそうで、全て手作りだとか。
笑い話ですが、結局タイミングが合わなく(都合が悪く)なって、目指す人にこのお土産を渡すことが出来なくなってしまいました。
日保ちするものだとはいえ、買った時が渡したい時でもありますし、時間が経ってしまったら失礼になりますから、家で食べることにしました。
・・・と言いつつ、私には、砂糖というのは身体のためにならない・・?

大手町落語会再臨ザ・柳家!

さあ、いよいよ開演         大手町落語会再臨ザ・柳家!
     ◆ 休演の口上         柳家権太楼
     ◆ 岸柳島            柳家三三
     ◆ 厩火事            柳亭市馬
     ◆ 蜘蛛駕籠          柳家花緑
           ◆ 百川                            柳家さん喬
大手町落語会再臨ザ・柳家!
会場には、「本日柳家権太楼が休演のため、柳家さん喬が代演いたします」と掲示されていました。
「また体調でも悪いのかな?仕方ないな。さん喬師匠が代演ならいいか。」ってな訳。
緞帳が開くと、「金比羅船々」の出囃子が始まりました。「えっ?権太楼師匠の出囃子だよ。お弟子さんが使うのかな・・?」
と、下手(しもて)のめくりをみると「権太楼」・・。
??・・すると、マスクをした権太楼師匠が登場。
休演のお詫びの口上だという、長く・多く落語会に通っていますが、休演する本人が高座で口上をやるなんて、初めてのことです。
その事情については、別項で触れることにしたいと思います。
今や盛りの柳家の、今を盛りの噺家さんの競演を楽しみました。
先行販売でゲットした甲斐がありました。

大手町落語会へ

  大手町落語会  大手町落語会
久しぶりに本格的な落語会に来た感じ。
「大手町落語会」。
会場は大手町の日経ホール、主催はサンケイリビング新聞社、企画はオフィスエムズ。
大手町落語会
会場には、予想通り?地震の義援金の募金箱。
権太楼師匠が休演、代演がさん喬師匠という表示。
柳派の人気噺家さんが出演する今日は、チケットも即日完売だったはず。
私は、オフィスエムズでの先行販売で入手出来ました。
今日は、ゆっくりのんびり聴かせてもらおう・・・。

3.11. 2:46PM

3.11.<br />
 2:46
先日の大阪出張の時に、新幹線車中から見た故郷の霊峰の姿。
こじつけかもしれませんが、地震で病んだ心を悼んでか、秀麗な姿を見せてはくれませんでした。
悲しい、痛ましい話をします。
ある若手社員は、奥さんと2歳になる長男との幸せな三人暮らし。
この度、第2子が奥さんに宿り、出産のため、長男を連れて実家にお里帰り。
実家は福島県の浜通り。
・・一瞬のうちに幸せが奪われました。津波に。
・・まだ行方不明です。
この週末、傷心の彼は、初めて現地に赴きます。
恐らく、奥さんがかかっていた歯医者さんからもらったカルテのコピーを手にして。
自然は容赦なく、何の罪もない家族のささやかな幸せまで奪ってしまいました。
彼が、この悲惨な現実を受け入れるまでには、長い時間がかかることでしょう。
でも、酷いかもしれませんが、しっかり受け止めて生きて行かなければなりませんよね。人間だから。

2011年4月 8日 (金)

上野清水さま

     上野清水さま       上野清水さま 
気がつくと一人、上野の清水さまの夜桜が無性に観たくなり、立ち寄ってみました。
満開の桜の花が、やや強く吹く風にも負けずに咲き誇っていました。
どんちゃん騒ぎの中を眺める例年の桜よりも、今年の桜の方がずっと趣があったことは言うまでもありません。
     上野清水さま       上野清水さま
刹那に散り行く運命を知ってか知らずか、健気に咲く桜花に、安らぎと少しの哀れさを感じました。

お土産・・・

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旅行や出張で、お土産を買って帰るというのは、正直なところ煩わしいものです。
それでも、先日の大阪出張の帰りに、ある人にどうしてもと思い、駆け足で帰る新大阪駅で、それこそ手当たり次第にして買ったのが「和三盆」という和菓子でした。
大阪ではなく、京都の老舗(と思われる)のお土産でした。
「和」を好む人へ、とは言うものの、随分荒っぽい買い物で、失礼に当たるかもしれませんが、気持ちは汲み取っていただけるでしょう。
まあ、「お前らしい」ということで、お許し願おうという訳です。
「和三盆」なんて、物凄く雰囲気を感じさせる名前ですよ。
主に香川県や徳島県などの四国東部で伝統的に生産されている砂糖の一種で。黒砂糖をまろやかにしたような風味を持ち淡い黄色をしている。
三盆の名は精糖工程のひとつから来たもので、高級砂糖を意味する。中国から輸入されていた砂糖を「唐三盆」と呼び、その後日本でも作られるようになったものを「和三盆」と呼ぶようになった。

きっと、お茶に合うのではと思います。
まことにケチな話ですが、この「和三盆」は精糖の作業が複雑な上、寒冷時にしか作ることが出来ず、白下糖から和三盆を作ると全量の4割程度に目減りし、途中で原料の追加もできないため、砂糖としては最も高価である。
へぇぇ、高いものなんだぁ。
・・・私が買ったのは、紛い物だったかもしれません。

駅弁

    
昨日の出張帰りの新幹線車内で食べた弁当。
最近は随分手の込んだものが多く、メタボの身にはつらいもの。
しかし、腹が減っては戦ができぬなどと言いながら、ついつい買ってしまう駅弁。
本当は、昔から愛食?しているチキンバスケットで十分なんですが・・。
    ひもじさと 寒さと恋を 比ぶれば
          恥ずかしながら ひもじさが先

また・・揺れた・・

昨夜、また大きな地震が東北地方でありました。
仙台市内でも震度6強・・。
せっかく復興していたインフラが、再びダウンしてしまいました。
神あらば、心あらば、もうこれ以上、「みちのく」を揺らさないで欲しい・・。

やすらぎ寄席

やすらぎ寄席   やすらぎ寄席
愛宕下の真福寺で毎月開催されている「やすらぎ寄席」。
今月も予定どおり開かれるようです。
この落語会にも随分ご無沙汰しています。
4月21日(木)6時半。
今月は三遊亭の番。

2011年4月 7日 (木)

大阪出張

大阪に日帰りの出張。
fuji今日は、雲がかかって、富士山を見ることは出来ませんでした。
train大阪に着いて新鮮だった(驚いた)ことは、駅の中が明るいこと。
flair考えてみると、地震以来、東日本の駅や建物は、かなり節電のための減光をしていますから、大阪の駅や建物の中が明るく感じたのでしょう。
やはり、早く元の明るさに戻りたいものです。
ただし、無駄はいけませんが・・。

桜花盛りに

桜花盛りにPhoto
人の心や世間の様子に関わることもなく、花は咲き、「しずごころ」なく散って行きます。
刹那の儚い花の盛りを謳歌している桜花の姿に、もののあはれを感じます。
桜花だけは、にほふがごとくいまさかりなり・・。

三遊亭鳳楽独演会

最近本当にご無沙汰している「三遊亭鳳楽独演会」。
今月は4月28日(木)に、いつもの日暮里サニーホールで。
演目は、「宮戸川」と「塩原多助一代記」だそうです。
「塩原・・・」は初演だそうですから、聴きたいと思います。
ゴールデンウィークの始まる前日です。

富士川舟運

今は亡き義母の実家は、あの「鰍沢」でした。800pxkajikazawa_in_kai_province
そして、家業は、かつて(江戸時代から昭和初期まで)栄えた富士川舟運の船会社だったそうです。
江戸時代に、将軍の命を受けた角倉了以が開いた、日本三大急流のひとつ「富士川」の舟運。
鉄道が出来るまで、甲斐と駿河の交易の大動脈でした。
先日、義母の弟(叔父)からメールがありました。
近年リタイアした叔父は、自分の実家(先々代まで)が営んでいた船会社の歴史をたどっているのですが、鰍沢の下流に当たる私の郷里あたりには、船の往来を悩ます難所の岩や瀬があったそうで、それに詳しい人を紹介してくれというものです。
早速、実家の母に尋ねてみたところ、富士川の歴史に詳しい人、富士川舟運の研究をしている人がいるとのこと。
落語の「鰍沢」「甲府ぃ」や「笠と赤い風車」など、身延参りの背景には、富士川なくしては語れませんから、私も非常に興味があります。
活動的な叔父で、この夏には、富士川をラフティングで下る計画を立てているそうです。http://www.zenkaiun.or.jp/kaiunshi/kaiunshi6_8.pdf#search

2011年4月 6日 (水)

頼もしい後輩

Tohokugate2_0403「がんばれ日本!」の御旗の元に、ややわざとらしい支援やボランティアをする人が多い中で、一服の清涼剤のような、わが後輩の話をご紹介します。
読売新聞に掲載されたものを、ほとんどそのままご紹介します。
読売新聞さんごめんなさい。
<落語で笑いの花>
東北大学理学部4年・落語研究部前部長 世間亭節介さん(21)

  (※乱志註:実際の記事では本名が入っています。)
3月15日に、避難していた仙台市立八幡小学校の体育館で、以前からお付き合いのある校長先生に「避難者のために落語を演じてほしい」と頼まれました。
40~50人ほどの避難者を前に、ござの上に毛布を数枚重ね、「金明竹」や新作落語など3題を演じました。
「こんな時だからこそ明るくなってもらいたい」という思いで、遠くの方にも届くよう声を張り上げました。
体育館はそれまで寂しい雰囲気でしたが、私の落語を聴いてくれた人の笑い声で避難所に花が咲いたようになりました。
「私も落語、好きなんだよ」「上手だね」という声もいただき、こちらも元気づけられました。
現在は岩手県北上市の実家に避難しています。
今月下旬には大学も再開し、部も活動を始めます。
被災者の方々には避難生活が長引けば長引くほど「笑い」が大切になってくると思います。
機会があれば、被災者の方々の心を和ませることができるように、目いっぱい明るく高座に上がりたいと思っています。
Kisho2
「がんばれ」・「がんばってください」などと、抽象的に念仏やお題目のように言うばかりでなく、節介くんのように、自分が出来ることをやることが大切だと思います。
我々には、落語という、誰からも愛される芸能がある。
それが、いくらかでも心の安らぎになるのなら、こんなに嬉しいことはありません。
談志師匠が言いました。「落語は"業"の肯定である」と・・・。
現実を正面から受け止めて生きる・・・。落語国の住人の行き方が、今大切なのかもしれませんね。
節介くん、でかした!

小江戸落語会

「小江戸落語会」に「三遊亭窓里落語家笑売三十周年記念興行 祝・川越市議会議長就任」という副題のついた落語会を偶然に見つけました。
「三遊亭窓里」さんは、言わずと知れた圓窓一門の噺家さんで、以前から川越市議会議員だということは知っていましたが、とうとう議長さんになったんですねぇ。
調べてみると、全国に40ある中核市である小江戸・川越市の議長に就任したのは昨年の6月だとのこと。
市議会には平成7年に初当選。現在4期目。
議会運営委員長で「議会は議員みんなで作るもの」を実感した。
「議会では、市長提出議案を審議することが、宿題。一般質問が自由研究。」咄家ならではの発想力だ。
「議員は自分のスタンスをしっかり。主義主張を明確にすることが大切。無我夢中だった新人議員のころより少しは余裕がでてきたかも。上下関係が厳しい落語の世界の修業も生きている。素直な気持ちは大切だし、空気が読めない、いわゆるKY、状況判断ができないものは、咄家も議員もダメ。」落語も根底には「庶民の心」がある。
・・・なんて、こんな記事もありました。

「小江戸落語会」の盛況を祈りたいと思います。
   日時   4月9日(土)14時~
   場所   川越市民会館やまぶきホール

上野の桜

上野の桜
cherryblossom地震のための自粛で、桜まつりが、中止になった上野の山。
お祭りはなくても花は咲きます。
帰宅途中に覗いてみると、飾られた提灯に灯は灯らず、いつものように暗い中で、桜は健気に咲いていました。
せっかく咲いたんだから、多くの人に観てもらいたいだろうに・・。
桜花たちもちょっと可哀想。
それでも、酒に酔って大声を発する勘違いたちもいました。
桜も今日あたりが満開だとか。

救いの腕

わが圓窓師匠の創作噺。
師匠が「唯川恵」さんの小説を元に作られたという噺です。
設定を江戸時代に変えていますが、何となく現代の香りがする感じ。
二十歳のおまきが姉を訪ねてきて、亭主の善吉のことを愚痴ります。
善吉は十歳上なのですが、「毎日決まって暮れ六ツ(午後六時)には帰ってきて、何を聞いても返事は“ああ”“うう”。
固い本を夢中になって読んでいるばかりで張り合いがない」とこぼします。
姉の亭主が何日もどこかで遊んできて、帰ってくればぶったりぶたれたり喧嘩ばかりなのとは大違い。
おまきはそんな姉夫婦がうらやましいようです。
実はおまきには忘れられない人がいるのでした。
それは十歳の時、向島の川で桜の枝を拾おうとしておぼれた時に、たくましい腕で救ってくれた男。気を失ってしまい、誰だかわからずに今日まできてしまったのです。
そう打ち明けて、亭主の善吉とは別れたいというおまきですが・・・。
この噺は、姉妹の会話が中心で、若い女性が主人公という、珍しい噺です。
結婚してみたら亭主には何となくもの足りなくなり、腕の記憶だけが残る男性に惹かれてしまう。
揺れ動く女心が、川面の水に象徴されているようです。

女性同士のとりとめのない姉妹の会話は新鮮かつ自然で、聴いた後に優しい気持ちになれる、素敵な噺です。
何か霞がかかっているような、幼児の頃の体験や記憶・・・。
記憶が曖昧なだけに、極端に美化していることもあるようです。
そんな心理を、それも女心を巧みに表現する師匠の話芸とオチは、落語の素晴らしい一面を堪能させてもらえます。
この噺、実は師匠のライフワークでもあった「圓窓五百噺」の第499題目の噺で、2001年3月9日に名古屋の含笑寺での最終公演でお演りになっているのです。
もう一度しっかり聴いてみて、次回の落語っ子連で演らせてもらおうか・・・。
今度の稽古会の時に、師匠にお願いしてみようか・・・。

2011年4月 5日 (火)

写楽展

写楽展
これも地震の影響だとか。
今月から上野の国立博物館で予定されていた写楽展が、来月からになったそうです。
多くの駅のホームなどに掲示されている大きなポスターにも、日程変更のシールが貼られています。
これは見たいと思っています。

鈴本演芸場

    
先月の鈴本演芸場余一会「柳家さん喬独演会」。
「おせつ徳三郎」「百年目」という、さん喬師匠は、2つの噺が「お店」「お花見」で"ついた"と仰っていましたが、旬の花見ですし、お店噺と言っても、片や恋の噺、こなた奉公の噺。
全く違和感はありませんでした。
 
今回の余一会は、鈴本演芸場と「さん喬を聴く会」のコラボレーションでしたから、プログラムもオリジナルなものでした。

2011年4月 4日 (月)

公益財団法人

「公益財団法人」とは・・・、いきなり難しい話です。
公益財団法人とは、平成20年12月1日施行の「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」に基づいて設立される法人。
従来からの法人制度が大きく変わり、一般財団法人と公益財団法人とができたわけですが、公益財団法人の場合は一般財団法人とは異なり、複雑な手続きが必要です。従来からある財団法人はこの公益財団へと移行するか、一般財団となるかの選択肢を迫られることになります。
公益財団法人として設立できるのは、公益を目的とする23の事業に限定されます。
公益的事業として認められるのは「学術、技芸、慈善その他の公益に関する事業であって、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するものをいう」とされています。
また設立登記後に、行政庁(内閣総理大臣もしくは都道府県知事)に対して公益認定申請を行わなければなりません。
認定申請を受けた行政庁は、18の公益認定基準に照らして、その法人が公益財団法人としてふさわしいか、「公益認定等委員会及び合議制の機関」に諮問し、認定の可否を伝えます。 この結果を受けて初めて公益財団法人として認定されることになります。
公益性が認定されているわけですから、税制の優遇措置を受けることができます。
「・・・・公益財団法人」または「公益法人・・・・」というように「公益財団法人」という文字を使うことができ、この公益財団法人という名称は公益性が高く、信頼できる法人であるという印象を与えることになるでしょう。
・・・という訳で、「落語芸術協会」が、「社団法人」から「公益社団法人」に改めることを発表したそうです。
桂歌丸会長は「これを機に協会員一同、更なる落語、演芸文化の振興発展に精進し、それを通じて社会への貢献を果たしていくべく、より一層努力いたす所存です」とコメントされたとか。
確か、某国技の団体も目指していたようですが、立て続きの不祥事で、存続そのものが問題になりました・・・。
ところで、「社団法人落語協会」はどうなんだっぺ?

学士会落語会から・・・

学士会落語会から会員あてにメールが来ました。
学士会落語会からのお知らせ
Photoこの度学士会では同好会の紹介案内を学士会ホームページに掲載することになり、4月1日の学士会ホームページに掲載されましたので、ご高覧下さい。
掲載開始は平成23年4月1日、内容に重要な変更がない限り、原則1年ごとに更新されます。
 
http://www.gakushikai.or.jp/
学士会ホームページを開き、画面右下の黄色地の「学士会同好会」をクリックすると、「学士会同好会の紹介ページ」が開き、歴史の古い順に7同好会の簡単な紹介文が載っています。
一番最後の「学士会落語会」の紹介文の直ぐ下の「詳細はこちらを」をクリックすると、組織、活動状況、入会条件、入会方法等の詳細が得られる仕組みです。
このホームページに、私の高座の写真が添えられています。

東日本大震災

正式に「東日本大震災」という名称に統一されるようです。
「東北関東大震災」だとか「東北地方太平洋沖地震」だとか、色々言われていましたが。
やはり「東日本」でしょう。
「震災」の方が「地震」よりも重大な災害だということでしょう。
「東日本大震災」・・・・。
歴史に残る、日本の行く方向すら変わったかもしれない、将来「あの日から」と言われるような、重大な出来事になるでしょう。

窓門会

   
圓窓一門の後援会「窓門会」からのDM。
池袋演芸場の4月下席に、萬窓さんが主任を勤められるそうです。
それから、同じ池袋演芸場で、4月24日(日)に、恒例の「三遊亭窓輝の会」。
確か、一門会も夏に開催するって言っていましたが・・・。

2011年4月 3日 (日)

ラジオ寄席

今シーズンの最終回。
今夜は、八代目林家正蔵特集です。
まずは、弟子の林家正雀師匠の思い出話。
 ◇ 五人廻し    林家正蔵
いろいろ面白いエピソードのある師匠で、ご生存の頃を知らない人でも、多くのお弟子さんたちが物真似をしますから、若い人の間でも有名ではないかと。
学生時代は、正直なところあまり聴きませんでしたが、よぉく聴いてみると、本当に上手い、面白い師匠です。
ラジオ寄席もプロ野球中継のために半年間お休みということですね。

お花見の宴会自粛

cherryblossom"銭湯で上野の花の噂かな"
1上野公園(正式には上野恩賜公園)の「上野桜まつり」が中止になりました。
酒宴の自粛を促す看板も立てられているようです。
私は、個人的には、寒い・埃っぽいところで飲み食いしても・・、と思う方ですから、お花見の騒ぎは好きではありませんので、まあ仕方ないかという感じ。
時節柄、節度のある花見をしましょうということでしょう。
それでいいと思いますよ。
上野恩賜公園(一般的には通称上野公園で知られ、「上野の森」とも呼ばれている)は、3代将軍徳川家光の命により天海僧正によって建立された寛永寺の境内跡であります。
江戸時代、寛永寺の建立後に天海僧正が吉野山から桜を移植したことが始まりの歴史ある桜の名所でもあります。
上野公園の南端には、周囲約2km、面積約110万㎡の不忍池(しのばずのいけ)があり、都会の中にありながら、多くの鳥が飛来し自然が溢れている都会のオアシスとなっています。

落語でデート

最近、休日にも拘わらず、どういう訳か、この時間(朝6時)に目が覚めるようになりました。
立川志の輔さんが、ゲスト(女性)と落語を聴こうという番組。
今朝は、女優の酒井和歌子さんでした。
  ◇ 長屋の花見     八代目三笑亭可楽
旬な噺、先代の可楽師匠のこと、約12分!

お初徳兵衛浮名桟橋

お初徳兵衛浮名桟橋 お初徳兵衛浮名桟橋
隅田川馬石さんの映像で視聴しています。
明治時代に三遊亭圓遊が、一部を切り出して「船徳」という滑稽噺にしたそうですが、馬石さんは、この一連の滑稽な噺の部分を「さっき顔を真っ青にした客が上がって来た」と、一言で表現しています。
ここに原話と翻案の接点がありました。
一途なお初が好きだから、さほど噺も長くないから、真面目な話、近々チャレンジしてみましょうか・・。
ただし、こういうタイプの話なだけに、オチがない。

ぶらり江戸めぐり


また買ってしまいました。
「古地図と最新地図で歩く-ぶらり江戸めぐり-ぶらり落語めぐり」
江戸絵図・東京マップ、ぶらぶらと江戸の名残をたずねてみれば、知らなかった東京の素顔が見えてくる。
「ぶらり落語めぐり」で、6つの散歩コースが紹介されています。
はっきり言って、全コース(完全に重なっていませんが)踏破しているんです。
「長屋の花見」(上野)・「明烏」(浅草)・「百川」(人形町)・「王子の狐」(王子)・「目黒のさんま(目黒)」そして「芝浜」(芝高輪)の6コース。
毎日新聞社刊(毎日ムック)1,200円(税込)。

2011年4月 2日 (土)

真打競演

新年度になったからか、地震で中断していたのでとりあえず再開したものか、月曜日の夜だった番組ですが・・、今日は土曜日。
まあ、そんなみことはどうでも良い訳で、落語を聴くことが出来さえすれば。
  ◇ 猫久     桂文楽
文楽師匠、昨年体調を崩していたようですが、もう大丈夫なんでしょうか?
「猫久」も珍しい噺ですよ。なかなか聴くことが少ない噺です。

一個人「大江戸入門」

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大江戸歴史散歩とか江戸古地図とか、相変わらず江戸(時代)を題材にした物流行っているようで。
落語を徘徊する身には、こういう類のものは大変参考になります。
「一個人5月号~大江戸入門」(680円)。
なかなか面白いと思います。
[第一部]大江戸の姿と風景
◇江戸のシンボル日本橋の風景
◇「江戸」の誕生と成長の歴史
[第二部]大江戸の姿と風景
◇リアルCGで蘇る!史上最大の江戸城三代天守
◇参勤交代の実像
[第三部]江戸っ子の暮らし
◇池波正太郎『鬼平犯科帳』を歩く
◇長屋の暮らし
◇江戸の商い図鑑
[第四部]公許の遊郭・吉原
◇吉原の街と花魁たち
[第五部]水の都を歩く
◇水の都・江戸を巡る
[第六部]宿場町を歩く
◇江戸四宿の風景をめぐる
[第七部]江戸の二大事件
◇江戸の二大事件の地を歩く

日曜朝の文化放送

文化放送が開局60周年なんだそうです。
開局60周年イヤーとし、これまでも重点的に取り組んできた分野である「落語」をパワーアップした「落語プロジェクト」を展開するんだということです。
その旗印となるのが新番組「大正製薬 天下たい平! 落語はやおき亭」という番組。
文化放送の膨大な過去の放送音源の中から、落語秘蔵音源を発掘!昭和の名人たちによる懐かしの高座から、「浜松町かもめ亭」「人形町らくだ亭」で収録された最新の録音までを、毎回よりすぐって紹介していくほか、落語関係者とのゲストトーク、文化放送主催の落語会「浜松町かもめ亭」の最新情報や落語音源ダウンロードサイト「落語の蔵」の新作情報をお伝えします。
パーソナリティには、「笑点」メンバーでもおなじみ、現代落語界のエース・人気落語家の
林家たい平が登場します。

お馴染み「志の輔ラジオ 落語 de デート」(6:00~6:45)から「大正製薬 天下たい平!落語はやおき亭」(7:00~7:30)さらに「林家正蔵のサンデーユニバーシティ」(7:30~8:00)へと続く文化放送が誇る日曜朝の一大落語ゾーンをどうぞよろしくお願いします。
って、そう言ってました。
まことに結構なことでございますよ。
・・・でも、ちょっと日曜日の朝6時からというのは、早すぎるんですよねぇ・・。

2011年4月 1日 (金)

学士会ホームページ

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学士会のホームページに、学士会公認の同好会を紹介するページがあります。
その中に、当然「(学士会)落語会」も紹介されています。http://www.gakushikai.or.jp/info/club/index.html
驚くなかれ、紹介の写真が、昨年9月の5周年記念公演の時の私の高座のものなのです。
これは、委員で東大OBの「三山亭多楽」師匠のご配慮によるもののようです。
また、わざわざメールで知らせてくださいました。
顔から火が出るほど恥かしいと同時に、大変光栄に思い、お礼のメールを送らせていただきました。
お聞きするところによれば、学士会のホームページ上で、原則1年間この画面でアップされ続けるそうです。
真心に立ち返って、真面目に落語をやらなくっちゃあいけません。
ありがたいことです。

扇子っ子連発表会

地震で延期になっていた「扇子っ子連」(千早亭)の発表会の日程が決まりました。
5月15日(日)に「豊島区千早創造館」で・・。
「花色木綿」をやり直さないといけません。

師匠は針 弟子は糸

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「この人の弟子になる!」。
高校生の決断はアッという間だった。
師匠志ん朝が逝ってはや十年。30年間の師弟関係を描く鎮魂歌!
弟子志ん輔は、今の心境をこう綴る。
〈2001年10月1日、師匠古今亭志ん朝の死はわたしに重く辛くのしかかってきた。
ところが、悲しみとは裏腹にわいてきたあの解放感はいったいなんだったのか。
師匠への敬愛の強さだけ呪縛もあったのではないだろうか。
師匠の死によって「その縛りから解き放たれた」。そう感じたのだろう。
師匠への「不遜な思い」への償いは「追善」でしかなかったし、その方法がひたむきに稽古することだった。
あれから10年を迎える今、わたしは57歳になった。
最近ようやく嘘をつかずに本心を明かしても誰に憚ることのない覚悟が出来たのかも知れない。
志ん朝師匠が亡くなって10年になるんですね。
志ん輔師匠の本を読んでいます。
早く、大きな名前を襲名して欲しいものです。
古今亭志ん輔著「師匠は針 弟子は糸」(講談社・1600円)

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