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2011年2月

2011年2月28日 (月)

如月の落語徘徊

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2月も終わります。
まず、寄席・落語会徘徊はたった4回のみ。
◆  5日  特撰落語会
◆ 11日    柳家さん喬師匠を聴く会 
◆ 25日  人形町かもめ亭
◆ 28日  紀伊國屋寄席   

続いて、落語の稽古会は、発表会を控えて3回。
                       ◇  6日  落語っ子連「甲府ぃ」
            ◇ 20日   落語っ子連「甲府ぃ」
Img_0001◇ 22日  扇子っ子連「花色木綿」 

そして、「とある会」への出演。
◇ ねずみ   金願亭乱志

プログは、先月累計10万件を突破した後も、おかげさまでご贔屓をいただいたおりまして、来月中旬には「111,111件」に達する見込みです。

Obそして、一番大きな出来事は、「破れ家笑児」さんとの30年ぶりの再会と「笑児乱志二人会」構想のスタートです。

稽古会で、複数の噺に並行してチャレンジしていて、師匠からいただくアドバイスの数々が、本当にビシッと刺激と励みになります。
もっともっと、落語が上手くなりたい・・・。

紀伊國屋寄席

紀伊國屋寄席
 ◆ 棒鱈        古今亭菊六
 ◆ 四段目       桃月庵白酒
 ◆ 江島屋       金原亭伯楽
 ◆ 二階ぞめき    柳家花緑
 ◆ 柳田角之進    三遊亭圓窓
紀伊國屋寄席
今夜は、あまり聴く機会のない、珍しい噺が複数ありました。
それにしても、圓朝作品である「江島屋」と、長講「柳田角之進」を一度に聴くことが出来るなんて。
紀伊國屋寄席
伯楽師匠は、ご自身の著書を自らロビーに出て販売していました。
圓窓師匠の「柳田・・」は、恐らく1時間を超えていたと思います。
跳ねたのは9時38分頃でした。
先月は、9時前にお開きになっていたはずです。

落語ファン倶楽部 Vol.12

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落語ファン倶楽部の第12巻目が明日発売。
Amazonで注文。
中身はよくわからず。
ただ、条件反射の衝動買い?

地下鉄東西線

1978(昭和53)年の今日、 東京の営団地下鉄(現東京メトロ)東西線の荒川鉄橋で東西線車両が竜巻に遭い、脱線・転覆するという、驚くべき事故が発生しました。Photo
1978年(昭和53年)2月28日21時34分、帝都高速度交通営団・東西線
(複線・自動閉塞式)、葛西~南砂町間の荒川鉄橋(延長1236m)を約90km/hで走行中の下り電車(編成10両)が、突然の強風のため後部3両が脱線し、うち最後部の2両が上り線に横転、23人が負傷した。
電車の脱線横転時に、鉄橋の鉄桁を破損したため、修理復旧に長日数を要して、間接的な被害が大きかった。
原因は、列車が高速で、最後部車が軽く(自重26t)、強い突風との相互作用によるものとされた。
同鉄橋は比較的風が強いため、風速に応じた運転規制(20~30km/SECで警戒、
30km/SE以上で運転停止)としていたが、事故時の風速は規定以下で平常運転としていた。
当時、どうして地下鉄に鉄橋があるんだとか、あんなに重い(重そうな)電車が引っくり返るなんて・・・等々、大変驚いたものでした。
もう33年も前のことになるんですね。
春一番が吹いていたんですね。

代書(屋)

51k1v2pk6i桂枝雀師匠の「代書」。
先代の桂米團治の創作によるもので、東京でも権太楼師匠が[代書屋」として得意にしています。
枝雀師匠の噺を聴いていて、流暢なリズムというものはないんですね。
ただ、面白いくすぐりや小噺がどんどん出て来るのを、かなりの早口で進めて行く。
全体に流れる川のようなものはあまり感じられない。
それが、芸の特徴なのでしょう。
落語とは「緊張」と「緩和」のチェンジ・そのバランス。
このふたつの状態の切り返しの連続ということは、枝雀師匠の芸は、極めてデジタルなものなのですね。
その切り替えの瞬間が明快だから物凄く受ける。
勿論、表情や仕草も面白い。さらに爆笑となる。
失礼なことを言うことになりますが、枝雀師匠も志ん朝師匠も、奇しくも60歳台前半で亡くなりましたが、もしかすると、芸の上ではそれで良かったかもしれません。
枝雀師匠の芸など、高齢になったら絶対に出来ませんから。

心臓移植

先日、あるお医者さんが亡くなったそうです。
1968(昭和43)年に日本で初めての心臓移植を行い、その是非を巡って強い批判も浴びた先生です。88歳だったそうです。Photo
海でおぼれた大学生の心臓を、心臓弁膜症と診断された18歳の男性に移植することに成功し、マスコミはこれをこぞって賞賛しました。
心臓移植は、世界でも30例目だったそうです。
ところが、移植から83日目に患者さんが死去。
その後、患者さんの心臓病は本当に移植をしなければならないほど重症だったのか、臓器提供者は本当に脳死だったのか、といった疑問が大学内部からも噴出し、殺人の疑いで告発され、マスコミ報道は一転、称賛から批判に転じました。
当時小学生だった私は、子ども心に毀誉褒貶するマスコミに驚いたものでした。
「拒絶反応」なんていう医学言葉を覚えたのも、この出来事だった気がしています。
数年前、部下だった人のお嬢さんが重い心臓の病気で、臓器移植を受けるために渡米したことを思い出しました。
待ち焦がれたドナーが見つかり、手術を受けたのですが、残念ながら19歳の短い命を閉じてしまいました。
医療費を捻出するのに、募金活動などを行ったことを思い出します。

2011年2月27日 (日)

ラジオ寄席

身内の前で落語をやり、叔父のお祝いから帰って来て、ちょっと疲れているところで、ボーっとして落語を聴くという贅沢。

 ◇ 桃太郎後日の話  春風亭百栄
 ◇ 千早振る       橘家文左衛門

個性的な若手人気噺家さんの二人。

家族の感想

昨日初めて私の落語を聴いた家族が、簡単な感想をそれぞれメールで送ってくれました。
恥ずかしながら、紹介させていただきます。
(家内は、自分たちの結婚披露宴で私が落語をやりましたので、全く初めてではありませんが、一席通して客席で聴いてもらうのは初めてです。)
家内:「日頃の練習の賜物でしょうsign01良かったですsign03 私も負けずに韓国語が上達するように頑張ります。お疲れさまでした。」
娘と息子は、親父が変なことをやっているぐらいに思っていたのでしょうが・・・。
娘:「初めて落語を聴いたけど、楽しかったです。これからもがんばってね。」
息子:「落語の発表お疲れさまでした。落語のことはよくわかりませんが、素晴らしかったです。」
照れ臭さが先に立つものの、大変嬉しいコメントでした。
・・そうそう、母にも初めて聴いてもらいました。
きっと、この様子を俳句にして送ってくれるでしょう。
こういうステージを用意してもらえた叔父と従姉弟たち(特に落語好きになった従妹)に、改めて感謝・感謝です。

「昭和の名人完結編」(2)

Photo 昭和の名人完結編」の第2巻は、古今亭志ん朝。
名実ともに落語界のプリンスでした。

◇居残り佐平次  古今亭志ん朝
◇猫の皿      古今亭志ん朝

表紙の写真を見て、30歳台の頃だと思いますが、何て言ったらいいのか・・・、とにかく「格好いいなぁ」と思いますね。
「これが噺家だ」と、志ん朝師匠をそのまま頭の中に刷り込んでいる落語ファンも多いと思います。
「昭和の我々は圓朝を聴けなかった。しかし、明治の人は志ん朝を知らない。」みたいなことをいう方もいらっしゃるようです。
弟子の志ん橋師匠が、師匠を語っています。
内容そのものは、今までも紹介されていたものも多いですが、名人志ん生の息子、絶大な人気などで、天狗になることもなく、むしろ心配りの物凄い、人格者の師匠だったそうです。
考えてみると、超人気者でチケットも入手できなかったこともありますが、志ん朝師匠を生で聴いたことが何度あったでしょう・・・。
ちょうど落語から離れている間に、名人の名前を欲しいままにし、そして亡くなってしまいました・・・。
素人落語の会に行くと、「うわぁぁ、志ん朝師匠のコピーだぁ!」という人が多いのです。
志ん朝ファンの多さと、テンポの良さで、自分のネタの音源にする人が多いということです。
ところが、志ん朝師匠独得の、台詞の間を取るのに入れる「えっ?」というのもそのままに演るので、聴きづらいことおびただしい・・・。
名人と言われる人の音を参考にする場合は、良い意味で、その特徴を消さないといけません。
今回の私の「甲府ぃ」は、若かりし頃の志ん朝師匠の音源で学生時代にチャレンジしたものを、文字を追わずに、頭の中で思い出しながら噺を組み立てました。
その過程では、かなり"志ん朝色"を消したつもりでいたのですが、最初に稽古で聴いていただいた時、圓窓師匠から「志ん朝さんだね」と言われました。
落語を演るという観点では、志ん朝師匠は、やりやすそうでいて実は大変難しいと思います。
ちなみに、落語っ子連の発表会の時、志ん朝師匠の出囃子「老松」で、高座に上がりたいと思っています。

世界らん展


叔父のCD制作のご披露会の翌日は、東京ドームで開催されている「世界らん展」を見物。

洋蘭、東洋蘭、日本の蘭など世界各地のさまざまなジャンルのランを一堂に集めた “世界を代表する蘭の祭典”だと言われていて、最終日でもあり、かなり混雑していました。

私は、当然のことながら、田舎から出て来た母や叔母夫婦の引率?の係です。

元気だとはいえ、歩いている姿を見ると、元気なオフクロも随分年を取ったものだと、少々おセンチになりそうでしたが、美しい蘭の花々を見ながら、合間にベンチに座って色々話すことも出来ました。
前日、「ねずみ」を聴いてもらいましたが、どんな風に思ってくれているでしょう。
「師匠と、応援してくれている人たち(従妹や家族)に感謝しなさい」ということでしょう。

柳田角(格)之進

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圓窓師匠が、今月末の「紀伊國屋寄席」のトリでお演りになる予定の「柳田角(格)之進」。
これも壮絶な内容の噺です。
大学1年生の時に、先代「金原亭馬生」師匠で、生で仙台で聴いたのが、この噺との出会い。
彦根の城主井伊氏のご家来で柳田格之進という文武両道に優れ品性正しく潔癖な浪人がいた。
正直すぎて人に疎まれて浪人をしていた。
浅草阿倍川町の裏長屋に娘”きぬ”と二人で住んでいた。
娘の助言で碁会所に顔を出すと、馬道一丁目に住んでいる質屋、万屋源兵衛と気が合っていつも二人で対局をしていた。
それなら私の家でと言うことになり、万屋源兵衛の家のはなれで指すようになっていた。
終わると二人は一献傾けて楽しんでいた。
そんな毎日を過ごしていたが、8月15日、中秋の名月十五夜の晩に月見としゃれながら夢中で指し、一杯ご馳走になり帰ってきた。
一方、万屋源兵衛の店では、その晩に集金したばっかりの50両の金子が紛失してしまって大騒ぎ。
二人が指している時に無くなったのだから、相手の柳田様が「もしかしたら・・」と番頭が言うのを振り切って話を納めた主人だが、収まらないのは番頭の徳兵衛。
 番頭の一心で、翌日柳田の長屋を訪ねて、事の次第を話し、「もしかしたら柳田様がご存じかと・・」
「拙者が盗んだというのか」
「思い違いではと・・」
「私はどんなことがあっても、人の物を盗むという事はない!」
「お上に届けて裁いてもらいますが・・」
「それでは私が50両作りましょう。明日昼に来なさい」。
番頭が帰った後、娘の忠告で「裁きになれば潔白は晴れるが、その汚名は拭えないので、腹を切る」と言うところ、
「私が身を沈めてお金を作ります」。
翌日番頭に50両渡し「その金ではない、後日金が出たらどうする」
「そんなことはありませんが、その時は私と主人の源兵衛の首を差し上げます」。
その事を源兵衛に報告すると、源兵衛は謝りに番頭を連れて安倍川町の裏長屋に来てみると、すでに柳田は家を引き払った後であった。
落胆して戻る源兵衛。
店の者、出入りの者にも頼んで捜したが見つからなかった。
煤払いの日、額縁の裏から50両が出てきた。
「そうすると、あの柳田様の50両は・・・」。
どんなことがあってもと源兵衛は柳田様を捜させた。
が、その年は見つからなかった。
年が改まって、4日、山の手の年始挨拶に番頭は出入りの頭を連れての帰り道、雪が降り始めた湯島の切り通しにさしかかった。
籠屋をいたわって歩いて坂を登ってくる侍がいた。
蛇の目傘の内の贅沢なこしらえが目に止まって、見とれてやり過ごそうとした。
その時、侍から声をかけられた。その侍が柳田格之進であった。
今では300石に取り上がられている。
「湯島の境内に良い店があるから」と連れて行くが番頭は閻魔様に連れて行かれるようで人心地もしない。
店で50両が見つかったことを話し、許しを請うが、明日昼頃万屋に伺うので、体をよく洗って置けと言い残す。
翌朝、源兵衛は番頭を使いに出して、柳田を迎え非礼を詫びたが、使いに出ないで待っていた番頭は「私がしたことだから」と主人をかばうが、娘の手前勘弁出来ないと二人を並べて切り捨てる。
床の間の碁盤が真っ二つになって二人は一命を取り留めた。
二人の主従の真心が心に響いて手元が狂った。
さっそく、半蔵松葉から”きぬ”さんを身請けしてきて、娘に詫びたが、娘も父上の為ならと快く応じた。
前よりも柳田と源兵衛は深い付き合いをするようになった。
番頭の徳兵衛ときぬは夫婦となり万屋の夫婦養子になりめでたく収まったが、二人は仲が良くてまもなく男の子を産んだ。
その男の子を柳田が引き取り、家名を継がせた。
確か、馬生師匠では、この吉原に身を売った娘さんは、身請けはしたものの、ボロボロになって戻って来るという演出で、「後ろ姿は老婆のようだ」という台詞が、耳に残っています。
今は、多くの噺家さんは、上のようなハッピーエンドにしているようですが、さて、圓窓師匠は、どのようにお演りになるでしょう・・。
師匠には、「出張がなくなりましたから、当日(紀伊國屋寄席に)聴きに行きます」と、先日の扇子っ子連の稽古会の時にお伝えしました。

2011年2月26日 (土)

とあるお披露目

歌好きの叔父(母の弟)が、カラオケが高じ、自ら作詞作曲した歌のCDを制作しました。
母が補作詞をし、姉弟でのCD制作を記念して、そのお披露目の会がありました。
叔父の3人の子どもたちが企画して、大変賑やかな会になりました。
・・叔父から(私の落語を何度か聴きに来てくれていたこともあり)、このおめでたい会で「是非落語をやってくれ」と頼まれました。
すぐに二つ返事でやらせてもらうことにしました。
・・でも待てよ。
自作の歌2曲のお披露目は、せいぜい10分でしょう。
叔父のお義姉さんが、歌に合わせて藤間流の踊りを踊ってくださるとしても・・。
落語は20分以上、下手をすると(私のことですから)30分ぐらいやってしまうかも・・。
ところがありがたいことに、叔父から「大丈夫。時間はたっぷりあるから、思い切ってやってくれ。」と、"めくるめくような"言葉をもらったので、「それでは!」と、本当に図に乗って「ねずみ」をやらせてもらうことにしました。
まだ叔父に聴いてもらっていない、ハッピーエンドで、(私の第二の故郷の)仙台が出て来るなど、お祝いの席には「浜野矩随」よりはよいだろうと思いましたので・・・。
ところが、引き受けて初めて、ある大変なことに気がつきました。
・・落語を聴いてくれる人全員が親戚・身内であるという、とんでもない事実です。
しかも、その中に、私の家族(母・家内・娘・息子)もいます。
今まで、落語をやっていることは知っていても、実際に落語をやっているのを見せたことはありませんでしたから・・・。
あまり身内に見てもらいたくないという部分もありましたから・・。
という訳で、学生時代を含めて、今まで何度も高座には上がりましたが、今回が一番緊張したかもしれません。
今まで何人か知人が聴いてくれていることはありましたが、客席全員が身内というのは・・・・。
実に大変なプレッシャーでした。

  ◇ ねずみ      金願亭乱志

1年ほど前から落語ファンになってくれた従妹(叔父の長女)が、懇切丁寧に紹介をしてくれた後、いよいよ「ねずみ」の見参です。
出来の良し悪しというより、何とか約30分の「ねずみ」のオチまで無事に辿り着きました。
みんなが温かい拍手をしてくれました。
「あぁぁ、やらせてもらって良かった」と思いました。
叔父と従妹の心が、今回の私の家族の前での「ねずみ」を実現させてくれたようなもので、本当に感謝したいと思います。

東京かわら版

2

2月は短いですから、「東京かわら版」が届いたのも、随分月末近くになった感じです。
今号は、巻頭に多額子供手当受給者の「H」元総理大臣です。
まあ、読みたくありませんね。
特集は、三遊亭歌之介師匠。
面白い師匠です。
以前、新宿の紀伊國屋書店2階のCDショップで、見かけたことがありましたが、普通のあんちゃんでした。
ご自分のCDの売上具合でも見に来ていたのでしょうか?
ここのところ、発表会などが目白押しで、寄席落語会通いがちょいと少なくなっていますので、来月中旬になって落ち着いたら、また再開しようと思います。

お江戸OB落語会の香盤


お江戸OB落語会の香盤を一応仮決めしてみました。
      ≪第2回 お江戸OB落語会≫
 ◇たらちね     破れ家笑児 
(今回初めての出演)
 ◇替わり目     喰亭寝蔵  (落研御三家の名人)
 ◇笠碁        南亭蕪生  (会長満を持して登場)
          仲入り
 ◇百川        談亭志ん志
 (落研御三家の達人)
 ◇佃祭        金願亭乱志 (仮のトリ)

自分で言うのも何ですが、今回も素晴らしいメンバーに恵まれたと思います。Hoshi_07
落研御三家のうち、達人志ん志・名人寝蔵の両師匠が仲入りの前後をビシッと締めてくれます。
OB会長の蕪生師匠の伝説の「笠碁」が、45年の時間を越えてベールを脱ぎます。
新登場の笑児さんのフラは大変に見ものですから、乞うご期待です。
問題は、不肖乱志です。とりあえず、トリの位置にしてあります。
「百川」と"祭"がついてしまうかもしれませんが、このあたりはお許し願うことにしたいと思います。

この傘

この傘
何の変哲もない、突然の雨降りの時に、コンビニに飛び込んで買った傘です。
雨降りの度に買ってしまい、こんな傘がもう何本にもなります。
ところが不思議なもので、こんな物にも相性や縁みたいなのがあるのでしょうか。
この傘とは、何度か別離の危機?がありながら、かなりの時間付き合っているんです。
別離の危機というのは、全て持ち主な私に原因があります。
朝の通勤電車の中に忘れて、上野駅で電車を降りてから気がついて、慌てて取りに帰ったこと。
落語会に行く途中、三越前駅のトイレの笠掛けに掛けたまま、ホームで気がついて、長いエスカレータを駆け上がったこと。
毎朝立ち寄るカフェの椅子に掛けたまま、会社の前まで行って気がつき、店員さんに言い訳をしながら取って来たこと。
この傘、取りに戻る度に銀色の柄を輝かせながら、静かに私を待っていてくれるのです。
傘に歴史あり・・・・。
要するに、よく傘を忘れるアホの話です。
この傘のこれからの行く末を扱った噺が「傘後」・・「笠碁」?
「山田く~ん、座布団全部持ってっちゃって。」

馴れ合い

国技と言われるスポーツ?が、様々な疑惑で揺れています。
baseball先日、プロ野球解説者の「Tさん」が新聞でコメントしていましたが、例えば、ファーストベース上で、1塁手とランナーが言葉を交わしていたりすると、「馴れ合いだ」と言われることがあるそうです。
プロスポーツというのは、戦いざまを見せる商売ですから、相手チームの選手同士が笑顔で会話をしている所を見たら、観客としては違和感のある人も多くいることでしょう。
実際に馴れ合っている訳ではなくても、ショーマンとしては、観客やカメラの視線を意識することは重要なことだと思います。
それこそ、「李下の冠・瓜田の履」ということです。
勝負を見せるスポーツやショーは、ストイックなまでに戦う雰囲気を演出することも、時には必要。
それから、某国技で、握り拳やガッツポーズをよしとしていない理由や謂れ、あるいはマナーを、アスリート自身がしっかり理解しておかないといけませんね。
その上で、自分の力を存分に発揮して真剣勝負する。
それこそがスポーツの醍醐味だと思います。
ただ勝てばよいという訳ではないと思いますね。
落語でも、上下や座布団の方向など、基本的なルールや作法がある訳で、そういうものをきちんとした上で演じること。
師匠が最近仰る「品のある芸」ということでしょう。
"君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠。"
君子は未然に防ぎ、嫌疑の間(かん)に處(お)らず。瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず、李下(りか)に冠(かんむり)を正さず。
(現代語訳)
君子たるものは、人から疑いを招くような事を未然に防ぎ、嫌疑をかけられるような振る舞いはしないものだ。(取ろうとしていると勘違いされぬように)瓜
(うり)畑の中で靴を穿(は)くような仕草をしたり、李(すもも)の木の下で冠をかぶりなおしたりはしないものだ。
要は、他人の嫌疑を受けやすい行為は避けるべしということです。
人の前に出る人ほど、品のない(卑怯な)言動を行ってはいけないということだと思います。

ある噺家さんから

shadow数日前に、若手噺家の「K」さんからメールが届きました。
「○○(私の苗字)さま。
昨日はお差入れもいただいてしまってすみません。
ごちそうさまでした。お気遣いありがとうございました。・・・」
・・・sign02
私は、「K」さんは好きで、以前に独演会にも行ったことがありますが、最近はちょっとご無沙汰しています。
それに、その日はどこの落語会にも行っていません。
きっと「○○さん」という、偶然にも私と同姓の方が、ご祝儀をあげたんでしょう。
チケット予約した時に、「K」さんにメールしたことがありましたから、きっと私だと勘違いして、お礼のメールをくださったのでしょう。sign02

2011年2月25日 (金)

人形町らくだ亭

らくだ亭
もう第33回になるんですね。
年間のレギュラーを決めて、交代で出円するというシステムは、なかなかいいと思います。
今年のメンバーが良いということでもあります。
日本橋劇場という会場もいいですね。
らくだ亭
 ◆ 弥次郎        桂宮治
 ◆ いかけ屋      橘ノ圓満
  ◆ 按摩の炬燵     柳家さん喬
 ◆ 湯屋番        春風亭一朝
 ◆ 井戸の茶碗    古今亭志ん輔
・・・・また酷い前座さんを見てしまいました。
どういうつもりなんでしょう・・・。
本人は一生懸命なんではあるんでしょうが。
さん喬・一朝・志ん輔の3師匠をゆっくり聴けただけに・・。
「按摩の炬燵」もなかなか聴く機会がありませんが、やはり「さん喬ワールド」ですね。
一朝師匠、「一朝懸命やります」を言わないと調子が出ないと。
ファンも待っていますよ。
「湯屋番」もかつて演ったことがありますが、芝居がかったところなどは出来ませんでした。
「井戸の茶碗」は人気の演題のひとつですから、志ん輔師匠も面白く聴かせてくださいました。

歩き稽古の途中で

歩き稽古の途中で
朝の歩き稽古の道すがら、上野駅から御徒町に向かう、どう考えても無駄に広い地下通路に、「台東区長奨励賞」の作品を展示している場所があります。
最近、展示物の入れ替えが行われたようで、展示物のひとつに、手書きの友禅のタペストリーが悠然と飾られていました。(何とベタな・・。)
なかなか色も優しく鮮やかできれいです。
ちょうど「ねずみ」で、「お父っつぁん、おっ母ちゃんは何故死んだんだぁぁ。」という場面の時でした。

稽古の後の・・

稽古の後の・・
たかが15分から20分ぐらいと侮るなかれ、師匠に稽古をつけていただくのは、慣れて来たとは言え、やはり緊張しているんでしょう。
稽古会が終わると、かなり疲れます。
特に、それぞれ発表会が間近になっていますから、かなり密度の濃い稽古になっていて、体力の消耗も激しいのでしょう。
稽古の後の・・
稽古の出来が悪くなければ、心地のよい疲れではあります。
先日の日曜日の「落語っ子連」の稽古の後は「野菜たっぷりタンメン」、火曜日の「扇子っ子連」の稽古会は(平日の夜ですから)、奮発して「オムハヤシ」で、腹ごしらえでした。
ささやかな"ご褒美"です。
師匠のアドバイスを反芻しながら、それを食材と一緒に「咀嚼」してしまおうと言う訳です。
幸せを感じる時間です。
落語が好きなんですね。やっぱり。
(えっ? 喰うのが好きなだけだって? ・・そうかも・・。)

百川(ももかわ)

落語にも、ある特定のものの宣伝だと言われる噺があります。
例えば、私がチャレンジしている「甲府ぃ」は、法華(今の日蓮宗)の宣伝だと言われています。
「百川」という噺も、実在の料理屋さんの宣伝だと言われています。
日本橋浮世小路にある料理屋「百川」に奉公人としてやって来た田舎者の百兵衛。
旦那とあれこれ話していると、二階の客間で店の者を呼ぶ声がしてきたので、用を聞きにいってくれと命じられる。
ところが、二階の客は威勢の良い河岸の若い衆ばかりで、百兵衛の田舎言葉がさっぱり分からない。Sijinki
すると、百兵衛が口にした「主人家の抱え人」を、祭りに必要な「四神剣の掛け合い人」と聞き間違えてしまい、大切な四神剣を質に入れてしまっていた若い衆は、そのことがバレてはいけないと慌てて、「ひとまず具合は黙って飲み込んで欲しい」と百兵衛にお願いをしてみる。
すると、頼まれた百兵衛が今度は「具合を飲み込む」という言葉を聞き間違えて、目の前にあった「クワイのキントン」を飲み込んでしまったので、その様子を見た若い衆が驚いた。
あとになって百兵衛の正体を知った若い衆は、百兵衛に三光新道(現在の日本橋人形町)へ行って、常磐津の歌女文字という師匠を呼びに行かせるが、遣いに出た百兵衛は歌女文字という名前を忘れて、似た名前の鴨地玄林という医者を連れて帰ってきたので、百川で再び騒動が起きる…。
「百川(ももかわ)」は、江戸時代から明治の初め頃まで存在していた懐石料亭。
日本橋(今の日本橋室町)にあって、天明時代(1781年~)には向島の葛西太郎、それから大黒屋孫四郎、真崎の甲子(きのえね)屋、深川の二軒茶屋と、この「百川楼」が五指に入る第一流の名店だったそうです。
黒船来航の時は、乗組員全員に本膳を出して、その値がなんと一千両だったと言われ、他店の手伝いを借りず自分の店だけで賄い、食器等も全て自前で揃えたぐらいの力があったということです。
この噺は、百川の宣伝のために作られたとも言われていて、マクラで「百川で実際に起きた噺」と触れる噺家さんもいるようです。
「日本橋浮世小路」なんて・・、とてもいい響きの小路ですね。
浮世小路は今の中央通り日本橋から歩いて、左手に三越本店を見ながら右手にあるビルの先、を入る道が日本橋小舟町に抜ける道で、安政6年の切り絵図を見るとはっきり浮世小路の名前が見られますそうで、その先の左側に「福徳稲荷」があり、その界隈に「百川楼」があったと言われるそうです。
この噺、よく聴くと面白いですよ。
勘違いの積み重ねと、田舎者の百兵衛さんがいいですね。

情は人の為ならず

「情は人の為ならず」・・・。
落語「佃祭」のテーマです。
今の若い人は、「人に情(温情)をかけると、それに甘えてしまって、かえって本人の為にならない」と誤解している人が多いそうです。
本当は 「情を人にかけておけば、必ず"めぐりめぐって"自分に返って来るもの。
人に親切にしておけば、必ず後でよい報いがある」と言うことです。
その上、その施をしたことを忘れるぐらいでないと、本当だとは言えない、と噺の中にもあります。
「情けは人のためならず めぐりめぐりて 己が身のため」
「積善の家に余慶あり」ですか・・・・。
そういう生き方が出来るといいですね。
「佃祭」に登場する夫婦を見ていて、情をかけてくれた人に感謝して生きることの尊さもつくづく感じます。

2011年2月24日 (木)

日野宿本陣

日野本陣
仕事で日野へ行く用事がありました。
日野駅から街道筋を歩いていると、「日野宿本陣」という、古い建物がありました。
日野本陣
ここは、「日野市立新選組のふるさと歴史館分館・日野宿本陣」。 
この日野宿本陣は都内で唯一残る江戸時代に建てられた本陣建物なんだそうです。
今の建物は嘉永2年(1849)正月18日の大火で焼失してしまった主屋にかわるものとして建設され、幕末に日野宿の問屋と日野本郷名主を務めていた佐藤彦五郎が本陣兼自宅として翌元治元年(1864)12月から使用された建物だとのこと。
・・・確か、圓窓師匠が、この本陣で落語会やっていたはずです。
・・待てよ。
ここは甲州街道ですから、「甲府ぃ」の主人公の「善吉」さんも、甲府からここを通って江戸へ出て行き、浅草の仲見世で災難に遭って(財布をすられて)しまったんでしたね。
そして、それから3年あまり経って、今度はお嫁さんにした「お花」さんを連れて、甲府の叔父さんの所へ里帰りしたのでした。

老舗和菓子店跡の寄席

先日紹介した、愛知県の某老舗和菓子店の空き店舗に住民団体が新設した定席寄席のこけら落とし公演が、先週行われたそうです。
地元大学の落語研究会の学生4人が口演し、客45人が入り、立ち見が出る盛況ぶりだったとのこと。
地元2大学の落語研究会の男女2人ずつが高座に上がり、「猿後家」・「崇徳院」・「お血脈」・「代書屋」を披露し、大きな笑いが起こり、「いいぞ」などの掛け声も出たと、新聞で報道されていました。

桂圓枝師匠の訃報

先週、落語芸術協会所属の「桂圓枝(えんし)」師匠が、お亡くなりになったそうです。
享年79歳。
昭和27年5月 故桂三木助師に入門、前座名 三多蔵(みたぞう)
昭和29年9月 故桂枝太郎に移り、枝三松(しさまつ)と改名
昭和30年4月 二ツ目に昇進、好太郎(こうたろう)と改名
昭和44年4月 真打昇進、三代目桂圓枝を襲名
高座は拝見したこともなかったと思いますので、印象はあまりありません。
私が「乱志」で、上方に「きん枝」師匠、そして「圓枝」師匠と、揃い踏みだったのに・・。
ご冥福をお祈りいたします。
 

薮入り

思い出深い噺です。
「藪入りや 何にも言わず 泣き笑い」・・・
実は、学生時代の最後に演って、見事に口が回らなくなってつっかえて、大失敗をして大N泣きに泣いた、トラウマの噺なんです。
でも、とても好きな噺でもあるんです。
学生最後の噺に選んだのですから。
先代の圓楽師匠の音源でやりました。
亀ちゃんが奉公に出て3年目の初めての藪入りの日、親父の熊さんは、もう前の晩からソワソワしています。
女房のお光っつぁんに、奉公に出た一人息子が帰ってきたら、ああしてあげたい、こうしてあげたいと、言って寝かせません。
「うるさいんだから、もう寝なさいよ」、「で、今何時だ」、「2時ですよ」、「昨日は今頃夜が明けたよな」。
湯に行ったら近所を連れて歩きたい。
赤坂の宮本さんから梅島によって本所から浅草に行って、品川の松本さんに挨拶したい。ついでに品川の海を見せて、羽田の穴守さんにお参りして、川崎の大師さんによって、・・・(中略)・・・・そこから四国の金比羅さん、京大阪回ったら喜ぶだろうな。明日一日で。
「おっかぁ、おっかぁ、って、うるさいんだから」
「で、今何時だ」
「3時少し回ったよ」
「時間が経つのが遅くないか。時計の針を回してみろよ」。
「な、おっかぁ」で5時過ぎに起き出して、家の回りを掃除し始めた。
普段そんなことした事がないので、いぶかしそうに近所の人達が声を掛けても上の空。

亀ちゃんが帰ってきたら、自分に抱きついてくるかと思ったら、丁重な挨拶をしてくれた。
熊さんに言葉がないので、お光っ
つぁんが聞くと、喉が詰まって声が出ないという・・・。
病気になった時、お前からもらった手紙を見たら、字も文もイイので治療はしていたが、それで治ってしまった。
それからは何か病気しても、その手紙を見ると治ってしまう。
「おっかぁ、やろう、大きくなったろうな」
「あんたの前に座っているだろ。ご覧よ」
「見ようと思って目を開けると、後から後から涙が出て、それに水っぱなも出て、見えないんだよ」

落ち着いた所で、亀ちゃんはお湯に出掛けた。
「お前さん、サイフの中に小さく折り畳んだ5円札が3枚有るよ」
「子供のサイフを開けてみるなよ」
「15円は多すぎるだろ、なにか悪い了見でも・・・」
「俺の子供だ、そんな事はない。が、初めての宿りで持てるような金ではないな。帰ってきたら、どやしつけてやる」。
そこに亀ちゃんが湯から気持ちよさそうに帰ってきた。
「そこに座れ。おれは卑しい事はこれっぽっちもした事はねぇ。それなのに、この15円は何だ」
「やだな~。財布なんか開けて。やる事がげすで、これだから貧乏人はヤダ」
「なんだ、このやろう」と喧嘩になってしまった。
亀ちゃんが言うには、ペストが流行、店で鼠が出るので、捕まえて警察に持っていくと、銭が貰える。
そのうえ、ネズミの懸賞に当たって15円もらった。
今日までご主人が預かっていたが、宿りだからと持って帰って喜ばせてやれと、持たせてくれた。その15円だという。

「おっかぁが変な事を言うものだから、変な気持ちになったのだ。懸賞に当たってよかったな~。許してくよ。主人を大事にしなよ。みんな”チュー”(忠)のお陰だ」。
・・・・今時、「忠」なんていうのは分からない。
「薮入り」なんていう仕組みも分からない。
でも、親が子どもを思う「情」は、どんなに世の中が進んでも変わりがないはず。
変わらないでいてほしいもの。

「かくばかり 偽り多き 世の中に 子の可愛さは まことなりけり」
こんな次元ではありませんが、初めて生家を離れて仙台に行った時は、本当にホームシックになりました。
東北本線の線路を見ては、「この線路は、故郷に繋がっているんだ」なんて、おセンチなことを考えていたのを思い出します。
親元から離れて知った親の存在の大きさを感じたものでした。
そういえば、後年になって友人に言われたことがありました。
「お前、1年生の夏休みが始まったと同時に、飛ぶように故郷へ帰って行ったな。」
友人にも、ホームシックがわかってしまうほど重症だったんですね。
・・あれから何年経ったのでしょう・・・。
ほろ苦い、青春時代の思い出です。

扇子っ子連発表会プログラム

Img

当富さんが、「扇子っ子連」の発表会のプログラムを作ってくださいました。
←クリックしてください。
私は、2番目に出演します。

最近、発表会などが錯綜していて、大変わかりづらいので、もう一度まとめておきました。
■2月26日(土)   ある会       「ねずみ」
■3月 5日(土)   落語っ子連    「甲府ぃ」
■3月13日(日)   扇子っ子連    「花色木綿」
■5月28日(土)   落研OB落語会  「佃祭」か「薮入り」
いやはや、何とも忙しい・・。
  

落語っ子連発表会の案内

Photo_3

友人や知人の方々何人かに、「落語っ子連」の発表会のチラシを添付して、案内メールを送信してみました。
それぞれ忙しい時期でもあり、なかなか都合のつかない人もいれば、来てくれそうな人もいます。
今のところ、10名以上は来てもらえるようです。
照れ臭いやら、有り難いやら・・・。

2011年2月23日 (水)

有明の空に

有明の空に
有明の空に残る月は、晦日に向かって痩せ始めています。
寒かった今年の冬も、再び丸くなる頃は、早春の暖かさを感じられることでしょう。
movieニュージーランドで大きな地震が起きて、日本人も多く行方がわからなくなっているようです。
school語学研修に行った若者が生き埋めになったとか、痛ましい報道がされています。

ジャンボ退役

Jal_747

大量旅客輸送を実現し、「日航ジャンボ」の愛称で親しまれたボーイング747型機(国内仕様機)が、ラストフライトを終えて「退役」しました。
国際仕様機を含め、羽田空港での日航ジャンボの見納めとなったそうです。
日航のジャンボ機は、1970年に羽田-ホノルル間に就航したのが最初だそうです。
その後、ロサンゼルス便など国際線のほか、東京、札幌、大阪、福岡などを結ぶ国内線に多く投入されましたが、燃費が悪く、維持費がかかることもあり、姿を消すことになりました。
私も、東京-大阪の出張で、何回乗ったでしょうか。airplaneJal747
合計すれば、40~50往復ぐらいしていると思います。
基本的には、いつも2階席の前方窓側に座ったものでした。
全日空でも、近々全てのジャンボが゜姿を消すそうです。
また、昭和の拡大・バブル時代の象徴が消えてしまいます。

笠碁

川柳に「碁敵は憎さも憎し懐かしし」というのがあります。Img
ある大店の大旦那は碁が大好き。仕事はおもに倅(せがれ)や番頭にまかせ、幼なじみの美濃屋主人を座敷に上げては一緒に碁を打っている。
ある日のこと。
対戦の途中で大旦那がたった一目(いちもく)の「待った」をしてもらいたくなったところから騒動が持ち上がる。
美濃屋は「今日ばかりは待てない」と強情を言い、かっとなった大旦那は「一昨年の暮れの二十九日、お前に二百円の金を貸したが計算違いで期日までに返せないと謝りに来た。
そのときに”待てない”と言ったかい」と古い出来事を蒸し返す。
ついに二人は喧嘩別れをしてしまう。
それからしばらくたった雨の午後。
好敵手を失った二人の隠居は退屈で仕方がない。
美濃屋の主人は碁敵の様子を見に行こうと思案するが・・・。
幼なじみの男二人を主人公にした、おなじみの一席です。
孫がいようかというような立派な旦那が、たった一目のことで大喧嘩するという、無邪気というか・・・。Photo
前半はその顛末をコミカルに描きます。
二人は大真面目ですが、周りにしてみれば、実に他愛もない争いで、まさに落語的です。
後半は、仲直りをしたいという本心と、それを素直に出せない男二人の心理が主題になっていて、これまた面白い。
先代の金馬師匠や小さん師匠や馬生師匠が十八番にしていた噺で、最近では権太楼師匠がよく演っています。
こと碁に関しては、子どものような二人のいい歳のオヤジの無邪気さがいいですね。
そして、この噺は5月の「お江戸OB落語会」の「南亭蕪生(なんてい ぶしょう)」師匠の40年ぶり?の高座で見られるのです。

落語っ子連発表会プログラム

Img

「落語っ子連」の発表会のプログラムを作りました。
←クリックしてください。
昨年と同じパターンで作りました。
先日の稽古会の時、師匠にも見ていただきました。
   ≪第9回 落語っ子連発表会≫
 ○3月5日(土)17時30分開演
    ◇ 紀州        三流亭まど深
    ◇ 替り目       三流亭窓口
    ◇ 悋気の火の玉  三流亭商人
              仲入り
    ◇ 甲府ぃ      三流亭流三
    ◇ お菊の皿      三流亭まど女
        ◆ おたのしみ   三遊亭圓窓
 ○3月6日(日)13時30分開演
    ◇ からくり料理    三流亭びす太
    ◇ 一目上がり    三流亭まど音
    ◇ 金明竹       三流亭まど絵
              仲入り
    ◇ 春の七草小噺  三流亭窓蕗
    ◇ 寝床        三流亭無弦
    ◆ おたのしみ   三遊亭圓窓
いよいよあと10日あまりになりました。
    

「ねずみ」の稽古

「甲府ぃ」と「花色木綿」の稽古のほか、「ねずみ」の稽古もしています。・・・というより、3題ともやらなければいけないのに、なかなかやれていません。
とりあえず、今度の土曜日は「ねずみ」ですから、まずは「ねずみ」だけやるぐらいでないといけません。
上野動物園にパンダが来た日に、私はネズミの噺。
パンダを見て、甚五郎の彫ったネズミが動かなくなってしまう。
その理由を尋ねると・・・、「えぇ? あれはパンダってんですか? 私はてっきり大熊"猫"だと思いました。」
Photo_2
そんなこと言ってる場合じゃないっつうの・・。
・・・ということで、昨日から、あの朝の"歩き稽古"が復活。
上野から末広町までの約15分です。

2011年2月22日 (火)

扇子っ子連稽古会

扇子っ子連稽古会
仕事を早めに切り上げて、「千早文化創造館」に急ぎました。
発表会まで、あと3週間あまり。
私だけが、(師匠からの)指導回数が少ないので、今日は何としてでも行かなくてはと・・・。
「花色木綿」・・・、ほとんど稽古していませんが。
扇子っ子連稽古会
前回師匠からご指摘いただいた欠点や、演出上のアドバイスを意識しつつやってみました。
途中3ヶ所で止められ、都度コメントをいただきました。
まだまだ、力強く、メリハリをつけて、仕草に余裕を持たせて丁寧に・・・。
噺としては、今までのものより短いと思いますが、消費エネルギーは、もしかすると長講「浜野矩随」以上かもしれません。
稽古場が暖房が暖かかったとはいえ、かなり汗が出て来ました。
この噺は、ある程度の"熱演"と、テンポが必要です。
学生時代には、そこそこ自信のあった噺ですが・・・、こんなに難しいとは思いませんでした。なぜだろう・・。
人情噺にウエイトを置いて来たということも大きいでしょう。
でも、一番の理由は、学生時代の噺はなってなかったということでしょう。
「昔はものを思わざりけり」という心境です。
「乱志」ではできませんが、「永久」では、こういう噺にチャレンジできるというのは、大変幸運なことだと思います。
とても疲れましたが、ちょっぴり自信が出て来ました。
よし!頑張るぞ!

佃祭

Jinja

「次郎兵衛さん、死んじゃったんだって・・?」
与太郎が泣いて悔みを言う場面をやってみよう。
「佃祭」という噺。
住吉神社の夏の祭礼で賑わう佃島を舞台に、「情けは人の為ならず」という諺をテーマとした噺です。
神田お玉が池に住む小間物屋の次郎兵衛さんが、佃島の住吉さんのお祭りに出かけ、帰り舟に乗ろうとすると、一人の女に引き止められて、しまい舟に乗り損ねてしまった。
その女は、三年前に吾妻橋から身を投げようとしているところを次郎兵衛さんに助けられた者だという。
次郎兵衛さんが誘われるままに女の家を訪れると、周辺がにわかに慌しくなった。
一旦、家に戻ってきた女の亭主が言うには、しまい舟が沈んで乗っていた客は一人も助からなかったという。
命拾いをした次郎兵衛さんはその家に泊めてもらうが、そんな事情を知らない次郎兵衛宅では次郎兵衛さんが亡くなったのだから、葬式を出さなくてはならないと大騒ぎをしていた。
そんな最中に次郎兵衛さんが帰ってきたのだから、その騒ぎは最高潮に…。
Watasi
隅田川の河口に位置する佃島は、昭和39年に佃大橋が架橋されるまで、新富町側と島を結ぶ「渡し船」が航行していたそうですから、まだ最近のことなんですよ。
江戸時代は噺に出て来るように、船で往き来するしか往来の方法がないので、江戸の中心部とは違った雰囲気があったという訳です。
「佃祭」はこの佃島名物の、住吉さんの夏祭りを背景にした大作で、滑稽噺の範疇なのでしょうが、女の身投げを救った男が、数年後にその女によって助けられるという不思議な因果が描かれ、人情噺的な側面もありますから、何とかものにしてみたいと思います。
「情は人の為ならず」。

東京マラソン

東京マラソン
都知事の肝いりで始まった「東京マラソン」。
エントリーするのも大変な競争率で、それなりにイベントとして定着している気はします。
今年は2月27日に開催されますが、コースにあたる道路には、当日の交通規制の看板が立てられています。
毎年、スタートの新宿や、コース途中の銀座や浅草あたりの大混雑ぶりは半端ではないようです。
ということは、当日は、コース近くのエリアをうろうろすると大変なことになるということですね。

紀伊國屋寄席

朗報?happy01
大阪出張のため諦めていた今月の「紀伊國屋寄席」。
幸運なことに、出張が変更になり、行けることになりました。
こんなこともあろうかと、チケットだけはゲットしておいたのです。
最悪、大阪から直行すれば、トリの圓窓師匠には間に合うだろうと思い買っておいたので、良かった!
2月の紀伊國屋チケット
「柳田角之進」をじっくり聴きたいと思います。

2011年2月21日 (月)

「花色木綿」の稽古

ちょっとサボっていたので、「花色木綿」のおさらいをしてみました。
・・すると・・、ボロボロ・・・。
ちょいとこりゃまずいという感じ。
この噺は、扇子と手拭も使いますし、煙草を吸ったり、羊羹を食べたりします。
それに、かなりアップテンポのやりとりになりますから・・・。
火曜日の千早亭の稽古会では、かなり無様な状態になりそうです。
まだ、細部が固めていないから・・・。・・やや不安。

七段目

2_07

「仮名手本忠臣蔵」ものの噺です。
原話は、初代林屋正蔵が出版した笑話本『たいこのはやし』の一遍である「芝居好」。
芝居噺に分類される演目。
元々は上方落語の演目で、いつごろ東京に移植されたかは不明だそうです。
題名は、「仮名手本忠臣蔵」の七段目「祗園一力の場」にあたる場面が取り上げられていることによります。
これは、密書を読んで仇討ちの計画を知った遊女・お軽を身請けしてから殺そうという大星由良助の腹を察した寺岡平右衛門が、妹であるお軽を自ら手に掛けた手柄によって、大星の同志に加えてもらおうとする見せ場です。

芝居マニアの若旦那は、家業そっちのけで芝居小屋に出入りしている。
私生活もすっかり歌舞伎一色に染まってしまい、何をやっても芝居のセリフになってしまう。
その日も、若旦那が出て行ったっきり帰ってこないので、頭に来た旦那が小言を言ってやろうと待ち構えていると、そこへ何も知らない若旦那が帰ってきた。
「遅いじゃないか!?」「遅なわりしは、拙者が不調法」
「いい加減にしろ!」とつい殴ってしまい、慌てて謝ると「こりゃこのおとこの、生きィづらァをー」。
あきれた旦那が若旦那を2階へ追い払うと、「とざい、とーざーい」と物凄い声を張り上げる。
閉口した旦那は、小僧の定吉に止めてこいと命じる。
2階に上がった定吉は、ガラリ戸をあけて「やあやあ若旦那、芝居の真似をやめればよし、いやだなんぞとじくねると…」。
どうやら、定吉もかなりの芝居好きのようだ。
そのまま2人で芝居をやろうということになり、選ばれたのは忠臣蔵の「七段目・祗園一力の場」だ。
定吉がお軽、若旦那が平右衛門をやることにし、定吉を赤い長襦袢と帯のしごき、手拭いの姉さんかぶりで女装させたのはいいが、「平右衛門の自分が、丸腰というのは変だ。そうだ定吉、床の間にある日本刀を持っておいで」へ。
「えっ?」、定吉が逃げ出しそうになったので、刀の鯉口をコヨリで結び、下げ緒でグルグル巻きにする若旦那。
芝居を開始するも、「その、頼みという…はな…」だんだんと目が据わってきた若旦那に、嫌な予感を覚える定吉。
「妹、こんたの命ァ、兄がもらったッ」コヨリと下げ緒をあっという間にぶっちぎた若旦那が、抜き身を振りかざして定吉に襲い掛かってきた。
慌てて逃げ出した定吉は、足を踏み外して階段から転げ落ちてしまう。
そこに旦那が駆けつける。
「おい、定吉、しっかりしろ!」Yamano
「ハア、私には勘平さんという夫のある身…」
「馬鹿野郎。丁稚に夫がいてたまるものか。また芝居の真似事か。さては2階であの馬鹿と芝居ごっこをして、てっぺんから落ちたか」
「いいえ、七段目。」

色々な噺家さんの「七段目」を聴きましたが、柳亭市馬さんのがいいですね。
芝手の台詞や仕草が実に決まっているし、何と言っても声がいい。
勿論、先夜の志ん輔さんもよかった。

パンダが街にやって来る

パンダ
いよいよ上野動物園にパンダが2頭、中国からやって来ます。
東京都が年間9000万円ぐらいで、中国から借りたんだそうです。
この話が発表された時は、確か1億円近かったと記憶していますが、円高の賜物でしょうか?
3年ぶりに、上野動物園に行けば、パンダを観ることができます。
落語には「らくだ」があるのですから、「パンダ」なんていう新作を誰かやりませんかね。
「パンダ」というあだ名の酒飲みの男の噺で、オチは、「パンダは笹に目がないんだよ。」なんていうやつ。
ところで、パンダの色(柄?)は、"白地に黒"なんでしょうか?
それとも、"黒地に白"なんでしょうか・・・?

お江戸OB落語会の案内状

ImgOB各位宛に「お江戸OB落語会」の案内状を作りました。
香盤も概ね固まって来ましたので。
←クリックしてください。
昨年作ったのをベースにしましたので、簡単に出来上がりました。
これを志ん志師匠にお願いして、印刷して出状してもらうことにします。
前回は、私と志ん志師匠のパソコンのソフトの互換性に問題があり、少し読みづらくなってしまいましたので、今回はそれも気をつけたつもりです。

英単語のスペリング

book先日、ある本屋さんで、所謂「勘定場」が「cashier」と表示されていました。
私は、英語は全く得意ではありません。
日本語と片言の落語しか分かりません。
どうも、「cashier」のスペリングが気になっていました。
「i」が入るのかなぁ・・?なんて。
ある、とても英語に詳しい人に、雑談の時にちょいと話してみたところ、「スペリングは正しい!」というコメントと、大変丁寧な説明をしてもらいました。
key「cashier」は銀行の出納係、英国だと「teller」に対応するようです。確かに銀行などの窓口の人を「テラー」と言いますね。bank
あとは、デパートなどで会計をするカウンターみたいなところが「cashier」だということ。
あの手の本屋さんの会計する場所だったら、「check out counter」ではないかなとのコメントでした。
今度、(海外)出張などで機会があったら、現地ではどんな表示になっているか、確認してくれるそうです。airplane
shipさらに専門的に言うと、「cashier」という単語は、純粋な英語(ゲルマン系のスペリング)ではないようで、どうやら、中世フランス語「caissier~金庫の管理人」から来ているようです。
英語も、日本語が大陸(中国)から影響をうけているのと同様、ラテン語系の言語(特に、歴史的経緯からフランス語)からの借入語が多く含まれているそうで、「cashier」もその一つだったとさ・・・。
また少し、お利口さんになりました。
This is a pen.

2011年2月20日 (日)

ラジオ寄席

今夜のラジオ寄席は・・・。

 ◇ ぜんざい公社   昔昔亭桃太郎

今週もまた仙台からの公開録音です。
「ぜんざい公社」は、桂小南師匠のお得意の噺でした。
桃太郎師匠、随分受けていましたね。

落語っ子連稽古会

 不動様と八幡様
再来週に迫った発表会の最後の稽古会。
 ◇ 無弦        寝床
 ◇ 窓口        替り目
 ◇  商人        悋気の火の玉
 ◇  窓蕗        春の七草小噺
 ◇ 流三        甲府ぃ
 ◇ びす太      からくり料理
 ◇ まど絵      金明竹
 ◇ まど音      一目上がり
発表会が近いこと、最近の稽古会の雰囲気も意識してか、時として師匠から、やや辛口のコメントや指導がありますが、これがまた傍で聞いていて、とても"ため"になるんです。
最近師匠は、「芸(噺)の品」というフレーズをよくお使いになります。
落語をただ聴くだけでは分からず、演ってみて初めて知る落語の難しさ・楽しさを説かれるのです。
「そうだよ。そうなんだよsign01」と、思わず膝を叩いてしまうような話は、深くて嬉しいものです。
「芸」というのは、リアルタイムで接するのがベストなんだと思います。

不動様と八幡様

   不動様と八幡様   
今日は、落語っ子連の稽古会ですが、ちょっと時間があったので、稽古会の前に、深川不動と富岡八幡へお参りしました。
まだ時間が早いので、人出もまばらで、参道の辻占いのお兄さんと目が合って、「おはようございます」なんて挨拶されたりして。
深川不動では、「わらじ守り」があり、足腰の病気や怪我にご利益があるそうですから、両親の壮健を祈りました。
やはり参道のお店で、稽古会でのおやつにと、お煎餅を買って、稽古場に向かいます。

あしたのジョー

「あしたのジョー」の実写版映画が上映されているそうです。
主人公の矢吹丈役が山下智久、ライバル力石徹役が伊勢谷友介、丹下段平役が香川照之などだそうです。
1960年代後半から70年代前半にリアルタイムで楽しんだ、「週刊少年マガジン」で連載された大人気のボクシング漫画(原作・高森朝雄(梶原一騎)、画・ちばてつや)の実写化。
そういえば、同じ梶原一騎原作で、最近ブームになっている「タイガーマスク」も実写映画化の構想があるそうです。
願わくは、夢(イメージ)を壊してほしくないですね。Etc100523
考えてみると、「文七元結」や「芝浜」を"鹿芝居"で観るようなものでしょうか?
落語は想像力を発揮して、自分なりのイメージを作り上げて行くものですから、自分の想像上の映像は、劇画ほどはっきりしていない分、そんなに違和感を感じないかもしれません。
それよりも、演る立場で観ると、立体的な位置関係などがビジュアルになって、非常に参考になります。
矢吹丈のあの長い前髪はどうなっているんでしょうね。
見たいとは思いませんが・・・。

三方一両損

book先日の落語っ子連の稽古会の時、師匠が、「流三さん、今度『三方一両損』が、中学校の教科書に載るよ」と仰いました。
師匠の落語「ぞろぞろ」は、小学4年生の教科書に採択されていて、中学生向けにも別の噺が載っていたはずですが、新たに「三方一両損」が加わるということのようです。
・・・ということは、お白州で膳を食べるのではない、新しく考えたオチで載るのでしょうか?
もしそうだったら、嬉しいですねぇ。Imgp0764
恐らく、そのオチで演ったのは、私が最初のはずですから。
そんなことはともかく、正直に生きることを教えるのでしょうか?
まさか、「江戸っ子は、一日一度は喧嘩をしなくっちゃぁいけない」なんていうことじゃないでしょうから。「多かぁできねえ。一日一善。」

亀田村

Encho1_s

落語「福禄寿」に出て来る、北海道の亀田村。
改心した福徳屋の長男六太郎が、福島から北海道に渡って開墾したと圓朝がいう「亀田村」。
落語「福禄寿」の舞台を歩くという文を書いた方が、亀田村のことを調べていて、以下のように記されています。
そのまま紹介させていただきます。

現在の北海道函館市亀田。明治の始め亀田村と呼ばれた。
五稜郭は亀田村の一部であったが、函館に吸収されて約半分になってしまった。
明治32年の事であった。
昭和40年代に亀田村から亀田町になり、まもなく亀田市になった。
48年隣市函館と合併し亀田市は函館市となった。
幕末期の記録では「一本木 亀田、箱館の境也」(「蝦夷日誌」『函館市史』史料1)、「(亀田村)より七丁許過て一本木村と云ふ、家数わづか四、五軒なり、是より七、八丁にして箱館の入口」(「松前紀行」『函館市史』史料1)などとあって、「一本木」が箱館と亀田村の境界地帯として箱館の外と位置付けられている。
明治に入ると、箱館戦争時の記録に、箱館を占拠していた榎本武揚(えのもと たけあき)ら旧幕府脱走軍は「(明治元年:1868)11月より一本木町端に関門を建、夫より大森浜手の処迄木戸を拵、箱館の出入の者壱人改に致す」(「箱館軍記」『函館市史』史料2)とあり、一本木は箱館の区域内という認識が生まれ、箱館の町域の東端は一本木の町端から大森浜を結ぶ線と位置付けられている。(函館市史 通説編第2巻より)
「開拓使事業報告」によれば、「永禄5年(1562)畑地開墾を以て北海道の嚆矢(こうし。かぶらや=ものの始まり)とす、すなはち亀田郡亀田村是なり」とあり、亀田村では五穀を作ったというのと野菜を播種すという両様の記録もあり、その細部については不明であるが、いずれにしても北海道の農業の起源と見てよいであろう。
しかし、これらも当時の状況地形から見て農業の専業ではなくコンプ採りも兼ねていたものと思われる。
松前郡では永禄(1558~1569)以後、皆宅地のそばに野菜を作ったとあり、天正16年(1588)近江国の建部七郎右エ門が野菜種子の行商人となって松前に渡ったともいう。
(北海道立道南農業試験場 70年史より)
細かいことは分かりませんが、「福田」とか「六太郎」などという名前は見当たりません。
でも、いいじゃないですか。
落語というのは、芝居や講談や浪曲と違って、「誰でもいいんだよ」「いつでもいいんだよ」というのが真骨頂ですから。
三遊亭圓朝師匠は、例えば「真景累ヶ淵」でも、かなり詳細な取材を行っていますし、「鰍沢」でも、そこそこ整合性のあるストーリーにしていますから、この噺を作った時も、何かヒントになったのでしょう。

2011年2月19日 (土)

三井家のおひなさま

Hina

三井記念美術館に行きました。
恒例となっているという、「三井家のおひなさま」展が開催されています。
2年前にも観に行ったことがありますが、江戸時代から三井家に伝来したものなどがあり、さまざまな年代や種類のひな人形、ひな道具、名工の呼び声高い京都の人形司・大木平藏や江戸十軒店の永德齋が手がけた優美なひな人形など、男の私でも唸るような素晴らしいものばかりです。
三井家の女性たちが愛用したかわいらしいひな人形や豪華なひな道具が華やかに展示されていました。
また今年は、「人形の吉德」でおなじみの江戸の老舗吉德の創業300年を記念して、「創業三百年吉德これくしょんの名品」も開催されていて、一足先に春爛漫のひなまつりを堪能しました。
我ながら、なかなか高尚な趣味ではありませんか。

3月例会の案内

「学士会落語会第33回例会のご案内」のメールが届きました。
3月は、恒例の「落語散歩」です。
学士会落語会の発足以来、日本橋コース、深川コース、柳橋・両国コース、麹町コース、御茶ノ水・湯島・上野コースと開催され、6回目の今年は、日本橋-銀座-新橋コースをめぐるそあうです。
講師の吉田章一先生には、「東京落語散歩」、「落語の江戸を歩く」、「江戸落語便利帳」などの著書があり、古典芸能研究家として有名です。
3月19日(土)午後1時50分集合、2時よりコース概要説明・出発。

カー ナンバー

car先日の落語っ子連の稽古会の数日後になって、びす太さんがMLで、「師匠は車を買い替えたんじゃんないですか?」」なんて言っていました。
いつも停めている駐車スペースに、いつもと違う色の車が停めてあった。そのナンバーが「874」だったと・・・。
BMWに乗っているびす太さんらしい、鋭い観察です。
ちょっと待って! えっ? ナンバーが「874」?
・・・それじゃ「874→はなし→噺」じゃないの。
「そりゃ絶対間違いない。絶対に師匠だぁ。」なんて確信していると、
師匠から、「リースにしたので、これから2年毎に乗り換えるよ」というお答えがありました。rvcar
ところで、私の愛車のナンバーは、青春の頃のある思い出の番号を使っています。200907121958000
「1」とか「7」とか「8」とか、「007」とか「888」とか、誕生日とか、電話番号とか、安易な番号ではありませんよ。
大胆に、銀行のキャッシュカードの暗証番号を使っている人は、まさかいないでしょうね。
意外に、あまりにも大胆なので、盲点だったりして・・・。
「猫の皿」の柿右衛門みたいに・・。

親子酒

51k1v2pk6i桂枝雀師匠のCDに収められている「親子酒」。
正直なところ、やはり枝雀師匠にはついて行けない部分があります。
確かに面白い。
CDだけでは分からない、仕草か表情で爆笑を誘っているのでしょう。
やはり、上方と江戸との違いもあるのでしょうが、そこまで笑わせるかという感じ。
小三治師匠が「笑わせようとしては駄目」と仰います。
圓窓師匠も、先日の「ラジオ深夜便」の時に、「落語は、そもそも笑うように作られているんだから、無理に笑わそうとしなくても、きっちり噺をやれば笑ってもらえるものだ」と仰っていました。
江戸落語はそうなんだと思います。
さて、「親子酒」。
東京の「親子酒」と異なり、息子が酔っ払って家に帰る途中のドタバタを描いています。
癖のように「すみませんね」なんていう台詞が出て、その度に客席が沸いて。
コテコテですね。
あのパワーは、東京にはないものです。
物凄いと思います。

老舗和菓子屋跡の寄席

20110

愛知県で、3年前に閉店した老舗の和菓子屋の店舗が「ミニ寄席」に生まれ変わり、近々オープンするそうです。
地域住民が東海地方の6大学の落語研究会と提携して月数回、落語会を催すとのこと。
亡くなったこの老舗の3代目店主の奥さんは、「寄席への転身で、天国の主人も苦笑いしているかも」と話しているそうです。
この和菓子店は、1912(大正元)年の創業で、秘伝のあんを包んだ茶色の薄皮の饅頭が名物だったそうですが、3代目が08年6月に亡くなった後は後継者がなかったため閉店していたそうです。
この寄席で、地元の6大学の落語研究会が、不定期で落語会開くそうで、「大学生と落語を通した地域づくりに挑み、ちょっと変わった定席寄席として発信したい」という意気込み。
空き店舗約30平方メートルを改装。
正面に3畳の高座。長椅子10脚を並べ、客席35。
・・・羨ましい話ですね。
それこそ、こういうスペースが近くにあったら、1年に一度と言わず、半年か3ヶ月毎ぐらいに落語会をやりたい
ですねぇ。

2011年2月18日 (金)

東京落語会

東京落語会
  ◆ 強情灸        春風亭傳枝
  ◆ 悋気の独楽     立川生志
  ◆ しびん        金原亭馬生
  ◆ 一人酒盛      柳家小さん
  ◆ 持参金        瀧川鯉昇
  ◆ 鰻の幇間      橘家圓蔵
東京落語会
今月は、落語会徘徊のペースが遅く、まだ3回目ぐらいです。
今日の落語会は、全体的に地味で、やや盛り上がりに欠けていたような・・。
こんな日もあるのでしょうか。
ハネた後の、いつものお店で、頓平・金魚・乱志の"落語鼎談"が、一番楽しい時間でした。

当富さんから

扇子っ子連の当富さんから、メールが届きました。
永久さん。(落語っ子連の)発表会を、勉強に見学させて頂きたいと思います。会場と時刻を教えて下さい。
聴きに来てもらえそうです。

人間ドック

人間ドック
メタボなデブには辛い?人間ドック。
朝、どしゃ降りの雨の中を、会社で契約している病院へ。
8時前に着いたのに、もう10人以上の人が待っています。
私は、検査結果そのもの以前に、検査を受ける時に、気が重くなることがあります。
「採血」と「バリウム検査」です。
「採血」では、私は、血管が見つけづらい、検査のおば、いや、お姉さん泣かせの腕の持ち主なんです。
以前、別の病院で、両腕2回ずつ"試掘"したにもかかわらず、"鉱脈"を発見出来なかったこともありました。
幸い、今日の"鉱夫(婦)"はとても優秀だったらしく、難なく掘り当ててくれました。
次に、「バリウム検査」で苦しいのは、恐怖の"逆さ吊り"です。
撮影のために、身体や台(ベッド?)を動かしますが、頭のほうを下にしなければならない時があります。
この時は、両脇の棒だけが頼りで、必死で震えながら、汗だくで棒を握りしめて、逆さまに落ちないように我慢するのですが・・。
とにかくデブには辛い。
今年も何とかずり落ちる寸前で、台が水平に戻ったので、事なきを得ました。
来年は駄目かもしれない。
ここの人間ドックの唯一の楽しみは、豪華な昼食の弁当です。
こんなに食べてもいいの?と思います。
半日絶食のご褒美ですか・・・。
数値はともかく、無事に一通り終わりました。

竹扇松戸落語会

Img134q 知人の「H」さんから、「第5回 竹扇松戸落語会」の案内メールを頂戴しました。
落語芸術協会所属で、松戸市出身の「雷門花助」さんの落語会です。
私も第3回目まで行き、前回は急な都合で行かれませんでした。
さぁ今回は、とチラシをみると、3月13日(日)午後2時・・・。
ところが、残念ながらちょうどその日時は、「扇子っ子連発表会」と完全に重なってしまいます。
泣く泣く、今回も諦めることにしました。
回を追うごとに盛んになっているようで、直接のご縁はありませんが、一落語ファンとしては、とても嬉しいことです。

福禄寿

Fukurokuju

「福禄寿(ふくろくじゅ)」は、七福神の一つ。
道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したもの。
宋の道士天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもある。 
・・・ではなくて、落語の「福禄寿」。
先日、さん喬師匠がお演りになった噺は、三遊亭圓朝原作。

深川万年町に福徳屋萬右衛門さんがいた。
深川万年町・・・・? そうか「雲光院」は深川だ。
ということは、先日のさん喬師匠の「福禄寿」は、まさにこの噺の「ご当地」で聴かせていただいたということだ。
深川万年町の雪の夜噺を、雪の降る深川のお寺で聴く・・・。
本当に究極の贅沢だったんですねぇ。

本名福田だが、福徳が備わっているので回りが福徳屋と言い、自然とその屋号になってしまった。
98歳まで生きて、子供が18人いた。
13人が実子で5人を養子として預かった。
長男を六太郎、弟を福次郎、と言った。
長男は派手好みで大きな事ばかりやったがどれも永続きせず身代限りになった。
俗に言う倒産。弟はまじめで商売熱心、信用あつく身代を増やし親以上になっていた。
兄は頼る所がないので仕方なしに弟の所で無心しては倒産を繰り返していた。
その為弟の所には行きにくくなっていた。

暮れの28日、雪の晩、親類縁者を集めて両親を歓待したが長男が居ないのが気になった。
お祝いの後、貧相な格好をした長男の六太郎が、母親の離れに庭から訪ねてきた。
金の無心であった。
今度こそは最後の無心だからと弟から300円都合してくれと言う。
母親がこんこんと説教するが運が悪いと逃げてしまう。
26回目の無心だから母親も、もう福次郎には言えないと言う。
そうしていると福次郎が廊下に見えた。
六太郎をコタツの中に隠し、部屋に入れると、誰か暮れに困っている人が居たら自由に使って良いと、300円のお金を差し出した。
併せて灘の生一本の銘酒を置いて、これから忘年会に出掛けるからと部屋をあとにした。
コタツから六太郎を出すと、兄にやれとばかりお金を置いていったと母親が嘆いた。
金を受け取り、酒を5合ばかり飲んで帰って行った。Fukurokuju_2
雪の外に出ると、母親に注意されたように、やはり転んでしまった。
この金で遊びに行こうか、それとも福島に行ってそこでパッと使おうか考えていた。

福次郎が外に出ると、下駄の間に何か挟まった。
よく見ると母親に預けたフクサ包みであったので、とって返して母親の所に駆けつけた。
福次郎は、何か泥棒でも入ったかと案じたが、六太郎に渡したと分かり安堵した。
そのつもりで渡した金であったが、人間、分限があって、欲しい欲しいと思っていてもお金の方から飛び出して、自分の所に戻ってくるのは妙なものである。
1升袋は一升以上は入らない。
お兄さんは小さい器なのに大きな事ばかりしているもので、身代限りを続けるのでしょうね。と話していると、兄が 戻ってきた。
今の話を全部外で聞いていた。自分の分限を初めて知ったと言う。
悟った六太郎は今までの事を詫びて10円だけ借りて福島県に旅立ち、荒れ地を開拓し、なにがしかの資本を得た。
さらに北海道に渡って、亀田村を開墾し、立派に成功した。
圓朝作の「福禄寿」でございました。

三遊亭圓生師匠が亡くなってからは、さん喬師匠ぐらいしか演らないようですが、圓朝物にしては珍しいハッピーエンドな噺です。
圓窓師匠なら、この噺にもオチを考えてお演りになるでしょう。
ところで、亀田村というのは実在するのでしょうか?
そのうちに調べてご報告することにしましょう。

2011年2月17日 (木)

かんかんのう

あまり好きな噺じゃないと言いながら、「らくだ」で気になるのが「かんかんのう」というやつです。
「かんかんのう」って何?
Kankan_
文政4年(1821)3月15日から深川の永代寺(今の富岡門前町)で、成田の不動の出開帳があった時に、唐人踊という見せ物が出た。
これが大評判で五月二十九日まで引き続いて興行しました。
永代寺で興行する前に、葺屋町河岸でもやったけれども、その時はまだ人気もなかった。
それが一時に流行出して、四月には江戸の市中を、「唐人おどりかんかん節」などと読売が出てくる。
これは唐人ふうの扮装をした踊り手が、清楽の「九連環」の替え歌と、鉄鼓、太鼓、胡弓や蛇皮線などの伴奏にあわせて踊る、という興行的な出し物だった。
庶民も盛んにまねをし、その流行のあまりの加熱ぶりに禁令(文政5年2月)が出たほどだった。
その後も庶民のあいだでは、「看々踊」や、その歌である「かんかんのう」が歌い継がれた。

その歌詞は、バージョンによって微妙に異なるが、以下のようなものである。Img001
   かんかんのう きうれんす
   きゅうはきゅうれんす
   さんしょならえ さあいほう
   にいかんさんいんぴんたい
   やめあんろ
   めんこんふほうてKankan_2
   しいかんさん
   もえもんとわえ
   ぴいほう ぴいほう
「かんかんのう」は「カンカンヌウ(看看奴)」すなわち「奴(女性の一人称。わたし)をちょっと見て」、「きうれんす」は「キウレンス(九連子)」すなわち「キウレンクワン(九連環)」(チャイニーズリング)、「きゅうはきゅうれんす」は「キュウヤキュウレンクワン(九呀九連環)」、「さんしょならえ」は「シャンシュナアライ(双手拿来)」すなわち「両手で持って来る」、を日本語風に崩したものである。
江戸から明治にかけて、「かんかんのう」を唱っていた庶民の大半は、この元歌が中国伝来の歌であることは認識していたが、歌詞の意味は把握しておらず、一種のナンセンス・ソングとして、意味不明ながら語呂の響きを楽しんだのである。

「かんかんのう」と「九連環」が聴けました。下をクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=I9Rm7zYbKCM&feature=related

「らくだ」という噺は、ラクダという外国から来た動物の名前だけでなく、「かんかんのう」という、中国伝来の歌も入っているという、実は大変に国際色?豊かな、エキゾチックな噺だったんですね。
しかも、「かんかんのう」というのが「ちょっと私を見てよ」という意味なら、噺の中で、大家さんの所で踊る曲としてもぴったりの歌詞ではありませんか。

GDP

2010年の名目国内総生産(GDP)で、日本は中国に抜かれて、世界2位から3位に転落したそうです。
日本のGDP世界3位は43年ぶりだそうで、1968年に西ドイツ(当時)を抜いて以来、42年間維持してきた米国に次ぐ「世界第2位の経済大国」の座を中国に明け渡したことになります。
・・・国土の広さ、資源、人口・・・、どれをとってみてもポテンシャルが違い過ぎるのですから、仕方ないと思います。
それよりも、ブータン共和国のように、「GNH(国民総幸福度)」を目指すのが、日本でも必要だと思います。

干物箱

道楽が過ぎて、若旦那が外出禁止となって10日が過ぎた。
たまには湯でも行って来いと言われて、二つ返事で家を飛び出した。
一旦外に出ると吉原に顔を出したくなる。
そこで、声色が上手な善公に替玉を頼むことにした。
運座の事にはこう答えろと指示して、善公を2階に残して遊びに出掛けた。
筋書通りに答えて調子にのっている善公だが「頂いた干物はどこだ」と聞かれて「干物箱」と出鱈目を言うと持って来いと言われた。
顔を見せる訳にはいかないので、腹が痛いと嘘をつくと、親父が薬を持って2階に上がって来た。
頭から布団を被ってしがみついていたが剥がされ、若旦那との計略がバレた。
その時、窓の外から若旦那が囁くような小さな声で、紙入れを忘れたから取ってくれと頼む。思わず親父が怒鳴った。
「馬鹿野郎、てめえなんぞ、どこへでも行って死んじめぇ」 お気楽な若旦那は、「はぁ善公は器用だねぇ、親父そっくりだ」。
Smile
初めて聴いたのは、先代金原亭馬生師匠です。
落研に入ったばかりで、吉原など知らない頃。
「吉原」といえば、東海道の宿場だと思っていたくらいですから。
題名を聞いた時は、なんのこっちゃと思いました。
楽しい噺です。
「扇子っ子連」の発表会で、「千早亭小倉」さんが演ります。
出席率の悪い私は、この小倉さんもまだよく存じ上げません。
私が稽古会で「花色木綿」をやった時、正面に座っておられましたが、小倉さんにはあまり受けていないようで、やや自信喪失でした。

2011年2月16日 (水)

「佃祭」か「藪入り」か

5月の「お江戸OB落語会」の演題です。
いつもながら悩んでいます。
落語会のプロデュースを仰せつかっていますので、今、出演者を募集中です。
その状況を見ながら香盤を考えなくてはいけないのですが、さて、どうしようかと・・。
今のところ、5人確定しているので(あと1・2人出て来るかもしれませんが)、固めようと思います。
「落研OB御三家」の「寝蔵」師匠と「志ん志」師匠のトリをとお願いしたのですが、お二人から固辞されてしまいましたので、とりあえず「ぽんぽこ」さんに打診中。
私はもともと仲入り後の"食いつき"で演らせてもらおうと思っていたのですが、ぽんぽこさんの確定に時間がかかるようであれば、噺の準備・稽古の都合からも、私がトリに回らせていただくしかないかもしれません。
Photo_3
今回は、トリの常連?の「御三家」の「友楽」師匠がご出演されませんので・・・。
ということで、"二段構え"で心の準備をしておこうという訳です。
"食いつき"の場合は、以前からイメージしている「薮入り」を、そして、トリになった場合は・・・、とても悩ましいのでありますが、「佃祭」にチャレンジしてみようかなと思い始めました。
あと2・3日のうちに、一旦、香盤の案をOB会の皆さんにご報告しようと思っています。

寄席の楽しみ

Kogiku

先日の「破れ家笑児」さんとの再会の時に話題になったひとつが、やはり当時の寄席芸人さんたちのことです。
学生時代から今まで、ずっと寄席に通っていると、やはり時の流れも感じるということなんです。
当時駆け出しの若手だった芸人さんが、精進を重ねて大看板や人気者になり、寄席の中で不動の地位を占めるプロセスが見られるのです。
中で印象に残った噺家さんの一人が「柳家権太楼」師匠でした。
「柳家さん光」時代に、鈴本演芸場で何度か聴きました。
好き嫌いはあるかもしれませんが、芸も表情や仕草も個性があって、とても鮮烈に記憶に残っています。
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ところが、真打になって権太楼を襲名したのと、私が社会に出て落語から離れるのとタイミングがほぼ一緒で、その後はあまり聴く機会がなくなってしまいました。
そして、時は流れて、私が落語に戻って来た時、あの権太楼さんは文字通りの押しも押されぬ大看板・人気者になっていました。
「へぇ、あのさん光さんが・・・」と、とても嬉しかったものです。

色物さんでは、大神楽の「鏡味仙三郎」師匠ですね。
確か、仙之助・仙三郎のコンビで頑張っていました。
若々しくイケ面だった頃の印象が強いのですが、ごま塩頭になった今もいいですよ。
笑児さんの楽しみは、「柳家小菊」師匠だったそうです。
ほぼ同年輩(失礼)なので、あの頃の小菊師匠は初々しく、彼は、同期の下町亭楽生さんと「小菊ちゃ~ん」と言っては、追いかけていたようです。
45473これまた時は流れて、小菊ちゃんは、今や色っぽさはさらに増して、寄席の粋曲の第一人者になっています。
笑児さんから聞いて驚いたのは、小菊師匠のご主人が、演芸評論家の「Y」さんだということ。
小菊さんとは、何の縁もゆかりもありませんが、それを聞いてややショックでした。
芸人さんというのは、特に女性の芸人さんというのは、少し神秘的な部分があった方がいいですね。

武田菱と九曜星

Photo_4

武田氏の家紋は、正式には「四つ割菱」というそうです。
というよりも「武田菱」として有名なもので、武田氏専用の?紋なので武田菱の名が起こったものでしょう。Photo_5
武田氏は割菱ほかに「花菱」も用いていたようですが、花菱は裏紋または控え紋として用いたようで、女性などがやさしさを表わすために多用した様子。
 「武田菱」のいわれはさまざまに言われていますが、かなり古くから武田氏は菱紋を用いていたようです

菱文様自体は正倉院の御物の裂にもありますが、武田氏が古くから菱文様を紋として用いていたとおぼしき証拠が、塩山にある菅田神社に伝えられた、武田氏重代の「楯無の鎧」で、この鎧は平安時代の作とみられ、これに割菱・花菱ともに見られるそうです。100pxkuyo_
一方、我が家紋の「九
曜星」は、文字通り「星(天体)」を表わしていて、それぞれ、土曜(聖観音)・水曜(弥勒)・木曜(薬師)・火曜(虚空蔵)・金曜(阿弥陀)・月曜(勢至)・日曜(千手観音)・計都(釈迦)・羅睺(不動明王)の9つの星を意味しています。
中央の星を八星が囲む「九曜紋」は、"満月"という意味を持つ「望月氏」によって用いられているほか、「千葉氏」・「佐久間氏」、また「細川氏」や「伊達氏」でも使用されているということです。

らくだ

先日、深川「雲光院」でさん喬師匠で聴いた「らくだ」は、もともとは上方落語の演目。Wb9qpg
人物の出入りが多い上に、酔っ払いの芝居が入るなど演者にとって難解な話で、よく「真打の大ネタ」と称されています。
題名は、主人公のあだ名を表していますが、登場した時には既に死人であるという、他に例のない噺です。
原題は「駱駝の葬礼(そうれん)」といい、上方落語の「四代目桂文吾」が完成させ、大正時代に、夏目漱石が絶賛していた「三代目柳家小さん」が東京へ移植したそうです。
当時、三代目小さんが本郷の「若竹亭」という寄席でよくかけていたため、「若竹へ行けばらくだの尾まで聞け」という川柳ができるほど流行したんだそうです。大したものです。
「らくだ」というあだ名は、1821年(文政4年)、両国に見世物としてラクダがやってきたことに由来するようです。Rakuda
砂漠では本領を発揮するラクダですが、、それを知らない江戸っ子たちは、その大きな図体を見て「何の役に立つんだ?」と思ったようで、図体の大きな人や、のそのそした奴をラクダになぞらえて表現したことが下敷きになっているそうです。
東京では五代目古今亭志ん生師匠、八代目三笑亭可楽師匠、六代目三遊亭圓生師匠。
上方では、六代目笑福亭松鶴師匠が特に評価されているようです。
古今亭志ん朝師匠は、若き日に立川談志師匠と来阪した際、松鶴師匠の「らくだ」を聴いて、あまりの完成度の高さに、しばらく二人とも口がきけなかったと仰っています。
桂米朝師匠も「らくだ」を演っていますが、松鶴師匠の存命中はあえて演じなかったそうです。
以前も言いましたが、個人的にはあまり好きな噺ではありません。
気の弱い屑屋さんが酒を飲むに従って人が変わって行く場面などは、演じる噺家さんの技量の巧拙が直に出て来る、とても難しい噺のひとつだと思います。
この場面は、酔っ払いが大嫌いな私でも、傍若無人な輩をやりこめるので、この噺で唯一好きな場面です。
それから、さん喬師匠は、「どんな悪い奴でも、死んでしまえば仏様だ」と言っています。
日本人の死生観の最たる部分だと思います。

2011年2月15日 (火)

積雪

積雪  積雪
雪が積もりました。
昨日は、雨の予報だったはずですが、予想外に気温が低くなったようです。
病院の救急車にも雪。  積雪  積雪
かなり湿気のある雪ですから、融けるのも早いでしょう。
電車も一部で遅れているようでしたが、影響はありませんでした。
東京では3年ぶりの積雪だそうです。

先輩からのメール

昨年、落研の先輩の朝大師匠は体調を崩して入院されました。
退院後の今は、静養と体力作りをしておられるようです。
最近は体力維持とリハビリも兼ねて、ご自宅の近くを歩いたりしているようで、先月は、やはりご案内していた、池袋演芸場の窓輝さんの会にもお出かけくださったそうです。
mailto先日メールが来て、「落語っ子連」と「扇子っ子連」の発表会にも行きたいとの、大変嬉しい内容でした。
改めて日時と場所をご案内したところ、またメールを頂戴しました。
220pxtohoku_university28katahira_no
今日は散歩のついでに、要町交差点の "Plaza Guitarra(プラサギターラ)"と、"千早文化創造館"を回って来ました。
(落語っ子連の会場の)"Plaza Guitarra"は、要町交差点の角ですぐ分かりましたが、(扇子っ子連の会場の)"千早文化創造館"は、地下鉄千川駅から少し入ったところで、駅の地図で確認をしたのですが、道路が斜めに走っていて、一つ違いの横町を入ってしまいました。
駅に戻り再度出直しで、2回目は無事千早文化創造館にたどり着くことが出来ました。
小生の家から歩いて往復1万歩でした。run
当日を楽しみにしております。

good昔(落研創部直後ぐらい)から、圓窓師匠とも親交のある大先輩ですから、当日師匠と会っていただけるのが大変楽しみです。
落研も、勿論私も、先輩方のさまざまな努力やご縁に支えられているという訳です。
こういう繋がりというのが、体育会系でも、文化系でも、部やクラブ活動の身上なんでしょうね。

猫の皿

江戸時代の古美術商(道具屋さん)の中には、地方に出かけてお宝を見つけては所有者を言葉巧みに騙して安値で買い叩き、それを江戸に持ってきて今度は大変な高値で蒐集家に売りつけるという、ずる賢い連中がいたそうです。
そんなある道具屋さんが、あるとき地方の茶店でとんでもないお宝を発見します。
茶店で飼われている猫の餌用の皿が、何と柿右衛門の逸品です。
これならかなりの高値で売れると踏んだ道具屋さん、皿の価値など知る由もなかろう茶店の亭主を言いくるめようと企みます。
「この飼い猫が気に入った、是非譲ってはくれないか」ともちかけて、猫を3両で買い取ると、「皿が違うと餌も食いにくかろう」と猫の皿も一緒に持ち去ろうとします。
すると亭主は道具屋さんを遮って、猫だけを渡して皿は取り返してしまいます。
「これは初代柿右衛門の名品でございますから」。
驚いた道具屋さんが「皿の価値を知って、猫の餌やりに使っているんだ」と訊きますと、亭主「はい、こうしておりますと、なぜか時々猫が3両で売れるんです」。
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茶店の亭主の方がずっと上手だったんです。
もしかすると、価値のある物は、仰々しく保管するよりも、置くはずもない、さりげない場所に置いた方が、かえって安全かもしれません。
人の心理を逆手にとるということですね。
来月の「扇子っ子連」の発表会では、「千早亭和歌女」さんがお演りになります。
実は、稽古会への出席率が悪い、劣等生の私は、和歌女さんには一度ご挨拶をしただけで、まだどんな方がよく存じ上げません。
が、どうやら着物にお詳しい方のようです。
さて、「柿右衛門」というのは勿論人の名前。
酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん、初代:1596年慶長元年) - 1666年寛文6年)は、江戸時代肥前国佐賀県有田陶芸家、および代々その子孫(後継者)が襲名する名称第十四代酒井田柿右衛門は、重要無形文化財保持者(人間国宝、2001年7月12日認定。色絵磁器)だそうです。

事の重大さ

「真田小僧」の金坊のいたずら程度では、笑い話ですみますが・・。
先日、中学3年生が、インターネットの投稿サイトの掲示板に「2月11日21時ピッタリに新宿駅のハイウェイバスの入り口あたりで通り魔を起こす」などと書き込んだ疑いで逮捕されたということ。
「どのくらい騒ぐか見てみたかった」と容疑を認めているそうです。
警視庁は予告日だった11日夜には、犯行予告現場付近に警察官を配置して、警戒態勢をとっていたそうです。
そりゃそうですよ。本当だったら、大変なことですから。
まぁ、いくら子どもとはいえ、現代版「オオカミ少年」は厄介なことで。

2011年2月14日 (月)

真打競演

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志ん輔師匠、昨夜は「ラジオ寄席」で「宮戸川」、今夜は「真打競演」で「七段目」と、連日ラジオ公開録音番組にご出演です。 

  ◇ 七段目    古今亭志ん輔

噺家さんは、よく芝居をご覧になるそうです。
単に、落語の演題にある忠臣蔵だけでなく、落語を立体的にイメージするためにも、勿論衣裳や舞台、大道具・小道具をビジュアルに確認するためなど、芝居は自分の芸のためになるのでしょう。
せいぜい芝居も観るようにしたいとは思いますが、先立つものが・・・・。
志ん輔師匠もよく芝居をご覧になるそうですし、シェークスピアの演劇を翻案して落語を創作したり、能狂言と落語のコラボをやったりして、芸域は広いですから、今夜の「七段目」も面白く聴きました。

義理チョコ

義理チョコ
今朝の朝食時に脇に置いてあったチョコレート。
家内と娘からの義理チョコ?
"ありがとうごぜえますだ。"
ところで、バレンタインデーの趣旨もさることながら、これから1ヶ月後のホワイトデーに至る"システム"は、どう考えても男性が割に合わないようになっているのではと、オジサンには不満ですね。
だって、「二人からです」と言ってもらって、1ヶ月後のお返しはそれぞれ二人に返さなければならないんです。
まさか、一つだけ買ってきて「二人でお食べ」と言う訳にはいかないでしょ。
どうも釈然としない"システム"です。
それでも二人ぐらいならまだいいですよ。
数人連名の義理チョコなんていったら・・、もう・・恐怖です。
おかげさまで、そんなにもらっていませんから、取り越し苦労ですが。
まあ、冗談はともかく、もっと地味にやって欲しいものですな。
「半ちゃん、一つ食わねえかい?」

流鏑馬神事

Photo

何気なくニュースを見ていたら、"武田菱"の紋の陣幕の前で、流鏑馬が行われている写真が目につきました。Photo_3
昨日、小田原の曾我梅林で行われた梅まつり恒例の「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」の記事でした。
領主が弓馬の達人であったことにちなんで、"武田流"一門により神事として行われているんだそうです。
Photo_2
武田菱は、甲斐の大名「武田家」の紋でもあり、縁はないそうですが、家内の実家の家紋でもあることから、目に付きました。
梅も咲き始め、春も近くなりました。

枯木屋

Photo_5

「枯木に花を咲かせましょう~ぉ」
この噺は圓窓師匠の創作落語です。
この2~3年、好んでおやりになっていますので、何度か聴いたことがあります。
扇子っ子連の発表会で早千さんがおやりになる予定です。
とても穏やかな噺で、気持ちがなごみます。
「枯木屋」さんが、犬のシロを連れて「枯木に花を咲かせましょう。枯木屋でござい。」と歩いている。
ある家のご主人が、この枯木屋さんを呼び止めて、どんな商売かを訊くと、「花の咲いていない木に花を咲かせます」と言います。
「それでは、家の庭の枯木に花を咲かせてもらおう」と注文をすると、不思議なおまじない(呪文?)を唱え、水のような液体をかけながら、木に話しかけます。
「枯るるとも まさか魂捨てざらむ 今わの際に咲かせひと花」
「咲いてみしょうぞ。咲いてみしょうぞ。」
白い粉を蒔きながら、「枯木に花を咲かせましょう~」。
シロがワンワンと吠えます。
すると、さわさわと幹や枝が動き出し、ポツポツと、梅や桜の花が咲き始め、満開になるのです。
ご主人は、大変に喜んでくれました。
そして、「もう1本、どうしても花が咲かない木があるので、これに花を咲かせてやってもらいたい」と、何という名前か分からない木を指して注文します。
枯木屋さん早速とりかかりましたが・・・、一生懸命に語りかけますが、この木からは何も反応がありません。
さすがの枯木屋さんも諦めかけていると、そのうちに幹や枝がさわさわとして、ポツポツと白い六弁の盃なりの花が咲き始めました。
ご主人は大喜び。
「いやぁぁ、お見事。黙って咲いたね。」
「えぇ、"くちなし"でした。」
この噺のマクラで、師匠は「浦島老人」という、やはりオリジナルな噺をお演りになります。
「浦島太郎」や「鶴の恩返し」などの日本の昔話に触れています。
このマクラは、いつか使わせてもらえる気がするのですが
。  

「R-1」グランプリ

「R-1」というのは、“ピン芸人日本一”を決めるイベントだそうです。
先日、どこかのテレビ局で騒々しくやっていました。
ピン芸人という言葉も好きではありませんが、お笑いの内容も好きになれません。
奇をてらった、気味の悪いものが多いからです。
「M-1」もそうですが、審査員と観客にも偏りがある気がしますから、一部の芸人や一部のメディアのイベントだと思っています。
それでも、大変な競争率で勝ち抜いた芸人さんの努力には敬意を表しますが、芸そのものが良いとは思いません。
なぜ、こんな話題に触れるかと言うと、「R-1」の「R」は、落語を表わしている(はずだ)からです。
この呼び名、やめて欲しいのです。

「R-1グランプリ」は、吉本興業が始めたピン芸コンクール。
ピン芸人で誰が一番おもしろいかを決める大会であり、同じ吉本主催の若手漫才師のコンクール・「M-1グランプリ」の成功に続く形で開催されている。
タイトルの「R」は本来「落語」を意味しているが、落語に限らず「とにかく面白い一人話芸」を披露することがルールとなっている(古典落語以外なら基本的に何でもあり)。
落語、モノマネ、漫談・一人コントだけでなく、普段はコンビ、グループで活動している芸人、アマチュアでも個人で参加出来る。
元々は若手ピン芸人に漫談の実力を発揮してもらおうという趣旨で行われる方針だったが、若手だけでなく芸歴の長い芸人にも門戸を開いて、オープンな大会となっている。
第1回大会(2002年)は座布団の上で漫談を披露することが決まりだったが、第2回大会からその規定がなくなった。
また、音響なども使用できるようになった。

ということで、落語とはほとんど関係のないイベントです。
「面白い一人話芸」というのにもほど遠いと思いますが・・・。
まぁ、あの吉本興業主催ですから・・。

熈代勝覧の鑑賞


日本橋三越、地下鉄銀座線・半蔵門線の三越前駅の通路に展示されている、熈代勝覧(きだいしょうらん)は、絵の下に簡単な説明もついていて、なかなか見応えのあるものです。
絵巻物の半ばほどには、「たがや」さんが桶に巻く竹を丸く輪にして肩からかけて小走りしています。
  
なるほど、こういう風情で商売をしていたのか。
左端は日本橋の賑わいで、遠くに富士山が見えます。
通るたびに、少しずつ見てみるのも一興でしょう。
これ、落語に役立ちますよ。
ありがたい。

2011年2月13日 (日)

ラジオ寄席

先週、先々週と、故人の師匠の特集でしたから、ラジオ寄席久しぶりの公開録音です。
しかも仙台から。
この番組は我々が学生時代からありましたから、「宮城県民会館」で公開録音が行われ、何度か聴きに行った記憶があります。
アナウンサーが何か言った後で、ADが手を振り回したら拍手をするという打ち合わせがあったりして・・・。
今回の会場は「東京エレクトロンホール宮城」だったそうです。
聞いたことのない、知らない会場ですねぇ。
 
  ◇ 宮戸川    古今亭志ん輔

確か、志ん輔さんのお父さんだったか、近しい人が東北大学のご出身だとか、ご本人からお聞きしたことがありますから、いくらか親しみを感じてくださっているかもしれません。
「宮戸川」は、以前にも聴いたことがあります。
「宮戸川」というのは「隅田川」の別名ですが、仙台には清流「広瀬川」があります。
会場の大きさ(大ホールで1300人ぐらい)を考えると、志ん輔師匠の声の張り方も、いつもよりやや大きめだったかもしれません。
最近流行っている「謎かけ」をやる、「Wコロン」というコンビも出演していました。
すっかり人気者になってしまいましたね。

会場からお題をもらって、こんな謎かけをやっていました。
・「雪国」とかけまして「思いやり」と解きます。その心は、そこには「新雪(親切)」があります。
・「仙台」とかけまして「メガネ」と解きます。その心は、「伊達」もあるんです。
・「菅総理大臣」とかけまして「荒削りのバッター」と解きます。その心は「内閣(内角)」に脆さがあります。
・「(スポンサーの)美酒爛漫」とかけまして「お寿司屋さん」と解きます。その心は、「いくら」だって口にできます。

Zenkei_2ところで、「東京エレクトロンホール宮城」が気になったので、どこにあるのか調べてみたら、これが親分大笑い!
何のことはありません。「宮城県民会館」そのものでした。
最近流行りの"ネーミングライツ"というやつですか。

発見・・?

発見・・?
ある人気の師匠のご実家は、吾妻橋の近くだと聞いていました。
今日、大川あたりをうろうろ歩いていて、遂に発見しました。
「K」という名前の洋食屋さんでした。
都営地下鉄の本所吾妻橋駅の上の交差点にありました。
なぜ、事前に調べた訳でもないのに、簡単に見つけられたか。
驚いたことに、この隣にあった居酒屋さんに、何度か来たことがあったからなんです。
数年前まで、この「K」の隣のビルの1階で、"ちょっとした知り合い"が、小さな飲み屋さんを経営していたので、何度も飲みに通っていたんです。
そのお店は、数年前にその人の個人的な都合で閉店してしまいましたので、行くこともなくなってしまいました。
今日は、吾妻橋周辺まで足を伸ばして歩いていて、偶然この店のあった場所を通りかかったので、懐かしく立ち止まって、これまた偶然横を見ると、某師匠のご実家の店「K」があったという訳なんです。
いつも暗くなってからしか来たことがありませんでしたから、隣の店のことなど全く眼中になかったですねぇ・・。
そうだと知っていれば、晩飯でも食べていたのに・・・。
今度、誰かを連れて、食べに行こうと思います。
ピラフやオムライスやハンバーグなど・・、洋食屋さんです。
発見・・?
このお店の前からも、東京スカイツリーがよく見えました。

浅草散歩

快晴の浅草に来て、そのまま還るのも勿体ないので、運動不足でもあるし、少し大川端を歩いてみることにしました。
仲見世・観音様は、大混雑ですから、いくらか川沿いの方がいいでしょう。
着物屋さんを出てから、仲見世を横切って松屋方面へ。
この辺りは花川戸というのでしょう。
隅田公園に出ると、スカイツリーが大きく見えます。
                          浅草散歩
人力車のお兄さんが、お客さんに向かってスカイツリーの説明をしています。
桜の枝越しに見えるスカイツリーも乙なもの。
「お~い、俥屋さん、頑張って~。」
浅草散歩
言問橋を渡って、向島方面へ。
「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥・・・」ですよ。
ここから見えるスカイツリーもすっきりしていていいですよ。
       
業平橋近くは、もうスカイツリーの麓ですから、見上げなければ全容が見えません。
業平橋駅のホーム越しに見える姿は迫力があります。
建設中のスカイツリーをみようと訪れる人も多く、(私もその一人ですが)とても賑やかです。  

        浅草散歩 
吾妻橋の東岸には、ビール会社の本社があり、もうだいぶ見慣れましたが、「恐竜のう○ち」のモニュメントがあります。
     浅草散歩  浅草散歩
"恐竜のう○ち"越しにもスカイツリーが見えます。
でも、ここで文七が身を投げようとしていたんです。
そして、ここから北西にある吉原の方を向いて、「お久ぁ~、すまねぇ」と・・・。
浅草の駅を起点に、言問橋から隅田川の右岸から左岸に渡り、南に下って、吾妻橋を左岸に戻り一周したという訳です。

襦袢

襦袢
新しい着物に合う色の衿の襦袢をと、浅草に出かけました。
いいお天気で、昨日までのみぞれが嘘のよう。
ある店に入り、白い衿がいいと言うと、お店の人が怪訝そうな顔で「白だとかなり改まってしまいますが・・・」と。
そこで、「実は、着物を着て歩くとかいうのではなく、落語なんぞをやっているので・・」と、携帯の待ち受け画面にしている下の写真を見せると、店員さんの態度が一変。
襦袢
にこにこしながら、「それなら大丈夫です。(写真を見て)随分本格的な雰囲気ですね。」というお世辞付き。
「最近、落語を習いたいと言って来店されるお客さんが多いですよ。やはりブームなんですかね。」
「私の中1の息子に落語を聴かせたいんですが、誰がいいですか?」
・・もう完全に常連の雰囲気・・・。
「是非、大人になってもずっと聴いてもらえるように、本格派を聴くようにしてください。」なんて言ったりして。
「どなたがいいですか?」
Hoshi_07
「誰ということではなく、数多く聴くことだと思いますよ。そうすれば、そのうちに自分なりの好みが出て来ます。でも、強いて言えば、若手の三三さんや菊之丞さんがお薦めかなぁ・・」。
中1の息子さんがいるということですから、アラフォーの奥さんだと思いますが、なかなか感じのいい人でした。
それにしても、落語の威力というのは大したものです。
店にいる間、浅草という土地柄もあってか、外国人のお客さんが何組か入って来ました。
片言の英語で答えていました。
この奥さん(店員さん)。応対の英語は息子さんに教わるんだとか。
「ファイブ・サウザント・・オーバー」なんて、帯の値段を説明していましたよ。
やっと白い衿の襦袢が買えました。

「笑児乱志二人会」の名前

Ichiban

「破れ家笑児」さんと二人会をやろうということになりましたが、それじゃ名前を考えようと、色々考えています。
「破れ家笑児」と「金願亭乱志」ですから、この高座名から組み合わせた乙な名前はないかなぁという訳で・・・。
「破一笑」・「破乱」・「笑千万」・「一笑千金」なんていう四字熟語を模したのを使うのはどうでしょう?
「破願一笑 笑児乱志二人会」、「笑児乱志 破乱万情の会」だとか、「笑志千万二人会」なんていうような・・・。
四字熟語と我々の高座名を織りこんで考えてみた訳で、まだ笑児さんにも言っていません。

破顔一笑~にっこり笑うこと。▽「破顔」は顔をほころばせること。ほほえむこと。「一笑」はちょっと笑うこと。
波瀾万丈~変化がきわめて激しく、劇的であるさま。▽「波瀾」はごたごた・もめごと。また、単調でなく複雑に変化すること。「瀾」は大波。「万丈」は非常に高いことや深いことの形容。「丈」は長さの単位。「瀾」は「乱」とも書く。
笑止千万~非常にばかばかしいこと、おかしいこと。また、そのさま。また、いかにも気の毒なさまに用いられることもある。▽「笑止」はおかしいこと。ばかばかしいこと。また、気の毒なこと。「千万」は語の下に添えて、このうえなくその程度が高いことを表す。
一笑千金~美人がひとたびほほえめば、千金に値する意。それほどの美人をいう。また、美人の笑顔の得難いことのたとえ。▽「千金一笑せんきんいっしょう」ともいう。

もっと面白いのを考えましょう・・・。
でも、結局、単純な「乱笑(二人・落語)会」あたりかな。

毘沙門さん

Bisham

子どもの頃、まだ元気だった祖父が楽しみにしていたのが、「吉原の毘沙門さん」でした。
「吉原」と言っても、浅草の観音様の裏ではありません。
静岡県富士市の「今井山妙法寺」は、毘沙門天で有名で、ここのだるま市は、東京の深大寺、群馬の少林山達磨寺と並び、「日本三大だるま市」の一つとして知られているそうです。
このだるま市は、9日から11日まで開かれていたそうです。
叔父が市内に住んでいるので、祖父はこの時期には必ず息子の家に遊びに行って毘沙門天にお参りしていたようです。
Bishavだるまは、立派なひげが付けられているのが特徴で、描くよりも付けひげの方が迫力があり、魔よけにも効果的という理由で始まったそうです。
おじいちゃん子だった私ですが、何故か「毘沙門さん」には連れて行ってもらった記憶がありません。
おそらく、平日に行われるので、なかなか行くことが出来なかったのでしょう。
「妙法寺」は日蓮宗の名刹です。
同宗同名の有名なお寺としては、落語にも登場していて、堀の内のお祖師様(粗忽の釘)と毒消しの護符の小室山(鰍沢)がありますよ。

抜け雀

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この噺は、落語の特長を端的に示している部分があります。
恐らく、講談や浪曲、芝居ならありえないであろう部分です。
それは、主人公の名前が出て来ない点です。

小田原の宿で、薄汚れた旅人が毎日三升の酒を飲み、何もせず寝てばかりで七日が過ぎた。
金は無いが、自分は狩野派の絵師だからと、衝立に墨で雀の絵を描いた。

江戸へ行き、帰りに寄った時に必ず金を払うから、それまではこの絵を売ってはならぬと言い残して旅立った。
翌日、主が雨戸を開けて日の光が射し込むと、絵の中の雀が飛び出して外で餌を啄み、戻って来て元の絵の中にピタッと収まった。
これが評判になって、毎日客が訪れ大繁盛。
小田原の殿様の耳に入り、絵を千両で買い取るとの話を、絵師との約束があるので断った。
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その後、年配の武士が訪れ、止り木がないので雀はいずれ落ちて死ぬからと、雀が抜け出た隙に、画面一杯に鳥籠を描いた。戻って来た雀は鳥籠の中にピタッと収まった。
 江戸から戻って来た絵師に事情を話すと、絵を一目見て、描いたのは自分の父親だ、なんという親不幸をしてしまったかと嘆く。
「なぜ?」「親をカゴカキにした」

やってみたい噺のひとつで、扇子っ子連の発表会で、千早亭当富さんがおやりになります。
なかなか稽古会に出られない私は、当富さんの噺はお聴きしていないのですが、恐らく師匠が考えたオチでおやりになることでしょう。
「駕籠かき」が職業蔑視に繋がる面があるのと、そもそも、雀という鳥は籠に入れて飼うような高級な鳥ではありませんから、師匠は別の演出をされています。
また、「絵師として駕籠入りの雀は描かないというはずだ」という、柳家つば女師匠の言葉に同調しています。
そこで、「雀」と言えば「竹」ということで、この父親には、籠でなく竹を描かせるのです。
そして、この父親はもとは絵描きだったが、「絵だけでは世のため人のためにならない」と、絵描きをしながら医者もやっていることにする。(今と違って、昔は医者になるまは簡単だったので、さほど唐突ではない。)
「あぁぁ、私は親孝行だ。親を"藪"にした。」

2011年2月12日 (土)

えっ?

昨日の朝のこと。
7時頃に目覚めました。
何故か、夢に中学校時代の友人が出て来ました。
前日、30年ぶりに大学時代の「破れ家笑児」さんに逢ったから、頭が思い出モードになっているからでしょうか。
そんな時に、いつもスイッチONにしているラジオから聴こえて来たのは平日の番組でした。
それを寝ぼけながら聴いた瞬間、「あっ!しまった!寝坊した!」と、ガバっと跳ね起きました。
・・、「あぁ、今日は休日だったぁ・・。」とひと安心。
3連休は、土~月のパターンが多いので、どうもすっかりその気になってしまっていて、体内時計が狂っていたようです。
という訳で、あれからずっと、私の身体は、ずっと曜日がずれたままになっています。

今日は土曜日なのに、身体が日曜日になっていて、今朝も6時に「落語とデートの時間だ」と、文化放送に合わせてみたり。
志の輔さんの「落語でデート」は、日曜日の番組なんです。
中学校時代の友人が突然出て来て、何かあったかなぁなんて思ったりしている、雪模様の天候のせいで、さほど複雑ではない頭の回路もおかしくなってしまったかもしれません。
だから何なんだって言われると苦しいですが・・・。
今日は3連休の2日目。土曜日です。

三遊亭柳枝?

某月刊誌の広告で「三遊亭柳枝」という名前を見つけました。
えっ?「柳枝」は「春風亭」では?
調べてみると、意外なところで実在の芸人さんでした。
Photo_2 
「三遊亭柳枝(さんゆうてい りゅうし)」は、大正・昭和期の漫才師、喜劇俳優、漫談家。
瀬戸内海の汽船のボーイを経て、天狗連の「三笑亭柳枝(俗に「提灯屋の柳枝」といわれる)」に入門して噺家になり、「三笑亭柳歌」を名乗る。
後に勝手に「三笑亭柳枝」の名の入った後ろ幕を持ち出し勝手に「三笑亭柳枝」を名乗り独演会を開いた事で破門される。
その後、師匠の配慮で三遊亭円圓子門下(預かり弟子のような形で)で復帰し三笑亭青柳と改名、後に元師匠が三笑亭柳枝が柳花に柳枝を譲ったので改めて三遊亭柳枝となった、師匠が落語の亭号である「三遊亭」を許可なく名乗っていた為、東西の落語家らから毛嫌いを受けたとされる。

なるほど・・、いろんな人がいるんですね。
私が、圓窓師匠にご指導いただいていることをいいことに、勝手に「三遊亭何がし」と名乗って、「三つ組橘」の紋付を着て落語をやるようなものでしょうか・・・。

源平盛衰記

1

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。げに奢る者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
予もいずれの歳よりか・・・漂泊の思いやまず。
蛙飛び込む水の音。・・・・・??
・・・「平家物語」開巻第一の名文句がすらっと出て来る?ところなんぞは、私もまだ捨てたものではありませんな。
本チャンの「平家物語」は、琵琶法師の名調子によって、重々しく謡われますが、落語の「源平盛衰記」は・・・・。
まぁ、演題からもわかるように、専横を極めた平家を追討すべく都に乗り込んできた木曾義仲が奇計を案じて平家の軍勢を追っ払う倶利伽羅峠の一戦から、源義経がついに平家を追い詰める壇ノ浦の戦いまでが語られます。
滑稽噺や人情噺ではなく、漫談ふうに語られる地噺ですから、プロの噺家さんは、合間合間にオリジナルな小噺などを次々と織り込んで演っています。
A0029899平家が西海に没落するというクライマックス(オチ)の場面では、冒頭の「平家物語」の文章が重要な伏線と分かり、思わず納得するという訳。
古くは、七代目林家正蔵師匠・林家三平師匠の親子、立川談志師匠や桂文治師匠、最近は桂平治さんが得意にしています。
自由に噺を操るのですから、かなりの技量がいるはずです。
こういう噺を自然にやって、さらに受けることが出来たら、さぞかし楽しいでしょうね。

2011年2月11日 (金)

談洲楼燕枝

2月11日は、明治時代に三遊派のドン「三遊亭圓朝」に対して、柳派のドンといわれ、圓朝と二分していた「談洲楼 燕枝」の命日だそうです。
≪談洲楼 燕枝(だんしゅうろうえんし)≫
天保8年10月16日(1837年11月13日) - 明治33年(1900年)2月11日)は江戸出身の落語家。
本名は長島 傳次郎。江戸小石川春日町の酒屋に生まれる。
通称「二葉町の師匠」。
・万屋勘兵衛(親類で水戸家出入りの料理屋)の養子となる。
・1856年、初代春風亭柳枝に入門、春風亭傳枝から初代柳亭傳枝を名乗る。一時、万屋に戻る。
・1861年、二つ目で初代柳亭燕枝を襲名。三遊派の三遊亭圓朝とは当時はライバル同士で燕枝は柳派の頭取、年齢が一つ違いで没も半年違い。
・1868年、「落語睦会」の頭取、議長、社長を勤めた。
・1881年12月、落語史上初の「シカ芝居」を上演する。
・1885年3月7日、真打で初代燕枝襲名し両国の中村楼で披露行う。
・1888年、圓朝等と共に「演芸矯風会」の評議員に就任。
・1890年、柳派の頭取を3代春風亭柳枝に譲り引退。
・1900年、動脈瘤破裂で死去。

この経歴を見て、色々なことが分かりますね。
まず、柳派の頭取の筋は「春風亭柳枝」だということ。
圓朝とはライバルであり、没年も同じだということ。
「鹿芝居」を始めた人であること。   
談洲楼というのは、歌舞伎の九代目市川團十郎との親交関係から名乗ったようで、もとは「柳亭燕枝」だということ。等々・・・。
Main燕枝代々を調べると、三代目までいるようです。初代・二代目は「談洲楼」を名乗りましたが、 三代目は「柳亭」だったそうです。
三代目が亡くなったのが昭和30年で、その後襲名はありません。
先日のある落語会で、「柳亭燕路」さんが、「柳亭」というのはマイナーで、なんて言っていましたが、「柳家」と並んで「柳亭」も由緒ある亭号なんですね。
今の落語界で、襲名されていない大名跡を見ると、「談洲楼燕枝」のほか、「三遊亭圓朝」「春風亭柳枝」「三遊亭圓生」と「古今亭志ん生」あたりでしょうか。

熈代勝覧(きだいしょうらん)

      
「熈代勝覧(きだいしょうらん)」というのは絵巻物の名前で 2000年にベルリンの東洋美術館で見つかったものだそうです
描かれているのは 1805年(文化2年)の日本橋の大通り(今の中央通り)の様子で、日本橋の南詰めから 真っ直ぐ北に 神田今川橋までの1kmほどを克明に描いているのです。
通りの西側に並ぶ八十八のお店は 店の名前はもちろん 商う物や客の様子までわかるほど。
この絵巻に登場する江戸の人々は1700人ほどになるそうです。
日本橋三越の地下の地下鉄通路に、この絵巻物の複製が展示されています。
当時の賑わっている様子は、落語の舞台・風俗を知るにも、大変興味深いものです。
「お江戸日本橋」は、今年が架橋100周年になるそうで、最近元気な日本橋の街と相俟って、江戸の象徴としての往時を取り戻しつつあるようです。

柳家さん喬師匠を聴く会

「雲光院で柳家さん喬師匠を聴く会」。
             
場所は清澄白河の「雲光院」という浄土宗のお寺の和室。
天気予報は大雪を伝え、外は雪がしんしんと降っています。
ここで、さん喬師匠の噺をたっぷり聴こうという落語会です。
◆ 平林  柳家喬之進
  ◆ 兵庫舟     露の新治
  ◆ らくだ      柳家さん喬
  ◆ 風呂敷     露の新治
  ◆ 福禄寿     柳家さん喬
和間ですから、席は座布団、マイクなし肉声で聴く訳ですから、落語の原点です。
そこで三遊亭圓朝作の噺を聴くという。
「らくだ」は、個人的には好まない噺ですが、丁寧なさん喬師匠は「冷やでもいいからもう一杯」まで行きました。
雪の降る日の「福禄寿」なんて、さん喬師匠の絶妙な演出です。
圓朝物に珍しい、ハッピーエンドのり噺で、今はさん喬師匠しか演っていないのではないでしょうか。
雪混じりの雨の中、満足感に浸って帰りました。

お江戸OB落語会のチラシ

Ob まだ先の話ですが、5月28日の「第二回お江戸OB落語会」のチラシを作ってみました。
前回と同じパターンですから、少し手を加えただけで完成です。

←クリックしてください。

高円寺演芸祭

高円寺の町興しでもあるのでしょう。
今日から「高円寺演芸祭」が10日間開催されるそうです。
日経新聞の東京版でも紹介されていました。
かつて「大銀座落語祭」が開催されていましたが、街をあげたイベントだということですから、盛り上がっていることでしょう。

不景気な世相を、笑い飛ばしちゃおうじゃないですか。
腹を抱えて笑うもよし、ほろりと涙するのも演芸の楽しみ。
ご近所の皆さんが下駄履きでも気兼ねせず、若い衆を応援しちゃおうてぇのが高円寺演芸祭。
もちろん、遠来のお客様も大歓迎、面白い街でしょ高円寺って、レストランも居酒屋も、神社やお寺、それに不思議なお店や駅前広場まで寄席に大変身するんですよ、この街にしてこの企画、笑って楽しい10日間。
高円寺演芸祭が始まりますよ~。

http://www.koenji-engei.com/2011/

黄金餅

談志師匠の「黄金餅」の下谷山崎町から麻布絶口釜無村までの道順です。
ワーワー言いながら下谷の山崎町を出た。
上野の山下を回って上野の広小路、新黒門町から御成(おなり)街道を真っ直ぐに五軒町へ出る。
当時、堀丹波守様(下記注)というお屋敷がありましたそうで、この前を通って旅籠町へ出る。Photo
仲町、花房町、筋違(すじかい)御門から大通りへ出る。
神田へ出てまいりまして、新石(しんこく)町、須田町、鍋町、鍛冶町、乗物町、今川橋を渡って本白銀(ほんしろがね)町へ出る。
石町(こくちょう)から本町、室町から日本橋を渡って通り3丁目、中橋から南伝馬町へ出る。
京橋を渡って真っ直ぐに銀座四丁を突き抜ける。尾張町、竹川町、出雲町。新橋の手前を右に切れまして、土橋を渡って、兼方(けんぼう)町へ来る。
久保町へ出る。
新(あたら)し橋の通りを真っ直ぐに、左に曲がって愛宕下から天徳寺へ抜ける。
西の久保から神谷町、飯倉の坂ぁ上がって、六丁目から飯倉片町へかかって、狸穴(まみあな)の通りへやって来る。
右に上杉様(上杉駿河守)のお屋敷を見ながら、左に、当時流行った”おかめ団子”という評判の団子屋の前を通り、左に麻布の
永坂下って麻布十番に出た。
坂下町から大黒坂登って、一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺に着いた時には連中「疲(くた)びれた・・・」、そういう私(談志)もくたびれた。

噺は、かなりグロテスクなものですが、志ん生師匠や談志師匠がやるから、陰惨なところが消えて、楽しめるという評論があります。
また、得意の好き嫌いを言えば、それでも気味の良くないことには変わりなく、あまり聴きたくないというのが本音です。
実は、「らくだ」も同じ観点で、あまり好まない部分もあります。

2011年2月10日 (木)

破れ家笑児さん

30年という長い時間が一瞬にして氷解して繋がりました。
大学(落研)を卒業して以来初めて、1年後輩の「破れ家笑児」さんと、神保町の乙なお店で逢いました。
容貌も変わっていないので、時間と気持ちが瞬間に結合しました。
落語に対する愛情や情熱が、これまたぴったり合い、こんなに楽しかったこともありません。
お互いに、落語に戻って来たタイミングも動機も、落語感みたいなものも似ていて、何よりも落語が演りたいというのも。
私はかつて、落研創部時代のドンだった「麻雀亭駄楽」師匠と「駄楽・乱志二人会」をやろうと約束したことがありました。
無念なことに、そのプロジェクトを始めようとした矢先に、駄楽師匠が急逝されてしまいました。
「笑児・乱志二人会」をやろう!
どちらが言うともなく、夢のような話題になりました。
二人の情熱の実現だけでなく、形は変わりますが、私にとっては叶わなかった駄楽師匠との約束(遺志)を果たすことにもなります。
お江戸OB落語会に加えて、この二人会を半年ずらしてやれば、着実に年2席の噺を覚えることができる。
勿論、二人だけでやるのではなく、落研のOBやその他の方々にも出演してもらってもいい。
・・・ということで、二人会にもチャレンジして行こうと思います。
私は、落語っ子連・扇子っ子連・OB落語会・二人会の定例の高座が出来、4つの噺が覚えられます。10年で40席・・・。
とにかく嬉しい。
ますます落語に対する気持ちが新たになった気がしました。
(プログを読んでくださっているはずの)笑児さん、よろしくsign03

柳家さん喬独演会

下町のご出身のさん喬師匠を応援する方々が、随分昔から「柳家さん喬独演会」を主催しています。3
数日前、「さん喬独演会事務局(SKK~さん喬を聴く会)」から、久しぶりにメールが届きました。
そういえば最近メールがなかった気がします。
理由が分かりました。
「このところ、前売りチケットの会場内完売が続き、メールでの「さん喬独演会」開催、前売りのご案内を控えさせていただきました。」とのこと。
えっ?会場内で次回の前売りが完売するということは、リピート率100%ということではありませんかsign01
確かに、整理券を手に入れるのに、開演の4時間ぐらい前に行ったりしていましたから。
それで、今回(3月の独演会)は、「上野鈴本演芸場」で開催することになり、前売りを販売するそうです。
この興行は、いつもやっている「深川江戸資料館」での独演会の"番外編"という位置づけなのだそうです。
3月31日ですから、鈴本の「余一興行」ですね。
       ≪柳家さん喬独演会≫
■日 時  3月31日(木)開場:5時30分 開演:6時
■場 所  上野鈴本演芸場   
■料 金  3,000円 (全席指定)
■販 売  2月28日(月)1時より上野鈴本演芸場にて販売

発表会と演題

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落研やら落語っ子連やら扇子っ子連やら・・、色々な発表会が続きますので、どうも頭の中がごちゃごちゃしています。
ここ暫くの私の高座の予定を整理してみました。
2月26日から3週連続で高座に上がることになりました・・・。
「ねずみ」は既にやっている噺ですから、ちょっとさらえば大丈夫だと思いますが、昔ちょっとやったとはいえ、「甲府ぃ」と「花色木綿」は、並行して稽古を進めています。
5月は、他の出演者の演題を見て、バランスを考えたいと思いますので、まだ未定・・。

 ■ 2月26日(土)午後6時・KKR(竹橋) 
         ・・とある個人の会  「ねずみ」     金願亭乱志
 ■ 3月 5日(土)午後5時30分・プラサギターラ(要町)
    落語っ子連発表会  「甲府ぃ」     三流亭流三
 ■ 3月13日(日)午後2時・千早地域創造館(千川)
    扇子っ子連発表会  「花色木綿」   千早亭永久
 ■ 5月28日(土)午後0時・浅草ことぶ季亭(田原町)
    お江戸OB落語会   「おたのしみ」  金願亭乱志  

双蝶々

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三遊亭鳳樂師匠が、今月の日暮里サニーホールでの独演会で、「双蝶々」の通しをお演りになるそうです。
「双蝶々」といえば、あの三遊亭圓朝作の長講。
上下に分かれて口演されることも多く、上が「小雀長吉」、下が「雪の子別れ」と言われます。
こんなに親不孝な息子がいたら、親はどんなに不幸だろう思います。
それでも、親は親、不肖の子でも・・・。

八百屋の長兵衛の倅の長吉は、小さいころから手に負えない悪で、店の物や賽銭は盗むやら、悪い事については頭が良くまわった。
あるとき継母のお光に 寿司を食べるからと銭をせびり、もらえないとなるとお膳を蹴飛ばして表へ飛び出してしまう。
あげくには、仕事を終えてもどってきた長兵衛に嘘八百の告げ口をしてお光を困らせ、夫婦げんかにまで発展させる。
長兵衛は初め、長吉の言い分を信じてお光を殴りつけるが、大家の仲裁で事実を知る。
真っ当になるよう長吉を、お金を扱わない黒米問屋、下谷山崎町の山崎屋に奉公に出す。

悪さをするくらいだから目端も利いてよく働いた。
奉公先で長吉の悪さは収まったかに見えた。
十八のとき、悪友の長五郎と組んで稲荷町の広徳寺前で盗みを働き、そこを風呂が遅いのを不審に思って付けてきた番頭の権九郎に目撃された。
権九郎は店に戻った長吉を呼びつけ、盗みを白状させ叱りつけたが・・・、一転態度を変え、若旦那と争っている吉原の花魁を身請するために二百両必要だという。
ご主人の金庫から残りの百両という金を盗み出せと強要する。
長吉はしかたなく言われた通りに、ご主人夫婦の寝室にお腹が痛いと仮病を使い入り込み、タンスの薬箱ならぬお金を引き抜き、薬をもらって引き下がってきた。
盗んだ金を権九郎にむざむざ持っていかれるのが惜しくなり、待ち合せの場所で番頭権九郎を殺し、奥州路に逃げようかと独り言を言っているのを小僧の定吉に聞かれてしまった。

口封じのために掛け守りを買ってやるから寸法を測らせろと言って、首を絞めて殺してしまう。番頭との約束の九つの鐘を聞いて逐電する。(上・小雀長吉)
ボタンを掛け間違えただけでなく、この長吉、性根もとことん曲がっているのですね。

E59c93e7949f1正直者の長兵衛夫婦は、倅の悪事を知り、世間に顔向けが出来ないと逃げるように湯島大根畠の長屋を引き払って流転の日々を送る。
本所馬場(ばんば)町の裏長屋に越したころ、遂に長兵衛は腰が立たない病になってしまった。
内職だけでは病人を養っていけず、お光は内緒で袖乞いをして一文二文の銭を稼ぎ、なんとか食い繋いでいる。
浅草の観音様に全快祈願のお百度を踏むからと偽り、夜、隅田川縁の多田薬師石置き場で、袖を引く物乞いをしていた。
北風強くみぞれ混じりの中、たまたま奥州石巻から父の様子を探しに出てきた長吉の袖を引き、二人はひさびさの対面を果たす。
長吉は子供の時分、お前に辛く当たったのも親父を取られたように思ったからで、今では申し訳無いと思っている、 と告げる。

長吉はお光に連れられ、腰の立たない父を見舞う。
50両の金を渡し元気で暮らすように言うが、長兵衛は悪事から手を洗えと言葉を重ねたが、最後は長吉をゆるし、涙ながらに今生の別れを告げる。
長吉は、自分には奥州に50人程の子分がいて、自分だけ足を洗う事は出来ないと言う。
追われる身である事を察した長兵衛は、長吉にもらい物の羽織を渡し、江戸から無事出られるようにと願った。

雪の降る中、後ろ髪を引かれる思いで長屋を去った長吉は、吾妻橋を渡るところでついに追手に取り囲まれ、御用となる。
(下・雪の子別れ)

圓朝作品です。だからとても悲しい結末です。weep

2011年2月 9日 (水)

扇子っ子連発表会の香盤

Img_0001扇子っ子連(千早亭)の香盤が決まりました。
いつものように"あみだくじ"で決まったようです。
(私は稽古に行かれませんでしたが・・・。)私の出演順は、2番目になったようです。
メールをいただき、いよいよ発表会モードです。
←クリックしてください。

  ≪扇子っ子連発表会≫
  日時   平成23年3月13日(日)午後2時~6時
  場所   豊島区千早地域文化創造館
  木戸   入場無料
  出演   青菜         千早亭三十一(みそいち)
        花色木綿      千早亭永久(とわ)
        抜け雀       千早亭当富(とうふ)
        枯木屋       千早亭早千(はやち)
        猫の皿       千早亭和歌女(わかめ)
        干物箱       千早亭小倉(おぐら)
                仲入り
        雷月日       千早亭百人(ももひと)
        初天神       千早亭ワッフル
        親子酒       千早亭一首(いっしゅ)
        十徳         千早亭軽太(かるた)
        天災         千早亭屏風(びようぶ)       
        お楽しみ     三遊亭圓窓師匠

ラジオ深夜便2

師匠のラジオ出演2日目。
今朝も早起きして、リアルタイムで聴取。
何も早起きしなくても、タイマーで録音しておいて、後でゆっくり聴けばいいのでしょうが・・。
どうもそういう性分ではなく。
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サッカーファンだって、海外のゲームで、日本では真夜中でも、夜っぴてテレビ観戦しているのですから・・。
2日目は、小学校の国語の教科書に採用された落語「ぞろぞろ」と、師匠がやっている「落語の授業」の話題。
それから、タイムリーな「金子みすゞ」の話が中心でした。
普段から師匠が仰っていることや、我々が垣間見る師匠の活動が、インタビュアーとの対談を通じて、見事に鮮明に浮かび上がっていた気がしました。
2日連続で早起きしてよかった。sleepy

今月の三遊亭鳳楽独演会

今月の三遊亭鳳楽独演会
今月の鳳楽師匠の独演会は、「双蝶々」の通しです。
是非!と思ったら、2月18日(金)。
東京落語会と重なってしまいます・・・。
また今月も残念!

大工調べ

私にとっては、どうも最後まで腑に落ちない噺なんです。41kedx3bs
頭はちょっと弱いが腕の良い大工の与太郎を、棟梁の政五郎は何かと面倒をみていた。
「でっけえ仕事が入ったから道具箱を出せ」と言うと、溜めた店賃のカタに大家に持っていかれてないと言う。
八百足りないが手持ちの一両二分を持たせて大家のところへ行かせたが、金が足りないと追い返されて来た。
棟梁が出向いて頭を下げるが「タカが八百」との言い種が気に入らないと口論となり、棟梁が大家の素性について啖呵をきり、遂には奉行所へ訴える騒ぎになる。
お白州での奉行の裁きは、与太郎は不足分八百を支払い、大家は直ちに道具箱を返すこ
と、日延べ猶予は相成らぬ。
ところで、大家は質株を持っておろうの?「ございません」
何と質株を持たずして、他人の物品を預かり置くはご法度、罪に代えて二十日間の手間
賃を与太郎に支払えと、沙汰した後で、奉行が「ちと儲かったか、さすが、大工は棟梁」
政五郎答えて「へえ、調べを御覧じろ」。

「唐茄子屋政談」の大家は、本当に許し難い因業大家ですが、ここは、与太郎と棟梁に"分"がないと思います。
また、この噺の与太郎は、他の噺と違って、そこそこ大工としての腕はあるが、怠け者で働かないという設定です。
そもそも、借りた金は返す(滞った家賃は払う)のが筋です。
なぜ、「たかが八百」を棟梁ともあろう人が代わって返さ(払わ)ないのか。
この大岡裁きは、大岡越前というスーパースターが、弱者である(はず)の庶民の味方になるというストーリーありきなんです。
この大家さんにも落ち度はあるのかもしれませんが、これ以上に棟梁が理不尽だと思います。
ウルトラマンが、怪獣を退治するという大義名分のもと、東京の街を全て破壊してしまうことは許されるでしょうか・・・。
このお裁き、大岡越前の落とし所が違うと思うのです。
私は、落語の中で、このお裁きだけは腹に落ちないんです。
だから、江戸っ子の啖呵など、聴かせ所の多い落語の名作ですが、私は演らないでしょう。

OB落語会の出演者

1年後輩の「破れ家笑児」さんが、「お江戸OB落語会」に出演してくれることになりました。
ご本人から、嬉しいメールを頂戴しました。

5月28日「OB落語会」、是非出席でお願い申し上げます。
「たらちね」で、浅いところでお願いできればと思っています。

彼は上手いですから、またまた楽しくなります。
獲らぬ狸の何とやらですが、こんな感じの香盤が出来そうです。


   たらちね   破れ家笑児
   替わり目   喰亭寝蔵    
   ・・・         ◎◎亭△△    〜打診中
            仲入り
  (何にしよう) 金願亭乱志
   ・・・       談亭志ん志
   ・・・       井の線亭ぽんぽこ 〜打診中

2011年2月 8日 (火)

扇子っ子連稽古会

annoy扇子と手拭いと落語っ子連の発表会のチラシを持って、千早亭に向かおうとしたのですが・・。
waveサラリーマンの悲しさで、夕方から8時近くまで、仕事から抜けられなくなってしまいました。weep
ng皆さんに申し訳なくて。
次回は万難を排して行かなくては・・。

ラジオ深夜便

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今朝4時(今風に言えば、昨夜28時)、NHKラジオの「ラジオ深夜便」に師匠がご出演されました。
(出演と言っても録音ですが。)
午前4時台の「明日へのことば」というシリーズで、「"人の情け"を次の世代に」というテーマで、今日と明日の2日間で、今朝は噺家になるまでを中心に、インタビューに答える形で。
師匠は、普段から、ご自身を「無愛想・無口・無精・無知」と仰いますが、このインタビューでも、ポイントになっています。
柳枝師匠や圓生師匠の話など、楽しい話題も多く、また度々稽古で教えていただいている落語に対する考え方や姿勢などのお話も、改めて放送で聴くと、とても嬉しくなってしまいます。
今日の28時の2日目は、最近の師匠の活動が話題になるようですから、聴き逃せません。
創作落語や落語の授業、コラボや素人への落語指南などの話題が出るかもしれません。
今夜も目覚まし時計をセットしておかないと。

「OB落語会」出演者募集

5月28日(土)に開催予定の「お江戸OB落語会」の準備の一環で、出演者の募集をしています。
メールで出演者を募ろうという訳です。
5~6名いれば十分で、既に何人か手応えがありますので、落語会自体は何とかなりますが、今後のこともありますから、出演できる人は多い方が良いと思いますので。


落語研究部OB各位

OB各位におかれましては、ますますご清祥のことと、心よりお慶び申し上げます。
さて、昨年来ご案内申し上げております、「第2回お江戸OB落語会」を下記日程で開催する予定でございますが、例によりまして出演者の募集をさせていただきます。
自薦・他薦は問いませんので、我こそはと思う方、「彼は密かに落語をやっている」という方がいらっしゃいましたら、奮ってご出演いただきたいと思います。
とりあえず、第1次募集を≪2月末まで≫行います。
本メールにご返信ください。
既に、談亭志ん志・喰亭寝蔵の両師匠から、心強い出演宣言をいただいております。
昨年以上に盛り上げて行きましょう。
また詳細のご案内は行う予定ですが、当日の皆さまのご来場をお待ちしておりますので、是非皆さまのご予定にお入れくださいますよう、お願い申し上げます。
皆さまのますますのご健勝をお祈り申し上げます。

                 記

        ≪第2回 お江戸OB落語会≫
  ◆ 日 時   平成23年5月28日(土)正午開演予定
  ◆ 場 所   「浅草ことぶ季亭」
  ◆ 木 戸   入場無料(ご祝儀は大歓迎)
  ◆ 出 演   OBの名人上手ほか 

              お江戸OB落語会企画担当:金願亭乱志

野ざらし

二代目林家正蔵の作と言われ、当時は因縁話だったものを、初代三遊亭圓遊が今のような滑稽な噺に改作したといわれています。
「野ざらし」といえば「三代目春風亭柳好」師匠が最右翼だと言われています。
私は、三代目柳好師匠には間に合っていませんが、あの談志師匠も絶賛されていますから、きっと物凄かったのでしょう。
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寄席や落語会でもそこそこ聴く噺で、後半のリズムと明るさをどうやってだ出して行くかがポイントだと想います。

ある夜、長屋に住む八五郎の隣りから女の声が聞こえてくる。
隣りに住むのは、堅物で有名な尾形清十郎という浪人。
日ごろから、「女嫌い」で通っていた先生に、女っけが出来たことに憤慨した八五郎は、翌朝、先生宅に突撃する。
先生はいったんはとぼけてみせるが、八五郎に「ノミで壁に穴開けて覗いた」と言われ、とうとう真相を語った。
「あれはこの世のものではない」
先生の話によると、向島で釣りをした帰りに野ざらしのしゃれこうべを見つけ、哀れに思って酒を振りかけ、手向けの一句を詠むなど懇ろに供養したところ、何とその骨の幽霊がお礼に来てくれたという。
その話を聞いた八五郎、「あんな美人が来てくれるなら幽霊だってかまわねえ」とばかり先生から無理やり釣り道具を借りて向島へ。
居並ぶ釣り客達に、「骨は釣れるか?新造か?年増か?」と、白い目で見られつつ良い場所へ陣取り、骨釣りを始めた。
「私ぁ~、年増が、好きなのよー♪」と変な歌を歌いだし「大変な人が来たよ。湯に入っているみたいだ。」と周囲を困らせる。
さらに「水をかき回すな」との苦情に。「何イ。水をかき回すなだと!何言ってやんでえ。いつ水をかき回したい!たたいてんだよ!かき回すってなアこうするんだ!」川面を思いっきりかき回したりと、八五郎の暴走は止まらない。
notes鐘がぁ~ ボンとなりゃぁさ 上げ潮ぉ  南さ
  烏がパッと出りゃコラサノサ 骨(こつ)がある サーイサイ」
「うるさいねどうも」と周りから苦情が出ようがお構いなし。
noteそのまた骨にさ 酒をば、かけてさ
  骨がべべ(紅)きてコラサノサ 礼に来るサーイサイ
そら、スチャラカチャンたらスチャラカチャンsign01
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サイサイ節の替え歌をがなりつつ、だんだんと自分の妄想にはまり込んでいく八五郎。
そしてとうとう、幽霊が出て来たシーンを一人芝居でやっているうちに、自分の鼻に釣り針を引っ掛けてしまった。
「おい、あの人ぁ自分で自分を釣っちまったよ」
「こんな物(釣り針)が付いてるからいけねぇんだ。こんな物、取っちまえsign01」と、釣り針を川に放り込んで「サァ来いsign03

爆笑ものの噺ですが、最近の傾向として、独り善がりの台詞や仕草・ストーリーで運ばれるギャグは、やや引かれるつつあるそうです。
だから、この噺や「湯屋番」は、昔ほど受けなくなったって、誰かが言っていた気がします。
誰だったかなぁぁ・・・。

「昭和の名人完結編」(1)

51k1v2pk6i いよいよ配本が始まった「落語CD昭和の名人 完結編」。
第1巻は、上方落語の「桂枝雀」師匠。
大人気の爆笑の噺家さん。
落語は緊張と弛緩のコントラスト、とにかく爆笑落語とは裏腹のストイックな噺家さんだったようです。
本物は、学生時代に一度仙台で聴いただけでした。
どうも、この爆笑の演出について行かれず、正直なところ、あまり聴きたいと思わなかったのです。
  ◇ 代書       桂枝雀
  ◇ 親子酒      桂枝雀
隔週で刊行されて行きます。
楽しみにしたいと思います。

大手町落語会のチケット

大手町落語会のチケット
先行販売で完売になった「大手町落語会」のチケットが、「オフィスM’s」から届きました。
4月9日(土)に日経ホールで。
柳家三三・柳家花緑・柳亭市馬・柳家権太楼という、柳派人気師匠連の揃い踏みです。
早速、チケット代を振り込みました。

2011年2月 7日 (月)

真打競演

「真打競演」に「東京ボーイズ」を聴きました。
"東京ボーイズを謎かけ問答で解くならば、種を蒔かない畑です。・・・いつまでたっても芽が出ない。"
随分昔から寄席で聴いています。karaoke
noodleもともとはトリオだったのですが、何年か前に、真ん中のアコーディオンを抱えていたリーダーが亡くなり、コンビになってしまいましたが、頑張っていますよ。
これ、典型的な寄席芸ですね。

  ◇ 時そば     瀧川鯉昇

鯉昇さん、マクラはいつものあのパターンでしたが、オチは全く新しいパターンに工夫していました。japanesetea
「今何時だい?」じゃなくて「娘はいくつだい?」「九つです。」。
オチは、「娘はいくつだ」「へぃ、生まれたばかりでひとつです。」
・・・仕込みはしているものの、やはり時刻を尋ねるのが自然だと思いますが・・・・。

お江戸OB落語会

お江戸OB落語会
自分の発表会ばかりに追われて、「お江戸OB落語会」の準備を忘れるところでした。
【5月28日(土)12時・浅草ことぶ季亭】で開催予定です。
今回は、破れ家笑児さんが初出演してくださるかもしれません。
いずれにしても、OBに対して出演者募集しなくてはいけません。
志ん志師匠・寝蔵師匠のお二人は、既にご出演のご意向とお聞きしています。
勿論、不肖乱志も出演するつもりですから、あと2~3名が手を挙げてくれれば"御の字"です。

仇討ち禁止令

2月7日は、春風亭柳朝師匠のご命日だけでなく、面白い?日でもあります。
そういえば、昨夜のラジオ寄席で「春風亭柳昇」師匠の特集、今日が「春風亭柳朝」師匠のご命日ですが、昔は「柳昇」と「柳朝」の区別がつかず、これに「春風亭柳橋」師匠が加わると、訳が分からなくなってしまいました。
今はそんなことはありませんが、落語を知らない頃は、そんなものでした。
Photo1873年の今日は、太政官布告「復讐ヲ嚴禁ス」(復讐禁止令・仇討ち禁止令)が公布された日だそうです。
仇(あだ)討ち(敵討ち・復讐)というのは、主君や親兄弟などを殺した相手を討ち取って恨みを晴らすという、究極の報復行動といえますが、江戸時代には、武士階級で慣習として公認されていたのです。
人を殺しても、番所に届けて「敵討ち」と認定されれば、その人は罪に問われなかった。
そればかりか、むしろその行為は美化され、古典芸能の能や歌舞伎で取り上げられて、大衆の人気を博したり、現代文学や演劇のテーマにもなっています。
「忠臣蔵」なんていうのは、その典型的なものです。
しかし、当然のことながら、今ではご法度ですね。
落語にも、「宿屋の仇討ち」「花見の仇討ち」「高田馬場」などで、仇討ちを扱う噺がありますが、全て狂言やご趣向の世界です。
このあたりが、むやみに人を殺さない落語の真骨頂ですよ。

猫怪談

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落語国の人気者の「与太郎」は、いつも笑わせる存在・役柄ですが、数少ないながら、涙を誘う場面にも登場し、主役を演じることがあります。
思いつくのは、「佃祭」と「猫怪談」です。
「佃祭」では、渡し船が転覆して死んでしまった(と思う)主人公の甚兵衛さんの祭壇でのお悔やみの場面。
愚かな自分を、いつも優しくしてくれたことを切々と訴える与太郎は、涙なくして聴くことはできません。
そして「猫怪談」。
「お父っつぁん、なんで死んじまったんだようぉ~」と、養父の死を悼む場面です。
背景は、怪談なだけにやや気味の悪い部分もありますが、与太郎さんの台詞であるゆえに、なおさら涙腺が緩くなってしまうのでしょう。

深川蛤町の裏長屋に与太郎が住んでいたが、育ての親の親父が死んでしまった。
線香も買えず、その支度準備が未だ出来ていないが、早桶だけは準備出来ていた。
大家さんの所の菜漬けの樽で、人の樽を勝手に使うなと言うと、「ヒト樽だからいい」。
借りるのではなく、買って一段落。
大家さんが一通りの手配をして、お寺の場所を確認すると、谷中の瑞林寺(ずいりんじ)だという。
お金がないから早々に通夜も済ませ、与太郎が後棒、月番のラオ屋の甚兵衛さんが前棒、大家さんが提灯持ちという出で立ちで、四つ、今の時間で夜10時、担ぎ出した。

上野、いとう松坂に差しかかったのが、もう12時、当時の九つ。
そこを右に曲がって、三枚橋、池之端にかかり、七軒町を通って谷中に抜けるのが近道です。
旧暦の11月、寒く霜柱を踏みしめながら、池之端を抜けると、恐がりの甚兵衛さんは、時間が時間なので恐くてしょうがない。
与太郎に脅かされながら担いでいたが、肩に食い込む痛さに肩を変えてくれと頼んだ。
与太郎さん、加減を見て持ち上げれば良かったのを、思いっきり放り上げるように持ち上げたので、縄がヤワになっていたのか、底が抜けて仏様が飛び出してしまった。
その上、桶が壊れてしまったので、直そうとしたが、タガまで切れてバラバラになってしまった。
仲町ではダメで、公徳寺前まで早桶を買いに行く事になった。

一人残された与太郎さん、仏様を寝かせその隣にぼんやりと座っていた。前は不忍池、その後ろは上野の森、夜の水は不気味なものですが、その奥に黒くたたずむ弁天堂が見えようと言う場所です。そこに風が吹いて、枯れアシがガサガサと音を立てる、その風が上野の森に渡っていき、ゴ~~っと唸っているが、馬鹿の与太郎でもいい心持ちはしない。
「お父つぁん、なぜ死んじまったんだよう。おいら寂しいじゃねぇか・・・・。」、死んだ親父に語りかける与太郎さんですが、5,6間先に何か黒い物が横切った。
そのとたん、仏様が動き始め正座をして与太郎に向かって「イヒヒ」と声を発した。
ビックリして、殴ってしまったら、仏様は横になってしまった。
何か言い足りない事があったら聞くから、もう一度起きあがってくれと頼んだ。
今度は立ち上がって、ピョンピョンと跳びはねたので、「お父っつぁんは上手」と手囃子して騒いでいた。
その時、強い風が吹いてきて、風に乗って行ってしまった。
大家さんと甚兵衛さんは、その声に気づいて、手囃子している与太郎さんの元に帰ってきた。
事の顛末を聞いてあきれる大家さんですが、甚兵衛さんはふるえが止まらず、「ぬ、抜けてしまいましたぁ~」の言葉だけ。
「何が、抜けてしまったのだ。今、買ってきたばっかりじゃないか」と大家さん。
甚兵衛さん「今度は私の腰が、抜けてしまいました」。
この後、
「えらい騒ぎで、この死骸が翌日、七軒町の上総屋という質屋の、土蔵の釘にかかっておりまして、ここで、また早桶を買う、ひとつの死骸で三つの早桶を買ったという、谷中奇聞”猫怪談”でございます」。
・・・という、珍しく真冬が舞台になった噺です。
この噺には、今の上野・谷中界隈の地名が多く出て来ます。
実は、私、この噺を学生時代に演っているんです。
「お父っつぁん・・・」の台詞が言いたい一心で。
確か、入船亭扇橋師匠の音源でしたが、土地勘が全くなく、あまりピンと来ませんでしたが、今見ると、位置関係や現在の景色が思い浮かべられ、面白いなと思います。
「いとう松坂」というのは「上野松坂屋百貨店」ですし、「谷中瑞林寺」は「瑞輪寺」で、ここのご住職は、確か身延山久遠寺の法主だったはずです。

五代目春風亭柳朝師匠

今日2月7日は、春風亭一朝師匠や小朝さんの師匠だった、「五代目春風亭柳朝」師匠のご命日だそうです。
かつて「落語四天王」の一人といわれた人気の師匠。
私は、本物は拝見していませんが、テレビ・ラジオではよく視聴していました。
本などで読むと、生粋の江戸っ子だったそうで、残念ながら若くして亡くなってしまいました。
Bdd5c9f7 亭号が「春風亭」になったのは、師匠の彦六師匠が、八代目林家正蔵の名跡を一代限りの条件で七代目の遺族である林家三平師匠から借り受けていた為、これに配慮して、自分の弟子が真打に昇進した時は他の亭号に変えさせることとしたものだそうです。
また、春風亭の名跡は落語協会にもありましたが、八代目春風亭柳枝師匠没後封印されていたため、彦六師匠がは「日本芸術協会(現:落語芸術協会)」の会長だった六代目春風亭柳橋師匠に面会し、柳朝を名乗る了承を得たということです。
私が最初に柳朝師匠を聴いたのは、「もぐら泥」と「付き馬」だった気がします。
学生時代に「花色木綿」を演った時、マクラの泥棒の小噺(仁王かぁ・鯉が高い等々)を参考にさせていただきました。
あっさりしていて、言葉も名前と同様に流暢(柳朝)な師匠でした。
評論家の吉川潮さんが、「江戸前の男 春風亭柳朝一代記」という本を刊行されています。
かなり分厚いですが、なかなか面白かったです。

1950年3月、五代目蝶花楼馬楽(後の林家彦六)に入門し小照。
1951年一旦転職、翌年再入門し、林家正太に改名。
1953年5月、二つ目昇進し照蔵に改名。
1962年5月、真打昇進し、5代目春風亭柳朝襲名。
1960年代はテレビ・ラジオでも顔を売り、立川談志、古今亭志ん朝、三遊亭圓楽と「落語四天王」と呼ばれた。
1972年、五代目柳家小さんが落語協会会長に就任すると同時に同協会専務理事に就任。後に常任理事に就任。
1980年、二番弟子の春風亭小朝が36人抜きで真打昇進。
1982年12月、脳梗塞に倒れる。
1991年2月7日、高座復帰出来ぬまま、死去。61歳没。

落語とは

「落語」とは・・。
何を今さらではありますが、常に原点に戻りながら徘徊をすることにしていますから、「落語」を調べてみましたよ。

近世期の日本において成立し、現在まで伝承されている伝統的な話芸の一種。
「落し話(おとしばなし)」、略して「はなし」とも言う。
都市に人口が集積することによって独立した芸能として成立した。
成立当時はさまざまな人が演じたが、現在は通常、それを職業とする人が演じる。
衣装や道具、音曲に比較的頼らず、身振りと語りのみで物語を進めてゆく独特の演芸であり、高度な技芸を要する伝統芸能でもある。

・・・・だそうです。
高度な技芸を要する伝統芸能であるぞ・・。苦しゅうない。

2011年2月 6日 (日)

ラジオ寄席

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「私は、春風亭柳昇といいまして、大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では・・・・、私一人であります。」というフレーズが思い出されます。
五代目春風亭柳昇師匠と言えば、春風亭昇太さんの師匠であります。
今日の「ラジオ寄席」は、この柳昇師匠の特集でした。
もう亡くなって8年近くになるそうです。
  ◇ 結婚式風景        春風亭柳昇
  ◇ 課長の犬          春風亭柳昇
  ◇ カラオケ病院        春風亭柳昇
それにしても、面白い、いい加減そうな師匠でしたね。
学生時代はラジオでよく聴きました。
新作落語中心の師匠でしたが、「里帰り」という噺はとても印象に残る噺でした。
古典は「雑俳」ぐらいでしょうか・・・。
「あいのてとてとててとてとてと・・・」っていうやつ。

発表会のプログラム

Photo 「落語っ子連」の第9回目の発表会のプログラム(番組)とチラシが出来上がりました。
今回は、まど舞さんとまどるさんが、仕事の関係で参加できず、2日間10人の公演になりました。
勿論、師匠のお楽しみの一席もあります。
私は、初日(3月5日・土曜日・午後5時30分開演)の出演です。
チラシは、基本的には前回と同じもので、まど深さんが作ってくださいました。
↑上の写真をクリックしてください。

     【第9回 落語っ子連発表会】
《初日》
  ◇ 紀州        三流亭まど深
  ◇ 替わり目      三流亭窓口
  ◇ 悋気の火の玉  三流亭商人
  
◇ 甲府ぃ       三流亭流三
          仲入り
  ◇ お菊の皿     三流亭まど女
  ◆ お楽しみ    三遊亭圓窓

《2日目》
  ◇ からくり料理   三流亭びす太
  ◇ 一目上がり    三流亭まど音
  ◇ 金明竹      三流亭まど絵
  ◇ 春の七草小噺  三流亭窓蕗
          仲入り
  ◇ 寝床       三流亭無弦
    ◆  お楽しみ    三遊亭圓窓

新しい着物

着物を誂えていた衣裳屋さんから電話が来ました。

三越の「金子みすゞ展」で一緒だった、落語っ子連の人たちと別れて浅草へ。
今日の浅草も賑わっていましたよ。

白か黒か迷った末に、白い紋にしたのが気になっていたのですが、出来上がりは予想以上で、結果的には白い紋に変更して正解だった気がします。
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店のご主人と世間話をして、着物を受け取って帰りました。
昨年の「学士会落語会」の時に、三遊亭圓橘師匠が面白いことを仰っていたのを思い出しました。
お稽古(芸)事というのは不思議なものだという話。
「芸が上達すると、プロは金が儲かり、アマは金がかかる。」
・・確かにそうかもしれません。
でも、今の私には、それが楽しくて仕方がない。

金子みすゞ展

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稽古の後、まど女さんとまど深さんと3人で、日本橋の三越本店で開催されている「金子みすゞ展」に行きました。
というのも、この中に、金子みすゞに対する多くの有名人のコメントも展示されていて、我が三遊亭圓窓師匠のコメントも展示されているからです。
日曜日の3時前でしたから、会場は大混雑。
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改めて、金子みすゞさんの人気ぶりに驚かされました。
師匠のコメントの展示の前にも、多くの人が立ち止まって見ていました。
漫画家のちばてつやさんの隣でした。
噺家さんでは、柳家小満ん師匠のもありました。
それぞれ、個性のある、噺家さんらしいもので、楽しく拝見できました。
昨年お亡くなりになった、女優の池内淳子さんのコメント映像なども放映されていました。
 http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/kaneko/

落語っ子連稽古会

発表会まで約1ヶ月。
ラストスパートをしなくてはいけない時期になって来ました。
 ◇ 寝床        三流亭無弦
 ◇ 紀州        三流亭まど深
 ◇ お菊の皿     三流亭まど女
 ◇ 春の七草小噺  三流亭窓蕗
 ◇ からくり料理   三流亭びす太
 ◇ 甲府ぃ       三流亭流三

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全般的に、稽古が遅れ気味で、師匠もややご心配の表情です。
師匠がご指導くださっている他の素人落語グループの進捗状況に比べると、言い訳ばかり言っているメンバーが多くて・・・。
最後に「今日の稽古は、流三さんが一番安心して聴けたよ。」と仰っていたのが何よりの証拠です。sweat01
さて、私の「甲府ぃ」ですが、先週の稽古で師匠からいただいたアドバイスには、一応全部応えてやったつもりですが、さらに加えて一部の手直しをいただきました。
それでも、それなりの手応えを感じることが出来ました。
よっしゃ!何とかなりそうです。
稽古が終わって、まど女さん・まど深さん・びす太さんと4人で、門前仲町でラーメンを食べて、三越で開かれている「金子みすゞ展」に向かいました。
 

春場所中止・・

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私がことさら相撲の話題に触れるのは、落語と同じように伝統的なものであるからだけでなく、相撲が多く落語の題材になっているからです。
それから、落語は聴いてくださる方がいなければ成り立ちませんが、相撲も観てくださる方がいないと成り立たないという共通点もあるからです。
そして何よりも、なんだかんだ言っても相撲が好きだからです。
他の"スポーツ"や"格闘技"とも異なり、小手先のごまかしが利かず、勝負がはっきりしている潔さが、相撲が好きな大きな要因でもあると思うのです。
相撲がスポーツであるとすれば、「八百長」というのは、この潔さを根源から完全に否定するもので、観る人を騙すというのは、存立基盤を自ら破壊する裏切り行為だと言えるでしょう。
3月の大阪の春場所が中止になるそうです。
仕方がないでしょう。
やはり、独占・寡占というのは、こういう腐敗を生んでしまう。
・・・ということは、落語界においては、「落語協会」「落語芸術協会」など、複数の団体があって、切磋琢磨することは、あるべき姿なのかもしれません。
尤も、落語界でも、そんなに高尚な目的で複数の団体が存在しているのではなく、度重なる(絶え間ない)権力抗争や単なる喧嘩の結果のようなもののようですが。
ただ、弱小な団体が、毎日の寄席興行に耐えられるかが問題になります。
大きな2つの団体が刺激し合うのが、バランスが取れていると思うのですが・・。

寝床

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「寝床(ねどこ)」の原話は、安永4年(1775年)に出版された笑話本・「和漢咄会」の一遍である「日待」。
元々は「寝床浄瑠璃」という上方落語の演目で、明治中期に東京へ移入されたものです。
下手な義太夫語りを、蜀山人は「五色の声」と言います。

まだ青き 素(白)人浄瑠璃 玄(黒)人がって
                                赤い顔して 黄な声を出す

まあ、どの世界にでも、独り善がりというか、己知らずというか、自分勝手な人というのがいるものです。

ある大家の旦那もそんな類の一人で、すぐ他人に語りたがるが、あまりにも下手なので、長屋の店子たちは誰も聞きに来ない。
だったら、せめてご馳走をして、ご機嫌をとろうと色々と準備をしてから店員の繁蔵を呼びに行かせたがやはり駄目。
提灯屋は開店祝いの提灯を山のように発注されてんてこ舞い、金物屋は無尽の親もらいの初回だから出席しない訳にはいかず、小間物屋は女房が臨月なため辞退、鳶の頭は成田山へお詣りの約束、豆腐屋は法事に出す生揚げやがんもどきをたくさん発注されて大忙しと全員断られてしまった。
ならば、と店の使用人たちに聞かせようとするが、全員仮病を使って聴こうとしない。
頭に来た旦那は、長屋は全員店立て(たたき出す事)、店の者は全員クビだと言って不貞寝してしまう。5126p3
それでは困る長屋の一同、観念して義太夫を聴こうと決意した。
一同におだてられ、ご機嫌を直して再び語ることにした旦那は準備にかかる。
その様子を見ながら一同、旦那の義太夫で奇病(その名も「義太熱」、「ギダローゼ」)にかかったご隠居の話などをして、酔っ払えば分からなくなるだろうと酒盛りを始めた。
やがて始まった旦那の義太夫をよそに、酒が回った長屋の一同、全員居眠りを始めてしまう。
我に返って気づいた旦那は激怒するが、何故か定吉だけが泣いているのを見て機嫌を直した。
何処に感動したのかと、語った演目を片っ端から質問してみるが、定吉の返事は「義太夫を語っている場所が、私の寝床です。」
この噺は、義太夫が出来なくても出来るんですが、義太夫のことを知らないと、なかなか上手く出来ません。
桂文楽師匠や三遊亭圓生師匠などは、いかにもという感じが良かったですね。
私の落語も"寝床"ですが、"人の迷惑顧みず"ですよ。

地下鉄駅内のポスター


噺家さんの独演会のポスターが地下鉄の構内に貼ってあるなんて、とても珍しいと思います。
立川談春さんの落語会のものです。
隣にある機械は、運賃精算機です。

左甚五郎

「特撰落語会」で聴いた浪曲「左甚五郎旅日記 掛川宿」。
生没年不詳。江戸時代に彫刻の名人とたたえられた人物。200pxsleepingcatnikkojpg
「日光東照宮の眠り猫」、「上野寛永寺の竜」などが代表作とされますが、全国各地に甚五郎作という彫刻が残されています。
講談や落語などでも数多く語られていますが、実在の人物であったかどうかもはっきりしないそうです。
実在説では、『日本歴史大辞典』に以下のようあるそうです。
足利家臣伊丹左近尉正利を父とし、文禄3年(1594年)播州明石に生まれる。
父親亡き後、叔父の飛騨高山金森家家臣河合忠左衛門宅に寄寓。
13歳で京都伏見禁裏大工棟梁遊左法橋与平次の弟子となる。
元和5年(1619年)に江戸へ下り、徳川家大工棟甲良(こうら)豊後宗広の女婿となり、堂宮大工棟梁として名を上げる。
江戸城改築に参画し、西の丸地下道の秘密計画保持のために襲われたが、刺客を倒し、寛永11年(1634年)から庇護者老中土井大炒頭利勝の女婿讃岐高松藩主生駒高俊のもとに亡命。
その後、寛永17年(1640年)に京都に戻り、師の名を継いで禁裏大工棟梁を拝命、法橋の官位を得た後、寛永19年(1642年)高松藩の客文頭領となったが、慶安4年頃(1651
)に逝去。享年58。
私の持ちネタの「ねずみ」をはじめ、「竹の水仙」・「三井の大黒」の甚五郎が有名ですが、上方落語には、数多く甚五郎を取り扱ったものがあるそうです。
三代目桂三木助師匠は「ねずみ」のマクラで、甚五郎の経歴?に触れていますが・・・。
でも、甚五郎は落語国のスーパーマンですから、実在してもしなくても構いません。
「水戸黄門」や「大岡越前」は実在の人物でも、諸国漫遊や裁きはフィクションだというのと同じようなものです。
群馬県には「木枯し紋次郎の墓」があるそうですね。200pxmiidera_otsu_shiga_pref12s3000
実在しないというトーンでは、下のようなコメントも見つけました。
江戸初期に改易された讃岐(さぬき)国高松藩主、生駒家の分限(ぶげん)帳に大工頭(だいくがしら:→ 大工)甚五郎という名がみえ、墓も現存するが、左甚五郎とむすびつけるには確証に欠ける。
早くは、1675(延宝 3)年に、医師で儒者の黒川道佑が書いた「遠碧軒記」が「左の甚五郎」という人物についてふれている。
その作品は、京都北野天満宮の透彫(すかしぼり)、豊国神社の竜の彫り物で、左の手で上手に細工したとある。
江戸前期には、すでに甚五郎伝承が生まれていたことがわかる。
おそらくは、織豊期~江戸前期に、権力者の廟(びょう)や高名な社寺にすぐれた彫刻がみられるようになったため、その技法をたたえる名工の逸話が生まれた。
のち各地の社寺に彫刻が多くもちいられるようになると、そうした名工の話がさまざまな人物のエピソードをとりこみながら、左甚五郎伝承として各地につたわっていったと考えられている。

また、日光東照宮の眠り猫についての逸話があるそうです。
徳川家康公の墓をつくるときに、ネズミが大量に発生して困ったので、左甚五郎さんに、彫刻を彫ってもらうことにしました。
左甚五郎さんは、その仕事を引き受けました。
役人に、もらったお金で朝から晩まで、宴会ずくしです。
しかし、最後の一日だけはみんなを戻し、一人で部屋にこもり、猫の彫刻を彫り始めました。あくる朝、役人は「さぞ大きくて、怖そうな猫だろう。」と、想像しながら左甚五郎のもとへ向かいました。
しかし役人は、彫刻を見てびっくりしました。
左甚五郎の作った猫は、役人の想像とは全く違い小さくて、しかも寝ているのです。
しかし、家光は左甚五郎に何か考えがあるのではと、門のところにねこを飾ってみると、日に日にネズミが減っていきました。
各地にある甚五郎の作品といわれるものは・・・
   日光東照宮(栃木県日光市) - 「眠り猫」
   妻沼聖天 歓喜院(埼玉県熊谷市)
   
秩父神社(埼玉県秩父市) - 「つなぎの龍」
   安楽寺(埼玉県比企郡吉見町)
   国昌寺(埼玉県さいたま市緑区大字大崎)
   上野東照宮(東京都台東区)
   淨照寺(山梨県大月市)
   誠照寺(福井県鯖江市) - 「駆け出しの竜」
   園城寺(滋賀県大津市) - 「閼伽井屋の龍」
   石清水八幡宮(京都府八幡市)
   成相寺(京都府宮津市)
   養源院(京都市東山区) - 「鶯張りの廊下」
   知恩院(京都市東山区) - 「忘れ傘」    等々・・・・

2011年2月 5日 (土)

特撰落語会

急遽「Iさん」を誘い、休日で寛いでいたところを無理やり引っ張りだしたようで、大変申し訳なかったのですか・・・。   
     
「桃月庵白酒をみんなで囲む会」という、かなりマニアックな落語会?
出演者は、桃月庵白酒さんのほか、アサダ二世師匠、玉川奈々福(浪曲)さんという、ちょいとユニークな落語会。

   ◆ 金明竹               柳家さん市
  ◆ 左甚五郎旅日記 掛川宿   玉川奈々福
   ◆ 禁酒番屋             桃月庵白酒
  ◆  明烏                桃月庵白酒
「白酒節」に、観客席は爆笑の渦ではありましたが、噺の中に入れすぎないで欲しい部分も2・3ヶ所ありました。
分かりやすい落語が白酒さんの真骨頂だと思います。
チケットが1枚無駄になるかと心配しましたが、「Iさん」のおかげで助かりました。
尤も、そこそこご満足いただけたと思います。

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「桃月庵白酒」、ひな祭りとは関係ありません。
「とうげつあんはくしゅ」という、歴史のある噺家さんの名跡。
当代は三代目だと言われています。
歴代を調べてみました。
初代~ 初代三遊亭圓生の兄。生没年不詳。
二代目~ 初め三代目金原亭馬生の門で馬士三、三代目三遊亭圓生の門で南生から二代目白酒となる。
当代の白酒さんは、早稲田大学落研の出身。
五街道雲助一門です。
雲助一門は、珍しい名前ばかりで、師匠の「五街道雲助」からはじまり、お弟子さんが「桃月庵白酒」・「隅田馬石」・「蜃気楼龍玉」という。

深川丼・深川めし


「特撰落語会」に知人一緒のはずが、当日突然のキャンセル。
ドタキャンに慌てて、先輩の「Iさん」の休日を襲って助けを請い、急遽無理やりお付き合いいただくことになりました。
とにかく、事前に指定席を予約してある落語会なので、主催者の瀧口さんへの義理もありますから、行かないという訳にも、一人だけで行くという訳にもいきませんでしたから、大変助かりました。
清澄白河駅で待ち合わせ。
開演までには時間があったので、落語会の前に食事してしまおうと。

深川といえば、何と言っても「深川丼」と「深川めし」ですよ。
深川江戸資料館の近くの店で舌鼓を打ちました。
もう腹いっぱい。
落語を聴きながら寝てしまいそう・・・。

「おつけ」と「おつゆ」

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「甲府ぃ」で、志ん朝師匠は、豆腐を「おつけ」の実にするのには"削ぎ"、「おつゆ」の実にするのに"賽の目"と表現しています。
(逆だったかな?まぁいいや。)
それで、「おつけ」と「おつゆ」と違うのでしょうか?
辞書によると・・・、 「おつけ」というのは・・・、
《女房詞から。本膳(ほんぜん)で飯に添えて出すところから》吸い物の汁。おつゆ。
特に、味噌汁。おみおつけ。

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御付(おつけ)は本膳に付け添えるという意味から、吸い物の汁、味噌汁、麺のつけ汁と転じて使われました。
時代を経るに従って、御付=味噌汁が一般化し、味噌汁の丁寧語として御御付、さらには御御御付(おみおつけ)が使われるようになったと思います。
同じだと思うのですがねぇ・・・。
ゴボウなどの細長い野菜を、まるで鉛筆を削るときのように削ぎ切りにする。
賽の目とはサイコロのことで、その名の通りサイコロの形に切る。

幻氷

"幻の氷"と書いて「幻氷(げんぴょう)」と読むそうです。
これは、水平線に隠れたはずの巨大な流氷が沖合いに浮かび上がって見える蜃気楼現象のことだそうです。
ニュースで知りました。
Genpyou北海道・斜里町で、春の暖かい空気が入らないと見られない現象「幻氷」が観測されました。
幻氷は、海明け後のよく晴れた日に、水平線に隠れたはずの巨大な流氷がオホーツク海の沖合に浮かび上がって見える蜃気楼現象です。
海上の冷たい空気の上に、春の暖かい空気が流れ込むことから、温度(密度)の違う空気の層が光を屈折させることによって起こる、地元の人でもなかなか見ることができないオホーツク海沿岸の春のファンタジーです。

北の海でも、少しずつ春が近づいている・・・。
私には全く未知の自然現象でした。春遠からじ。
・・・北海道って、とにかく寒いんだそうですね。mist
とにかくもう寒くて、色々な物がすぐに凍ってしまう。
だから、あちらでは凍ったお茶をかじっている。
雨も凍って降り、一本二本と数え、雨払い棒を持って外出する。
おしっこも出た瞬間に凍るので、トイレにも払う棒が置いてある。
卵も茹でないと生卵で食べられない。
「おはよう」っていう挨拶も凍ってしまう。
この凍った「おはよう」は、溶かして旅館の目覚まし用に使う。
とうとう火事までもが凍ってしまったそうです。typhoon
そして、是非ともやってみたいのが、「鴨刈り(狩りではない)」です。
水を張った田んぼに鴨が降り立つと、ピューッと冷たい風が吹いて、田んぼが一面に凍る。
田んぼの中で立っていた鴨は、途端に足元が凍って動けなくなる。
この鴨を、鎌で刈り取る。・・・・これが「鴨刈り」。
春になると、この刈って残った鴨の足に芽が生えてくる。
これを「カモメ(鴨芽)」と言います。
・・・・うぉぉ、寒っ!sign04

鉄は国家なり

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中学生の頃でしょうか、歴史年表を覚えるのに、「いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府」なんていう暗記文を使いました。
「八幡に行くは一つ(1901年)の煙」というのがありました。
官営八幡製鉄所が創業した年を覚えました。
そして、新日本製鐵の誕生を目の当たりにした頃でもありました。
国内鉄鋼大手メーカー経営統合のニュースに驚きました。
経営統合そのものではなく、他の同業外国メーカーの巨大さに驚かされました。
特に、中国です。ここでも中国です。
さらに、この国内メーカー2社が統合しても、世界一にはならないというのも驚きです。
一代で世界最大の鉄鋼メーカーを手中にした人がいるんです。
グローバル化が進み、今までの尺度や基準、常識というものが、悉く引っ繰り返されています。
世界で戦うなら、生き残っていくなら、まずグローバルスタンダードに従わなくてはということでしょう。
一方で某「国技」も、スポーツだと言った瞬間に、普遍的なルールとフェアプレイに従わないと、存続できません。
それが、既得権や甘えから脱することが出来ず、自浄のタイミングも自ら逸してしまった結果、こういう事態、存亡の危機を招いてしまった訳です。
前例や慣例を大切にするならば、「神事における興行」に徹するべきでしょう。
ちょうどプロレスなどの格闘技のように、ショーとして割りきって。
そうすれば「八百長だ!けしからん!」などと批判はされません。
さぁ、どうなる・・・?

千早亭稽古会レポート

扇子っ子連の千早亭早千さんが、扇子っ子連のプログで、先日の稽古のレポートをしてくださり、私も登場しています。
勝手に、使わせていただくことにします。
 →プログです。  http://blogs.yahoo.co.jp/sensukkoren

第6回お稽古リポートの後編です。
お仕事が忙しくてずっと稽古にいらっしゃれなかった永久さんが、この日顔を見せてくださいました !
そして、師匠にうながされて、高座へ…。
落語歴の長い方ですから、私たちにとっては大先輩というか、噺を聞かせていただくのがとても楽しみな方なのです。
ましてや、今回初めての稽古です。
メンバーから「よっ、待ってました!!」の声がかかりました !
花色木綿。楽しい噺です。
なんでもかんでも「裏は…」と言ってしまう調子のよさ・いい加減さに、途中から麻薬のような可笑しさがこみ上げてきてしまいました。
終わるころには、もうすっかり、「裏は…」と自分が言いたくて。(笑)
それにしても、永久さんは、高座ですぐできる噺をいくつもお持ちのようで、すごいなぁ…と思います。そういうの、後輩としては、憧れですよね。
いくつも、は無理ですが、いずれ、5つくらいはできるようになりたいものです…。
・・・照れ臭いものです。
と言いながら、全文を転載する厚かましさ・・・。
師匠のご指導を受けている様子を映した写真です。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/sensukkoren/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fimg3.blogs.yahoo.co.jp%2Fybi%2F1%2F24%2Ffa%2Fsensukkoren%2Ffolder%2F58828%2Fimg_58828_1570472_0%3F1296738702

初午(はつうま)

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これで「はつうま」と読みます。
2月最初の午(うま)の日のことです。
この日、各地の「稲荷神社」では赤い幟が立てられ、赤飯、油揚げ、団子などが供えられて、初午の祭礼が行われます。
田の神が馬に乗って山から降りてくるといわれる。
稲荷神社は稲生(いなり)の意味であったとされ、農業神であったが、漁業、商工業などの神として江戸時代には盛んに信仰された。
稲荷神社に祭られるキツネは、稲の害獣であるネズミを捕らえることから、田の神の使い、化身とされている。

堪忍袋

先月、ある前座さんの噺を聴いて「堪忍袋の緒が切れた」と叫んでしまいました。
本当に腹立たしかったのですが、もうあんまり言わないことにします。
そんなに頻繁に堪忍袋の緒を切っていちゃあいけませんな。
さて、落語の「堪忍袋」です。
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長屋に住んでいる夫婦者。
朝から晩まで喧嘩ばかりしているので近所の者は迷惑でならない。
仲裁に入った近所の旦那が、中国の故事を語って聞かせる。
「むかし、唐土の国にいつも笑って暮らしている人がいた。じつは鬱憤が溜ると、瓶のなかに不平不満をぶちまけ、腹にたまらないようにしていたのだ。それでいつもニコニコ暮らしていたから、周囲の信用も得ることが出来、しまいには大出世をしたのだよ」。
旦那はその故事に習って、不平不満を吹き込む袋をつくり、互いに腹が立ったらそこへはき出すことをすすめる。
さっそく女房が袋を縫い上げ、腹にあることを吹き込むと、たしかにすっきりして夫婦喧嘩はなくなった。
人呼んで「堪忍袋」。
この堪忍袋が町内の評判を呼んで・・・。

この噺は、明治時代の新作で、作者は益田太郎冠者。
確か、有名な大財閥の人ですよ。
また明治の劇壇で作者・演出家として知られた人物でもあります。
落語協会副会長の市馬さんのCDにあったはずです。

2011年2月 4日 (金)

あんたアホや・・・?

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外国人から、「あんたアホや!」と、面と向かって関西弁でまくし立てられたら、誰でもかなり頭に来ると思います。
ある人が某アラブ系の国へ行った時に、相手から「アンタ、アホヤ。 アンタ、アホヤ!」と言われながら握手を求められたそうです。
落語国の与太郎さんなら、「ソウヤ、アホヤ」って返せるかもしれませんが、さすがに腹が立つでしょうね。
確か、「アンタ」というのは、アラビア語で「あんた」と言う意味だとは聞いたことがありますが、この「アホヤ」というのが、どうも聞きづてなりません。
でも、調べてみると、「アンタ、アホヤ」は、「お前は兄弟(友人)だ」という、親愛の意思を意味するらしいのです。「ナンヤ、ソーカ」。
男性には「アホヤ」、女性には、「オクティ」を使うそうです。
男が阿呆で、女が晩熟(おくて)?
「アンタ、オクティ?」、「そうやワテ、オクテ」・・・。うそぉぉ。
栴檀は双葉より芳し ・・・▶ 洗濯は二晩で乾くかなぁ・・
蛇は寸にして
・・・・▶ ジャワスマトラは・・・
似たようなものですか?
ひとつだになきぞかなしき ・・・▶ 味噌ひと樽と鍋と釜敷き・・

立春大吉

C92a6dc「立春大吉」というのは、立春に禅寺やその檀家の門の左右にはる紙札の文句。また、その紙札のこと。
このおまじないは一年間災難にあわないというものなのだそうです。
       ↓
       立
       春
       大
       吉
        ↑
   この熟語、左右対称なんですね。
・・・いろいろあるものです。

路面電車復活?

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銀座から晴海方面に路面電車を通す計画があるそうです。
地下鉄に比べて、建設コストが小さいというのが、最大の理由だそうです。
都電は、今は「荒川線」だけになっています。
環境やら、使い勝手やら、いろいろな面から検討して、地下鉄だけでなく、高架鉄道でなく、路面電車という選択肢もありだと思います。
バリアフリーを考えるとベストかもしれません。
時代によっても違って来るのでしょう。
田舎者の私は、その他の都電があった頃を知りません。Sendai31sendaishi415_2
仙台では、市電が走っていた最後の1年間だけ知っています。
確か1976年3月末で全線廃線になったと記憶しています。
当時50円でしたよ。
仙台駅前から原町だとか八幡町だとか、時々乗っていました。
廃線が決まっていたので、車両もオンボロだった気がします。

佐野山

Torikumi

「佐野山」というのは、名人を通り越して人格者でもあったという江戸時代の大横綱「谷風梶之助」が、生涯に一度だけ「八百長相撲」をやったという噺です。
十両の筆頭に上がってきた佐野山は小兵ながら親孝行であった。
しかし、母親が大病を患って看病したが治らず、貧乏であったので食べ物を減らして土俵に上がったが、お粥だけでは力が出なかった。
仕切だけで疲れて、負けるのも当たり前であった。
その為、今期限りで引退だろうと、パッと噂が立った。
辞めたら収入もなく悲惨な事になるし、相撲界の恥だと感じた谷風は千秋楽の一番を佐野山戦にして欲しいと願って出た。
翌日のワリに谷風-佐野山と書き出された。
谷風と言えば小野川と千秋楽対戦するのが習わしだったので、勝ち進んでいる谷風と、ずっと負けている佐野山では相手にならない。
それで、女を取り合った仲だとか、引退相撲だとかと噂になった。
判官贔屓のひいき連は佐野山が片方の廻しを取れば5両、もろ差しになったら10両の祝儀の約束。
魚河岸や大旦那連中は100両、200両、花柳界のお姉さんまで佐野山に祝儀約束をした。
そのはず、勝てる見込みは無いから、みんな言いたい放題、無責任に言っていたのだ。
 
さて、いよいよ千秋楽結びの一番。
いつもは「谷風~っ」と声が掛かるのに、この日だけは「佐野山ぁ~、佐野山ぁ~」の大合唱。
土俵上谷風は佐野山に孝行に励めよとにっこり笑って、その心が解った佐野山はホロリと涙が流れた。
それを見ていた方は遺恨相撲が出来ると笑っているし、佐野山は親孝行も出来なくなると泣いている。
「泣くなぁぁ~~、佐野山ぁ~」・・・。 
O70izcahp木村庄之助の軍配で立ったが、谷風は変に触ると佐野山が飛んでしまうので、身体ごと抱え込んでしまった。
見ている方は、もろ差しになったと大歓声。
10両の祝儀が必要になったと大騒ぎ。
ここで佐野山押せば、ジリジリと谷風が下がって土俵際まで行くのが、佐野山そんな余力はとっくに無く、押せない。
しょうがなく谷風押されているように土俵際まで引きずった。
でも、ここで足を出したら横綱の名誉に傷が付くと、力を入れる。
佐野山抱えられているだけで息が上がっているのに、力を入れられたので、腰砕けになってずり落ちそうになった。
ずり落ちたら今までが台無だと、谷風は全力を出して引き上げた。
谷風の身体が紅色にパッと輝いた。
しかし、見ている方はその様には見えなかった。
佐野山がもろ差しで横綱を土俵際まで追い込んで、金剛力でこらえる谷風を、腰を落として下から谷風を押し上げたように見えた。
この状態で谷風かかとをチョット出したのを木村庄之助見逃さず、軍配を佐野山にあげた。
谷風が勝つとばかり思っていた見物は佐野山が勝ったので大騒動。
座布団は投げるは羽織は投げるは財布は投げるは、大変だった。
「最後の押しはスゴかったな」、
「押しは効くはずだ。名代のコウコウ者だ」。

「八百長相撲」と批判されるか、「人情相撲」と絶賛されるか、背景や環境、考え方や時代などよって評価はそれぞれ分かれるところだと思います。
9454282 江戸時代は「親孝行」というのが、何よりも増して子として果たすべき大切な仕事でした。
従って、人格者たるべき横綱に対して求められるものは、単なる相撲の勝ち負けだけではなかったはずで、周囲も納得してくれるものでしょう。
今回の「八百長相撲」は、単に力士たち自身の損得(欲や保身)だけで行われているのでしょうから、そもそも全く異なる次元のものです。
「わしが国さで 見せたきものは 昔谷風 今伊達模様」
この一番で、仙台の勾当台公園にも像が建っている名横綱「谷風」の名声が、決して揺らぐものでないことだけは確かです。

立春

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二十四節気の始まりで、春の季節になる。
旧暦正月の正節にあたる。太陽が黄道315度に達する。
この日から春になる。寒さは依然厳しいが、日も伸びて、木々も芽を出し始める、春の気配を感じさせる。
八十八夜、二百十日などは立春から数える。
要するに、「新春」・「迎春」・「賀春」ですね。
あけましておめでとうございます。

2011年2月 3日 (木)

深川不動で・・

ng先日お参りした深川不動。
                                                   深川不動
今日の節分の豆撒き会で、後ろから押されて将棋倒しになり、怪我人が出たとか。hospital
ご利益を求めに行って、不可抗力とはいえ、強欲比べで怪我をするなんて・・。full
皮肉なものです。
dollarああいう、人が顔をひきつらせて集まる場所には、行きたいとは思えません。

恵方巻き・・?

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恵方巻、恵方巻き(えほうまき)は、節分に食べると縁起が良いとされる太巻き、またはそれを食べる大阪を中心とした風習のこと。
大阪の風習まで面倒見切れません。
美味いものは、四の五の言わずに食べるに尽きます。
恵方巻は、節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされている。
商売繁盛や無病息災を願って、七福神に因み、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶなどの7種類の具を入れることで、福を巻き込む意味があるとする説もある。

相撲の話題

日経新聞のコラムでも取り上げられ、かなり厳しい調子のコメント。
私も、辞書で「八百長」というのを調べてみました。

《相撲会所に出入りしていた長兵衛という八百屋(通称八百長)が、ある相撲の年寄と碁(ご)を打つ際に、いつも1勝1敗になるように手加減していたことからという》
勝負事で、前もって勝敗を打ち合わせておいて、うわべだけ真剣に勝負すること。なれあいの勝負。
なれあいで事を運ぶこと。

皮肉にも、そもそも相撲に関係して言われるようになった言葉のようです。
それだけ、相撲というものが、昔から庶民の間で親しまれていたものだということでもありますが。
尤も、「国技」というのは、私も違うと思いますが。
もう少し「八百長」の由来を調べてみると・・・。
八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべい)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。
囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。
しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。      
・・なるほど、そういうことですか。
Eog9ncag神事や占いとしての相撲では、力士は一人で土俵に立ち、神と取り組む仕草をします。
これが「独り相撲」といわれているもので、神の機嫌を取るため、わざと転がって負ける仕草が入ります。
また、凶作や不漁が見込まれる土地の出身の力士に勝ちを譲ることも普通におこなわれていたそうです。
江戸時代の木戸銭を取っての興行でも、力士の多くが大名のお抱えだったせいもあり、力士やお抱えの主君の面子を傷つけないための星の譲り合いや、四つに組み合って動かず引き分けたり、物言いの末の預りの裁定なども多かったということです。
Default 従って、当時も、観客としては、大名の意地の張り合いによる八百長相撲には腹を立てていたでしょうが、落語の「佐野山(横綱谷風の人情相撲)」などは、美談としての片八百長、いわゆる「人情相撲」として寛容だったようです。
どの世界でも、寡占あるいは独占的な地位にある事業や企業や人というのは、高貴な品性と自浄能力・管理能力が必要です。
ましてや、時代も変わってグローバル化する中で、ローカルな発想やルールでは、文字通りアンフェアだとして、表舞台から追放されてしまうものです。
相撲がもともと神事から来ているという生い立ちとはいえ、今までやっていたとか、仕方がない、仲間が可哀想なんていう理屈は、現在では到底すまされないということだと思います。

帯久(おびきゅう)

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享保2(1717)年の2月3日に、大岡忠相(大岡越前守)が江戸町奉行に任命されたそうです。
落語には、この大岡越前が多く登場します。
「大工調べ」・「五貫裁き(一文惜しみ)」・「城木屋」・「小間物屋政談」・「唐茄子屋政談」、「三方一両損」と「帯久」などなど。
個人的には、「三方一両損」のお裁きが一番好きですね。
反対に腹に落ちないのは「大工調べ」。
だから、この噺はやりたくありません。
さて、この大岡裁き、大岡越前があまりにもスーパーマンになっているので、中にはかなり苦しいお裁きもあります。
落語の中の大岡越前は、庶民が作り上げたヒーローですから、「罪刑法定主義」というようなロジカルなものでなく、人(庶民)の「情」に基づいた結論ありきで、後付けの理屈が付いてお裁きになって行くのです。
中でも、この「帯久」と「五貫裁き(一文惜しみ)」のロジックは苦しい・・・。
ただ、救い?なのは、相手も腹黒かったりするので、まぁ許されると思うのです。
ところが、「大工調べ」では、どう考えても大家は悪くない。
棟梁の思い上がりと見栄で、せいぜい弱者救済の御旗ぐらいで、納得が出来ません。
数少ない、大岡裁きの誤審だと思います。
さて、「帯久」も、確かに帯屋はけしからんとは思いますが・・、和泉屋さんもねぇぇ。
どう思われるでしょう・・・。
Yhjzhgcakzl立川志の輔さんの音源からのものです。
日本橋本町三丁目に呉服屋和泉屋与兵衛が住んでいた。
隣町本町二丁目に帯屋久七が住んでいた。
和泉屋与兵衛は大変繁盛していて篤志家であったが、帯屋は陰気で売れなかったので、世間では”売れず屋”と呼んでいた。

帯屋は、3月ごろ和泉屋の所に無心に来て、20両の金を借りた。
与兵衛は証文無しで期限も定めずに貸したが、20日程しないのにきちんと完済した。
5月には30両、7月には50両、9月には70両、と借りたがやはり20日ほどで返した。
11月には100両貸したがその月には返済がなかった。
12月大晦日、多忙な時に返しに来たが、久七と100両を残したまま、与兵衛はすぐ出掛けてしまった。
その金100両を盗んで久七は帰ってしまった。

店中探したが当然無かった。
ところが、帯屋はこの金を元手に大繁盛。
一方和泉屋は一人娘と妻を相次いで亡くして、享保6年12月10日神田三河町から出た大火事で本町三丁目まで焼け、全てを無くし気力を無くして床につくようになった。
番頭の武兵衛が分家をして和泉屋と名乗っていたが、こちらも落ちぶれて日雇いになっていた。
それでも主人を引き取って介抱し、10年が経った。
快復した与兵衛は還暦を迎えていた。

与兵衛は番頭の武兵衛に店を持たせようと、帯屋久七に金を借りに行ったが、悪態を付かれて店先に放り出されてしまった。
帰る意欲もなくして、帯屋の裏に回ると離れを普請していた。
そのカンナっくずにキセルを叩いた火玉が燃え移り煙が上がった。
放火の罪で町方に捕まってしまった。
役人が自身番で話を聞くと、篤志家の与兵衛のことは良く知っており、窮状に同情、不問にした上1両の金をみんなで出し合って家に返してやった。

これを聞いて激怒した久七の方では、今回のことが元で100両の一件が露見しては、と火付けの罪で与兵衛を訴えた。
大岡越前守はそれぞれの様子から全てを見抜いたが、現行犯でもあり免罪する事は出来なかった。0709787a
与兵衛に火あぶりの刑を申し渡した。
大岡越前は、そこで久七に、「100両を返しに来たが主人が出掛けたので、間違いがあってはと、持ち帰ったのを忘れたのではないか」と優しく尋ねる。
帯久があくまでも白を切るので、人指し指と中指を結び、「これは忘れたものを思い出すおまじないだ。勝手に解いてはならんぞ。解いたら死罪、家財没収。」と言い渡した。
帯久は指が使えないのでにぎり飯しか食えず、眠れず、とうとう3日目に確かに持ち帰って、忘れていましたと申し出た。
100両を返す。奉行は利子として、年に15両、10年で150両を支払うよう命じる。
ただし100両は棚上げし50両だけをどの様に返すのか聞くと、帯久はケチって年賦として毎年1両ずつ返却するという許しを得て、その証文を作った。
これで損はないとほくそ笑む帯久。
火付けの与兵衛には火あぶりの刑の判決であるが、ただし50両の残金を全て受け取ってからの執行とのお裁き。
驚いた帯久がそれなら今50両出すと言ったが、越前にどなりつけられ渋々納得する。
「与兵衛、その方何歳になる?」
「六十一でございます」
「還暦か・・・めでたいの~」
「還暦の祝いにこのうえない見事なお裁き、有り難うございます」
「見事と言うほどではないのだ、相手が帯屋だから少々きつめに締め上げておいた」。
・・・・ね、かなり苦し紛れの大岡裁きです。

節分

"福"はぁうち、"鬼"はぁ外。
Masu9節分の本来の意味は、季節の変わり目のことで、立春・立夏・立秋・立冬の前日のことでした。
特に、立春の前日の節分が、年越しにあたり、大切にされ、いつしか節分とは立春の前日だけを指すようになったそうです。
節分の豆まきは、年越しにあたり、邪気を追い払い、新年の幸運を呼び込む儀式として、室町時代に宮中行事として中国から伝わりました。
それが次第に民間にも伝わり、神社仏閣でも豆まきを行うようになったようです。
深川不動
民間では家の入口に焼いた鰯の頭と柊(ひいらぎ)を飾る風習もある。ニンニクやネギなどを指しておく地方もあります。
いずれも邪気が家内に入らないための風習です。
要するに、節分が大晦日で立春が元旦ということですね。

上布(じょうふ)

Yey1上等な布ということでなく、またまた織物ですよ。
上布は、細い麻糸を平織りしてできる、ざらざらした張りのある上等な麻織物。
縞や絣模様が多く、夏用和服に使われる。
越後上布は、小千谷市や十日町市を中心に算出される平織りの麻織物。
苧麻(チョマ)を手紡ぎし、地機(じばた)で織り、寒中に野天で雪ざらしにしたもののようです。

「花色木綿」に出て来るんですが、そういうことか・・・。
縮みとも違うのですかねぇ。分からない。

2011年2月 2日 (水)

橘蓮二写真展" 噺家"

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 噺家"
紀伊國屋書店内の紀伊國屋画廊で、「橘蓮二写真展 噺家」が開かれるそうです。
2月24日(木)~3月8日(火)・10時~18時30分・入場無料
「橘蓮二」さんは、落語に関する写真で著名なカメラマンです。
「橘蓮二写真集 高座」という立派な写真集も刊行されています。
時間があったら観に行こうと思います。

三年目

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夫婦の日だからということで、この噺の話題になりましたが、幽霊が出て来るので、基本的には夏向きの噺だと思います。
女心や羞恥などという、今では信じられない奥ゆかしいものと、ちょっぴり悋気がテーマになっていて、自分勝手な男のロジック見え見えの、落語の中の落語でしょう。
病に臥せった女房が、夫の将来の再婚相手を思うと嫉妬して死に切れないというので、旦那は「生涯独身でいる、もし再婚することになったら婚礼の晩に化けてでてくればいい」と約束をする。その途端に女房は死んでしまう。
女房に死なれた旦那は、最初は後の生涯を独身で通そうとしたものの、周りの薦めを断りきれずついに結婚することに。Zd71kdca36
婚礼の晩、待てども待てども古女房の亡霊は出てこない。
そのうち1月経ち、1年経ち、、三年経ったところで、死んだ女房のお墓参りに行った日に、ついに古女房の亡霊が出てくる。
何故、既に子供も生まれている今になってやっと出て来るんだと旦那が女房の亡霊を問い詰めると、納棺のときに髪に剃刀を当てられた女房はそんな姿で旦那の前に出るのが嫌で、髪が伸びるまで待っていたんだというサゲ。
実に色っぽい、可愛いおかみさんですね。
昔は埋葬するときは女性の髪をおろしました。
髪が生え揃わないうちは、愛しい夫の前に恥ずかしくて出て来られなかったということなのです。
(昔の)
女心というものでしょう。

お召し

Photo_3これも織物の種類だそうです。
横に強いよりをかけて精錬した上で染めた着物で、縮緬の一種。
十一代将軍家斉が好んで「お召し」になったところからつけられた。
縮緬より丈夫で張りがあって、体によく馴染む高価な着物。
湿気には弱く、特に雨にあたると縮むので要注意。種類がとても多く、西陣・桐生・塩沢など産地の名が付いていて同時に産地の名がそれぞれの特徴を表している。
・・・・ますます混乱。
要するに、高級な縮緬のさらに高級品?

馬津郷寄席の案内

「馬津郷(まつど)寄席」の席亭の「K」さんから、ご丁寧な案内葉書。
「第17回 馬津郷寄席(春風亭一之輔独演会)」
今回は3月6日(日)の午後6時・・・・。
何と、落語っ子連の発表会と重なってしまいました。
残念ながら、今回は諦めます。

夫婦の日

正朝師匠の著書「落語一日一話」によれば、2月2日は「夫婦の日」ということで、今日の一話は「三年目」になっています。

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「夫婦の日」というのは、年に何日もあるようです。
"ふう(2)ふ(2)"の語呂合せですから、夫婦の日は少なくとも今日以外にも2日あります。
まず、「よい夫婦の日」が 4月22日で、もう1日の「いい夫婦の日」が11月22日だそうです。
「よい」と「いい」では、どちらの方がいい(よい)のでしょうか?
また、「夫婦の日」というのは毎月22日だそうですから、日本では、夫婦に関する日は、年に13日もあるということになります。
この毎月の「夫婦の日」というのは、1987年(昭和62年)に毎日新聞が、夫婦の対話で明るく健全なマイホームづくりを提唱して、「22」をフーフの語呂を合わせて毎月22日を「夫婦の日」に制定したんだそうです。
まぁ、余計なことですね・・・。 
明日は節分、明後日は立春だという、ぞろ目の今日は、実は「結婚記念日」なんです。
「三年目」ではなく、私は"二十五年目"になりました。

2011年2月 1日 (火)

高齢運転者標識

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通称「もみじマーク」の高齢運転者標識が、不評のため変更されたそうです。
新しいマークのデザインは、シニアの「S」の文字を図案化したもので、思いあい、ゆずりあい、まごころある車社会へとつながるようにという願いを込めて、4枚そろうと真実の愛を意味する四つ葉のクローバーを題材にしたそうです。
          ↓
S_markまあ、慣れれば別に違和感はないと思いますが・・・。
前のも、そんなに悪いとは思いませんが・・・。
実家の車のシールも変えないといけません。

柳原(やなぎはら)

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「三方一両損」で、「神田白壁町」に住む左官の金太郎は、「柳原」を通りかかり、「神田竪大工町」の吉五郎が落とした財布を拾います。
さて、この「柳原」というのはどのあたりなのでしょうか?
やはり、落語をやる上で、この土地勘や位置関係を知ることはとても重要なことだと思います。
「柳原」は、今の秋葉原駅南の万世橋から神田川の南岸を東に行ったあたりになるそうです。
現在の住居表示で言えば、「神田岩本町」「東神田」あたりになると思います。
このあたり、昔は随分賑やかだったそうですから、金太郎も吉五郎も、柳橋や両国方面に行く時などは、柳原を通って行ったのでしょう。

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「靖国通り」という大きな通りが、九段や神田神保町から神田須田町を通り、東方に向かいますが、神田須田町あたりから両国橋方面に至る間は、この「柳原通り」が今の「靖国通り」にあたっていたようです。
この「柳原通り」は、現在は一方通行で、中央通り、昭和通りや江戸通りなどの大通りでは横断禁止という、すっかり路地の一つになっていますが、昔は、すぐ近くを流れる神田川の水運と相俟って、重要な交通路でした。
江戸時代の古地図には、他の街路に比べてはるかに太く描かれており、これが主要道路であったことが伺えます。
また明治以降は、中央通りの万世橋交差点と、隅田川に架かる両国橋とを結ぶ主要街路として機能しており、今の道路の姿からは想像が困難ですが、人車の通行のみならず路面電車も営業していたほどです。
ところが、関東大震災が起きて、東京の市街地は焼け野原となり、その復興を契機として、この付近の区画整理が行われました。
道路混雑の緩和のためにこの区間に新しく「靖国通り」を建設して、従来「柳原通り」を通っていた幹線道路交通を路面電車も含めて移しましたので、「柳原通り」はかつての賑わいが想像できないような姿になってしまっているという訳です。

さて、大工の吉五郎が住んでいた「神田竪大工町」は今の「内神田三丁目(JR神田駅西側)」です。
大工町と言われるように、落語に出て来る大工さんたちも多くここに住んでいました。
「子別れ」の熊さんも、吉原で「俺は神田竪大工町にいる大工の熊五郎てぇ堅気の職人だぁ・・・」と言っていたし、「大工調べ」の棟梁の政五郎もここに住んでいました。横大工町と言う地名もこの北側にあったようです。
一方、左官の金太郎が住んでいた「神田白壁町」は、今の「神田鍛冶町二丁目」です。
幕府壁方の棟梁安間源太夫の拝領地で、左官職が多く住んでいた典型的な職人町でした。
すぐ南に下白壁町があり、北側には少し離れて上白壁町がありました。「居残り佐平次」の佐平次もここの生まれです。
佐平次が後半遊郭の主人に「おやじぁ神田の白壁町で、かなりの暮らしをいたして居りましたが、生まれついたる悪性で・・・」と啖呵を切っていました。
・・・ということは、吉五郎と金太郎はJR神田駅を挟んで(?)すぐ近くの町に住んでいたんですね。

江戸には、南北2つの奉行所がありました。
北町奉行所は、今の東京駅の八重洲口あたり。
南町奉行所は、今の有楽町マリオンのあたり。
えっ? それならば、神田で起こったこの事件は、大岡越前の南町奉行所でなく、北町奉行所で取り調べになるのでは・・・?
この解答は、以下で明白になると思います。
南と北の二つの町奉行は交代で月番制をとり、非番の町奉行所は正門(大門)を閉ざして、その月は新たな訴訟や請願を受け付けないことになっていたのです。(仕事そのものは継続して行っていた。)

衣装と衣裳

「衣装」と「衣裳」の違いを考えました。
辞書で調べると・・・、よく分からない。、
 【衣装】 1.身づくろいする衣服類。 2.着物や身のまわりの品。
 【衣裳】 1.着物ともすそ。裳は、袴、スカートの類。  2.衣服。
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結局、どちらも「衣服」のことで、「衣裳」の「裳」の字が常用漢字にないので、現在は、公用文や新聞などでは「衣装」で統一しているというだけ、というような感じです。
私は、この二つを区別しています。
「衣装」は、ファッション的・嗜好的なニュアンスで、やや高級なイメージで捉えます。
大島紬の着物なんていうのは「衣装」だと思うのです。
一方、「衣裳」は、ファッション・高級感という次元ではなく、芸術・芸能で奏者や演者や役者や舞踊家たちが着るものをイメージします。だから高座で着る着物は「衣裳」だと思います。
だから何なんだと言われると困りますが。

江戸っ子はなぜ・・

江戸っ子はなぜ・・
小学館の「落語CD 昭和の名人 決定版」に連載されていたものに加筆されたものだそうです。
よくテレビなどに着物姿で出演している「江戸学」の田中優子さん(法政大学教授)による、初めての「落語論」です。
人生に「勝ち」「負け」はない、自分ひとり幸せになる魔法もない--落語の登場人物がリアルに浮かび上がり、現代を生きる人々に語りかける、「しあわせ」への道しるべです。
一般社会からドロップアウトしそうな「与太郎」や「粗忽者」が、なぜ落語界ではスーパースターなのか。その理由がよくわかり、落語通にもオススメの一冊です。

最初のテーマが、「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」というよく聞く台詞です。
稼いだ金はちまちま貯めずにその日にぱっと使う、というようにとられていますが、この言葉の真意や背景を、落語の「三方一両損」を引き合いに論じています。
金離れがいい、金に執着しないという江戸っ子の気質について。
これは、ただ自分のことだけではなくて、長屋の暮らしにある相互扶助の了見もあるようです。
つまり、「宵越しの銭を持たない」というのは、自分のために贅沢をするというだけの意味ではなく、他人のためにも金を使ってしまう、という意味もあるという・・・。
当時の江戸の環境や経済状況にもよる、必然的な局面もあるのでしょう。
究極のエコタウンといわれた江戸のことですから、全てが循環していたとすれば、市井では、お金も対流せずに常に循環していたのでしょう・・・・。
「金は腕の中に入ってる」なんていうのは、職人の気概でもあったでしょう。
また、私も常々実感していることで、何度か似たようなコメントをしていますが、落語国のスター「与太郎」の扱われ方を見ると分かるのは、"出来の良くない・しょうもないやつ"でも、周りの人たちがなんとか、仕事に就かせようとしたり、まっとうな道を歩かせようとしているのです。
私は学者でも何でもありませんから、歴史や経済などの学問的なデータもなければ、それをベースにしたアプローチもできず、直接落語に触れた感覚だけで感じるのですが、田中先生の論調は、それがあながち外れた感覚ではなかったようです。
徘徊者としては、落語なんですから、この"感覚"が重要だし、それで十分だと思うのです。

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