浜野矩随のオチ
先輩方から「オチはどうするの?」という質問も随分頂戴しました。
圓楽師匠は、「"怠らで 行かば千里の 果ても見ん 牛の歩みの よし遅くとも"、寛政の年度に親子二代にわたって名人と言われた、浜野の一席でございます。」
また、立川志の輔さんは、「”名人に二代あり”・・・。浜野矩随の一席でございます。」
という具合に、講談から来た噺ですから、決まったオチはないようです。
圓窓師匠から最初に言われたのが、「オチを創る」ということでした。
また、師匠からも案をいただくことができました。
師匠からいただいた案は以下のようなものでした。
( ある日矩随は若狭屋と一緒に母の墓参。そして・・・・ )
若:「矩随さん。こないだ、所望のあった品を伊達藩の殿様へお渡ししましたよ」
矩:「そうですか。ありがたいことです」
若:「嬉しかったね。遠くの仙台からの注文だし。矩随さんの腕の良さは遠くまで伝わっているんだ」
矩:「そう言えば、石巻、それから気仙沼の方々から問合せがありましたよ」
若:「やっぱり矩随さんは先代(仙台)を超えたんだよ」
一方、私は、マクラで「名人は上手の坂を一登り」というフレーズを"仕込み"ました。そしてそれをオチに繋げようとしました。
( 背景は師匠の案と同じです。)
若:「矩随さん。おっ母さんが亡くなって、もう3年になるね。今頃は、あの世で、お父っつぁんと二人、矩随さんのことを見守ってくださっているんだろうなぁ。
『名人は上手の坂を一登り』なんて言うが、あの時の矩随さんは、本当に見事に『上手の坂を一登り』したね。」
矩:「若狭屋さん。とてもそんな立派なものではございません。私のは『丈夫な母を思う一彫り』でございました。」
実は、当日まで、どちらで行こうかと迷っていたのですが、ひょんなことから、私が創作したバージョンを使うことにしました。(せざるをえませんでした。)
というのは、理由はOB落語会のプログラムの中にあったのです。
この中の「演者よりひとこと」という場所で、出演者の井の線亭ぽんぽこさんのコメントで、「・・・・休まず、怠けず、50年。これはせんだいの偉業です。東北だけに。」とありました。
師匠からいただいた案でやると、この部分と完全についてしまうではありませんか。
それで、師匠には申し訳ありませんでしたが、自分バージョンを使うことにしたのです。
≪名人は 上手の坂を 一登り≫・・・・から。
「上手の坂を」→「丈夫な母(気丈夫なという意味)を」と
「一登り」→「思う一彫り」 ・・・・というパターンで地口でまとめてみたのです。
≪矩随は 丈夫な母(を)想う 一彫り≫・・・ということでしょうか。
師匠とも、「上手の坂、上手の坂・・・・」、「一登り、一登り・・・・」、と繰り返しながら、何か上手くはめられないかと考えたのです。
気丈夫な母親を悼み、感謝する矩随の気持ちを汲んで、「(気)丈夫な母」と「一彫り」は、浮かんだのですが、なかなか間に言葉がつなげませんでした。
そこで、苦肉の策で、字余りになりますが、「思う(想う)」を入れてみたのですが、「分かりづらいかもしれないなぁ・・・・」と師匠。・・・そうかもしれませんね。
まだまだ改良・改訂の余地ありです。
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