太田南畝
漢詩文・洒落本・狂詩・狂歌などで知られ、狂歌三大家と言われています。
が、他の2人が誰なのかは全く知りません。
有名な「蜀山人」の号は、大坂在住時から使い始めたようです。
号の由来は、銅の異名を「蜀山居士」と言ったことからだそうです。
1823年(文政6年)の辞世の歌が面白いですよ。
「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」という。さすがに洒落のわかる人だったんですね。
ところで、確か新宿の熊野神社の境内に、新宿区の指定有形文化財(工芸品) として、文政3年に奉納されたという水鉢がありましたが、これに、大田南畝の書による銘文がありましたよ。
熊野神社には、新宿に勤務していた頃、時々新宿中央公園を通って行っていたので、この水鉢も見たことがあります。
確か、2年半ほど前に、OB落語会で「ねずみ」を演るために、得意の歩き稽古でぶつぶつ言いながら、公園や境内を徘徊したものでした。