若手の噺を聴いて
生意気な言い方ですが、大変僭越ながら、落語界の重鎮である圓窓師匠に稽古をつけていただいて感じるのは、言い古されたことかもしれませんが「基本の大切さ」です。
師匠から細かくご指摘を受けて、私の噺の欠点やイントネーションの違いなど、初めて分かったことも多いのです。
そして、別のメンバーを指導する時のコメントも、大変参考になるものです。
・・・悩んでいます。なかなか上手くなれないなぁって。
先日、若手の噺家さんの高座を聴いて、全体的に雑な感じを受けました。
声も雰囲気も良いし、決してその場その場で手を抜いているとか、投げやりになっている訳ではないのですが、なんとなく聴いていて落ち着きません。
その最大の原因は、ストーリーの仕立て方、台詞の構成にあるのだと思います。
古典落語の筋に従ってはいるものの、何か肝心な部分に力が入っていなかったり、喋りがおろそかになっているような気がして、聴いた後で空虚な感じ、はしょられた感じがしたのです。
せっかくのくすぐりも、面白いストーリーも、ストレートにスムーズに観客に伝わらないから、受け方・反応も中途半端になってしまっています。(落語を聴き慣れない人が多かったのも確かですが。)
これは、所属協会や師匠の影響もあるのでしょうか。もっと正面から噺に向かって作り上げれば、センスは悪くないのにな・・、と、やや残念に思います。
そういえば、小学校などに行って落語を演る機会が多いと言っていたのも気になります。
恐らく、芸づくりという面では良い環境とは思えませんし、むしろ芸が荒れる素になるかもしれません。
であればなおさら、丁寧に、基本に忠実に、そして客観的に自分の芸を見直す時間を作って欲しいと思います。
・・と、ご本人には言いたかったのですが、通りすがりのオヤジの独断・偏見ですから、ここだけの話にしておきます。
自分のことは棚に上げて・・・。ごめんなさい。
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