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2011年2月11日 (金)

談洲楼燕枝

2月11日は、明治時代に三遊派のドン「三遊亭圓朝」に対して、柳派のドンといわれ、圓朝と二分していた「談洲楼 燕枝」の命日だそうです。
≪談洲楼 燕枝(だんしゅうろうえんし)≫
天保8年10月16日(1837年11月13日) - 明治33年(1900年)2月11日)は江戸出身の落語家。
本名は長島 傳次郎。江戸小石川春日町の酒屋に生まれる。
通称「二葉町の師匠」。
・万屋勘兵衛(親類で水戸家出入りの料理屋)の養子となる。
・1856年、初代春風亭柳枝に入門、春風亭傳枝から初代柳亭傳枝を名乗る。一時、万屋に戻る。
・1861年、二つ目で初代柳亭燕枝を襲名。三遊派の三遊亭圓朝とは当時はライバル同士で燕枝は柳派の頭取、年齢が一つ違いで没も半年違い。
・1868年、「落語睦会」の頭取、議長、社長を勤めた。
・1881年12月、落語史上初の「シカ芝居」を上演する。
・1885年3月7日、真打で初代燕枝襲名し両国の中村楼で披露行う。
・1888年、圓朝等と共に「演芸矯風会」の評議員に就任。
・1890年、柳派の頭取を3代春風亭柳枝に譲り引退。
・1900年、動脈瘤破裂で死去。

この経歴を見て、色々なことが分かりますね。
まず、柳派の頭取の筋は「春風亭柳枝」だということ。
圓朝とはライバルであり、没年も同じだということ。
「鹿芝居」を始めた人であること。   
談洲楼というのは、歌舞伎の九代目市川團十郎との親交関係から名乗ったようで、もとは「柳亭燕枝」だということ。等々・・・。
Main燕枝代々を調べると、三代目までいるようです。初代・二代目は「談洲楼」を名乗りましたが、 三代目は「柳亭」だったそうです。
三代目が亡くなったのが昭和30年で、その後襲名はありません。
先日のある落語会で、「柳亭燕路」さんが、「柳亭」というのはマイナーで、なんて言っていましたが、「柳家」と並んで「柳亭」も由緒ある亭号なんですね。
今の落語界で、襲名されていない大名跡を見ると、「談洲楼燕枝」のほか、「三遊亭圓朝」「春風亭柳枝」「三遊亭圓生」と「古今亭志ん生」あたりでしょうか。

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