« 鏡開き | トップページ | タイガーマスク »

2011年1月12日 (水)

安楽庵策伝

「子ほめ」という噺も、落語の祖とも言われる「安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)」の作だと言われています。

安楽庵策伝は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての浄土宗西山深草派の僧で、父は金森定近、兄に飛騨高山城主金森長近がいるそうです。
策伝は道号。諱(いみな)は日快、号は醒翁、俗名は平林平太夫だということです。Sakuden
美濃国淨音寺(岐阜市三輪)にて出家し、全国を修業。
特に西国で精力的な布教活動行い、多くの寺院を建立・復興した。
その後、再び岐阜に戻り、岐阜の浄音寺の二十五世住職として過ごした後、誓願寺の第五十五世を継いだ。
晩年は、誓願寺の塔頭竹林院の茶室「安楽庵」にて余生をおくり、慶長18年(1613)に89歳の命を終えた。
同じ岐阜出身の古田織部と同世代を生きた人で、織部とも交流があり、安楽庵流茶道を生み出した人としても知られている。
安楽庵策伝和尚は、庶民の暮らしに見いだした滑稽話を多く説教に取り入れたストーリーを考案して、庶民から大名まで誰にでもわかるように仏の教えをやさしく、おもしろく、巧みな話術で、いわゆる【落し噺】を、高座で演じて布教した。
続く戦乱の世に、荒廃した民衆の心に、勇気と生きる活力を与えた。
その評判が京都所司代板倉重宗に伝わり、「ぜひ記録を」との願いを受けて、策伝自ら、元和元年(1615)つまり豊臣家が、大阪夏の陣で滅んだ頃から、「醒睡笑」の執筆をはじめ8年後の、徳川の世、家光が三代将軍になった年に、8巻の本にまとめ、京都所司代板倉重宗に献上した。 
この「醒睡笑」には、全1039話の滑稽話が収められており、その中には、今日でも演じられる「子ほめ」「無筆の犬」「かぼちゃ屋」「平林」「星とり竿」など、現在に語り伝えられている落語の元ネタが納められいる。
戦国笑話の集大成の咄本としても高く評価されている。

表題の「醒睡笑」は、「睡りを醒まして笑う」の意味です。
この本の序文に「小僧の時より耳にふれておもしろをかしかりつる事を反古の端にとめ置いたり」(修行僧のときから、聞いていて面白かった可笑しかったりする事を書き損じの紙の端にメモしておいた)とあるように、策伝の布教活動の中から得たものをまとめたものです。
そうか、それで「策伝大賞」という学生落語選手権が、岐阜で開催されているんですね。
しかし、安楽庵策伝というのは、まるで甘いものの名前を連ねたような名前ですね。
「餡(あん)落雁(らくがん)薩摩田楽(さつでん)」・・・・。

« 鏡開き | トップページ | タイガーマスク »

文化・芸術」カテゴリの記事