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2010年11月

2010年11月30日 (火)

霜月の落語徘徊

     
  ◇  3日    落語とピアノのエンソウ会
  ◇  6日    鈴本演芸場上席
  ◇ 14日    馬津郷寄席
  ◇ 15日    さん喬師匠の雪の瀬川を聴く会
  ◇ 20日    学士会落語会例会
  ◇ 20日    志ん輔・扇遊の会
  ◇ 23日    花形演芸会
  ◇ 24日    人形町らくだ亭
 (◇ 28日     北大落研OB会 苦楽亭迷人会)
  ◇ 29日    紀伊國屋寄席
          
9月までの高座の忙しさの反動か、ちょっと稽古をサボってしまった1ヶ月でした。
そろそろ「再起動」しないといけません。ややあせり始めています。
最近は、仕事の関係もあって、土日祝日を中心に寄席・落語会に行く、寄席は一番近い鈴本演芸場が中心に等々・・・パターン化しつつあるようです。
ここのところ、他大学の落研OBの方々と接する機会が増えつつあり、大きな刺激になっています。
とはいえ、あまりよそ見をせずに、じっくり構えてやって行きたいと、今までの反省も含めて思っています。
長く続けて行くことも、大切なことだと思いますから。

今夜は乱志三昧で

                        今夜は乱志三昧で
今宵の徒然に、先日寝蔵師匠が編集して送ってくださった「金願亭乱志独演会」のDVDを視聴。
この世のものでもないような、自分の無様な映像にも、とうとう平気で耐えられるようになりました・・・。
慣れというのは恐ろしいものです。

切腹最中

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先日の学士会落語会の時に、講談の寳井琴星さんが、「赤穂義士伝・外伝」を読まれた時に、マクラ(講釈もマクラと言うのかな?)で話題にした、「切腹最中」という物凄い名前の和菓子があります。
以前、落研の先輩の恋し家古狂師匠が教えてくださったのを覚えていたので、「あ~あ、あの最中のことか」と、すぐ分かりました。
と言っても、実物を見たことはありませんでした。
偶然、上野駅の東京みやげの店でみつけました。
早速買って食べてみましたが、なかなかの美味でした。
赤穂浪士のギザギザの陣羽織の模様に似せた箱に、以下のような説明がありました。
2010112715050001jpg元禄十四年三月十四日、殿中「松の廊下」で後の「忠臣蔵」へと発展する刃傷事件は起こりました。
巳の上刻(午前十時)から六つ刻(午後六時)過ぎにかけて、刃傷・・・・田村邸お預け・・・・評定・・・・切腹・・・・と、その日のうちに矢継ぎ早に執り行われたと言います。
「切腹」・・・・殿中での刃傷とあればや無を得ぬお裁きとはいえ、ここで問題なのは、浅野内匠頭がいかに青年の激情家であったにしろ、多くの家臣、家族を抱える大名であったのだから、今少し慎重な調査がなされても良かったのではなかろうかということでした。201011271507000jpg
喧嘩両成敗の原則をも2010112715070011踏みにじった、公平を欠く短絡的なお裁きが、後の義挙仇討ち「忠臣蔵」へと発展したことは否めません。
当店は、切腹された田村右京太夫屋敷に存する和菓子店として、この「忠臣蔵」にまつわる数々の語り草が和菓子を通じて、皆様の口の端に上ればという思いを込めて、最中にたっぷりの餡を込めて切腹させてみました。
「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」の辞世の句とともに、本品が話しの花をさかせるよすがともなればと心を込めておつくりしております。
何卒、末永くご愛用の程伏してお願い申し上げます。

名付けて商品化した、ご店主の勇気に感服します。
知人・友人に相談すると、ほとんど全員から「売れないからやめろ」と言われた。
家族を説得するのに何年もかかった。
発売してもなかなか売れなかった。

ところが、店がオフィス街にあり、サラリーマンの客も多い場所柄、ある時に、サラリーマンが取引先に不始末のお詫びに、「詰め腹を切ってきたつもりでございます」と持って行ったところ、物凄く受けたという噂が広がり、人気商品になったとのこと・・・。
ブラックユーモアなのは、この箱に「大願成就」と書いてあります。

日本橋クリーニング

日本橋クリーニング 日本橋クリーニング
今の日本橋が架けられて100年になるそうです。
この間、新聞の1面を使い、この日本橋を洗浄するプロジェクトを受託した会社が広告を載せていました。
ドイツの会社で、ドイツ大使館も、このプロジェクトを後援しているそうです。
高速道路が上を通ってしまい、目立ちませんが、よく見ると、とても立派な橋だと気がつきます。
日本橋クリーニング 日本橋クリーニング
橋の脇には、日本道路元標があり、魚河岸跡の碑もあり、歴史と文化が香る場所だと思います。

かつては、まさにここが日本の中心だった訳で、最近再開発が進み、活気を取り戻しているのは、ちょっとワクワクしますね。
やはり無粋な高速道路は、ルートを変えて欲しいものです。

シネマ落語「昭和の名人」

面白い映画を見つけました。
実写版「宇宙戦艦ヤマト」なんていうメジャーな?映画ではありません。シネマ落語「昭和りの名人」という・・・。
国立小劇場で毎月開催されているTBS「落語研究会」の貴重な名演の映像をスクリーンで上映、昭和の名人たちの夢の顔合わせ。
   ◇ 八代目桂文楽        「明烏」
   ◇ 三代目古今亭志ん朝    「抜け雀」
   ◇ 十代目金原亭馬生     「親子酒」
   ◇ 六代目三遊亭圓生     「掛取万歳」
・・・考えてみれば、私は、馬生師匠を除く3人の師匠は、落語研究会のDVD全集を持っているのですから、それを観ればいいってもんでしょうが、大きなスクリーンで聴いてみたいと思います。
料金は当日2,000円均一。全席自由席入替なし。
上映期間12月11日(土)~12月24日(金)
上映時間11:00/13:30/16:00/※18:30
※の回は12/21のみ休映
http://www.shochiku.co.jp/movie/cinemarakugo/
こんな宣伝文が掲げられています。
「落語研究会」のTBSと「シネマ歌舞伎」の松竹が共同で、新しいプロジェクトを発足させました。
その名も“スクリーンで観る高座・シネマ落語「落語研究会 昭和の名人」”です。
今や平成の「落語ブーム」! 寄席やホール落語会は盛況の賑わいを見せています。放送では「落語研究会」の他にも各局で落語番組が増えています。そしてTBSのDVD「落語研究会」シリーズも高い評価をいただいています。
「本格落語をもっと見たい!」「懐かしい名人の高座がもう一度みたい!」という声に答えて、このたび松竹のスクリーンに昭和の名人が復活することとなりました。
TBSは1968年から国立劇場・小劇場にて「古典落語の研究改良、若手真打の向上、落語界の刷新」を目的として「第五次 落語研究会」を主催してまいりました。そして多くの貴重な名演の映像が残されています。この映像は近年「柳家小三治全集」「古今亭志ん朝全集」「八代目 桂文樂全集」「六代目 三遊亭圓生全集」としてDVDにまとめられ、皆様の好評を得ています。
 映画館では「シネマ歌舞伎」として、歌舞伎の名作の数々が上映されて、こちらも皆さまの好評を得ています。
 そして「シネマ落語」では、昭和の名人達の「夢の名人会」を組んで、皆様方に見ていただこうと企画しています。懐かしい噺家達が目の前のステージに甦ります。どの噺家が何の演目を演じるのか。あの伝説の名演がかかるのか。興味・話題になること必至です。「映画館」で皆さまにたっぷりと存分に古典落語の世界を楽しんでいただこうと思っています。
時間があったら、是非覗いてみようと思います。

東京かわら版

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巻頭インタビューは、桃月庵白酒さん。

若手真打の中でも人気があり、ただいま"旬"の噺家さんだと思います。
私の周囲でも、彼に好感をもつ人が多く、寄席・落語会の出演者に名前を見つけると、要チェックですね。
今度真打に昇進した「蜃気楼龍玉」さんは、あまり知りませんが、五街道雲助一門、要は雲助師匠と白酒さんと隅田川馬石さんは、斯界の中で、なかなかいいポジションにいると思います。

ホリケンさんは、女性の噺家さんとの遭遇率?なるものをリリースされていますが、確かに落語界でも女性が増えました。
そう言えば、誰かがマクラで言っていましたが、最近の某寄席で、楽屋に詰めている前座さんが全員女性だったことがあって、落語始まって以来の大事件だったと、嬉しそうに言っていました。
いつも出番ギリギリにしか楽屋に入らない師匠が、出番の1時間以上前から楽屋入りしたそうで。
まあ、いいことですよ。元気になるというのは。
なんと言っても、日ノ本は岩戸神楽の昔より・・の国ですから。

東京かわら版とはあまり関係なかったかな・・・。

2010年11月29日 (月)

紀伊國屋寄席

第551回紀伊國屋寄席。今夜も楽しい落語会でした。
     紀伊國屋寄席

   ◆  真田小僧                      入船亭遊一
   ◆   やかんなめ                   林家木久蔵
   ◆   貧乏神                         鈴々舎馬桜
   ◆   穴どろ                         入船亭扇遊
   ◆  夢金                             五街道雲助

馬桜師匠の「貧乏神」は、確か以前どこかで聴きました。
三代目柳家小さんの、たった2ページ半の速記があるだけ。
しかも、最初とオチの部分以外は「色々ありまして」とあるだけだそうですから、「どうにでもしやがれ」ってなもんですよ。
噺家さんの技量の見せどころで、馬桜師匠は、見事にどうにでもしやがりました。
でも、考えてみると、別に貧乏神でなくても良い訳ですな。
扇遊師匠は、今夜はちょいと軽めの噺でした。
トリの雲助師匠も、軽々と片付けたという感じでした。
オチもバレにならないやり方で、これでいいと思います。
だから、この「夢金」は、「ゆめきん」ではなくて、「ゆめかね」と読んだ方が良いと思います。

ニュースのテロップ

28日のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」の最終回で、主人公の坂本龍馬が暗殺されるシーンに、愛媛県知事選の当確を伝える速報テロップが流れ、苦情が相次いだそうです。
視聴者から、「表情が見たかったのに、龍馬にテロップがかかってしまった」「楽しみにしていたのに興ざめした」という苦情や、「きれいな映像で録画したいので再放送の予定を知りたい」という問い合わせもあったということです。
最近、テレビのドラマを全く視聴しなくなった私にとっては、「へえぇぇ」ぐらいにしか思えませんが、視聴者の気持ちもあながち分からないではありません・・。遠い愛媛県の知事選挙なんて、ほとんど関心はないでしょうから。
Taika02_3思えば、先日このブログで、三遊亭圓生師匠の「ねずみ穴」のラジオ放送中、山形県酒田市の大火のニュースが被ったのを話題にしました。
あの時の私も「せっかくの名人の噺を録音しているのに・・。」と、少しは腹も立ちましたが、30年以上も時間が過ぎると、これがかえってプレミアムのようにも思えて来るのですが・・・。
どんなものでしょうか?
これだけ技術が進んでいるのですから、例えば録画する際に、オプションで余計な字幕やテロップなどは外せるとか、出さないとかなど、きっと出来るのではと思いますね。

試し酒

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先日の花形演芸会で、柳家三之助さんが熱演した「試し酒」。
この噺は新作落語なんです。
落語研究家の今村信雄によって、昭和初期に創作されたものなのです。
痛快であるとともに、噺のオチを聴いてさらにびっくり
ただ、主人公は、単なる今の一気飲みのバカ野郎ではなく、こよなく酒を愛する大酒飲みなので、品のある噺に仕立てられています。
3度のメシより好きな酒を飲みながらも、自分の主人のことを心配したり、彼もまた落語国の英雄の一人といえるでしょう。
こんなふうに豪快に酒が飲めていたら、きっと私の人生感も違っていたと思います。
"お酒飲む人花ならつぼみ今日も酒・酒明日も咲け"
ああ・・"風流"ですなあ。
こんな噺を演ることが出来たら、もっともっと楽しくなるでしょうね。
演れるかどうが、脇でちょいと試しに演って来た、という訳には行きませんね。
"試し噺"なんて・・。

ふつつか

落語「たらちね」の言葉が丁寧なお嫁さん(お清さん)が、輿入れをするにあたって、八五郎に向かって「賤妾浅短(せんぎょくせんだん)にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す」と言います。
この意味は、「ふつつかで無学ではありますが、(せめて)勤勉にお仕え申し上げたく存じます」ということでしょう。
この「ふつつか」。
普段あまり使う言葉でもありませんし、たまに見ても、ひらがなで表記されることが多い気がするのですが、漢字で書くと「不束」なんだそうです。
この「不束」というのは当て字で、「太束(ふとつか)」が転じたもの。
古くは「太くて丈夫なさま」を言い、ネガティブな意味合いはなかったのだそうです。
平安時代になり、優美繊細の美意識が浸透し、太いものを指すこの言葉は、情緒に欠けた野暮ったい意味を含むようになります。
さらに中世以降は、風情のなさや風流でないさまが中心的な意味に変わり、近世になって「不調法」を含むようになったそうです。

辞書で調べると・・・・

 ・気のきかないさま。行きとどかないさま。不調法。
 ・太くて丈夫なさま。
 ・太くてぶかっこうであるさま。
  ・風情がなく、下品であるさま。無骨。
     ・・・なるほど。

トムとジェリー

トムとジェリー、仲良く喧嘩しな・・
両国の回向院にある「猫塚」と「鼠小僧の墓」から、トムとジェリーを連想しました。
(ここのところ、猫と鼠の話題が多くなっています。)
Image体が大きく凶暴だが、おっちょこちょいでどこか憎めない部分のあるネコのトムと、体は小さいが頭脳明晰で、追いかけてくるトムをさらりとかわすネズミのジェリーのドタバタを、ナンセンスとユーモアたっぷりに描いた作品で、小学生だった私は、確か毎週水曜日の夜を楽しみにしていました。
アカデミー賞を幾度となく受賞しているそうです。
アニメの場面のところどころに垣間見える、当時の日本人の多くが憧れていたアメリカ人の生活の一端も、とても新鮮でした。
大きな冷蔵庫や洗濯機やリビングの様子など・・・。
チーズが美味しそうでした・・・。
どうも、トムよりはジェリーを応援していましたね。
本物の鼠なんていうのは、見ただけでぞぉぉぉっ!としますが、何故かアニメでは人気が高いという、不思議な動物だと思います。

しじみ売り

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義賊と呼ばれた鼠小僧が登場する噺。
世間の人気を博して、立派な親分になって尊敬されているような雰囲気で登場するんです。
古くは、桂小南師匠がよく演っておられたようですが、最近では立川志の輔さんのを聴いています。
しじみ売りの少年がとてもかわいい(痛々しい)。
茅場町の魚屋和泉屋の親方次郎吉は裏では義賊のネズミ小僧。
暮れの三っ日間博打で300両すっかり負けてしまった。
雪の中、新橋汐留の船宿伊豆屋に船で送ってもらいたく立ち寄る。
船頭と女将相手に雪見酒を飲んでいると、そこに十になったぐらいの素足にわらじ履きの小僧がしじみを売りにくる。
次郎吉は全部買い求め前の汐留川に放してやる。

小僧の身の上話を聞いてやると、母親と二十三になる患った姉さんがいる。
姉はもと新橋の金春新道紀伊国屋の”小春”という売れっ子芸者であった。
三田の紙問屋の若旦那”庄之助”といい仲になったが、通いすぎて庄之助は勘当された。
小春が家に置いて面倒を見たが人気が無くなり、庄之助と姉は旅芸者になって箱根にいた。そのとき、庄之助がかけ碁ですってんてんに巻き上げられて、姉まで人質に取られるところ、隣の部屋から二十四、五の苦み走った男が現れ同じ江戸の者だからと掛け金100両を立て替え救い、ちょぼいちでいかさま師から金を奪い取り、50両を二人の路銀にと与える。
その小判で宿の支払いをするが、金蔵やぶりの小判であったため、捕らえられ伝馬町に送られた。
00020151s姉は心労が重なり病の床についたままになってしまった。
そのため自分ががしじみを売っているという。

次郎吉はその男が自分であったことを悟り、小僧に5両の金を持たせ、姉さんに悪いことばかりは続かないと言い伝えよと言いふくめ、折りを持たせて返す。
空荷で雪の中を行く小僧を見やりながら、情けがあだになったことを知り、子分を自首させて庄之助を牢から出した。
勘当が許され小春と夫婦になって、小僧と母親を引き取り仲良く暮らした。
ある意味で、鼠小僧次郎吉の格好良さが出ているのですが、解せない点があります。
まず
、義賊だと言われて、金持ちから金を盗み、貧しい者に施している次郎吉が、金蔵破りの金とばれるように細工された小判を知らなかったのか、すぐに足が付いてしまうようなドジなことをする(した)のだろうかという点です。
それから、自身でなく、志願した子分を身代わりに自首させたところは、義賊(英雄伝説)の存在をなくしたくなかった庶民の感覚だったのでしょうか・・・?

2010年11月28日 (日)

ラジオ寄席

今夜のラジオ寄席は、「八代目桂文楽特集」。

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  ◇ 締め込み        桂文楽
  ◇ 明烏           桂文楽
  □ 芸談(明烏)       桂文楽

文楽師匠が亡くなって、もう間もなく40年になるんですね。
確か昭和46年12月でしたか・・・とすると、今年で39年。
私は、実物は全く知りません。

「いっぱいのお運びのございまして、ありがたく御礼申し上げます。間ぃ挟まりまして、(お笑いを)一席申し上げることにいたします。・・弁慶と小町は馬鹿だなぁ、嬶ぁ。」・・・なんていう感じで噺(これは「明烏」)に入って行きます。
この「明烏」の中、甘納豆を食べるシーンは有名で、この噺の後、寄席の売店の甘納豆が飛ぶように売れたという・・・。
学生時代、甘納豆なんて美味いものだとも思わなかったし、そもそも何で花魁の部屋の戸棚になぜ甘納豆なんかがあるんだろうなんて、よく分かりませんでしたね。

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それから、房楊枝の使い方も知りませんでした。
房楊枝とは、柳の小片を箸のように削り、先端を叩いて総のようにした楊枝。
チューブ入りになる前は、粉末の歯磨き粉だったというのは知っていましたが・・。

東京苦楽亭迷人会

           東京苦楽亭迷人会  東京苦楽亭迷人会
我が母校のお隣?の北海道大学落研OB・OG会の「第17回東京苦楽亭迷人会」。
我々の「お江戸OB落語会」の大先輩で、お手本にして行くべき落語会です。
お邪魔するのは4度目になります。

    ◇  青菜         小奈良家仁王
  ◇  たらちね      鳳亭老射手
  ◇  黄金餅       遊子家悲志
  ◇  住吉駕籠      いろは亭軽太
  ◇  時そば       北国亭裸狂
  ◇  一文笛       寝床家恋志

                   東京苦楽亭迷人会
何て読むのか分からない名前があり、暫く悩みましたが、解読に成功しました。
「鳳亭老射手」さん。・・おおとり・おい・いて・・・
・・ほうていおいいて→ほうていおいて→ 放っておいて・・・

仲入りの時、5月の我々の会に来てくださった、高座から下りて来た「遊子家恋志」師匠に、蕪生師匠と一緒にご挨拶。
お江戸両国亭は、OB・OGやご家族や友人とおぼしき方々が約30人ぐらいで、賑やかな会でした。

とにかく、地元の札幌では創部以来44回、東京でも17回続けられているそうです。
ということは、毎年2回ずつOB会を開催しているということですから、物凄いことです。
我々も見習わなくてはいけません。

「東大−北大−東北大」のコラボレーションの実現を勝手に夢見ながら、他の素人さんの落語を聴いて、乱志の体内スイッチがONに入りました。

帰り道、蕪生師匠と、来年の我々のOB会は、5月に「お江戸OB落語会」と、11月のOB会総会の時に(いずれも東京で)やろうということになりました。
これから、達人志ん志・名人寝蔵・若手ぽんぽこ・新手ぴん吉・大御所友楽の各師匠に連絡をして行こうと思います。

櫓太鼓が隅田の川に

           櫓太鼓が隅田の川に 櫓太鼓が隅田の川に
両国といえば、回向院と国技館・相撲部屋と本所松坂吉良邸跡。
特に、相撲といえば両国でしょう。
回向院の参道にある「力塚」。
横綱土俵入りの像がさりげなく歩道脇に立っているなんていうのは、両国ならではです。
雲竜型と不知火型の両方の型で、横綱がどっしりと土俵入りをやっています。
            櫓太鼓が隅田の川に 櫓太鼓が隅田の川に
やはり白鵬が優勝した九州場所の千秋楽の相撲。
櫓太鼓が隅田の川にどんと響けば土俵の上で・・・
・・・なんていう歌を思わず口ずさみたくなる場所です。
「天下泰平」・「国家安穏」・「五穀豊穣」を祈って叩く櫓太鼓だそうですが、ここのところの内外の暗いニュースを聞いて、この3つの祈りをさらに強くしたいものです。

回向院の鼠と猫

      回向院の鼠と猫 回向院の鼠と猫
まだまだ続く、ここのところ話題になっている猫と鼠の話。
                    回向院の鼠と猫
「猫塚」と「鼠小僧墓」が並んでいる回向院に行って、それぞれの塚に頭をたれて来ました。
ところが、鼠小僧の墓石前の削り石を独占するように、20分以上も子どもに石を削らせていたバカ親がいました。
申し訳ありませんが、こういう輩には、絶対に「鼠小僧のご利益」はめぐっては来ないでしょう。
        回向院の鼠と猫 回向院の鼠と猫
回向院は、猫や犬などの動物を供養する塚ばかりでなく、そもそもかつての様々な大災害の犠牲者を供養している場所でもあり、数多く建てられている供養碑などに謹んで手を合わせました。
                      回向院の鼠と猫
さて、両国駅から回向院に向かう歩道で見つけた幟。
「伝統文化を伝えよう 鼠小僧!」
鼠小僧は伝統文化ですか?

本所松坂吉良邸跡

来週、国立劇場に「仮名手本忠臣蔵」を観に行きます。
ここは本所松坂町。
この名狂言の元になった赤穂浪士の仇討の実話の一方の重要な当事者である吉良上野介の屋敷跡。
 本所松坂吉良邸跡  
昨年も、北大落研のOB会を覗きに来たついでに、このあたりを徘徊した記憶があります。
ところで、以前からずっと、何となく不思議に思っていたのは、幕府の重鎮で名家でもある吉良の屋敷が、大川(隅田川)を越えた本所にあったのかなぁということでした。
その疑問が、この吉良邸跡のお稲荷さんの前に置いてあったパンフレットで、今日めでたく氷解しました。
やはり、吉良邸はもともとは(神田)鍛冶橋に屋敷があったそうです。
(そうだよね。それで納得。)
ところが、あの刃傷事件の後、赤穂浪士が吉良邸に討ち入るという噂が立ち、周囲の大名屋敷から苦情が出たために、住民パワーに押されて、仕方なくここ本所松坂町に移ったんだそうです。
移って来たのが元禄14年9月、討ち入りが翌年の12月ですから、ここには1年3ヶ月しか住まなかったということですね。なるほど・・・。
忠臣蔵では、あるいは多くの日本人にとっては、吉良上野介といえば、極悪非道の敵役ですが、三州(三河の)吉良では名君だったそうですから、この邸宅跡も、「吉良上野介義央公」という、敬称がついていました。
今は小さな公園ですが、浪士が討ち取った吉良の首を洗ったという「首洗い井戸」が、唯一当時を偲ばせてくれます。
もう300年以上も前の出来事です。

     本所松坂吉良邸跡  本所松坂吉良邸跡 

日千両

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「江戸三千両」・「日千両」などといわれ、江戸には一日千両の金が動く場所が、朝・昼・夜で3つあったそうです。
朝千両は「魚河岸」、昼千両は「芝居」、そして夜の千両が「吉原」という訳です。

  「一日に三千両の落ちどころ」
  「三箇所へ千金の振る繁盛さ」
  「日に三箱散る山吹は江戸の華」
  「日に三箱鼻の上下臍の下」
・・・などという川柳もあるとか・・・。
世界一の大都市の江戸の隆盛ぶりが思い浮かびます。
実に豪儀なものです。

落語好きなくせに、廓というものに、何となく嫌悪を感じる部分があり、自分の持ちネタにも、廓や花魁の出る噺はありません。
ですから、例えば、先日一之輔さんで聴いた「五人廻し」という噺なども廓噺、しかも"廻し"という仕組みを考えると、どうも・・・。
江戸で安直に遊べる遊郭では、廻しと言って花魁は一夜に複数の客を取った。お客もそれを承知で見世にあがった。
あがるとマッチ箱のような小さい部屋が並んでいて、その一つに通される。
薄暗い行灯が一つと枕元にたばこ盆があるだけの何の飾り気もない部屋で花魁が来るのを待っていた。
ちらりと顔を見せただけで朝になったとか、顔も見ずに寝られない夜を過ごす事もあった。

上方の遊郭では、こういうシステムはないのだそうです。

ねずみ穴

この噺を初めて聴いたのは、学生時代にNHKラジオで、東京落語会での三遊亭圓生師匠の放送でした。Taika05
何故覚えているかと言うと、この放送中に、山形県酒田市で火災が発生しているニュースが流れたからです。まさにあの酒田大火の惨事のニュースが、圓生師匠の「ねずみ穴」に被って放送されたのです。確か、その放送はテープに録音しましたから、生々しいニュースのアナウンスも、音が重なって入っているはずです。
「ねずみ穴」の噺を言えば、その時既に70歳台半ばだった圓生師匠の声の張りに魅了されたことを、今でもはっきり覚えています。
ただし、弱冠18歳の少年には、よく分からない世界でした。
なんで、娘の「およし」ちゃんは、「私を吉原に売って」なんて言えるんだろう・・?なんて考えたりして。
父親の竹次郎の夢に出て来るのだから、8歳の子どもでも、言えたのかもしれない、なんて思うべくもない頃でした。
先日は、入船亭扇遊さんで聴きました。
ストーリーはいたたまれない部分がありますが、最後にどんでん返しにしているところは、やはり落語の世界です。

Dsc16189_2≪ねずみ穴≫
竹次郎という男が江戸で大店を営んでいる兄のもとを訪ねる
父親から譲られた遺産を使い果たしてしまい、兄のところで働かせて欲しいとやってきたのだ。
ところが兄は自分で商売をした方がいいと勧め、その資金を貸してくれた。竹次郎が店を後にし、もらった額を確かめてみると、何と三文しか入っていない。
わずかな額で何が出来るんだという悔しさをバネに、寝る間を惜しむように働き、十年後には深川蛤町に三戸前の蔵を持つ店の主人となった。そして風の強い日、番頭に火事が起こったら、蔵のねずみ穴を塞ぐように命じ、借りた金を手に、久し振りに兄の店を訪れると…。
Taika02_3≪酒田市の大火≫
1976年10月29日に山形県酒田市で発生した大火を指す。この火災で酒田市内中心部の商店街、約22.5haが焼失。
市の中心部を含め1767棟が焼失し、被害総額は約405億円にも上る。死者1名、被災者約3300名。
 

2010年11月27日 (土)

Iファーム

Iファーム
知人のIさんは、もう随分前から、地元の地主さんから土地(農地)を借りて、サンデーファーマーをやっています。
今までも、何度もその収穫のおこぼれを頂戴していたのですが、久しぶりに「Iファーム」にお邪魔しました。
ちったあ手伝えっちいても(と言っても)、おらてばはぁ、とけえずん(都会人)で、鋤や鍬なんちぃもなぁはぁ、持ったことべぇねえがら、手伝うこたぁはぁできねぇんだ。
んだども、ミズナ・チンゲンサイ・コマツナ・カラシナ・ホウレンソウ・ネギ・ダイコン・・、たんともらうべぇもらって、うちさけえっただよぅ〜。

まあ上野駅

まあ上野駅
またまた上野駅シリーズ。
こういう古い駅に行くと、色々なものを見つけることができます。
石川啄木の歌碑ばかりではありません。
啄木の歌碑の近く、東北本線長距離電車のホームの入り口にあるこの像。
朝倉文夫作「三相知情意」というものだそうです。
谷中に「朝倉彫塑館」がありますが、著名な芸術家です。
朝のラッシュの時間などには味わう時間がありませんから、たまにボーっと歩いている時に鑑賞するということです。
まあ上野駅
一方、正面改札口の浅草の暮れの風物詩「羽子板市」の看板が目立つようになりました。
もう今年も1ヶ月とちょっととなりました。

落語百選≪56≫

Photo

◇ 宮戸川(通し)     五街道雲助
◇ 宗論           五明楼玉の輔
「宮戸川」は、お花と半七の馴れ初めの噺というイメージが定着しているのは、その序の部分だけがポピュラーなためで、後半はストーリーが陰湿になるので、ほとんど演じられていませんから、私も聴いたことがありません。
ところが、最近は、この「宮戸川」の通しが復活しつつあるようです。
雲助師匠など、ぴったりだと思います。
そういえば、雲助師匠のお弟子さんの「隅田川馬石」さんが、「船徳」の原話である「お初徳兵衛浮名の桟橋」を演ったのを聴きましたが、ホール落語会や独演会などでは、こういうものも聴きたいと思います。さらに、それを自分で演ることができたら・・・・。
それこそ、「夢は五臓の疲れ」ですかね。

Issue_56_1有名な?「宮戸川・序」の後は・・・、
こうなってみると、もう翌朝は他人同士ではなくなっていた。これを叔父さんが疾走して二人の仲を取り持って、夫婦にさせてやった。
お花・半七は仲良く暮らしていたが、ある時お花が浅草詣りの帰途、雷門で夕立に遭い困っていると、悪者が三人してお花をさらって行き、手込めにして殺害する。傘を取りに帰っていった小僧が、雷門まで引き返してみると、お花の姿が見えない。乞食に聞いてみると、この事件が分かり半七も探し回ったが、遂に行方不明のまま一周忌の法事を済ませた。その帰途、半七は山谷堀から舟で両国まで戻ると、船頭の二人が三人組の片割れで、半七はその口からお花殺しを聞く。そして、「ふびんとは思ったが、殺した上で宮戸川に投げ込んだものさ」と知り、三人は芝居がかりで問答し、お花の仇を討つ。
Edo100059これは半七の仮寝の夢で、お花は無事小僧の迎えで、雨宿りから無事帰ってくる。揺り起こされた半七は「あぁ、それでわかった、夢は小僧(五臓)の使い(疲れ)だわい」。
(古典落語事典より)

「噺家列伝」は、四代目桂米團治。
三代目米團治の門下。米之助を経て、四代目米團治を襲名。
人間国宝の桂米朝師匠の師匠で、五代目米團治は米朝のご子息が最近襲名しました。
「代書屋」の創作者として有名です。

鼠小僧

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庶民に大人気の義賊、鼠小僧(次郎吉)は、「金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与える」という伝説がありますが、傍目から見ると彼の生活が分をわきまえた慎ましやかなものであることから、盗んだ金の行方について噂になり、このような伝説が生まれたものと考えられているようです。

250pxkodanji_ichikawa_iv_as_nezumikしかし、現実の鼠小僧の記録を見ると、このような事実はどこにも記されておらず、現在の研究家の間では「盗んだ金のほとんどは博打と女と飲酒に浪費した」という説が定着しているという・・・・、まぁそんなものでしょう。武士階級が絶対であった江戸時代に、大名屋敷を専門に徒党を組むことなく一人で盗みに入ったことから、江戸時代の反権力の具現者のように扱われたのでしょう。

落語では「しじみ売り」に出て来ますが、やはり困っている人を助ける(助けたはずの)ストーリーです。

お墓は両国の回向院(えこういん)にあります。
墓石の戒名は教覚速善居士、俗名は中村次良吉だそうです。
没年は天保2年。
00020151s_3鼠小僧の墓石を削り取ると、その業界(?)の人やギャンブル好きの人だけでなく、受験生などには「するりと入れる」ご利益があるといわれていますので、削るために別に小さい墓石まであるです。
ところで、この回向院には、この墓の隣に猫塚がありますが、これは例の落語「猫定」にもゆかりのものです。
以前はこの塚の上に猫の彫り物があったそうですが、なんと鼠小僧の墓と間違えられて、石が削られて丸くなってしまったという逸話があるそうです。
考えてみると、大きな鼠の墓の隣に小さな猫の塚が鎮座しているという、おもしろい取り合わせになっていますな。
「トムとジェリー」みたい・・・。

はっぱふみふみ・・・・

「みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれ
         
すぎかきすらのはっぱふみふみ」
何のことか分からないかもしれませんが、かつて大ヒットしたテレビCM内のフレーズです

あるタレントさんが、某万年筆メーカーのコマーシャルで、意味不明な三十一文字を語り、このコマーシャルのヒットのおかげで、傾きかけていた万年筆メーカーの業績を復活させたということです。
子ども心に、よく分からないけれども、何となく調子がいいので、随分気になりました。
「はっぱふみふみ」だけじゃなくて、「ほっぺよれよれ」というバージョンがあったような気がするのですが・・・・。
ナンセンスで、不思議なコマーシャルでしたねぇぇ。w(゚o゚)w

2010年11月26日 (金)

文化往来

文化往来
今朝の日経新聞最終面"文化往来"に、国立劇場の12月歌舞伎公演「仮名手本忠臣蔵」のことが載っています。
松本幸四郎さんが、大星由良之助と高師直の2役を演じるんだそうです。
高師直は幸四郎さんは初役、江戸歌舞伎でのこの大物の2役は久しぶりなんだとか。

実は、この狂言を観に行く予定にしているので、さらに興趣が高まりました。

 http://www.ntj.jac.go.jp/cgi-bin/pre/performance_img.cgi?img=5893_1.jpg&idx=1

気持ちの持ちよう

何か釈然としないことやストレスになることの多い世の中です。
落語国には、「〜の(〜した)つもり」という便利な術?があります。
「だくだく」なんていう噺はそのものズバリですし、夢想なんていうパターンは数多く出て来ます。
その中でも出色の発想だと思うのは、「不動坊」の1シーンです。
大家さんが、吉兵衛さんに縁談を持って来るところから始まる噺。
不動坊火焔という講釈師の女房のお滝さんに惚れているが、当然人妻と結婚することはできない。そこで、「お滝さんは実は俺の女房なんだ。しかし、ちょっと事情があって、今は不動坊に貸しているだけだ。」と思い込んでいるというところ。
ここは、噺の本題には全く関係のない部分ですが、この落語国の主人公たちの独り善がりな思考回路が好きなんてす。
邪な気持ちではなく、例えばこういう発想が出来たら、随分楽だろうなと思います。

≪不動坊≫
長屋に住む講釈師、不動坊火焔が旅先で急死し、未亡人のお滝に再婚話が持ち上がる。
同じ長屋に住む吉兵衛が、不動坊の残した借金を肩代わりするという条件で、お滝をもらうことになった。
もともとお滝に思いを寄せていた吉兵衛は、降ってわいた話に夢見心地。
銭湯で新婚生活の稽古をしているところを町内の連中に目撃されてしまう。
じつは町内の男どもは、みなひそかにお滝に惚れていたのだ。
悔しくて成らない鉄、萬、徳の三人組はお滝の祝言を破談にさせようと計画を思案。
売れない噺家を雇い、不動坊火焔の幽霊が恨み言を言いにくる筋立てを考える。
さて、夜になり、連中は吉兵衛の住処の屋根に登って芝居をはじめる・・・が・・・。

ふるさとの訛りなつかし

ふるさとの訛りなつかし
石川啄木の「われ泣きぬれて・・・」が話題になりましたが、私の思い出の場所に、啄木の歌碑があります。
JR上野駅の中央改札口を入って、13番ホームから16番ホームに向かうところにあるのです。
「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」
このホームは、新幹線が開通するまで、東北本線の長距離電車、特急・急行・ブルートレインなどが発着していたホームです。
みちのくの色々な思いが繋がるホームです。
この線路の繋がったずっと先に故郷がある。
多くの人々が、都会の荒波にもまれてホームシックにかかりながら、それぞれの人生を精一杯生きていたのでしょう。
ここに来れば、故郷の懐かしい訛を聴くことができる・・・。
ふるさとの訛りなつかし
この日も、ホームには、青い電機機関車が停車していました。
私は、ここから仙台まで、特急「ひばり」に乗って行ったものでした。そしてこの12月、東北新幹線は、とうとう長年の夢だった青森まで繋がります。

吾未木鶏為得

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「吾未木鶏為得」は、「われいまだもっけいたりえず」と読むそうです。
大相撲の横綱双葉山の言葉として有名です。

「木鶏」は、中国の故事で、王から「最強の軍鶏を育てろ」との命令を受けた紀悄子と王との問答を扱った「荘子」に由来しているそうです。
「最強の軍鶏を育てろ」という命令から10日後、王は「もう戦えるか?」と紀悄子に問いかけました。
しかし、「まだまだです。むやみにやる気を見せているだけです」と紀悄子。
また10日後に王が尋ねると、「いえ、まだです。ほかの軍鶏の声や姿にいきりたつ状態ですから」。
さらに、10日たって王が尋ねると、「やっとものになってきました。他の軍鶏が声を上げても一向に動じません」と応じました。
そして、「まるで木彫りの軍鶏のようで、徳が身に付いた状態です。もはや他の軍鶏でかなうものなく、後ろを向いて逃げ出すでしょう」と言ったといいます。
荘子にとっては、あふれる闘志と才能を内に秘めながらも、敵に対して動ぜず、不動心で対峙する木鶏の姿こそ、戦士の理想像だったのでしょう。

先日、大相撲の双葉山の持つ69連勝記録更新を目指していた横綱白鵬が稀勢の里に寄り切られ、297日ぶりに敗れてしまいました。
白鵬は敗因について、「もう1つ(連勝を)伸ばしてやろう。そういうところに隙があった」と語りました。
逆に言えば、稀勢の里は白鵬の不動心を乱すことができたということです。
名横綱双葉山が師と仰いだ安岡正篤は、歴代宰相や財界首脳の指南役といわれた人物。その師に吐露した「いまだ木鶏たりえず」という言葉からは、双葉山が横綱でもあり、哲学者(求道者)だったことも如実に表していると思います。
この教えがあったからこそ、誰よりも、戦いに勝つためには「心・技・体」が一致する境地でいることの大切さを理解することが出来、3年間(1000日以上)もの間、孤独に耐えて自分自身に勝つことが出来たのだと言う人がいました。
歴史の頂に一人いるということは、名誉なことである反面、とてつもない孤独にあるということでしょう。

私は、この大横綱双葉山の現役時代は知る由もありませんが、幼な心に「時津風理事長」という名前が、かすかに残っています。
「お相撲の一番偉いおじいちゃん」ぐらいに思っていました。
昭和43年12月に逝去したそうです。
享年56歳。えっ?56歳? 
おじいちゃんじゃないじゃありませんか!

石川五右衛門

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石川五右衛門と言えば、日本の泥棒で一番有名な人ですが、実のところ、「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」という辞世の句と、「絶景かな、絶景かな・・・」と、南禅寺山門上で市中を眺めて言ったセリフぐらいしか知りません。

落語にも、石川五右衛門が出ては来ますが、あんまりメジャーではありませんね。
どちかと言えば、「鼠小僧」の方がずっと人気がありますよ。
やはり、落語国の主権者は庶民ですから、"義賊"という名前に弱いのでしょう。
それでも、「お血脈(おけちみゃく)」という噺は、あんまり格好のよくない五右衛門が登場しますし、「強情灸」ではオチに"釜ゆで"が絡んで来ます。
でもやはり、「石川や・・・・われ泣きぬれて・・・」がいいですね。

≪石川五右衛門(いしかわごえもん)≫ 1568年?~1594年
安土桃山時代の盗賊の頭目。
確かな経歴は不明だが、実在したことは確かなようである。
出身地も定かではなく、盗賊であったことと、1594年に親子党類ともに京都三条河原で釜ゆでの極刑に処された、ということくらいで、あとは俗説と伝承が混在して、その実体はよくわかっていないというのが現状である。
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≪お血脈≫
その昔、天竺から閻浮檀金(えんぶだごん)という一寸八分の仏様が日本にやってきたが、仏教に反対した守屋大臣(物部守屋)らの手によって、難波池に捨てられた。
後の時代になり、その近くを通った本多善光がその仏を見つけ、現在の信州に連れて行き、お祭りしたところが、その名を取って「善光寺」となった。
その善光寺が知られるきっかけになったのが、「血脈の御印」であった。
この御印をいただくと、どんな悪事を働いた者でも極楽へいけるというのだから、大変な人気を得た訳だ。
ところが、そのために地獄へ落ちる者が少なくなったので、閻魔大王が困り果て、石川五右衛門に娑婆へ行って、血脈の御印を盗んで来いと命じた。
さて、その五右衛門。善光寺に忍び込み、御印を見つけたものの、得意の芝居心で盗もうとしたばっかりに、とんでもない運命が待ち受ける…。

2010年11月25日 (木)

金願亭乱志"独演会"

金願亭乱志独演会
落研の先輩「喰亭寝蔵」師匠から、DVD「金願亭乱志独演会・第一集」が届きました。
昨年から今年にかけて開催された、落研のOB落語会に出演した、二代目金願亭乱志の落語3題を編集してくださいました。

◇浜野矩随    21年11月  創部50周年記念OB落語会
◇花筏       22年  5月  お江戸OB落語会
◇笠と赤い風車  22年 9月  第22回OB落語会

これは宝物です。
寝蔵師匠、本当にありがとうございます。
製作は「寝蔵エンタープライズINC.」です。

昨日の月・今日の月

昨日の月・今日の月 昨日の月・今日の月
曙に残る月2態。
昨日と今日、晴れ間と雲間のそれぞれの月。
雲間の月は、野球のボールのよう。(無粋な表現ですが。)
本日(昨日)の月齢は17.9。満月は22日だったんですね。
ということは、昨日の朝残っていた月は「十六夜(既望)月」。
今朝(昨夜)の月は、「立待月」と言うのでしょうか・・・?
≪満月≫
満月(まんげつ)とは、月と太陽の黄経差が180度となること、あるいはその瞬間。
これを望(ぼう)ともいう。またこの時に見られる月の形をも指す。これを望月(ぼうげつ・もちづき)、盈月(えいげつ)ともいう。
月齢15日目の十五夜(満月)は、ほぼ 日没とともに東の空に昇り、明け方には西の空に沈む。

11月25日

今日は「三島由紀夫事件」が起こった日なんだそうです。
今年でちょうど40年になるそうですが、当時小学生だった私も、覚えています。
三島由紀夫という人がどんな人かは、せいぜいノーベル文学賞の有力候補になっている作家だというぐらいしか知りませんでした。
ただ、市谷の自衛隊駐屯地に乱入し、多くの自衛隊員を前に「決起」を促し、それが叶わぬと知ると割腹自殺を図るという、とてもショッキングな事件でした。
学校から帰った後、近所で遊んで夕方の6時。
テレビの「こどもニュース」で、この事件を伝えていました。
確か女性のアナウンサーが、沈痛な表情で、「信じられない大変な事件だ」と言っていたのを、かすかに覚えています。

文豪・夏目漱石の作品には、三代目柳家小さんなどが実名で登場したり、「三四郎」などでは、落語を参考にしたと思われるストーリーなどがありますが、三島由紀夫はどうなのでしょう。
「金閣寺」は錦の袈裟、「潮騒」は宮戸川・・・なんてことはないのでしょうねぇぇ。

太田南畝

200pxc58cta_nampo 大田南畝(蜀山人)は、江戸天明期を代表する文人・狂歌師。

漢詩文・洒落本・狂詩・狂歌などで知られ、狂歌三大家と言われています。
が、他の2人が誰なのかは全く知りません。

有名な「蜀山人」の号は、大坂在住時から使い始めたようです。
号の由来は、銅の異名を「蜀山居士」と言ったことからだそうです。

1823年(文政6年)の辞世の歌が面白いですよ。
「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」という。さすがに洒落のわかる人だったんですね。

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ところで、確か新宿の熊野神社の境内に、新宿区の指定有形文化財(工芸品) として、文政3年に奉納されたという水鉢がありましたが、これに、大田南畝の書による銘文がありましたよ。
熊野神社には、新宿に勤務していた頃、時々新宿中央公園を通って行っていたので、この水鉢も見たことがあります。
確か、2年半ほど前に、OB落語会で「ねずみ」を演るために、得意の歩き稽古でぶつぶつ言いながら、公園や境内を徘徊したものでした。

さんぼう

「落語の方には"さんぼう"と申しまして、その噺をしていれば、絶対にお客さまからお小言を頂戴しないというのがございます。」・・なんて言いながら、けちんぼう・つんぼう・どろぼうの噺に入ります。
「"さんぼう"と申しましても、"仏・法・僧"の”三宝”ではございません。」なんて。
「まぁ、ご本人は会場にはいらっしゃらないかもしれませんが、もしご家族やご親類にいらっしゃる場合は、予めお詫び申し上げます。」なんてんで、客席にいる?(かもしれない)泥棒の家族にまで仁義を切ろうという、落語の礼儀正しさは素晴らしいですな。
しかも泥棒が市民権を得ているなんていうのは、落語ならではです。
「日本の大泥棒と言えば、石川五右衛門、熊坂長範、袴垂保輔という・・。こういう大泥棒は、後の世の講釈師や浪花節の先生方に大変に金儲けをさせておりますが、落語の方には、こういった大物は出てまいりません。石川五右衛門の子分で四右衛門・三右衛門・二右衛門・一右衛門半なんていう・・・。何もやってもしょうがないから、ひとつ泥棒でもやってみようという・・。"でも"が付きますな。これを"でも泥"と申しまして、失敗ばかりする・・・」。

≪三宝≫
仏、法、僧をいい、この三つは世間において勝れたものであるとして「宝」という。
聖徳太子が『十七条憲法』に「篤敬三宝」といわれ、伝教大師が僧をもって国宝といわれたのも、この意味を示している。

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≪熊坂長範≫
生没年不詳、平安末期の盗賊。
『義経記』によれば、豪商橘次が牛若丸を連れ,奥州に下ろうとしたとき、長範は
美濃青墓で待ち構え一行を襲ったが,かえって牛若丸に殺害されてしまった。実在の人物であるかは明らかでないが,のちの時代に謡曲、浄瑠璃、歌舞伎に取り上げられ、民衆に親しまれた。
≪袴垂保輔≫
盗賊。今昔物語や宇治拾遺物語に、その姿と思われるものが描かれている。
大赦で出獄。逢坂山で死人のふりをし、油断を誘い、着衣などを剥ぎ取った。これを機に、手下数十人を率いる大盗賊となった。

2010年11月24日 (水)

人形町らくだ亭

Logo 「らくだ亭」は小学館が主催する落語会です。
古典落語の正統を心ゆくまで味わってもらうというコンセプトから、出演する噺家さんに「レギュラー制」を採用して開催されています。
今年度のレギュラーは、柳家小満ん・柳家さん喬・五街道雲助・春風亭一朝・古今亭志ん輔の各師匠です。
この5人の師匠方が交代で出演しているという訳。
いずれも「昭和の名人」に弟子入りし、その技と心を吸収してきた平成の名匠、という謳い文句です。
古典落語は江戸・明治以来、代々の名人上手によって語り継がれてきました。
江戸っ子の生き方は現代人への鋭い批評となり、江戸っ子のユーモアは日々の緊張や不安を笑い飛ばしてくれます。
かつての江戸の中心地、人形町の日本橋劇場を本拠とする「らくだ亭」は、この優れた無形遺産を未来へ語り継ぐ「架け橋」でありたいと願っております。
・・・だそうです

  
◆ 道灌                                春風亭朝呂久
  ◆ 干物箱                              三遊亭司
  ◆ 大晦日浮かれの掛け取り       林家染丸
  ◆ 厩火事                              柳家小満ん
  ◆ 淀五郎                              春風亭一朝

一緒に行ったIさんもご満悦だった様子。
朝呂久さん、持っている着物が縞模様の1着だけでないことが分かり、安心しました。
他人のことは言えませんが、「趣味はダイエット・特技はリバウンド」の朝呂久さん、若いのに、最近は"特技"が勝っているようです。
司さんは、そうか・・あの三木助さん(四代目)のお弟子さんだったんだ・・。そうか・・・。
染丸師匠は、上方落語ですが、江戸落語の愛好者からも受け入れられる、品性を感じさせる高座です。
何と言っても、芸の素晴らしさは当然として、高座への出入りの仕草がきれいです。
小満ん師匠は、高座に座るとすぐに湯呑みに手を伸ばしてまずは一服。この間(ま)が絶妙なんです。
2日連続で聴く一朝師匠。「私は春風亭一朝と申しまして・・」で起こる拍手。高座と客席が一体となります。
こういうのって、噺家さんにもたまらない至福の瞬間でしょうね。
「・・ですから今日も一朝(一生)懸命にやります。」
今日の「淀五郎」で一番見応え(聴き応え)があったのは、中村仲蔵が淀五郎の判官を見てやる場面でした。
キセルで煙草を吸いながら、仕草だけで淀五郎の所作を見ている。
その間、何十秒・・無言。ラジオ放送なら、放送事故だと思われるほど、長い無言のシーンでした。
芸というのは、地道に続けること、そしてその時間の尊さのようなものを感じました。
この落語会は、毎月通うことにしましょう。

宵の月・曙の月

宵の月・曙の月
別に風流心などある訳ではなく、せいぜい落語「茶の湯」の"風流"ぐらいのものですが、昨日は"お天気雨"だったので、陽が落ちても空が気になって、何度も見上げました。
ほとんど丸くなった月が、東側の空に雲間隠れに見えました。
街の灯りに邪魔されて、月の光の優しさは感じ辛いですが、明日は望月かという姿が、興趣をそそります。
宵の月・曙の月
晩秋の曙、一転晴れた西の空に残る、昨夜と同じ月。
携帯カメラでは映しきれませんが、陽が昇る朝の紅葉越の月も、陰と陽の見事なコントラストです。

10年日記

先日帰省した時に、母から「10年日記」が欲しいとリクエストがありました。
その後、銀座に行くついでがあったので、早速大きな文具屋さんで探して送り(贈り)ました。
2011年から2020年までの10年間、毎日の日記を書くことができるという代物です。
母から、「この日記(帳)が満行になるまで頑張るよ」というコメントが返って来ました。
母は、来年80歳。
この日記の欄が全て埋められるのは、90歳になる直前。
奇しくも、自分の母親(私の祖母)が逝った歳と同じになる頃です。
きっと、母なりの色々な思いがあってのことでしょう。
この日記帳の各日々の僅かなそれぞれのスペースに、母はどんな思いを綴って行くのでしょうか。
俳句?父の愚痴?体調のこと?それとも子や孫のこと?
奮発して、総革張りの立派なものを誂えようかとも思いましたが、まあ許してくれるでしょう。

それにつけても金のほしさよ

「根岸の里」の次はこれをはずす訳にはいきません。
今度は短歌・和歌の世界で、どんな上の句にも必ずつながるという下の句ですよ。
太田南畝(蜀山人)の「世の中はいつも月夜と米の飯それにつけても金の欲しさよ」が元歌だと言われているそうです。
250pxexcecution_of_goemon_ishikawa

落語には、もうひとつ名句があります。
そうです。「われ泣きぬれて蟹とたはむる」というやつ。
 「石川や浜の真砂は尽きるともわれ泣きぬれて蟹とたはむる」ですよ。

最近巷では、「それにつけてもおやつはカール」というのもポピュラーになっているようです

万が一、本気にする人がいるといけないので、念のために、石川啄木の名歌と石川五右衛門の辞世の句も掲げておくことにします。
 「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」
 「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」

・・・・以上、"すぎ書きすらのはっぱふみふみ"です。

2010年11月23日 (火)

花形演芸会

花形演芸会
陽が射しているのに雨が降るという、田舎では「狐の嫁入り(祝言)」などと言われる変な天気。
今日の国立演芸場は「満員御礼」です。

  ◆ 子ほめ            春風亭一力
  ◆ 初天神            桂しん吉
  ◆ 試し酒             柳家三之助
  ◆ 片棒               春風亭一朝
  ◆ 五人回し          春風亭一之輔
花形演芸会
このほかにも、浪曲あり、パントマイムあり、漫才ありと、木戸銭1,800円はコストパフォーマンス極めて良好。
一力さんは、先日の一之輔さんの会の時に見たので、忘れていません。しかも、「子ほめ」ですからね。
「どう見ても半分でございます。」で落としていました。
三之助さんは久しぶりでした。
清潔感のある、明るい高座は相変わらずで、さりげなく見える赤い襦袢と赤い手拭いが、ねずみ色の着物に映えて憎かったですよ。
一朝師匠の人気は本物ですね。こういう噺家さんが認められるというのは嬉しいです。
やはり、ご本人が仰るとおり、地道に「一朝(一生)懸命」やって来た賜物だと思います。
一之輔さんの大ネタ。受けていました。

金明竹じゃないけれど・・・

「往生際の悪い、あの大○○大臣が、とうとう(やっと)辞表を出した(更迭された)ってさ。」
「何ぃ、更迭されたぁ?法務大臣が? おいおい、だけどあの大臣には、北朝鮮の"拉致問題"も担当していたはずだが、それはちゃんと解決できたのかい?」
「いいえ、全く"埒が明かず"でございます。」

≪拉致(らち)≫
ある個人の自由を奪い、別の場所へ強制的に連れ去ること。
≪埒(らち)が明かない≫
なかなか、思うように物事が進まず、途中で,止まっているような状態。はっきりしないこと。はかどらないこと。
≪埒(らち)≫
①かこい。さく。馬場の柵。②物事の限界を決める区切り。

根岸の里のわび住まい

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落語「茶の湯」に出て来る根岸の里。
ただいまの賑やかさ?とは正反対の、静かに余生を送ることができるような、のんびりした場所だったようですな。
それにしても、変わりようの凄さと言ったら・・・。

「根岸の里のわび住まい」という言葉をよく聞きます。
これは、このフレーズの頭に季語をつければすぐに俳句ができる句としてよく知られているのでありますな。
初代柳家小せんの「失明するまでに」によれば、これは(八代目)入船亭扇橋が詠んだ「梅が香や根岸の里の侘住居」が元になっているということです。

・・ということは、
「目には青葉根岸の里のわび住まい」
  「夏草や根岸の里のわび住まい」
    「柿喰えば根岸の里のわび住まい」
      「初雪や根岸の里のわび住まい」 ・・なるほど。

"落語ブーム"のこと


柳家さん喬師匠が、先日の「雪の瀬川を聴く会」の時に、落語という芸能、落語ブームについて、仲入り前の「ちりとてちん」のマクラで触れていました。
(細かい部分は違っているかもしれませんが、概ね・・・)

数年前に「落語ブーム」と呼ばれ、テレビドラマや映画や本など、落語に関係するものがブームになった。
しかし、テレビ番組でも、落語そのものの番組(演芸番組)は全く増えていない。
だから、あのブームは、落語のブームではなく、落語の周りのもののブームだった。
そのブームが一段落した今、ちょうど落ち着きを取り戻したところ。
以前、どんな娯楽が一番好きですかと質問されて、「落語・寄席」と答える人が、都内に何人ぐらいいるのか調べたことがあるが、確か2000人ぐらいだった。
東京都の人口1200万人の中の僅か2000人程度の方々が、寄席や様々な落語会に通ってくださっている。ささやかな規模だから、どこに行っても、必ずどこかで見たお客さまがいる。
あらゆる機会で、新しいお客さまを増やしていかなくてはいけない。

フランスでは、日本の3大芸能は、「能狂言」「歌舞伎」そして「落語」だと言われているそうだ。
「能狂言」や「歌舞伎」は、形を伝えていく伝承芸だが、落語は伝承芸とはいえ、形を伝えるものではない。
だから、落語の芸はその高座(その時代)の瞬間に消えて行くもの、変わって行くもの。
時代に合う、時代が求める噺が残り、そして磨かれて行く。
合わなくなった噺は演者もいなくなり、やがて消えて行くことになる。
が、一旦消えても、時代に合う、時代に合わせられる噺家によって復活するものもある。
落語は、今を語り、すぐに消えて行く伝承芸。


落語ブームに対する見方は、角度こそ違うものの、非常に同感できるものでした。
圓窓師匠もそうですが、こういう師匠がいらっしゃる限り、落語はずっと残っていくものだと確信します。

以下は、私が落研創部50周年記念誌に投稿した内容です。
「落語ブーム・考」
   〜金願亭乱志(仙都に笑いを・創部50周年記念号より)

http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/10/post-f2f3.html
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2010年11月22日 (月)

月曜日の朝・・

月曜日の朝・・
予想していたとおり、市議会議員という身近な選挙ですから、今朝の駅の入口は、"当選御礼"に立っている"先生"方数名が、「ありがとうございました」・・。
そして、明日から、何事もなかったように、誰も立たなくなり、いつもの静かな駅に戻ることでしょう。
ところで今日は11月22日で、「いい夫婦の日」だそうで。何が良い夫婦なんでしょうかねえ。
「厩火事」のおさきさん夫婦なんて、いい夫婦だと思いますがねぇ。
また、暦の上では「小雪(しょうせつ)」。
駅の近くの戸定通りの木々も、色づき散り始めています。

ああら我が君

落語「たらちね(垂乳根)」に出て来る、言葉が丁寧なお嫁さんの台詞は、落語好きの間ではお馴染みですね。
「自らことの姓名は、父は元京都の産にして、姓は安藤、名は慶三、字を五光、母は千代女(ちよじょ)と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見て妾(わらわ)を孕めるが故に、垂乳根の胎内を出でしときは鶴女(つるじょ)、鶴女と申せしが、それは幼名、成長の後これを改め、清女(きよじょ)と申し侍るなりぃぃ。」
要するに、八五郎に名前を尋ねられたのですから、「(お)清と申します」と言うだけでいいのに・・・。
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「賤妾浅短にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す」 ・・・ こんな言葉を、一度でいいから三つ指をついた人から聞いてみたいものです。
「賤妾・浅短」は「せんぎょく・せんだん」と読み、賤妾は妻の夫に対する謙称、 浅短は浅はかで不十分なさまを指すそうですから、「(私は)ふつつかで無学ではありますが、(せめて)勤勉にお仕え申し上げたく存じます」という意味になるようです。
実に奥ゆかしい・・。

「恐惶謹言」というのは、恐れかしこまり、つつしんで申し上げるという意味で、相手に敬意を表するために手紙の末尾に用いる言葉です。
「よって件の如し」は、従って前記記載のとおりですという意味で、やはり書状や証文などの終わりに用いる語句ですから、「酒を飲むのは、酔って件の如し」と言っているのでしょう。

DVDのデザイン

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寝蔵師匠が、ご無理をお願いしている「金願亭乱志独演会(仮称)」のDVD編集で、ディスク面に印刷するデザイン案を作って送って下さいました。

9月のOB落語会の写真が入り、「金願亭乱志独演会」と寄席文字で配置され、
「浜野矩随」・「花筏」・「笠と赤い風車」の3題が書かれています。

なんとも照れ臭い感じがしますが、別に他人に迷惑をかける訳ではないですから。

とにかく大先輩のご配慮にはもう大感激で、早速「よろしくお願いしま〜す」と返信しました。

雪の瀬川

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柳家さん喬師匠の1時間30分にわたる長講。

落語に出て来る典型的な若旦那が主人公の人情噺です。
毎日本ばかり読んでいるのを心配した父親が社会勉強にと、古河から江戸に出された若旦那の下総屋「鶴次郎」。
番頭の画策で知人の幇間に上手く吉原に連れて行ってもらいます。
鶴次郎は、そこで出会った花魁の「瀬川」に一目惚れして、通い詰めて大金を遣ってしまい、遊び過ぎだと勘当されてしまいます。
勘当された鶴次郎が、生活のあてもなく茫然としていると、昔、古河の店にいたが駆け落ちして出て行った奉公人と出会い、その家に住まわせてもらうことになりました。
鶴次郎は、この恩に報いたいと瀬川に金を用立てて貰うよう手紙を書きます。
瀬川もまた鶴次郎に真から心を寄せ、その身を案じていたので、その手紙に驚き、雨の日に会いに行くという返事を書きます。
そして、正月も明けたある日、雪が降りはじめ、夜になると江戸は真っ白に雪化粧。
寝始めた頃、侍の格好に変装した瀬川が本当にやって来るのです。
そして春になり、二人は夫婦になることを許されるのです。

「雪の瀬川」という題名にあるとおり、最後の場面の情景描写が実に感動的でした。
しんしんと降り積もる雪のはかなさに、命を賭けてやってきた瀬川の真っ直ぐな想いが重なり、迫って来るようです。
さん喬師匠が、この噺が後世に伝えられるか・・と仰っていました。
いや、江戸時代の日本人の人情を描くこの噺は、間違いなく後世に残っていくでしょう。

2010年11月21日 (日)

浮世絵展

浮世絵展
頓平師匠が、原宿の太田美術館で開催中の「ハンブルグ浮世絵コレクション展」のチケットを譲ってくださったので、早速出かけました。
中高生ぐらいの若者たちでごった返す原宿駅から、人混みを縫うようにして表参道に出た後、美術館のある路地に入ると、表通りの喧騒が嘘のよう・・。
もとは、当然日本にあった多くの貴重な美術品を、戦争などを挟んで、外国のコレクターが収集し、海外に持ち出したも品々の、いわば「里帰り」です。
「あぁぁ、この素晴らしい浮世絵は、今は日本にはないのかぁ・・・。」と思うと、非常に残念な気もしますが、逆に、あの戦争の混乱で失くなったり・壊されたりせず、現代に残されているという局面もあるのでしょう。
単なる浮世絵の鑑賞ではなく、落語に触れる上からも、物凄く参考になるものも多くありました。
頓平師匠からのプレゼントに感激でした。

千葉都民・・

千葉都民・・
今日は、我が住む町の市議会議員選挙です。
選挙の直前だけ、駅の入口に立って「お願いしま〜す」と頭を下げるという騒ぎは、明日からなくなる訳ですね。
そんな感想しか出ないというのは、候補者に対してのみならず、有権者としての自分も恥ずかしい気持ちは否めません。
千葉都民・・
11時過ぎに投票所へ行きましたが、投票率はまだ1桁という、いつも以上(以下?)悲惨な数字。
投票を終えて出ようとすると、背中に「ご苦労さまでした」と、複数の係員の人たちの声を受けたので、振り返ってみると私1人だけ・・。
千葉都民・・
人口48万人を擁する町の市役所本庁に設置された第1投票所の、お昼ちょっと前の状況でした。
そう言えば、ある候補者が、駅頭に立って、「私は選挙カーを一切使わずに選挙運動しています。選挙カーの経費にも税金が使われていますから、私は税金の無駄遣いはしない・・。」ですって。
全く分かっていないことを自慢気に叫んでいました。
日本は大丈夫かなぁと思います。
答弁の言葉を2パターンしか知らないという、「金明竹」の松公みたいな国会議員先生でも、法務大臣の地位につくことができるんです。
あ、松公は、「紙は紙・・」と言うのを機転を利かせて「皮は皮・・」ぐらいは言い換えられますから、この大臣は、松公よりもっとレベルが低いんだ・・。
ヒョンゴラ、ヒョンゴラ・・って、駄目だこりゃあ。

OB落語会のDVD

   OB落語会の映像 OB落語会の映像
寝蔵師匠が、9月に仙台で開催した「OB落語会」の映像をDVDに編集して、送ってくださいました。
早速、自分の映像を見て唖然・茫然・・。
それはそれは、自分の演ったイメージとは全くの別物で。
ちょうど、自分の声の録音を聴いて、「こんな声じゃない!」と叫ぶのに似ています。
それに加えて、稽古不足が歴然としています。言葉がすんなり出ていない・・。
彦六師匠の人情噺なので、まだ言葉の早さなどでカバー出来たとはいえ、まあ酷いものでした。
さらに恐ろしいのは、2度目に視聴すると、「まあまあかな・・」なんていう感覚が芽生えて来ている・・。
いつもの寝蔵師匠のご厚意に感謝、感謝。
しかも、今回の映像も含まれる、「金願亭乱志独演会」(仮称)で今までのOB落語会での3席の編集もご快諾くださいました。
学生時代は雲の上の存在だった憧れの先輩、「名人寝蔵」師匠に・・。とても幸せなことです。

伊勢屋、稲荷に犬の糞

花のお江戸の名物といえば、「武士・鰹・大名小路・生鰯(広小路)・茶店・紫・火消し・錦絵。火事に喧嘩に中っ腹。伊勢屋・稲荷に犬の糞」・・・です。
最後の「
伊勢屋・稲荷に犬の糞」という言葉にあるとおり、江戸の町には、この3つがやたらと目についたそうですな。

「伊勢屋」というのは、伊勢(三重県)出身の商家のことです。
幕藩体制が整ってくると、江戸へ進出してくる商人が増え、とくに、伊勢、三河、近江、京都、堺などの商人が進出し、出身地を屋号としたため、江戸中に伊勢屋、三河屋、近江屋といった看板が立ち並ぶことになったのだそうです。
就中、江戸初期には、木綿や紙・荒物・椿油・菜種油・茶などを商う「伊勢屋」の看板が最も目立ったとか。
江戸という街は、17世紀になってから作られた街ですから、全国から人が集まって来たという訳ですね。神田駿河台や佃島も、幕府が諸処の理由から地方の人たちを江戸に呼び寄せて住まわせた地名の名残りです。

「稲荷」の総本山は、京都の伏見稲荷大社。
もとは帰化人である秦氏の氏神で、平安時代、秦氏が政治的に力を持つと、京全体で信仰されるようになったそうです。Image
「稲」という言葉が入るように、当初は穀物や農業の神でしたが、中世以降に商工業が発展すると、開運の神様として全国的に広く信仰されるようになり、江戸中に朱色の鳥居や祠が建てられたということです。

さて、最後の「犬の糞」。当時は野良犬がウロウロしていて、犬の糞が方々にころがっていたそうです。

この数の多い3つを合わせて、「伊勢屋、稲荷に犬の糞」というようになったという、実に薀蓄(ウンチく)のある?お話です。
お尻(あと)がよろしいようで。

2010年11月20日 (土)

志ん輔・扇遊の会

志ん輔・扇遊の会
学士会落語会例会後の懇親会に参加し、ちょっとほろ酔い気分で上野に急ぎます。
土曜日の夜の賑わいの中、鈴本演芸場に入りました。
志ん輔・扇遊の会
特別興行でもあり、席は指定席になっていますが、開演前から満席に近い状態で、熱気に溢れていました。
この二人会の企画は、昨年の興行に続いて2回目なんだそうです。

  ◆ やかん      春風亭ぽっぽ
  ◆ 厩火事      入船亭扇遊
  ◆ 居残り佐平次  古今亭志ん輔
  ◆ 高田馬場     古今亭志ん輔
  ◆ 鼠穴        入船亭扇遊

気がついたのは、この二人の対照的な高座への上がりです。
扇遊さんは、袖から出ると少し前かがみになって早足でススーッと進み、お辞儀するまでスピーディな動きです。
一方の志ん輔さんは、ゆっくりと出て、ニコニコしながら高座に進み、一度股割りをするように座ります。
考えてみると、二人の出囃子がそのまんまですよ。
落語「長短」を思い出しました。

それにしても、この芝居は本当にいい企画ですね。
今日は、学士会落語会から長講を聴き続け、正直なところ座り疲れもなしとはしませんでしたが、いやぁ〜、充実していました。
追い出し太鼓に乗せられて町へ出た時には、もう9時40分になっていました。
一緒に行った頓平師匠と、「今夜は遅いし、始まる前にお互いにちょいとやっているし、このまま帰ろうか」という訳で、帰りの電車に乗りました。

「鼠穴」は、三遊亭の噺です(だと思います)。
先日のさん喬師匠の「雪の瀬川」も。
いずれも”柳派”の噺家さんが、見事に語っている・・。
これはこれでいいのでしょうが・・・。

学士会落語会

学士会落語会
学士会落語会の総会と例会に出席しました。
学士会館の前の木々の葉も色づいています。
お日柄もよろしかったらしく、学士会館でも結婚披露宴などで賑わっていました。

学士会落語会も設立5年。
総会では、この1年間の活動や会計などの報告を受けました。
個人的には、やや例会への出席率があまり良くなかったかなぁ、という気がします。
ただ、何と言っても9月の例会で、「ねずみ」でトリをとらせていただいたことは、今年の落語徘徊ニュースのベスト3に入ることは間違いありません。
学士会落語会
総会が終わり、例会に移ります。
今回は、例会で初めて講談を鑑賞することができました。
例によって、代表委員の山本先生のレクチャーで、落語と講談の違いなどの説明の後、いよいよ・・・。

  ◆ 四段目        隅田川馬石
  ◆ 梶川与忽兵衛   寶井琴星
    ◆ 大石東下り     寶井琴星
   ◆  中村仲蔵      隅田川馬石

全て落語・講談で共通の題材である、赤穂浪士に因む演題です。
史実?を"読む"講談(講釈)は「赤穂義士伝」、「仮名手本忠臣蔵」という芝居を題材に"語る"落語は「忠臣蔵」という違いが面白い。
それから、講釈の先生方は、"読む"訳ですから、落語のように上下(かみしも)は切らないそうで、一見同じように高座で演じられていても、やはり随分違うものだと知りました。
こういう企画は、やはり学士会ならではですね。
大変面白いひとときでした。
頓平師匠や四分椿師匠と、最前列で聴かせていただきました。

例会の後、委員の方々にお誘いをいただき、懇親会(打ち上げ)にも参加させていただきました。
馬石さんは寄席出演のため帰りましたが、琴星先生は残って懇親会にもご参加くださり、また楽しい時間になりました。

お見舞い

圓窓師匠から私の携帯に電話をいただきました。
「流三さん。Oさんはまだ入院しているの?」
師匠に、落研の先輩の朝大師匠が、ちょっと体調を悪くして入院したことを話しましたので。
「はい、まだ入院中のはずです。」
「そう。お見舞いに行こうと思うんだけど、病院はこの間きいた・・・」
「はい。是非お願いします」

・・・というやり取りがあったその日の夕方、そのお言葉通りお見舞いに行ってくださり、1時間近く話してくださったそうです。
喜んだ朝大師匠が、同期の団巣師匠に電話で連絡されたとのことで、団巣師匠が落研OBのMLで教えてくださいました。
師匠と朝大師匠とは、落研現役時代・師匠の二つ目時代からの長いおつきあいだそうですから、師匠もご心配くださり、わざわざお見舞いに行ってくださったのでしょう。
ありがとうございます。

昨日の東京落語会

昨日の東京落語会には、大事な用事が出来てしまい、残念ながら行くことができませんでした。
すると、いつもご一緒させていただいている、先輩の頓平師匠が、早速落研OBのMLに昨夜の様子を投稿してくださいました。
勝手に、一部をそのままご紹介させていただきます。
頓平師匠、すみません。

昨日の乱志さんのブログに権太楼さんがさる落語会を休演したとあった。

東京落語会では「猫の災難」が予告されていたが休演。
代わって金馬の「試し酒」。
80歳を超える大御所が代演するとは金馬さんは偉い大したもんだと思いました。

その他は一之輔(初天神)、金時(ふぐ鍋)、歌之介(代り目)、園輔(火事息子)、中入り後は平治の掛取りと金馬。
一之輔の初天神は先に行われたNHK新人演芸大賞受賞による特別出演か?大賞の際TV(ビデオ)で見た時とは父親と金坊とのやり取りをかなり変えていた。
乱志さんが来なかったので代っての報告。
帰りは一人寂しくもつ焼きと煮込みで熱燗を2杯。  

すみません。
落語はともかく、最後の一行が申し訳なくて・・・。
それにしても、権太楼師匠のご体調が心配です・・・。

くわばらくわばら・・・・

雷が落ちないようにというおまじないに「くわばら、くわばら」というのがあります。転じて、種々災い除けのおまじないとして広く使われているようです。

この起源には諸説あるそうですが、菅原道真に関わる説が一般的だと言われます。
大宰府に流された菅原道真は、憤死して「雷神」と化し、復讐をしたと言われています。
この時、道真の故郷にあった「桑原」にだけは、雷を落とさなかったそうです。
後に、雷除けのおまじないとして「くわばら、くわばら」と唱えるようになりました。
さらに、叱られたり、お小言を言われる事を「雷が落ちる」と表現したことから、これにも「くわばら、くわばら」と唱えるようになりました。
それにしても、道真公は、「天神」だけでなく「雷神」でもあったなんて、スーパーマンですね。

2010年11月19日 (金)

東京落語会は欠席・・

今月の東京落語会は、故あって行かれず。
権太楼師匠が、数日前の落語会で体調不良で休演されたという噂を聞きましたが、今日は元気に高座に上がられたでしょうか。

疝気・癪・瘡

今回はあまり綺麗な話題ではありませんが、「疝気」・「癪」・「瘡」なんていう。
「せんき」・「しゃく」・「かさ」と読み、いずれも病気です。

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医学が進歩していなかった当時は、今なら全く異なる病気でも、同じように括っていたことも多かったでしょう。
「悋気は女の慎むところ、疝気は男の苦しむところ」なんて言われて、男性が病んだものを広く「疝気」と言っていたようです。
女性の場合は「癪」と言い、それぞれ様々な病気を総称していたようです。
一方、「瘡」は、疝気や癪とはちょっと違い、別格だったようです。
先日話題になった柳家小せんも、あの三遊亭圓朝も、この病気に苦しみ・悩み、これが原因で他界したのではないでしょうか?
現代は、治す薬もあるようですが、当時は重い病気だったそうです。
偶然、「落語百選」の最新号で、落語と病気のことを特集していたのですが、非常に驚いたのは、当時(江戸時代から明治時代)は、眼病が多かったんだそうです。
説明によれば、不衛生な手で触れることにより、失明にいたるような症状の眼病が多かったと。多分に栄養面での原因もあると思いますが・・・。
・・あぁぁ、それで、目の不自由な人を扱った落語が多いのも、こういう世相の反映かもしれません。
「心眼」「景清」「言い訳座頭」「三味線栗毛」「真景累ヶ淵~宗悦殺し」・・・。
エコ都市だとか、江戸文化だとか、言葉にすると綺麗ですが、まだまだ全体が不衛生で汚なかったことでしょう。
なんと言っても、当時の江戸の名物が「武士・鰹・大名小路・生鰯(広小路)・茶店・紫・火消し・錦絵。火事に喧嘩に中っ腹。伊勢屋・稲荷に犬の糞ですからね。

若手の噺家さん

先日の「馬津郷寄席」の時でした。
開場待ちの数人の列に並んでいると、突然隣に並んでいた初老の男性から、「今、前を通り過ぎた前座さんの名前知ってますか?」という質問を受けました。
私も、「ここのところ何回かは、弟弟子の朝呂久さんがお手伝いに来てくれていたけれども、さっきから自動販売機に飲物を買いに行かされたりしている男の子は、なんていう名前の前座さんだったかな。1・2度聴いたことがある気がするなぁ。」と思っていたところでした。
「すみません。知りません。」と答えました。
・・・「知らない」って答えるのは、実はとても悔しいけれども、本当に思い出せなかったから・・・。
馬津郷寄席
「おい、ボク、あんた何ていう名前なの?」
・・・と、用事から戻って我々の列の横を通ろうとした件の前座さんに、先ほどの男性が尋ねました。
「はい、一力(いちりき)と申します。」
「師匠は? 一朝さんかい? じゃ、一之輔さんの弟弟子だね・・。」
「そうです。」
「今夜は一番応援するから、しっかり頑張んなよ。」
「はい。ありがとうございます。」
・・・という、大変に清々しいやり取りがありました。
(気の弱い私には、こういう声はかけられないのです・・。)
「春風亭一力」さんか。そうだ。やっばりどこかで聴きましたよ。
元気があって好感の持てる前座さんだったことは、既にご報告のとおりです。

「馬津郷寄席」では、やはり同門の「春風亭一左(いっさ)」さん。
二つ目になって2年たったということでしたが、前座の頃は何度も聴きましたよ。
それから、柳家さん喬師匠の「雪の瀬川を聴く会」では、小太郎さんが頑張っていました。
彼も、二つ目になったばかり。
前座の頃は、「小ぞう」という名前だったと記憶しています。
名前と同様、ガキ大将そのままの、子ども子どもした雰囲気だったのが、羽織を着て「二つ目です」と言って出て来る。

そういえば、市馬さんのお弟子さん3人もよく聴きました。
市朗・市丸・市也というトリオでしたが、上の二人は、市楽・市江と名前が変わり、二つ目に昇進しています。

彼らのような息子世代の噺家さんの出世を見るのも、とても楽しいことです。

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2010年11月18日 (木)

週刊こどもニュース

昔から「無学者は論に負けず」と申しまして、「知らないというのは恥ずかしいし、面白くない。さりとて知ったかぶりも疲れる。ところが、今さら他人には訊けない。」なんてぇことは、よくあるものですな。

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そういう時に、「あぁ、そうだったのか!」と、教えてもらえると、これまた大変嬉しいもので。
そんな便利なテレビ番組で、NHKの「週刊こどもニュース」というのがありました。
土曜日の夕方に放送されていた時は、かなりの頻度で視聴していたものでした。
ところが、子ども向けのこの番組の視聴者が、実はお年寄りばかり・・・、ということで、NHKは、「週刊こどもニュース」の放映を終了すると発表したそうです。
お笑い芸人が出て来る、安っぽいクイズ番組などに比べたら、子どもを対象にしているとはいえ、大人にも役に立つ番組だったので、大変惜しい気が゜します。
尤も、このコンセプトは、この番組のキャスター(お父さん役)だった池上彰さんが、民放の別番組でやっています。
昨日は、「留置場」と「拘置所」と「刑務所」の違い、なんていう話題もやっていました。
「矢が当たってカーン、矢っカーン、ヤッカン、やかんになったぁ。」

必死のパッチ

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ある人と何気なく喋っていて「必死のパッチ」という言葉の話題になりました。
よく関西で使われている言葉だったと思います。
使われるようになったのは、昭和50年前半の頃のようで、「必死のパッチで~する(した)」 というふうに使われていたようです。
上方の噺家さんのブログの名前にも使われているようです。

ある説によると、「必死のパッチで」の「必死」は、一般的な「一所懸命」、「パッチ」というのは
それを強めるために付けられたのではないかと。
「パッチ」をつけると、音感的にもいかにも一生懸命ものごとに取り組んでいるという感じになるという・・・。
ホンマかいなってなもんですが。
このあたりが、上方の言葉の表現の豊かなところかもしれません。
関西では、股引のことを「パッチ」と言いますが、これと関係があるという説もあるようです。
褌を締めてというのと、同じようなニュアンスもあるのでしょうか・・・。
パッチを穿かない私には、そのあたりはよく分かりませんが・・。

【パッチ】※大辞泉より 
《朝鮮語から》股引(ももひき)の一。江戸では絹製をいい、関西では布地に関係なく丈の長いものをいった。

・・・このプログも、落語の稽古も、必死のパッチです。

OB落語会のDVD

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またまた喰亭寝蔵師匠の献身的なご尽力により、9月のOB落語会のDVDが完成したとのこと。
またまた近々、送ってくださるとのこと。
楽しみに待つことに・・・。

それから、最近のOB落語会の録画を集めて、「金願亭乱志独演会(仮称)」というのを編集していただけないか・・・、図々しくもお願いしてみました。

二代目金願亭乱志独演会・「花筏」「瘡と赤い風車」「浜野矩随」という・・・。

莨・蝦蟇・幇間

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まだまだあります「莨」・「蝦蟇」・「幇間」。
「たばこ」・「がま」・「たいこ(ほうかん)」。

莨(たばこ)は、勿論、この間大幅に値上げされた煙草(タバコ)です。
落語には、上方ネタで「莨の火」というのがあります。大阪の豪商「鴻池」が出て来る噺です。
桂文枝師匠の十八番だったようです。

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蝦蟇(がま)は、言わずと知れた「蝦蟇の油」の「がま」です。
ヒキガエルの別名でガマガエル、ガマ、イボガエルとか・・・。
私は田舎者のくせに、このガマガエルが大嫌い・苦手なんです。
だからこの話題はこれでおしまい。

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幇間(たいこ)は、宴席やお座敷などの酒席において、主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる男性の職業です。別名太鼓持ち(たいこもち)。
歴史は古く豊臣秀吉のお伽衆を務めたと言われる曽呂利新左衛門を祖とすると伝えられています。
呼び名の語源は「太閤(秀吉)を持ち上げる」というところから転じて「太閤持ち→太鼓持ち」と呼ばれるようになったという説や、鳴り物である太鼓を叩いて踊ることからそう呼ばれるようになったとする説などがあるそうですが、現在"絶滅"寸前の職業です。
落語では、間抜けでドジな幇間が多く登場しています。幇間の一八さん。

2010年11月17日 (水)

来年の1月9日・・・

20seiki_hall 来年の1月9日、金願亭乱志は、とうとう地元の老人会の新年会で落語を一席お伺いすることになりました。

家内が、「ウチの馬鹿(におしゃべりな)亭主が落語をやっている」と、どこかで友だちに漏らしたのが伝わって、事前に芸の確認をすることもなく、その友だちから家内を通じてオファーがあったという、呼ぶ方も、呼ばれる方も、非常に向こう見ずな企みです。

20seiki_hall_plan

そういう話にはなっていたものの、お互いに連絡することもないままでいたのですが、さすがに本番まで2ヶ月を切り、ネタの仕込みの都合もあったので、世話役のような方に電話をしてみました。

親交会なるものが1時30分ぐらいに始まり、私の出番は2時30分頃の予定だとか。
そして、私の後は、踊りやら歌もあり、夕方まで続くそうです。
以下のようなやり取りがありましたが・・・・。
「プロではありませんから、あまりご期待されても困りますが、どんな噺がいいですか?時間的には30分強ぐらいだと思いますが、短めのもの2本がいいですか?それとも30分ぐらいの長めのもの1本がいいですか?」
「聴くのは年寄りが多いですから、あんまり笑いが多いものより、人情ものがいいかなぁ。」
「そうですか。それでは30分ぐらいの噺を準備して行きます。どんな会場ですか?」
「机と椅子を並べて50席ぐらいで、かなりの広さです。舞台もあります。何か準備するものはありますか?」
「特にありませんが、座布団を1枚だけご準備いただけますか?」
「やはり座布団が要りますかぁぁ。じゃあ家から赤い座布団を持って行きます。」
・・・・こんな感じ・・・。
どうやら、薄いカーペットみたいなものを敷いただけでやらそうとしていた様子。
板の間で30分は洒落になりませんからね。

人情ものがいいということなので、「浜野矩随」か「ねずみ」か「笠と赤い風車」あたりかと思います。
最初は、「子ほめ」と「花筏」か「三方一両損」の2本立てを考えていたのですが・・。
でもまあ、その時の状況もありますから、「子ほめ」と「花筏」はさらっておかないといけないかな?
急にそわそわして来ました。
吉か凶か、とにかくやってみることにします。

AED

AED
正式には「自動体外式除細動器」と言うのだそうです。
心臓が停止状態になった時にも電気ショックを加えて蘇生させようという医療機器です。
最近は、色々な場所で見かけます。
会社のビルにも、自宅マンションにも設置されていて、かなり視界に馴染んで来ました。
使用方法の講習なども受けましたが、果たして、本当に現場にぶつかった時に、上手く使うことが出来るか、心配ではありますね。
こういうものは、頻繁に使うものではありませんから、恐らくしつかりしたメンテナンスが必要だと思います。
「いざっ!」という時に充電されていなかったりしたら・・・・。
実際にそういう事故もあるそうです。「消火器」とは違いますからね。

「粗忽長屋」の浅草観音様の裏の行き倒れも、これを使っていたら、もしかすると助かったかもしれません。
そうすれば、熊さんが、自分が誰だか分からなくなることもなかったかもしれません。

ややブラックですが、以前にどこかで見た「消火器」。
なぜか「火」の字のチョンチョンが消されて、「消人器」になっていました・・・・。
くわばら、くわばら・・・・。

成長の記録

2009_10310033

左の写真は昨年の今頃、11月の「東京スカイツリー」の様子です。

それから1年経ちました。
新しい東京のランドマークは、順調に成長を続けています。

落語のネタも少ないところで、以前このブログでご披露した東京スカイツリーを見返して、その成長の後を辿ってみることにします。
雷門から 
今年の1月に雷門近くから見たところです。
まだ、アサヒビールの本社ビルを超えたぐらいの高さですが、そろそろ周囲から目立ち始めました。

2010021600000017maipsocithum000smal2010022716310002月になると、高さが300メートルを突破しました。
東京タワーの高さを凌駕する直前の姿です。
ミーハーな私は、友人の「Iさん」と二人で、わざわざ押上駅まで行って、工事現場を見て来ました。
まだ何の変哲もない形で、それほどの注目度でもなかったので、ゆっくりと?見物することができました。
これから3ヶ月ぐらい経ってからですよ。「逆さツリー」なんて言って、川面に映る逆さのツリーを撮影しようという人たちが増えたのは・・・。

東京スカイツリー
さて、薫風の5月になると、ちょうど展望台の真下あたりまでの高さになりました。
吾妻橋からまっすぐに伸びるタワー全体の姿が見えます。
隅田川の風を受けて、吾妻橋からの眺めはいいですね。
梅雨明け
四万六千日・お暑い盛りの頃の7月には、展望台の部分が姿を表わし、隅田川を下って浜離宮に向かう水上バスから涼しげな姿が印象的でした。
いずれは、東京スカイツリーに上った後は、屋形船で川下りなんていう、江戸下町の周辺「はとバスコース」も出来るでしょう。

スカイツリー
言問通りから黄昏近くの姿は、入梅前の6月の頃。
展望台の部分からさらに上に伸びて来ています。
大きくなりました スカイツリー
そして、つい最近の11月初旬の姿を、浅草の雷門近くからと、亀戸天神の境内から見たスカイツリーです。
これより上は、電波塔部分になるそうで、点灯テストも行われたりして、さらにわくわくして来ます。
下の浅草寺五重塔との景色は絵葉書になるかもしれません。 スカイツリー

またまた落語とは全く関係のない話題でした。

熨斗・鎹・木乃伊

「熨斗」・「鎹」・「木乃伊」の読み。
これらも、普通の人は読みづらいことでしょう。
「のし」・「かすがい」・「みいら」ですが、これまた落語とは接点があるんですな。

Noshi熨斗(のし)」は、慶事の進物や贈答品に添える飾り。
黄色い紙を長六角形の色紙で包んだ形状をしていて、祝儀袋等の表面に印刷され簡略化されたものもあり、しばしば水引と併用されるあれです。

正式には熨斗鮑(のしあわび)と呼ばれて乾燥させたアワビが用いられたそうです。元来、熨斗鮑とはアワビの肉を薄く削ぎ、干して琥珀色の生乾きになったところで、竹筒で押して伸ばし、更に水洗いと乾燥、押し伸ばしを交互に何度も繰り返すことによって調製したものを指すようです。
落語の「鮑のし(あわびのし)」の原話は、上方落語の始祖でもある米沢彦八が、元禄時代に出版した「軽口御前男」の第一巻にある「見立ての文字」だといわれています。

Cromate_kasugaia鎹(かすがい)は、建築で、木材と木材をつなぎ合わせるために固定するもの。直線または直交する材同士を繋ぐ目的で用いられています。
一般的には、金属製で「コ」の字の形状をしていて、両端をつなぎ合わせる木材にそれぞれ打ち込むことにより接続します。
ちょうどホッチキスの針を大きくしたような形ということですね。
落語の「子は鎹(子別れ・下)」は、人情噺にしては珍しい、とても良いオチだと思います。
子どもは夫婦の鎹とはよく言ったものです。
最近は、離婚が多くなっているようですが、いくら頑丈な鎹を使っても、繋がれる「木材」がもともと腐っていてはねぇ・・・。

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「木乃伊(みいら)」というのは、あれですよ。
人為的加工ないし自然条件によって乾燥され、長期間原型を留めている死体のことで、永久死体とも呼ばれている・・・。
漢字表記の「木乃伊」は、オランダ語: mummie (モミー)または英語: mummy (マミー)の音写とするのが一般的。
「ミイラとりがミイラになる」は・・・、ミイラは薬として珍重され、高値で取引きされていた時代に、ミイラの本場?のエジプトで、ピラミッドにミイラを探しに行った人が戻ってこなかった(=命を落としてしまった)ことから来ることわざで、他人を捜索に行った人が戻らなくなって同じように探される立場になること、また他人の行いを諌める立場であったはずの人間がいつの間にかその人と同じ行動をとっていることを表しています。
落語の「木乃伊とり」も全くこれと同じ意味のストーリーが展開されています。
・・・それにしても、木乃伊が薬になっていたなんて・・・。

2010年11月16日 (火)

駅で見つけた・・

駅で見つけた・・
地下鉄銀座線上野駅の改札口を入って左側、エレベーターの脇でみつけた看板。
人気絶頂の立川談春さんの広告看板です。
何の宣伝だろう・・・?
「文七元結」「芝浜」「子別れ」なんていう演題も書かれていて・・・。
すごい人気ですね。

東大落語会寄席

落研の先輩の四分椿師匠と蕪生師匠のお二人が、先日11月13日(土)に開催された「東大ホームカミングディ・東大落語会寄席」をご覧になったそうです。
実は、三山亭多楽師匠からもお誘いを受けて、是非行きたかったのですが、どうしても帰省しなければならず、都合が悪くて、お邪魔することが出来ませんでした。

多くの方がご出演になる大落語会で、伝統も実力もあり、お客さまも大変多かったそうです。
何と言っても、昨日や今日の、我々の「お江戸OB落語会」とは、規模も歴史も違いますから。
「三枚起請」「抜け雀」「ねずみ穴」「佐々木政談」「出来心」「厩火事」など、皆さんさすがに芸達者だったと仰っていました。
時間の都合で、トリの方の「芝浜」を聴くことが出来ずに残念だったということでした。

行きたかったぁぁぁ・・。
来年は是非お邪魔しようと思います。
(毎年11月の第2土曜日開催なのだそうです。)

聖観音と妙法

私の御朱印帳
平成12年11月3日・金龍山浅草寺の御朱印です。
先日話題にした、義母が亡くなった、まさにその当日にいただいたものです。
真ん中は「聖観音」と書いてあるのでしょう。
祈りも届かず、義母はこの日に天寿を全うしましたが、これを見るたびに、在りし日のことを思い出します。
浅草の観音様は、江戸っ子のよりどころ。
落語の世界にも浸ることのできるところですから、今も頻繁にお参りをしています。
私の御朱印帳
この御朱印は、義母の葬儀を終えた直後の11月6日・身延山久遠寺でいただいたものです。
「妙法」と力強く書かれた墨書が印象的で、宗旨の総本山で義母の冥福を祈ったものでした。
落語には、法華の信者の噺が多く出て来ます。
「甲府ぃ」「鰍沢」「笠と赤い風車」・・・・、故郷のパワースポットです。

元結

「元結」というのも、なかなか読みづらい。
が、我々には「文七元結(ぶんしち もっとい)」という"ザ・落語"と言われる噺がありますから、「もっとい・もとゆい」と読むことができます。
それでは、「元結」ってどんなもの?Motoyui
もともと、髮のもとどりを束ねる紐や糸のことを言います。中世では糸製、近世では和紙を結った紙製が主流になっています。現在では髮を結うのに使用するほかに、白板目表紙と共に書類を綴じる綴り紐として使用されているそうです。
Rimg0021_convert_20100505120018落語との関わりを言えば、文七とお久が夫婦になって麹町に元結屋を開き、麻糸や組紐(くみひも)を用いていたものを、元結紙でこよりを作り水糊(みずのり)を塗ったものを売って繁盛したということで、これを「文七元結」と称したとされているようです。
もしかするとちょっと違っているかもしれませんが、まぁおおよそこんなものでしょう。

2010年11月15日 (月)

白鵬敗る

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横綱白鵬の連勝が「63」で潰えてしまいました。
1勝する度に1勝の重みが増していたはずです。
白鵬の双葉山の「69」連勝超えの夢を阻んだのが、期待(はずれ?)の日本人力士「稀勢の里」というのがいいじゃないですか。
もはや、「求道者」の域に入ったような、日本人よりも日本人らしい横綱には、心から賛辞を送りたいものです。
それにしても、白鵬の連勝記録を、「角聖」と言われる(言われてたっけ?)双葉山の大記録の直前に終わらせたのも、「相撲の神様」の思し召しだったのかもしれません。

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「巨人・大鵬・卵焼き」世代の私は、当時、横綱の大鵬が平幕の戸田に微妙な判定で破れ、連勝が「45」でストップしたのを見て、涙が出るほどショックだったのを覚えています。
いずれにしても、白鵬の立派な横綱相撲と大記録は、心から称えたいと思います。

「雪の瀬川」を聴く会

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夕方になって急に冷え込み、冷たい雨が降り出したのも、「雪の瀬川」を聴くための天の演出だったかもしれません。
今まで、幾百・幾千・幾万の噺を聴いて来ましたが、恐らく、生で通しで聴く噺の最長時間になりました。
さん喬師匠が、唄入りの三味線に乗って高座に上がり、一言もマクラを振ることなく「若旦那・・・・」と切り出したのが、8時17分。
最後にまた三味線の音に乗せて噺を語り終えたのが9時47分。
・・・ちょうど1時間30分。
前から6列目、高座の高さとほぼ同じ位置で、じっくりと「さん喬ワールド」に浸ることができました。、

 ◆ 動物園        柳家小太郎
 ◆ ちりとてちん     柳家さん喬
 ◆ 雪の瀬川(通し)   柳家さん喬


六代目三遊亭圓生師匠が「松葉屋瀬川」でお演りになった以外は、現代に至るまで演るのはさん喬師匠お一人だとか。
しかも、圓生師匠も通しではお演りになっていないのではないかということですから、貴重な時間になりました。
若旦那のキャラクターをどのようにイメージするか・・、まずこれが大変難しい噺だと思いました。
いずれにしても、満員の客席は、じっと噺に聞き入るばかり、実に至福の時間でした。
さん喬師匠の「喬」は、あの圓朝門下屈指の名人といわれた「橘家圓喬」の一字をもらったと聞いたことがあります。
良くも悪くも、三遊派と柳派の違いが希薄になる中で、圓朝物や人情噺も得意とするさん喬師匠の存在は大きいです。

11月15日

11月15日は「七五三」と相場が決まっていますが、今日は日本史上最も人気のある人の誕生日だそうです。
今年もドラマなどで評判になっていた「坂本龍馬」です。
天邪鬼の私は、坂本龍馬という人には興味がなく、何年に生まれて、何をして、何年に死んだかなどは、全く知りませんが、面白いと思うのは、命日も同じ日だということです。
考えてみれば、人間は365分の1の確率で、誰でも誕生日と命日が同じになるんですな。
何もやれない凡人が目指すには、とても良い記録かもしれません。
とにかく、今地球上に生きている全ての人にチャンスがあるんですから、最も平等で、素晴らしい記録になると思うのですが・・。
浅学な私ですが、誕生日と命日が同じだという「有名人」をあと2人知っています。
1人は、シェークスピアです。でも、17世紀のことですから、信憑性にはやや問題があるかもしれません。

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もう1人は20世紀の人で、誰あろう、六代目三遊亭圓生師匠です。
1900年9月3日にお生まれで、1979年9月3日にご逝去。
「圓生師匠は、誕生日と命日が同じなんだ」と言ったら、ある前座さんから、「へえぇ、圓生師匠は生まれてすぐ死んだんですか?」って聞かれたって、圓窓師匠が仰ってました。

抽選会

抽選会
馬津郷寄席のプログラムには、「祝 NHK新人演芸大賞受賞」と書かれていました。
本人は、特に何も変わらないと、何事もなかったように言っていましたが・・・。

恒例の抽選会では、今回は出演者の寄書の色紙が当たりました。
前座の一力さんの字が、一番しっかりしているのがご愛敬というやつですな。
それにしても、これから30年後、まだ生きていられると思いますが、この色紙が、「若かりし頃の"春風亭名人三羽烏"直筆の色紙!」になっていたりして・・・・。

ところで、今回の馬津郷寄席の出演者の3人は、春風亭一朝師匠の、2・4・6番目のお弟子さんでした。
春風亭一朝師匠門下の噺家さんは、「一」派と「朝」派に分かれるそうです。
  1  柳朝(朝之助)
  2  一之輔
  3  朝也
  4  一左
  5  朝呂久
  6  一力   ・・・・確かに奇数は「朝」・偶数は「一」です。
こうやって遊んでいるんですねぇ。師匠は。

納経帖


私の持っている御朱印帳のうちの一冊です。
浅草寺で購入しましたが、表紙は「納経帖」と表示されています。
散歩を兼ねて、歩きながら御朱印をいただきに回ったものでした。
そういえば、当時子どもが受験の時期だったのですが、ある神社では、「子どもが受験で」と言うと、「それはそれはご苦労さまでございます。きっとご利益がありますよ。」と言ってくれました。

下の写真は、「増上寺」と「泉岳寺」。私には大変貴重なものです。
    私の御朱印帳

2010年11月14日 (日)

馬津郷寄席

馬津郷寄席
NHK放送演芸新人大賞を受賞した「春風亭一之輔」さんの独演会。
まだ5時半前なのに、外はもう真っ暗。陽が短くなりました。
市民会館の階段を上がって、会場の3階の和室「ながいき室」に入ります。

馬津郷寄席
大賞を受賞したこともあってか、出足も入りも、いつもより良い感じ。
この独演会も今回で第16回。年4回のペースで開催されていて、ちょうど4年経過したそうです。私は、3回目か4回目ぐらいからほぼ毎回通っていますが、いつも満席になります。

馬津郷寄席
  ◆ たらちね      春風亭一力
  ◆ 加賀の千代    春風亭一之輔
  ◆ 河豚鍋       春風亭一之輔
  ◆ 唖の釣り      春風亭一左
  ◆ 夢金         春風亭一之輔

前座の一力さん。とても元気のいい前座さんで、頑張ってもらいたいものです。
一左さんも、前座時代はよく聴きました。ちょうど落語に戻った頃でしたから。
二つ目なって2年になるそうですが、羽織を着たところを見ると、どことなく雰囲気が出て来た感じもします。
髪型も変わって、それに少し太ったようですね。
一之輔さんは、今夜は「加賀の千代」「河豚鍋」を軽くこなした後、トリでは長講の「夢金」でした。
後半の部分はかなりあっさりやっていました。この噺はオチが下品なんですが、オチを変えて品よく?まとめてくれていました。
そうですよ。このオチで十分だと思います。

ところで、私には、まだ、この人が高く評価されているところが、よく分からないのです。
ネガティブに言っているのではなく、何故かわからないのです。

山茶花咲いて・・・

山茶花・山茶花・・
久しぶりに帰省しました。
この前帰ったのは、まだ暑さが厳しい頃でしたが、すっかり冬支度。
裏庭で、山茶花が咲いていました。
やはり、花は9輪咲いていました・・・。「さざんか九」ですから・・。
山茶花・山茶花・・
川の流れは相変わらずですが、水は冷たそうです。
驚いたのは、庭の柿の木に実がないこと・・。
父の話では、今年は近辺の柿の木には、ほとんど実がつかなかったということでした。
どうしたことだろう、と不思議がっていました。
最近の流行?の、猿や猪・熊の仕業でもないそうですから、異常気象が原因なのでしょうか・・・?

廓・花魁・傾城・禿

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やはり、読み方の難しい漢字は廓噺の中に多くあります。
あ、そうか。「廓」というのもなかなか難しい漢字ですね。
それでは、今回は吉原シリーズで、「廓」「花魁」「傾城」「禿」あたりを。
「くるわ」・「おいらん」・「けいせい」・「かむろ」と読みます。

「廓(くるわ)」は、「遊廓(ゆうかく)」のこと。公許の遊女屋を集め、周囲を塀や堀などで囲った区画をいいます。一区画にまとめてあるのは、治安や風紀を公権力側が統制するためで、成立は安土桃山時代。別称に「遊里」「いろまち」「傾城町」などがあります。

「花魁(おいらん)」は、吉原遊廓の遊女で位の高い者のことを言います。妹分が姉女郎を「おいらん」と呼んだことから転じて上位の吉原遊女を指す言葉となったそうです。「おいらん」の語源については、妹分たちが「おいらの所の姉さん」と呼んだことから来ているなどの諸説があるんだとか。今日では、広く遊女一般を指して花魁と呼ぶこともあるようです。
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「傾城(けいせい)」は、電鉄会社ではありません。「漢書」外戚伝の「北方に佳人有り。…一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」から来ていて、その美しさに夢中になって城を傾けるという意味から、絶世の美女や遊女。近世では特に太夫など上級の遊女をさしています。
「傾城の恋はまことの恋ならで金持ってこいが本当(ほん)のこいなり」
「傾城に真(まこと)なしとは誰(た)が言うた真あるほど通いもせずに」
男と女の関係は、このあたりになってくると実にややこしい。

「禿」は、「はげ」と読まずに「かむろ」と読むことにしましょう。

禿(かむろ)とは、肩までで切りそろえた児童期の髪型。、またその髪型をした者のことで、 狭義では、遊郭に住み込む童女をさすようです。禿(はげ)のことではない・・・。

2010年11月13日 (土)

長生きも芸のうち

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「長生きも芸のうち」・・・・。
このフレーズは、八代目桂文楽師匠が言っていた言葉だと思っていましたが、どうやら歌人・脚本家として活躍した吉井勇が、八代目桂文楽師匠に贈ったもののようです。
昭和29年、文楽師匠が「素人鰻」で「芸術祭賞」を受賞した時、「長生きも 芸のうちぞと 落語家の 文楽に言ひしは いつの春にや」という短歌を作って贈ったのだそうです。
その桂文楽師匠は、落語研究会の「大仏餅」の高座で絶句。
「勉強し直してまいります」と言って高座を下り、失意のうちに亡くなったのが、満79歳の時でした。
当時(確か昭和46年)の満79歳というのは、長生きの部類に入っていたのでしょうか。

玉川スミ師匠

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三味線漫談の「玉川スミ」師匠。
噺家さんではありませんが、触れずにはいられない芸人さんです。

落語芸術協会の所属なので、私はなかなか生で拝見する機会がないのですが、先日のラジオ「真打競演」を聴いて、その健在ぶりに思わず唸らざるを得ませんでした。
「長生きも芸のうち」とは、黒門町の師匠が仰ったことばだったと思いますが、生きていてくれるだけでも有難いのに、老いたりとはいえ、しっかり高座を勤めている・・・。
これは宝ですよ。
しかも、あの気風のいい啖呵が炸裂している。素晴らしい

芸能生活90周年まであと3年だそうで、頑張って欲しいなと思います。・・そうか、女優の森光子さんと同年輩なんですね。
本当に良い意味で「長生きも芸のうち」ということです。

落語百選≪55≫

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DVDは、権太楼師匠と志ん輔師匠ですよ。

◇ 宿屋の仇討ち   柳家権太楼
◇ 紙屑屋       古今亭志ん輔

両方とも生で聴いたことがありますが、それぞれ個性豊かに演っています。

噺家列伝は、初代柳家小せん。
丁寧な演出と警句を交じえた巧みな口調が早くから注目されており、落語研究会の有力な若手として期待を集めていた。
真打昇進後、それまでの過度の廓通いが祟って脳脊髄梅毒症を患い腰が抜けたため、人力車で寄席通いをするになり、妻に背負われて楽屋入りし板付きで高座を勤めるようになった。更には白内障にかかって失明してしまう。
落語の実力は他の追随を許さないほど優れていた。師匠小さんのネタはほとんど演じておらず、「居残り佐平次」「お見立て」「お茶汲み」「五人廻し」などの廓噺を得意とした。
速記も残されている。
晩年は師匠三代目小さんの薦めにより、自宅を稽古場として月謝をとって落語を教えており、この稽古場は「小せん学校」と称された。
直弟子はいなかったが五代目古今亭志ん生、林家彦六、六代目三遊亭圓生、三代目三遊亭金馬など、後に名人となった多くの落語家が小せんから直接教えを受けている。
享年37歳。

資料を見る限り、その生き様には感心ませんが、芸は素晴らしかった芸人さんのようです。
こういう壮絶な生き方ゆえに、凡人の次元を超えた域での話芸が出来上がったのでしょうか・・・。

2010年11月12日 (金)

鈴本演芸場中席のチケット

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古今亭志ん輔さんの事務所から、予約していた鈴本演芸場のチケットが送られて来ました。
鈴本演芸場の特別興行「志ん輔・扇遊の会」。

もともと一緒に行く予定だった人の都合が悪くなったため、ちょいと慌てましたが、さる(猿ではありません)知人が快諾してくれたので、無駄にならずにほっとしました。
席は、予約が遅かったこともあって「を列-1・2」と、やや後方端の席ですが、指定されているので、安心して行くことができます。

鈴本演芸場には、「ラブシート」と呼ばれる席があります。
この座席表の左側の島の最後列。ビルの改修工事で、エレベータ設置のために座席が撤去されて残った2席を言います。

江戸の"在"

千葉都民
「千葉都民」という言葉があります。
住まいは千葉県ですが、都内に通勤していて、地元との接点がなく、全く知らない、興味がないという"根なし族"。
私も「千葉都民」を自認する者の一人です。
その昔、隅田川(大川)の対岸は下総の国で、「向こう両国」と言われたそうですが、現代の我々は、さしずめ江戸の"在"と言ったところでしょうか。

さて、1ヶ月前あたりから、駅の入口に知らない人が旗を揚げて立ち、ビラを配りながら・・、
「おはようございます」
「○○です」
「よろしくお願いします」
「行ってらっしゃい」 
      ・・・と、毎朝違う人が立っています。
案の定、市議会議員選挙が近づいたからなんです。
「お、おはよう・・、何だよ、やぶからぼうに・・」
「おめえなんか知らねぇよ」
「よろしくぅ?って、何をよろしくなんでぇ!」
「行ってらっしゃいだぁ? ふん、余計なお世話でぃ!」
          「・・・てやんでぇ、べらぼうめぇ」ってなもんですよ。

国会議員から市議会議員に至るまで、選挙の直前だけ辻立ちをする・・。シンパシーなど微塵も感じません。
「辻立ちするならいつも(毎日)やれよ、選挙の時だけならやるな!浅ましい・・・。」なんて・・。
中には手慣れていないので、チラシを配ろうとして通行人の邪魔になったりして。
近くに設置された選挙ポスターの掲示板を見て驚きました。
その大きい(長い)こと! 何と81マスありましたよ。
民主主義だから、多く立候補するのは良いのでしょうが、議員定数もかなりになるはずで、こんなに議員が必要なんでしょうかねえ。

≪在(ざい)≫
「在郷(ざいごう)」の略》いなか。在所。多く、都市の周辺をいう。

蒟蒻・吝嗇・悋気

「蒟蒻」・「吝嗇」・「悋気」・・・・。
一般的には、いわゆる"難読漢字"だと思いますが、落語好きにはお馴染みです。
順に、「こんにゃく」・「りんしょく」・「りんき」と読みます。

「蒟蒻」は、あの食べるこんにゃくのこと。"明日食べてもこんにゃく(今夜食う)"という。最近は健康食品として人気の高い食材。
「吝嗇」は、"けちん坊"のこと。隣の鰻屋さんの蒲焼のにおいをおかずにしてご飯を食べるという人たち。
そして「悋気」は、焼きもち。舶来言葉ではジェラシー(jealousy)。

いずれも、落語の演題やテーマになっている言葉なので、落語好きには難なく読めるのです。(書くのは・・・、無理でしょう。)
中でも、「悋気」なんていうのは、なかなか色気のある言葉だと思いますね。

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八代目桂文楽師匠の十八番に「悋気の火の玉」というのがあります。
『悋気は女の慎むところ 疝気は男の苦しむところ』なんてえのがございます。
と言ってあんまり妬かないのもいけないんだそうですな。
「俺がこんなに道楽をしてるのに、女房は厭な顔一つした事が無い。ことによったら何か出来たんじゃぁないか」なんてぇのは穏やかでございませんだから、妬いていけず妬かないでいけずその中間をいくんだそうですな。
これ即ち『悋気(臨機)応変』てんで・・・、あんまり当てにはなりませんけど。

・・というのがマクラの一部です。

"焼きもちは遠火で焼けよ焼く人の胸も焦がさず味わいもよし"
悋気・焼きもちというのは、ほどほどがよろしいようで・・・。

こういう了見

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古今亭菊之丞さんの本ですよ「こういう了見」。
自叙伝なんだそうです。定価は1,575円。

初高座の日。 あれだけ稽古した『子ほめ』が途中でわからなくなっちゃった。 噺をすっ飛ばして、なんとかオチだけは言って、 めろめろになって楽屋に帰った……。 お笑い好きの少年が噺家を志し、 しくじりと理不尽さに悩んだ前座時代、 ムダに金もってはじけた二ツ目、 そして異例のひとり真打昇進を果たして7年! 噺家街道一筋に歩む菊之丞、初の自叙伝。

若手の売れっ子の自叙伝ということですが、まだ40歳前に、波乱万丈菊之丞だったんでしょうか・・・。
好んで聴く噺家さんの一人です。興味はあります。

2010年11月11日 (木)

寄席弁当

寄席弁当
寄席の楽しみは、噺家さんたちの芸に浸ることは勿論ですが、客席に座って、落語を聴きながら食べたり飲んだりするのも、実に乙なものです。
先日、鈴本に行った時、いつもはコンビニで買う「助六寿司」なのですが、ちょっと贅沢をしてみようと、上野駅の駅ビル"アトレ"での「老舗のお弁当」フェアで、何気なく手にしたお弁当を買ってみました。
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「亀戸升本」の"霜月弁当"という季節限定のお弁当・・、値段は何と1575円也。
鈴本の客席に座って、春風亭一朝師匠の「長命」を聴きながら食べて・・・、これがまた美味いの美味くないのって、・・物凄く美味いんですよこれが。

なんと言っても、寄席では「助六寿司」、出張時の新幹線では「チキン弁当」という、ごくごく庶民的な弁当が専門ですから、驚きますよ。
ということで、鈴本の上席を聴きに行った翌日に、亀戸にある本店に行ったのです。
ついでに、亀戸天神をお参りして、みたらし団子を食べて・・・。
あ、升本の本店は外から覗いただけで、豪華な会席料理の食事をした訳ではありません。

Tokyo17

ところで、先日江戸東京博物館へ行った時、歌舞伎の有名な一幕「助六」の人形が展示してある前で、訳知り顔をしたオッサンが、連れの人に向かって、大きな声で得意の?薀蓄を披露していました。
「なんで『助六寿司』っていうか知ってる? 助六の脇にいる花魁の名前が『揚巻』って言うんだよ。(油)揚げ[お稲荷さん]と巻き[のり巻き]の2種類の寿司が入っているからなんだよぉぉぉぉ。」
・・そんなこと・・・、もっと小さな声でこっそり言いなさいよ・・。

でも、各定席で売っている、志乃多寿司の助六弁当も捨てがたいですね。

秋葉原駅のホーム

秋葉原駅のホーム
JR秋葉原駅の総武線千葉方面行きホームの前の方に、傘の自動販売機を見つけました。
傘の自動販売機というのは珍しいですね。
ビニール傘と黒い傘と折り畳み傘の3種類と、バリエーションも豊富です。
普段は見向きもされないでしょうが、にわか雨の時などは、長蛇の列になるのでは・・・。
その割に見つけにくい場所にあるのですが。
考えてみると、秋葉原駅にはユニークな自動販売機がありますよ。
パンの缶詰を売っていました。
おでんやうどんの缶詰の自動販売機もありました。
ミルクスタンドも大きいですよ。
街へ出れば「ご主人さまぁぁ」ですからね。気持ち悪・・

漏れ聞く話

どこかの週刊誌に、チケットが即時完売する大看板の師匠がご出演の某落語会で、当日券を販売したというのが記事になっていたというのを聞きました。

プラチナチケットになる「K」師匠ご出演の落語会で、当日券を販売するなんて・・、原因は何なんだという訳です。
そこでやり玉に上げられたのが、当日の共演者だった「S」さんです。
このコラムの筆者は、著名な演芸評論家で、「S」が出演するので嫌がった(聴きたくない)人が多くいたために、チケットが即日完売にならなかった。「S」が、大看板の「K」師匠に恥をかかせたと。
自分は噺家さんの好みが偏っているが、色々な噺家さんを聴いている「Hi」さんや「Ho」さんのような著名な評論家たちも、「S」は聴きたくないと言っている、と言っていると言っているのだそうです。

私はこの話を漏れ聞いて、それなりに名の知られた評論家の方が、しかもメジャーな雑誌に書くにしては、随分狭量なコメントではないのかなと思いました。
人気の噺家さんの独演会のチケットは即時完売でも、それぞれ人気のある噺家さんの二人会だと、比較的容易にチケットが取れることはよくあることです。
やはり、熱狂的なファンの方は、独演会でないと行かないということもままあるのでしょう。
実は、数年前に私が落語に戻って初めて聴きに行った落語会にも、この「K」師匠がご出演でした。この落語会も歴史のある有名なホール落語会でしたが、会の直前だったにも拘らずチケットが確保できましたし、確か当日券も出ていましたよ。
それに、共演者を言うなら、「S」さんのほかにも、「K」師匠のお弟子さんの「H」さんと、実力派の若手真打「Ke」さんも出演していたのですから、「S」さんだけを責めるのはとうなのかなぁ?と思うのです。
また、この落語会は、最近定例化している落語会で、私はまだ行ったことがありませんが、会場が定まらず、様々な場所で開催されている気がします。従って落語会の知名度も発展途上で、集客力もこれからの落語会だと思うのです。
また、この評論家の方は、「S」さんは、(実力以上の?)大きな噺ばかりやりたがり、落語本来の笑いの多い滑稽噺をやらないから駄目だというトーンのコメントもあったようです。
落語や噺家さんに対する思いや好みは、それこそ各人各様だと思います。褒めるならともかく、自身の尺度だけで、名指しして批判だけするのは、どうなのかなぁ・・・・。
大看板へのよいしょのつもりかもしれませんが、かえって「K」師匠にも失礼ではないのかなぁぁ・・・・と、素朴に思った次第です。

まあ、細かいことは言わずに、素朴に落語を楽しみましょうよ。
それに、私は「S」さんが嫌いじゃありませんがねぇ。

2010年11月10日 (水)

厳戒態勢

厳戒体制
APECとやらが日本で開催されるので、都内のおもな駅や交差点などに、おおぜいの警察官が立ったり、巡回していたり、物々しい雰囲気になっています。
会議は横浜で開催されるそうですが・・・・。

厳戒体制
駅のホームのゴミ箱も、透き通っていないで中が分からないタイプのものは、テープなどで塞がれていて、とても不便です。
警備をしている警察官も、地方からの応援の人が多く、恐らく道を尋ねても「おらすらねぇ」などという言葉が返って来るかも知れません。

上野や日暮里の駅なども、今まではあまり厳戒体制でもなかったようですが、最近成田空港とのアクセスが良くなったばかりなので、今回はかなり物々しいですね。

25年ぐらい前でしょうか。
日本ではじめてサミットが開催された時も、大変厳しい警備体制が敷かれていて、ちょうど首相官邸や国会議事堂に近い溜池交差点近くのオフィスにいましたので、交差点ごとに立っている警察官に、いちいち鞄の中をチェックされて、仕事にならなかったことがありました。

新聞記事にも緊張感がありますよ。
アジア太平洋経済協力会議(APEC)が開幕した横浜市では、会場があるみなとみらい(MM)地区を中心に厳重な警備態勢が敷かれている。
首脳会議が予定される13、14日は周辺の一部で立ち入りや車両の通行が禁止され、事実上「封鎖状態」に。商業施設や高層マンションがひしめく警備環境ということもあり、緊張は一気に高まっている。
首脳会議には米国のオバマ大統領や中国の胡錦濤国家主席、ロシアのメドべージェフ大統領ら21の国・地域の首脳が出席する予定だ。警護対象者はファーストレディーを含め80人を超える。
このため、神奈川県警は会議に反対するデモや領土問題をめぐる抗議活動、さらにはテロなどに備え、2年前の北海道・洞爺湖サミットに匹敵する1日最大2万1千人態勢で警備にあたる。

志ん輔・扇遊の会

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鈴本演芸場のHPを覗いていたら、とても面白そうな落語会を見つけました。
中席の夜の特別興行の最終日11月20日(土)の「志ん輔・扇遊の会」です。 
  http://www.rakugo.or.jp/11-20a.html 

日程も迫っているし、すぐに鈴本のテケツに行く暇がない(訳はないのですが・・)ので、志ん輔さんのHPにアクセスして予約してみました。
志ん輔さんのHPの指示に従って代金を振り込んだ後で、「あれっ?当日は何か別の落語会の予定がなかったかな?」と、よぉく考えてみると、何と「学士会落語会例会」の日ではありませんか
おいおい、ダブルブッキングかと、一瞬冷や汗が出ました。
でも、もう一度冷静に考えると、学士会落語会は昼だったことに気がつき、やれやれ・・・。

当日は、志ん輔さんが「居残り佐平次」と「高田馬場」、扇遊さんが「厩火事」と「鼠穴」という、豪華な噺です。

”気をつけろ 暗い夜道と 寄席重ね”  お粗末・・・。

おぉい上野駅・・

おぉい上野駅・・ 
最近、上野駅が不便極まりないのです。
JR東日本が、「新しいエキナカはじまる」なんて言って大改装をやっていて、、在来線構内の飲食店やら物販店は、キオスクを除いて全て閉店しているのです。
"12月下旬オープン"だそうですから、暫く不便が続きます。
おぉい上野駅・・
山手線各駅が続々改装されて、立派で賑やかになっている中で、主要駅の上野駅は取り残されていたんですねえ。
東北新幹線が東京発着になって、途中駅になってしまいましたから。

2010年11月 9日 (火)

学士會会報

学士會会報
学士会の会報が送られて来ました。
いつも内容が難しく、なかなか熟読することも出来ないのですが、本号で面白い記事を発見しました。
難しい論文ではなく、同好会の活動報告のページです。
将棋同好会からのレポートに、どこかで拝見したお名前・・・。
あれっ?「三山亭多楽」師匠ではありませんか!
博学・多趣味な師匠のこと、不思議ではありませんが、将棋もやっておられる・・・。
しかも、記事には、これまたお得意の似顔絵も掲載されています。
何でも、外国の方が来日されて、師範の方と将棋を指したということで。
・・確かに、考えてみれば、ルールと駒を覚えさえすれば、あまり言葉の壁などはないのかもしれませんね。囲碁やチェスなどもそうでしょうから。
いつものことながら、多楽師匠のパワーに改めて感服しました。

おしどり夫婦

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いつも一緒で仲睦まじい夫婦のことを「おしどり夫婦」と言います。
おしどりという鳥の番いがいつでも寄り添っている様子から出来た言葉だそうです。
さて、10年来行きつけの近所の床屋さんのご夫婦。
お二人とも60歳前後だと思うのですが、本当に「おしどり夫婦」だと思えるようなご夫婦です。
ご主人が床屋さんを営んでいて、奥さんがお手伝いという感じで、いつも朝から晩まで一緒。仕事場も一緒ですから。
休みの日や店仕舞いした後(夜)などは、いつも二人で買い物や散歩をしているそうです。
数日前にも、私が少し早めの時間に帰宅しようとしていたら、駅の近くで二人にぱったり出会いました。
「今日はお帰りが早いですね。」だって。
ご主人がリュックサックを背負い、これから二人で散歩をと・・・。
私も、「今夜は寒いですから気をつけてくださいよ。」と返しましたが、お二人は実に楽しそうでした。
恐らく寝ている時間を除いたら、ほとんどの時間二人でいるのではないかと思います・・・。
何と申しましょうか・・・。
確かお嬢さんが二人いて、それぞれ既に結婚していて、間もなくお孫さんが出来るようで、幸せそうなご夫婦です。

ところで、おしどりは、ずっと一緒にいる訳ではないそうです。
実は、一緒にいるように見えるのは、メスが産卵してヒナが孵るまでの間だけで、オスは外敵から守るために、そり期間だけそばにいるという訳です。
そして、ヒナが孵ってしまうと、オスは離れてしまい、また新しいメスを見つけるんだとか・・・。

Photo

題名は忘れましたが、山田洋次監督原作の落語に、仲睦まじい夫婦がいて、旦那のちょっとした留守に奥さんが急死してしまい、周囲の人がどうやって訃報を知らせるか悩むという噺がありました。どんでん返しのオチが印象に残りますが。
何ていう噺だったかな。
「猫定」の夫婦とは全く違う夫婦です。
オチの台詞が、確か「あぁぁぁ、よかった。」という逆さオチだったはずです。

猫定

「マッカーサー道路」の話題の時に出た「猫定」という噺。
以前、圓窓師匠の独演会で聴きました。
その時の師匠は、普段から我々をご指導くださる時に仰っているとおり、地噺の部分を極力削ぎ落とし、台詞や仕草でストーリーを進め、必ずオチをつけるというのを実践した高座を見せてくださった記憶があります。
落語は、浪曲や講釈とは違う、会話で噺を進めて行くものだということで。
≪猫定≫
八丁堀玉子屋新道 の魚屋「定吉」は本業が博打打ち。朝湯の帰り三河屋で酒を飲んでいたが、悪さをして困るという黒猫を殺されるところをもらって帰る。
猫と一人話をしながら丁半博打を話して聞かせる。
「壺の中が分かるなら教えてみな」と試すと、「にゃご」と一回鳴くと”半”、「にゃご、にゃご」と二回鳴くと”長”、の目が出ている。
猫も恩を感じて教えてくれるのだと思い、賭場に行くときはいつも 黒猫”クマ”を懐に入れて行く。
当然いつも勝つ様になって、羽振りも良くなり回りも兄ぃとか親分と呼ぶ様になったが、あだ名を猫好きの定吉で「猫定」と呼ぶ様になった。

 ある時江戸をふた月ばかり離れなくてはいけなくなり、女房に猫を託して旅に出る。
”旅の留守家にもゴマの灰が付き”で、若い男を連れ込んで女房”お滝”は楽しんでいた。
旅から戻った定吉はある日、愛宕下の藪加藤へ猫を連れて遊びに出かける。
留守宅では女房が男を引き入れ、亭主を殺して一緒になろうとそそのかす。
その晩は猫が鳴かないので早めに切り上げ、雨の中「愛宕下」から「新橋」に抜けて近道をしようと真っ暗な采女が原を抜けるとき、小用を足していたら、後ろから竹槍で有無を言わさず刺され、鯵切り包丁でとどめを刺され殺されてしまう。
その時胸元から黒いものが飛び出した。雨は激しさを増してきた。
留守宅で女房は事のいきさつを心配していたが、引き窓が開いて黒いものが落ちてきた。
「ぎゃ~」と悲鳴を上げた。
その声を聞いた長屋の者が台所で死んでいる女房を発見。
朝には定吉の死を知らされる。
采女が原に見に行くと隣に間男が首を食いちぎられ死んでいた。
定吉の死骸を引き取って、女房と二人のお通夜をする。
長屋の連中が居眠りを始めると、棺の蓋が開いて、二人の死骸がすさまじい形相で立ち上がった。
恐れをなしてみんな逃げ出したが、あんまの三味(しゃみ)の市だけは見えないので平然と線香を上げている。
そこに長屋住まいの浪人が帰ってきて、事の様子をうかがい棺の向こうの壁を刀で突くと「ぎゃ~」。
Sin_nekoduka_s 隣の空き部屋を覗くと黒猫が息絶えていた。
手には間男の喉元を持っていたので、主人のあだを討った忠義な猫だと評判になった。御上から25両の褒美が出て、両国回向院に猫塚を建てた。猫塚の由来という一席。
ということになるのですが、圓窓師匠はさらにオチをつけています。
猫塚の建てられた場所が面白い。鼠小僧の墓の隣にある。ですから、墓の下で鼠が感心したそうで…。
「猫のくせに、チュウーッ(忠)

そして、この噺について、圓生師匠しか演らなかった噺だが、圓生師匠は猫を化け猫として扱っていて、ちょっとそのままでは演る気は起こらなかったということで、圓窓師匠は、猫に人間と同じ「情」を注入してお演りになったと仰っていました。
ところで、「ラジオデイズ」というHPに圓窓師匠の記事がありました。
昨年の10月のものですが、コラボのこと、「猫定」のことに触れています。
 http://www.radiodays.jp/radiodays-blog/mrd/?p=1341

 

2010年11月 8日 (月)

真打競演

何と言っても、今夜の真打競演のとりあえずの楽しみは、落語ではなく、あの「玉川スミ」師匠ですよ。
2年前に芸能生活85周年を迎えた御歳90歳という、猫ならとっくに化けているという、○ぬのを忘れてしまったんじゃないかという、人間離れした師匠です。
いや~ぁぁ、声を聴く限り、元気・元気・・・。
とても90歳とは思えませんよ。
言葉もしっかりはっきり、啖呵もお見事でした。
芸能生活90周年に向けて頑張っているそうですよ。

落語は、三遊亭小遊三師匠です。

   ◇ 野ざらし    三遊亭小遊三

部屋で寛ぎながら、落語を聴く贅沢・・・、今夜も。

電線に・・

電線に・・
海の向こうの方から大きな鳥のオスが"つーーッ"と飛んで来て、浜辺の松にひょいと止まった。
次にメスが"るーーッ"と飛んで来て、浜辺の松にひょいと止まった。
「あぁぁ、この鳥の名前は"つる"だぁ。」

自宅近くの電線に、雀ならぬ「鳩」が群れて止まっています。
昔は平和の象徴のような存在の鳥でしたが、烏ほどではないにしろ、最近では、あまり有難がられなくなりました。現に、電線の下には、鳩の糞が・・・。
上に気をつけて歩かないと、「糞が落ちて来るぅ!と、ハッと」した時は、もう手遅れ・・・。」
「あぁぁ、それで"ハト"と言うんだ」なんて言っているようでは、「あまりにもピジョンがないからダブ(黙)りなさい!」なんてね・・・。

それが言いたかっただけ・・・・・┐(´-`)┌

日本シリーズ

日本シリーズが終わりました。
千葉ロッテマリーンズが、ペナントレース3位から、とうとう日本一になってしまいました。
これをマスコミは「下剋上」と称しているようで、何とも違和感のある下手な表現だと思うのは私だけでしょうか・・?
私だけと言えば、戦前から、「ペナントレース3位のチームが優勝する(日本一になる)のはおかしい」などと言う関係者や評論家がいましたが、そんなことはルールを決めた時から可能性があった訳で、現実になりそうになってきた時に、批判的なコメントをするなんて、センスのない卑怯な人たちです。
決めたルールで必死に戦った選手たちこそ讃えられるべきです。
改善すべきところがあるなら、別の機会に議論すればいいのです。
個人的には、ややロッテを応援していましたが、それにしても、今朝の新聞の取り上げ方の小さいこと。
日経新聞でも、今までならスポーツ面だけでなく、社会面あたりにも記事があったはずですが、今日の朝刊は、いつもの月曜日のスポーツ欄に淡々と掲載されているだけでした。
テレビ中継しかり、野球人気も下火になってきたと言うこと・・。

ロッテ日本一万歳\(^o^)/

立ち切れ(線香)

先日、「立ち切れ(線香)」という噺の話題になりました。
上方落語ですが、最近は柳家さん喬師匠も演っておられます。
物凄く悲しい、とてもいい噺です。

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「立ち切れ線香」といえば、桂文枝師匠がピカイチ群を抜いていたと思います。
上方落語はあまり聴きませんが、文枝師匠の噺は良かった・・・。
≪立ち切れ(線香)≫
昔は、芸妓の花代を線香の時間で計っていました。
芸妓がお座敷に上がると、線香を1本立て、切れると幾ら幾らの花代がつきました。そういう頃の噺です。
ある大店の若旦那がお茶屋通いが過ぎてしまい、親族会議の結果、心を入れ替えさせるため、100日の間、蔵住まいということになりました。
この若旦那と相思相愛の「芸妓・小糸」は、若旦那が来なくなったため、毎日、若旦那に文を出しますが、店の番頭が隠していたため、返事が来ません。
どうにか100日が過ぎ、やっと蔵から出してもらえた若旦那は、すぐに小糸の家に行きます。しかし、小糸は若旦那が来ないので、気の病を患い、若旦那があつらえていた三味線が届いた日、その三味線にどうにか一溌(ひとばち)入れただけで、息を引き取ったというのです。
若旦那は、小糸の仏壇に線香をあげ、供養の酒を飲んでいると、仏壇に供えてあった三味線がひとりでに鳴りはじめました。
若旦那はその三味線の音に耳を傾けていたが、三味線の音が急にやんでしまいました。
糸が切れたのかと思い、おかみが仏壇を見ました。そして・・・・、
おかみ「若旦那、もう何度お呼びになっても、小糸は三味線を弾けません」
若旦那「なんでだい?」
おかみ「ちょうどお仏壇の線香が立ち切れました」
・・・純愛物語を語る文枝師匠。
「小糸ぉぉ、なんで死んだんや・・」と、仏壇に語る部分は、涙・涙・・・。
三味線が入ると悲しみは絶頂になります。

この噺を鶴瓶さんがやったと聞いたので、思わず片言の関西弁で「なんでやるんやぁぁ・・」と言ってしまいました。

いつかやれないかなぁぁ。

2010年11月 7日 (日)

亀戸天神

亀戸天神
天気も良かったので、久しぶりに亀戸天神にお参りしました。
季節柄、七五三と菊祭りで大変賑やかでした。
さて、ここの境内からも「東京スカイツリー」が大きく見えます。
社殿の借景に工事中の姿が入ります。
途中の店で見つけた"みたらし団子"が上手そうだったので、「初天神」を思い出して、2本食べました。
隣の香取神社にも立ち寄りました。
何故、亀戸などに行ったのか・・・。それは後ほど申し上げることにいたします。

御朱印(帳)

以前、健康のため、ダイエットのためにウォーキングをしていましたが、寺社を参拝して御朱印を集めた時期がありました。

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御朱印は、寺社の僧侶や神職などに押印してもらうもので、スタンプラリーやオリエンテーリングとは違います。(罰が当たる?)
単に印を押すだけでなく、その下に墨書で寺社名や参拝日などが書かれ、その墨書も含めて「御朱印」と呼ばれているようです。

≪御朱印≫
御朱印の起源には諸説あるが、元々は寺社に写経を納めた際の受付印であったとする説が有力である。
そのため、御朱印を「納経印」と呼ぶこともある。
現在でも納経をしないと御朱印がもらえない寺院が存在するが、多くの寺社では少額の金銭(初穂料・御布施)を納めることで御朱印がもらえるようになっている。
金額は多くの寺社で300円としているが、500円などそれ以上の額が提示されることもある。通常は、紙を屏風折にして両側に固い表紙をつけた「御朱印帳」に押してもらう。御朱印帳は寺社や文房具店などで販売されている。
御朱印は印に寺社名が入っていることから、寺社で授与されるお札などと同等とされ、粗末に扱うべきではないとされる。
実際、御朱印帳を普段は神棚や仏壇に上げているという人も少なくない。
スタンプ帳やメモ用紙などへの御朱印を拒絶している寺社もいくつかある。
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各寺社の印や墨書を見ると、何となく安心しますし、画一的な御守などよりもご利益がある気がします。
・・主だった都心の寺社のものは頂戴したこともあって、最近は御朱印帳を持って散歩することも少なくなりましたが、なかなか気も引き締まるものでした。

紅(黄) 葉

紅(黄)<br /><br />
 葉
今年の夏は暑かった。
でも、今年の秋は短かった・・・。
でも、庭のイチョウの色は、まだまだこれからという感じ。
だいぶ色づいては来ましたが・・・・。
里に下りてきた猪・鹿・(蝶でなく)熊たち動物のみならず、植物も気候や環境の変化に驚いていることでしょう。
明日7日は、浅草の酉の市(一の酉)です。
イチョウ(以上)報告終わり???

2010年11月 6日 (土)

若手落語家の訃報

立川流の二つ目の立川談大が、突然くも膜下出血で倒れ、亡くなったそうです。
36歳とか37歳という若さだったそうですから、大変痛ましいことだと思います。
私は談大さんと言う人を聴いたことはありませんが、談志師匠はじめ、一門の皆さんも、さぞや落胆されているでしょう・・。

鈴本11月上席

鈴本11月上席
上野鈴本演芸場は30人ぐらいの団体さんがあり、開場前に行列が出来ていました。
今日は土曜日ですが、会社は出勤日だったので、仕事を終えてから、週末の寄席を楽しもうと。

 ◆ たらちね        三遊亭粋歌
 ◆ 長命           春風亭一朝
 ◆ 鯛                         柳家はん治
 ◆ 釜泥                      柳家三三
 ◆ 火焔太鼓                橘家圓蔵
 ◆ 幇間腹                   古今亭菊之丞
 ◆ お化け長屋             林家たい平

一朝師匠の「イッチョー懸命やります」は、完全に定着しましたね。本当に寄席にはなくてはならない存在だと思います。
はん治さんの「鯛」は何度目でしょう。「鯛」「背中で老いてる唐獅子牡丹」「ぼやき酒屋」の、桂三枝原作3シリーズは、はん治さんのものになっていると思います。
三三さんはつね随分駄洒落を飛ばしていましたね。
菊之丞さんの幇間も当たり役です。
バラエティーに富んだ出演者でした。
たい平さんは、季節はずれの「お化け長屋」を、独自の味付けをしていました。
楽しい楽しい週末の寄席通いです。

千両みかん

あの有名な・・
「マッカーサー道路」なんていうのを話題にしたので、「千両みかん」のタイトルを入れようとしたら「占領みかん」になってしまいました。

以前から気になっていた神田須田町の「万惣」という果物屋さん。
2階がフルーツパーラーになっています。
ちょっと覗いてみると、なかなか落ち着いた雰囲気で、食事も出来ました。
シーフードハンバーグを食べてみましたが、なかなか・・・。
フルーツメニューのほか、ホットケーキや洋食(シチューやロールキャベツ)も売りのようです。
会計をする時、若い女店員さん(古い言い方)に、「このお店は、江戸時代からこの場所で商売をやっているんですよね。」と聞いたら、即座に「はい、そうです。」という答えが返って来ました。
重ねて、「千両みかんに出て来るお店ですよね。」と聞こうと思いましたが、やめました。
明治以降も、このあたりは、都電のターミナルで賑やかだったようです。江戸時代からずっと現代まで、同じ場所で果物を商っているというのが、全くの赤の他人ながら何となく嬉しいものです。

≪万惣(まんそう≫ 千代田区神田須田町交差点角
みかん1個を千両で売った問屋を小三治は「万惣」、彦六の正蔵は「万屋惣右衛門」、馬生は「千惣」としている。
創業150余年、老舗の高級果物店。
須田町交差点角に8階建てのビルが建っている。
ビルの1階では進物用の果物等を売っていて、2階が洋食なども楽しめるフルーツパーラーになっている。
≪千両みかん≫

ある大店の若旦那が、何か思い悩んで床に伏せったままになり、一向によくならないので、江戸で一番の名医に診てもらうと、「本人の望みを叶えてやれば、病は治る」と。
早速いろんな人に頼んで、何を望んでいるか聞きに行くが、若旦那は誰が聞いてもなかなか言い出しません。
何とか番頭になら話すと言うので、聞きに行かせると「ミカンが食べたい」。
それを聞いた番頭は、普段のおっちょこちょいが出て、夏でミカンのない時期にもかかわらず承知してしまいます。
若旦那は、ミカンが食べられるという喜びで、血色がよくなります。
番頭は、大旦那に「若旦那は、ミカンが食べたいそうです。ミカンなどすぐに買ってきますから元気を出すようにと言いました」と。
大旦那は、「この暑い夏真っ盛りの時期に、ミカンがあるかい?」
番頭は自分のそそっかしさに気が付きますが、大旦那は「もしかすると、探せばあるかも知れない、もしなかったら、たぶん倅は死ぬだろう。そしたら番頭さん。お前さんは主殺しだよ」と脅かして、とにかく探して買ってくるように言いつけます。
番頭は、あちらこちらで聞き回りますが、当然どこにもミカンは売っていません。
へとへとに疲れ果てた番頭が、道に倒れたとき、近くを通行した人に助けられ、みかんを買ってこなければ主殺しにされてしまうことを泣き泣き話すと、助けてくれた人が、神田の問屋を訪ねてみろと教えてくれます。
何軒も問屋を歩き回った最後の店(万惣)で、「あるかもしれません」と言われ、一緒に蔵には行って、山と摘まれたミカンの箱を次々と開けてみましたが、どれも腐っていてダメ。
ところが、一番最後の箱から、とうとう無傷のミカンが出て来ます。
番頭は、大喜びで、購入代金は、いくらかと聞きますと、問屋の主は「千両です」。
番頭はたった一つのみかんが「千両」と聞かされて、大旦那に相談してくるからそれまでどこへも売らずに待っていてくれと頼んで店に戻り、大旦那にこれを話しますと、大旦那は「千両で倅の病が治れば安い」と番頭に買いに行かせます。
若旦那は、番頭が買って来てくれたミカンを見て感激して10房のうち7房を食べた後、残りの3房は、両親と苦労して探してくれた番頭にあげたいと言い出します。
残りの3房を手にした番頭、「この3房が300両、あと2年で、自分がもらえるのれん分けの金はせいぜい20両。長い浮き世に短い命。太く短く生きてやろう」と、その3房のみかんを手にして夜逃げをしてしまいます。

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それにしてもあの番頭さん、むいたみかん3房だけ持って、どこへ行ったんでしょうか・・・?
そして、あのみかんは、300両で売れたのかなぁ・・・・。
これは、万惣さんも知らない、永遠の謎ですね。

朝の散歩道

朝の散歩道 
地下鉄上野駅から上野広小路駅方面に向かう不思議な雰囲気の連絡地下道があります。
要は、中央通りの真下を道路なりに通っているのですが、西郷隆盛像下の京成上野駅までの間は、随分昔から地下道が開いていて、しかも上野というディープな土地柄から、"ダンボールホームオーナー"が多く集まる場所でもありました。
朝の散歩道
最近、鈴本演芸場あたりに大きな地下駐車場が出来たり、御徒町界隈に鉄道の新線が開通したこともあって、中央通り(御成街道)の地下が御徒町(上野広小路)の松坂屋方面まで繋がりました。
これから寒くなりますので、健康のための朝の「一駅ウォーキング」に最適なコースだと思います。
あまり人通りも多くありませんから、「歩き稽古」も十分可能です。
それほどの距離ではありませんから、これから毎日この不思議な地下道を歩くことにしようと思います。

師匠のコメント

落語とピアノのエンソウ会
先日の「落語とピアノのエンソウ会」の後、落語っ子連のMLに師匠のコメントが入っていました。

みなさんへ
ご協力のおかげで、第3弾、なんとか形になりました。
ありがとうございます。
素噺の[叩き蟹]とは落ちも変えてみました。
気が付いた人はいたかしら、、、。(笑)


師匠も満足の会だったようです。
そしてオチのこと。
ここで、当日アップした私のブログの一部をご紹介します。
師匠は、オチも"コラボバージョン"に変えて、蟹が酔っ払って寝てしまうという「仕草オチ」にしていました。
ほうら、私はちゃんと気づいていたんですよ。
でも、「師匠、私はすぐに分かりましたよ」というのも知っていますが、そこは奥ゆかしく黙っていることにします。
が、このブログの中では、「師匠そうですよねぇ あたしゃぁ ちゃんと知ってましたよ~ぉぉ」と叫んでおきます。

2010年11月 5日 (金)

大きくなりました

大きくなりました
(浅草ネタが続きます。)
浅草の雷門近くから望む工事中の東京スカイツリー。
ここから上は、電波塔の部分だそうですから、"本体"はこの高さなんですね。
この展望台から見る浅草や上野、日本橋などはどんなものでしょう。

Ryoun2

大正時代の「浅草十二階・凌雲閣」に登って帝都の景色を観た人たちの思いも、同じだったかもしれません。
それにしても、雲を凌ぐなんて、粋な命名です。
でも、震災のために雲のように散ってしまったそうですが。

仮名手本忠臣蔵

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国立劇場の「あぜくら会」のメンバーになっています。
と言っても、大劇場や能楽堂などの企画にはほとんど会員の特権を使うことなく、演芸場専門だったのですが、来月の大劇場公演が「仮名手本忠臣蔵」だと知り、インターネットでチケットをゲットしました。
以前、今は閉じてしまった歌舞伎座で通し狂言を観たことがありましたが、やはり歌舞伎と言えば「忠臣蔵」ということで、しかも極月の公演ですから。

三段目  足利館松の間刃傷の場
四段目  扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
 同    表門城明渡しの場
浄瑠璃   道行旅路の花聟-清元連中-
七段目   祗園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入の場
 同     奥庭泉水の場
 同       炭部屋本懐の場
       引揚げの場

四段目と七段目が入っていますから、落語の演目で出て来る場面を観ることができますよ。
しかも、特別席12,000円也。
前から10列目の舞台正面の席ですからね。

で、落語会に行くのを4~5回我慢することにします・・・。

新旧の塔

新旧の塔
浅草寺の五重塔越しに、ただいま建設中の東京スカイツリーを望むことが出来ます。
アンテナ部分を残して、外観はかなり出来上がりつつあるようです。
新旧の塔
この新しいタワーには、五重塔の技術が活かされているそうですから、新旧のすばらしいシンフォニーという訳ですね。
こういうパターンの絵葉書があって、修学旅行などの時に買った記憶があります。

2010年11月 4日 (木)

やすらぎ寄席

やすらぎ寄席
新橋愛宕下の真福寺で毎月開催の「やすらぎ寄席」。
今月は圓楽一門会の出番で、楽介師匠と竜楽さんがご出演です。
ここ半年ばかり行っていませんね。
18日(金)です。

木馬亭

木馬亭
浅草には、落語定席以外にも、大衆芝居や演芸の小屋がたくさんあります。
浅草寺の西参道に浪曲専門館の「木馬亭」がありますが、ここの看板文字は、落語定席と同じ寄席文字でした。
こういう看板を見ると、その気になりますね。

マッカーサー道路

大プロジェクトの槌音
虎ノ門から赤坂や六本木界隈は、「○○Mビル」という名前のビルが数多く建っています。
「・・・ヒルズ」なんて名前のビルもあります。
その「Mビル」グループが、新橋愛宕下に50階を超える超高層ビルを建設しています。
ちょうど、通称「マッカーサー道路」と愛宕通りが交差する場所です。
このあたりは、通称「愛宕下」と呼んでいますが、この超高層ビルが完成すると、愛宕山より高くなるのではないかと思います。
そうそう、「マッカーサー道路」なんていう、随分時代がかったような名前の道路です。
東京の道路の中で 環状2号線(外堀通り)は最も重要な幹線道路ですが、このうち 虎ノ門から新橋にかけての部分は「マッカーサー道路」とも称され、昭和21年に100メートル道路として計画されましたが、長い間整備が進みませんでした。
「マッカーサー道路」と言われるようになったのは、当初、赤坂の米国大使館の前を通ることになっていたためなのだそうです。
平成になって臨海部の開発が進み 汐留再開発が進行するにつれ、これら地域と都心を結ぶ環状2号線の整備が大きな課題となりました。
そこで、幅員を縮小して50メートル道路とし、立体道路方式をとりこんだ再開発手法を導入することで、計画が現実化しつつあるのだそうです。

また、街の様相が大きく変わるのでしょう。
「猫定」の定吉が殺された場所も、今は都心のオフィス街です。

2010年11月 3日 (水)

落語とピアノのエンソウ会

落語とピアノのエンソウ会
「ティアラこうとう」には初めて行きましたが、大変綺麗な会場でした。
小ホールは、約150席ぐらいで、落語にはぴったりの空間でした。
圓窓師匠と竹葉子さんのコラボレーション第3弾の「叩き蟹」です。
会場は満員。主催者のまど音さんも大変に嬉しそう。

落語とピアノのエンソウ会
  ◆ つる     三遊亭圓窓
  ◆ 叩き蟹    三遊亭圓窓

竹さんのピアノ独奏は、事前にリクエストのあった動物に因んだ曲。
基本的にはクラシックでしたが、唯一、例の「水神」のコラボの時に竹さんが作曲したという「茜空」が良かったですね。
夕焼けに染まる空を烏に戻った「おこう」が飛んで行く姿を思い出しました。
「叩き蟹」は、師匠の創作による左甚五郎もの。
「竹の水仙」や「三井の大黒」の甚五郎とは違うキャラクターは、別の好感を感じました。
"情は人のためならず"、尊い言葉だと思います。
師匠は、オチも"コラボバージョン"に変えて、蟹が酔っ払って寝てしまうという「仕草オチ」にしていました。
会場には、落語っ子連・扇子っ子連などの素人の"弟子"たちや、師匠のライフワークでもある「落語の授業」に関わりのある先生たちも多く来場していたようです。

円山応挙の絵も含め、充実した「文化の日」を過ごしました。

円山応挙

円山応挙展
日本橋の三井記念美術館で「円山応挙・空間の創造」という特別展が開かれています。
円山応挙と言えば、落語の方でもお馴染みで。
・・でも、実は、応挙のことなどはほとんど知らないという・・。
知っているのは「応挙の幽霊」という噺と、谷中の全生庵にあるという幽霊の絵。
とんでもなく偏った情報のみ。
遠近法を使った画法など、幽霊のイメージとは随分違う雰囲気で、昔の絵師の定番ともいうべき屏風絵も襖絵も見事です。
竹雀、龍、孔雀と、これぞ日本の絵というのを堪能しました。
幽霊の絵は1枚もありませんでした・・・・。

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《円山応挙》
享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期の絵師。
近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。
諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。


Maturi_oyuki 《落語・応挙の幽霊》
古道具屋が安く仕入れた幽霊の掛け軸を、訪ねて来たお得意の旦那に10両で売った。
品物は翌朝届けるということで、旦那は手付けの1両を置いて帰る。
古道具屋は大儲けしたので、幽霊の掛け軸の前で一人で祝い酒を飲み始める。
しばらくして人の気配を感じてあたりを見ると幽霊が掛け軸から抜け出し前に坐って?いる。これがまた実にいい女。
幽霊の女は、掛け軸を買われるたびに恐いとか、気味が悪いといわれ、すぐ箱の中にしまわれてしまっていたが、あなたが酒を手向け、お経を唱えてくれたので嬉しくなって出てきたのだという。
そして自分は円山応挙が書いたものだという。
応挙の真筆なら20,30両では売れただろうとちょっと残念がるが、美人の幽霊のお酌で酒盛りが始まる。
幽霊の女は都々逸など歌い出す上機嫌だ。「三途の川でも、さおさしゃ届く、なぜに届かぬわが思い」なんて調子だ。
そのうちに幽霊の女は酔っ払って、掛け軸の中に帰って寝てしまう。
そのうちに朝になっても幽霊はまだ眠ったままだ。
お得意先の旦那は、古道具屋が朝に掛け軸を届けるというのに持ってこないのでやきもきしている。
そこへ、古道具屋が来る。掛け軸は持ってきていないという。
旦那 「どうして持ってきてくれなかった。店に置いておいてもしょうがないだろう」
古道具屋 「もう少し寝かせておきとうございます」
落語らしい、色気のある噺だと思います。
昔、五代目小さん師匠の兄弟弟子だった、蝶花楼馬楽師匠の噺を聴いた記憶があります。
あれ?三井記念美術館の話題が、いつのまにか落語の話に変わってしまいました。
やっぱり、こっちの話の方がいいや。

日本橋室町界隈は、先日オープンしたばかりの「コレド室町」など新しいビルに、随分多くの人が集まっていました。

浅草の観音様

浅草の観音様
今日は義母の命日です。
ちょうど今年で10年です。
浅草の観音様にお参りするのも、宗旨は全く違うのですが、義母の逝去と、ちょっと"縁"と言いましょうか、関わりがあるんです。
浅草の観音様
10年前の今日も、用事で千住方面に出かけたので、足を伸ばして観音様にお参りをして、義母の病気平癒を祈り、ご朱印もいただきました。
祈り空しく、その日に還らぬ人となってしまいましたが、それから出来るだけ毎年(の今日)は、観音様などに手を合わせようと・・、密かに。
(ブログで言ってしまったから、密かではなくなりましたが。)
ちなみに昨年は、同じ宗旨の柴又帝釈天にお参りしたようです。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/11/post-e2f9.html
  
10年前の今日は、曇って肌寒い日でした。

浅草徘徊

浅草徘徊
天気も良いし、何か「時代祭り」みたいなイベントもあるようで、それこそお祭りみたいに賑やかな浅草でした。
浅草演芸ホールの上席は、昼が圓歌師匠、夜が市馬さんが主任。
寄席幟が晴天に映えていました。
浅草徘徊
田原町駅近くの太鼓屋さん?に並ぶ大小太鼓の数々。先輩の寝蔵師匠の顔が浮かびました。

川内寄席の様子

先日の「東北大学祭」での落研の「川内(かわうち)寄席」を、金願亭めがねさんが覗いてくださり、実況レポートをしてくださいました。

こういうありがたい落語ファンの皆さまに支えられて、「川内寄席」もずっと続いている訳で、心から感謝しないといけません。
めがねさん、開演早々から会場に行ってくださったそうです。

開口一番の「東中亭蜂鋭」くんの「天狗裁き」は1年生と思えないぐらい堂々としていたようです。
部長の「世間亭節介」くんは、「さすがに部長!」という訳で、「巌流島」は、舞台慣れしていたとのこと。会場で大笑いしているのはお母さんと直ぐわかったとか。お父さんと弟さんが本人とそっくりだったそうですから、家族総動員だったようです。微笑ましい話です。

こういう場所では仕方がないのですが、節介くんの時は、満席だったんだそうですが、次の「夢遊亭迷々」くんが登場する時にお客さんが半分に減ってしまった。
そういうことはよくあるんです。
我々も、お客さんを帰してしまうと「帰しの乱志」なんて言われたものでしたよ。
しかし、迷々くん、そんなことにめげずに上手にまくらで繋いで「寝床」に入っていきます。
そして、さあいよいよ噺が佳境という時に、何故か他の部屋の音声がスピーカーから流れてしまい・・。
それでも迷々くんは慌てず騒がず、アドリブで繋いで、お客さんの気持ちがそがれることなく、オチへ。

・・賑やかな様子が目に浮かんで来ました。
めがねさんは、時々このプログを覗いてくださっているようですから、改めてお礼を申し上げたいと思います。
本当にわざわざありがとうございました。 m(_ _)m

節介くんも迷々くんも、9月のOB落語会に出演してくれて、それぞれ「一目上がり」「寄合酒」を演ってくれました。
とても頼もしい後輩です。
考えてみると、私の息子世代なんですよね。

めがねさんのコメントで印象に残ったのは、落研だけでなく、ギター部や合唱団も、みんな変に垢抜けていなくて、真面目っぽくて、好感が持てたということで・・。
ローカル色が残る、素朴な「いかとん」、「いかにも東北大生(男子)」に好感持っていただいたようです。

2010年11月 2日 (火)

"定"食

"定"食
先日横浜に行きました。
ちょうど昼食時にかかったので、腹ごしらえと。
横浜に通っていた頃、関内に本店のあるカツレツの元祖と言われている「K」という老舗があり、よく食べに行きました。
それ以来、横浜で食事という時は、横浜駅ビルの中にある支店に何度か行っています。
今回も"勝烈定食"で元気をつけました。
キャベツのおかわりもして、ちょっと贅沢をしてしまいました。

セレブのご邸宅

セレブのご邸宅
仕事で渋谷に行きました。
渋谷という街も雑多な街で、以前は毎日通ったのですが、私にはなかなか馴染み難い街でした。
とはいえ、ちょいと近くには、松涛や南平台なんていう高級住宅街があるのも不思議です。
通りかかった邸宅は、かつての総理大臣の私邸です。某国の大使館の横を入った閑静な場所。まだ夫人はご健在だとか。

2010年11月 1日 (月)

真打競演

東京かわら版で見ると、漫才のロケット団、落語の小遊三師匠と並んで、スミってありましたが・・、あの、えっ? 玉川スミ師匠?
なんて考えていたら、番組の内容が違いました。
そうか、先月の例のプロ野球中継のために、1週間ズレているんですよ。きっと。

◇ お見立て      三笑亭夢之助

大田家元九郎さんが会場を沸かしていました。
夢之助師匠もテンポのいい明るい高座で、安心して聴くことが出来ますよ。

そして来週は・・、スミが誰かが判明するのです。

落語とピアノのエンソウ会

師匠の落語会「落語とピアノのエンソウ会」が明後日になって来ました。
企画・主催している落語っ子連のまど音さんによれば、チケットもほぼ完売、師匠とコラボレーションをするピアノの竹さんとのリハーサルも順調だということです。
「叩き蟹」がどのように表現されるのでしょうか。
さぁ、当日が楽しみです。

東京かわら版

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東京かわら版を定期購読して何年経つでしょうか。
そんなに隅から隅まで読んだり、チェックしたりする訳ではありませんが、様々な落語情報を得るには、なくてはならない物です。
今月号のインタビューは、古今亭志ん橋師匠でした。
随分昔になりますが、初めて師匠を聴いた時は、スキンヘッドとドスの利いた声に驚きました。
しかし何度か聴いていると、あの声が心地よくなり、よぉく見ると、つぶらな瞳が可愛い(失礼)ことが分かりました。
所属する一門も協会も違いますが、かつて(先々代)の春風亭柳橋師匠にも似たどっしりした雰囲気は、寄席に欠かせない師匠です。
今月も、たくさんの寄席や落語会が、色々な場所で開かれます。
今月は何度足を運べるでしょうか。

「雪の瀬川」を聴く会

日本文化研究会11月15日公演
〜柳家さん喬師匠の「雪の瀬川を聴く会」

「東京かわら版」の広告で見つけた、とても興味をそそる落語会。
早速、インターネットで予約しました。
さん喬師匠の「雪の瀬川」は、確か一度聴いたことがあるのですが、あまり演る人のない噺ですから、もう一度じっくり聴いてみたいと思いましたので。

三遊亭圓生師匠が「松葉屋瀬川」という演題でお演りになっていた十八番の長講。

さん喬師匠のCDが出ているのですが、このCDの紹介の一部です。
雪の瀬川は幾夜餅のように、ありえない花魁の美談だが泣かせる噺だ。さん喬が演じると、ありありとその情景が目に浮かんでくる。
今、雪がしんしんとふりつむ、その場所にいるような錯覚に陥ってしまう。そればかりでなく若旦那を取り囲む優しい人情や、その人情に目覚める若旦那の気持ちを見事に表現している。
今の噺家の中の頂点にいるのはさん喬だと思うし・・・(以下略)。


今から楽しみ・・。

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