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2009年12月

2009年12月31日 (木)

今年の落語徘徊を回顧

平成21年も暮れようとしています。

寄席落語会徘徊の回数は、102回でした。
仕事が変わったこともあり、特に後半の落語徘徊の頻度が激減したために、昨年の183回に比べると、半分ぐらいの感じです。

高座は、落語っ子連で「三方一両損」、同窓っ子連合で「子ほめ」、そして落研50周年OB落語会での「浜野矩随」と、3回ご機嫌を伺うことができました。

今年の元日から、大好きな落語との関わりを残そうという気持ちで、このプログを始めました。意外にも、こんな無精な私でも、内容はともかくも、何とか毎日更新し、続けることができました。
アクセス数も34,000件を超えました。有り難いことです。


197 青春時代に没頭した落語に再び戻ってから4年・・。

今年は落研の創部50周年という、歴史的な場面にも立ち会うことが出来て、記念誌も作り、長年温めていた「浜野矩随」にもチャレンジし・・・・等々、昨年とは様変わりながらも、また「落語漬け」の日々でした。

これからも、ある時は学生時代の杵柄を出して金願亭乱志、そしてまたある時は圓窓師匠に師事する三流亭流三として、引き続き落語に埋没して行きたいと思います。

200908191445000 このプログを覗いてくださった皆さまにも、この一年のご愛読に心から感謝申し上げます。

来たる平成22年も良い年でありますように・・・。

師走の落語徘徊

今月は、というより今年の寄席落語会徘徊が100回をクリアしました。
仕事が変わったこともあり、特に後半の回数が少なく、昨年の183回に比べると、半減してしまった感じです。

 ◆  6日 国立演芸場12月上席〜客席ガラガラ・・・?

 ◆ 12日 国立演芸場12月中席〜圓窓師匠「水神」

 ◆ 17日 やすらぎ寄席〜鳳楽師匠休演・・・?

 ◆ 18日 東京落語会〜さん喬師匠「芝浜」

 ◆ 19日 圓窓人情噺を聴く〜圓窓師匠「芝浜」

 ◆ 30日 紀伊國屋寄席〜さん喬師匠「妾馬」

一方、OB会の方は、東京でのOB落語会の開催、OB会の会報の企画など、次のステップへの動きが具体化しました。

噺の稽古は、師匠から「浜野矩随」のショートバージョンのアドバイスがあり、20分程度まで削り落す作業を始めました。

そして、このプログは、本日365日目を迎えました。

日本郵政・日本航空

過去から現在までの当事者や経営者に問題があったことは明確ですが、それに加えてさらに問題なのは、中途半端・無責任に絡み合う政府や政治家たち・・・。
翻弄されている、国家のインフラ事業の数々・・・。

◇日本郵政
政府が検討を進める日本郵政グループの新たな組織形態の原案が分かった。まず政府は、日本郵政と郵便事業会社、郵便局会社の3社を統合した新会社を設立。統合新会社が、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の株式を保有し、現在の5社は3社体制に移行する。統合新会社は、ゆうちょ銀とかんぽ生命の株式それぞれ3分の1超を保有、株主総会の重要案件などの拒否権を保有することになり、国の関与が色濃い組織形態となる見通しだ。(毎日新聞)

◇日本航空
日本航空と全日本空輸の2社体制となっている国内航空会社の国際線を全日空に統合する国際線1社体制案が政府内で浮上した。日航の再建策を検討する同日の関係閣僚などの会談で、1社体制と2社体制の比較が議論された模様だ。
 同案は法的整理を前提にしたもので、企業再生支援機構が日航を支援する場合、3年以内の再生見込みが条件となるため、経営の重荷となっている国際線を切り離す案。ただ、国土交通省などは2社体制の維持を強く主張している。支援機構は1月中旬をめどに日航の支援策を詰める予定だが、支援対象となるには「3年以内に事業再生が見込まれること」が要件となっている。(毎日新聞)

心ない行動

政権が交代した象徴ともいえるのが、「Yダム」だと思いますが、何ともやりきれない話を聞きました。

「あれが無駄の象徴ですか」「まだ工事やっていたんですね」。
12月下旬の休日、Yダム広報センター「Y館」では、代替地建設現場を背景に、写真撮影に興じる観光客らの姿が。

M国土交通相が、ダムの建設中止を明言したのは9月17日。激しい反対運動を経てダム建設を受け入れたにもかかわらず、建設計画が白紙に戻される異常事態は、政権交代の象徴的な出来事として、日本中の注目を集めました。

この反響は「Y館」にも表れます。 9月以降、休日ともなると駐車場は満車状態が続き、他県ナンバーの車や観光バスの姿が目立つようになり、来館者は11月だけで2万9820人、昨年1年間の総数2万4647人を1カ月で超えてしまいました。

ただ、地元住民の思いは複雑で、水没予定地区の女性は、「同情を示してくれるが正確に理解している人は少ない」とため息をついているのです。

理解されないだけならまだしも、地元役場や水没予定地区のK温泉の旅館などには「地元はゴネているだけだ」といった中傷の電話が相次ぎ、同町の男性職員は「地元が造ってくれと言ったのではない。
下流の人を洪水から救う名目で泣く泣く決断した。それをいくら説明しても全然聞いてくれない人もいる」と漏らしています。

少なくとも、内容や経緯をろくに理解もせずに、物見遊山で行ったりするのは、傷口に塩を擦り込むようなものですよ。
中傷の電話などに至っては、本当に言語道断です。

最近のテレビなどでは、例えば新橋の駅のSL前などでインタビューをしたり、様々な世論調査を行ったりしています。
そもそも全く知らない人が、感情や他人から言われるままの情報で、偉そうにコメントしていますが、あのデータの不確かさといったらないでしょうね。
でも、それが大衆の、庶民の意見、場合によっては世論と取られてしまう危険・・・。恐ろしいものです。

興味を持つことは重要ですが、その表わし方は他にあるはずで、地元へは、もっと静かに見守ってあげるのがマナーだと思います。

学生時代のテレビ局のアルバイトで直面したシーンを思い出します。原子力発電所の建設の是非を巡る、地元の漁業協同組合の総会の場所でした・・・。
この話は、別の機会で申し上げることにします。

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ラジオ深夜便

明日(今日)は休みだから、午前1時からのNHKラジオ深夜番組「ラジオ深夜便」での「深夜便落語百選」というのを聴いてみました。

三笑亭夢之助師匠の軽妙な解説で。

  ◆ のめる        桂南なん

  ◆ 風の神送り     三遊亭好楽

この深夜番組は20年になるそうですが、この中の比較的新しいコーナーなのだとか。

「三三独演」のチケット

159157_t80 柳家三三さんの独演会「三三独演」の1月と2月のチケットをぴあで見たら、まだ若干残っているようなので、インターネットで購入しました。
いずれも国立演芸場の最後列ですが、今年はあまり聴けなかったので、来年は少し回数を増やそうかと思います。

特に、1月の新春公演では「蜆売り」を演るようなので、ちょいと楽しみです。

2009年12月30日 (水)

紀伊國屋寄席のプログラム

紀伊國屋寄席プログラムの山年末の紀伊國屋寄席の、もうひとつの楽しみは、1年12回分のプログラムが入手出来ることです。
私は、今年は3回ぐらいしか行けませんでしたが、良質の紙の立派なプログラムは、 いいですよ。
貴重な記録にもなります。
何と言っても、今夜が第540回目の公演ですから。

こんなふうに積んであるのです。並べて見ると、なかなかカラフルです。

紀伊國屋寄席

今年も落語の聴き納めは、紀伊國屋寄席です。
そして今年も柳家さん喬師匠です。

今年納めの噺は「妾馬(めかうま)」です。
今年102回目の寄席落語会です。

Img_0005 ◆ 平林            春風亭朝呂久

 ◆ 仏馬           柳家喬之進

 ◆ 古着買い     桂小文治

 ◆ 死神            柳家小さん

 ◆ 妾馬            柳家さん喬

前半3人は、じっくり眠らせてもらいました。
今日は地味なメンバーで、地味なというか、あまり聴かない噺だったこともあり、今一歩かなと思いましたが、「妾馬」一本で、逆にお釣りが貰えた気がしました。

それにしても、この噺は、実によく出来た噺です。
さん喬師匠の芸とのシナジーが出て、笑いと涙が味わえる。

ただ、唯一気になるのは、さん喬師匠が台詞の中で連発する「ばーか」とか「馬鹿」と言うところです。

圓窓師匠の稽古では、いつも落語の中でのエロ・グロと品のない汚い言葉を戒められますから、物凄く気になりました。

とは言うものの、素晴らしい噺を聴いて、1年を締めることが出来ました。

仕事納め

今日が仕事納めです。
世の中の大宗は、既に休みに入り、電車も街も静かです。
今年は、仕事(会社)が変わったので、仕事納めが2度あったような気がします。
いずれにしても、今年も穏やかに暮れて行くようで、まぁ、ささやかながら幸せだったということでしょう。

来月の紀伊國屋寄席

200912301310000 来月(新年)の紀伊國屋寄席は、トリで圓窓師匠が「小間物屋政談」を演るそうなので、昼休みにチケットを買いに行きました。

まど音さんの分と2枚。前の方の席がゲットできました。
実は、今夜開催の「紀伊國屋寄席」の会場でも買えるのですがね。

キノチケットカウンターのお嬢さんが、「インフルエンザで中止になる場合があるので、ホームページで確認してください。」ですって。
ホームページが見られなさそうな、やはりチケットを買いに来たおじいちゃんは、連絡先を紙に書かされていました。

窓輝さんも出演するので、新春親子揃い踏みという訳ですね。

開店休業?

200912300636001  暮れの30日の朝。


200912300750000 世の中は、もう完全に「休暇モード」です。
鉄道のダイヤも休日ダイヤ。
JRやメトロの駅のホームも、毎朝立ち寄るカフェも、メインストリートも、"独り占め"状態です。

200912300731000今日あたりが「民族大移動」のピークになるようです。
どんなに混んでいても、やはり生まれ故郷を目指すものなのですね。

政党公認候補?

今朝の新聞に、小さい記事ですが、来年の参議院議員選挙での、M党の公認比例代表候補が載っていました。
その中に、かつての人気タレントのYOさんの名前を見つけました。
思えば、アイドルタレントのはしりで、私より歳は上ですが、あこがれたものです。
「明星」や「平凡」などの雑誌のグラビアを切り抜いてブックカバーにしたり、付録のポスターを部屋に貼ったりしたものでした。
その後、大手電器メーカーの御曹司と結婚したり・・で。
最近はテレビなどに出ることもほとんどないようでしたが・・。
まだ・・。

2009年12月29日 (火)

電話

先週の後半から、私の携帯に数回、同じ番号から電話がかかって来ました。
番号通知ではありますが、アドレスに登録されていない番号なので、誰からか分かりません。
私は、基本的に電話が大嫌いで、携帯は専ら情報端末として使っています。
えっ?どこからの電話?
返電したら変な先に繋がる?
急ぎの用件なら、留守電に入れるだろうと思い、無視していたのですが、今日もまたかかって来ました。
仕方がないので出てみると、聞き慣れない男の声。
二言三言話しても分からず、暫くしてからやっと中学校の同級生のSM君だと分かりました。
彼とは中学校で2年間同じクラスだっただけで、進路も全く違いましたが、お互いに身軽な独身時代は、時々会っていました。
最近は、年賀状だけのお付き合いだったので、電話の声だけでは、すぐには思い出せませんでした。

彼もお正月の同窓会に出るそうで、その確認の電話だったみたいです。

なごやか寄席のCD

東京かわら版の広告で見つけました。

名古屋で開かれている落語会の録音のCD化商品みたいです。
誰かの「浜野矩随」があった気がします。

要チェックですね。

なごやか寄席は、東海ラジオ放送で1974年4月15日から1999年3月23日の25年間に渡り放送された落語の公開収録番組。最終回まで276回がオンエアされたんだそうです。
今月から
、「東海ラジオ開局50周年記念特別企画」として、実際に放送された中から選りすぐりの10作品(CD)をインターネット販売を開始したようです。

ラーメン屋のCS

最近、駅前に、相次いでラーメン屋さんがオープンしました。

2軒とも、今流行りの「・・・系」という趣きの店で、アルバイトか、それに毛の生えたような店員のお兄ちゃんが2・3人でやっています。
まず嫌なのは、先に券売機でチケットを買わなければいけないこと。
初めての店では、メニューに何があるか分からないし、先に金を払うのは寄席だけで十分だと思うし。

チケットをお兄ちゃんに渡すと、今度はスープの濃淡、麺の硬軟などを訊いて来ました。
「てめえら、そんなに自分の作るものや腕に自信がないのか?」と思いつつも、「お任せします。」と言うと、「普通ですね。」・・。
(なんだい"普通"ってのは?俺は"快速"がいいんだ。)
「ライスがサービスで付きますが、大丈夫ですか?」
「おかげさまで大丈夫だよ。それよりお前の日本語が大丈夫か心配だよ。」

・・暫くすると、出来上がったラーメンが運ばれますが、おいおい、俺より後から入って来て注文した奴に先に出しているじゃないか。
些末なことだけれども、顧客心理としては大事なポイントだぞ。
ちゃんとチェックしておけよ。

「濃い淡いがあったら言ってください。」って、濃かったらお湯でも足すのかい?

最近のラーメンは、過剰に凝りすぎているのか、醤油ラーメンでも、こってりドロドロで、いかにも身体に良くなさそう。
まぁ、まずくはありませんがね。

味より気になるのは、新しいのに雑然としている店内と、店員たちの私語。
アルバイトのお兄ちゃんたちにはわからないでしょうかねぇ
お客はそういう所を見てるんだぞ。

「またお越しください。」
「もう二度と来るもんかい。(この店だっていつまでやっているか分からないし。)」・・。

自分勝手な店の多いこと。

・・以上、自分勝手な客の独り言。

三三時代

柳家三三さんの後援会「三三時代」の会員継続のため、年会費を振り込みました。

会員のメリットを十分享受しているとは思いませんが、真打昇進前から注目している噺家さんですから、引き続き注目して行きたいと思います。

あまり老成しないように望むところです。

2009年12月28日 (月)

親子酒?

落語の「親子酒」は、飲んべえな親子同士のお笑いですが、今日は大学生の息子(勿論成人です)と二人で飲もうということで・・。
「いつか」「そのうち」「近々」などと言いながら、忙しさにかまけたりしていて、なかなか実現出来ませんでしたが、やっと・・。
まぁ、照れみたいなものもあるのでしょう。
恐らく、奴の方が酒に強いと思います。情けない親父です。

親馬鹿ちゃんりん蕎麦屋の風鈴ではありますが、よくぞここまで育ってくれたというほど、なかなかいい奴だと分かりました。

(*゚ー゚*) あまり、細かいことを言わず、とりあえず父親が真面目に生きる姿を、子供なりに客観的に見ていてくれたようです。
勿論、まだまだ未熟な部分ばかりですが、かなり安心しました。

今夜はとても嬉しい夜になりました。 (*^.^*)

毘沙門寄席

神楽坂にある毘沙門天で有名な善國寺という日蓮宗のお寺。
巧みな街興しで賑わう神楽坂の真ん中にあり、ここでも落語会が開かれています。
名付けて「毘沙門寄席」。
存在は知っていたのですが、なかなか行く機会がなくて・・・。

3月に「神楽坂落語まつり」と称した特別企画があるようです。
チケットを買ってみようかなと思っています。

谷中の全生庵といい、先日のやすらぎ寄席の真福寺といい、お寺で聴く落語というのも、実に乙なものですから。

昭和40年代から現在まで、芸能のまち・神楽坂を盛り上げてきた落語家が毘沙門天に勢揃いします。
落語通から初心者まで楽しめること間違いなし!の三日間。

玉蟲左太夫の世界

Img_0003_5 駄馬師匠が、友楽師匠が出演する「玉蟲左太郎夫の世界」という、仙台市などが後援する公演のチラシを送ってくださいました。

友楽師匠は、自作の創作落語「玉蟲左太夫」をお演りになるようです。

八代目桂文楽師匠から名前弟子を許されて「桂友楽」を名乗っている友楽師匠は、退職されてから、地元仙台で、落語を駆使したボランティア活動を続けておられます。

恥ずかしながら、玉蟲左太夫(たまむし・さだゆう)という人は全く知りませんでした。
文政6年(1823年)に仙台藩士の玉蟲伸茂の末子として生まれる。
弘化3年(1846年)に江戸の湯島聖で学び、その塾長となる。
安政4年(1857年)には函館奉行堀利煕と共に蝦夷地を調査し「入北記」を著す。
日米修好通商条約の批准書交換使節団の一員として渡米した、帰国後大番士となり、のちに養賢堂指南統取となった。
戊辰戦争が勃発すると奥羽越列藩同盟の成立のため尽力し軍務局副頭取となった。
敗戦後捕縛され獄中で切腹した。享年47。主著「航米日録」・「蝦夷紀行」。

OB落語会へのエントリー

240 志ん志師匠が気を使ってくださり、次回はパスなんていうコメントがありました。
・・・が、そういう訳にはいきません。
志ん志師匠は、「100周年の時もOB落語会に出演する」と宣言している"アラ還"です。
そして、「100周年まで、毎年一席噺を覚える。」とも仰っていますから、ここでパスはありません。パス「不可」です。

先週から、OB落語会の出演者をホームページで募集しているのですが、なかなか「我こそは!」という人は出て来てくれません。
理由は、「そんなことやっていられるかい。忙しいんだよ。」なんていう人も多くいるでしょう。
それから、私はともかく、先日のOB落語会の高座を見て、ぽんぽこ・くるみ・寝蔵・志ん志・友楽の各出演者のレベルが、お世辞抜きに高いので、逡巡する人もいるかもしれません。

そんなこともあり、ホームページに以下のようにコメントしました。

皆さま遠慮深いのか、このホームページへのコメントはありませんが、管理人が独断も含めて把握している出演予定者は以下のとおりです。(敬称略)

 ◆桂友楽          はるばる仙台から"プロ"が来ます
 ◆談亭志ん志       100周年まで50噺チャレンジ宣言
 ◆喰亭寝蔵        新潟でひそかに仕込み中のはず
 ◆杜の家くるみ      スケジュールさえ合えば・・
 ◆井の線亭ぽんぽこ  今度は開口一番ではない場所で
 ◆金願亭乱志      時間調整で
ここまでは、前回出演者。さてこれから新顔に期待します。勝手に"指名"します。
 ◇杜の家頓平       密かに稽古をしているという噂
 ◇走れ家駄馬       地元仙台で何度か演っている様子  
なお、自薦は憚られる部分もあると思いますので、是非「この人を聴きたい」という人をご推薦ください。

楽しみですよ・・・。

2009年12月27日 (日)

テレビ・ラジオ番組

麻生さん曰くの「ルービン・ショック」(正しくはリーマン・ショック)以来、不景気の波は日本中を覆っているようで、今まで湯水のように金を使っていたマスコミ、就中、テレビ局でもコストダウンが避けられないようです。
企業の宣伝広告費の削減で、放送局も赤字になっています。

そこで最近目立つのが、安っぽい(安直な)番組の数々・・・。
「お笑い芸人」、「クイズと旅グルメ」、「昔の映像」が、三題噺のように、安直番組の象徴になっています。
お笑い芸人や過去の人気者が、馬鹿か利口かを強調して出演するクイズ番組や旅・グルメ番組ばかり。
あるいは、テレビ局にストックされている過去の映像を使った歌番組やトーク番組。
こんなものばっかりで、これではますますテレビ離れが進んで行くでしょう。
かつて、大家壮一さんという著名なジャーナリストが、「一億総白痴」なる言葉を使ったそうですが、これまたけだし名言でしょう。
尤も、かくいう私も、その中の立派な一人なのかもしれません。

それなら、もっと演芸番組を放送すれば、と思うのは、ごくマイナーな者の思いなのでしょうか・・。

全く話は違いますが、私は土曜日の午前中には、TBSラジオの永六輔さんの番組を聴く機会が多いのですが、最近は永さんの衰えぶりが顕著になり、元気な頃を知る者としては、痛々しいほどです。
声も滑舌も悪くなっているので、最近は永さんと親しい人がゲストと称して出演し、実質的に番組を進めて行くような形になっています。
例えば、かつてのフォークソングの人気者だった精神科の医師に至っては、馬鹿笑いをしながら、偉そうに傍若無人な話をしていますよ。

そういえば、永さんと仲良しの入船亭扇橋師匠も、お元気に寄席の高座を務めてはいらっしゃいますが、ここ数年は、あの華麗な声と滑舌はなく、小さくて聴き取れないほどです。
ご本人には頑張ってもらいたいし、長生きも芸のうちなのではありますが、複雑なものがあります。

嬉しいメール

同じ学部で落研同期の二代目風流亭花鳥さんは、山口県の出身で、大学卒業後は故郷に戻っていて、本人に会ったのは、彼の結婚披露宴の時が最後という。
日本が狭くなったとはいえ、なかなか会えないものですよ。

当時、花鳥さんは、落研では珍しく上方落語を演っていました。
今の桂春團治師匠のような口調での、「桃太郎」や「延陽伯」が印象に残っています。
「延陽伯」という噺は、江戸落語では「たらちね」です。

年賀状でお互いの近況や無事を報告し合うだけのお付き合いでいたのですが、そんな花鳥さんからメールが届きました。

先日のNHKテレビの「圓楽)さんとその弟子」を視て、当時のことやOB落語会への思いなどを綴ってくれたものでした。
遠くに離れてはいても、やはり落研の思い出を大切にしてくれ、落語大好きは変わらないのですね。
本当に嬉しいメールでした。花鳥さんありがとう。

年賀状

虚礼廃止とはいうものの、年々年賀状づくりが苦痛になって来ます。

Img_0001 始めるまでは、宛先に応じて複数のパターンを作ろうと思うのですが、結局萎えてしまうようで、今年は、ごくありふれた絵柄のものと、落語狂いを知っている人・会社の同期用のものと、2パターンに落ち着きました。

葛飾北斎「富嶽三十六景」のうち「甲州石班沢(かじかざわ)」の絵柄。
急流に突き出た岩の上で、漁をする親子を藍色の濃淡で仕上げたもので、遠くに霞んで見える富士山がとても印象的な作品です。

かじかざわ・・。そう、私の故郷に近い、あの「鰍沢」です。
「鰍沢」・・・。日本三大急流のひとつと言われる富士川の上流で、舟運の要で栄えた街。
「いつか、三遊亭圓朝作の『鰍沢』を演ってみたい。」という強い気持ちを込めたつもりです。

明日投函すれば、元旦には配達してもらえるでしょう。

えっ? もう一つのパターン・・?
・・元旦に公開しようと思います。恥ずかしいから。

落語っ子連「ん組」稽古会

落語っ子連のまど音さんから、急に師匠の都合が悪くなってしまったので、稽古が中止になったとの連絡がありました。

落ち着いて、「浜野矩随」ショートバージョンを固めたいと思います。

昨日の圓楽師匠の特集番組を見て、新たな思いも湧き上がって来ました。

2009年12月26日 (土)

圓楽さんとその弟子・番外

20091122k0000m040038000p_size5 マスコミに名前を売っていた圓楽師匠らしく、大変失礼な言い方ですが、斯界での"実力"以上に、追悼番組やら特集が数多く放映されています。

それはそれで結構なことだと思いますし、落語界にとってもプラスになりこそすれ、マイナスになるものではないでしょう。

ただ、ずっと気になっていることがあります。
というのは、"ポスト五代目圓楽"は楽太郎(六代目圓楽)師匠なの?ということなのです。
圓楽さんの遺志や芸を継ぐということで、楽太郎師匠ばかりが目立っているのはなぜなの?・・・・

確かに、楽太郎師匠も笑点で名前と顔が売れていて、さらに六代目を継ぐということで、インパクトはあるでしょう。
でも、一門の総領(圓楽一門会会長)で、なおかつ、一門で実力も抜きん出ているはずの鳳楽師匠に、ほとんどスポットが当たっていないのはどういう訳なのでしょうか・・・?

マスコミの独断と偏見だと思うのですがねぇ・・。
まぁ、鳳楽師匠も、いずれ"別の大きな話題"でクローズアップされるでしょうが。

圓楽さんとその弟子

NHK総合「師匠の十八番と闘う~圓楽さんとその弟子」という番組。

09783a1_1 驚いたことに、あの「浜野矩随」を縦軸に、楽太郎師匠と王楽さんが、圓楽師匠の十八番の「浜野矩随」に挑む姿を捉えたものでした。

いやはや、恥ずかしながら「浜野矩随」を、自分なりに温めて来ていた私にとっては、思いがけず興奮する内容でした。

楽太郎師匠の捉え方と、憚りながら私のイメージと、必ずしも重なりませんし、大変生意気な言い方ですが、王楽さんは、まだまだ台詞を追いかけているだけのように感じました。

母親がなぜ死んだのかを語ろうとしている楽太郎師匠、なぜ死ぬのかすら理解できていない王楽さん。
やはり、師匠の域に達するには、時間と年齢が必要なのです。

192 約30年前に、初めて鈴本演芸場で圓楽師匠を聴いた時から、私なりにずっとイメージしていた噺ですからね。

今、この「浜野矩随」をショートバージョンでチャレンジしようとしている私には、図らずも、この番組は、本当に良いタイミングで、考えさせられる内容でした。
と同時に、「自分の演出でいいぞ。」という自信も湧いて来ました。

番組中で、圓楽師匠の信条として、「無心となって登場人物に同化する」という言葉が紹介されていましたが、これは、アプローチこそ違え、先代の小さん師匠が仰っていた「その人の料簡になる」ということと一脈通じるものだと感じました。

馬津郷寄席の席亭から

Img馬津郷寄席の席亭から、「第13回馬津郷(まつど)寄席」の案内葉書。

いつもいつも、大変ご丁寧なご案内に恐縮してしまいます。

勿論いつもどおり2枚予約のメールを送りました。

二つ目の人気者、春風亭一之輔さんの独演会。

東京かわら版 

Img 早いもので、もう平成22年1月号。

落語芸術協会の最長老の桂米丸師匠が新春インタビューで登場しています。

米丸師匠の前向きな発言や姿勢は、本当に素晴らしいと思います。
新作落語一本でやって来られた、そのプレッシャーや悩みのさぞ大きかったことかと・・・・。

落語芸術協会には、桂米丸師匠と三笑亭笑三師匠の"オーバーエイティ"のお二人が元気です。
落語協会だと、三遊亭金馬師匠と三遊亭圓歌師匠ですね。
そうそう、古今亭圓菊師匠も、29日の恒例の浅草演芸ホールてせの一門会にご出演なさるそうです。去年はドタキャンでしたから、見事に復帰ということですね。

落研OB会会報の企画

221 50周年で盛り上がったOB会で、東京でのOB落語会に加えて、会報を作ろうではないかという声が高まっていて、これにもチャレンジすることになりました。

あまり力まずに、「小さく産んで大きく育てよう」というコンセプトでやれればよいと思います。

OB落語会が「武闘」、会報が「学究」ということで、文武両道を進んで行こうという高邁な目標で、何とか形にして行きたいものです。

2009年12月25日 (金)

今週のご推奨・・?

愛読?しているタブロイド紙「夕刊F」を読んでいると、「今週の東西ご推奨」というコーナーがあり、"東"が今年真打昇進した「S亭K」さん、"西"が何故か柳家花緑さんでした。大阪での独演会が成功しているということで、今回は"西"で登場なのだそうで。

花緑さんは、相変わらず尊敬するお祖父ちゃんと、上方落語の先輩で慕っている鶴瓶さんという"他力本願"な話題で、どうということもないのです。

一方、このS亭Kさんですよ。
まぁ、師匠のS亭E師匠の話、二つ目時代のアルバイトの話などはよしとして、耐えられないのは、最後の部分。
落語家だけに、なぞかけで締めているつもりなのでしょうが・・・。

「S亭Kとかけて ダイヤモンドの原石と解く その心は 磨けば光るでしょう」

おいおい、こんなのバレバレじゃあないですか。酷いものですよ。
よくも言ったり、よくも載せたりです。
これでは、噺家さんも育たないでしょう。

千一亭落語会(自習会)

千一亭のオーナーの本当さんから、「千一亭新春落語自習会」の案内がありました。

    ■千一亭新春落語自習会■
  日 時   2010年1月11日(成人の日)午後1時
  場 所   千一亭
  参加費   千一亭施設利用料の五百円
 
 ※円窓師匠のご了解をいただき、自習会を行うことに致しました。
   自由解散、途中参加大歓迎です。


P12002841さぁて、流三さん、乱志さん、どうしますか?
-勿論、参加ですよ。
  流三は「落語っ子連」の
発表会も近くなったし、
  乱志は5月のOB落語会もありますから、舞台度胸を付けておかないと。
   こういう貴重な機会には、是非参加したいと思うのです。

200912191916001それで、何をやりますか?
-それが悩ましいところです。
  
「三方一両損」をと。
  
同窓っ子連合の方の前で演っていませんから。
  これかな・・・。

落語情報誌「銀座山野亭」

Img_0001銀座4丁目の山野楽器店は、落語関連物の店内陳列も充実していますし、12月は「銀座山野亭」という落語会も主催していますし、情報誌も作っていて、落語ファンとっては大変有り難いお店です。

「志ん朝初出し」なんていうCD全集が目立っていますが、「火焔太鼓」が、時を違えたものが3題入っているそうで、志ん朝師匠のファンには聴き比べができて、最高ではないでしょうか。
こういう、時を超えて噺が聴けるというのも、落語の醍醐味かもしれません。

また、最近のCDも、色々な企画・値段のものが出ています。
これらも、この「銀座山野亭」という情報誌で知ることができるという訳です。

田辺一鶴先生の訃報

200pxe794b0e8bebae4b880e9b6b4 講談の田辺一鶴先生が、80歳でお亡くなりになったそうです。
あの特徴的な髭が印象に残りますが、最近はテレビなどで拝見することもありませんでした。

K995 ハスキーな声で、騒がしく、髭に清潔さを感じられなかっ気がします。
とはいえ、講談の普及に一役買ってはいたのでしょう。
ご冥福を祈ります。

昭和の名人決定版 全巻完結

Img_0002落語CD昭和の名人シリーズも、今回の第26巻にて殿(しんがり)・打ち止めぇ~。
今回が最終回でした。

色々面白い噺や逸話を知ることが出来ました。なかなか良い企画だったと思います。

第2弾の企画もあって、また来年からスタートするようですから、楽しみに待つことにしたいと思います。

圓生・志ん生・文楽・志ん朝などの定番の師匠以外で、特に印象に残っているのは、今輔・助六、それから、四代目柳好というのが最も出色でした。野ざらしの柳好(三代目)ではなく、四代目の柳好師匠ですよ。
それから、文治・金語楼なんてね。とても新鮮な感じがしました。
特に、落語芸術協会の芸達者な師匠たちや地味な存在の師匠たちを、もう一度見直すことができたのが良かった。
圓生・志ん生などの「4番バッター」ばかりでなく、トップバッターやバントの名手、代打や守備の名人もいるんですねぇ。

2009年12月24日 (木)

"ハネムーン"も終わり・・

2009年前に、イエス・キリストがお生まれになりました。

2009072500000028jijppolview000 そして、100日前に、鳩山民主党内閣が産声をあげました。
(この2つには、全く関係はありませんが。)

「ハネムーン」という言葉があって、就任して100日までは、ご祝儀・不慣れを含んで、大目に見てあげようというもの。
裏返せば、これからは情け容赦なく弾が飛んで来る訳です。
自民党政権時代から、お坊っちゃん総理大臣が続いているのが、この有事の世の中で不安ですね。
大丈夫でしょうか?

「OB落語会in東京」の出演者

174 やはりみんな落語が好きなんですねぇ・・・。

仙台の桂友楽師匠と、井の線亭ぽんぽこさんが、≪A’OB’A≫亭 (勝手に私が考えた名前)に出演エントリーがあったようです。

ということは、志ん志師匠も寝蔵師匠も、勿論私(乱志)もやる気満々の様子ですから、先月のメンバーは全員が出演ということですか・・。

それはそれで大変結構なのですが、ほかの「勇者」に出て来て欲しいものですね。

 

落語ファン倶楽部 Vol.8

Img

「落語ファン倶楽部」の第8巻目です。

本巻の特集は、「落語の国のオールスター」と称した、噺家さんたちが語る落語の登場人物評。

高田文夫・笑芸人編。税込2,500円。

好き嫌いもあると思いますが、編者の高田文夫さんは、「立川藤志楼」という立川流の素人メンバーで、有力な親談志師匠派の一人です。

従って、談志師匠やそれに繋がる若手・中堅の人気にあやかって、浮動票を獲得するためには有効ではありますが、この本をもって斯界の全てが網羅出来ている訳ではないということを、落語好きなら分かって読むべきでしょう。

本誌だけではありませんが、この手の本の悩みでもあるでしょうが、それほど深みも裾野も大きい訳ではありませんから、刊行を続けて行くネタ探しは至難の技だと思います。
それで、
大名跡襲名を煽ったり、事件やスキャンダルを待つような姿勢になったら、こういう勘違いには、十分に気をつける必要があるのでしょう。

鳳楽独演会

\(*`∧´)/ 「今週あたりが、日暮里での三遊亭鳳楽独演会じゃなかったかな。」と、もし時間があれば、この間の「やすらぎ寄席」が休演だったから、ちょいと覗いてみようと、今月の会を調べてみました。

12月17日(木)・・・。そうか、今月はいつもより早かったんだ・・・

えっ 17日(木)・・? 
その日って「やすらぎ寄席」の当日じゃないの

じゃあ、鳳楽師匠も、見事な「ダブルブッキング」だったんですねえ。
おいおい「それじゃ駄目じゃん」でしょうが・・・。 
ヽ( )`ε´( )ノ

落語CD昭和の名人≪26≫

Img_0001 最終回の配本は、三代目桂三木助師匠。
長い下積み生活を経て、安藤鶴夫さんに評価され、NHKラジオ「とんち教室」で人気を得、華やかだったのは、10年足らずだったのではないでしょうか・・・。
「芝浜」・「ねずみ」・「ざこ八」・「三井の大黒」・「へっつい幽霊」・・・・・。
文学的な表現や演出をする、粋を超えて気障な感じもまた魅力だった気がします。

それにしても、三木助師匠とおかみさんとは、25歳ぐらいの年の差があったはずで、写真で見ると、綺麗な人です。
表紙をめくってすぐのページの夫婦でくつろぐ写真はいいですね。
それから、師匠がなくなる直前の地方興行に、体を心配してしてついて行き、錦帯橋で撮った写真も良かったですね。

看取った五代目小さん師匠たちに、「○○を頼む」と言いました。
この○○、家族じゃなかったんだとか。
弟子の名前を言ったそうです。そのお弟子さんこそ、後の(今の)入船亭扇橋師匠だそうです。
あくまでも、自身の立場を通した、江戸っ子の意地・粋というものなのでしょうか。
格好いいというか、見栄っ張りというか、江戸っ子は疲れますね。

一方、没後50年。長女の茂子さんが、本を出版しましたが、「桂三木助」という名跡に殉じたといっても過言ではない家族の様子が痛々しいものでした。
ここでも、噺家の名跡は誰のものかを考えさせられたものでした。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/09/post-e434.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/10/post-e434.html
長男の四代目三木助さんが自ら命を絶ち、そして今、孫の三木男さんが二つ目で頑張っています。

2009年12月23日 (水)

ルービン・ショック?

麻生太郎さんという方がいらっしゃいましたね。

Image 100日前ぐらいまで、確か総理大臣だったと記憶しています。
そして、漢字が読めない(KY)総理と言われていましたっけ。

テレビを見ていたら、そんな麻生さんの顔が久しぶりに出ていました。

どこかでの演説か座談会の映像なのでしょう。
その場面で聞こえて来たのが、「去年は、ルービン・・・」というフレーズ。「ルービン」って何だっけ?
確か、かつてアメリカの財務長官か何かにそんな名前の人がいたような記憶がありますが・・・。

結局、どうやら、ここで麻生さんが言いたかったのは、ルービン長官のことではなくて、「リーマン・ショック」のことだったようです。

おいおい、大丈夫? というか、あぁやっぱりと言うのか・・・。
この人、懲りませんねえ・・。

住所録

Index03_img_01 とりあえず、やっと住所録の入力を終えました。

これから年賀状を印刷して、宛名を入れて、コメントを書いて・・・。
果たして間に合うことやら・・・・・。

永六輔さんは、旧暦のお正月に年賀状を出しているそうです。
お年玉付き年賀はがきの当選番号が分かってからですから、好きな人には当選している葉書で思いを伝えたりするのも・・、悪趣味ですかね。

クリスマスプレゼント

クリスマスプレゼントということなのでしょう。
従妹が、手拭を3枚もプレゼントしてくれました。

200912222035000 今のおじさんには、変な物をプレゼントされるより、否、何よりも嬉しい物です。
なかなか分かってるじゃぁないかってぇやつですよ。

早速、高座で使うサイズに折って、扇子と並べて写真に納めました。

200912222037001 1枚は、「かまわぬ」の菊の模様の和風なもの。
従妹は、色と柄が気に入ったのと、"菊"と落語を"聴く"とをかけたのだとか・・。
ほぉぉぉ、随分大人になったじゃないの。

あとの2枚は、来年の干支の"寅"がデザインされた、今風なもの。
おいおい、とっても有り難いけれど、来年しか使えないじゃん・・・。
まぁ、いいか・・・。

200912222037000 来年は、もっともっと高座に上がる機会が増えそうですから、例えば、もし「ねずみ」を演るチャンスがあれば、この噺のヒール役とも繋がる"寅"ちゃんを使わせてもらいましょうか・・・。
「えっ? 虎ですか? あたしゃてっきり猫だと思いました。」なんてね。

クリスマスプレゼントをもらうなんて、何年ぶりのことでしょう・・・・。

日本鉄道旅行地図帳

Img_0005 鉄道ファンのことを「鉄男さん」て言うのですか?

鉄道がらみの様々な書籍も刊行されていますが、この間面白い物を見つけました。

「日本鉄道良好地図帳」というシリーズ本です。

何が面白いかというと、このシリーズの中に、「朝鮮 台湾」と「満洲 樺太」の2冊があるのです。

Img_0004しかも、何か新聞で読んだのですが、意外にもこの2冊の人気が高いんだとか・・・。

新潮社の「旅ムック」から出ているのですが、"ありそうでなかった戦前外地の鉄道地図"という謳い文句で、なかなか渋いですよ。

私の祖父は、会社勤めをしていて、戦前から終戦直後まで、樺太と台湾にいたそうです。
父は、樺太には小学生から中学生まで、台湾には中学生から高校までいたそうですから、この2冊を見せたら、何か思い出すものがあるでしようか・・・。

ということで、お正月土産にしようと、1冊ずつ買いました。

・・そういえば、家に、若かりし頃の祖父が、樺太とロシアの国境で撮ったという写真がありましたよ・・・。
昔の人の方が、波乱万丈、大胆な生き方をしていた気もしますねぇ。

学士会落語会の新年例会

 ダブルブッキングで行くことができなくなった「学士会落語会」の出欠葉書・・・。

(/□≦、) 「例会~欠席」「新年会~欠席」と書いて投函しました。

週刊「江戸」創刊

Img_0007 来春、デアゴスティーニから、週刊「江戸」というシリーズが創刊されるそうです。

「DVD落語百選」の配本の中にチラシが入っていました。

何となく興味は湧きますが、以前、「日本の歴史」というのを全巻購読しましたが、「積ん読」となって、後で処分に苦労した記憶がありますので、ここのところは熟慮・熟慮・・・。

2009年12月22日 (火)

冬至

冬至(とうじ)は、二十四節気の一つ。
物の本によれば、太陽黄経が270度のときで、12月22日ごろ。および、この日から次の節気の小寒までの期間(黄経270-285°)。
07_toji_image01 北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日。
『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。
日本では、この日にゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪をひかないと言われている。

1年で一番日の短い日。
一番日当たりが悪いのだから、今日(冬至)が一番寒いのかと思えば、否、かえって1ヶ月後ぐらいの方がずっと寒い・・・。
考えてみると、反対の夏至でも、あの時期が一番暑い訳じゃあない。
別に地学的な要因があるのでしょう。冷える(暖まる)のには時間がかかるだとか。

実は、例年のことでもあるのですが、私は、まだコートを着ないで頑張って?通勤しています。周囲からは「馬鹿じゃなかろか」なんて言われたりして・・・。
コートがない訳ではありませんが、着たり、持ったりするのが煩わしいので。
特に、寄席や落語会に行くと、席も広くなく、置き場所に困ってしまうので、我慢していたのですが・・・・。

・・やはり寒い・・・。
休み明けからは着ようと思います。

ダブルブッキング

Img_0002 ダブルブッキング・・・。
Img_0003[名](スル)《(和)double-booking》ホテルや飛行機などで、二重に予約を受けること。また、一般に約束などを二重にしてしまうこと。

最近、よく同じ日の同じ時間のイベントにエントリーしてしまうことが多くなりました。

身の回りも、頭の中も、全く整理されていない証拠ですね。

平成22年1月23日(土)の午後・・。
①花形演芸会
   
~菊之丞さんの「らくだ」がトリ。ほかに市馬さんなど。
②お茶の水図書館文化講演会
   ~「語りと演芸~圓朝をめぐって」・講師は
松井今朝子さん。

見事なダブルブッキング・・・・。トホホ・・・。
どちらにも行きたい・・・。

落語百選≪32≫

Img_0006 先日亡くなった三遊亭圓楽師匠が建てた寄席「若竹」が採り上げられています。
昭和61年から4年半。東陽町にあった寄席。
ちょうど落研を卒業して、一番落語から遠ざかっていた時期で、結局一度も行くことができませんでした。
私にとっては、幻の寄席です。

鳳楽師匠も、独演会の時など、マクラで当時の思い出話をすることがありますが・・・。

 ◇ 紙入れ   古今亭菊志ん

 ◇ たいこ腹  春風亭一朝

「紙入れ」という噺は、間男、今風に言えば不倫の噺で、個人的には好きな噺ではありません。

「たいこ腹」のオチは、「革(皮)が破れて鳴りませんでした」と言うのですが、理解するのに時間がかかった気がします。
幇間・たいこもちという職業がよく分からなかったことと、「ならした幇間(たいこ)」という仕込みが難しかったのでしょう。
でも、それが分かると、まずまずよいオチだなぁと思ったものでした。

学士会落語会

02_s_o 来春1月16日(土)の「学士会落語会」の新年例会と、「朝日名人会」も、またダブルブッキングとなってしまいました。が~ん・・・。 (。>0<。)

学士会の方は、瀧川鯉昇さんがメインで、紙切りの林家花さんも出演するので、行きたいのですが・・・。
苦労してゲットした、久しぶりの朝日名人会の魅力には勝てませんでした。

例会の後、新年パーティもあるのですが、残念ながら諦めることにしました。

去年(平成20年)の新年例会の時は、古今亭志ん輔師匠がパーティにも出てくれて、暫くお話をさせていただきましたが・・・。

2009年12月21日 (月)

M-1グランプリ

結成10年以内の漫才コンビNo.1を決める「M-1グランプリ2009」の決勝戦が放送され、結成9年目の「パンクブーブー」が全審査員から満票を獲得して9代目の王者に輝きました。

広く言えば落語も漫才も「お笑い」という同じカテゴリー属することになるのでしょうが、今の漫才、しかも大阪の吉本全盛の現状には、とても違和感がありますねぇ。
演る方も審査する側も吉本・吉本・・・・。身内のイベントのような感じもしますから。

観客も審査員も、何か・・こう・・違うんだよなぁぁぁ。
笑わせるポイント、笑いの質、笑いに求められる品とか深み・・・。話芸ではない。
違う・・。快い気分になれない・・・。違う・・・。
せめてもと思って応援していた「ナイツ」も、残念ながら決勝に残ることができなかったし。

情緒のある、アナログの笑いがいいんですけれどもねぇ。
古いんですかねぇ・・・。

でも、寄席には、「ナイツ」だけでなく、「ロケット団」や「笑組」なんていう人たちがいてくれて、彼らがまた面白いんですよ。



「浜野矩随」ネタ帳完成

Img_0002浜野矩随」ショートバージョンのネタ帳が完成しました。

大きめの字にして、13ページ半程度。

さて、どれぐらい短縮できたでしょうか・・・?

"浮世床"・・

20年来行きつけの近所の床屋さんで聞いた話。

松戸市で地域振興券を発売。
1万円につき千円分がついていて、1度に5万円まで購入可能。
使用は、市内の大規模・小規模店で、それぞれ使用限度が決められているとか。
これが発売後2日足らずで完売したんだそうです。

ところが、月初の発売だったために、年金支給分で購入しようとしていたお年寄りは、年金が支給された時には既に完売となっており、振興券を買うことができなかったというクレームもあったそうです。
一方で、郵便局などの販売場所を梯子して買い占めようとする輩も多かったとのこと。
奇麗事をを言いたくはないものの、こういう品格のない輩と言うのは、いつの世にもいるものなのですね。欲の深い人たち・・・。 ┐(´-`)┌

ところで、床屋さんの青・赤・白のぐるぐる回る看板?ですが、なんであれが床屋さんのマークなのでしょうか・・・?
「三色ねじり棒(看板)」と言うのだそうですが、赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表し、1540年頃、パリの外科医メヤーナキールが創案し、彼の医院の看板に用いたのが始まりだそうです。その後、理髪店でも用いる様になり、日本では東京 常磐橋の側に在った、「西洋風髪剪所(かみはさみしょ、経営は川名浪吉さん)」で、明治4年に用いたのが最初だとか。
もとは外科の医院の看板だったのですね・・・。 

富士山のヒステリー?

小学生の頃、夏休みの宿題のワークブックに、こんな富士山と八ヶ岳の民話(神話?)が載っていたことを思い出しました。

250pxmt_mizugaki_and_mt_yatsugatake昔、八ヶ岳と富士山が、どちらが背(標高)が高いかと言い争いになりました。そこで背比べをすることになり、双方の山頂に樋を渡し水を流したところ、富士山の方に流れました。
それに怒ったプライドの高い富士山は、ヒステリーを起こし、八ヶ岳の頭を思いっきり殴りました。
すると、八ヶ岳の頭が8つの峰に分かれてしまい、背も低くなってしまいました。   ・・・とさ。

2909934性的な姿の富士山と男性的な八ヶ岳との比較から、女性のヒステリーは怖いものだと、小学校の時に習いました。
彼の地のプロゴルファーの例を見るにつけても、けだし名言だという意を強くしています。

・・・くわばら、くわばら・・・。

「OB落語会 in 東京」名前考

とりあえず、私の中だけですが決めました。

 東北大学落語研究部OB落語会≪A'OB'A亭

その心は、仙台の青葉という、全く新鮮味のないものです。
ただし、ビジュアルには真ん中の2文字を強調することにより「OB」が浮き出ると思います。
横文字にはやや違和感がありますが、OB落語会でも使っていますから・・・。

きっと却下されますが。  ・・・ほかにも考えないと・・・。

2009年12月20日 (日)

らんまんラジオ寄席

今夜のTBSラジオ「らんまんラジオ寄席」は、三遊亭圓楽師匠の特集でした。

「ねずみ穴」を聴きました。・・・・・・・。

「OB落語会in東京」の名前

東京での「OB落語会in東京」は仮称としているのですが、何か良い名前はないかな・・と。

北大の落研は「苦楽亭迷人会」と称しています。
「苦楽=クラーク博士」という、いかにも北海道大学ですよ。

別に名前なんてなくても良いのでしょうが、お遊びで考えてみようかと思ったのでありますが。

・・・ありふれてた「仙都亭」だとか・・・? 会場が「千一」だから、会の名前が「仙都」。

難しい・・。これも募集かな? でも集まらないだろうな・・。

「OB落語会in東京」リリース

「OB落語会in東京」の企画を、落研ホームページにリリースしました。

http://fwkv7079.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=145&summary=on

スケジュール告知と出演者の募集です。

さぁ、どうなることやら・・・。

冬の富士山

3147628 元F1レーサーのご一行3人が、富士山で遭難したそうです。

普段は、一般の人も多く登る山ですが、真冬ともなれば・・・。
しかも、天気予報で荒れ模様の予報がされていましたから・・・。

元レーサーは救助されましたが、同行した男性2人の安否は不明。3人とも登山経験があったが、パーティーは登山計画書を提出していなかった・・・。
富士山は周囲にさえぎるものがなく、夏に比べ冬は特に風が強い。この時期は、上に登るほど地面はアイスバーン状態で、非常に危険な山だと、専門家が言っています。

冒険の訓練ということだったようですが、どこかに油断もあったかもしれません。

Fuji富士山の麓近くに生まれ、故郷の山だと思う私ですが、高校の遠足で、5合目から宝永山までは登ったことはありますが、山頂まで登ったことはありません。
「富士山は登る山にあらず、仰ぎ見る山なり」と、勝手な怠け者の遠吠えを続けています。

高校のトイレでは、真北に聳える富士山に向かって・・・は、実に爽快でしたねぇ。
校章も富士山そのものでした。




柳家一門名演集

さん喬・権太楼・市馬・喬太郎・・・。
「柳家四天王」とも言える顔ぶれのCDセット。

B002drart2_01__sx420_sclzzzzzzz_v23「柳家喬太郎横浜開港150年記念独演会」
 ◆ 擬宝珠  柳家喬太郎 2009年06月   
 ◆ 船徳    柳亭市馬   2009年06月 
「第19回鈴本夏まつり」
 ◆ 試し酒  柳家権太楼 2008年08月 
 ◆ 寝床   柳家さん喬  2008年08月 

CD2枚組の3360円は、検討の余地あり?

2009年12月19日 (土)

圓窓人情噺を聴く

Img 千駄ヶ谷の千一亭で「圓窓人情噺を聴く会」の第1回目の公演。

会場は、椅子が50席程度並べられていましたが、かなり内輪の会にも関わらず、椅子を追加するほどの盛況です。

◆ 権兵衛狸  三遊亭窓輝

◆ たらちね   三遊亭圓窓

◆ 芝浜     三遊亭圓窓

2006_10_221窓輝さんはお得意の「権兵衛狸」。
いよいよ来春は真打昇進ですから、何かと忙しいようです。
高座での言葉は、嬉しさよりも様々な準備や苦労、真打としてのプレッシャーなど、昇進してからが大切ですね。
一ファンとして、応援して行きたいと思います。

「垂乳根」は、師匠が最初の師匠の八代目春風亭柳枝師匠が入門半年で亡くなってしまった後、希望して入門した六代目三遊亭圓生師匠から最初に稽古してもらった演題なんだそうです。
圓生師匠の稽古の厳しさは、伝説のようになっていますから、さぞや緊張されたことでしょう。
圓窓師匠は、このあたりが、その後兄弟子や先輩の他一門の噺家さんたちを何人も飛び越えて真打昇進した実力に相応しく、昭和の名人からただで噺を教えてもらうことに喜びを感じていたそうですから・・・。

200912191916001師匠の「芝浜」は初めてでしたが、夢に結びつけるための芝の浜の場面の演出と、師匠が創作したオチが楽しみ。
マクラで酒飲みの話をしました。酒のしくじり多いので有名な兄弟子の川柳川柳師匠などの話題も出ます。
噺に入っても、最初に「お前さん、河岸へいっておくれよ」というおかみさんの台詞も、寝ているのを起こすのではなく、酒を飲んでいる場面に設定しています。
注目の芝の浜のシーンは、昇って来る
朝日に向かって手を合わせたりせず。これは、あまりこの場面にインパクトをつけ、印象を強くさせ過ぎると、「夢だった」と思わせるのが難しくなるということで、大変バランスの難しいところ。
Ensoila ・・・・・なるほど、そういう演出ですか。(言葉で上手く言えません。)
師匠は、感動的なシーンにばかりでなく、例えば失ったお客を取り戻すところなど、時間の制約もない今日は、特に丁寧に入れ込んで噺が進みます。
そして、クライマックス・・・。
「主人公の熊はアルコール依存症である。この病気は、酒を断って暫く経ったからと言って、絶対に大丈夫だということはない。従って、おかみさんが告白した後に酒を勧めてはいけない。」ということで、「夢になるといけない」の台詞をおかみさんに言わせるという演出でした。

200912191916000一緒に聴いていた落研の先輩の蕪生師匠も「やっぱり圓窓師匠は上手い!」と、感嘆していました。
こんな近くで、たっぷりと長講を聴くことができるのは、本当に贅沢なことです。

千一亭

P12002841 蕪生師匠と、千駄ヶ谷の「千一亭」へ。

まだ開場したばかりで、まず圓窓師匠のところへご挨拶。
OB落語会のことを伝えると、師匠から蕪生師匠に「どんどんやりましょう。ただ、しっかり稽古をしないと。」と。

P14906712 オーナーの本当さんにご挨拶。・・・・?そういえば本名を存じ上げなかったなぁ・・・。
落語会の準備で忙しいところを、どさくさ紛れに?(すみません)、「来年の5月にOB落語会を東京でやりたい。師匠からのアドバイスもあり、千一亭をお借りしたいのですが・・。」とお願いしたところ、すぐにご快諾くださいました。

平成22年5月22日(土)午後・千一亭にて、「OB落語会in東京」がほぼ確定。

「OB落語会 in 東京」のこと

250pxgakushikaikan_1 落研OB会の在京委員の寄り合いのため、学士会館へ。
会長の蕪生師匠以下、頓平・〆太・寝坊の各師匠と私の5名。

先月の50周年の後、継続的に活動をして行こうということで、東京でもOB落語会を、というのも議題の1つ。

既に総論では前向きの方針が承認されていますので、「さぁ、いつどこで」ということで。

来年は、秋に仙台で、現役の学生さんが主催してくれる恒例のOB落語会が予定されていますので、来年の春開催ということに。
そして、とりあえず5月22日(土)に決定。(予備日として23日(日))
・・さて場所は・・?
Map1001t2a 色々検討した結果、北大と同様に「お江戸両国亭」なども候補に上がりましたが、先日圓窓師匠が「流三、それなら本当さんにお願いして「千一亭」を使わせてもらったらいいよ。」というアドバイスをいただきましたので、私がオーナーの本当さんにお願いするということで、仮に「千一亭」ということになりました。
蕪生会長とは、今日師匠の会「圓窓人情噺を聴く」にご一緒する予定ですから、会場を見ていただく絶好のチャンスです。

さぁ、また新しい動きが始まります。

うざい・やばい・全然・・?

最近のテレビCMの、「うざいほど美味いピザ・・」というフレーズがとても気になります。

「うざい」を辞書で調べると・・・、

[形]《「うざったい」の省略形。「うぜえ」とも》あれこれとうるさい。
   わずらわしい。

   ※もとは「不快だ。気味が悪い」という意の、八王子を中心と
          する東京多摩地区の方言。
     昭和40年代後半から東京の若者言葉になり、その後全国に
         広がった。
・・・・不快、気味が悪いほど美味いということですか・・・。

加えて、私の郷里では、「うざっぽい」という言葉で、汚い・不潔・不衛生という意味で使うことがありますので、極めて違和感があります。
汚くて不潔なピザは食べられないでしょう・・・。


最近の言葉は、「◎◎と××は紙一重」よろしく、全く反対の意味を強調する場合に使われるケースが多いようです。「反語」とも違うのでしょうが、知っていないと誤解してしまいますね。

「やばい」という言葉には、2つの面から違和感があります。
まず、そもそもこの言葉の生い立ち。昔は普通の人は使ってはいけなかった言葉だったはずだということ。最近は、妙齢の女性、時には女性アナウンサーも無邪気に使っていて、聞いていて虫唾が走る思いがします。
そして、「うざい」と同様に、賞賛の意味として使われることですよ。
辞書でも・・・、

[形]《形容動詞「やば」の形容詞化》危険や不都合な状況が予測
   されるさま。あぶない。 
   「―・い商売」「連絡だけでもしておかないと―・いぞ」
   ※若者は「最高である」「すごくいい」の意にも使う。
       「この料理―・いよ」

・・・・私は使えませんねぇ。

そういえば、ついでにもうひとつ、「全然・・・・」という使い方でも気になるのです。
私などは、全然の後にはネガティブな意味の言葉を入れるのですが、最近はポジティブなものを入れるケースをよく耳にします。
「全然駄目です」ではなくて、「全然大丈夫です」という類です。
「全然おいしい」とか「全然温かい」とか・・・。
またまた辞書を調べると・・・、

[副]① (あとに打消しの語や否定的な表現を伴って)まるで。少しも。「―食欲がない」「その話は―知らない」「スポーツは―だめです」
   ②残りなく。すっかり。
   ③ (俗な言い方)非常に。とても。「―愉快だ」

・・・3番目の俗な言い方というのは、最近の用法を言ったものでしょう・・・。
「全然(心配はいらない)大丈夫」「全然(まずくなくて)おいしい」「全然(寒くなく)温かい」ということなのでしょう。


でも、もともとの意味を知って使わないと、乱れてしまうことになりますよね。

成田スカイアクセス

250pxkeisei_electric_railway_typeae 京成電鉄は、成田空港の第2ビル駅~日暮里駅(東京)間を最速36分で結ぶ「成田新高速鉄道」について来年7月開業を目指すと発表。
ルートの愛称を「成田スカイアクセス」に決定したそうです。

250pxkeisei_electric_railway_ae100 日暮里駅の工事も進んで、新しい駅の雰囲気も分かるようになって来ました。

成田新幹線構想もありましたが、時々の事情で、計画も変容・挫折するものです。

どこかのダムも、成田空港も、大反対していた住民の多くが、今新政権が中止・廃止を口にすると、今度は中止・廃止に大反対をするという・・・?、訳の分からない柵や利権が絡むのでしょうねぇ・・・。

成田空港開港前夜の頃、私は、全く関係のないノンポリ学生でしたが、「成田開港阻止!」「三里塚闘争」などと叫ぶ輩に、受講している講義を邪魔されたものでした。
確か、発端は「学費値上げ反対」だったはずなのに・・・。
ただひたすら迷惑だった・・・。

2009年12月18日 (金)

東京落語会

実は、本日の「東京落語会」で、今年の寄席落語会徘徊通算定100回目になります。
・・・という、記念すべき?落語会。
昨年は、堀憲さんには到底及ばないものの、年間183回という狂気の徘徊数でしたが、今年は半減してしまいました。(それで当たり前ですが・・・。)

「東京落語会」は、今日が第606回目の公演です。

Img_3 ◆ 桃太郎      昔昔亭A太郎

◆ 宮戸川       橘ノ杏奈

◆ 締め込み     初音家左橋

◆  たいこ腹           鈴々舎馬桜

◆  錦の袈裟          三遊亭圓輔

◆  宴会の花道       春風亭昇太

◆  芝浜                柳家さん喬

あまり若手の辛口批評をよしとはしませんが、杏奈さんは、正直なところひど過ぎますね。
芸術協会の若手の雑な傾向は、以前から感じていましたが、緊張を差し引いたとしても、余りの拙さに驚かされました。

圓輔師匠も言葉が出ていず、与太郎になっていず、聴いていて辛いものがありました。

左橋・馬桜両師匠の安定感を目立たせましたね。

昇太さんは、笑点で個性が出ているとは思いませんが、メンバーになっているということで、広い層から認知されている感じです。

さん喬師匠はさすがという感じでした。録画放送を意識してか、かなりカットした部分も見えましたが、さすがという感じでした。

会場で、落研2年先輩の釣り亭金魚師匠にお会いしました。

地震

昨日の昼食時に、会社の同僚と、「そういえば最近地震が起こらないね。」と話していたところでした。

 ・・ところが、夜になって東伊豆(伊東)あたりで、地震が頻発していて、さらに今朝は震源地の異なる揺れも感じたようです。
私はちょうど、「朝シャン」(古い!)の最中で、「立ちくらみかなぁ。」と思いました。
と、このコメントを入力して、ちょっとおかしなことに気がつきました。

私は、「かな入力」(これも古い!)なのですが、「地震」を入れるのに、「ぢしん」と入力しても変換候補に出て来ません。えっ?まさかと思い「じしん」と入力してみると、「自身」「自信」の次に、「地震」が出て来ましたよ・・。

皆さんのパソコンはいかがでしようか?
ローマ字入力の方には関係ない話ですがね・・。

鴻池の犬

大富豪?の鳩山家の話題で盛り上がっていますが、落語には東西の富豪(豪商)の名前のついた噺があります。

200pxechigoya_signboard 江戸時代。まだ三菱や住友などの財閥が興るずっと前、大富豪と言えば「江戸の三井・大坂の鴻池」だったんだそうです。
そして、落語にも、「三井の大黒」「鴻池の犬」という噺があるのです。
また、噺の題名にはなっていなくても、例えば鴻池は、「御神酒徳利」や「莨(たばこ)の火」などに出て来ます。

その財力たるや物凄かったんでしょうねぇ・・・。

≪鴻池の犬≫
Dscn35372 捨て犬の黒が鴻池家の坊っちゃんの遊び相手として拾われたが、太って毛並みもいいので犬仲間の親分株となった。
ある日近所の犬たちが寄ってたかっていじめらていた犬を助けると、これが幼い頃に生き別れた弟。
さっそく鴻池の屋敷へ連れ帰った。
屋敷では「こいこいこい」と呼ばれるたびに鯛やカステラをいただくのだが、黒は、「俺は食い飽きているから、みんなお前が食え」と、全部弟に譲る。
そこへまた、「こいこいこい」  ぴゅうッと飛んで行ったが、しおしおと戻ってきて、「はは、坊ちゃんがおしっこするところ……」
≪鴻池の薀蓄≫
鴻池の地位を確立したのは10代目善右衛門(1841~1920)。動乱期の幕府の度重なる御用金の調達命令によく応えた。
版籍奉還・廃藩置県による資金の回収不能を持ちこたえ、1897年(明治30)鴻池銀行(後の三和銀行)を設置した。
長者番付では江戸の三井と並ぶ西の横綱である。

ちなみに、地下鉄の駅名に企業名が入っているのは「三越前」だけなんだとか・・・。
正式名称の後に○○前というパターンはありますが・・。


戦後落語史を読みつつ

610343吉川潮さんの「戦後落語史」を読んでいて、内容は全く異なるものの、どこかで出会ったことのある文章だなと感じました。

・・・さて、どこで読んだものだったかなぁ・・・と。
すると、意外なものであることに気がつきました。

何と、「仙都に笑いを~落研創部50周年記念号」で、私が担当して書いた部分であることに気がつきました。
要するに筆致が似ていると思うのです。

200906082204000_2 「戦後落語史(吉川潮)」
昭和50年5月、落語協会では、・・・・の三人が常任理事に任命された。現体制の強化を狙った・・会長の人事である。

「仙都に笑いを(金願亭乱志)」
昭和50年度の新入部員は、5名が生き残ることになった。そしてM女子短大
から単身入部を希望し、落研の門を叩いた女子大生がいた。

予想通り、落語界の60年を縦に俯瞰するにちょうどよい本だと思います

E5系新型車両

Hibari102 昔、東北新幹線が開通するまで、上野から仙台まで「L特急ひばり」で4時間20分かかりました。
早く新幹線が・・、と思っていましたが、私が仙台にいる間は、残念ながら開通できませんでした。


250pxjre_e5231 来年12月に東北新幹線新青森駅が開業するのに伴って開発された新型E5系車両は、空気抵抗を減らすため、先頭部分が通常車両よりも長くなっているのが特徴。東京-新青森間を最高速度320キロ・最短3時間5分で結ぶスピードに加え、乗り心地もよくなっているそうです。

2009年12月17日 (木)

やすらぎ寄席

2009121614070007

愛宕神社の隣の真言宗真福寺の本堂に、座布団と椅子が50席ぐらい。以前から気になっていた「やすらぎ寄席」に、やっと行くことができました。円楽一門会と立川流が隔月で出演しているようです。というより、三遊亭鳳楽師匠と立川ぜん馬師匠が中心の落語会のようです。毎月第3木曜日の開催で、今日は第155回ということですから、10年以上続いているんですね。

先日から読んでいる「戦後落語史」で、円楽一門会と立川流の接点を知りましたので、参考になります。
何と、出演予定だった楽之介・鳳楽の両師匠が休演で、愛楽さんが代演、竜楽さんが2席だそうで・・。
200912171807001 せっかく、圓楽師匠逝去後の鳳楽師匠の生の声を聴きたかったのですが・・・。

◆ 小噺         三遊亭好吉

◆ 反対車        三遊亭愛楽

◆ 富久         三遊亭竜楽

◆ 長短         三遊亭竜楽

Img_3 観客は30人ぐらいだったかな。
金屏風の後ろには、ご本尊のお顔が見えるという会場です。

落語の後で抽選会があり、ワインが当たりました。
それを見ていたのが、何と落研の先輩の古狂師匠で、閉演後に声をかけてくださり、近くの愛宕東急インのレストランで一献。
OB落語会のこと、落研のこと、三遊亭一門のこと・・・、色々話をすることができました。

愛宕山・愛宕神社

20091216141100131会社から歩いて10分足らずのところに、愛宕神社があります。

愛宕神社に上がる石段は「出世の石段」と呼ばれています。
その由来は講談で有名な(っていっても近頃は知らない人の方が多いけれども)「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなみます。

試しにこの石段を一気に登ってみました・・・・。
最近の運動不足もあり、かなり刺激的でした。ゼェゼエ・・・・。

下の写真は石段を登る前の景色。
2009121614120002 200912161418000左の写真は登り切って望むはるか下界?の景色。
それにしても
急な石段です。
これを馬で・・・というのですから、家光公も気まぐれな。

この近くの真福寺で、毎月「やすらぎ寄席」が開かれています。今月は三遊亭鳳楽師匠ほかの出演です。

戦後落語史

610343 吉川潮さんの著作「戦後落語史(新潮新書)」。税込735円。
「志ん生から談春まで。これ1冊で60年総ざらい。」という副題です。

紹介文では・・・、その時、円生が怒り、談志と志ん朝は動き、円楽は耐えた……。落語界最大の抗争、落語協会分裂騒動とは何だったのか。
志ん生、円生の復帰、ラジオ、テレビによる人気の沸騰、立川談志一門の協会脱退、寄席の衰退と復活。
落語史に残る大事件から、時代を象徴する噺家の栄枯盛衰まで。
四十年以上、「東京」の落語を見続けてきた演芸評論の第一人者による戦後落語史。
現在の落語界が見えてくる格好の入門書。

早速読み始めました。
何と言っても、学生時代の落語協会分裂騒動や、それ以降の斯界の数々の出来事を、おさらいしてみたいと思います。

・・・ただし、吉川さんは「立川流びいき」のはずだから、そのあたりは掛け目をかけて読み進めることにしましょう。

身の丈?

あるブログで見つけた、人間は自然体・生成りがよし。スーパーマンなどいないという話。

某国で一番の「肥満」と言われた17歳の少女が、胃のバイパス手術を受けて減量に成功したものの後遺症に苦しみ、手術を後悔していることが伝えられた。
この少女は2年前、医師に「減量しなければあと数か月で死ぬ」と言われ、手術を決意した。手術は成功し、100キロ以上の減量に成功したという。
しかし、減量した彼女を待っていたのは手術前を上回る苦痛だった。急激な減量でたるんだ皮膚がシワとなり、姿が見苦しいと悩むようになった。
それが原因で、現在はうつ状態にあるという。また、手術による後遺症で腹痛や下痢、さらには正常な妊娠ができないという問題にも苦しめられているという。

「手術したことを非常に後悔している」「手術しないで太っていたまま死んだ方がましだった」と周囲に話している。
一方、バイパス手術は減量の奥義ではないことを多くの人に知ってもらいたいとも語り、「私もやり直せるなら食事や運動で体重を減らしたい」と嘆いているという。(ココログニュースより)

そういえば、脂肪吸引手術で亡くなった人もいるそうです。亡くなったら、役所に「脂肪(死亡)届」を出さなくっちゃあいけません。

何にも、楽あれば苦あり。己を知る。無理をしない。ということでしょう・・・。
そのうち、太った人がもてる時代だって来るかもしれない。
ただし、生きているうちかどうかは分かりませんが・・・・。

2009年12月16日 (水)

12月16日

12月16日。
220px100_views_edo_044 1932(昭和7)年の今日、東京・日本橋の白木屋百貨店で火災があったのだそうです。
200pxshirokiya_fire 東急百貨店から、今は「コレド日本橋」になっている場所。
白木屋というのは、京都の小間物・呉服問屋として名が知られていた。1662年(寛文2年)に江戸の日本橋通三丁目に進出し、大村彦太郎によって創業。江戸支店が開かれた。江戸時代初期に小間物商から大呉服店となり、町人から大名・大奥までをも顧客とし、越後屋(現:三越)、大丸屋(現:大丸)とならび、江戸三大呉服店の一つであったそうです。

「白木屋火災が女性の洋風下着が普及するきっかけとなった」という説が有名ですが、真偽はともかく、大和撫子の奥ゆかしさの一端を語るものの一つなのでしょう。

恥じらい・奥ゆかしさなんていう言葉も、死語になるのでしょうか?

花緑・きく姫

Karoku2009_2_t あまり興味本位な言い方になってはいけませんが、柳家花緑さんと林家きく姫さんご夫婦が離婚したそうです。
・・といっても、花緑さんの祖父の五代目小さん師匠が亡くなったために、入籍せずに同居するという"事実婚"だったようで。・・・ですから、週刊誌的に言えば「破局」ですか。
以下の記事がありました。

落語界の大物カップル、柳家花緑(38)と林家きく姫(39)が今年5月に破局していたことが13日、分かった。
2001年12月に婚約を発表後、同居生活を送ってきた2人は、02年に結婚する予定だった。
F08c07808760a9a6ghが、同年5月に花緑の祖父で人間国宝にもなった落語家、柳家小さん師匠が死去し、入籍は延期に。お互い真打ちの忙しい身でスレ違いが続いた末、婚約状態のまま7年半の事実婚にピリオドを打った。


夫婦そろって噺家さんというのは、他にないと思います。講談の先生方ではご夫婦で講釈師という方もいたはずです。

ということで、ここではお二人がお別れあそばしたらしいということでおしまい。
・・・色々ある(あった)んだろうね。

劇画寄席芝浜

09121451wabzvyd9l__ss500_劇画・アニメ版の落語物も多くなりました。

辰巳ヨシヒロ著「劇画寄席芝浜」。

手塚治虫文化マンガ大賞受賞後の第一作目なのだとか。
既刊の物に比べ、画も分かりやすく、なかなかいいかも・・。

表題作ほか「宿屋の富」「悋気の火の玉」「抜け雀」「死神」……。
儲け話に目がなくて、金にも女にもめっぽう弱い。江戸の庶民は私たちに実によく似ている。劇画で甦る「古典落語」の豊かな世界。・・・という紹介文。
【目次】 宿屋の富・初天神・ぬけ雀・悋気の火の玉・五人廻し・明烏・死神・芝浜

まだまだ「落語ブーム」は続く・・・?

師走の風物詩

20091208180500017日から、浅草の羽子板市なのだそうです。
上野駅の中央改札の前にも大きな垂れ幕。

浅草寺の境内で開かれる羽子板市は浅草の風物詩として有名です。
羽子板市の当日には、浅草の綺麗どころが観光PRを兼ねて境内周辺を回るそうです。

羽子板市の起源は、古くは「邪気を跳ね返す板」として女の子の成長を願う風習からきています。

Hago020

現在のような浅草の羽子板市は明治中期、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」の主要商品として販売されていたのが始めといわれ、戦後の昭和25年頃には「羽子板市」の名で呼ばれ、歳末の風物詩として定着しました。

最近は、羽子板が何に使うものか、知らない人が多いでしようね。
女の子の正月の遊び道具。羽根突き遊びに用いる長方形の柄(え)のついた板。

羽根突きって?
Hago022羽子板(はごいた)で羽根(羽子)を突き返す正月の遊び。双方に分かれて羽根の受け渡しをする追い羽根と、1人で突いて数を競う突き羽根がある。

小さい頃、近所の子供たちで、羽根突きをやったものでした。
バドミントンみたいな感じかなぁ・・・。

落語の世界

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河出書房新社からの文庫化。柳家つば女著。

入門、稽古、昇進、しくじり、収入など、落語の世界で起こるさまざまな出来事をリアルに描き切った名著が復活。
巻末に落語事典も収録され、これから落語を聞く人にも、落語通にも必携の一冊。

つば女師匠は、五代目小さん門下の論客で、若くして亡くなったのが残念です。

マッチポンプ?

Σ(゚□゚*) 「マッチポンプ」という言葉があります。
調べてみると、「
マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」というように、自分でわざわざ問題を作り出しておきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれを解決することで賞賛や利益を得るような、偽善的な自作自演の手法を意味する和製英語で。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pump)は元はオランダ語

w(゚o゚)w 「天に唾する」というのもあります。
天を仰いで唾を吐けば、自分の顔に落ちてくる。人に害を与えようとして、かえって自分自身がひどい目にあうことのたとえ。 自業自得。

Σ(゚д゚;) 今のどこかの国の総理大臣にぴったりの言葉のような気がします
人は驕っちゃいけないなと思います。
「情は人のためならず」の全く逆さまですね。

(○`ε´○) 「高額子ども手当」といわれている母親からの政治資金提供も、実は政治とは関係のないお姉さんも受け取っていたということらしいので、政治のために母親が・・、というのではなく、単なる相続対策じゃないの。
これじゃあ、子を思う母親の美談にはなりませんなぁ。
それならば、脱税ということになりゃしませんか?

(;´Д`A ``` 「全て秘書がやった。私は知らない。」・・。散々批判して来た本人が、そりゃあないでしょう。
良くも悪くも、開かれた野次馬民主主義の時代に、こんな多額な資金の流れなど、
多くの「野次馬之助」の感覚からはかけ離れているという訳ですね。

2009年12月15日 (火)

落語のこと少し

4000024264 「志ん生や文楽の落語を聴いて,青春を燃焼させ,人生を教わった」と語る評論家・矢野誠一。
落語をこよなく愛し,真摯に向き合ってきた著者の筆致は,温かく,そして深い。
志ん生をはじめ噺家の可笑しく哀しい素顔,知られざる名人藝の魅力,多彩な切り口の落語論など,自選50編収録。
愛好家待望の落語エッセー集。

著名な評論家の矢野誠一さんの近著「落語のこと少し」。
岩波書店。2100円。

思わず手にしてしまいましたが・・・。

ネタ本作り

Img_0002 浜野矩随ショートバージョンのネタ本も、7割方出来つつあります。

限られた時間の中で、あれだけのドラマを、漏れなく的確に、さらに心に訴えながら語ることが出来るでしょうか・・・。

でも、どうも今までの私のパターンは、ネタ本首っ引きというやり方ではありません。
ネタ本にメモしたり、加除訂正しながら仕上げる人や、筋や台詞は覚えたのにネタ本を手放さない人も多い気がします。

それに比べると、「子ほめ」も「三方一両損」も「ねずみ」も「浜野矩随・フルバージョン」も、あまり見た記憶がありません。
今取り組んでいる「浜野矩随・ショートバージョン」は、基本的にはフルバージョンをカットするだけですから、そんなに苦痛にはならないでしょう。
が、それだけに、一言一言の言葉を、几帳面に作り上げる必要がありそうです。

うまや怪談

045266  これも、落語そのものではありませんが、落語をネタにしたミステリー。
著者の愛川晶さんという方は、同年輩で、落語への造詣も深いとのこと。

どなたかのプログでの紹介文を見つけました。

『落語会の準備にいそしむ二つ目の「八っちゃん」に、奥さんがふと漏らした不可解な「事件」。ふとしたきっかけから落語のネタが転がって、高座に上がれば事件も解ける。一石二鳥の大好評「本格落語」シリーズ第3弾!』(原書房Webサイトより)

041527Dogu_2  『道具屋殺人事件』『芝浜謎噺』につづく愛川さんの落語ミステリー第3作です。『道具屋殺人事件』で落語初心者を古典落語の世界に誘い、『芝浜謎噺』では落語ファン、ミステリーファンを泣かせ、そして今度のメインディッシュは、なんと、あの有名な『厩火事』をベースにしたホラーです。

〈愛川晶〉1957年福島生まれ。筑波大学卒業。94年「化身」で鮎川哲也賞を受賞。落語への造詣が深く、本格落語にミステリーを融合させた「道具屋殺人事件」は演芸関係者からも高く評価された。

最近読書量が極端に少なくなっていますので、やはりこういう世界のものを読んでみるのも良いかな、とも思います。


2009年12月14日 (月)

極月14日

今日は「忠臣蔵の日」?

103 1702(元禄15)年、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。
1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、幕府の礼式を司る高家筆頭の吉良上野介義央に小刀で切りかかるという事件が起った。浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたが、吉良には一切のお咎めがなく、これが事件の発端となった。
家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなるが、当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)。

それから、1911(明治44)年の今日、ノルウェーの探検家・アムンゼンと4人の隊員が人類で初めて南極点に到達した日でもあるそうで、「南極の日」とも言われているようです。

あぁ、それで12月を「極月」と言うんですね。

女子柔道

どんな位置付けの国際大会なのかは知りませんが、「柔道グランドスラム2009」女子は、全階級で優勝でした。
Judoh091213_oth_judo_nakamura_180 それにしても、例えば、福見友子選手や中村美里選手の表情や態度が素晴らしいと思います。

若いながら、今までの艱難辛苦をしっかり受け止め、努力を怠らず。
従って、勝っても舞い上がることなく、淡々としている。
これ、もしかすると、日本人の心の奥底にある「武士道」ではありませんか?

最近は、取り巻きにも影響を受けて、タレントみたいになっているアマチュアスポーツ選手多い中で、清々しさを感じると同時に、二人とも美しく見えましたよ。

それに比べて、本人もかわいそうですが、鈴木桂治選手は痛々しい・・・。
申し訳ありませんが、どう見ても、よく決勝まで残ったなぁ、という感じでした。

窓輝さんから

Img_2 三遊亭窓輝さんから、1月7日の真打昇進記念落語会の案内状(DM?)が届きました。

チケットは圓窓師匠経由でお願いしてあります。

入門15年での真打昇進。
本人も力が入っているようです。

記念品

Img_0001 今月初、前の会社で、退職者の慰労懇親会を催してくれたのですが、仕事で突発的な用事が出来てしまい、当日出席をドタキャンすることになってしまいました。

その記念品ということで、数点の中から選べるということで、牡丹の小額を選びました。

2009年12月13日 (日)

掛け取り美智也

TBSラジオ「らんまんラジオ寄席」で、市馬さんの「掛け取り」を聴きました。

Ichiba372 この噺を、生で何度聴いたでしょうか・・?

相変わらず、スケールが大きいというか、図々しいというか、三橋美智也の出て来る掛け取りが、ラジオからも、楽しく聴こえて来ます。

そういえば、大空遊平・かほりのご両人、あまり聴かないネタをやっていた気がします。
いつもより、遊平さんが頑張っていたので、観客は疲れたんじゃないか?と思います。

☆赤い星★

強いて言えば、サッカーより野球、阪神は嫌いでシャイアンツという私ですが、先日の阪神赤星選手の引退会見には驚きました。

12月9日、プロ野球阪神タイガースの赤星選手が現役引退を表明した。引退の直接の要因となったのは、9月12日の試合でダイビングキャッチをした際の中心性脊髄損傷。33歳という若さでの引退に、赤星選手本人も“まだできる”という思いと、“プロとして100%の力でプレーできない”という現実の狭間で、引退を決断したという。

゚゚(´O`)°゚ とてもつらい選択だったと思います。
精一杯努力をし、体力的なハンデを克服して来た選手ですから、とても悲しい・・。
天賦の才能に甘えて、怠惰な行き方で身を持ち崩す人も多い中で、ねぇ・・。

花形演芸会のチケット

Img 1月の国立演芸場の定席以外のチケットの発売日。

来月は、上席が新春特別公演「国立新春名人会」がありますが、カレンダーの巡り合わせが良くなく、行かれそうにありません。

そこで、1月23日(土)の「花形演芸会」にターゲットしてみました。

午前10時ちょうど。
国立演芸場のHPから、インターネット予約をと。
「あぜくら会」の分は売り切れていたようなので、「NTJ会員」にログインしました。
幸運にも、まだチケットがあり、「しめた!」と、オペレーションを進めます。
そして、最後の決済のところ。いつものようにクレジットカードを選ぶと、「カード登録内容相違」・・・?
「そうだった。カードが更新されて、カードの期限が変わったのに、変更登録をしていなかった!」・・・。
・・・泣く泣く、予約を中断。再度ログインしようとしても、どうやら予定数終了の様子。

市馬さん、菊之丞さんとは縁がなかったか・・・。
カードの登録の変更を済ませてから、駄目でもともと、再度ログインすると、何とチケット発売中。おかげさまで、諦めていたチケットをゲットすることができました。

2009年12月12日 (土)

国立演芸場12月中席

5190_1 師匠の「水神」がお目当ての国立演芸場の12月中席です。

雨上がりの快晴で、温かく清々しい日和です。
上野から「御成街道」を歩いて日本橋まで。

◆ 道灌      古今亭志ん坊

◆ 権助芝居   三遊亭金兵衛

◆ 真田小僧    三遊亭萬窓

◆ 悋気の独楽   柳家小里ん

◆ 笠碁       柳家小さん

◆ 水神       三遊亭圓窓

200912121445000 志ん坊さんは、好感の持てる前座さんで、今日もしっかりした噺を聴かせてくれました。

膝返しのニューマリオネットの奥さんが出ず、ご主人一人での舞台でした。

200912121446000 圓窓師匠は、マクラもたっぷり1時間の長講でした。
何と言っても、国立演芸場ならではと言っていい照明の演出が良かった。
高座の後ろにスクリーンを下ろして、あまり派手すぎないように背景を入れ、照明やスポットも有効に使いながら、美しくも儚いストーリーを語ります。
師匠は、予想通り、黒い紋付の着物と羽織、さらに黒足袋を履くという憎い演出。
最後の夕焼けのシーンは、スクリーンを赤くするのみならず、赤いライトを客席にも向けて、場内を真っ赤な夕焼けの中に溶け込ませます。
「おこぅ~、おこぅ~」と羽ばたく仕草をしながら仕草を止め、その直後場内を暗転させます。
拍手が起こったところで、照明が戻り、追い出し太鼓。師匠が「ありがとうございます。ありがとうございます。・・・・」。「赤富士」の緞帳が下りて・・・。

一緒だった友人は、朝日名人会でも聴いているのですが、「今日の方がずっと良かった。」と感嘆しきりでした。

今年の漢字

Index1 今年の漢字というのが発表されて、『新』なんだとか・・・。

去年は『変』でしたよ、確か。

個人的には、やや違和感がありますね。
『新』の次に多かったのが『薬』だったそうで、のりぴーやらインフルエンザ等からなのでしょう・・・。
その次が『政』・・・。

さて、自分にを振り返ってみると・・・・、何になるでしょう・・・。

このプログのデザインにも関わりますが、『節』かなぁ・・・。
職場が変わった、落研の50周年があった・・・。

噺の発掘「ほうじの茶」

「落語」創刊号に面白い記事がありました。

Img_0001 保田武宏さんの「噺の発掘」というテーマ記事の第1回が、「ほうじの茶」という噺です。(創刊号だから第1回は当たり前です。)

この中で、保田さんは、圓窓師匠を絶賛しています。
時あたかも、師匠が「圓窓五百噺」という壮大なプロジェクトにチャレンジを始めて、ちょうど150席目ぐらいの佳境にある頃です。

そして、キングの「昭和の名人古典落語名演集」というシリーズで9巻出ている圓窓師匠のCDの第1巻目に、この「ほうじの茶」があるのを知りました。
しかも、この音源、昭和53年6月の録音ですから、この評論のまさにリアルタイムではありませんか。
早速聴いてみると、「落語三遊協会」という言葉も出て来ます。
そうです。「落語三遊協会」の立ち上げが昭和53年の5月。圓窓師匠も、圓生師匠と行動を共にされましたから、この音源は、「落語三遊協会」誕生1ヶ月後のものということです。

この噺で驚くのは、圓窓師匠が声色にチャレンジしたり、幇間が出て来たりで、およそイメージと違う噺を演っていることです。
ご自身も噺の中で、声色などは得意ではないが、とても面白い噺なのでチャレンジしたと仰っています。

また、私の中で、「古い本」と「落語界の歴史」と「今現在」が繋がりました。

楽しい・・・。

浜野ショートバージョン

Ph5001 風呂に入りながら、とりあえずイメージしているショートバージョンをさらってみました。
尤も、さらうというより、一通り棒読みのように喋ってみたのですが、所作も入らずで、ちょうど20分というところでした。

・・・ということは、もっと削らないといけないのですが、これ以上だと、ただストーリーを追うだけになってしまうのでは、感情移入ができないのでは・・と、やや心配です。

とはいえ、できないこともなさそうですから、磨き・削ぎという作業を繰り返すことでしょう。

赤坂青山寄席

Img 古今亭志ん輔師匠の事務所「華のん企画」からDM。

恒例の、シェークスピア作品の翻案の落語をネタ下ろしする会なのですが、今回は「マクベス」の翻案で「小豆の仇討」。

3月13日(土)。まだ随分先のことですが、予約しよう・・。

2009年12月11日 (金)

「落語」創刊号に寄せて②

続いて、「『落語』創刊号に寄せて」で、落語三遊協会会長の三遊亭圓生師匠のコメントです。

20091122k0000m040029000p_size5 (・・前略・・・)まだまだ落語というものを取り上げて頂けるという事は、落語家自身も心からよろこぶべき事だと思います。
落研というものもあり、各学校で取り上げて下さるし、それに新しく「落語」が創刊されるという、この機会に落語家も奮起して、本当の"よき落語家"を作らなければなりません。
楽しみに落語を演っているのではなく、我々はこれを営業としているのである以上は、プロであるから真剣に取っ組んで、落研の学生さんより下手では困ると思います。
これから老骨にムチ打って若い人達に負けぬよう勉強を私も致したいと思っております。

このコメントには、新しい本の創刊への祝辞のような雰囲気はなく、斯界の現状と将来を憂え、孤軍奮闘を覚悟している気持ちが伝わるような気がします。

本書が発売されたのが昭和54年8月頃ですから、このコメントは、5~6月頃に書かれたものでしょう・・。(書いたというより、師匠の口述をそのまま転記した感じですが。)
そうすると、この年の9月3日に、千葉習志野で、志半ばで急逝される約3ヶ月前のことですね。

師匠の「水神」

明日から15日(13日を除く)までの4日間、圓窓師匠が国立演芸場の中席でトリをとります。

ネタ出しがされていて、菊田一夫作「水神」です。

200906252100000 今年の師匠の当たりネタのひとつだと思います。
「水神」は、東京落語会と朝日名人会というメジャーな落語会のトリで、ピアノとのコラボレーションでテレビ放映されたりで、もとは菊田一夫が三遊亭圓生のために書き下ろした作品ですが、現在は「水神=三遊亭圓窓」と言っても過言ではないでしょう。

しかも、国立演芸場では、最後の夕焼けのシーンに演出を凝らすそうですから、大変楽しみです。

私は、12日(土)に友人を誘って行く予定です。

極一席1000

ソニーの「来福」レーベルの新しい落語CDシリーズ。

全20タイトルが一斉に発売され、すべて各1,000円です。

【古今亭志ん朝】〜明烏・船徳・居残り佐平次・お見立て・愛宕山・火焔太鼓
【柳家小三治】〜粗忽の釘・初天神・時そば・味噌蔵
【立川志の輔】〜みどりの窓口・はんどたおる
【春風亭昇太】〜ストレスの海・力士の春
Img【三遊亭小遊三】〜大工調べ
【金原亭馬生】〜そば清
【柳家花緑】〜笠碁
【桂文治】〜湯屋番
【桂歌丸】〜井戸の茶碗
【柳家さん喬】〜ちりとてちん
【柳家権太楼】〜不動坊火焔

志ん朝師匠がダントツです。いずれも十八番だといわれている噺です。
その他の噺家さんのも、相応に得意としているもののようです。
・・・ということは、どこかで聴いたことのあるものばかりということも言える訳で。

それよりも、同時発売の「決定盤!寄席囃子100」というのが良さそうですね。

2009年12月10日 (木)

12月10日

昭和43年12月10日。
3oku あの「3億円強奪事件」が起こりました。
子どもごころに、テレビや映画の中のようなことが現実に起こったことと、3億円という想像もつかない金額に驚いたものでした。
当時、犯人検挙率も高く、世界で最も優秀な捜査を自認する警察でも解決できませんでした。
別件で容疑者を逮捕したこともありました。
・・今は、そもそも多額の現金を積んだ車などが走っていること自体が少なくなりましたが・・。
いずれにしても、犯人はいる(いた)はずですが、どんなふうに生きていたのでしょう・・。

落語なら、この犯人が、悪い奴等に苛められている人を助け、お金をあげるんです。
ところが、そのお金には、出所がわかる細工(お札の番号を記録)がされていて、もらった人が使った途端に御用となってしまう。
でも、捕まった人は、
恩を感じ、拷問を受けてもお金の出所は決して口に出さない・・。
そんな話が犯人の耳に入る。
観念した犯人は、罪のない人を解放させるために名乗り出る・・。
まるで「蜆売り」の世界です。

落語には、本当に悪い奴はいない。
どこかの国のサッカー選手のような。
人の道のために、知られないことであっても、自ら明らかにして行く。
スポーツマンシップというのも、こうだったはずなのでは・・?
ワールドカップサッカーには、こんなちっぽけな正義漢は不要なのでしょうかねぇ。

話が脱線してしまいました。
・・あれから、41年経ちました。

浜野矩随リストラクチャリング

C3c7deba515d2f17c25f3abab717aa3c 落語っ子連発表会に向けて、「浜野矩随」の短縮版を作らなくてはいけません。
先月のOB落語会の時のネタから約4割カットしないと、20分で完結できませんから、部分的に台詞をカットする程度では、とても間に合いません。

普通は、テープなどを元にネタ帳を作るのですが、今回は、自分の喋りを短縮・カットしながら、ネタ本を作り上げて行きます。

「名人は上手の坂をひと登り」というフレーズのマクラでの仕込みをやめ、オチも師匠から頂戴したバージョンにすれば、骨組みがかなり変わります。
また、元ネタの圓楽師匠の蘊蓄を含ませた台詞も出来るだけカットし、自分の言葉でシンプルに進めることと、会話のやり取りも工夫して減らすことで、何とか25分ぐらいまでにはなるでしょう。

・・・問題は、あと5分です。
きっと乾いたタオルを絞るような作業が必要だと思います。
これが出来れば、限りなく私のオリジナルの作品・ネタになると思います。

落語CD昭和の名人≪25≫

Img_0002 このシリーズの配本も、今回を含めてあと2回を残すのみ。

今回は、九代目桂文治・九代目鈴々舎馬風・柳亭痴楽・春風亭柳昇という、新作落語や個性的な高座で人気のあった師匠4人。

リアルタイムで知っているのは、「私は、春風亭柳昇と言いまして、大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、わが国では・・・・、私一人であります。」と笑わせた、とても噺家さんとは思えない"滑舌"の師匠です。

   ◇ 大蔵次官    桂文治

   ◇ 権兵衛狸    鈴々舎馬風

   ◇ ラブレター    柳亭痴楽

   ◇ 結婚式風景   春風亭柳昇

痴楽師匠は、50歳そこそこで病気になり、ずっと闘病を続けていたし、「よく来たな。まぁ座れよ。」なんていう毒舌が人気だったという馬風師匠も60歳を待たずに亡くなるなど、本当に惜しい気がします。

このシリーズも、次回の「三代目桂三木助」が最終回です。

止め名

「止め名」について、もう一度整理をしておくことにします。

Encho4_s ①止め名(留め名)
 落語界で、一門あるいは同亭号の最高位の名跡。 この名跡を襲名すると、隠居名への改名以外は、それ以降他の名跡を襲名することはありません。
 江戸落語では、桂文治・三笑亭可楽・三遊亭
生・柳家小さん・古今亭志ん生・林家正蔵など。
 上方落語では、桂文枝・笑福亭松鶴・桂米團治など。

②止め名
 大相撲の四股名で、二度と使われないことになっている名前。
 野球の永久欠番のようなものでしょう・・・。

三遊亭生という名跡は、上記①の意味ならば、何ら疑いのない「止め名・留め名」なのです。が、最近の「止め名議論」は、②の意味を巡ってのものなのですね。

①の観点で考えると、最高位の名前で、これ以上襲名すべき名前はないのですから、普通は、30歳そこそこの若手の噺家さんが襲名することはないということで、周囲から認められない人が襲名するなどという可能性は少なく、一応の歯止めにはなっていると思います。

また、こういう大名跡は、例えば、「小三治→小さん」とか、「
窓→(橘家)蔵→生」など、出世魚でなく「出世名」というのがありますから、本当は、あまり揉めないはずですが、色々予想外の出来事もありますから・・・。一門の中での跡目争いや遺族の意向など・・・いろいろと。

むしろ本当に悩ましいのは、ある噺家さんが一代で大きくした名跡の継承ではないでしょうか?
三遊亭
朝なんていうのは例外中の例外でしょうが、古今亭志ん朝などはねぇ・・・。
個性が強くて、インパクトがあるので、かえって難しいかもしれません。

2009年12月 9日 (水)

落語百選≪31≫

Img_0001 三遊亭圓生だの、柳家小さんだの、大看板だの、止め名だの言っていますが、冷静に考えてみると、江戸落語で、これらより大きな名前が、何のトラブルもなく継承されているのは、何とも皮肉な感じがします。

三笑亭可楽、山椒は小粒でヒリリと辛い・・・・。
今の九代目可楽師匠の先代の八代目可楽師匠。玄人に絶大な人気のあった師匠だったそうです。

山谷(さんや)・・・・。
江戸・東京の中で、この街ほど変貌した街も少ないと思います。
かつては吉原近くの寺町、明治以降は日雇い労働者の街になり・・・・。
私のイメージは、♪今日の仕事はつらかったぁ・・・♪という、何とも切ない世界です。

  ◇ 強情灸   三遊亭歌武蔵

  ◇ お見立て  五街道雲助

12月9日

12月9日・・・。

太平洋戦争開戦の翌日だというのが、かなり忘れられたとはいえ、一番知られているイメージかもしれません。

270pxbankoftokyomitsubishiufjosaka0 12月9日は、私の記憶が確かなら、今はなきS社の創立記念日だったはずです。
今から80年近く前のこの日、同業の3社が合併して、業界トップの企業が誕生したのです。

・・時は流れ、前世紀末頃の業界再編の波による合従連衡で、名前も中身も変わってしまいました。
が、三つ子の魂なんとやら、生み育ててくれた環境が染み付いた身体は?、なかなか変わらないようです。

・・・そして、今日は、我が愚娘と皇太子妃の誕生日でもあります。

大名跡襲名?

三遊亭生の襲名を巡っては、楽師匠のご逝去をきっかけにして、色々な議論が明らかになりつつあるようですが、生以外にも、襲名が楽しみな大名跡があります。

何と言っても「古今亭志ん生(と古今亭志ん朝)」でしょう。
200901292249000 噂によれば、かなり信憑性の高い噂として、○○師匠に決まりつつあるようです。
その噂が正しければ、それは納得できるもので、楽しくなって来ますよ。
以前、鈴本演芸場のトリだった時に、紙切りの正楽師匠に「○○師匠!」と注文して切り抜いてもらいました。
さて、この古今亭一門の噺家さんは誰でしょう。

それから、「春風亭柳枝」。
八代目が亡くなって、もう50年になります。柳派の大看板です。
聞けば、もとは八代目の弟子だった三遊亭
弥師匠が、九代目を襲名したいと遺族にお願いに行ったところ、同意が得られずに諦めたということがあったそうです。
その
弥師匠も亡くなってしまいました・・・。

噺家さんのご遺族の対応も色々で、「自分の先祖の名前を名乗ってもらえると、故人のことも見直されるので有難い。」と、喜んでもらえる場合もあれば、「自分の先祖が(苦労して)大きくした名前だから使わせたくない。」とか「先祖が名乗るのに金を使ったのだから・・。」なんていうこともあったんだそうです・・・。
名跡は誰のものか・・、難しいものです。

2009年12月 8日 (火)

三遊亭窓輝真打記念落語会

三遊亭Img窓輝さんの真打記念落語会のチラシが手に入りました。

圓窓師匠にはあまり似ず?(すみません)、かなりのイケ面です。

昨年あたりから、真打昇進を目指して、池袋演芸場で独演会をやるなど、力をつけてきた感じです。

来月の記念落語会では、圓窓師匠は勿論、兄弟子の吉窓さん、橘家圓蔵・三升家小勝の両師匠が、口上をやってくださるようです。

「落語」創刊号に寄せて①

Img_0002_2 またまた驚きがありました。

専門誌「落語」の創刊号巻頭に、「『落語』創刊号に寄せて」という記事があります。
当時の落語芸術協会の桂米丸師匠の以下のようなコメントを見つけて、びっくりしてしまいました。

つい先日、あるTV局主催の全日本学生落語名人戦が行われ、その審査員の一人を務めた。学生諸君の熱演は活気を呈し、なかには自分で作った落語を披露し、やんやの喝采を浴び、審査員一同も圧倒された。・・(以下略)・・

これは、日本テレビが主催していた、「第2回・全日本落語名人位決定戦」のことだと思います。確か、この時の優勝者が、東海大学の落研にいた、現春風亭昇太さんではないかと思います。
私は、記念すべき第1回に出場したので、米丸師匠が仰る熱気や雰囲気がよく分かります。
私が出場した時も、米丸師匠は審査員として、客席の正面に座っていらっしゃいました。
私は、同じく審査員だった柳家小さん師匠から講評を頂戴したことは、以前もご紹介したとおりです。

今までは自分の記憶の中だけにあった出来事が、客観的な資料などで裏付けされることは、ささやかながら、私も歴史の1ページに一瞬関わっていたということで、ドキドキして来ますね。

されど、鶯は鳴きやまず

江戸家小猫さんが四代目猫八を襲名し、襲名披露を行っています。

M970497070619 先代も良く知っているので、親子の名跡の継承は、当たり前との思いも含めて、まことにおめでたいものです。
小猫さんの高座?は、非常に清潔感・好感があり、これが人気の元だと思います。
その四代目の著書「されど、鶯は鳴きやまず」。
噺家さんではありませんが、採り上げてみました。

200909000526 「オレが八十八になったら、猫八を継ぐというのはどうだ。そうしたら、俺は八十八(やそはち)と名乗るから。」(本書より)

生前、三代目江戸家猫八息子・小猫に告げてから十数年―。
今年がその三代目米寿の年であり、小猫は還暦を迎える。「伝統芸」を受け継ぐこととは何か―。動物のものまねで知られる「江戸家猫八」の屋号。2009年11月1日、実の息子である江戸家小猫が、四代目を襲名することで「親子三代」となった。ものまね界での親子の名跡襲名披露興行は史上初となる。「伝統を受け継ぐ」ことの重みと覚悟、森の中で鳥の声に耳を澄ませ、アフリカの大地でライオンの堂々たる姿にじっと目をこらす…ウグイスの鳴きまねや、さかりのついた猫のものまねをはじめ、代々の至芸として親子で培ってきた動物ものまね、そして父と子の深い絆を四代目江戸家猫八が綴る。

一番寄席の色物らしいと言える芸だと思います。
上方の大ホールでなく、江戸の寄席だから輝く芸なのだと思うのです。

「浜野矩随」に触れ、圓生襲名の問題を考えると、芸や技術の伝承の難しさを痛感するのですが、誰からも文句のない襲名で、ホッとします。

2009年12月 7日 (月)

「四天王」の勢い

Img_0003 「落語」創刊号の裏表紙。

「明治の人は志ん朝を聴けなかった」というフレーズは、かつて演芸評論をして活躍されていた山本益博さんの刺激的な言葉です。

四天王と呼ばれた、アラフォーの志ん朝・圓楽・談志・円鏡(現圓蔵)の各師匠の勢いが偲ばれます。

・・・今ならば・・・、喬太郎・談春・菊之丞・三三というところなのでしょうか・・・?も

円朝をめぐって

32339826 駄馬師匠から、面白そうなイベントを教えていただきました。

直木賞作家で、「円朝の女」の作者松井今朝子さんの講演会です。
先着順なのでわかりませんが、とりあえず申し込みしてみました。。 

≪お茶の水図書館文化講演会≫

日時    2010年1月23日(土)13:30-15:00
場所    池坊御茶ノ水学院6階講堂
       千代田区神田駿河台2-3
演題    「語りと文芸ー円朝をめぐって」

「落語」創刊号

Img_0002 先日久しぶりに神田神保町へ行きました。
天気予報どおり、かなり強い雨が降っていました。
レトロな建物と演劇・演芸・映画関連の古書店で有名な矢口書店で、雑誌「落語」の創刊号を見つけました。
創刊第2号も持っていますので、すぐに手が出てしまいました。

創刊は、1979年の夏。ちょうど30年前。国立演芸場のオープンと、私の就職と同じ年です。
巻頭のグラビアに"国立演芸場オープン"が特集されています。
"創刊号に寄せて"として、4人の師匠がコメントを寄せています。
落語三遊協会・三遊亭圓生、落語協会・柳家小さん、落語芸術協会・桂米丸・上方落語協会・桂春団治の各会の会長である師匠方です。
ということは、この創刊号が出た直後に、圓生師匠が急逝されたということですね。

この創刊号の話題を少し展開して行くことにします。

日本人が忘れちゃいけない・・

4584122288 この本は、以前に紹介したことはあるのですが、なんと私が登場している本なので、改めて勝手に宣伝したいと思います。

本書の内容紹介文を見ると・・・。

日本人にこれだけは覚えておいてほしいという願いを込めて厳選した約25の噺について、現代人に通じる古くて新しい解釈を披露する。
「正直であること」「欲張らないこと」「夫婦喧嘩を大いにすること」「年をとったら堂々と赤ん坊に戻ること」」「生き死にの冗談は言わないこと」等、現代日本が忘れてしまった美しい心を笑いとともに取り戻す。
幻の名演《替わり目》特別CD付き。

私(流三)が登場するのは108ページ。
師匠との「三方一両損」のオチの創作の部分です。
お白洲で膳を食べ、「多かぁ(大岡)食わねぇ」「たった一膳(越前)」と言うところを、ストーリーに必然性がないので変えようという・・・。

そこで、越前守が二人を引き止めて、「毎日喧嘩ばかりせず、(今回のように)」正直を続け、善を尽くせよ。」と言うと、「多かぁ(大岡)できねぇ。」「一日一善(越前)」としました。

2009年12月 6日 (日)

国立演芸場上席

Img_0001 池袋でこり生さんと狂楽さんと別れ、東池袋から有楽町線で永田町へ。
元々知人を誘って行く予定でしたが、何でもインフルエンザにかかってしまったとかで、一人寂しく?国立演芸場。

それにしても、この不入りは何なんでしょう!
開演時の観客は、3〜40人ぐらいではなかったでしょうか。愕然。
落語初心者の知人を連れて来なくて良かったぁ・・と思いましたよ。

   ◆  やかん       桂宮治

   ◆  肥がめ       瀧川鯉橋

   ◆  大安売り      春風亭昇之進

   ◆  宿屋の仇討    桂伸治

      ◆   源平盛衰記       桂平治

      ◆   お見立て            三笑亭夢太朗

200912061236000 前にも言いましたが、芸術協会の若手は、噺の作りが雑な感じがします。

聴き飽きるぐらい聴いている平治さんと、講談の神田陽子先生、色物の林家花さんと宮田章司さんで、何とか納得して家路につきました。

紙切りの林家花さんは、去年から寄席に出始めたそうで、相変わらず美人ですね。
まだ寄席に出る前、窓輝さんの会で初めて見た時は、注文にも応えられず、おしゃべりも出来ず、可愛いだけでしたが・・。

東京書作展

200912061121000 落研の同期の二代目多趣味亭こり生さんは、物理の先生で、若い頃から書道に精進していて、度々作品が展示されています。
先月のOB会の時に招待券をいただき、約束していましたから、作品鑑賞に出かけました。
会場は、サンシャインシティ内の文化会館。

200912061128000こり生さんの作品がどこに展示されているか聞いていなかったので、広い会場を片っ端から見て回ったのですが、半分ぐらい回ったところでも見当たらず、疲れが出始めた時に、狂楽③さんと一緒のご本人にばったりと会いました。

200912061131000皮肉にも、パソコンのモデムが故障して、出かけるのが遅くなったのが功を奏したようです。

ご本人に力作の前まで案内してもらいました。
何て書いてあるのか聞いてみましたが・・・、忘れました。

こり生さんの今の地位は、噺家さんで言えば、ベテランの二つ目さんぐらいなのだそうで・・・。芸名でなく、号は「溪山」だったかなぁ。
そうか、彼も本名以外の名前を2つ持っているんですね。

二人はこれから昼食に行く様子でしたが、私は国立演芸場に行く予定だったので、残念ながら、暫く立ち話をして会場を後にしました。

パソコン復旧

やはりモデムの故障でインターネットが繋がらなくなっていたようで、機械をそっくり替えてもらい、無事に復旧しました。
もはや日常生活の必需品になっているのを痛感しました。

窓門会

200901050000000 三遊亭圓窓一門の後援会「窓門会」から、会費の振込票とグッズが送られて来ました。
今年は、師匠の著書「日本人が忘れちゃいけないこの落語」でした。
新書版で、ミニCD「替り目」付きで900円のもの。
そして、前にもご照会しているとおり、この108ページに、流三が登場しているのです。
(この本の紹介は、別稿でやります。)

その他、師匠ご出演の落語界のチラシと、来春真打昇進の「窓輝さん」の昇進記念落語会のチラシも・・・。

今おもしろい落語家ベスト50

Img_0004 文春ムック「今おもしろい落語家ベスト50」。980円。

「ベスト何」とか、「何とかランキング」とかいうのは、あんまり好きではありません。

斯界のことを知るというぐらいの気持ちで買ってみました。

史上初の大アンケート。落語好き523人に聞きました!
ケチをつけるつもりはありませんが、500人あまりで「大」アンケートと言えるでしょうか?
この程度の母数のデータで、業界全体を語るのは・・・。
それならば、例えばホリケンさんや広瀬某さんのように、個人的なランキングを出した方が、かえってミスリードしないですむと思います。

このランキング上位の噺家さんを否定する訳ではありません。否、実力はそれなりに認めています。
だからこそ、どんな基準の500人かも知らない人たちの意見だけで、「この人たちだけが落語界の顔だ。」みたいなことは言わないで欲しいと思うのです。

もっともっと、目立たないけれど、上手い噺家さんはいるはずです。

2009年12月 5日 (土)

六代目未亡人の"遺言"

Img_0001_3  ある意味で落語界の歴史の大きな1ページとなるであろう1枚の文書。

昭和の名人六代目三遊亭圓生師匠のおかみさんの"遺言"が書かれているものです。
あの文書をもとに、今議論されている襲名問題を俯瞰してみることにします。


はな夫人は、夫の圓生師匠が、真打問題から落語協会を脱退して落語三遊協会を立ち上げたものの、寄席の反対などで所期の目標は達せられず、文字通り老骨に鞭打ちながら、地方の落語会やホール落語会に東奔西走していた姿を見て、その苦労を目の当たりにしましたから、この上名跡襲名問題でゴタゴタするのが嫌で、「自分の目の黒いうちは、圓生の名跡は誰にも継がせたくない。」という気持ちだったのでしょう。
そこで、「自分の遺言として、圓生の名は再び世に出さない。」という表現で、この文書を作ったのでしょう。(尤も文面は圓楽師匠が考え、文も代筆しているようです。)

P1000060_2 そもそも、圓生の名跡の取扱いについて、はな夫人が権利を持っている訳ではなく、また相続財産でもないはずですから、圓生の名前を止め名にして欲しいという、未亡人の希望でしかないと思われます。
現に、稲葉元法務大臣も、これは法律的には何の意味もないようなことを仰っていたそうです。
立会人の方々も、「はな夫人の気持ちは分かりましたよ。」という程度のもので、いずれ来たるべき日が来れば・・、というのが本音だったのではないかと思います。
この方々にも、止め名することを決めることなど出来ないし、周囲が認められないでしょうし。

圓楽師匠は、各方面からの毀誉褒貶が相半ばする師匠なのですが、「自分は、圓生師匠の総領弟子として、師匠に最後まで仕え、師匠亡き後も、その遺志を継いで一門を守った。しかるに、他の弟弟子たちは、師匠が亡くなると、また元(落語協会)に戻ってしまった。だから破門だ。自分の一門だけが正当だ。自分の意思イコール三遊亭の総意なのだ。」と考えておられるようなところがある気がします。円楽一門会所属の噺家さん以外は三遊亭一門ではないという・・・。
従って、師匠から全てを継いでいるのは自分一人だけなのだから、私の言うことが正しいと・・・。
P10000591 確かに、寄席に出られない弟子たちのために、私財を投げうって寄席「若竹」を作ったり、ご苦労は半端ではなかったとは思いますが。

止め名にするにしても、(止め名を解いて)襲名があるにしても、そしてそれが誰であるにしても、関係者が原点に戻って、しっかりと話し合うことが全てだと思います。

それにしても、遺族や京須さんのコメントは、決して名跡を遺族のものだけにせず、柔軟性のある筋の通ったものだと思います。記事が真実だとすれば・・・。

アクセス数

このブログをスタートさせて11ヶ月経過しました。
データの確からしさは分かりませんが、アクセス累計が30,000件を超えたようです。

・・といっても、入力(更新)した後に自分で確かめたり、同じコメントを何度も覗いたりしていますから、実際のところはもっとずっと少ないと思います。

・・といっても、こんなずぼらな徘徊を覗いてくださる方もたくさんいらっしゃるようなので、心して?続けて行きたいと思います。

パソコン故障?

2日前からパソコンのインターネットが繋がらなくなりました。
このブログも、携帯から入れて(更新して)います。

どうやら、モデム?が故障しているようです。
2年ぐらい前にも同じようになり、機械を替えてもらいました。
"おいおい、またかよぉ。"ですよ。

新興会?

ちょうどバブルの頃、若かった頃、当時同じ職場にいたメンバーが、今でも定期的に部長を囲む会を続けています。誰が名付けたか"新興会"。
Shikokaiimg_0806 一応由来はあるのですが、全く脈絡のない名前を使っているところにも、この会のいいかげんさが出ているのです。
6月と12月の第一金曜日とお定まりの会。
群れるのが嫌いな私ですが、何故かこの会だけは、ほぼ皆勤なのです。

「お前たちは陸軍歩兵部隊だ!」と言い放つ、飲んだくれのとんでもない部長。
普段は上司の言うことなど全く聞かずに、自分たちのビジネススタイル・こだわりで動く勝手気ままな部下たち。
・・あれから幾星霜、ボス以下全員が歳を取りましたが、集まれば、あの当時にタイムトリップです。
そう言えば、当時の私への人事考課のコメントは、「ムードメーカー」の一言でした。
「そんなコメントがあるかい!」と叫んでも、メンバー全員が納得をしていましたっけ。

今回は、どうしても外せない取引先の接待があり、やっと駆け付けたのが10時過ぎになってしまったのですが、ボスは体調が良くないと言いながらも、私を待っていてくれました。
・・だから行くんだよな。
次回は6月4日です。

・・今まで幹事をやってくれていた「Hさん」が、海外に赴任することになり、次回から幹事交代になりました。
このブログを読んでくれていたら・・・、「H坊、ありがとう。」とお礼を言いたいと思います。
会社では部下が大勢いるのに、不幸にして最年少だったので、そのまま平行移動しているのです。

逆縁

08031724_4a769ecd48924 「逆縁」とは、「仏の教えを素直に信じない(縁に背く)こと、またはそのような救い難い人をいう。」とあります。
転じて年長者が年少者の供養をすることを逆縁と言いますが、これが俗に転用されて、親より先に死ぬことを逆縁というようになったようです。

「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く。 敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。」・・。

父母から授かった身体髪膚を亡きものにしてしまうのですから、「逆縁」は、最大(悪)・究極の親不孝だと言えるでしょう。

最近の2ヶ月ぐらいの間に、この「逆縁」に身近で2度も遭遇する羽目になってしまいました。

どんなに出来が良くても、有名になっても、お金を稼いでも、親より先に逝ってしまったら駄目なのです。
我々の最大の仕事は、金を稼ぐことでも、一流の学校や企業に入ることでもなく、血・生を繋いで行くことなのですから・・・。

子どもを失った親の絞り出すような声が、耳に残って離れません。
「こんなに親不孝な子はいない・・・」という・・・悲しい声です。

2009年12月 4日 (金)

駄楽忌

Img_0147_212月5日は麻雀亭駄楽師匠のご命日です。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。

今頃"あの世"では、先日逝ったばかりの圓楽師匠と、昭和35年の仙台での「淀五郎」の"埃高き畳"の思い出話で盛り上がっているかもしれませんね。

圓朝忌は8月11日、圓生忌は9月3日、そして駄楽忌は12月5日。

稽古風景

200911291205000 圓窓師匠が素人に落語をご指導くださっている「落語っ子連」の稽古風景の写真を初公開します。

落語っ子連は、「へ組」と「ん組」の2グループに分かれているのですが、写真は、「ん組」の稽古場風景です。 三流亭流三は、この「ん組」のメンバーです。

稽古場は、門前仲町で、落語っ子連メンバーの三流亭まど音さんが経営している音楽教室(クレス・ミュージック・キューブ)の上の和室をお借りしています。お茶の稽古などにも使っている部屋なのだそうです。

ご覧の通り、師匠の正面2メートル足らずの距離にある座布団に座り、師匠が一人ひとり丁寧にご指導してくださいます。
今、自分がどんな方からご指導いただいているんだという至福を考えると、緊張して震えてしまいますが、全員それなりに一生懸命に取り組んでいます。

稽古をつけてもらっているのは、三流亭びす太さんの「松竹梅」の様子です。

2009年12月 3日 (木)

週刊新潮

20091203 通勤途上にKIOSKで買いました。12月10日号の135ページです。
ありました。ありました。

やはり、あの「止め名」にするという文書をベースに、関係者の発言などが紹介されています。
詳細を読んでから自分なりに考えたいと思いますが、止め名の是非、誰が継ぐという議論の前に、まずしっかり筋道を立てることが重要な気がしますね。

それにしても、記事の内容はともかく、オチを付けようと思ったのか、記者の最後の一文は酷いですね。笑ってしまいました。

万年前座

立川流の前座立川キウイさんの本。

319911 修業とは理不尽に耐えること。その努力は実を結ぶと、世間はいうけれど……。

桃栗3年、柿8年、キウイは前座を16年――。厳しい昇進制度で知られる落語界のエリート集団「立川流」に、前代未聞の落ちこぼれがいた。三度の破門、記録的な前座期間に加え、談志へのしくじりは数知れず。蹴られても突き放されても、決して談志の弟子を諦めない。抱腹絶倒にして七転八倒の前座生活を余すところなく綴る。

大相撲の大関魁皇の幕内勝星が歴代トップに近づき、同じく千代大海が大関在位の記録を更新し、表向き大記録とも言えるのかもしれませんが、申し訳ありませんが、諸手を挙げて称賛しようという気持ちになりません。
それは、潔さがないから、日々がその地位に相応しいと言えるパフォーマンスになっていないからです。

417r3eprmhl__sl500_aa240_ キウイさんも、家元やご本人の洒落でもない限り、なんでかねぇと思いますよ。
あまり読みたいとは思いません。気分がよくありませんよ。
確か、キウイさんは、「破門」という本でも登場していた気がします。
自虐的な人生、きつい洒落のような取扱い・・・・。
私には受け入れられないなぁ。

落語家は、実力だけの厳しい世界。そんな厳しい世界を、現代の若者たちはなぜ選ぶのか。彼らは何に魅力を感じて落語家になるのか…。立川談志のもとで咄家を志す若者達を、新聞記者が取材する。

落語っ子連発表会の番組

来年3月の発表会の演目が概ね決定しました。

               ≪へ組≫       |          ≪ん組≫

 ◇ つる     まどる    |   ◇ 代書屋     窓口

 ◇ (未定)    まど舞    |     ◇ 小言念仏   商人

 ◇ 首屋     まど女    |    ◇ 音楽小噺   窓蕗

 ◇ 千早ふる  まど深     |    ◇ 半分垢    まど音

 ◇ 長短     円ドル     |    ◇ 浜野矩随   流三

 ◆ お楽しみ   圓窓師匠   |    ◆ お楽しみ   圓窓師匠

200908061855000 男女のバランスなど、微調整が必要かもしれませんが、演題はほぼ固定されましたので、後は稽古あるのみ・・・です。

・・・あれぇ、まど深さんは「ん組」だったっけ?

2009年12月 2日 (水)

週刊新潮の記事予告②

Gnj0910301509025n1六代目圓生未亡人の故山崎はなさんが、六代目の「落語協会分裂騒動」の再発を嫌気して、六代目の七回忌のタイミング(昭和61年8月)で、「圓生の名は永遠に再び世に出すことは望まない」という「遺言」をしたため、六代目に近しかった4人が「立会人」として署名捺印したといわれているものです。
その4人とは、稲葉修・山本進・京須偕充・三遊亭圓楽(敬称略)。

稲葉修さんは六代目のご贔屓で法務大臣も務められた政界の重鎮。
山本進さんは、演芸評論家で現学士会落語会の会長。圓生全集などの刊行に携わって来られた方。
京須偕充さんは、圓生百席の録音などをプロデュースした方。
圓楽師匠は、六代目一門の総領弟子です。

(
遺族の遺言として)「圓生の名前は再び世に出さない(=止め名にする)。」
そして、この書面は、圓楽師匠が預かり、銀行の貸金庫に保管されたのだそうです。

明日の週刊新潮は、この文書を巡っての、各方面の利害関係者のことに触れているのでしょうか?

週刊新潮の記事予告①

20091203_2 12月3日発売の「週刊新潮・12月10日号」の予告広告を見ていたら、こんな見出しがありました。

≪昇天「円楽」が立つ鳥跡を濁した「円生」大名跡のトラブル≫
・・・もしかすると・・・。
あの噂の文書の存在が明らかになるのでしょう。
明日は絶対に買わなくては。

余命一年 落語家になる

513laoie0wl__sl500_aa240_ 癌で闘病生活を続けている女性が、ひたむきに落語を生き甲斐に奮闘している自伝的な一冊のようです。

新聞などでは、以下のように紹介されています。

がんと闘いながら「天神亭楽々」の高座名で活動する福井県鯖江市の女性アマチュア落語家、街道徳尾さん(38)が、半生を振り返る本を12月に出版する。
 タイトルは「余命一年 落語家になる―楽しいことはラクなこと―」。余命宣告後、寄席で初めて落語に触れ、笑いから力をもらって、けいこと病に向き合う日々を記した。「やっぱり落語で笑いたい、笑わせたいなあ」。再び高座に上がる日が目標だ。

落語であれ何であれ、病気を克服するために打ち込む姿には、心から応援してあげたいものです。

1260円。「ぶんか社」刊。

蕪生師匠の投稿

落研OB会会長にご就任された蕪生師匠は、学士会落語会監事も務めていらっしゃいますが、学士会落語会会報「まくら」の「落語エッセイ」に投稿され、ちょっと我が落研のPRをしてくださっています。

(前略)
大学に入って落語研究会の存在を知り早速入会します。
夜行列車に乗ってイイノホールの精選落語会にも通いました。
(中略)
221 今年の11月には創部50周年記念行事を仙台で賑々しく開催できました。厳選6名のOB落語会も実現し、その先は東京公演もと息が上がっています。
(後略)

東京公演・・・・、蕪生師匠は本気ですね。

2009年12月 1日 (火)

名跡は誰のものか・・?

Encho2_s 一部の落研OBでやっているML「晴坊会」では、「噺家の名前は誰のものか」というテーマが話題になっています。

圓楽師匠が亡くなった直後、七代目圓生の襲名に関する報道があったこともあり、関心が高まっているようです。

今まで、何かにつけて、まぁまぁと、曖昧・成り行き・先延ばしをよしとして来た部分のある斯界で、ルールなどを作ることなどやって来ませんでしたから、特に襲名などで揉めることが多いようです。

歌舞伎のように「家」のものでもなく、大相撲部屋のように「株」になっている訳でもなく、選挙や推薦で決められる訳でもなく・・・。

しかし、少なくとも、遺族だけのものではないだろうという点は、共感されているようです。
一門、協会、遺族、場合によっては寄席の席亭も加わって協議・検討するとか、何か必要なのでしょう。
もたもたしていると、誰かが大名跡を商標登録してしまい、誰も使えなくなってしまったりして・・・。

でも、素朴に、大名跡は、止め名にしたりせず、その時代のマジョリティが納得する芸を持つ人に、営々と襲名して行ってもらいたいと思うのですが・・・。

若き飢エーテルの悩み

411jkudbvol__sl500_aa240_ 上方の中堅桂文我さん編による「桂文紅日記 若き飢エーテルの悩み―清く、正しく…面白く」。

以下が紹介文です。
「エチオピアの煙突そうじ」の桂文紅を覚えてますか?昭和30年代につづられたその日記には、上方落語界の先輩後輩がたくさん登場する。負けまいとするも自らの芸にうんざりする日々。やがて新作落語や大喜利台本、義太夫の床本までこなすインテリ噺家の、まさに華ひらく直前の姿だ。桂文紅「珍品絶品落語」四席ネタ帳のお楽しみ附。

上方の噺家さんで、文紅師匠という師匠は知りませんが、文我さんのアカデミックな面が発散されているのでしょう。

麻雀亭駄楽師匠を偲ぶ

Img_01373年前の12月5日、わが落研の創始者である「初代麻雀亭駄楽」師匠が急逝されました。

駄楽師匠は、ビジネスの上でも功なり名を上げられてリタイアされた後、学生時代にご自身が立ち上げた落研の創部50周年の記念イベントに夢を馳せておられました。

Img_0147 そして、20年近い後輩の私と、「駄楽乱志二人会」を始めようと約束したばかりのことでした。

・・・そんな駄楽師匠に、神様は微笑んでくださらず、師走の寒い日に、突然還らぬ人となってしまったのです。

駄楽師匠は、圓窓師匠と落研とのご縁を創ってもくださいました。
「仙都に笑いを・50周年記念号」では、師匠から次のようなコメントを寄稿していただきました。一部をご披露させていただきます。

200906062035000 あたしが二つ目になりたての頃だから、昭和三十七年前後だったと思う。
場所は今は亡き人形町の末広という寄席。
「東北大落研の者です。お願いしたいことがありまして。」
ということで(駄楽さんとの)繋がりが始まった。
(中略)
「落研が主催する落語会に出演をお願いしたいのです。仙台まで来ていただきたいのですが・・」ということであった。
(中略)
切れない縁なんだろう。

Img_0144

その駄楽師匠が亡くなって、12月5日で3年になります。

現役時代駄楽師匠の落語の上手さは群を抜いていたそうです。
結局、私は、駄楽師匠の噺はお聴きすることが出来ませんでした。

圓窓師匠も、お付き合いは長かったけれども、噺は聴いたことがないと仰っていました。
幻の、伝説の「蒟蒻問答」を聴いてみたかった・・・。

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