円山応挙
日本橋の三井記念美術館で「円山応挙・空間の創造」という特別展が開かれています。
円山応挙と言えば、落語の方でもお馴染みで。
・・でも、実は、応挙のことなどはほとんど知らないという・・。
知っているのは「応挙の幽霊」という噺と、谷中の全生庵にあるという幽霊の絵。
とんでもなく偏った情報のみ。
遠近法を使った画法など、幽霊のイメージとは随分違う雰囲気で、昔の絵師の定番ともいうべき屏風絵も襖絵も見事です。
竹雀、龍、孔雀と、これぞ日本の絵というのを堪能しました。
幽霊の絵は1枚もありませんでした・・・・。
《円山応挙》
享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期の絵師。
近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。
諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。 《落語・応挙の幽霊》
古道具屋が安く仕入れた幽霊の掛け軸を、訪ねて来たお得意の旦那に10両で売った。
品物は翌朝届けるということで、旦那は手付けの1両を置いて帰る。
古道具屋は大儲けしたので、幽霊の掛け軸の前で一人で祝い酒を飲み始める。
しばらくして人の気配を感じてあたりを見ると幽霊が掛け軸から抜け出し前に坐って?いる。これがまた実にいい女。
幽霊の女は、掛け軸を買われるたびに恐いとか、気味が悪いといわれ、すぐ箱の中にしまわれてしまっていたが、あなたが酒を手向け、お経を唱えてくれたので嬉しくなって出てきたのだという。
そして自分は円山応挙が書いたものだという。
応挙の真筆なら20,30両では売れただろうとちょっと残念がるが、美人の幽霊のお酌で酒盛りが始まる。
幽霊の女は都々逸など歌い出す上機嫌だ。「三途の川でも、さおさしゃ届く、なぜに届かぬわが思い」なんて調子だ。
そのうちに幽霊の女は酔っ払って、掛け軸の中に帰って寝てしまう。
そのうちに朝になっても幽霊はまだ眠ったままだ。
お得意先の旦那は、古道具屋が朝に掛け軸を届けるというのに持ってこないのでやきもきしている。
そこへ、古道具屋が来る。掛け軸は持ってきていないという。
旦那 「どうして持ってきてくれなかった。店に置いておいてもしょうがないだろう」
古道具屋 「もう少し寝かせておきとうございます」
落語らしい、色気のある噺だと思います。
昔、五代目小さん師匠の兄弟弟子だった、蝶花楼馬楽師匠の噺を聴いた記憶があります。
あれ?三井記念美術館の話題が、いつのまにか落語の話に変わってしまいました。
やっぱり、こっちの話の方がいいや。
日本橋室町界隈は、先日オープンしたばかりの「コレド室町」など新しいビルに、随分多くの人が集まっていました。