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2010年12月20日 (月)

情熱大陸

昨夜、TBSの「情報大陸」という番組に、「柳家三三」さんが出ていました。
TBSの宣伝文句。
「クラシカルだけどモダンな落語」。
同業者や通の客をも唸らせる話芸で今年の花形演芸大賞を受賞。
今、年間600以上もの仕事が舞い込む“超売れっ子”だ。
番組では、楽屋裏で繰り広げられる師匠との緊張感溢れるやり取りから意外な練習場所、ユニークなリラックス方法まで普段中々見る事が出来ない落語家の「リアルな日常」をお伝えする。
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また、この秋挑んだ大ネタ公演の準備で心身共に追い詰められた三三がとった行動とは?
落語とはこんなにも厳しく、孤独で、そして面白い世界だったのかと思わず膝を打ちたくなる場面が目白押しの30分。
落語を見たことが無い人にこそ、是非見て戴きたい。

彼の実力と人気に、極めて邪悪なジェラシーを感じている身から言えば、ちょっと綺麗すぎるのではと思います。
さらにお叱りを覚悟で言えば、この番組はTBSの"やらせ"的な要素も、多分にあると思いました。
ストーリーは、この11月に、三遊派の「三遊亭圓朝」と覇を競ったと言われる柳派の重鎮「初代談洲楼燕枝(だんしゅうろうえんし)」の大作「嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)」に、三三さんが3夜連続口演でチャレンジする姿を追ったものです。
この噺の舞台になっている三宅島に行く場面なんて、やや「???」と思いましたが、ファンの方々は感動したかもしれませんね。
ただ、稽古の様子や、寄席や落語会の楽屋や袖の様子がよく分かりました。
プロの噺家さんも、カラオケボックスで稽古をするんですねぇぇ。

著名な学者の延広真治さんによれば、初代談洲楼燕枝は、
生年: 天保9.10.16 (1838.12.2)
没年: 明治33.2.11 (1900)
幕末明治期の落語家。
亭号は「だんしゅう」とも。本名長島伝次郎。
江戸小石川伝通院表町生まれ。
19歳で初代春風亭柳枝に入門して伝枝を名乗る。
24歳で柳亭燕枝と改め真打。
明治18(1885)年,親交のあった9代目市川團十郎の名をもじって談洲楼を亭号とした。
創作力があり「嶋鵆沖津白浪」などを創ったほか、
狂歌発句にも才を発揮した。
好劇家としても知られるように、当初芝居咄を演じていたが、明治2・3(1869・70)年と続けて歌舞伎にまぎらわしい所作禁止の布令が発せられたが、その前後から素咄に転じた。
三遊派の三遊亭圓朝に対して、柳派の頭取として落語界を二分する存在であった。
浅草の源空寺に葬られた。

幕末から明治にかけ、三遊亭圓朝とともに落語界の双璧として名を馳せた初代「談洲楼燕枝」。
近年“落語の神様”として圓朝の作品が脚光を浴びるのとは対照的に、ほとんど顧みられることがなかった談洲楼の作品にチャレンジしたというのは、「柳派」の若きエースとしては、大正解だと思います。
むしろ、今までなぜ柳派の噺家さんたちが、圓朝物に手を伸ばすことはあっても、自派の燕枝物をやらなかったのが不思議なくらいです。
「嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)」を丸々やると、20日から1ヶ月はかかるそうで、三三さんは、3日間の公演で3カ所、一番面白いところをきちんとやって、前後はダイジェストでつなげるということにしたんだとか。
あぁぁぁ、行きたかった・・・・。
博打(ばくち)打ちの佐原の喜三郎と女郎の大坂屋花鳥、人殺しの坊さんに、敵討ちをしたい女郎屋の元主(あるじ)、スリが主人公という長編人情噺。
五人が三宅島に流されたいきさつや、島抜けして江戸に戻ってからの暮らしが描かれたそうです。
「せっかく柳家のご先祖さまが残してくださったんだから」と決意して、三三さんは、談洲楼が読み物として書いた文語体の本と、三代目春風亭柳枝が口演した速記本、講談の資料を基に台本を練ったそうです。
こんな果敢なチャレンジを、若手の噺家さんにどんどんやってもらいたいと思います。

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