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2010年6月29日 (火)

抜け雀

この噺も名作だと思います。
初めて聴いたのは落研時代。主催した「金原亭馬生独演会」で、先代馬生師匠で。

落語っ子連のまど絵さんが稽古会で、「今度演ってみたい噺だ」と言ったことから、師匠が話題にされました。
「親を駕籠かきにする」→親を泥棒(雲助)・悪人扱いした→不孝・不忠、というオチにしている訳です。
ただし、「駕籠かき=悪人」というのは職業蔑視に繋がりやしないかということと、屏風や衝立の絵に鳥かごを描きますかという点で、違和感のあるところでもあります。
そもそも、雀という鳥は、鳥かごに入る鳥でもないし・・・。
名作ではあるものの、やや無理があるのも確か。

師匠は、三遊亭
圓窓五百噺ダイジェストで、以下のようにコメントされています。
(圓窓のひとこと備考)
 あの世に行ってしまった柳家つば女(平成16年6月13日没)が生前にこんなことを言っていた。「雀は籠に入れて飼うような高級な鳥ではない。絵師として駕籠入りの雀は描かないはずだ」と。
 つば女は武蔵野美術大の出身なので、あたしは信憑性を感じた。そこで、本文のような落ちに直したのである。絵の讃は茅野大蛇作。
 既成の落ちは、老人が駕籠を描いたので、息子として「あたしは親不孝。父を駕篭かきにした」というのである。しかし、この落ちの本来の意を知っている人は少ないようだ。
〔双蝶々曲輪日記 六冊目 橋本の段〕の吾妻の口説き句に「現在、親に駕篭かかせ、乗ったあたしに神様や仏様が罰あてて――――」というのがある。
[抜け雀]を演るほうにも聞くほうにもその知識があったので、落ちは一段と受け入れられたものと思われる。本来の落ちには隠し味ならぬ、隠し洒落があるのが、嬉しい。
 知識として、その文句のない現代のほとんどの落語好きは、ただ単に「親を駕篭かきにしたから、親不孝だ」と解釈をしてるにすぎない。
 胡麻の蠅と駕籠かきは旅人に嫌われていた。その「駕籠かき」から「親不孝」と連想させての落ちになるのだが、悪の胡麻の蝿と同じような悪の駕篭かきもいただろうが、いとも簡単に駕篭かきを悪として扱うのはどうかと思う。
 だから、浄瑠璃の文句の知識を念頭に入れない「駕篭かき」の落ちの解釈は危険そのものなのである。


Rj051稽古会で、師匠はこれと同様のことを話してくださり、「だからあたしはオチを変えて演っているよ。」と、オチを教えてくださいました。最後の部分です。
衝立に鳥かごを描かずに竹を描きます。「竹と雀」で相性も良く、文字通り絵になります。

 半年後、あの雀を描いた若絵師が今度は立派な身なりで旅籠にやってきた。
老医師が竹を描き加えた話を聞き、すぐさま衝立を見て、それに向かって平服して言った。
絵師「父上。ご不孝の段お許しください」
主人「この竹を描いたのはお父上だったのですか?」
絵師「父は絵師であったが『絵では人の命は救えない』と考えて医師になった人。子供の頃、父から絵の手ほどきを受けた。医師になった父の絵を見る目は衰えていないようだ」
主人「親子揃って大したものですね」
絵師「俺は親不孝だ。父を藪(藪医者)にした」・・・。

なるほど、大変きれいなオチになっています。

ところで、柳家つば女師匠といえば、若い頃は師匠と同様、「笑点」メンバーで、非常に人気がありました。
当時は、柳家小きんだったと思います。
この師匠も山梨県出身だったはずです。

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