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2010年12月28日 (火)

鰍沢・身延山と富士川舟運

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「甲府ぃ」や「鰍沢」という噺に欠かせないのが、日蓮宗(江戸時代は法華宗)の総本山の身延山久遠寺。
この身延山は、甲州から駿州に下る、かつての「日本三大急流」と言われた「富士川」の中流右岸にあります。
この富士川の沿線は、江戸時代に幕府に命じられた角倉了以によって拓かれた「富士川舟運」によって、甲斐と駿河の重要な物流ルートとして栄えたそうです。
甲州の鰍沢から駿州の(東海道の)岩淵まで、富士川を一気に下る(逆に苦労して上る)というルートです。Gaku_zoom
この隆盛は、明治以降は、鉄道が敷設・整備されて、物流が陸運に代わるまで続く訳ですが、義母の実家が、何代か続く鰍沢の舟運会社を経営していたそうで、そういえば、10年ほど前まで、当時使われていた蔵の一部も残っていました。
先般、義母の実弟(義叔父)が、この地に建っている、当時のことが書かれている碑文の訓読をし、それを簡単な文書にまとめて、わざわざ贈ってくれました。Fune_bw_2

いまチャレンジしようとしている「甲府ぃ」の主人公の善吉が、甲府から江戸へ出ていく途中、身延山へ5年の願かけのために立ち寄ったことになっていますが、善吉も、この賑やかな舟運の様子を横目に「みのぶ道(富士川街道)」を下ったことでしょう。
尤も、"甲府から江戸へ出る途中に身延へ立ち寄る"いう発想は、恐らく当時も少なかったことでしょう。
身延山は甲府から江戸からの途中にはありませんから。
まぁ、そのあたりは、落語のこととて、お許しいただけることでしょうが・・・。

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