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2011年2月20日 (日)

亀田村

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落語「福禄寿」に出て来る、北海道の亀田村。
改心した福徳屋の長男六太郎が、福島から北海道に渡って開墾したと圓朝がいう「亀田村」。
落語「福禄寿」の舞台を歩くという文を書いた方が、亀田村のことを調べていて、以下のように記されています。
そのまま紹介させていただきます。

現在の北海道函館市亀田。明治の始め亀田村と呼ばれた。
五稜郭は亀田村の一部であったが、函館に吸収されて約半分になってしまった。
明治32年の事であった。
昭和40年代に亀田村から亀田町になり、まもなく亀田市になった。
48年隣市函館と合併し亀田市は函館市となった。
幕末期の記録では「一本木 亀田、箱館の境也」(「蝦夷日誌」『函館市史』史料1)、「(亀田村)より七丁許過て一本木村と云ふ、家数わづか四、五軒なり、是より七、八丁にして箱館の入口」(「松前紀行」『函館市史』史料1)などとあって、「一本木」が箱館と亀田村の境界地帯として箱館の外と位置付けられている。
明治に入ると、箱館戦争時の記録に、箱館を占拠していた榎本武揚(えのもと たけあき)ら旧幕府脱走軍は「(明治元年:1868)11月より一本木町端に関門を建、夫より大森浜手の処迄木戸を拵、箱館の出入の者壱人改に致す」(「箱館軍記」『函館市史』史料2)とあり、一本木は箱館の区域内という認識が生まれ、箱館の町域の東端は一本木の町端から大森浜を結ぶ線と位置付けられている。(函館市史 通説編第2巻より)
「開拓使事業報告」によれば、「永禄5年(1562)畑地開墾を以て北海道の嚆矢(こうし。かぶらや=ものの始まり)とす、すなはち亀田郡亀田村是なり」とあり、亀田村では五穀を作ったというのと野菜を播種すという両様の記録もあり、その細部については不明であるが、いずれにしても北海道の農業の起源と見てよいであろう。
しかし、これらも当時の状況地形から見て農業の専業ではなくコンプ採りも兼ねていたものと思われる。
松前郡では永禄(1558~1569)以後、皆宅地のそばに野菜を作ったとあり、天正16年(1588)近江国の建部七郎右エ門が野菜種子の行商人となって松前に渡ったともいう。
(北海道立道南農業試験場 70年史より)
細かいことは分かりませんが、「福田」とか「六太郎」などという名前は見当たりません。
でも、いいじゃないですか。
落語というのは、芝居や講談や浪曲と違って、「誰でもいいんだよ」「いつでもいいんだよ」というのが真骨頂ですから。
三遊亭圓朝師匠は、例えば「真景累ヶ淵」でも、かなり詳細な取材を行っていますし、「鰍沢」でも、そこそこ整合性のあるストーリーにしていますから、この噺を作った時も、何かヒントになったのでしょう。

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