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2010年11月26日 (金)

吾未木鶏為得

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「吾未木鶏為得」は、「われいまだもっけいたりえず」と読むそうです。
大相撲の横綱双葉山の言葉として有名です。

「木鶏」は、中国の故事で、王から「最強の軍鶏を育てろ」との命令を受けた紀悄子と王との問答を扱った「荘子」に由来しているそうです。
「最強の軍鶏を育てろ」という命令から10日後、王は「もう戦えるか?」と紀悄子に問いかけました。
しかし、「まだまだです。むやみにやる気を見せているだけです」と紀悄子。
また10日後に王が尋ねると、「いえ、まだです。ほかの軍鶏の声や姿にいきりたつ状態ですから」。
さらに、10日たって王が尋ねると、「やっとものになってきました。他の軍鶏が声を上げても一向に動じません」と応じました。
そして、「まるで木彫りの軍鶏のようで、徳が身に付いた状態です。もはや他の軍鶏でかなうものなく、後ろを向いて逃げ出すでしょう」と言ったといいます。
荘子にとっては、あふれる闘志と才能を内に秘めながらも、敵に対して動ぜず、不動心で対峙する木鶏の姿こそ、戦士の理想像だったのでしょう。

先日、大相撲の双葉山の持つ69連勝記録更新を目指していた横綱白鵬が稀勢の里に寄り切られ、297日ぶりに敗れてしまいました。
白鵬は敗因について、「もう1つ(連勝を)伸ばしてやろう。そういうところに隙があった」と語りました。
逆に言えば、稀勢の里は白鵬の不動心を乱すことができたということです。
名横綱双葉山が師と仰いだ安岡正篤は、歴代宰相や財界首脳の指南役といわれた人物。その師に吐露した「いまだ木鶏たりえず」という言葉からは、双葉山が横綱でもあり、哲学者(求道者)だったことも如実に表していると思います。
この教えがあったからこそ、誰よりも、戦いに勝つためには「心・技・体」が一致する境地でいることの大切さを理解することが出来、3年間(1000日以上)もの間、孤独に耐えて自分自身に勝つことが出来たのだと言う人がいました。
歴史の頂に一人いるということは、名誉なことである反面、とてつもない孤独にあるということでしょう。

私は、この大横綱双葉山の現役時代は知る由もありませんが、幼な心に「時津風理事長」という名前が、かすかに残っています。
「お相撲の一番偉いおじいちゃん」ぐらいに思っていました。
昭和43年12月に逝去したそうです。
享年56歳。えっ?56歳? 
おじいちゃんじゃないじゃありませんか!

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