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今月はずっと発表会にシフトしていたので、久しぶりの落語会鑑賞です。さすがに月末なので、開演には間に合わず、弥助さんの途中から聴くことになりました。
いやぁ~、実にホッとする空間です。
◆ 駒長 五街道弥助
◆ 青菜 初音家左橋
◆ 彦六伝 林家木久扇
◆ 大工調べ 古今亭志ん輔
◆ 付き馬 五街道雲助
今日は、木久扇師匠以外は古今亭・金原亭一門の出演で、なかなか渋い番組でしたが、月末の疲れと発表会の疲れで、かなり意識が薄らいでいました。
それにしても志ん輔師匠と雲助師匠、実に久しぶりな気がします。
個人的には、「大工調べ」という名作は好きではないのですが、志ん輔師匠の見事な啖呵で、ずっとぼぅ~ッとしていた私の意識が完全に覚醒しました。
雲助師匠の「付き馬」の、吉原から雷門までの描写が素晴らしかった。とにかく、吉原と浅草の距離感やそれぞれの朝の街の情景がくっきり浮かんで来ました。
落語っ子連の発表会の最大の特長・売りは、出演者の噺が終わる都度、舞台の袖で聴いてくださっている師匠が、高座の脇に立って、一人一人の紹介や講評、落語の蘊蓄などをコメントしてくださるところです。
このコメントが絶妙で、これを目当てにしている方もいるようです。
今回初高座だった窓口さん・商人さんも、仕事のことなどの"個人情報"を、とにかく面白可笑しく暴かれて、会場は爆笑でした。
さて私の番。
個人情報を暴きにかかるか、何かお小言を頂戴するかと、観念していました。
「今日の4席目は人情噺でした。」と始まり、落語の中の人情噺のポジションなどに触れ、「この浜野のような噺は、素人の人にはなかなか出来ない。・・」と。
そして信じられないことに、過分なお褒めの言葉をいただきました。
「登場人物一人一人に心がこめられていた・・」なんて・・。
さあこの後、師匠から歴史の1ページになりそうな言葉が出て来るのでありますが、今晩はここまで。
「浜野矩随」を演ったからか、バリバリの頑張り屋で病気の姿など見たこともない母が、急に坐骨神経痛で痛い思いをしているのを思い出し、せめてと思い、落語っ子連の発表会2日目にむかう途中、巣鴨で電車を降りて、「とげぬき地蔵」に手を合わせて来ました。
おばあちゃんの原宿も賑やかだし、とげぬき地蔵像の前は長蛇の列でした。
本堂にお参りして、御守りにと、ご本尊の書かれた札を求めました。
元気でいてもらわなくっちゃあいけませんから。
思えば、長くこだわって来たものです。
師匠から「せっかくだから演ってみたら」と言われ、10分程度カットして臨んだ高座でした。
出来・不出来を言えば、思うところも何ヵ所かありますが、大きな区切りをつけられた気がします。
思いのほか多くのお客様が来てくださいました。
当初予定していた椅子を増やしたり、席を前にずらしていただいたり、高座も少し後ろに動かしたりで、大変ありがたい限りです。
30人ぐらいの予想が、約50人に膨れ上がりました。
◇ 代書屋 三流亭窓口
◇ 半分垢 三流亭まど音
◇ 小言念仏 三流亭商人
◇ 浜野矩随 三流亭流三
◇ 松竹梅 三流亭びす太
◇ 小噺 三流亭窓蕗
◆ 不孝者 三遊亭圓窓
今日の発表会の会場「プラサギターラ」は、要町交差点にあります。
キャパは50人ぐらいでしょうが、まぁ、半分ぐらい席が埋まれば"御の字"でしょう。
私も、さほど宣伝している訳ではありませんから。
さぁ、本番です。果たして・・・・。
先週からハイな状態が続いているようで、歩き稽古をしていても、何かしっくり行かない部分を感じます。
先週と同様、車の中でさらいましたが、どうも盛り上がらない。
あまり意識しないで、後はぶっつけ本番で演った方がかえってメリハリが出せる気もして来ました。
こんな日は、癒されるモノを眺めたりして過ごすのが良かったりして。
もう一人、語らずには過ごせないのが本職「桂友楽」師匠。
「友楽」を、あの黒門町の(八代目桂文楽)師匠からもらったという。
仙台では超有名人で、文字通り、落語を通じた文化活動・ボランティア活動に命をかけておられます。
落研草創期の先輩方からたってのリクエストである、黒門町直伝の「干物箱」です。
そんないわれのある噺ですから、トリに相応しいと思い、前回の「井戸の茶碗」に続いてトリをお願いしました。
仙台の落語事情も、良くも悪くも随分変わっているようで、現役の落研部員気質の変容とともに、色々ご苦労もあるようです。
我が落研に「御三家」あり。
達人~「志ん志」・名人~「寝蔵」そして本職~「友楽」。
「どうだ参ったか。」(アサダⅡ世師匠みたい・・・)
平成11年卒だそうですから、つい最近大学を出たばかりの若手「賀千家ぴん吉」さんが、以下のような感想を語ってくれました。
落研OB会がかくも立派に存在していたことは、本当に驚きましたし、またうれしいことでもありました。こうしたOB会の存在を知ることができたことは本当に大きな収穫です。
また先輩方の高座を拝見し、自分もまた高座に上がりたいという思いがふつふつと強くなってまいりました。
もちろん、先輩方の腕前には遠く及びませんが、今後もし機会があれば、ぜひお声がけください。ほんの少しでも会を盛り上げる手助けができれば幸いです。
おじさんたちは大感激です。早速、お礼のメールを出しました。
どんどん輪が大きく広がって行くといいですね。
聞けば、ぴん吉さんは、現役時代の「OB落語会」で、私の「浜野矩随」を聴いてくださったそうです。
先日メールをくれた遊狂②さんは、昭和60年卒で、やはり現役時代に私の「浜野・・」を聴いてくれていた・・。
・・ということは、私は4年生の時にネタ下ろしして以来、昨年の50周年まで、OB落語会で3回も「浜野・・」を演っているということになりますね・・・。
道理で同期のこり生さんが「今度は別の噺をやれ」と言う訳ですね。
麗しの一年先輩、「杜の家愛狂」女史からメールを頂戴しました。
今回は残念ながらご参加いただけませんでしたが、50周年OB落語会の私の「浜野・・・」を聴いてくださって、「乱志くん、学生時代のイメージと違って、随分噺のトーンとキーが高くなった気がするんだけど」と鋭く評してくださいました。
お天気にも恵まれさぞや盛況だったと存じます。御高座を拝見出来ず誠に残念です。今回の演目は何だったのでしょう?又の機会を楽しみにしております。
愛狂さんは、落語は演りませんでしたが、毎週の部会にも出席してくれて、我々同期にはよい「姉さん」でした。
あの騒がしい部会の最中で、堂々と居眠りをしていたところなど、そんじょそこらの姉御ではありません。
先輩方からは「はったり姉ちゃん」なんて、今ならセクハラとも言われそうな呼ばれ方をして、でも可愛がられていました。
我々同期には、会うと未だに「○○くん」と呼んでくれますが、考えてみると、「くん」付けで呼んでくれる女性なんていませんよ。
・・・そういえば、我々同期4人(だったかな)で、愛狂さんのいる男子立ち入り禁止の女子寮に潜り込んで、クリスマスパーティと称して酒を飲んだことがありましたが、何も起こりませんでしたねぇぇぇぇ。
やはり、この方を語らずして我が落研を語ることは出来ません。
名人「喰亭寝蔵」師匠です。
以前にも言いましたが、寝蔵師匠は、私が1年生の時の、雲の上の4年生。
落語なんか聴いたことのない田舎者が初めて触れた人情噺「子別れ」。あれからずっと寝蔵節に憧れ続けていた訳です。
そんな寝蔵師匠が叩く「片しゃぎり」で、高座に上がるなどという暴挙。親を駕籠かきにした「抜け雀」の倅のようなものです。
・・尤も、こちらは芸もボロボロなのですが・・・。
「長短」という噺。
私も以前から演ってみたい噺の最右翼のひとつです。
でも、なかなか手がつけられないでいる。
それは・・・難しいからです。
ただ、パーパー喋っているだけでは出来ない噺。「愛宕山」や「船徳」なんかもそうかもしれません。
憧れながら、でも正面から当たったら到底敵いませんから、私なりの別の色を出しながら、「喰亭寝蔵」という大きな目標を追い求めて行くしかありません。
ところで、会場のお客さまの一人が仰ったとか。
「この落語会はどうして木戸銭を取らないの?」
志ん志・寝蔵両師匠への賞賛のお言葉だったようです。
大学院生のぽんぽこくん。
おじさんたちに混じって、いつも参加してくれる頼もしい若手。
今までは、開口一番や浅い場所での出演でしたが、今回は仲入り後の”食いつき”という重要なポジションをお願いしました。
但し、前半は相変わらず"高座返し"もやっていただき、いくつになっても若手は若手なのです。
演題を決める時に、「道灌」か「不動坊」ということだったので、私は迷わず「不動坊」をリクエストしました。
今時の若者は、マクラをふるのが上手です。おじさんたちの知らない落研の様子などを、面白おかしく語ってくれました。
勿論、本題の「不動坊」も大したもの。色々な大会にも出場しているようですから、場慣れしていますね。
今回は、事前にメールでやりとりしたので、向こうはいやでしょうが、これからは色々お願いがしやすくなりました。
OB会のますますの活気付けのためには、彼ら平成の世代の人たちの動きが不可欠ですから。
後輩のTeさんからメールが届きました。
「お江戸OB落語会」には出席できなかったのですが、気に留めてくれていたようです。
働き盛りですから、仕事優先が当たり前ですが、やはり落研のことを思っていてくれているのが嬉しいです。
ご無沙汰しております。
S60年3月文学部卒の2代目花柳亭遊狂ことTeです。
このたびはご盛会おめでとうございます。
ぎりぎりまで仕事の調整をしていましたが、土日は出勤で、やはり伺うことは叶わず、残念でした。
それゆえ、ご連絡も差し上げず失礼しました。
以前、OB会でうかがって、その上手さに驚嘆した「浜野矩随」を熱演されたのでしょうか。
それとも今回は新ネタでしたか。
伝説の友楽さんの話も気になるところでした。
またなにかございましたら、ぜひご連絡ください。
よろしくお願いいたします。
私が言ったんじゃありませんよ。
勿論、私が書けと言った訳でもありません。
「以前OB会でうかがって、その上手さに驚嘆した」って、誰のこと・・・・?・・・こういう人、大好きです。
昨夜は飲んだくれて出来なかった歩き稽古。
いつものコースを歩きながら、噺の途中の矩随が家に戻って母親に話をしたところからオチ近くまでのおさらい。
今夜の天気も荒れ模様になりそうです。
上野松坂屋前の「御徒町」の布製の街名標示も、風に揺れています。
北海道大学の落研OBのNさんも、「お江戸OB落語会」にご来場くださいました。
北海道大学の落語研究会では、もう10年以上も前から、東京で毎年OB落語会を開催しています。私も何度かOB落語会「苦楽亭」にお邪魔したことがあります。
「苦楽亭迷人会」という名前の落語会で、あのクラーク博士から取っているそうです。
我々も、何か気の利いた名前を考えなくてはいけませんね。
東京開催の大先輩でもあり、色々な面で環境も似通っていますから、引続きご指導をいただきたいものです。
OB落語会,盛況でおめでとうございました。
皆さんの正統派の落語を聞かせていただきました。
花筏は良かった,第一声がいい,もちろん噺もです。
今後,是非お江戸の名物にしていただきたいと思います。ヨイショ。
「お江戸OB落語会」の翌日、東大落語会のOBで、「学士会落語会」の役員でもあるTさんから、大変ご丁寧なメールを頂戴いたしました。
しかも、私の高座の写真まで添付してくださり、感激しました。
早速、このプログにも使わせていただきました。
ありがとうございます。 m(_ _)m
さらに、わざわざ我々の落語会にご来場くださったばかりか、懇親会にまでご参加いただきました。
Tさんが会場にいらっしゃることは、事前に分かっていましたので、実は非常に緊張したのですが、メールでは、お世辞9.9割、私の噺の批評をしてくださいました。
その一部をご披露させていただきます。
皆さんのレベルの高さに、正直驚き感心いたしました。
貴台の「花筏」は声のはり具合、関取らしいどっしりした風格と提灯屋の軽さの対比、間の取り方等々、かねて圓窓さんに直接習っておられるとは聞いておりましたが、流石大したものです。
ありがとうございます。 m(_ _)m
9月の学士会落語会の例会では、4名の会員(=素人)による落語実演が企画されていて、Tさんは「鼓が滝」をお演りになるそうです。
私も、懇親会のドサクサで、出演させていただくことの承認をもらいましたので、「ねずみ」を演ることにしました。
前の会社の先輩で、落語鑑賞に引っ張りこんでいる「Iさん」に、「お江戸OB落語会」の状況を、いつもの行き付けの北千住の焼き鳥屋「O」で報告しました。
ご贔屓に義理を欠いてはいけませんからね。
今度の落語っ子連の発表会には来てくれるそうです。
ところで、この「O」という店には、もう20年以上も通っています。
北千住駅前の飲み屋街の一角で、マスター?とも顔見知りで、安心して飲食できるのが魅力。酒飲みでもなく、ましてや一人で飲むことなど皆無な私にしては珍しいです。
尤も、行くのは専らこの「Iさん」とだけなのですが。
人気のある店なのに、珍しくなぜか今夜はお客さんの入りが少なかったようでした。
昨日は、先週の燃え尽きと雨模様の天気を理由にサボりましたが、土曜日の「落語っ子連」の発表会に向けて、歩き稽古を再開です。
上野駅正面改札口前の「翼の像」がスタートです。
先日の「花筏」とは違って、台詞は概ねしっかりしていますから、やり方も少し違うようです。
師匠にヒントをいただいたオチで初めてやりますから、そこがポイントでしょうか・・。
少し蒸し暑い朝です。
今は亡き「麻雀亭駄楽」師匠と実現を誓い合った東京でのOB落語会「お江戸OB落語会」。
駄楽師匠の遺志を、今回何とか実現させることが出来ました。
まだまだ不十分ながら、若いOBの方々との接点も出来つつあり、「俺も落語を」という声も、物凄い勢いで上がりつつあります。
今回の会場の「浅草ことぶ季亭」は、これからの活動のベースにさせてもらえるのに十分な場所だと思います。
オフィシャルなOB落語会だけではなく、個人的な有志の会をやらせてもらうとか・・・。
とにかく演りやすい会場・高座でした。
来年(次回)もこの小屋でやりたいと思います。
日経新聞に、帝国データバンクが行った「全国の社長の趣味」という調査の結果が紹介されていました。
まだまだダントツではあるものの、「ゴルフ」が減少していて、3割を切ったようです。
日本人は、サラリーマンは、金太郎飴のように、「ゴルフだ、酒だ、麻雀だ」と言って群れるものでしたが、趣味が多様化・分散化するというのは、なかなか良い傾向だと思います。
最近は、「釣り」が増えつつあるようです。
趣味は、お付き合いや仕事のために、無理やりやるものではありません。本当に、純粋に好きな人だけがやればいいんですよ。
全国の社長の3割が趣味がゴルフ・・?
気味の悪い国だと思いませんか?
残念ながら、私は社長じゃありませんが、趣味は落語です。
・・・もっと気味が悪いか・・。
仲入りの時の楽屋での友楽師匠との話題。
友楽師匠曰く、「乱志くん、やはり圓窓師匠に似て来たね。」
圓窓師匠と昔から親交のある人が仰ることですから、傾聴に値する話で。
乱志:「確かに師匠からご指導いただいていますが、今まで演った、子ほめ・三方一両損・浜野矩随と今回の花筏は、師匠のネタでなく、別の師匠のテープを参考にしていますからねぇ。しかも花筏は、読み稽古で2度聞いていただいただけなんですけどねぇ・・。」
友楽:「いやいや、楽屋で聴いているとよく似ているよ。」・・
私にとっては大変光栄なことですが、意識はしていなくても、影響を受けているんだなと思いました。
確かに、師匠の別の噺を聴かせていただいて、発声や間などを、無意識のうちに真似ているのでしょう。
口伝の演芸の物凄い一面かもしれません。
プログラムでは、あえて「落とし噺」として演題を隠して臨みました。
番組に"ご趣向"を入れようとしたからです。
花筏・ハナイカダは、桜の花びらが散って水面に広がる様や、葉の上に花が咲いたような植物の名をさしますから、大変綺麗な名前です。
何故か落語では、お相撲さんの名前になっています。
最終的にこの噺を演ろうと決めたのは、先月の東京落語会の後で、頓平師匠から、「人情噺以外の噺(乱志の新しい一面)が聴きたい」というリクエストをいただいた時でした。
「藪入り」を演ろうと傾きかけていた時だったと思います。
「そうか。先輩から与えられた課題だ。それじゃ、難しいと言われる"地噺"にチャレンジしてみよう。必ず人情噺にも役立つはずだから。」という訳で、この「花筏」に決めました。
圓窓師匠には、読み稽古の段階で見ていただきました。
師匠からは、ストーリーの整合性、言葉の使い方、オチのやり方などのアドバイスをいただきました。
それでも、「呼び出しの実演を聞くようなマクラだ。」というコメントに意を強くして、車の中で「東〜ぃ白鵬ぉ〜・・」と、何度も叫びました。
私は「白鵬」と「琴欧洲」を呼び出しで使ったのですが、奇しくも、当日の大相撲夏場所の結びの取組と同じになりました。本当に偶然です。
呼び出しの声を真似した時に、客席から拍手が起こりましたが、大変思いがけず、嬉しいことでした。
出来は・・・、まずまずでしたが、弁痴師匠からは、「今回は、稽古不足だったね。」と、前回に続いて厳しいご指摘です。
仰るとおりです。
「お江戸OB落語会」から一夜明けました。
冷静にしているつもりでも、やはり極度の緊張状態にあり、しかもかなりの興奮状態にもありましたから、昨日は、落語会が終わって身体は疲れてはいても、とてもハイな状態でした。
・・・そして今朝は・・・。予想通りの"バーンアウト"状態です。
今日は、落語は聴いても演りたくない(演れない)という状態。
来週の落語っ子連の発表会の稽古は、どうしても都合がつかずに参加できないのですが、仮に時間があっても、恐らく稽古にならないでしょう。今日はクールダウンの一日にして、明日から「浜野矩随」を仕上げて行こうと思います。
「浅草ことぶ季亭」満員のお客さま。
会場が広くないので、あまり宣伝をしなかったので、通りすがりのお客さまはいません。
目の肥えた方々ばかりなので、出演者も緊張します。
落研のOBのほか、普段からわが落研をサポートしてくださる大学OBの方々、そして東大と北大の落研のOBの方も来てくださいました。
☆★☆大盛況・大成功だったと思います。
こういう落語会は、一人だけ良くてもダメで、全出演者が最高の出来で演ることと、出演者同士のバランスが重要だと思います。
まさにその通りの結果になりました。
梅香さんとぽんぽこくんも、高座返しや出囃子など、大活躍をしてくれて、落語会をプロデュースした立場としては、涙がでるぐらい嬉しかった・・。
それから、喰亭寝蔵師匠の一番太鼓・追い出し太鼓も最高でした。
そして私のミステリー企画"落とし噺"の演題は「花筏」でした。
「第一回 お江戸OB落語会」は、確実に落研の歴史の1ページになったと思います。
◆ NOVA寿限無 東風亭梅香
◆ 花筏(はないかだ) 金願亭乱志
◆ 粗忽の使者 談亭志ん志
仲入り
◆ 不動坊 井の線亭ぽんぽこ
◆ 長短 喰亭寝蔵
◆ 干物箱 桂友楽
会場の「浅草ことぶ季亭」の前は、幟が立ててあり、「お江戸OB落語会」と掲示してあります。
とにかく、寄席演芸のために作られた小屋ですから、使いやすいことはこの上ありません。
会場の設営も、座椅子を増やしたぐらいで助かります。
高座に座ってみると、話しやすい雰囲気で、上下(かみしも)もきりやすそうです。
太鼓をお願いしている寝蔵師匠と「片しゃぎり」の打ち合わせ。
ちょうどぴったり。
とてもいい会場です。
上野駅で同期のこり生さんと合流。奥さんも一緒でした。
奥さんとは、お二人の結婚式の時に一度だけお会いして以来で、ほとんど初対面のようなものです。上野駅のレトロレストラン街で食事をしながら雑談・・・。
頭の片隅には、「あそこのあの部分は、こういう演出にしようか。」とか、「あそこは上手くできるかなぁ。」など、今日の高座のことが気にはなってはいるものの、同期との久しぶりの会話は、時間を忘れて楽しいひとときになりました。
床屋さんを出て、上野へ向かいます。
11時に同期の多趣味亭こり生さんと待ち合わせをして、食事をすることになっています。
幸運なことに、床屋さんが混んでいなかったので、1時間弱時間が出来ました。上野駅を出て、上野公園を歩きながら、最後の稽古をやることにしました。
着物を入れたバッグを肩にかけ、一旦清水堂方向に向かい、右に曲がって正岡子規球場を左手に見ながら動物園の前を横切って噴水広場へ・・・・。
噴水を1周してから公園口までジグザグに歩いたところでちょうど噺が終わりました。・・・まだ後半が心もとない・・・。
床屋に行きました。
行きつけの床屋さんが、「今日は随分早いですね。大きなバッグ(着物を入れた)を持って、どこかへお出かけですか?」
本当は、先週散髪するつもりでいたんですが、急に帰省したので行くことが出来ず、諦めていました。高座に上がるには、髪が伸びすぎているので、大変気になっていたのです。
すっきりしました。
芸が拙い分、せめていくらかでも見栄えを良くしておかないと・・。
いよいよ「お江戸OB落語会」の当日になりました。
昨日はちょいと大事な用事で、帰るのが遅かったので、全く稽古をしないまま寝てしまいました。
もう、ジタバタすることは出来ませんから、忘れ物がないように、着物・羽織・扇子・手拭・・・、それからプログラムと出囃子CD。
しっかり鞄に詰め込みました。
・・・さぁ。
「浅草ことぶ季亭」のHPを覗いてみたら、イベント情報のトップに「お江戸OB落語会」が載っていました。
http://asakusakotobukitei.jp/default.aspx
いよいよという気持ちになって来ます。
改めて会場の図面を眺めて、いろいろ明日のことを想像しています。
「お仲ぁ入りぃぃ」っていう掛け声をどこに立って叫ぼうかとか、お客さまがどれぐらい来てくださるかとか・・・。
後輩のTさんからメールが届きました。
お世話になります。平成元年卒のTと申します。
返信をしようと思いつつ、いつも失礼しておりました。
お詫びいたします。
5/22ぜひとも参加したいところですが、様々都合が重なっており身動きがとれません。
今回は不参加とさせて下さい。
いつの日か、私めも「だくだく~13日の金曜日バーション~」で参戦したいと思います。
当日の盛況と皆さんのご多幸をお祈りいたします。
「だくだく~13日の金曜日バーション~」って、この人のオリジナルネタなんでしょうね。きっと・・・・。
別に「参戦」などしなくていいから、常に「参加」するようになって欲しいものです。
あたしゃ闘うつもりなど毛頭ありませんからね。
まぁ、繰り返しメールを続けていれば、こうやって返信してくれる人も増えて来ることでしょう。
「お江戸OB落語会」の本番がいよいよ間近に迫り、しつこくOBにメールを送りました。
一般の皆さまも、是非お出かけください。
平成22年5月吉日
東北大学落語研究部
OBの皆さま
東北大学落語研究部OB会
広報担当 二代目金願亭乱志
「お江戸OB落語会」のご案内
拝啓 新緑の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、既にお知らせ申し上げているとおり、「お江戸OB落語会」が間近になってまいりました。
当日の番組とともに、改めてご案内申し上げます。何卒ご来場を賜りますようお願い申し上げます。
★★ 東北大学落語研究部≪お江戸OB落語会≫ ★★
◇ 日時 平成22年5月22日(土) 午後1時開演
◇ 場所 『浅草ことぶ季亭』(あさくさ・ことぶきてい)
〜東京都台東区寿1-6-7
東京メトロ銀座線「田原町駅」より徒歩3分
→ http://asakusakotobukitei.jp/default.aspx
◇ 木戸 入場無料
◇ 番組 NOVA寿限無 東風亭梅香
落とし噺 金願亭乱志
粗忽の使者 談亭志ん志
仲入り
不動坊 井の線亭ぽんぽこ
長短 喰亭寝蔵
干物箱 桂友楽
※内容は変更する場合もあります。
◆会場は広くありません(50席)ので、予めご了承ください。
◆OB落語会の後の懇親会にも是非ご出席ください。
某歯科大のアメリカンフットボール部の新入生歓迎コンパで、多量の酒を飲んだ1年生の男子部員(25)が翌日死亡。この男子部員は糖尿病だったというニュース。
┐(´д`)┌ こまかな事情は知りませんが、登場人物全員が揃いも揃って「馬鹿じゃなかろか」というような話です。
今時、25歳にもなって、飲ませる方も、飲む方も・・。本当に呆れてものが言えません。落研も、そりゃあ粋がって、いわゆる「一気飲み」なんていうのをやっていましたよ。
でもね。本人も、周囲も、飲む量や限界というのは、自ずと知っていたし、弁えていましたよ。
それが証拠に、無理やり飲まされた記憶はありませんから。酒を飲むというのは、コンパというのは、それこそ自分の量を知って楽しむ、社会勉強のひとつだと思うのです。勿論、そんな理屈を掲げて飲んじゃあいませんでしたが。
今朝は雨降りで、いつもの?朝の歩き稽古が出来ません。
先週ならば、「まだ明日があるから大丈夫」でしたが、今となっては、もうそんな時間はありません。
聞けば、寝蔵師匠も志ん志師匠も、同じように開き直りの境地のようですから、少ぉし安心?・・・なんですが。
でも、何と言ってもあちらは"名人"と"達人"ですから、所詮私なんぞとは出来が違いますから。噺は・・、まだ後半が流暢に運べません。
あと2日・・・・。
同期の多趣味亭こり生②さんからもメール。
当日11時頃上野に着けるので、会場へ行く前に食事でもしないかという。
麗しい同期との再会話だと思う人が多いでしょうが、実は、最後の悪あがきで噺をさらおうと思っていたのですよ。
貴重な時間だったんです。
"優しい同期"に、思わず涙が出て来そうです。
ええいままよ
結局、11時に上野駅正面改札口で待ち合わせることに・・。
「お江戸OB落語会」を直前にして、OBの各氏から励ましのメールが届いています。
残念ながら、それぞれのご都合で、当日ご来場はできないようですが、丁寧なメールでのコメントは、本当に心強いものです。
m(_ _)m 杜の家とん平④師匠は、私の2年先輩で、もう随分長い間お会いしていません。
今回もご都合が悪いようで残念ですが、次回も案内してくれと嬉しいメールです。
o(_ _)o 風流亭花鳥②師匠は尊敬する同期です。上方落語への造詣はものすごく、現役時代は上方落語の使い手でした。住まいが山口県ですから、これまたなかなか会う機会はありませんが、盛会を祈るとの有難いメールです。
先日届いた、窓輝さんの真打昇進披露口上書で、師匠が以下のような口上を述べておられます。
あたしは師匠の三遊亭圓生によく言われた言葉がある。
「芸というものは、丸々、教わり過ぎてはいけない。物真似のような軽々しいものしか得られないからだ」
では、どう学べばいいのだろうかと、あたしは考えるようになった。
さらに圓生は言った。
「芸は盗むもんだ」
あたしは窓輝にもそのことを伝えてきた。
「芸には貪欲であってもいいが、芸名をあれこれと欲しがるな。
盗んでいいのは芸であって、芸名を盗もうとしてはいけない」
いつの頃からか、窓輝も多くのいい噺家のいい噺に耳を傾けるようになった。
で、この度の真打昇進に際し、「名前は窓輝のままで行く」と言ってきた。
前座のときの窓輝。二つ目もそのままで窓輝。そして、真打になっても窓輝。
こんな窓輝がいつか、「初代 三遊亭窓輝」と言われるようになれますよう、ご声援のほど、よろしくお願い申し上げます。
・・・なかなか聞くことのできない、尊い口上だと思います。
19日の国立演芸場で、窓輝さんの全ての披露公演が終了しました。
隅田川馬石さんから、池袋演芸場での「奮闘馬石の会」の案内が届きました。
いつものように、律儀に手書きのコメント付き。
「髪結新三」の通しだということ。
興味あり。ただし、日曜の夜なのと、OB落語会の翌日でボロボロになっていること必至なのと・・・・。
七代目圓生襲名をめぐる様々な噂や情報が入り乱れる中で、「夕刊フジ」が、「圓生襲名 直弟子圓窓が名乗り」という見出しで報じていました。私には記事の真偽のほどは分かりませんが、とにかく良い方向に進めば良いと思います。
思わず、そのまんま記事をコピーしてしまいました。
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100518/enn1005181629015-n1.htm
1979年に79歳で死去した古典落語の名人、三遊亭円生(6代目)の名跡襲名をめぐって、弟子や孫弟子が名乗りを上げていた問題で、新たに直弟子の三遊亭円窓(69)が襲名の意志を示していることが分かった。
円窓が所属する落語協会(鈴々舎馬風会長)によると、円窓は10日ほど前に協会に襲名に前向きな態度を口頭で報告。17日に開かれた定例理事会で自ら経緯を説明し、第三者から襲名を促されて6代目円生の遺族との話し合いを行っていることを明らかにした。
「円生」は落語界でも由緒ある名跡の代表格。6代目円生の死後、長く空席になっていたが、最近になって弟子の三遊亭円丈(65)と、弟子の5代目円楽の弟子で孫弟子に当たる三遊亭鳳楽(63)が名乗りを上げた。
今年3月には“直接対決”による落語会が開かれ話題を呼んだが、「結論」は出ていない。
新たに手を挙げた円窓は円丈の兄弟子に当たり、総領弟子だった5代目円楽亡き後は最も入門が古い。
古典落語から創作落語まで幅広く手がけ、テレビ番組の「笑点」にも長くレギュラーとして出演した。
円窓は産経新聞の取材に「調整中です。時期がきたらお話しできると思う」とコメント。
落語協会では、「一門と遺族との問題」と静観しているが、「そう遠からずに(円窓の襲名で)正式発表を行う可能性がある」とする。
一方、協会の監事でもある円丈は「私も協会の幹部のひとりだが、こうなったら成り行きを見守るしかない」と話している。
直弟子・円窓の名乗りで襲名騒動は丸く収まるのか、それとも三つ巴の争いとなるのか。
静観するのみ。果報を待つのみ。
"あの子 どこにいるのやらぁ〜"なんていう歌がありました。
全く関係ありませんが、昨夜8時頃、三日月ぐらいの月がきれいでした。
携帯カメラだと光が滲んでしまい、半月みたいにしか映りませんが、きれいに弧を描いていました。
そういえば、この間スペースシャトルに乗り込んだ日本人女性宇宙飛行士が、凱旋?帰国していました。
自信たっぷりな感じで会見をする様は、宇宙飛行前とは随分雰囲気が変わった気がしました。
それが自信だけなら良いのですが・・。
自分の稽古のことや、会場のことばかり気にしていて、肝心なことを忘れていました。
・・・そうです。出囃子ですよ。
慌てて、出囃子のCDを買いに行って来ました。
色々出ています。
昔から出ているもの、NHKのもの、海老一社中のもの等々・・・。
ポイントになるのは、各曲が出囃子として使える程度の長さの演奏であることと、おもな師匠のものが揃っていること。
一番新しい録音のものを選びました。
ソニーの「来福」レーベルから出ている、京須さんが監修しているというので・・・。
CD3枚組で100曲入っているようなので。
もう忘れていることはないだろうなぁ・・・。
メクリは別途お願いしていただいているし、その他は会場に揃っているということだし・・・。
鈴本演芸場の入口左右に、狛犬のようにどっしりと控えているのがこれ。魔除け・縁起かつぎなんでしょうが、なかなか良いものです。
江戸の寄席は、初代三笑亭可楽が下谷神社で始めたのがルーツだと言われていますから。
招き猫が置いてあったりするのは、縁起をかつぐ商売ならではということでしょう。
東風亭梅香さんから、メールが来ました。
彼には、開口一番の大役に加え、乱志さんの前という重要なミッションがありますから、期待をしている訳です。
開口一番ということで、身の引き締まる思いで通勤電車の中で稽古しております。声は出しませんが…。
懇親会にも出席させていただきます。
ハメを外してご迷惑をおかけすることの無いように心掛けますので、よろしくお願いいたします。
・・・・って、こいつ飲みに来るつもりでいるな・・・。
とにかく、乱志さんの前に出て、お客さんを柔らかくしておいてもらわないと、乱志さんの詰まらない噺で、呆れられて帰ってしまうから・・・。
水の流れを眺めていると、石に当たって左右に別れ、また下流で一緒になって流れて行きます。
いにしえの歌人たちは、この様子を見て、自らの人生を映し、また恋の歌などを作ったんですねぇ。「瀬をはやみ・・」なんてね。
実に優雅というか、他にやることがなかったのか・・・。
ところで、「陽成院」という噺があるそうです。
ストーリーは、やはり和歌をネタにしている「千早振る」と同じようなものだそうです。
"筑波嶺のみねより落つる男女の川 恋ぞつもりてふちとなりぬる"
この歌の解釈をめぐって、毎度のバカバカしい問答が展開されるという訳。
この噺でも「千早振る」と同様に、"筑波嶺"と"男女の川(みなのがわ)"というお相撲さんが出て来ます。
でも、なぜ「千早振る」ほどポピュラーにならなかったんだろう・・
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 抜かったことに、帰省をして風邪をひいてしまいました。
昨夜は早寝をして、汗をかいて、何とか早く治そうとしましたが、夕方になると熱っぽくなって来ました・・・。 (〃゚д゚;A A゚Å゚;)ゝ ゚+:.
!!(゚ロ゚屮)屮 まずい・・・稽古が出来ない。このままだと・・・。
ええ~い、今日も諦めて寝てしまおう
ままよっ
神田須田町交差点の、件の「くだものの万惣」のビルの近く、地下鉄神田駅の入口の前に、女性の像が静かに佇むように立っています。
田中昭という80歳ぐらいの芸術家の「華ごろも」という作品です。
20分近く歩く間に、街角に色々なものを発見することが出来ます。
車で通ればせいぜい5分程度で、見過ごしているものばかりです。
最近、街角ウォッチャーになってしまいました。
上野広小路交差点の角にある「上野広小路亭」。
ビル・マンション管理などをやっている「N」という会社が運営している、「お江戸○○亭」シリーズの演芸小屋。
落語芸術協会や円楽一門会や立川流といった、近くの鈴本演芸場に出演できない団体などが、鈴本演芸場を睥睨するかのように、定期的に興行を行っています。
会場内はさほど広くなく、しかも座椅子席なので、長時間の鑑賞するには、ややつらい部分があります。
とはいえ、街角で看板も目立ちますし、演芸界全体からみれば、非常に貴重な存在の寄席だと思います。
「うさぎや」さんの近くに、明治21年に海外留学を経験した鄭永慶という人が「可否茶館」という喫茶店をオープンさせたということで、「日本最初の喫茶店発祥の地」と書かれた碑があります。
ジャワ豆をドリップ式で淹れられたコーヒーは1銭5厘。庶民の為の社交サロンとして、コーヒーを飲みながら玉突きやトランプなどを楽しむ場だったようです。
・・・でも、こうし(コーヒー)てはいられない。稽古・稽古・・・。
落語百選の入船亭扇遊さんの「ねずみ」。
先日、この「ねずみ」を、三代目桂三木助・入船亭扇橋・入船亭扇辰の三代の師弟で聴いた話題をテーマにしましたが、扇遊さんは扇辰さんの兄弟子ですから、出処は桂三木助本流ということになります。
この噺は、元々は浪曲の演目で、二代目広沢菊春という人の得意ネタだった「左甚五郎」を、三代目桂三木助師匠が「加賀の千代」と交換して演じたのが始まりとされています。
ですから、同じ甚五郎物でも、「三井の大黒」や「竹の水仙」と比べて一番大きな違いは、大黒や水仙を彫り上げて絶賛されていることが前提で噺が進んでいる点でしょう。
落語百選の解説でも触れています。
「ねずみ」は、唯一の仙台ご当地ネタですから、やはり私自身の持ちネタとしても、大切にして行きたい噺です。
この噺のジャンルを「旅噺」と位置づける噺家さんが多いようです。
恐らく、三木助師匠もそのつもりで組み立てていると思われます。
「旅人は ゆき呉竹の 群雀 止まりては発ち 止まりては発ち」というフレーズがありますから、甚五郎さんの奥州への旅の途中の出来事だったということなのでしょう。
ところが、私は、旅噺とイメージして演っていません。
仙台の宿場で宿屋を営む宇兵衛と宇之吉親子を中心に考えれば、この噺は旅噺ではなくなると思うのです。
舞台である仙台と親子を固定すれば、恩を仇で返されて苦労している二人を、通りすがりのスーパーマン甚五郎が救うという人情噺になります。仙台を強調したいのです。
圓窓師匠や志の輔さんの「ねずみ」は、それぞれ設定や演出がかなり異なっているのですが、健気な宇之吉という息子の心情を、しみじみと語っています。
女子ゴルフで、遅延行為によって2打罰のペナルティーを課せられたことを不服とし、棄権したM選手問題に決着がついたそうです。
LPGAが、謝罪の手紙と2カ月間の試合出場自粛の申し出があったことを受け入れ、さらに罰金200万円と新人セミナーの2年間受講義務の処分を科したとのこと。
報道で「職場放棄」「逆切れ棄権」などと批判・糾弾された、極めて軽率な行動でした。「男子プロに比べて人気選手が多いから、最近の若い女子プロゴルファーには謙虚さが足りない」「同伴競技者にも迷惑をかけ、楽しみにしていたファンはがっかりしたはず」など、厳しい意見が多く挙がっているようです。
呆れたことに、「たまたま私だけに(罰が)来るのは納得できない」とも訴えたと言いますが、何をか言わんで、罰が下ったことを議論しているのではなく、そもそもルール違反をしていることを問題にしている訳で、プロの競技者たるもの、競技委員や審判、ひいてはルールやマナーといったものに対して、もっと謙虚であるべきでしょう。
「今のプロは小さい頃から注目されたり“ちやほや”されてきた選手が多いように感じる」という声も大きいようです。
例えば、いわゆるネズミ捕り。
よく、「俺と同じ速度(オーバー)で走っている奴もいたのに、なぜおれだけ捕まるんだよ」なんていう奴。仮にそうだとしても、それで彼の違反行為が阻却される訳ではないのだから、全く無駄な抵抗で、それと同じ低次元のレベルのプロが、残念ながらいたということですね。
立場や注目度が上がれば上がるほど、人は一層謙虚にならなくてはいけない。参院選に出馬表明したTさんも、謙虚さが必要だと思います。
欲張りすぎたら、いつか必ず負の報いが来ます。
ちやほやする方も、ちやほやされる方も。
"欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつれて 道を失う"
今月の「東京落語会」は、所要があったので、行くことが出来ませんでした。
久しぶりのお休みです。
あの賑やかなアメ横だって、朝はあの昼間の喧騒が嘘のように静まりかえっています。
不思議な形をした像が(大黒さんでしょうか)、誰も歩いていない通りを見つめています。
ここで、マクラの重要な場所を間違えてしまいました。
まだまだダメダメ。
これで大丈夫かもなんて、考えがアメヤ横丁・・?
ただいま(5月14日午前11時)現在、このプログへのアクセス累計は約59,500件になっています。
おかげさまで、アクセス累計60,000件の突破も時間の問題になりました。
来週中には、60,000件の大台到達ができそうです。
とても感慨深いものがあります。
"歩き稽古"なんて言うと、何か特別な方法で稽古をやっているようですが、何のことはありません。ただ歩きながらブツブツ言っている、ただ怪しいだけのものです。
家に帰ってしまうと、グターッとしてやらないので、仕方なくやっているだけで・・。
あゝ朝稽古・・・。
フィリピンの大統領選挙でアキノ氏の当選が確実のようです。
「アキノ」といえば、亡命先から戻り飛行機から降りようとしたところを暗殺された父親と、その遺志を継いで大統領になった母親。そして今回大統領になる人は、この二人の息子ということです。
思えば、独裁を続けていたマルコス政権が倒れたといわれた日、私は奇しくも「新婚旅行」で、太平洋上を飛ぶ旅客機の中にいました。
「マルコス独裁政権崩壊」――1986年2月のエドサ革命(ピープルパワー革命)の報道に、機内では大きな喚声が上がったのを覚えています。
当時、イメルダ夫人の300平方メートルの衣装庫に3000足の靴と2500着以上のドレスが反感と話題になったものでした。
・・・あれから約四半世紀です。
落語百選での古今亭寿輔師匠の「小言念仏」。
客席をいじりながら、自虐的なマクラを振って爆笑を誘っています。 (^o^)
あの独特なお喋りと間は、ファンも多いことでしょう。 p(^^)q落語っ子連の発表会で、商人さんが演る噺で、彼も落語百選を定期講読しているはずですから、きっと視聴したでしょう。
尤も、寿輔師匠では、参考にはしづらいでしょう。 ┐(´д`)┌
ところで、寿輔師匠は山梨県出身だった気がします。
それから、私の学生時代、地元の放送局のラジオで、レギュラー番組を持っていたはずです。
仙台駅前のスーパーのサテライトから、毎週日曜日の昼過ぎの番組だったかなぁ。 (^_^;)
まだ真打になるかならないかという若手の頃で、今の芸風は想像出来ませんでした。あんなになるとは・・。 o(^-^o)(o^-^)o
谷中全生庵の「三遊亭圓朝居士の墓」と同じ場所に、圓朝師匠のに比べ、ずっと小ぶりではありますが、初代から四代目までの三遊亭圓生を奉った墓石が建っています。
三遊亭好きの”墓マイラー”にはたまらないスポットだと思います。
ここに奉られている代々の名人三遊亭圓生を追いかけてみると・・・。
【初代】(1768―1838)初め東亭八ッ子門で多子。
初代三笑亭可楽に従って東生亭世楽。独立して山遊亭猿松。
烏亭焉馬門となり立川焉笑。再度独立して三遊亭円生。
「身振り声色芝居掛り鳴物入り」の元祖。三遊派の祖。
【二代】(1806―62)本名尾形清次郎。
初め三升家しげ次。初代円生門に入って竹林亭虎生。
三遊亭花生、橘屋円蔵を経て2代目襲名。
芝居噺を創作。門下から円朝が出た。
【三代】(1839―81)本名野本新兵衛。
歌舞伎役者から4代桂文治門となり桂万治。円朝門に移って円楽。
1872年(明治5)3代目襲名。
円朝から道具を譲られて「道具入り芝居噺」を演じた。
【四代】(1846―1904)本名立岩勝次郎。
円朝門下。
鯉朝、小円太、3代円喬を経て1886年(明治19)4代目襲名。
人情噺、廓噺に優れ、三遊派を統率。
この後に、五代・六代の義理の親子が続き、七代目は・・、今まさに生みの苦しみというところ・・。 続きをご覧ください。
今夜は、落語っ子連の発表会のプログラムを印刷。
モノクロで片面のプログラムですから、100枚印刷しても、昨日の何分の一かの時間で完了。
当日は忘れずに持って行かないと・・・。
学生時代、上野から仙台まで特急「ひばり」で4時間20分かかっていました。・・そして今、年内に全線繋がる東北新幹線では、東京-新青森間を最短3時間5分で結ぶというのですから、物凄いスピードです。
そして、新しく登場する愛称が「はやぶさ」に決まったのだそうです。
「はやぶさ」は、東京と九州を結んでいたブルートレインの名前で、今度は北へ向かう超特急の名前で復活ということですな。
公募の人気ランキングでは・・・
名称 件数
(1)はつかり 8,948
(2)はつね 7,184
(3)みちのく 5,904
(4)つがる 4,888
(5)はやて 4,200
(6)みらい 4,130
(7)はやぶさ 3,129
(8)かわせみ 2,957
(9)ねぶた 2,272
(10)とわだ 1,984 だそうで・・・。
個人的には、「はつかり」「みちのく」あたりの無難なものになりそう。
ただし、これではスピード感がありませんね。
「つがる」「ねぶた」「とわだ」では、途中駅の人たちが納得しないでしょう。まぁ、「はやぶさ」でいいじゃないですか。
毒蝮・・ではなく、「田中三太夫」さん。
落語好きなら誰でも知っている、落語に欠くべからざる人物です。
この愛すべき三太夫さんは、落語の中では、「赤井御門守(あかいごもんのかみ)」というお殿様の家老や用人として登場することが多く、傍らに控えていたり、狩りなどで一緒に行動したりすることが多いのですが、いつもこの世間知らずなお殿様に振り回されるのです。
三太夫さんが出演(登場?)しているおもな噺を挙げてみると、『妾馬』『目黒のさんま』『松曳き』『火焔太鼓』『将棋の殿様』『ねぎまの殿様』『初音の鼓』『粗忽の使者』あたりでしょうか・・・。
赤井のお殿様から、「これ三太夫、控えておれ」なんて言われて、でも三太夫さんは、そのお役どころを超えて、この我がままお殿様をこよなく愛しているのです。
極端に言えば、とにかく可愛くて可愛くて仕方がない。
殿様と家来という宿命から、肩を組んだり、タメ口を叩いたり、抱きしめたりすることはできませんが、恐らく二人は固い絆で結ばれている。・・・ちょっと大袈裟でしょうか?
赤井さんと三太夫さん。
男同士だから、赤い糸で結ばれている訳ではないでしょうが、いつまでも二人で仲好く頑張って欲しいものです。
いよいよ迫った本番の、簡単な進行表を作成。
12:45 一番太鼓 (喰亭寝蔵師匠)
12:55 二番太鼓
13:00 開演 高座返し (井の線亭ぽんぽこ)
NOVA寿限無 東風亭梅香
13:25 片しゃぎり (喰亭寝蔵師匠)
落とし噺 金願亭乱志
13:50 粗忽の使者 談亭志ん志
14:20 仲入り
14:40 開演 高座返し (東風亭梅香)
不動坊 井の線亭ぽんぽこ
15:05 長短 喰亭寝蔵
15:30 干物箱 桂友楽
16:00 閉演
追い出し太鼓 (喰亭寝蔵師匠)
柳家三三さんの独演会「月例三三独演」の会員への先行販売の抽選、今回は外れでした。
どうも、最近は隔回ごとに当落を決めている感じもします。
三三さんの人気上昇に伴い、会員数も多くなって、今は新規の受付を行っていないようです。これから先は独り言・・・。
しかし、こういう人気商売の後援会なのですから、入口を閉ざすというのは得策ではないと、個人的には思います。
後援会では、公演のチケットだけを配布するのが目的ではないのですから、もっと利益実感のある会員への企画を考えて、さらに広く多くのファンに門戸を開放するべきだと思います。 後援会スタートの頃は、三三さん直筆の簡単な月報のようなものを配布していたのですが、これも多忙を理由になくなりました。
年3,000円の会費を払って享受できるメリットが、打率5割のチケット入手だけなのかなぁ・・。 ┐( ̄ヘ ̄)┌
こんなメールです。抽選にハズれると来るメールというのが・・・。
三三時代会員の方へ
この度は7月14日「月例 三三独演」にお申し込みいただき、ありがとうございました。
申し訳ございませんが、今回はお席がご用意できませんでした。
お越しいただける場合は、5月14日発売の<ぴあ>をご利用いただければ幸いです。
何かとお騒がせで、老醜を晒しているとしか思えない与党のO幹事長。
今度は、オリンピック女子の金メダリストTさんを、参議院議員選挙に擁立するそうです。
私は「それはないだろう」と思っていると、やはりマスコミでも、「思い上がりだ
」とか「政治やスポーツをなめている
」などと批判する声が多いようです。
人の人生をとやかく言う資格はありませんが、Tさんには、もっと人としてやるべきことがあるはずです。
アスリートとしては超一流なのでしょうが、それゆえに周囲が見えなくなって、勘違いしてしまったのでしょうかねぇ。
とにかく滑稽で、今までの輝かしい実績が、つまらなく見えてしまいます。
人間万事"身の丈"に合う生き方をするのが一番大切だと思いますがねぇ。
朝から雨模様ですから、今朝の歩き稽古は中止です。
・・って喜んでちゃあいけませんが。今朝ふと思ったのは、とりあえず先のOB落語会のネタばかり気にしていますが、その1週間先の発表会の「浜野・・」は大丈夫なのかという。(・・;)
"共倒れ"も想定される危機の中で、雨で歩き稽古を止めて喜んでいるという、何と能天気な。(;^_^A
ラジオで、清元三味線方、3世清元梅吉が作曲した「お夏狂乱」というのを聴きました。
狂おしい雰囲気が出ている気がしました。よく分かりませんが・・・。
「お夏清十郎」。
井原西鶴の本を元に、近松門左衛門らが歌舞伎、浄瑠璃などに脚色し、明治以後も坪内逍遥の舞踊劇「お夏狂乱」や真山青果の戯曲で人気を博した。
1662(寛文2)年ごろ、姫路城下の豪商・但馬屋の娘お夏が、使用人の清十郎と恋仲になり駆け落ちする。
だが捕らえられ、清十郎は「誘拐」と大金持ち逃げの疑いをかけられ打ち首に。
お夏は乱心、行方をくらます。
伝承では、お夏は備前片上の葛坂峠で茶店を営み70余歳まで生き、近くの正覚寺裏に埋めた清十郎の遺骨を守り抜いた。
「お夏の墓」の脇には備前焼の人間国宝、故・藤原啓の筆による「情熱の炎となりて燃えつくすお夏のみたまここに鎮まる」を刻んだ慰霊碑がある。
悲恋ですね。こんなどうしようもない恋愛に、昔の人たちは落涙したのですね。
今ならば・・、という部分もあるでしょうが、やはりこの世ではどうにもならないこともある。
この二人も、現世では結ばれませんでしたが、きっと来世では添い遂げられたことでしょう。
江戸時代以後に設置された幅の広い街路のこと。
元は江戸幕府が1657年の明暦の大火をきっかけに推進した火除地の一種として上野や両国などに設置され、火災の類焼を食い止める役割を果たした。
火事と喧嘩は江戸の華で、大掛かりな水消化の機械などない時代ですから、木造家屋が密集する街のこと、火除地・破壊消防というのが不可欠だったのでしょう。
また、上野広小路や両国広小路などの、広々した場所に人も多く集ったことでしょうから、文化上も重要な存在だと思います。
それにしても信じられないのは、先日散策した皇居東御苑です。
千代田の城の天守閣が聳えていた場所ですが、この天守は、明暦の大火で消失したそうです。
街からは相当に離れた場所にあるのに・・・、ここにまで火が入るというのは、いかに火勢が激しかったかということですね。
明暦の火災による被害は延焼面積・死者共に江戸時代最大で、江戸の三大火の筆頭としても挙げられる。外堀以内のほぼ全域、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失した。死者は諸説あるが3万から10万人と記録されている。江戸城天守はこれ以後、再建されなかった。火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大のものである。ロンドン大火、ローマ大火と並ぶ世界三大大火の一つに数えられることもある。
歩き稽古のおかげで、とりあえず"通し"でさらうことができるようになりました。
ただし、まだまだ"しどろもどろ"な部分も多く、「山なお高し」というところです。
今回私は”ネタ出し”をしていないので、このプログでも演題を明かしていませんが、今まで演っていない、新たな分野の噺へのチャレンジでもありますので、工夫のしどころも多いようです。
6月から始まるサッカーのワールドカップ。
その代表メンバーが発表されました。
私は、サッカーは詳しくなく、選手の名前などあまり知りませんし、正直なところ、前回同様、いやそれ以上に勝てそうもない気がするので、さほど興味がありません。
代表23人が選ばれたようですが、名前と顔が一致するのは数名。ただし、どのチームに所属しているなどは、ほとんど分かりません。
静岡県出身の選手が4人いるというのは、新聞報道で知りました。
それにしても、全体的に選手の年齢が高くありませんか?
何となくロートル集団のような気がするのは、素人の私だけでしょうか?
ベストフォーを目指すと宣言していましたが、平均年齢ではいい線行くのでは?
「ワールドカップ代表チームは、平均年齢が高いから、定期的に休ませないといけないのでは?」
「そりゃぁ、週休(蹴球)が要りますよ。」
最近は、テレビやラジオで、汚い言葉を妙齢な女性が故事来歴も分からず使ったり、気になる言葉の遣い方がいくつかあります。
まず、「・・・なので」「・・するので」という話し方。
"です・ます"で考えると、「・・ですので」「・・しますので」ではないか。「・・だから」「・・するから」と使うべきで、"重箱読み"ならぬ、"重箱遣い"だと思うのですが・・・。次に、「・・・みたく」というやつ。
これは、「・・・みたいに」と「・・・のごとく」の合成だと思いますが、物凄く気になります。
これ、かなりポピュラーになっているようですが、私は嫌ですね。最近一番気になる言葉は、「真逆(まぎゃく)」という使い方。
新語・流行語大賞にもノミネートされ、正反対を意味する言葉として使われているようですが、辞書には(まだ?)載っていません。
どうも、90年代後半にテレビでお笑いタレントが使い始めたようで、そのうちに新聞記事にも登場し、最近では歌の歌詞にもなっているそうです。
これも、何か気持ち悪くて嫌な言葉・・・。
「逆手」を"さかて"と読まずに"ぎゃくて"と言う人が多いような。
言葉は刻々変化して行くものとは言いながら、気になるものです。
尤も、私のイメージが違っている(正しくない)のかもしれませんが。
なぞかけが流行っているそうです。
これを売りにしているお笑いコンビも人気だとか。 (o^-^o)なぞかけというのは、なぞなぞの一種と言える言葉遊びで、なぞなぞを「単式なぞ」と呼び、なぞかけを「複式なぞ」と呼ぶこともあるそうです。
なぞかけの形式は「●●とかけて△△と解く。その心は■■」というもの。 ●●と△△という一見なんの関係もなさそうなものを提示し、共通点として■■を示す。 やりとりとしてこのなぞかけを行う場合、下記のような形式になる。
この●●という題を与えて、即興で答えさせることが多い。落語家などが大喜利などで余興として頻繁に行っている。この共通点(■■)は、多くは駄洒落であるが、教養や知識を必要とするものもある。
「笑点」などで圓楽さんが言っていた、政治ネタをバクってみました。
(´ρ`) 「民主党政権とかけて、空を飛ぶトンビと解く。・・その心は、どちらも和を欠いて(輪を描いて)いるでしょう。」
┐(´-`)┌ 「政治家とかけて、レストランのサービスと解く。その心は、汚職事件(お食事券)が付きものになってます。」
落語に関わるネタで、盗作してみると。「落語とかけて、鉄道のレールと解く。その心は、どちらもマクラが必要です。」
「噺家とかけて、銀行員と解く。その心は、どちらも高座(口座)で苦労してます。」
学生時代の1年後輩の「金研亭志ん昼」くんは静岡の出身で、この「城木屋」を演りました。
というのも、噺の後半部分は、東海道五十三次の宿場名を江戸から静岡(府中)までもじるので、演りたかったのでしょう。「ご当地ネタ」というのは、演りたくなるものですよ。
初代三笑亭可楽が、『伊勢の壺屋の煙草入れ』『東海道五十三次』『江戸一番の評判の美人』の三題噺として創作したそうです。
大相撲5月場所が今日から始まりました。今日から15日間。
5月23日まで。
何でそんなにこだわるかと言えば、この場所の間に「お江戸OB落語会」が終わってしまうからなんです。
5月22日のOB落語会の時には、優勝争いも最終盤の賑わいになっていることでしょう。
一人横綱の白鵬が勝つか、新大関把瑠都が頑張るか、万が一日本人力士が敢闘するか・・・。
千秋楽には、「OB落語会が上手くいった(行かなかった)」の結果が出ているのです。
http://www.youtube.com/watch?v=Q6KnpTttWKQ これは、村田英雄「男の土俵」という、昭和39年の歌ですが、そんなことより、国技館に掲げられている優勝力士の優勝額32枚のうち、日本人力士のは、栃東1枚だけになってしまったそうです。
今朝も何とか目が覚めて聴いた「落語でデート」。
今日は上方落語で、三代目桂文我師匠の「日和違い」。
間もなく、再び眠りに落ちました。
人形町の甘酒横丁で有名な、行列のできるたい焼き屋さん「Y」。
群集心理というのか、本当に美味いのか(勿論でしょうが)、この炎天下に並ぶ人たちって・・・、本当に立派だと思います。
甘酒横丁で必ず寄りたい4つの店というのがあるそうで・・。どこだか忘れてしまいました。
浜町方面、明治座に向かうこの通り、なかなか風情のある通りです。
浜町河岸・・・。”浮いた浮いたと 浜町河岸に 浮かれ柳の はずかしや 人目しのんで 小舟を出せば すねた夜風が 邪魔をする” ・・・なんてね。 どうする、どうするぅ。
ところで、市馬さんの「転宅」は、確かこのあたりが舞台だったはず・・・。黒板塀に見越しの松・・・。色っぽいもんでした・・・。
発表会のプログラムを作ってみました。
今回は土日の2日間にわたりますが、体力と予算を考えてプログラムは1枚にまとめました。我々の芸は拙いとはいえ、木戸銭をいただくし、師匠にも一席お願いしますから、プログラムぐらいはつくらないと、という訳。
色気も何もありませんが、お許しいただきましょう。
よく友人との待ち合わせを、上野駅正面改札の「翼の像」前にしたものです。
渋谷のハチ公前ほどではないにしろ、いつも混雑しています。
いつも前を通り過ぎてはいても、像を鑑賞することなどはありませんが、よくよく見ると、なかなかの物のような気がします。
休日の朝は人の数も少なく、伸ばした両手も気持ちよさそうです。
この像の下で、毎日色々なドラマが展開されていることでしょう。
5月8日・・・・・。
昔のことで記憶が薄れて、正確性に自信はありませんが、5月8日は、私が最後の卒業生で廃校になった母校(小学校)の開校記念日だった気がするのです。
今から約130年ほど前の明治の初めに開校し、約80年後の昭和40年代に過疎化による児童数の減少で閉校となった「陵草小学校」。当時全校生徒は約60人でした。
何気なく、ウェブ検索してみたら、「廃校跡を訪ねて」というのがあり、何と我が母校が出ているではありませんか
ちょっぴり自慢をすると、最後の卒業生だったこともあり、閉校記念文集の表紙の表題は、不肖私の揮毫によるものでした。
閉校になって40年以上経ってしまいましたが、あの頃のことは、遠い昔の記憶として心の片隅に残っています。
・・・確か、その開校記念日が5月8日だった気がするのです。
不思議なのは、校歌はまだ3番まで歌うことが出来ますよ。
山の中の学校ですから、「山」「谷」「清水」「鳥」「そよ風」「こだま」なんていう言葉が出て来ます。
写真は、私が6年生の時の1・2年生の複式学級の教室での給食の時間の様子ですが、右端にかすかに映っている先生は、なんと私の母なんです。
先日、浅草方面を散歩して「浅草ことぶ季亭」の下見をした時に、かっぱ橋道具街の入口角にある陶器屋さん「D」で見つけた、小指の先ぐらいの大きさの小さなペアの豚。思わず買ってしまいましたが、大切な人の心を和ませ癒してくれるのなら、衝動的に買った甲斐があったというものです。
「2色の豚だから、2豚(ツートン)カラーだ」なんて、先代の三平師匠みたいなことを言っていると・・。どうもすいません。
この陶器屋さんでは、高座で使った祥瑞柄の湯呑みを買いました。とても気に入っています。湯呑みもこのお店も。
ペナルティに腹を立てて途中棄権した女子プロゴルファーM。
仮に言い分や情状に酌量の余地があったとしても、謙虚さのない人は、アスリートとしては勿論、人としても「?」だと言われても仕方ないでしょう。彼女に一言申し上げるとすれば・・、「あなたは"プロの"ゴルファーでしょう
」。
お客さんに、誰にでも出来ないような高度なテクニックを見せてなんぼというのがプロというもの。何か勘違いもしているのでしょう。「それをやっちゃぁおしまいよ」ってなものです。
プロの仲間からも厳しいコメントが寄せられているようですが・・、当然でしょう。
このMプロ。それなりに期待の若手の一人だったようですが、残念ながら、これからの大人の世界では、かなり致命的な感じがします。
発表会が近くなると、あそこが痛いの、ここが痒いのと、言い訳ばかり言って騒いで、実に見苦しくて卑怯な奴なのですが・・。
とは言うものの、持病というのか、ちょいと不規則な生活が続いたり、精神的に疲れたりすると、てきめんに出てしまうのですよ。口内炎が・・。 (;д;)
今回も、ゴールデン・ウィークの終わりとともに、真ん中やや左下と舌の2ヶ所に痛みを感じ始めました。 (ノ_-。)
チョコラBBを飲んだり、軟膏を塗ったり、そして今日は飲み薬を買ってきて試しました。
これ以上痛くなると、口が回らず、稽古も出来なくなってしまいますから。 ゚゚(´O`)°
それにしても、そんなに不規則な生活でもないのに・・
それじゃあ、何か思い患うことでも・・ ・・あれかなぁ・・
さしもしらじな・・・・。 (/□≦、)
寝蔵師匠からメールで、「落研OBのホームページに、変なものが載っているからすぐ削除してくれ」と・・。
「えっ?また」
・・すぐに削除しました。
何か防止する方法を考えないといけません。
e+(イープラス)から、先日エントリーしたプレオーダーの抽選結果の連絡。
e+(イープラス)をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。○○様の下記申込みについては、抽選の結果、チケットをご用意することができませんでした。
公演名 : 第31回 読売GINZA落語会
会場名 : ル テアトル銀座 by PARCO
・・・という訳で、玉砕・・・・。 残念・・。
最近では、街並みの整備や観光による街興しなどから、「○○跡」とか「◇◇生誕の地」・「△△居宅跡」など、至る所に説明板や杭、石碑などが設置されています。
この間の深川散歩の時も、「南総里見八犬伝」の作者「滝沢馬琴」の説明板がありました。
これは、深川老人福祉センターの一角に滝沢馬琴(曲亭馬琴)生誕の地を示すモニュメントで、「南総里見八犬伝」全九集・百六冊を二つの山に積み重ねたデザインは、国立国会図書館に所蔵されている原本の寸法を実際に測ってつくられたということです。そう言えば、人形町では、「人形町末広跡」の碑が建てられています。
私は全く知らない寄席で、そういう由緒ある寄席があったというのは、歴史の時間に習いました。
「あぁ、これもお祖師様のご利益、一本のお材木(題目)で助かった。」というのは、落語の「鰍沢」のオチ。
一方で、山菜採りに出掛け、行方不明となっていた80歳のおばあさんが、自力で下山して保護されたという九州方面でのニュースがありました。
このおばあさん、山水を飲み、風呂敷を足にかけたり頭にかぶったりして、のどの渇きや寒さをしのいだそうで、「帰り道に迷い、日暮れまで必死でやぶや岩場を歩き回った。夜は木陰に座って念仏を唱え続けた」と話しているとのこと。
よかったよかった。信心も大切です。
※念仏~仏の姿や徳を心中に思い浮かべること。また、仏の名を口に唱えること。
※題目~書物や作品などの標題。日蓮宗で唱える「南無妙法蓮華経」の7字。
神田明神(神田神社)の「神田祭」が5月8・9日、浅草神社の「三社祭」が5月14・15・16日。
江戸っ子の血が騒ぐ祭神輿が繰り出す、賑やかな季節です。
ところで、「江戸の三大祭り」というのに、諸説あるようです。
まず、「赤坂(赤坂山王祭)、神田(神田明神祭)、富岡(深川八幡祭)」という説。
「赤坂、神田、三社」もポピュラーに言われるようです。いずれにしても、江戸幕府から公認されていた、「山王祭」と「神田祭」は、今でも別格なんでしょう。
落語に出て来る江戸っ子も、きっと祭り好きだとおもうのですが、あまりお祭りの噺は出て来ません。「佃祭」ぐらい・・?
祭り囃子は、「片棒」「祇園会」あたりに登場ですが。
ゴールデンウィークも終わりましたが、こんな報道がされていました。
無料公開されている皇居・東御苑の入園者が右肩上がりで増えている。昨年まで9年連続で増加し、桜の開花時期と重なった4月3、4日の土日には、両日とも2万人を突破する人気ぶりだ。観光ガイド本などへの掲載が増え、周知されてきたことが背景にあるとみられるが、「皇居に入れることを知らない人はまだまだ多い」(宮内庁幹部)という。都心で歴史と自然を満喫するのはいかが?
皇居東御苑は、二の丸から北の丸あたりまで、見事に管理された公園?で、千代田のお城の跡を無料で散策することができます。
大手町のオフィスにいた頃は、時々昼休みの時間を利用して行ったものです。
やんごとない際から下々の方を見下ろすのも一興です。
「あ〜、下々の者どもは、あんなに狭苦しくて、長屋を縦にした牢屋のような建物の中で、日々蠢いておるのだなぁ。」という気分になります。
天守閣の跡、大奥や松の廊下の跡・・。
(歌の文句ではありませんが)月下 に立てる若武者の凛々しき姿も・・今はいずこ。
都会の喧騒の中で、ゆっくりと穏やかに時間が流れる場所があるのです。
・・・実は、圓朝座を聴いた後に、この東御苑を散策しました。
ぼぉ~として、夕方まで時間を潰していました。
外国人も含めて、入園者が大勢いました。
平和な国の日本の典型的な景色でした。
ゴールデン・ウィーク2度目のお江戸日本橋亭。
今日は、同じ鈴々舎馬桜師匠の会とはいえ、三遊亭圓朝作の噺を演るという趣向の落語会。
◆ 初天神 春風亭ぽっぽ
◆ 真景累ヶ淵〜お累の婚礼 鈴々舎馬桜
◆ 心眼 三遊亭遊史郎
遊史郎さんは初めて聴きました。青山学院大学の落研出身だそうです。不思議な声が売り物ということでしたが、???。
「心眼」は、桂文楽師匠のものでしたね。
5月5日は「こどもの日」。
「こいのぼり」という童謡は2種類ありましたね。
屋根より高いこいのぼり 大きな真鯉はおとうさん・・
甍の波と雲の波 重なる波の中空を・・・・
でも、今は屋根より高いなんて実感できないし、甍なんてなんだかわからないでしょう・・・。
落語にも「五月幟」という噺があり、東京落語会で圓窓師匠もお演りになりました。
子どもの端午の節句のため伯父さんからもらったお金を、全部飲んでしまうという、まぁどうしようもない酔っ払いの噺で、
ところで、そもそもなぜこいのぼりなのか・・・、物の本で調べてみると・・・、中国に古くから
この頃は和紙に鯉の絵
なるほど、広島が中日に勝てない訳です。納得、納得・・。
最近は、建物が高くなってしまい、街中では見ることが出来ませんが、その代わりに、川などに、メザシのように、佃煮にするほど多くの鯉を結んでいるのを見かけます。
空を泳ぐというよりも、褌を干しているような気もしますが・・・。
落語関連本を"衝動買いする症候群"に感染し、、買ってしまうと"積ん読病"という、厄介な患者なのですが、今朝、何故か3月に刊行された「落語を聴くなら古今亭志ん朝を聴こう」をパラパラと見て(読んで)いたら、最後に圓楽師匠の特別寄稿がありました。
この本はほどほどに完読したつもりだったのですが、ここまでは読まなかったのか、斜め読みで飛ばしてしまったのか、気がつきませんでした。
その中の、古今亭志ん朝師匠とのエピソードが、我が落研草創期の頃のものでした。
「東北大学に落研が出来るというので、あたしと強ちゃん(志ん朝師匠のこと)」なんかで一席やりに行った帰りがてら、作並温泉に寄ったんですがね・・・・・」
湯気の向こうの女性を振り向かせようとする話です。
圓楽師匠には、落研草創期に大変お世話になったそうで、この話題のほかにも、ご自身の著書で「淀五郎」を演った時の逸話(埃だらけの畳の話)を語っています。
最近落語が好きになりつつある従妹が、百人一首の中で好きな歌が、崇徳院の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」だそうです。
下の句の「われても末に逢はむとぞ思ふ」というのは、「今は二人離れ離れになっていても、いずれは(末には)必ず一緒になろう」ということなのでしょうが、従妹は「現世」だけではなく、生まれ変わった「来世」にまで思いを馳せているようで、とてもロマンチックです。
「現世」で叶えられないことを「来世」では必ずという何かがあるのでしょうか・・・。
この「宇宙観」というのも、おもむきがあるものだと思います。
是非、落語の「崇徳院」を聴いてもらいたいものです。
きっとこの噺を好きになってくれるでしょう。
落語では、現世での行く末や来世でなく、熊さんのおかげで、すぐに若旦那とお嬢さんが再び会うことができそうですから。
小柳枝師匠が、穏やかな語り口で聴かせてくださいました。
何かと気分の落ち着かない日は、本当は落語でも聴いてぼぅ〜ッとしているに限るのですが、"よんどころない事情"があって、落語を聴くとプレッシャーを感じてしまうという"奇病"を患ってしまいました。
仕方がありませんから、信楽焼の狸でも眺めて、気分をまぎらわすのがいいでしょう。
ゴールデンウィークも終わります。
ホームページやらプログやら、最近ではツイッターやら、ネット上の情報量は膨大になっています。
何か分からないことがあれば、ちょっと検索すると、ほとんど欲しかった情報を入手することも出来ます。
・・と、ありがたい半面、心ない輩たちの信じられない行状に驚いたり、腹が立ったりすることも頻繁にあります。
先日、私が管理している落研のホームページの掲示板に、とんでもない、いかがわしい写真と文が投稿されていました。
管理人としては、早速削除しましたが、本当に油断も隙もあったもんじゃあありません。
ヽ( )`ε´( )ノ こんなことをやって何が面白いのだろう、何を考えているんだろうと、思いますよ。本当に不愉快です。プログなどでも、エキセントリックになったり、匿名であることをいいことに、道に外れた言葉やコメント、悲しくなるほどの誹謗や中傷が踊っています。 ε-( ̄ヘ ̄)┌
日中の稽古は、懲りずに車中。
というのも、かなり大きな声を出す場所があるので、思いきって大声を出せる場所はといえば、寝蔵師匠のようにカラオケボックスか車の中しかありません。
実は、一昨日の稽古の時、無弦さんから「あそこ、なかなかいいよ。」と褒められたし、師匠のプログのコメントでも、その部分が印象に残っているようなので、いくらか気を良くしているのです。
おかげで、喉が少しガラガラして来ました。
それにしても、今回も改めて感じるのは、「落語の絶対音階があればなぁ。」ということです。
今までは、同じ登場人物の台詞のキーやテンポの普遍性を求めましたが、今回はこれに加えて、素噺の部分の出だしのキーです。
これがしっかり固められれば、噺全体が安定すると思うのですが、俄か稽古の悲しさもあって、なかなか・・・。
それに、他の部分は、特に後半は全く手つかずの状態です。
私はネタ本を暗記するやり方ではなく、何となく仕上げる(仕上がる)
タイプですから、まぁ何とかなるだろうかとは・・・。
清澄庭園の首長鳥のように、無心の境地でいられれば・・・。
それでも、手応えが感じられるようになって来たようなのは、いくらか光明です。もう少し、もう少しです・・・。
連休も残り2日。
「まだ2日あるぞ!」という前向きな気持ちと、「もう明後日は仕事かぁ・・」というブルーな料簡が錯綜しています。
昨日までは、いつもの落語繋がりで散策・徘徊したりでしたが、吠えるばかりでほとんど手をつけていない稽古を、真面目にやらないと、さすがに洒落になりません。
今日は、かなり暑くなるようですから、家の中で稽古をと、早起きはしたものの・・、まだ始めずにウダウダしています。
寝蔵師匠は、「カラオケボックスでの稽古を始めようとしたら、ゴールデンウィークで混んでいて、なかなか出来ない」なんて仰っていましたが・・、もともと出来上がっている名人ですから、私の参考にはなりません。
でも、梅香くんも、ぽんぽこくんも、志ん志師匠も、今日あたりは、発表会を真近にして、何とも言えない緊張感と恐怖感を感じているんだろうなぁ、(私だけでなく、彼らにも)感じていてほしいなぁなんて、邪悪な不謹慎な思いが頭をもたげて来ています・・。
本当に久しぶりに行った「お江戸日本橋亭」で、久々に聴く「鈴々舎馬桜独演会」でした。
会場は、ゆったりとした中にほどよい観客で、散歩に疲れた身体を優しく迎えてくれました。
◆ 一目上がり 春風亭昇吉
◆ 立ち切り線香 鈴々舎馬桜
◆ あたま山 鈴々舎馬桜
ゴールデンウィークの独演会も15年目になるそうです。
また、馬桜師匠の好奇心の強さと勤勉なところは、圓窓師匠と共通する部分があります。
「立ち切り線香」についても、上方の噺を江戸に舞台を移すに際して、米朝師匠から教えてもらったり、当時の江戸の風俗を研究した末に作り上げたものだとか。
上方の故文枝師匠や、東京さん喬師匠のと比べると、全体があっさりしている感じがするものの、じっくり聴かせていただきました。
「あたま山」は、八代目林家正蔵(彦六)師匠のネタで、落語初めての学生が演れる噺ではないと思うのですが、私の最初のネタがこれでした。
馬桜師匠は、ストーリーの中に、落語ネタや歌など様々な趣向をこらした上で、このくだらない(ありえない)噺を楽しく仕上げていました。
・・・でも、やっぱり違和感のある噺です。
先月東京タワーを抜いて日本一の高さになった東京スカイツリーは、浅草からも真近に見ることができます。
言問橋から眺める景色もなかなかです。
空に向かって伸びる姿に、何かを感じます。
午後の「鈴々舎馬桜独演会」の前に、久しぶりにウォーキングをしようと言う訳で、上野をスタートして浅草方面へ。
下谷神社の寄席発祥の碑や正岡子規の歌碑に手を合わせ、お江戸OB落語会の会場「浅草ことぶ季亭」のある田原町を横目に雷門へ。
いつもお祭りみたいに賑やかな浅草ですが、ゴールデン・ウィーク中とあって、午前中だというのに大混雑。
人混みに揉まれながら観音さまをお参りした後で、思いきって「向島百花園」を目指すことにしました。
・・が、地図も見ずに、昔のかすかな記憶で歩いたので、途中で迷いながらも、何とかたどり着けました。
昨日の清澄庭園よりは小ぶりですが、藤の花がきれいに咲いていました。
とても気持ちよい散歩になりました。
以前、圓窓師匠と我々落研の「お江戸OB落語会」の話をしていた時に、ちょいとした趣向を考えました。
師匠から「知っているOBの人たちにも会いたいし、あたしも当日会場に行こうかなぁ。」という願ってもない言葉。私から、「師匠、大歓迎です。でも、師匠が来てくださるのを事前に知ってしまったら、出演者が固まってしまいますから、メンバーやお客さんには黙っていて、サプライズ演出にするというのはいかがでしょうか。」
師匠は、「うん、そうしておこう。ただし、仕事が入ってしまうことがあるから、その時はご勘弁を。」ということでした。
三遊亭圓生を襲名してもおかしくないという師匠が・・、ありがたいことです。
最初は師匠の思いつきだと思っていたのですが、前回の稽古の時に、チラシとプログラムを見せたところ、「これ貰って行くよ」なんて・・。「あぁぁぁ、師匠は本気かもしれないな。」と思いました。
ところが、昨日の稽古会の時、「流三さん、すまないけど、今度のOB会の日に仕事が入っちゃったよ。みんなに会いたかったんだけどね。残念ながら・・。」。
・・・ということで、この素敵な企画の実現はできませんでしたが、師匠の気持ちが嬉しかったので、近々のうちにメンバーに、裏話として紹介しようと思います。
喰亭寝蔵師匠から、楽しい・嬉しいメールが届きました。
お江戸OB落語会で、太鼓の腕を見せていただけるようです。
一番太鼓と締め太鼓だけでなく、私が趣向として提案していた「片しゃぎり」もOKということなので、当日の私の高座への出は出囃子でなく、太鼓のみの「しゃぎり」でやることになりました。
演者に腕がない分、自分のネタを出さずに「落とし噺」と隠してみたり、寝蔵師匠にお助けいただいて「しゃぎり」で登場しようとしたり、さらに噺の中にも何か「細工」を入れようと思ったり・・・、色々な"目くらまし"を考えています。
本格的な噺は、他の先輩におまかせです。 o(*^▽^*)o
・・・という訳で、今回人情噺を封印されたのが、ここに来てとても気が楽な原因になっているのです。
でも、次回からは、誰に何と言われてようとも、人情噺へのこだわりを出そうと思っています。そのために今回は、悔しいけれども我慢しているのですから・・。
三遊亭圓生師匠で聴きたい噺の中で、常に上位にある噺のひとつです。
品川の色街の様子が描かれた大作です。
洒落とはいえ、基本的には無銭飲食をするものですから、個人的にはやや釈然としない部分もありますが、典型的な落語です。
ただし、おこわ・ごま塩のオチは今はなかなか分かりづらいし、裏から返す・裏を返すという談志師匠のオチも秀逸ですが、これも時代の流れで分かりづらくなっています。
先日の馬桜師匠は、かつての師匠のでなく、従来からある前者のオチでした。ところで、昭和32年に「幕末太陽伝」という映画が大ヒットしましたが、まさに主人公がフランキー堺扮する佐平次で、石原裕次郎が高杉晋作、その他、小沢昭一、左幸子ほか豪華メンバー。 「居残り左平次」・「品川心中」・「お見立て」などの落語や幕末の事件を題材にした傑作だったようです。
えっ58
年齢ではありませんよ。あの石川遼君が、昨日男子ツアー新記録の58でまわり、通算13アンダーで2位に5打差をつけて今季初優勝を飾ったそうです。
アウトスタートの1番からバーディーラッシュ。アウトを大会の9ホール最少スコア「28」でまわると、勢いは止まらず。14〜16番では3連続バーディーを奪うなど順調にスコアを伸ばしボギーなしの12アンダーで58、通算13アンダーでホールアウトした。12バーディーは男子ツアーのタイ記録。1ラウンド「58」は男子ツアー新記録と、記録づくめのラウンドとなった。石川は日本男子ツアー「史上最速」(54試合目)、「最年少」(18歳7カ月)で生涯獲得賞金3億円を突破した。
今年は、やや厳しいスタートだった気がしましたが、やはり非凡ではないものを持っていると思います。
ワンラウンド58で回るなんて、とにかく驚きです。随分昔にやめたゴルフ、下手をするとハーフでそれぐらい叩きそうなこともありましたからねぇ。
清澄庭園を出た落語っ子連の一行は、びす太さんの愛車BMWで、月島のもんじゃ通りへ。
散歩の仕上げは、下町風情一杯の月島でもんじゃ焼きを食べようと言う訳です。
行列ができるという「路地裏もんじゃM」に入ったのが5時ちょいと前。運が良いことに5時を過ぎると行列が出来始め、どんどん長くなって来ました。
無弦さんの鮮やかなヘラ捌きでもんじゃ焼きを楽しんだ後は、定番のお好み焼きに焼きそば・焼きうどん・・・・・。
行列の出来る店で、下町気分を満喫しました。ゴールデンウィークの予定表は「引きこもり」とびっしり書かれていましたが、なかなかの休日になりました。
そう言えば、みんなと別れて通りを歩いていると、あるもんじゃ焼きの店から、三浦カズが出て来るのを見ました。
清澄庭園の池にいた鳥。
鴫だか鷺だか何だか知りませんが、この首長鳥、随分気取っている風でした。
これを見ていた若い女の子が「この鳥、私って綺麗でしょって言ってるみたい。」なんて毒づいていましたよ。
池の上に出た石の上にいましたから、きっとお高く止まっていたのでしょう。
テレビやラジオの演芸番組を几帳面に追いかけで録画・録音する人がいますが、どうも私はずぼらで、放送されている番組のほとんどを聴き逃してしまっているようです。
最近の事前に登録しておけば自動的に録画・録音してくれるような先進のデジタルAV機器もありませんし。そう言えば、地デジ対応も全くやっていませんよ。
文化放送で毎週6時から放送しているのが、「志の輔の落語でデート」という番組です。
立川志の輔さんが、ゲストの女性に落語を聴いてもらい、落語や噺を話題にお喋りをするというものです。この志の輔さんの番組も随分長く続いているようです。
番組の真ん中あたりに、必ず落語の音源が流れます。
演題は、時間の関係もあってか、おもに故人になった師匠方の小品(15分以内)が多いようです。
先代の金馬師匠とか、可楽師匠・小さん師匠とか・・・。どういう訳か、今朝は聴くことができました。
今朝のゲストは、歌手のペギー葉山さん。流れた落語は春風亭柳枝師匠の「野ざらし」でした。
柳枝師匠の「野ざらし」は、何度か聴いているはずですが、明るい芸風ですから、すっと耳に入ってくる感じです。
圓窓師匠の最初の師匠で、圓窓師匠が入門間もなく亡くなってしまったのですが、確か50歳台ではなかったかと・・・。
そう言えば、この「春風亭柳枝」という名跡もどうなるのでしょう・・・。
久しぶりに、桂三木助師匠と入船亭扇橋師匠・扇辰さんの師弟三代の「ねずみ」を聴きました。
この「ねずみ」という噺を、浪曲から持って来て完成させたというだけでも、先代の三木助師匠の業績は大きなものがありますよ。
あの「芝浜」も勿論ですが・・・。何と言っても、落語で唯一(だと思います)仙台が舞台になっている噺です。
一昨年、OB落語会のトリで演らせていたたきました。
実は今月22日の「お江戸OB落語会」でも、と言ってくださる先輩もいましたが、今回は短めの噺をと決めていましたので。
また、新しい噺にもチャレンジしようという点もありますから、今回は別の噺にしたという訳。
(今それで苦しんでいます・・。トホホな話で・・。)
尤も、今秋の「学士会落語会」の例会での「会員落語会」の時は、"ご当地ネタ"ということで演ってみようかなとも思っています。
左甚五郎ものの中でも、一番好きな噺ですから。ところで、三木助師匠の物凄さというのは、この噺の台詞の1ヶ所に、仙台弁を入れた演出をしているところです。(仙台弁というより、北日本で広く使われているようですが。)
一昨年の仙台でのOB落語会の時にこの一言を入れてみたところ、観客から”くすり”程度の笑いの反応がありました。
恐らく東京では無反応でしょうが。
ラジオデイズに、昨年の一門会で師匠がお演りになった「救いの腕」がアップされています。この噺は師匠の創作で、落語では珍しい姉妹の会話から、ストーリーが展開していきます。
そこでの説明をそのまま載せることにします。大友さん、ごめんなさい。
【あらすじ】
二十歳のおまきが姉を訪ねてきて、亭主の善吉のことを愚痴ります。
善吉は十歳上なのですが、「毎日決まって暮れ六ツ(午後六時)には帰ってきて、何を聞いても返事は“ああ”“うう”。固い本を夢中になって読んでいるばかりで張り合いがない」とこぼします。
姉の亭主が何日もどこかで遊んできて、帰ってくればぶったりぶたれたり喧嘩ばかりなのとは大違い。
おまきはそんな姉夫婦がうらやましいようです。
実はおまきには忘れられない人がいるのでした。
それは十歳の時、向島の川で桜の枝を拾おうとしておぼれた時に、たくましい腕で救ってくれた男。気を失ってしまい、誰だかわからずに今日まできてしまったのです。
そう打ち明けて、亭主の善吉とは別れたいというおまきですが。
【聴きどころ】
姉妹の会話が中心で、若い女性が主人公という、珍しい噺です。
結婚してみたら亭主には何となくもの足りなくなり、腕の記憶だけが残る男性に惹かれてしまう。
揺れ動く女心が、川面の水に象徴されているようです。
女性同士のとりとめのない姉妹の会話は新鮮かつ自然で、師匠の表現の確かさが感じられます。聞いた後に優しい気持ちになれる、素敵な噺です。
【もうひと言】
近年は創作落語にも力を入れている師匠。この噺は若い女性を描いて定評のある作家、唯川恵さんの短編をヒントに圓窓師匠が作られたとのこと。そういえば、落語は男性の立場から作られたものばかりだなあ、と改めて気づかされます。まるでトリュフォーの映画を見ているような趣もあります。
何か霞がかかっているような、幼児の頃の体験や記憶・・・。
記憶が曖昧なだけに、極端に美化していることもあるようです。
そんな心理を、それも女心を巧みに表現する師匠の話芸とオチは、落語の素晴らしい一面を堪能させてもらえます。
この間、湯島天神に行きましたが、昔はここが富くじの当たり番号を確認した(突富)場所だったそうです。
さほど広くないと思いますが、ここに幸運を求めて庶民が集ったのでしょうか・・。
そういえば話題はそれますが、湯島天神の境内に「都々逸の碑」がありましたよ。最近建立されたようですが、面白いものを見つけました。
◆ 宿屋の富 瀧川鯉昇
◆ 淀五郎 春風亭一朝
歌舞伎座がクローズするというタイミングで、「中村仲蔵」と並んで、この「淀五郎」も大きな噺です。一朝師匠は、歌舞伎の笛としてもプロですから、芝居の噺は十八番でしょう。
忠臣蔵の四段目を知らないとなかなか面白さもわからない噺で、芝居心のない私なんぞは、学生時代は敬遠していましたね。
噺家列伝は、「四代目三遊亭圓遊」師匠。
学生時代にラジオで聴いていますので、私もなんとか晩年には間に合っています。
柔らかく穏やかな芸風の師匠でした。
経歴を調べると、三遊亭の噺家さんではなさそうで、また暫く幇間をやっていたこともあるという、ユニークな師匠だったんですね。
演芸評論家の瀧口雅仁さんが主宰している「特撰落語会」。
6月5日は、「柳亭市馬・桃月庵白酒二人会」です。実は、「月例三三独演」と重なってしまったのですが、三三さんの方は、三三ファンのまど深さんにお願いして、聴きに行ってもらうことにしました。
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