片しゃぎり
高座には「出囃子」に乗ってというのが、落語では自然です。あの三味線の音が無ければ噺家は高座に上がれないように思いますが、東京落語では、出囃子は上方から移されて80年ほどの歴史しかないのだそうです。
それまでは、「片しゃぎり」という太鼓で静々と高座にあがっていたとのこと。
それは、噺一本で聴衆を堪能させる「素噺(すばなし)」は、無骨な太鼓の音で地味に上がるのが粋とされていたからなのだそうですから、いかにも江戸っ子らしい発想です。
この昔かたぎの東京落語に上方の出囃子が入り込んだのは、大正時代の東京落語界の分裂騒ぎがきっかけで、若手の人気者を数多く擁する落語睦会は寄席の充実のために次々と新機軸を打ち出した、その一環として出囃子を導入したのだとか。
五代目柳亭左楽師匠が「これからの寄席にはこうした賑やかな演出が不可欠だ」と断じて周囲を説得したといわれるようですから、結果的には英断だった訳ですね。
出囃子なかりせば、戦後の落語全盛期の賑わいはずいぶんと違ったものになっていただろうし、ラジオやテレビで落語を楽しむスタイルがここまで定着しなかったかもしれませんね。
鈴本演芸場の早朝寄席や末廣亭の深夜寄席などの若手の落語会では、お囃子さんがいないので、三味線なしの太鼓のみで演っていますが、これはこれで趣がありますよ。
お江戸OB落語会で、私の出で、寝蔵師匠に太鼓をお願いするという趣向。どうでしょうか・・・・。
いえいえ、決して、芸がない分を目先の変化で誤魔化そうなんという料簡ではありませんよ。
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