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2011年3月21日 (月)

落語評論はなぜ役に立たないのか

こんな小噺があります。
無精な人たちの会話。
「せっかくこれだけ無精が集まったんだから、"無精会"ってのを作ろうよ。」
「よそうよよ。面倒臭ぇから・・。」
落語評論というのは、昔から多く刊行されています。
何か理屈っぽいものや内容のない、偏ったものりばかりで、あまり真面目に読んだことはありません。
落語の評論でも、上の小噺のスタンスいいような気がします。
無精落語評論で十分だと。Photo
広瀬和生著「落語評論はなぜ役に立たないのか」(光文社・777円)
最近、ブームも一段落したからか、ネタが尽きたからか、落語に関する書籍の出版が減っているきがしましたので、とりあえず買ってみました。
出版社のコメントというのがありましたよ。
◎誰が落語を殺すのか?
◎「昭和の名人」の時代から現在の"落語ブーム"までの歴史を追い、落語の本質と評論の役割を考察する
◎特別付録「落語家」「この一席」私的ランキング2010
◎評論家のような顔をして「とにかく寄席に行ってみよう」と言っている書き手は信用してはいけない。
その書き手は「評論家」ではなく、「寄席に行こう」キャンペーンの宣伝マンに過ぎない。
そして実は、「寄席に行けばいい」と言う評論家は、寄席そのものにロクに足を運んでいない。
現実を知らないから、そんな無責任なことが言える。
「寄席は面白くない」のではない。「面白いときもあるし、そうでないときもある」という寄席の現実を、彼らはロクに知らない、という意味だ。
寄席が面白いかつまらないかは、出演者によって決まる。面白い演者が見事な連携プレイを見せれば、寄席は最高の「落語ライヴ会場」となり得る。(本文より)

ふぅ~ん、よしましょうよ、そんな議論。面倒臭いから・・。

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