六代目未亡人の"遺言"
ある意味で落語界の歴史の大きな1ページとなるであろう1枚の文書。
昭和の名人六代目三遊亭圓生師匠のおかみさんの"遺言"が書かれているものです。
あの文書をもとに、今議論されている襲名問題を俯瞰してみることにします。
はな夫人は、夫の圓生師匠が、真打問題から落語協会を脱退して落語三遊協会を立ち上げたものの、寄席の反対などで所期の目標は達せられず、文字通り老骨に鞭打ちながら、地方の落語会やホール落語会に東奔西走していた姿を見て、その苦労を目の当たりにしましたから、この上名跡襲名問題でゴタゴタするのが嫌で、「自分の目の黒いうちは、圓生の名跡は誰にも継がせたくない。」という気持ちだったのでしょう。
そこで、「自分の遺言として、圓生の名は再び世に出さない。」という表現で、この文書を作ったのでしょう。(尤も文面は圓楽師匠が考え、文も代筆しているようです。)
そもそも、圓生の名跡の取扱いについて、はな夫人が権利を持っている訳ではなく、また相続財産でもないはずですから、圓生の名前を止め名にして欲しいという、未亡人の希望でしかないと思われます。
現に、稲葉元法務大臣も、これは法律的には何の意味もないようなことを仰っていたそうです。
立会人の方々も、「はな夫人の気持ちは分かりましたよ。」という程度のもので、いずれ来たるべき日が来れば・・、というのが本音だったのではないかと思います。
この方々にも、止め名することを決めることなど出来ないし、周囲が認められないでしょうし。
圓楽師匠は、各方面からの毀誉褒貶が相半ばする師匠なのですが、「自分は、圓生師匠の総領弟子として、師匠に最後まで仕え、師匠亡き後も、その遺志を継いで一門を守った。しかるに、他の弟弟子たちは、師匠が亡くなると、また元(落語協会)に戻ってしまった。だから破門だ。自分の一門だけが正当だ。自分の意思イコール三遊亭の総意なのだ。」と考えておられるようなところがある気がします。円楽一門会所属の噺家さん以外は三遊亭一門ではないという・・・。
従って、師匠から全てを継いでいるのは自分一人だけなのだから、私の言うことが正しいと・・・。
確かに、寄席に出られない弟子たちのために、私財を投げうって寄席「若竹」を作ったり、ご苦労は半端ではなかったとは思いますが。
止め名にするにしても、(止め名を解いて)襲名があるにしても、そしてそれが誰であるにしても、関係者が原点に戻って、しっかりと話し合うことが全てだと思います。
それにしても、遺族や京須さんのコメントは、決して名跡を遺族のものだけにせず、柔軟性のある筋の通ったものだと思います。記事が真実だとすれば・・・。
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