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2011年2月25日 (金)

百川(ももかわ)

落語にも、ある特定のものの宣伝だと言われる噺があります。
例えば、私がチャレンジしている「甲府ぃ」は、法華(今の日蓮宗)の宣伝だと言われています。
「百川」という噺も、実在の料理屋さんの宣伝だと言われています。
日本橋浮世小路にある料理屋「百川」に奉公人としてやって来た田舎者の百兵衛。
旦那とあれこれ話していると、二階の客間で店の者を呼ぶ声がしてきたので、用を聞きにいってくれと命じられる。
ところが、二階の客は威勢の良い河岸の若い衆ばかりで、百兵衛の田舎言葉がさっぱり分からない。Sijinki
すると、百兵衛が口にした「主人家の抱え人」を、祭りに必要な「四神剣の掛け合い人」と聞き間違えてしまい、大切な四神剣を質に入れてしまっていた若い衆は、そのことがバレてはいけないと慌てて、「ひとまず具合は黙って飲み込んで欲しい」と百兵衛にお願いをしてみる。
すると、頼まれた百兵衛が今度は「具合を飲み込む」という言葉を聞き間違えて、目の前にあった「クワイのキントン」を飲み込んでしまったので、その様子を見た若い衆が驚いた。
あとになって百兵衛の正体を知った若い衆は、百兵衛に三光新道(現在の日本橋人形町)へ行って、常磐津の歌女文字という師匠を呼びに行かせるが、遣いに出た百兵衛は歌女文字という名前を忘れて、似た名前の鴨地玄林という医者を連れて帰ってきたので、百川で再び騒動が起きる…。
「百川(ももかわ)」は、江戸時代から明治の初め頃まで存在していた懐石料亭。
日本橋(今の日本橋室町)にあって、天明時代(1781年~)には向島の葛西太郎、それから大黒屋孫四郎、真崎の甲子(きのえね)屋、深川の二軒茶屋と、この「百川楼」が五指に入る第一流の名店だったそうです。
黒船来航の時は、乗組員全員に本膳を出して、その値がなんと一千両だったと言われ、他店の手伝いを借りず自分の店だけで賄い、食器等も全て自前で揃えたぐらいの力があったということです。
この噺は、百川の宣伝のために作られたとも言われていて、マクラで「百川で実際に起きた噺」と触れる噺家さんもいるようです。
「日本橋浮世小路」なんて・・、とてもいい響きの小路ですね。
浮世小路は今の中央通り日本橋から歩いて、左手に三越本店を見ながら右手にあるビルの先、を入る道が日本橋小舟町に抜ける道で、安政6年の切り絵図を見るとはっきり浮世小路の名前が見られますそうで、その先の左側に「福徳稲荷」があり、その界隈に「百川楼」があったと言われるそうです。
この噺、よく聴くと面白いですよ。
勘違いの積み重ねと、田舎者の百兵衛さんがいいですね。

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