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2009年11月19日 (木)

落語主人公非庶民論?

2a767c69 落語は、庶民の味方、庶民が主役(主人公)と言われることがあると思いますが、あえて言えば、私はその否定論者です。

なるほど落語の舞台は庶民の生活にあり、登場人物も庶民そのものですが、果たして主人公は、純粋の庶民でしょうか?

例えば、芝浜の魚屋勝五郎、文七元結の左官長兵衛、子別れの大工熊五郎、横丁のご隠居、長屋の大家さん、厩火事のおさきさん・・・・。

この人たちは、確かに純粋の庶民の中にいますが、実は稀代の「スペシャリスト」です。
Maiku 前の三人は、酒や博打や女に溺れてはいても、腕は超一流の職人なのです。
腕が超一流だからこそ、金も借りられるし、ちょっと本気で頑張れば借金も返せる。
横丁のご隠居も若い頃には身を粉にして働き、今は悠々自適の身分。
やや小ぶりにはなりますが、大家さんやおさきさんも、プチスペシャリスト程度ではあるものの、普通の平凡な人よりも裕福だし、稼ぎも多い。
単にそこいらにいる人ではなく、平均的な人たちよりも、ずっと秀でている部分がある。

Column0502140101 一般に話や小説などは、ヒーローの存在が不可欠(ヒーローを待望)ですが、話芸のひとつの落語においても、当然こういう浮世離れした(普通の人とは違う)人の存在を求め、彼らが活躍してこそ成立するものなのだと思うのです。

ただの飲んだくれの魚屋なら、ただの博打狂いの左官なら、ただの女たらしの大工なら、痛快なドラマが生まれるはずもなく、やはり道楽で身を持ち崩しましたとさ(やはり駄目でしたね)、というだけで終わるはずです。

・・・ということで、平凡の中にも夢(ヒーロー)を求めた落語の中の主人公は
ただの庶民じゃぁないのです。「スペシャリスト庶民」なのです。

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