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2010年8月

2010年8月31日 (火)

葉月の落語徘徊

記録的な猛暑の中で、落語徘徊もやや元気が出ない1ヶ月だったかもしれません。
小さなアルバム
  ◇  5日   昔若庵~研精会OB落語会
  ◇  7日   大手町落語会
  ◇ 11日   鈴本夏まつり
  ◇ 13日   東京落語会
  ◇ 24日   紀伊國屋寄席
  ◇ 29日   圓朝に挑む!

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この暑さで、「今夜は鈴本にでも行こうかな」と思っても、上野広小路や上野の駅から、暑い中を歩くのがつらくて、何度か断念した気がします。
来月、暑さが一段落したら、ブラブラ寄席めぐりもできるかもしれません。

金願亭乱志は、とにかく来月予定の2度の高座を前に、ただうろたえる1ヶ月。
三流亭流三は、次回の発表会の演題「甲府ぃ」で、師匠からOKをいただきました。
千早亭永久は、先月の2度の高座が終わり、ホッとしているところ。
・・・・
「三人?三様」です。私は一体誰?

夜半の月

夜半の月
毎日暑い晴天が続きます。
今までなら、これだけ雨が降らないと、水不足が騒がれますが、今年は全国のニュースでも、あまり聞かれない気がしますが・・。
また、これだけ暑いと、エアコンのフル稼働などで、電気の不足も話題になっていたものでしたが・・、大丈夫なんでしょうか。
これは、インフラが整い、リスク管理が徹底され、エコが進んだからでしょうか?
天気が良いおかげで、夜は毎日綺麗な月を見ることができます。
写真は、この間皇居前の行幸通りから、丸ビル越しに見た月です。
空が晴れ渡っていましたから、実に美しい月でした。「居待ち月」あたりかもしれません。
"春高楼の花の宴"ならぬ"夏高層の脇の円(丸い月)"でしょうか・・?

仙台あまちゅあ落語コンテスト

E890bde38193e38293e6b1bae58b9de3838 先日、仙台で、素人落語のコンテストが開催されたそうで、わが落研の後輩の「井の線亭ぽんぽこ」さんが出場したそうです。
チラシを拝見すると出演者は・・・・、(敬称略)
   井の線亭ぽんぽこ (東北大学院生)
  裁楽亭とんぼ    (ふくしま素人落語の会)
   立花亭小道     (米沢市「落語長屋」)
   笑風亭間助     (山形落語愛好協会)

駄馬師匠情報によれば、我らがぽんぽこ君も大奮闘したようですが、福島の方が優勝されたとか・・・。
かつて「全日本学生落語名人位決定戦」なるものに、地方から唯一出場した身ながら、どうもこういう競うイベントというのは好きではありません。
落語というのは、今の教育のように、偏差値みたいなもので判断するものではない、感性に訴えるものですから・・・。
とはいえ、みちのくでも落語が盛んになっているというのは、大変素晴らしいことです。
ところで、例えば、例えば、私のような者でも出場資格はあるのでしょうか・・?

・・と言っても出ませんよ。自分の実力は十分
分かっていますから。
それにしても、「全国学生・・・」に出場した時は、あの五代目柳家小さん師匠に、講評していただいたんですよねぇ・・・。夢のようです。

雪呉竹の群雀

雪呉竹の群雀
偶然立ち寄った某店で、面白い絵を発見。
積もった雪の重さで撓っている竹の梢に、何羽かの雀の群れ。
まさに「竹に雀」ですよ。
これこそ、「旅人は 雪呉竹の群雀 止まりては発ち 止まりて
は発ち」ではありませんか。
「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり・・・日々旅にして旅を棲み家とす。」
とても美味しいコーヒーを飲ませてくれる、日比谷の洒落たコーヒー専門店でした。
命が延びる気がしました。

2010年8月30日 (月)

真打競演

そう言えば、こんなラジオ番組がありましたよ。
NHKラジオの「真打競演」。
今夜は、山口県での公開録音分の放送でした。

◆ 猫の災難   柳家権太楼

漫才・漫談の後の権太楼師匠の一席。
久しぶりに早く帰って寛いで聴くことが出来た気がします。
こういうのも、平和でいいですね。気遣いもいらず。

友引寄席

友引寄席
本屋さんで偶然見つけた新書本。
「友引(ともびき)寄席」(うめだ勝之著・幻冬舎ルネッサンス新書・838円+税)という。
ちょいと立ち読みしてみると、何のことはない、著者は「三升家う勝(みますやうかつ)」さんでした。
三升家小勝師匠のお弟子さんで、一度聴いたことがありますが、確か社会人を経験してから入門した噺家さんだったと記憶しています。
その"う勝"さん、かつて葬儀社で働いていたそうで、冠婚葬祭の儀式やマナーやいわれなどから、落語の演題を解説しているようです。
ご祝儀(葬儀社なら香典?)のつもりで、買って読むことにしました。

古狂師匠の夏休み

落研の先輩の恋し家古狂師匠が、落研OBのML「晴坊会」に熱い投稿をしてくださいました。
なんと、某所での柳家小三治師匠との遭遇譚。
普通なら、ましてや落語通なら、小三治師匠をお見かけしたら、緊張しながら、遠巻きに見ているのが普通だと思うのですが、そこはわが落研の古狂師匠ですから、図々しく(すみません積極的に)話しかけたのみならず、最後はツーショットの写真まで撮らせてもらうという暴挙(すみません快挙。)
う、う、羨ましいぃぃ・・・。
小三治師匠は、二つ目時代に、何度か我が落研主催の落語会に来てくださっているので、仙台のこともよくご存知の様子で、駅前の「日の出会館」で古典落語観賞会をやったことも覚えてくださっていたようです。
ここで、古狂師匠の投稿文の一部を(勝手に)拝借すると・・・、
「東北大落研はいろいろ活躍してるのを聞きますよ。以前記念誌も出しているようで、あたしのところにもあるよ。そういえば、仙台駅前の日の出会館てのがあり、そこでやったね!」
「そういえば、仙台で公演すると、確かOさんという人が、楽屋にずんだ餅を差し入れてくれますが、あの人はどんな人です?先輩?後輩?・・・」

このほかにも、色々な話をさせてもらえたそうです。仙台や先輩の名前などの固有名詞がどんどん出て来て、垂涎・垂涎・・・。

ちょいと注釈を入れてみることにしましょう。
まず、「記念誌」というのは、落研創部時代の先輩方が刊行した、「仙都に笑いを〜草創期」のことでしょう。
かつて落研がお世話になった噺家さんにも贈呈したようですから、それを読みいただいたのでしょう。
「Oさん」というのは、我が落研の重鎮の「桂友楽」師匠のことです。
仙台で、落語を中心に文化的な活動をされている、尊敬すべき名士です。
それにしても、マメに差し入れなどもやっておられるんですね。

それにしても、随分昔のことなのに、突然のガチンコの会話で、落研や仙台のことを話してくださるというのは、古狂師匠のみならず、OBの方々も、勿論私も、大変有り難く、嬉しいことです。
「葵の御紋」よろしく、「落研」を振りかざして、小三治師匠からツーショットまでゲットしたという、古狂師匠の真夏の夜の大それた話の読み切りでございます。
お後がよろしいようで・・。

東京かわら版

Img 季節の変わり目を、この「東京かわら版」で知るというのも、何と粋というか、とことん野暮というか・・・。

相変わらず、寄席や落語会、噺家さんや本など、落語に関する情報が、ドッサリ載っています。
まだ落語もブームが続いているのでしょうか?
そう言えば、週刊ポストか何か週刊誌にも、巻頭・巻末で、落語が特集されていましたね。

2010年8月29日 (日)

圓朝に挑む!

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「圓朝」という名前からか、出演者が良いのか、立ち見が出るほどの盛況でした。

◆ たらちめ   春風亭一力
◆ 三番蔵    入船亭扇辰
◆ 黄金餅    三遊亭圓馬
◆ 操競女学校 橘家圓太郎
◆ 心眼      春風亭柳橋

今回の「圓朝に挑む!」は、ネタが小ぶりだった気がします。
「黄金餅」という噺は、陰惨というか、グロテスクというか、あまり好きではありません。

後ろの席では、補聴器がハウリングというのでしょうか、「ピーピー」音がしてうるさいのに加えて、そのご夫婦がぼそぼそ話していたり、ビニールの袋をガサガサ音を出しているオッサンがいたり、騒々しいこと。ややイラつきながらの鑑賞でした。

「ん組」稽古会

師匠の都合で、1週間ずらしての稽古会。
可愛いゲストの太郎くんの「寿限無」の名前の口上を聞いて喝采の拍手の後、師匠に「師匠、先日の紀伊國屋の師匠のとは全く違いますが、「ねずみ」を・・・。」ということで、聴いていただきました。
冒頭から、いろいろダメ出し・アドバイスをいただきながら、ひと通り演じ終えた後、師匠から予想通りのコメント。
「ねずみ」という噺の生い立ち、浪曲から落語に移植した三木助師匠のこと、甚五郎のこと・・・・。

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師匠から「まだ時間があるから、直しなよ。流三さんの技量なら十分間に合うから。」・・。
光栄やら、プレッシャーやら、もう一度練り直しが必要なようです。
2年以上前に、師匠に稽古をつけていただいていない噺だということもあり、以前から師匠にご指摘されていた私の欠点が露呈していて、また厳しく言われました。
先日の師匠の「ねずみ」で、場面転換について感じたことを話すと、「そのとおり、三木助師匠だからともいえる、長い身の上話の工夫で、だれないような臨場感を出すため。こういうところは、分かる人には理解してもらえると思うが・・。」との答え。
よぉし、もう一度練ってみますか。

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・・それにしても疲労困憊。
緊張したんでしょう。今日は、ちょいとした高座に上がるよりも疲れました。
でも、師匠と相対でご指導もいただき、質問もできる幸せ。この経験は何にも代えがたい気がします。
という訳で、夜は稽古疲れのためか、随分早い時間から「眠り猫」になってしまいました。

可愛い見学者

可愛い見学者
今日の稽古会には、お客様が2組。
一人は、紅巣亭のメンバーで、芝居経験があり、保育士をやっているというSさん。
寿限無をハキハキと披露してくれました。
刺激になりますね。
それからもう一組は、"太郎くん"とお母さん。
インフルエンザになった時に、おじいちゃんが落語のCDを聴かせてくれたのがきっかけで、すっかり落語好きになってしまったという、小学3年生(8歳)。
師匠から、師匠の落語が載っている小学4年生の国語の教科書をプレゼントされ、はにかんでいました。
師匠から、「(落語が好きなら)まず大きな声で元気に話そう。」というアドバイス。
テレビや絵本で「寿限無」の名前は覚えているというので、座布団に座って一席。
とても可愛い噺家さんぶりでした。
こんな子どもたちが落語に興味を持ってくれたら、落語の明日は明るいですね。
それにしても、8歳から落語をやったら・・、末恐ろしい気もします。

上野徘徊

上野徘徊
落語だけでなく、ホームグラウンド?の上野などの街をブラブラしていると、今まで通り過ごしていたような店も覗くようになります。
鰻、天ぷら、蕎麦、釜飯、洋食、中華、イタリアン・・。(食べるものばかりですが)

今年の暑さで、マイ・ブームになったのは、宇治金時(かき氷)です。

御成街道の西郷像下の向かい側にある甘味処M。この店、休日などは行列が出来るそうです。確か、上野駅「アトレ」の中にも支店があります。

2010年8月28日 (土)

古典落語観賞会の思い出話

Photo寝蔵師匠が、柳家小はん師匠の思い出話から、昭和48年11月の古典落語観賞会の時のことをご披露してくださいました。
ご自身も、この落語会に開口一番「片棒」でご出演されています。

柳家さん弥(現柳家小はん)師匠には、私が現役時代お世話になっております。
昭和48年11月の「第13回古典落語鑑賞会」でお呼びしています。
この時のプログラムを眺めて、思い出したことが2つ。
ひとつは、(寝蔵師匠が)前座として勤めたのですが、練習不足と大師匠連の前でやる緊張感で完全に「飛んで」しまい、舌ぁつっぱらかっちゃって、てんで噺にならなかったこと。
もうひとつは、この日、圓窓師匠は、「お坊ちゃん」を連れて来られ、確か4~5歳くらいで、私が楽屋での子守役。
師匠が高座で落語演っておられるとき、「太鼓を叩きたい!」などと言われて、「いけません。今、お父さんはお仕事中なんですから。」とたしなめた記憶があります。
この「お坊ちゃん」が、この間真打に昇進した「窓輝」師匠なのかな・・?

最初の話は、寝蔵師匠のご謙遜でしょう。なんてったって名人「寝蔵」ですから。噺にならないなんて。
二番目の話は、圓窓師匠に確認しなければいけませんが、「お坊ちゃん」の年齢からすると、師匠のご三男の窓輝さんではなく、ご次男ではないかと思います。
今度の稽古会の時に、師匠に直接尋ねてみようと思います。
子供連れで来てくれるなんて、当時の落研と師匠の距離の近さが想像できますね。
本当に良い時代だったかもしれません。・・懐かしい・・。
       ≪第13回 古典落語鑑賞会≫
        昭和48年11月25日(土)
          日の出会館ホール
【昼席】    ◇ 浮世床     狐狸亭酔狂
        ◆ 錦の袈裟    三遊亭楽太郎
        ◆ 小言幸兵衛  柳家小三太
        ◆ 猫災       柳家さん弥
        ◆ くしゃみ講釈  三遊亭圓窓
【夜席】    ◇ 片棒       喰亭寝蔵
        ◆ 三百餅     三遊亭楽太郎
        ◆ 品川心中    柳家さん弥
        ◆ 寝床       柳家小三太
        ◆ 宮戸川     三遊亭圓窓

朝顔の

朝顔の自宅から駅までいく途中で見つけた朝顔が群れ咲いているところ。
鉢植えで、毎日2~3輪の花が可憐に咲くのも可愛いですが、団体で咲いたのも勇壮で、なかなか見応えがあっていいものです。
花のひとつひとつは1日だけのもので、再び咲くことはないのでしょうが、後から後から新しい花に出会える一期一会が、そこにある気がします。

生きた証に・・?

某県で186歳のおじいちゃんが所在不明だとか・・。
さらに、江戸時代の天保11年(1840年)生まれで170歳の男性を最高齢に120歳以上の高齢者906人が、戸籍上生存した状態で残っている自治体もあるそうです。

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ちなみに、あの三遊亭圓朝師匠は天保10年(1839年)の生まれですから、ご存命であれば171歳です。
生きていてくれたらいいですねぇぇ。座っていてくれるだけでいいですよ。圓朝師匠ですよ。
まぁそれにしても、年金と同様、杜撰なお役者仕事で。
あきれ果てるのを通り過ごして、もしかしたら洒落かもしれないと思ってしまいます。

・・でも考えてみると、人知れず生まれて、人知れず死んで行く大多数の庶民の生きた証に、戸籍上は生存しているようにして、未来永劫残すのをビジネス化するのも面白いかもしれないと思いますが・・・、不謹慎ですか・・・。
一連の騒ぎで、日本人の平均寿命は、どれぐらい下がるのでしょう?

銀ブラ・・・の由来

 最近何かの本を読んでいて知ったこと。
「銀ブラ」と言えば、銀座の街をブラブラと、ウインドショッピングでもしながら歩くことだと思っていたのですが、どうも語源はそうではないらしいのです。

どうやら「銀ブラ」というのは、「銀座でブラジルコーヒーを飲む」ということらしいのです。
これは、大正時代に、慶応の学生が言い始めたのだとか・・・。
その、ブラジルコーヒーを出す店というのも現存するそうで、店の名前は「
カフェーパウリスタ」。
銀座八丁目、中央通り沿いにあるそうです。
だから何だと言われれば、それだけなのですが・・・。
「情は人のためならず」みたい・・・。

2010年8月27日 (金)

扇子っ子連「千早亭」

正式な同好会(サークル)としてスタートした「扇子っ子連・千早亭」。
仕事の都合で、稽古場の千早地域創造館には早くても7時過ぎになってしまいますが、行けば楽しいひとときを過ごすことが出来ますから、参加して行こうと思います。
メンバーは10人。ちょうどよい人数です。
考えてみれば、10人だけで、圓窓師匠を2時間以上独占?出来るのですから、贅沢この上なしです。
勿論、落語っ子連でもそうですが。
今夜は、メンバーがチャレンジする噺のうちの2席を師匠が実演してくださいました。

  ◇ 枯木屋     三遊亭圓窓
  ◇ 初天神     三遊亭圓窓

師匠創作の「枯木屋」と寄席の定番「初天神」です。
「枯木屋」は何度か聴いていますが、師匠のさらに新しい演出がふんだんに凝らされていました。
「初天神」は、師匠のこだわりがたっぷり入って、団子と凧上げの間に天神様をお詣りする場面のあるフルバージョンでした。
さあ、私は何をやらせてもらいましょうか。まだ決まっていません。

 

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結局、来年の3月から5月に、OB落語会〜金願亭乱志、落語っ子連〜三流亭流三、扇子っ子連〜千早亭永久の3ルートが当時並行となる訳ですね。
またあの苦しみが待っているのです。
あ〜楽しい・・。

夏の夜の月

夏の夜の月今年の夏は暑いから、お月様も暑苦しそうで、満月も汗をかいているのではないかと思うようです。
ウサギさんたちも、とても餅つきなんかしていられないでしょう。

「月々に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月」という詠み人知らずの歌。
月を眺める月(「毎月」の月)は多いけれど、満ち欠けを繰り返すこの月というものは一度見たとき限りのものであって二つと同じ姿はないのだろうなぁ」という・・。
私は月が好きで・・・・。
中秋の名月まで、あと僅か。それにつけても今日の暑さよ・・。

旅人はゆき呉竹の群雀・・・

「ねずみ」という噺は「旅噺」なのでしょうか。
あまり分類する意味もないのですが。
「三人旅」や「三十石」「兵庫船」などは、典型的な旅の噺だと思いますが・・・。
「ねずみ」は、江戸から見て舞台が遠い仙台。
旅好きの左甚五郎の旅先での出来事という意味では旅の噺だと言えるのかもしれません。
それに、多くの噺家さんがマクラで、「旅人は ゆき呉竹の 群雀 泊まりては発ち 泊まりては発ち」・・・旅人は次々に宿にやってきて、泊まって
はまた発っていく。その様が竹林の中を飛び渡る雀に似ているという、蜀山人の作とも言われる歌を紹介していますが、それなら旅の噺かと。
圓窓師匠の「ねずみ」は、名前を伏せた甚五郎が、奥州めぐりの旅の途中で泊まった仙台の旅籠での出来事と後日譚を、一連の旅の中で描いています。
しかも、この「ねずみや」という旅籠の親子、特に倅を克明に描いて行きます。
一方、私は、三木助師匠を参考にさせていただき、さらに旅というより、名人甚五郎が仙台の街で出会った出来事と地元の人々の営みとして語りたいと思っています。
2005110720498_thumb長町から河原町の広瀬橋のあたりで客引きをし、広瀬川を渡り、左前方に青葉山を望みながらの国分町の旅籠街、例えば「とらや」は「芭蕉の辻」あたりにあったとして・・・。
「芭蕉の辻」には、「道標」が据えられていて、「北 津軽三厩迄 四十五次 百七里二十二丁 奥道中」、「南 江戸日本橋迄 六十九次 九十三里 奥州街道」と標されているそうです。
そして、三木助師匠の音源で見つけた、仙台らしい部分を出してみようと思います。
一昨年に仙台で演った時は、地元なので客席からの反応がありましたが、東京では、気がつかれることはないかもしれません。が、こだわってみたいと思います。

甚五郎の「眠り猫」

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左甚五郎の作品と言われている「眠り猫」。

日光東照宮には、様々な建物に多様な動物を見ることができ、これらの動物のほとんどは平和を象徴するものとして描かれています。
奥社入口を護る「眠り猫」は、前足をしっかりと踏ん張っている事から、実は
徳川家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているそうですが、もう一つの教えとして(裏でが舞っていても)「猫も寝るほどの平和」を表しているのだそうです。

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最近、ネコやネズミの話題が多くなりました。
・・・そうか、甚五郎はネコもネズミも彫っているんですね。
だから、この間のネコとネズミの絵柄の手拭いは、ぴったりかもしれません。

2010年8月26日 (木)

涼を求めて

涼を求めて
「青いものを通って吹いてくる風は涼しいなぁ。」
この酷暑の中で、自然の涼しい空気に触れられる快感は、筆舌に尽くし難し。
先日、涼を求め、華厳の滝まで足を伸ばしました。
滝壺から上がる霧状の水滴(飛沫)の涼しく、爽やかなこと。
雄壮な滝を眺めていると、世俗の些末なことを、一瞬忘れさせてもらえるようです。

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落語の「ねずみ」に登場する左甚五郎作と伝えられる、日光東照宮の陽明門にある「眠り猫」も、今年は暑すぎて、おちおち寝てはいられないでしょう。

読み稽古「ストライド話法」?

来月のOB落語会での演目「・・・(お楽しみ)」のネタ帳を棒読みしながらの「読み稽古」を、風呂に入りながら始めました。

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人情噺へのチャレンジですが、今回の噺は、言葉数で持って行くのではない、要するに「ピッチ走法」ではない「ストライド走法」の語りをやってみようという暴挙です。
私の語りが、噺を最後までぴんと張った状態で運んで行くことができるかという・・・。
これに手応えがあれば、圓朝物にもチャレンジしようという気になるかもしれません。
ひと通り読んでみましたが、こりゃあ大変です。
どっしり落ち着いた語り口を作らないといけない気がします。

2010年8月25日 (水)

昭和レトロ

昭和レトロ
先日、とある場所で見つけた懐かしいもの。
昔は、町中いたるところにあった気がします。
「替わり目」でしたか、酔っ払いが散々管を巻いていたのが郵便ポストだったと気がついて、「ポストくん、君も随分酔ってるねぇ。身体中真っ赤じゃないか。」なんていうくすぐりがありましたよ。確か、先代の圓遊師匠だったかなぁぁ。
粗忽者が、買い物と葉書の投函を頼まれて、ポストに葉書を投函せずに、魚の干物を入れちゃったり、落語にも度々登場してくれます。
電話ボックスが少なくなり、恐らく郵便ポストも少なくなっていることでしょう。
時代の流れでもあります。

痛ましい・・

 ホームで並んで電車を待っていた人の列に、酔っ払いがよろけてぶつかり、そのはずみで一番前に立っていた人が線路に転落、電車とホームに挟まれて、10メートル引きずられた挙げ句に亡くなるという、とても痛ましい事故があったそうです。
 最近、特に女性に多い気がしますが、ホームでちゃんと並ばず、中途半端な場所に立っています。
最初は邪魔だと思っていましたが、ホームの線路際に並ぶと、確かに危険ですね。
 最近、地下鉄でワンマン運転の路線では、ホームに防護壁と乗降用の扉が設置されています。
 朝晩のラッシュ時もそうですが、事故にならないのが不思議なくらいで、安全対策が必要です。
(*`∧´) 傍若無人な酩酊者と、ついでに喫煙者というのは、本当に迷惑なものですねぇ。

2010年8月24日 (火)

紀伊國屋寄席

紀伊國屋寄席
何といっても、今夜の紀伊國屋寄席は、圓窓師匠がトリで「ねずみ」をお演りに
なりますから、絶対に見落とす訳にはいきません。
発売されているCDや師匠のHPで知る限りは、三木助師匠のオリジナルとは、ストーリーが少し違っているようです。
(ちなみに、私が演ろうとしているのは、三木助バージョンです。)
紀伊國屋寄席
  ◆ からぬけ          古今亭志ん坊
  ◆ たいこ腹          古今亭菊六
  ◆ 短命                柳家我太楼
  ◆ 宗悦殺し          一柳斉貞水
  ◆ 寝床                古今亭菊之丞
  ◆ ねずみ             三遊亭圓窓

菊六さん・菊之丞さんの兄弟弟子は相変わらず上手い。
志ん坊さんは、まもなく二つ目昇進ですから、前座で見る最後だったかもしれません。
頑張って欲しいものです。
師匠の長講は、やはりオリジナリティ十分の熱演。
師匠のCDを聴いていて、やや違和感のあった(疑問だった)場面を、今日の高座で理解することができました。
というのは、卯兵衛の身の上話が、あまりにもリアルな点です。
身の上話の中の台詞が、実際の会話のようなやり取りになっているのです。
師匠の演出は、手拭いで涙を拭く仕草を入れることにより、映画やドラマの回想シーンと同じような場面転換をさせているのです。
だから、この後はリアルな演出でおかしくない。いや、リアルに演じないといけない。
そして、回想シーンの最後に、また手拭いで涙を拭い、甚五郎との会話に戻している。
リアルに描くことによって、この噺の特長でもあるのですが、長い身の上話を、単調にならないようにしている。
(と、私は観ました。)
これは、CDの音だけでは分かりません。映像・実像で見て初めて分かるものです。
物凄く凝った、極めて高度な演出だと思います。
今度の稽古会の時に、師匠に直接質問して、確かめさせてもらおうと思います。

落語は深い・・。

1ヶ月前・・・

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ちょうど1ヶ月前の7月24日は、「三遊亭圓窓師匠 雑司が谷の街を噺す」で、開口一番を勤めさせていただきました。
あれから1ヶ月経ちましたが、あの日も暑かったですから、今年の夏の暑さの長さの酷さは物凄いということですね。
あれだけ緊張しましたが、過ぎてしまうと本当に良い思い出であり、特に大きな1ページでした・・・。
・・と、感傷に浸っている場合ではなく、稽古をしなくてはいけないのですが、暑さでバテてしまって、それどころではありません。

江戸の気分

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病いとは戦わない、顔が信用のもと、神様はすぐそこにいる、米さえ食べられれば……
大切なことはみんな落語が教えてくれた!
生き生きと語り継がれる江戸庶民の暮らしと知恵に学ぶ。

という紹介文。
堀井憲一郎さんの近著。「江戸の気分」。
「大切なことはみんな落語が教えてくれた。」・・・本当ですか?と思わないではありませんが、落語から学んだ薀蓄というのは、なかなか得がたいものばかりです。
現代新書刊・777円。

とうとう「紀伊國屋寄席」も

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紀伊國屋書店の紀伊國屋寄席のHPを見ていたら、何とも画期的な?告知が載っていました。

8月24日(火)より、紀伊國屋寄席オンラインチケットサービスにてチケットのご予約、ご購入をお受けいたします。

要するに、9月の公演から、インターネットでチケットが購入できるようになったということです。
キノチケットカウンターで、アナログなチケット購入をしていましたので、これは画期的ではありますが、電話での予約と同様、席を選ぶことが出来ないのがネックかなぁ。

2010年8月23日 (月)

処暑

二十四節気の第13節目で、残暑がまだまだ厳しい時期だが時折涼しい風が吹き始め、山間部では早朝に白い露が降り始めて霧が漂い始め、ヒグラシも鳴き始める気候。
「処暑」ともなれば、残暑はあっても涼しくなりますが、今年はまだ「盛夏」のような状態で、本当にたまりません。
8月下旬から9月中旬ぐらいまでは、台風がやって来る(接近・上陸する)特異日があり、昔から「二百十日」などとも言われていたはずなのに・・。
今年は、台風はまだ4号。
確かに日本に接近・上陸はしたものの、トンボ返しのようなコースの辿り方でしたから、何ともはや・・。
Yamadera1_2「ねずみ」の稽古をしていて、冒頭に甚五郎が、「塩竃様をお参りして、松島、瑞巌寺、山寺へ・・」というところがあるのですが、先日テレビのニュースで山寺(立石寺)のことが出ていました。
「静けさや 岩に染み入る 蝉の声」という、山寺で詠んだと言われる松尾芭蕉の有名な句。
この蝉の声、当時は(今までは)ニイニイゼミの鳴き声だったと言われています。Yamadera3
確かに、ニイニイゼミは岩に染み入るような声(音)なのかもしれません。
ところが、最近のこの暑さで、アブラゼミの鳴き声も聞こえるようになったとか。
今まで、アブラゼミの棲息の北限は、関東地方だと言われているそうですから、山寺で鳴くはずがなかったのですが・・・。これも異常気象?

Yamadera4アブラゼミの鳴き声は、なかなか岩には染み入らないでしょう。
昔から「岩と油」と言いますから・・?・・「水と油」ですか・・。
まぁ、似たようなもので。
山寺ねぇ・・、思い出がありますよ。

落研の新入部員

在仙の先輩の駄馬師匠から、21日(土)に、戦災復興記念館の和室で開催された「新入生顔見世発表会」の様子をお聞きしました。
今年の新入部員は4名。発表会の入りも上々とのことでした。
落研のHPによれば、以下のような番組だった模様。

         ~番 組~
      一久楼写太           「悋気の火の玉」
      羅洲亭ねいる        「ぞろぞろ」
      東中亭蜂鋭          「酢豆腐」
      世間亭節介          「巌流島」
                       中入り
                       口  上
      富士浦亭玖逗       「犬の目」
      ゑちご亭辣韮水星  「鮑のし」
      御舎萬兵衛           「猿の夢」


  ・・・名前が読めません・・・・。  ゚゚(´O`)°゚

「ねずみ」の高座手拭い

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学士会落語会で「ねずみ」を演る予定にしていますが、その時に使う高座手拭いに凝ろうと、数か所の「手拭い屋」さんを探していましたが、中には「ねずみが干支の年にはありますが・・・」などと言われる始末で、なかなか良い品がありませんでした。

ところが、とうとう某所で見つけましたよ。
ネズミとネコの絵柄ですが、「ねずみ」という落語のオチから考えれば、この絵柄は十分ありだと判断して、買って来ました。
ネズミの手拭いがなければ、大学の校章の図柄でもある「宮城野萩」柄にしようと思っていましたのですが、さぁどちらを使おうか・・・。

ついでにImg_0002、相撲の決まり手四十八手の柄もありましたので、今後また演るかもしれない「花筏」用に、衝動買いしてしまいました。

手拭いの柄を見ていて、昔ながらの柄や前衛的な柄、季節や土地に因んだ柄など、本当に飽きません。

2010年8月22日 (日)

寄席文字手ならい帖

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注文していた「寄席文字手ならい帖(グラフィック社・春亭右乃香著)」が届きました。
帯に、「世界初!ひとりで学べる『寄席文字』の教本です。」という説明がありました。

・・・なるほど、これはいい。
今まで、橘右近師匠の「寄席文字字典(グラフィック社)」や「橘流 上・中・下(集古庵)」、ディスプレイ用の「寄席文字(マール社)」あたりがあり、全て持っていますが、どちらかといえば、文字がたくさん並んでいるだけで、道具や書き方などの説明は少なく、素人には使い勝手(?)が良くありませんでした。
これは、ビラ字としての寄席文字というより、アートとして捉え、覚えて・書いて・飾って・使って楽しむという、今風の雰囲気が出ていて、確かに「ひとりでまなべる」と思います。
さすがに、女性の春亭右乃香師匠でこその本ですね。
そのうち、見よう見まねで我流から脱すべく、テキストとして使わせていただきたいと思います。

落研先輩の四分椿師匠からの口コミで、私だけでなく、蕪生師匠や寝蔵師匠も、しかも同じAMAZONで注文されたそうです。

2010年8月21日 (土)

はじめチョロチョロ・・

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「はじめチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いても蓋取るな・・」
ご飯炊きといえば、かまどの釜で炊くイメージがありますが、古すぎますか?
電気やガスの炊飯器が普及し、性能も抜群になり、おいしいご飯が食べられる時代に、さらに何と「蒸気レス炊飯器」というのが人気なんだそうです。
かまどでのご飯炊きは、今にも釜からふきこぼれそうなのを、ひやひやしながら見ていたものですし、電気炊飯器でも、蒸気とともに炊ける時の何とも言えない香りが付き物で、食欲を誘ったものでした。
「蒸気レス炊飯器」は、それがほとんどないという・・。
蒸気がないから、狭い棚など、どこにでも置けるメリットはあるでしょうが・・・、果たして趣きはどうでしょうか。
まるで山陽新幹線みたいに、トンネルばっかりで景色を楽しめない車窓みたいなものでは?
でも、うまみをしっかり閉じ込める技術で、大変おいしいそうです。
先日の羽のない扇風機とこの蒸気の出ない炊飯器・・・。世の中はどんどん進みます。でも、落語とはまったく関係ありません。

寄席文字手ならい帖

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寄席文字橘流の春亭右乃香さんの「寄席文字手習い帖」という本を、落研先輩の四分椿師匠からお聞きして、早速「AMAZON」で注文しました。
寄席文字を習う人も随分増えているようで、わが落研のOB落語会のめくりを書いてくださっているHさんも、右乃香師匠(というのかな?)のお弟子さんだそうです。

学士会落語会9月例会案内

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学士会落語会の9月例会の案内状が配信されました。
要するに、「ねずみ」でご機嫌をお伺いする落語会の、会員向けの正式な案内です。

「学士会落語会設立5周年記念例会(第30回例会)および懇親会のご案内」というタイトル。
まだ、稽古を始めていない状態。ちょうど1ヶ月後。
何とかなるでしょう、「窮鼠猫を咬む」と言いますから、「火事場の○○力」というのが出るでしょう。
顔付け(番組)もリリースされていて、いよいよ「賽は投げられた」というところです。
「名人は 上手の坂を ひと登り」のマクラで行こうか・・・。

2010年8月20日 (金)

真打になる日は・・・

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以前、落研主催の落語会に出演してくださった縁で、立川志ら乃さんから、定期的に落語会の案内が来ます。
見た目以上に(失礼)律儀な噺家さんです。
誠に申し訳ないことに、最近はなかなか聴かせていただく機会が少なくなって・・・。
ところで、志ら乃さん、真打昇進されたんだったかなぁぁ。
3年ぐらい前に、新宿のディープな会場で、「真打試験」のような落語会があり、師匠の志らくさんから、条件付きで昇進が認められたはずなんですが。
その条件というのは、「毎月独演会を開いて、各回満員にする」という内容だった気がします。
どうなったんだろう・・・・。
いずれにしても、実力のある若手ですから、とにかく早く出て来て欲しいですね。

猫の茶碗?

猫の茶碗?
「猫の皿」か「井戸の茶碗」か「はてなの茶碗」か、そんな訳はありませんが、南アルプスに抱かれた小さな町の観光プラザの中で展示販売されていた品々。
町内に窯を持って製作活動をしている陶芸家の力作のよう。
この辺りは、昔から硯の産地でもあり、水もきれいですから、窯にとっても良い環境かもしれません。
身延山の奥、七面山の麓、「鰍沢」の旅人が迷い込んだところ?からも程近いであろう山中です。
一番大きな皿には、300,000円という札が付いていました。

春風亭一之輔さんからDM

Img 贔屓にしている(んだろうなぁ)春風亭一之輔さんからDM。
「いちのすけえん」という独演会と、「真一文字三夜」という3夜連続の独演会のチラシが同封されていました。

10月28日~30日の3日連続での独演会という、さすが二つ目のホープです。
何とか通いたいと思います。

2010年8月19日 (木)

郷里の教育委員会から・・?

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 先日、郷里の町の教育委員会から手紙が届きました。
家族からは、「(落語の)出演依頼なんじゃないの?」などとからかわれながら開封してみると、(私の母校を含む)町内の3中学校が閉校・統合することが決まり、記念誌を刊行することになったので、卒業生として投稿して欲しいというものでした。
「えぇぇぇ!また母校がなくなってしまうのかぁぁ!」
というのも、小学校は、私が卒業した年に閉校・統合されていますから、とても寂しいニュースでした。

現代の日本の縮図、過疎化の典型的な結末です。

お墓参り

お墓参り田舎のお盆の大切な仕事?は、ご先祖のお墓参り。
実家・家内の実家・母の実家のお墓に手を合わせて来ました。
とりあえず家族が無事でいられる感謝の気持ちを伝えることはできたかなと。
お坊さん(我々の宗派では"お上人さま"と言います)が、檀家各戸を回ってお経を上げてくれる訳ですが、今年は例年にも増して汗だくです。
信心深い訳ではありませんが、何となく気持ちがよくなるものです。
「お見立て」ではありませんが、ご近所の家のお墓にも線香を上げて墓誌を見ると、今は亡きご先祖たちが偲ばれます。
幼くして逝った人、二十歳そこそこで戦死した人、天寿をまっとうした人・・・。
「あのおばあちゃん、随分若かったんだ」とか、「あそこの家では長男と次男が揃って戦死してしまったんだ」とか・・・。
それぞれの人生があったのでしょう・・・。
その人たちがいてくれたから、今の我々がある。
世代の継承の尊さを感じる瞬間です。
今最も欠けつつあると思われる"縦"の繋がりがあります。

2010年8月18日 (水)

薮入り

自分で言うのも何ですが、私は祖父母・父母と妹の6人の、穏やかな家庭で育ちました。
刺激の少ない田舎で、周囲からの愛情を受けて、とても幸せな、のんびりした幼年時代を過ごしました。
大学進学のために初めて親元を離れたのが18歳の時、今思うと恥ずかしいぐらいですが、重症のホームシックにかかりました。
後年友人からも言われたことがありました。
「お前は、大学1年の夏休みが始まった途端、飛ぶように帰郷したなぁぁ。」
下宿の近くの電車の線路を見ては、「このレールは故郷に繋がっているんだなぁ。」なんて、メソメソしていましたよ。
家族の方もそうだったようで、妹から「家の中は灯が消えたようだ」なんていう手紙が来ました。
実家に帰省すると、祖母が嬉しそうに、しまっていてくれた茶碗と箸を出してくれる。そして休みが終わる時は、「また次の休みまで大事にしまっておくから・・」と、寂し気に言ってくれた。
そんな甘えん坊だったら、「薮入り」という噺を聴いた時は、全身が震えて、涙が止まりませんでした。
だから、大学4年の最後のネタに、迷わずに「薮入り」を選びました。(というより、学生最後の発表会は「薮入り」と決めていました。)
ちょうど、旧盆の時期、里帰りの時期ですから、「薮入り」に重なる部分もあります。

この噺を演る時、時代設定に迷いました。
一応古典落語の範疇に属するのでしょうが、どうも明治以降が舞台になっている・・。
もとは、全く別のストーリーだったのを、明治の後半に柳家小せんが「鼠の懸賞」という噺に改題したものだそうですから、背景は納得しました。
おかみさんの「まだ電車が動いてやしないよ」もおかしくない。

「おい、おっかぁ、亀は大きくなったろうなぁぁ・・・・。」
「何言ってんだい。亀はお前さんの前にいるじゃぁないか。」
「見られねぇんだよ。・・・見ようとすると、涙が後から後から出て来て、止まらねぇんだよぅ・・。」
これが言いたいんです。


小さなアルバム

小さなアルバムお盆で帰省した時に、実家の母が真っ先に見せてくれたのが、この小さな写真アルバムでした。
見ると、私の高座姿を撮った写真(だけ)がたくさん納められているではありませんか
最近「ご贔屓の従妹」が、自身で撮った私の高座の写真を現像(プリント)してアルバムに入れ、私の実家に送ってくれていたようです。
50周年OB落語会・落語っ子連発表会・お江戸OB落語会・雑司が谷の落語会。

今までは、「いい歳をして、今さら家族や身内に落語を演っているところを披露するものでもない。」と思っていたのですが、老いた両親にしてみると、倅が師匠と並んで映っているところや、誂えた着物を着ているのを、従妹が気を利かせて送ってくれたアルバムで見て、大変嬉しかったようです。 (*^.^*)

・・・照れ臭いながらも、粋な(余計な?)計らいをしてくれた「ご贔屓の従妹」に、心から感謝しないといけません。
m(_ _)m

落語百選≪49≫

Img 全50巻中の第49巻。

今回の配本は、DVDがいいですね。

 ◆ 反対俥   柳家喬太郎
 ◆ 薮入り    柳家さん喬

師匠と総領弟子の親子の競演という趣き。
特に、「薮入り」は、個人的にいつか仕上げたい噺ですから、参考にさせていたたこうと思います。

噺家列伝は、四代目「三遊亭圓馬」師匠。
実は、ご存命は知っていても、ついに聴くことのなかった師匠ですが、何故か名人「圓馬」というイメージは常に持っていました。

以前、仕事で中野坂上近辺に住んでいる方と話した時、「このあたりには噺家さんが随分すんでいたのよねぇ。例えば圓馬さんなんかも。」って聞いた記憶があるのですが、もし本当だとしたら、この圓馬師匠だったんでしょうか?
今度調べてみることにしようと思います。

2010年8月17日 (火)

夏休み最終日

束の間の夏休みは今日が最終日。
今年は本当に一番暑い時に休みがもらえました。
いつもなら、ピークを過ぎているのですが、今年は盛夏の趣でしたから。
こんな殺人的に暑い日は、家に引きこもって、ネタ帳を完成させることにしました。
来月のOB落語会の演目です。
仕上げた後で、一通り読み稽古をしたところ、20分強でした。
意外にコンパクトに仕上がりそうな気がします。
人情噺です。
間に合うか不安です。

交通渋滞

交通渋滞
お盆などでの帰省の時は、専ら運転手は私でした。
最近の家族の移動では、愚息がステアリングを握ってくれるようになり、助手席でのんびりすることが出来るようになりました。
こんな写真も、助手席に座っていられればこそです。
今年のお盆は大渋滞と事前のニュースなどで予想していましたが、時間によっては、全く渋滞に巻き込まれることなく、快適なドライブが出来ました。
渋滞のポイントで有名な、東名高速上り線の「大和トンネル」も、こんな状態でした。
いつもより短時間で往復することが出来ました。

へ組・ん組

へ組・ん組 これまた「東京落語会」の会場「ニッショーホール」で見つけた、「江戸町火消し・いろは48組の纏」のミニチュアです。
落語っ子連の「へ組」と「ん組」も、ここからヒントにしたものです。
いろは48組と言いますが、「へ」「ら」「ひ」「ん」の組はないのです。
大岡越前守が作ったという町火消し。「へ」は屁に、「ひ」は火につながり、「ら」は隠語で、「ん」は語呂がよくないという訳です。
そのかわり、「百」「千」「万」「本」という組があります。

だから、落語っ子連は、「へ」と「ん」を名乗ることにしたのです。

甲府ぃ

次回の落語っ子連発表会(来年春)は「甲府ぃ」を演ろうと思います。
先日、師匠からのメールで、突然閃きました。
学生時代に演ったことのある噺ですが、もう一度しっかり仕上げてみようと思います。
実は、もう一つ「甲府ぃ」とは、ある濃い縁もあるのです。そのうちカミングアウトします。
幸い、師匠のCDも出ているので、初めて師匠の音源を参考にさせていただいて、チャレンジしてみようと思います。
甲府・身延山と、ご当地噺ですから、思い入れもあります。
「ねずみ」も、第2の故郷の仙台が舞台でしたし、どうも、私の落語は江戸の香りよりも、田舎臭さのするものばかりなようです。

甲府育ちの善吉。
早くから両親をなくし、伯父夫婦に育てられたが、今年二十になったので、江戸に出てひとかどの人間になり、育ての親に恩を返したいと、身延山に断ち物をして願を掛け、上京してきたが、生き馬の目を抜く江戸のこと、浅草寺の境内で巾着(きんちゃく)をすられ、無一文。腹を減らして市中をさまよったが、これではいけないと葭町(よしちょう)の千束屋(ちづかや)という口入屋(くちいれや)を目指すうち、つい、とある豆腐屋の店先でオカラを盗みぐい。
若い衆が袋だたきにしようというのを、主人が止め、事情をきいてみると・・・・、(後略)・・。


さぁ、ここから温かぁ〜い人情溢れるストーリーが展開します。
あまり変化のない噺ですから、難しいかもしれません。

2010年8月16日 (月)

帰省

帰省15日・16日のお盆2日間で、家族で帰省して来ました。
往路は、日本橋・新宿から甲州街道を下り、「甲府ぃ」から、駿州往環を、小室山を右手に「鰍沢」から、身延山を横目に。復路は、富士川街道を下り、東海道岩淵から、富士山を左手に日本橋を目指しました。
昨日15日は、地元で古くから旧盆に行われている奇祭「南部の火祭り」でした。
往路復路とも、渋滞とは一切無縁の快適なドライブでした。
改めて、「身延山」や「鰍沢」などにまつわる噺にチャレンジしようと思いました。

マイシート?

マイシート?東京落語会の会員になって4年ぐらいになるでしょうか。
ニッショーホールに会場が変わってから1年8ヶ月。
以来、私の指定席「U‐22」です。
後ろから何番目ぐらい後方ですが、通路側ですから、開演後に着席することが多いので、あまり隣席の人の迷惑にならないことがポイントです。

(再び)青菜

今年は例年以上に「青菜」を聴いた気がすると感じたので、ちょいと調べてみましたよ。
何と5人の噺家さんで聴いていました。
夏の噺だとはいえ、かなり多いと思います。

 ◆ 5月31日    初音家左橋    紀伊國屋寄席
 ◆ 7月 9日    柳家三之助    真打昇進披露落語会
 ◆ 7月18日    古今亭菊之丞  特撰落語会
 ◆ 8月11日    柳家権太楼    鈴本夏まつり
 ◆ 8月13日    林家たい平    東京落語会

どれも甲乙つけがたいですが、個人的には三之助さんが印象に残っています。

その理由は2つです。 (o^-^o)
まず、三之助さんの真打披露落語会は数多く行われましたが、この日は披露目最後の公演でした。そのトリに選んだのが「青菜」ということは、三之助さん自信のネタ(のはず)だということ。
それから、「旦那さまぁ〜」と、おかみさんが汗だくで押入れから出て来た時の、建具屋の半ちゃん(だったかな?)の驚くシーンで、どか〜んと笑いを取ったこと。
この噺は、もしかするとここが一番大きなポイントかもしれないと気づかせてもらいました。
(◎´∀`)ノ その後聴いた師匠方より、この時の三之助さんのが一番爆笑でした。

山椒亭から志師匠

このプログは、読んでくださった方からのコメントを受け付けていません。
あくまでも、独り善がりの落語徘徊の記録で、思ったことを勝手に綴ろうと言うもので、議論をするためではありませんから、いわば「読み取り専用」とさせていただいています。
実は以前、プログスタート直後は、コメントの入力も可能にしていた(コメントを受け付けない登録を知らなかった)のですが、ある時、立て続けに、心ないコメント投稿がありました。
喧嘩を売るような誹謗中傷、悪意に満ちたコメントだったので、それから受け付けないことに決めたのです。

さて、山椒亭から志師匠。
私が落研に入部した時の3年生で部長さんでした。
先日、「青菜」を採り上げた時、初めて聴いたのがから志師匠の「青菜」でしたと紹介しました。
その時に、
昨年ご本人にお会いした時、嬉しいことに、このブログをご愛読くださっていると仰っていたので、いくら時効になったとはいえ、あの頃のことの数々を暴露するのは控えて、ここは「部長に相応しい立派な先輩だ。」ということにしておきます。から志師匠、それでよろしいですね。・・・と独り言を書いたところ、なんとご丁寧にも「プログ拝見しました」という表題のメールを頂戴しました。

「おいおい、そんな変なことを言っちゃあ困るじゃあねえか。」なんて言われたらまずいと、慌ててメールを開いたところ。「●●様 よろしいです。 ○○」。
これですよ。これがから志師匠ですよ。ありがとうございます。

から志師匠では、「青菜」のほか、「臨機の独楽」と「長屋の花見」が印象に残ります。

業平文治

落語協会の落語配信サイト「インターネット落語会」、8月11日からの中席の番組は、やはり三遊亭圓朝物オンパレードです。

Narihirabasi_calla  ◇ 業平文治・上   五街道雲助
 ◇ 業平文治・下   金原亭馬生
 ◇ 心眼        入船亭扇橋

「心眼」は比較的ポピュラーな噺ですが、「業平文治」というのはよく知りません。
「業平文治・上下」の映像は、7年ほど前の「奉納落語会」のものだそうです。

圓朝師匠のものですから、登場人物を頭に入れたり、ストーリーを追ったりするのが大変ですが、志ん生師匠の口演のあらすじを見つけました。
寛永の頃に本所の業平村に浪島文治郎という人がいた。
義侠心が強く、24歳になる美男だったため、「業平文治」と呼ばれ、娘たちにも評判だった。

浮き草のお浪という美人ではあったがタチの悪い女に、杉の湯の混浴の洗い場で触られたと因縁を付けた。生薬屋の番頭が引きずり出され、脅されている所に文治が仲に入った。聞き分けがないので、殴って表に叩き出してしまった。亭主国蔵は金づるが出来たと、文治の家にケガした女を連れて仕返しに来た。50両で手を打つというので奥に連れて行き、逆に殴り殺してやると殴って出鼻をくじいた。改心するならと20両を渡してやるから正業に就けと諭した。

「業平文治・上」とした五街道雲助師匠はここまで。
続いて、同門の金原亭馬生師匠の「業平文治・下」。

 神田には12人の乱暴者の悪がいた。豊島町の亥太郎という左官屋は背中にイノシシの彫り物をし酒乱で力も強く手に負えなかったが、飲み屋の支払はキレイであった。ある店で亥太郎は持ち合わせがないので、「アトで」と言ったが新しい番頭は分からなかったので、「飲み逃げになりますから」と返答した。何処でもOKを出してくれる上に泥棒呼ばわりされたので怒って、そこの番頭を殴りつけて店を壊してやると暴れ出した。
 そこに文治郎が出くわした。子分に飲み代を出して返してやれと言ったが、喧嘩慣れした子分でも殴り飛ばされてしまった。仲裁人に無礼をするなと言ったが、組み付かれ力で押し込まれてしまったが、真影流の使い手、逆にねじ伏せて投げ飛ばしてしまった。亥太郎は初めての敗北に「覚えていやがれ」と捨て台詞を残し走って行った。
 当時、浅草見附にある公儀の役人の見張り所に飾ってあった鉄砲をはぎ取って元の所に駆け戻ってきた。役人は驚いて追いかけ取り押さえ、牢屋送りとなってしまった。それを聞いた文治郎は病気持ちの老父もいることだし可哀相だと留守宅に10両持って見舞いに出掛けた。息子が出てくるまで、これでつないでくれと渡すと、涙ながらに感謝する老父であったが、1両有れば1年楽に暮らせたという10両、金額の多さに目を回す老親であった。

 12月26日に入牢したが鉄砲を持ち出しただけであったので、刑は軽く翌年2月26日に出てきた。出る時には100叩きという刑罰があった。普通は50も叩けば気絶するのに、亥太郎は平気で出てきた。彫り物が心配で彫り師に見てもらうと猪の顔が滅茶苦茶だと言うので、叩かれた直後であったが熊の顔を彫り足した。胴体は猪で顔が熊というへんてこな彫り物になった。人呼んで猪熊というあだ名になった。
文治郎の土手っ腹をえぐってやろうと脇差しを買ったが、親の所にチョット顔を出した。老父に又喧嘩に行くと言い、相手は文治郎だと言う。「文治郎様は私の命の恩人だから、喧嘩しに行くなら、俺を殺してから行け」と言う。聞けば牢獄にいる時老父の面倒を見てくれたのは文治郎様だけだ、そのお見舞いがなかったら、死んでいただろうと言われ、脇差しは親に預け、鎌倉川岸の豊島屋へ行って銘酒を一樽買って、酒樽を担いで文治郎宅にお礼の挨拶に出掛けた。願って亥太郎は文治郎の子分になった。良い事はしておくものであった。
 そのお陰で、後日、文治郎は命がなくなるところを亥太郎のお陰で助かると言う事になります。

2010年8月15日 (日)

OB落語会のめくり

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9月26日の仙台での「OB落語会」で使うめくりを、また四分椿師匠の知人のHさんが書いてくださるそうです。
昨年11月の「50周年記念OB落語会」、今年5月の「お江戸OB落語会」の時も、全て書いてくださいました。
橘流の師匠について、本格的に書いていらっしゃるそうで、ご本人にとっても大変良い機会なんだということで、甘えている訳です。
前回のOB落語会にご来場くださった時にお話したところ、私のは、何と言っても「乱」のつくりが難しいそうです。
それから、「井の線亭ぽんぽこ」は、字数が多くて書きづらいと仰っていました。
寄席文字は、かえって画数の多い字の方が書きやすいようです。
確かにそうです。
私も学生時代に、見よう見まねで寄席文字を書いていましたが、自分の字は難しかった・・。
「一」なんていうのも難しいでしょう。
今の現役の噺家さんで、一番難しいのは恐らく「柳家三三」さんだと思いますね。
ただ、横に6本「一」の字を書けばいいというものではないと思いますから。難しいですよ。きっと。

ニッショーホール

ニッショーホール東京落語会」の会場が虎ノ門の「ニッショーホール」になって、20回ぐらい開催されていると思います。
「イイノホール」の取り壊しにより会場が変更になった時は、違和感があったのですが、最近ではすっかり慣れてきました。
日本消防会館というビルの中のホールで、消防関係のものが色々展示されています。
昔の外国製の消防車もそのひとつ。
ニッショーホールもうひとつ驚いたのは、というか今日になって気がついたのですが、「S」さんという有力な人の像があったこと。
お母さんを背負ってお参りをする像は、かなり有名ですが、ここにあったんですね。
「世界は一家。人類はみな兄弟」なんて言っていた方ですよ。何とかのドン。

『ほんとうの時代』9月号

PHPの雑誌「ほんとうの時代」9月号(8月19日発売)に、大変面白い記事が掲載されるそうです。
無弦さんが師匠に勧めた「豆腐ダイエット法」を師匠が実行した結果、だいえっとに成功したという話を、まど絵さんがインタビュアーになり、商人さんの勤務するPHPの雑誌に載るという、師匠と「落語っ子連」メンバーのコラボレーションが実現しました。
私が師匠に、「身近な好事例を拝見して、(メタボの私も)チャレンジしないという手はありませんね。」とメールすると、師匠から「ネタは『甲府ぃ』だね。」という返信。
そうか!今度の発表会の噺は「甲府ぃ」にしよう

招き猫

招き猫
鈴本演芸場のHPを見ると、かわいい招き猫の写真が載っています。
「この猫はどこにいるんだろう」と思っていたのですが、先日はねた後に何気なく見つけることが出来ました。
想像していたよりもずっと小さくて、しかも1階の入口のテケツの前、自動ドアの脇に、床に直接置かれていました。
「また来てね」という訳ですね。

2010年8月14日 (土)

青菜

「植木屋はおめえじゃぁねぇか・・・」「旦那さまぁ~
この噺を初めて聴いたのは大学1年生の夏。
当時
落研部長の「山椒亭から志」師匠の熱演でした。
から志師匠の普段の無口な感じからは想像できない、飄々とした芸風と噺の巧みさに驚いたものでした。
(昨年ご本人にお会いした時、嬉しいことに、このブログをご愛読くださっていると仰っていたので、いくら時効になったとはいえ、あの頃のことの数々を暴露するのは控えて、ここは「部長に相応しい立派な先輩だ。」ということにしておきます。から志師匠、それでよろしいですね。)
いゃぁ、とにかく面白くて上手い先輩です。

ただこの噺は、前半の植木屋さんと、後半の植木屋さんのキャラクターが違って来るのに若干の違和感を感じるのは私だけでしょうか?
落語の中ではよくあるパターンなのでしょうが、やや違和感がある。
Koi_arai

それに、お屋敷で柳陰を飲んで、鯉のあらいを食べて、ほろ酔い気分で帰って来るのは何時頃でしょうか。
暑いから早々に引き上げて来たのなら、まだ鰯の塩焼きを準備しているはずもないし、そもそも空腹ではないはず・・・。
なんて、くだらないことを考えてしまったり・・・。
まぁ、このあたりは、落語のアバウトなところということでしょう。それならそれでよしです。
ところで、当時(と言ってもいつ頃か知りませんが)は、氷が簡単に入手できたのでしょうか・・・?このあたりも、やや疑問に思うところでもあります。
でも面白い噺です。

隅田川馬石さんから

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隅田川馬石さんから、落語会の案内葉書が届きました。
例によって、自筆のコメントが添えられています。
「16日と17日の昼席はトリをとりますので、是非ご来場ください」と。

赤坂レッドシアターでの落語会の幕開けとなる「2010 夏・怪談噺」。
昼夜にわたり「真景累ヶ淵」と「牡丹燈籠」の二作を 特集。
また、他にも背筋がゾクッとする怪談噺をご用意しています。

◇8月16日(月) 14:00
  「星野屋」 林家たけ平
  「質屋庫」 鈴々舎わか馬
  三遊亭圓朝作 「真景累ケ淵・宗悦殺し」 隅田川馬石
◇8月16日(月) 19:00
  「熱血怪談部」 林家彦いち
  「化物使い」 桃月庵白酒
  釜戸屋権助作 「狐の毛」 三遊亭遊雀
  三遊亭圓朝作 「怪談牡丹燈籠・お露新三郎」 柳家三三
◇8月17日(火) 14:00
  「こうもり」 林家たけ平
  釜戸屋権助作「化物箱根先」 古今亭菊之丞
  三遊亭圓朝作 「真景累ケ淵・豊志賀」 隅田川馬石
◇8月17日(火) 19:00
  「元犬」 隅田川馬石
  「団子坂奇談」 入船亭扇辰
  三遊亭圓朝作 「怪談牡丹燈籠・お札はがし」 五街道雲助

追い出し太鼓

追い出し太鼓鈴本演芸場で、芝居がはねた後、入口のテケツの上で前座さんが叩く太鼓が好きです。
他の寄席にはないもので、いいですよ。
カラカラカラカラ・・と、いつも最後まで聞いて帰ります。

2010年8月13日 (金)

東京落語会

東京落語会
13日の金曜日は落語でも聴くのがよい。
なんて、誰も言っている訳でもありませんが、暑気払い・何とか払いの落語鑑賞になりました。
東京落語会 開演前に会場に入るのは初めてかもしれません。
      ◆  金明竹                    瀧川鯉太
      ◆  十徳                       三遊亭窓輝
      ◆ 薄型テレビ算          立川談笑 
      ◆ 祇園会                    三遊亭笑遊
      ◆  死神                       三遊亭圓丈
      ◆  青菜                       林家たい平
      ◆  禁酒番屋                 桂文楽

休みだということもあり、いつもよりリラックスして、まどろみながら聴くことが出来ました。

閉演後、頓平師匠と金魚師匠と3人で。

中途半端な散歩

中途半端な
今日から束の間の夏休み。
「東京落語会」に出かけ、その前に、とても中途半端な浅草散歩をしました。
どこへ寄ったということもなく、田原町から六区、ちょうど浅草演芸ホールの昼席がはねたのを横目に、伝法院通りから仲見世・新仲見世を歩き、浅草から銀座線で虎ノ門へ。
無計画、優柔不断な徘徊は、私の情けない欠点のひとつです。
浅草から見るスカイツリーちゃんが 、また一段と背が高くなっていました。

演芸資料展「東京の寄席」

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国立演芸場に併設されている演芸資料展示室では、「東京の寄席」というテーマの展示が行われています。

明治・大正・昭和の東京の寄席は、関東大震災と、第二次世界大戦をはさんで戦後(1960年代)の演芸ブームの前後で大きく変容したそうです。展示では、この二つの時期に焦点を絞り、国立劇場収蔵資料によって東京の寄席風景を振り返っているとのこと。

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・・・そう、明治以降の落語界は、良くも悪くも震災と戦争の影響は大きい気がします。
それにしても、昔は楽しみが少なかったこともあり、寄席の数の多かったこと・・・。
今は定席4席と国立演芸場。
でも、「東京かわら版」に掲載されている落語会の数の多さをみると、定席でなくても、様々な時に、様々な場所で、様々噺家さんが、ご機嫌を伺っている現代も、塊にすれば、定席の何席分かになるのではないかと思います。
この間、「馬津郷寄席」に行った時のこと、外国人夫婦(とおぼしき二人)に、いかにも友達がいなさそうな女性が、「○○落語会にもいらっしゃいましたよね。」なんて声をかけていました。
「馬津郷寄席」は松戸、○○落語会は中央線沿線の飲食店での会ですから、この人たちは、様々な場所に出没しているという訳ですね。少ぅし、気持ちが悪いですが。

百年目

3年ほど前だったでしょうか、柳家権太楼師匠が、新年のお江戸日本橋亭での独演会「権太楼ざんまい」で、「今年は『百年目』にチャレンジする!」と宣言して、その後の落語研究会などで、盛んに高座にかけていたのを思い出します。
「百年目」は、ジャンルから言えば「お店(たな)噺」ということになるのでしょうが、聴く方も・演じる方も、その気でかからなくてはいけない、その気になってしまう、とても大きな噺です。
例えば、人情噺といえば「文七元結」や「芝浜」などが挙げられ、私などは僭越にも「いつかは演ってみたい」と思うのですが、この「百年目」は「演りたいけど演れるだろうか」と思う噺です。
鈴本夏まつりのさん喬師匠の「百年目」も、初日の演目として選んだのも、何か思い入れがあってのものだと思います。
ところで、この噺の主人公は、番頭さんなんでしょうか。
確かに全編で出て来て、彼を中心にストーリーが展開するのですから、間違いなく主人公なのでしょう。
でも、もう一人、お店の旦那も主人公ではないかと思うのです。

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花見の場面で、番頭を慮る言葉、翌朝「夕べという夕べは、(店の帳簿を)穴のあくほど見せてもらいましたよ。」と、穏やかな中にも毅然とした言葉。
これらには、我が子のような番頭に対する愛情と葛藤が垣間見える気がするのです。
ストレートな番頭さんと、包み込むような旦那と、紛れもなくこの二人が主人公だと思います。
三遊亭圓生師匠を聴いて以来、やはり特別な噺のひとつになりました。
是非、いつかチャレンジしてみたい・・・。

ある大店(おおだな)の口やかましい番頭が、奉公人たちをしかってから店を出て、途中で身なりを変え、芸者や幇間(ほうかん)を連れて花見船を出した。酔って土手に上り、鬼ごっこをしていると、旦那(だんな)にばったり出会う。番頭は仰天して店へ帰り、病気のふりをして寝てしまう。翌朝、旦那に呼ばれて行くと、意外にも日ごろの勤務ぶりを褒められ、もう少し下の者をいたわってやれと優しく諭される。最後に旦那が「きのう会ったとき、お久しぶりといったのはどういうわけか」「あんなざまでお目にかかり、もうこれが百年目(おしまい)と思いました」。

2010年8月12日 (木)

圓朝に挑む!

Img_0005 国立演芸場恒例の特別企画「圓朝に挑む!」。
文字通り、三遊亭圓朝にゆかりの噺に若手の噺家さんたちがチャレンジするというもの。

前回は今年の2月。
今回は8月29日(日)午後1時から。
聴いたことのない噺もあり、楽しみです。

バカ息子・バカ親父2態

元首相の息子が飲酒運転で逮捕されました。
元大臣の父親(本人元代議士)が背任の疑いで逮捕されました。
何か、もともとの出来が悪いのか、ねじれた螺子がさらに緩んだのか、酷いものです。
この間話題にした、「佃祭」に出て来る与太郎の方が、"人として"ずっと賢いと思います。
なぜなら、与太郎は思い込みそのものは抜けていますが、人の道の勘違いはしていません。
愚かしいなりに、自分の立ち位置をしっかり理解しています。
愚かしさと勘違いと思い上がりが合わさると、こんなおバカな者が出来上がるのでしょうね。
それに比べて与太郎くん、君は偉い!

学士会落語会例会の番組

先日、学士会落語会のN委員から、9月の例会の落語会の番組・時間割等、細かなスケジュール表が届きました。

        ≪第30回例会落語会≫

 □ 会長ご挨拶  [あの有名な・・]  山本進会長 
 ~落語会~
 ◇ 出来心     (序の舞)     南達亭玉つき
 ◇ 粗忽長屋    (猫じゃ猫じゃ)  愛子亭朝大
  ◆ お楽しみ    (小鍛治)     三遊亭圓橘
 ◇ 鼓ヶ滝      (正札付き)    三山亭多楽
 ◇ 軒付け      (野崎)       和朗亭南坊
 ◇ ねずみ      (新曲浦島)    金願亭乱志

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( )内は、なんと出囃子の曲目です。びっくり!
私の出囃子は「新曲浦島」になっています。
これは、圓窓師匠の出囃子です。
我が落研と師匠とのご縁、私が稽古をつけていただいているということへのご配慮でしょう。
これもまたプレッシャーになりますが・・・。
それから、持ち時間は30分。
確か、2年前に仙台で演った時に、それぐらいだったと記憶していますので、まぁそんなところでしょう。

あと約40日、何とか仕上げないといけません。

2010年8月11日 (水)

鈴本夏まつり

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鈴本演芸場恒例の8月中席の芝居は、さん喬師匠・権太楼師匠の競演「鈴本夏まつり」です。
去年の夏は2夜行きましたが、今年は暦の関係もあり、芝居の初日の1回のみ。
チケットは全日完売だそうです。
6時頃に会場に入るとほぼ満員。特別興行なので全席指定席ですから安心。

 ◆ 初天神      入船亭扇遊
 ◆ 羽織の遊び   柳亭左龍
 ◆ 座右の銘     柳家喬太郎
 ◆ 千早振る     橘家文左衛門
  ◆ 青菜        柳家権太楼
 ◆ 百年目      柳家さん喬

明るい雰囲気の芝居で、安心して聴いていられる気がします。
二人を迎える客席の拍手の大きいこと、長いこと、そして温かいこと・・。
そんな中、後ろの席に、あまり寄席や落語を知らない人を連れて来たのでしょう。聞きもしない説明をしたり、オチを言ってみたりの、バカオヤジがいました。
喬太郎さんと文左衛門さん、やはり楽屋オチは禁じ手だと、私は思いますがねぇ。
ここが、私が喬太郎さんの実力を認めつつも深入りしない(できない)理由でもあります。(勝手ながら)「全日本学生落語名人位決定戦」の"同窓"でもありますから、親しみは感じるのですが・・。
さん喬師匠、「今日は少しお長くなりますが」と長講「百年目」に入りました。
大好きな噺です。・・勿論堪能しました。

真夏の寄席

鈴本8月中席 鈴本演芸場の恒例の8月中席は、昼は三遊亭圓歌師匠、夜は柳家権太楼・柳家201008111755000rさん喬師匠の芝居。
暑い夏の宵に落語で涼むなどというのは、もしかすると、とても贅沢なことなのかもしれません。
この中席、浅草演芸ホールの昼の席は、これまた恒例になっている「住吉踊り」のはずです。
実は、まだ見たことはないので、行ってはみたいのですが、この時期、田舎者は、お盆で帰省しないといけませんから、なかなかタイミングが合いません。
古今亭志ん朝師匠が、晩年に文字通り命懸けで盛り上げたという「住吉踊り」です。

台風

台風が近づいています。
今年は、台風の発生が少ないようで、今来ているのが台風4号。
 台風4号は11日午前、朝鮮半島の南沿岸を北東へ進んだ。同日昼前から夜にかけ、九州北部に最接近した後、日本海を進んで13日に東北地方に上陸、横断する恐れがある。

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台風と言うのは、赤道直下の太平洋や南シナ海で発生して、相応の時間をかけて北上し、今の時期は、沖縄あたりから大陸方面へ抜けて行くイメージだったのが、今回は、台湾あたりで発生して北上した後、朝鮮半島手前でスライスして、日本海側から上陸しそうな勢いです。
300pxtyphoon_200418_songdaこれも異常気象で、日本の近海の熱帯に近いほどの水温になっているということでしょうか・・・。
そのうちに、物凄い強烈な台風、アメリカのハリケーンのように、街全体を破壊つくすような台風が上陸するのではないかと、心配になって来ます。

圓朝忌

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初代三遊亭 圓朝(天保10年4月1日(1839年5月13日) - 明治33年(1900年)8月11日)。
江戸時代末期から明治時代に活躍した落語家。
本名は出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)。
歴代の名人の中でも筆頭(もしくは別格)に巧いとされる。
また、多くの落語演目を創作した。

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本日は、三遊亭圓朝の110回目の命日です。
我々は、圓朝師の口演を聴くことはできませんが、どんな噺家さんだったのでしょう。
勿論、単なる噺家さんというだけでなく、日本の近代文学にも多大な影響を与えた存在でもある訳です。
圓朝、二代目圓朝を継いだ圓右、圓朝門下で師匠を超える名人といわれる橘家圓喬・・・。
是非本物を聴いてみたい。
でも、演芸というのは、その場で消えて行くからこそ、その素晴らしさが引き立つというのも真実だと思いますから、今は聴くことのできないかつての名人たちに思いを馳せながら、今の名人・上手たちを聴くのがよいのでしょう。
「今の人たちは圓朝が聴けなくてかわいそう」と、明治の寄席通に言われるかもしれませんが、「明治の人たちは、志ん朝や・・・・を聴けなかった」と言えるような噺家さんもいるはずですから。
それにしても、改めてこの落語中興の祖と言われる圓朝師の業績には、我々は心から感謝すべきでありましょう。

習志野圓生祭

Img 昭和の名人六代目三遊亭圓生師匠が、習志野市の落語会で倒れ、そのまま還らぬ人となったのは、昭和54年9月3日でした。
奇しくも圓生師匠の満79歳の誕生日という・・・。
その最後の高座となった会場で、素人の人たちが始めた、圓生師匠追善落語会が「習志野圓生祭」だそうです。
今年も9月5日(日)午後2時30分から「六代目三遊亭圓生追善第20回記念習志野圓生祭」が開かれるというDM
が届きました。

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この素人落語会に、2〜3年前に一度聴きに行ったことがあります。
「圓生の求めたもの、遺したものを、それぞれの胸に抱き、演者は高座に臨む」と・・・。
何人かの方が、圓生師匠のネタを演るのですが、正直なところ玄人とは違いますが、素人離れしていたことを思い出します。
木戸銭が無料だということもあるかもしれませんが、200人ぐらいの会場は満席でした。

Ensyo_hi_1この会場の前には、「三遊亭圓生終焉の碑」という、圓生師匠の碑が建てられています。
「根なし草 語る浮世を 圓(まる)く生き」という、圓生師匠が生前、色紙などによく書かれた言葉が刻まれています。

2010年8月10日 (火)

歌舞伎座さよなら公演

_1 そろそろ「落語昭和の名人」の第2弾が出るのかなぁと思っていたところに、小学館から派手なDMが届きました。
「歌舞伎座さよなら公演」というDVDシリーズ。
4月に閉館した歌舞伎座のさようなら公演16ヶ月の全芝居を映像化したものだそうです。
「仮名手本忠臣蔵」や「義経千本桜」の通し狂言も収録されています。
ところが、1巻あたり12枚のDVDで約26,000円。これが8巻という超豪華版。全部揃えたら20万円をオーバーしてしまいます。
落語を演るのに、歌舞伎の知識も不可欠ですから、欲しいとは思いますが・・・。
この間の「大手町落語会」での柳亭市馬さんの「七段目」も、本式ではどのように演じられているのかなんて・・・、観てみたいものです。お金があれば・・・・。
以下のような紹介がされています。

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明治時代から120年の歴史をもつ歌舞伎座。
その中で戦後を生きた第4期歌舞伎座の建替え前に行われた2009年1月から2010年4月まで16か月間の「歌舞伎座さよなら公演」。
その上演作品全てを全8巻でまとめました。
第1巻は2009年1月の「壽初春大歌舞伎」昼の部4演目、夜の部3演目と「二月大歌舞伎」昼の部3演目、夜の部3演目の全てに加え、1月2日の「古式顔寄せ手打式」も収録。刊行記念付録「古式顔寄せ手打式」ポスターもあります。
各巻の構成はDVD12枚と書籍152ページで、DVDで視て書籍で確認できる楽しい内容です。
12枚のDVDでは、ほぼ1演目1枚から2演目1枚の収録となり、じっくり見て楽しめます。
英語のナレーションでは、上演内容だけでなく所作の呼び名なども解説されていて理解を深める手助けになります。
義太夫などの詞章や、舞踊の詞章も字幕で見られるようになっています。
書籍も、舞台写真と演目解説・あらすじだけでなく、歌舞伎座の歴史、歌舞伎作者の紹介、歌舞伎や歌舞伎座に関係する著名人インタビュー、さらには英語での演目解説など、読み応えのある内容です。
永久保存版のDVDブックです。

三遊亭窓輝の会

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真打昇進後初めての池袋演芸場での独演会が、8月29日(日)に開かれます。
演目は「百川」と「一眼国」だそうです。
「一眼国」なんて渋い噺です。
人情噺がやりたいと言う、窓輝さんの方向感から考えると、こういう類の噺は、これ自体は人情噺ではありませんが、役に立つのかもしれません。
8月13日の「東京落語会」にも出演予定です。

発想の転換?

発想の転換?
半蔵門線の半蔵門駅を降りて、国立劇場へ向かう角のビルに、ドイツの掃除機などで有名な某メーカーのショールームがあります。
このショールームにあった、写真のような丸い輪のついた物は何か、ご存じでしょうか?
実はこれは今、「羽根のない扇風機」というキャッチフレーズで話題になっている家電製品です。
文科系には説明ができませんが、気流の理論を使って、この輪の中から風が出て来るそうです。
家電量販店でのオープン価格で3万円強だそうてすから、普通の扇風機より割高ですが、なかなか好調な販売状況なのだとか。


まず土台部分にあるモーターで風を起こす。
その風を環状のパーツに流す。
環状のパーツには直径1.3mmの穴が空いており、ここからその空気が出る。
キモとなるのは、環状のパーツの形状。
飛行機の翼のように非対称な形になっており、モーターからの空気が流れる部分の空気圧が低くなるように設計されている。
環の内側が空気圧が低くなることにより、外側から空気を引き込む。
引き込まれた空気は円柱型になり、スピードを伴って流れるため、またさらに外側から空気を取り込む、といった具合だ。
「モーターで起こした風量は、吹き出す風量のわずか7%。残りの93%は外側から取り込んだ空気」という。

ということですが・・・、全然わからない・・・。
私には、虫眼鏡の化け物のようにしか見えませんが・・・。

2010年8月 9日 (月)

昨日の圓朝まつり

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昨日の圓朝まつりの様子がニュースで配信されていました。
新会長の小三治師匠の最初の大イベントで、マスコミの注目度も高いのでしょう。
こういう記事を見ると、行かなかったことを、少し後悔したりして。
それにしても、奉納落語会の倍率は100倍近かったんだそうですから、当たりっこないですね。
それにしても、世の中には暇な人が多いんですねぇ。
尤も、私もその有力な一人なのですが・・。

8月の落語界は「三遊亭圓朝」一色に染まります。
明後日が110回目の「圓朝忌」です。

☆圓朝まつり・・・柳家小三治「陽気に楽しんで」
落語中興の祖、三遊亭圓朝を供養する「圓朝まつり2010」が8日、圓朝が眠る東京・谷中の全生庵で行われた。
午前10時から始まった法要では、落語協会会長の柳家小三治や落語芸術協会会長の桂歌丸らが次々に焼香。
扇子のおたきあげが無事済むと、小三治が「お祭りですから陽気に楽しんで」と来場者に呼びかけた。・・・・・・。

酷暑ひと休み

酷暑ひと休み
30℃を切るとこんなに涼しいのかと実感します。
雨が恋しくなるほど、照りっ放しの暑い日が続きましたから。
今朝は、酷暑ひと休み。
葉を伝う雨の滴が、とても清々しく感じます。
「植木屋さん、木々の間を抜けて吹く風は、涼しいなぁ・・。」
私は植木屋さんじゃありませんが、何となくホッとします。

台風が発生したそうです。

秋の真打昇進

Img_0004 窓輝さんと三之助さんなどか昇進したばかりですが、もう次の真打昇進披露が行われます。
落語協会の今秋の真打昇進は5名。
●入船亭扇里
●林家きく磨
●三遊亭鬼丸(三遊亭きん歌改め)
●蜃気楼龍玉(五街道弥助改め)
●柳家小せん(鈴々舎わか馬改め)

「柳家小せん」という名前が復活しますね。
「蜃気楼龍玉」という珍しい襲名がありますね。三代目だそうで。
雲助門下は桃月庵白酒・隅田川馬石に続いて、珍しい名前の揃い踏みです。
小三治師匠が会長に就任されて初めての真打披露公演です。
9月21日からです。

落語とピアノのエンソウ会

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師匠の楽器とのコラボレーション落語の中では、無弦さんのギターと竹葉子さんのピアノがいいですね。
11月3日に、「落語とピアノのエンソウ会」というピアノとのコラボ落語会が開かれます。
演目は、師匠の十八番のひとつでもある「叩き蟹」。
左甚五郎が出て来る噺で、師匠以外ではなかなか聴くことがでません。
この会のプロデュースは、落語っ子連の稽古場をお借りしている、またメンバーでもあるまど音さんの音楽教室でやっていることもあり、是非聴きに行きたいと思っています。

2010年8月 8日 (日)

圓朝まつり

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奉納落語会の抽選に当たらなかったし、連日の炎天下だし、今年の「圓朝まつり」はパスすることにしました。
昨日の「大手町落語会」でも、出演した噺家さんたちが「圓朝まつり」の宣伝をしていました。
8月11日が「圓朝忌」。
圓朝師匠が亡くなったのは、1900(明治33)年の8月11日。
私の祖父と三遊亭圓生師匠が生まれた年に亡くなっているのです。
ということは、今年は亡くなって110周忌ということになるのですか?
そうか、祖父も圓生師匠も、存命であれば110歳なのですね。
「明治は遠くなりにけり」という言葉も遠くなりにけり。

佃祭

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神田お玉が池の小間物屋の次郎兵衛さん。佃祭りを見物し、しまい船に乗ろうとすると、女に袖を引っ張られ引き留められる。
5年前に奉公先で5両の金をなくしてしまい、吾妻橋から身投げをするところを次郎兵衛さんに助けられ、5両の金をもらったという。
やっと思い出した次郎兵衛さん、しまい船も出てしまい、女が嫁いだ船頭の家に行く。
しばらくすると回りが騒がしくなり、亭主が飛び込んでくる。
しまい船が転覆して全員おぼれて死んだという。
次郎兵衛さんは仕方なく今夜はここへ泊まることにする。
一方、留守宅は大騒ぎ。
早桶、坊さんを頼み、くやみ客がぞろぞろ来る。
翌朝、女の亭主の船頭に送ってもらい次郎兵衛さんが帰ってくる。
皆、幽霊が出たとびっくりするが、次郎兵衛さんの話を聞き皆で大喜びする。


昨日の権太楼師匠は、「情は人のためならず。佃祭でございます。」で終わり、与太郎の戸隠様の梨まで持って行きませんでした。

「佃祭」は、それほどコテコテの人情噺ではありませんが、私はどうも、この噺の2ヶ所で必ず涙腺が緩んでしまいます。
まず、おかみさんの亭主の船頭が語る「吾妻橋の旦那」の部分。
どこの誰だか分からない命の恩人。ささやかな今の自分たちの幸せをもたらしてくれた大切な人を探し、感謝を忘れない気持ち。・・・これが駄目なんです。涙がポロポロ・・。
もう1ヶ所が、与太郎の悔みの場面。
与太郎は愚かしい存在だけれども、人の情、人への感謝の気持ちは人一倍持っている。
だから、次郎兵衛さんが死んでしまったことを、心の底から悲しんでいる。
この2つの場面は、落語の登場人物が、自分たちの境遇を素直に受け入れ、そこから健気に生きようとする、本当の人と人とのつながりを大切にしているという点で、落語の世界を一貫して流れているそのものを表現しているからでしょう。

【情けは人の為ならず (巡り巡って己が身の為)】

母の俳句

母からメールが来ました。
以前にこのプログでも述べましたが、最近落語好きになりつつある従妹が送ってくれた、5月の「お江戸OB落語会」と「落語っ子連発表会」での高座姿を見て、趣味にしている俳句をつくりました。

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 『樟若葉 出囃子に乗る 子の高座』

この句を主宰に取り上げて誉めてもらい、同人誌(というのでしょうか)の8月号に掲載されたというのです。
落語と従妹の機転のおかげで、図らずも親孝行ができたようです。
落語と、最近すっかり乱志&流三&永久の「追っかけ」になりつつあるような従妹に大感謝です。
やはり「ご贔屓」がいると頑張れるものだと痛感しています。

2010年8月 7日 (土)

学士会落語会の高座手拭い

高座手拭い
来月の学士会落語会で「ねずみ」を演らせてもらいますが、せっかくだから、何か趣向はないかと考えていました。
芸のない分を何かで誤魔化そうという魂胆。
大手町落語会の後で、新丸ビルをウロウロしていると、5階の鳩居堂の隣に手拭い屋さんがありました。
「そうだ!ねずみの絵柄の手拭いがあれば。」と探してみました。
ウサギやタヌキはあるのですが、ねずみは見当たりません。
店員さんに聞いてみると、「干支がねずみの時は出しますが、普段は・・。今年は寅年ですから、あと10年後なら・・。」という親切な説明に感動。

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色々見ていると、紫の萩模様の手拭いがありました。
「これだ!」と、すぐ買ってしまいました。
普通の方はご存じないでしょうが、紫は母校の大学のスクールカラー、萩は仙台の花であり、母校の校章の絵柄でもあります。
そして校歌にも、「萩のかおるこの宮城野・・」とあります。
学士会落語会の出演者は、他は全て「銀杏」という中で、唯一「萩」の出身ですから、よぉし、この手拭いを持って見参つかまつることにいたしましょう。

大手町落語会

大手町落語会

かつて通勤していた大手町。
この街に昨年新しく出来た高層ビルの中にあるホールで始まった「大手町落語会」。

大手町落語会
 ◆ 狸札          柳家右太楼
 ◆ ちりとてちん      柳家小さん
  ◆ 七段目                  柳亭市馬
  ◆ 宮戸川                  柳家花緑
  ◆ 佃祭                     柳家権太楼

花緑さんも言っていたとおり「ザ・柳家」というような落語会です。
一大勢力の柳家一門の、有力な噺家さんの登場。
なんてったって、市馬さんの七段目は、もう10回近く聴きましたが、さらに磨きがかかっていましたね。
それから権太楼師匠ですよ。私はどうも「佃祭」の時に、何故か涙腺が緩んでしまうようです。
このあたりは別の項で述べることにします。
猛暑の中にもかかわらず、この会場へは東京駅から地下鉄の通路を使うと、外界に出ることなく行くことができますから、汗だくになることもなく、楽しく過ごすことができました。

2010年8月 6日 (金)

日陰・・

日陰・・

これだけ暑いと、少しでも日陰になっている所を歩こうとします。
電信柱の影も、街中では貴重な日陰ですから・・。
直射日光の下より、ほんのいくらかはマシでしょう。

ガリガリ君

ガリガリ君
「風が吹くと桶屋が儲かる」以上にストレートな話。
「猛暑日増えてガリガリ売り切れ」ですよ。
暑さで飛ぶような売れ行きで、売り切れ・品薄状態が続いているそうです。
私も時々買います。値段も味も、アイスキャンデーの元祖のようなアイスです。
暑いですからね。

2010年8月 5日 (木)

昔若庵〜研精会OB落語会

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何か久しぶりの国立演芸場のような気がします。落研の先輩の翁家寝坊師匠もいらっしゃいました。

◆ 道灌                古今亭志ん坊
◆ たがや             入船亭遊一
◆ 夢の酒             入船亭扇遊
◆ もう半分          五街道雲助
◆ 井戸の茶碗       柳家さん喬

なかなかの顔ぶれで、楽しみにしていました。

「道灌」という噺は、本当にいい噺です。
二つ目に昇進する志ん坊さんを前座で聴く最後だったかもしれません。
「たがや」は、先日コメントした通り。
遊一さん、少し太って貫禄が出て来ましたね。
扇遊師匠の高座に座る時の着物の裾のつまみ方は、いただきかもしれません。
雲助師匠は、夏を意識して、怪談の要素もある「もう半分」。
この噺は、先代の古今亭今輔師匠が印象的で、噺の中のおじいさんは、今輔師匠の顔になります。
さん喬師匠は、今日の"イドチャ"は、ややはしょり気味だった気がしますが、まあねぇ。さん喬師匠ですから。
国立演芸場の売店の助六寿司を食べながらの、贅沢な寄席鑑賞でした。

増上寺

増上寺
「お前みてえな馬鹿は死んじまえ。・・・・芝(三縁山)増上寺、浄土宗の本山だ。山門の手前にな、枝っぷりのいい帆型になった松の木がある。・・。」
「浜野矩随」での若狭屋の啖呵です。
松の木は見当たりませんが、かつて矩随が歩いていたかもしれません。
仕事で芝公園・大門近くに行ったので、矩随や若狭屋に思いを馳せました。
芝神明から露月町も近くです。

OB落語会

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9月26日のOB落語会の出演者がほぼ確定したようです。
ぽんぽこ、ぴん吉「子ほめ」、乱志「お楽しみ」、寝蔵「宮戸川」、友楽の5名。
新しく、ぴん吉さんが参加されるそうで、楽しみですよ。
それにつけても乱志はまだ「お苦しみ」です。

2010年8月 3日 (火)

国体・・?

国体・・?

松戸駅の東口に、戸定通りという小路があります。
その街路灯に、「ようこそ!松戸へ」と書かれた旗が揚げられています。その下に「千葉国体2010」と・・。
努力している関係者の方々には申し訳ありませんが、国体というのも、2廻り目になってから、何か盛り上がらなくなってしまいました。
何でも品物はあるけれど、これはというのがない大型スーパーみたいで、頭初のミッションを終えたというか、世の中の動きやニーズに合わなくなってしまった気がします。
これに大金をかけるというのも、国民感覚から離れてしまったと思います。
スポーツ振興にもっと知恵を絞る必要があるでしょう。時代に逢わせないと。
落語も気をつけてないと。

奉納落語会は落選?

8月8日の「圓朝まつり」での奉納落語会に応募したのですが、何の返答もありません。
ないということは、抽選に外れたということでしょう。
7月23日締め切りで、当選者にのみ連絡ということでしたから・・・。
残念

2010年8月 2日 (月)

多数アクセス御礼

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8月2日夕方、おかげさまで、アクセスが70,000件を突破しました。
昨年の1月1日から始めて1年7ヶ月です。
まぁくだらない話題ばかりで、怠惰な落語との接点を綴っていますが、時々「ブログ見てるよ」なんて言ってくださる方もいて、恥ずかしいやら、嬉しいやら・・。
ありがたいことです。

アンコール二十選

Img_0001落語百選」で落語100題のDVDが完結するのですが、好評に応えて「アンコール二十選」が追加刊行されるそうです。
落語の演題というのは、随分あるものです。

考えてみれば、わが圓窓師匠は「五百噺」を達成されているのですから、120題でも、まだまだ半分にも満たないという訳です。

追加刊行される噺の内容をみると、かなりポピュラーなものもあり、「あれ、これは本編には入っていなかったっけ?」なんて思うものも、かなり多くあるようです。
私は、アンケートに、「火事息子」「浜野矩随」と書いて出したのですが、追加された中には入っていませんでした。

アンコールの20題の演者は、勿論本編でも登場している噺家さんですが、むしろメンバーが充実しているのではないかと思いますよ。
これは楽しみです。プレミアムな感じ。

学士会落語会会報「まくら」

学士会落語会の会報「まくら」が配信されました。
第28回・第29回の例会のレポートと、会員の方の投稿で構成されています。

特に投稿2編は、安楽庵策伝論と真景累ヶ淵の舞台紀行という、アカデミックな内容で・・・、「ポットが漏るねぇ」「ジャー、ジャー」だとか、「パンツが破れたよ」「またかい」なんて言って喜んでいる誰かさんとは、所詮レベルが違いますよ。

そのうち、投稿してみようと思いますが、どんなことを書こうか・・・。

巻末に、次回第30回の、件の例会の案内が載っていました。
いよいよ逃げも隠れも出来なくなりました。

ネタ本作り

この週末は、落語を忘れて過ごそうとしましたが、結局ゴロ寝をしながら落語を聴くしか能がなく、どうも落語からは離れることができませんでした。
それに、そろそろ9月26日のOB落語会にかける噺の準備も始めなくてはいけません。

実は、言い訳になりますが、先日の「千早振る」へのチャレンジが予定外?だったため、先月はかなり体力を消耗してしまいました。
それで、スタートが遅れたなどという言い訳はもってのほかですが。

9月18日の学士会落語会の「ねずみ」は、2年前に一度演っているので、ある程度の手応えは分かるのですが、翌週のOB落語会では、全く新しいネタの人情噺を演ろうとしていますから、再び苦しみの日々始まるという訳です。

一応、演目は密かに決めていますので、ネタ本作りを始めました。
今回も顰蹙覚悟で、「落とし噺」「落語」あるいは「お楽しみ」という形で、ネタ出しをしないで行こうと思います。
従いまして、このプログでも、出来るだけ演目を伏せて進めます。
何卒ご了承ください。

元ネタの音源が、老境に入ったかつての名人のものですから、リズムと張りに気をつけないといけないかもしれません。なかなか聴く機会の少ない噺ですから。

2010年8月 1日 (日)

70,000アクセスカウントダウン

どうでも良いことですが、ただいま8月1日午後5時30分。
このプログへのアクセス件数累計が69,850件を超えました。
・・・・ということは、とりあえずの大台70,000件まであと僅かということです。
ご愛読してくださる方々に感謝しつつ、カウントダウンです。
m(_ _)m 最近夏枯れ・ネタ切れ気味を自覚していますから、真心に立ち返って、不惜身命の精神で「落語道」に励みたいと思います。
勿論、賭博や暴力団や八百長とは無縁です。

落語観賞

Img_0003今さら落語観賞というのも変ですが、普段はなかなか部屋で落語を聴く機会は少ないものです。
落語百選のDVDもなかなか聴くことが出来ずにいます。
この週末は久しぶりに部屋でゴロゴロすることができたので、半分寝ながら視聴しました。

  ◇ あくび指南    古今亭菊志ん
  ◇ 火焔太鼓    三遊亭遊三
  ◇ 佃祭       入船亭扇遊
    ◇ 壺算       五街道雲助
  ◇ 大山詣り     柳家権太楼
  ◇ うどん屋     柳家さん喬
  ◇ たがや      春風亭一朝
  ◇ 千早振る    入船亭扇辰

こんなことばかりしていていいのかな、なんて思わないこともありませんが、まぁ好きだし、楽だし、怠惰な生活もいいでしょう・・・。

最近DVDを視聴していて気になるのは、噺家さんの出入りの時の所作です。
自分のDVDを見ていて、もう少し格好良くできないかななんて思い始めて来て・・。
ちょうど、野球少年がイチローのバッターボックスの所作を真似するようなものです。
まずは高座に出て来る時の歩き方・表情やスピード。
次は、座布団への座り方。誰が綺麗かなぁ・・。扇遊さんあたりはいいなぁ。
圓太郎さんは、扇子で裾を払います。これもスマートに見えなくもありませんが、扇子をそんなふうに使っていいものかと・・・。
次は、扇子と手拭の置き方。結界を示す人、手に握ったままの人、ほとんどお構いないような人、色々です。馬桜師匠や正蔵さんはきっちりしています。
お辞儀の仕方、体の動きの流れのようなお辞儀、中ほどまで頭を下げる人、深々と下げる人・・・。さん喬師匠の深々とするお辞儀が好きですね。
中身はどんなに破天荒でも、最初と最後の挨拶や所作は大切にしてもらいたいし、そういうところが気になるものです。

落語百選≪48≫

Img_0002

完結まで本巻含めて3巻。

  ◆ 鮑のし     春風亭百栄
  ◆ たがや     春風亭一朝

かつて「寄席は浮世学問の場」と呼ばれていたそうです。
庶民たちは、寄席で落語を聴いて、様々な知識を学んでいたということです。
考えてみれば、私の落語との接点も、まさに「へえぇぇぇ」というところからのスタートでした。

例えば「牛ほめ」。普請は総体檜造り、天井は薩摩の鶉木目、左右の壁は砂摺りで、畳は備後の五分縁。お床も結構、庭は総体御影造り。それから、天角地眼一黒直頭耳小歯違・・なんて、こんなの学校じゃ決して教えてくれませんよ。。
それから、「道灌」の山吹伝説。これは凄い。
さらに、「金明竹」の口上、「一目上がり」の品物や回文など、語句のひとつひとつを見ると、多くの蘊蓄や教養が詰まっています。
「熨斗(のし)」の話もそうで、こういうのをさりげなく普段の会話に入れると、周囲から尊敬されるものです。

「たがや」というのは、とても面白い噺ですが、落語では珍しく、人が何人も死にます。
そこが、やや気になる噺です。
それから、いつも疑問に思っていたことがあります。
殿様の首がポーンと飛ぶなら、「たがや~」というのは変ではないか。「とのこう(殿公)~ぉ」とでも言うべきではと。(尤も、これではオチになりませんが。)
その疑問が解けました。
もともとは、たがやの首が飛んでいたということが分かりました。
家来は殺したものの、最後は殿様の手にかかってしまうというのが本筋だそうです。
それなら、「たがや~」でおかしくない。
まぁ、いずれにしても、私は演りたくない噺です。
でも、両国の川開きの様子など、賑やかな江戸の様子が描かれていて、こういう部分はいいですよ。

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